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2020/06/25

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  • 「おちょやん」浪花千栄子の本名と芸名。

    NHK連続ドラマ『おちょやん』が始まった。主人公は竹井千代。杉咲演じる竹井千代は大阪府南河内郡出身の上方女優・浪花千栄子(なにわ ちえこ)がモデルです。 今日は浪花千栄子さんの本名と芸名について書いてみたいと思います。 ■浪花千栄子の本名 浪花千栄子の本名は南口キクノ(なんこう きくの)です。大阪府南河内郡大伴村大字板持(大阪府富田林市東板持町)の生まれ。 鎌倉時代の名将・楠木正成は大阪府富田…

  • 『おちょやん』が始まってわかる古関裕而メロディの偉大さ!

    NHK連続ドラマ『おちょやん』が始まった。主人公は竹井千代。杉咲演じる竹井千代は大阪府南河内郡出身の上方女優・浪花千栄子(なにわ ちえこ)がモデル。 子役の千代の子ども時代を演じるのは毎田暖乃は(まいだ・のの)さん可愛いくて大阪弁をうまくしゃべっていた。なかなか最近の子役は凄いですね。 ■古関裕而作曲の校歌や応援歌は生きている。 でも前のドラマ『エール』の方と、どうしても比較してしまう。なぜかな…

  • 古関裕而と菊田一夫『恋すれど恋すれど物語』に出演していた『おちょちゃん』浪花千栄子

    NHK連続ドラマ『おちょちゃん』主人公は竹井千代。杉咲演じる竹井千代は大阪府南河内郡出身の上方女優・浪花千栄子(なにわ ちえこ)がモデル。 えっ、浪花千栄子って誰。知らない。どんな時代のどんな活躍した人。 全く知らない人向けに、前回のNHK連続ドラマ『エール』菊田一夫と古関裕而のコンビで作った映画「恋すれど恋すれど物語」にも出演していました。 ■映画「恋すれど恋すれど物語」 1955年(昭和30年)東宝…

  • 『おちょやん』浪花千栄子のエピソード。四月馬鹿は古かった。

    NHK連続ドラマ『おちょやん』始まりました。 タイトルの「おちょやん」とは、小さい女中さんを表す「おちょぼさん」がなまった大阪言葉で、親しみやすさとかわいらしさ、意地と誇りなどの象徴としてタイトルに付けられた。

  • あなたも『おちょやん』浪花千栄子に出会ったことはありませんか?

    NHK連続テレビ小説『おちょやん』が杉村花をヒロインに30日よりいよいよスタートします。 杉咲演じる竹井千代は大阪府南河内郡出身の上方女優・浪花千栄子(なにわ ちえこ)がモデル。 幼い頃から女中奉公に出されるなど貧しい生活を乗り越えて上方を代表する女優となり、「大阪のお母さん」とまで呼ばれ親しまれた。 えっ、浪花千栄子って誰? 聞いたことないと思ったら会ったことがありました。 以前、四国の…

  • 『エール』ロス!嘘が作った泣いて笑って感動した最高のテレビドラマだ。

    NHK連続ドラマ『エール』は最終回が終わってしまった。なんだろう、なんか忘れものをしたような。『エール』ロスか? しかし、ドラマ『エール』は今での朝ドラとは何かが違っていた。 古関裕而夫婦の物語をモデルにしたフィクションどらまなのだが、史実とは全く違っていた。 なんせ登場人物もモデルとは違う。そう似ていなかった。 古関裕而はお酒も飲まない、いつも物静かな落ち着きのある人物だった。古関裕而…

  • NHK連続ドラマ『エール』最終回コンサートを振り返る。

    NHK連続ドラマ『エール』では最終回が総出演のカーテンコール。古関裕而夫婦の物語を締め括るのに一番相応しい終わり方になりました。 それにしても朝の8時からの15分間だけでしたが、その時間内に8曲を凝縮したのは凄かった。 たった8曲だけなんですが、なんだか古関裕而の生きた昭和の時代が再現されたような気がしました。 もう一度、15分の番組の歌を振り返ってみたいと思います。 ■「エール」コンサート曲目…

  • NHKドラマ『エール』最終回。古関裕而死去。

    NHK連続ドラマ『エール』では最終会はNHKホールにてのコンサート。 司会を務めるのは、主人公・古山裕一を演じた窪田正孝。窪田は、「『エール』は、古関裕而さんがいなければ生まれなかったことも改めて感じましたし、皆さんのパフォーマンスを特等席で聞かせてもらって、夢のような時間でした」と語っています。 音と古山裕一のドラマ『エール』の最終回です。エンディングとして古関裕而の作曲した音楽の代表曲のメロ…

  • 音のモデルは多彩な才能のスーパーレディ、古関金子死去。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一は病に伏す妻、音(二階堂ふみさん)の療養のため、東京を離れて静かな生活を送っていた。 ドラマの中の音さんは明るくて元気でいつも主人公を支えてくれていました。声楽を断念しなければならなかったのは残念でしたが、古山にとってはなくてはならない存在でした。 音のモデル古関裕而さんの奥さんもご主人を支えてくれる素敵な女性でした。しかも才能は多彩で、パワフルな女…

  • 「東京オリンピックマーチ」に挿入された「君が世」日本的なものとはなんだろう。

    古関裕而のもとに開会式用の曲の依頼があったのは、昭和39年2月。オリンピック組織委員会とNHKからの「日本的なもの」という注文に対して、古関は雅楽や民謡を取り入れることを考えた。

  • 古関裕而の集大成「東京オリンピックマーチ」

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一は娘の華とアキラの結婚を認めます。そしてビックイベント東京オリンピックマーチを作曲することになります。 今日は古山裕一のモデル古関裕而さんの東京オリンピックマーチのお話しをしてみたいと思います。 ■古関裕而と映画「史上最大の作戦」 古関裕而にオリンピック・マーチ作曲の依頼があったのは、大会の2年前1962年(昭和37年)の秋頃でした。 …

  • NHKラジオ第1「日曜名作座」65年も続く古関裕而のテーマ曲。

    NHK連続ドラマ『エール』で主人公役の古山裕一さん戦後に入ってラジオにレコードに舞台に映画にといろんなところで頑張っています。 自宅の彼の机の上は五線紙でところ狭しと埋め尽くされていました。ほんと作曲意欲は凄かったんですね。 古山裕一のモデル古関裕而さんが「恋すれど恋すれど物語」のミュージカルの作曲をしていたのは1956年(昭和31年)ですから、あれから64年も経っていますが、今だに古関裕而の作曲した…

  • 古関裕而と菊田一夫「恋すれど恋すれど物語」土橋啓ニ作曲、渥美清が歌う。

    1955年(昭和30年)東宝の創業者小林一三が菊田一夫を東宝に迎えていきなり取締役に抜擢しました。東宝の演劇を全部任された菊田は、1956年(昭和31年)から、第1回東宝ミュージカル「恋すれど恋すれど物語」(菊田一夫脚本・演出、古関裕而音楽)をはじめました。「泣きべそ天女」という飯沢匡さんの作品との2本立てでした。 「恋すれど恋すれど物語」出演者は榎本健一(エノケン)、古川緑波(ロッパ)、越路吹雪、宮城まり子…

  • 古関裕而と終戦。疎開先で作った初めての作曲は校歌だった。

    NHK連続ドラマ『エール』華とロカビリー歌手アキラの恋の話しになっています。時代は昭和30年代後半の話しになっています。 今日はドラマとは離れて古山裕一のモデルになった古関裕而さんの終戦直後のようすをみてみたいと思います。 ■古関裕而と終戦直前 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲である、もう一つは5月25日の山の手大空襲をうけて世田谷区代田の隣組の家屋まで焼けていました。 古関家は無事だったが …

  • ロカビリー歌手アキラは藤木孝?「マイ・フェア・レディ」のフレディ役だった。

    NHK連続ドラマ『エール』ではアメリカの大学で医療の勉強をしてきた外科医に、リハビリテーションの話を聞いた華は、自分の仕事にしたいと思い院長に願い出る。そして、ロカビリー歌手の霧島アキラ(宮沢氷魚さん)のリハビリを引き受けることになる。 ロカビリー歌手で霧島アキラ?同じ名前ではないけれど、2020年9月20日に亡くなった藤木孝さんを思い出した。 藤木孝さんは俳優だがもともとはロカビリー歌手。 ロカ…

  • 妻の故郷、豊橋をたいせつにした古関裕而。お互いの故郷を愛するのが夫婦円満の秘訣。

    NHK連続テレビ小説「エール」主人公、古山裕一(窪田正孝)、妻、音(二階堂ふみ)。今までドラマは古山の故郷、福島は古山が愛してやまなかったのですが、音の故郷、豊橋は古山はどう思っていたのでしょうか。 優しくて音思いの裕一なのできっと音の故郷、豊橋もたいせつにしたのではないかと思います。 古山裕一のモデル、古関裕而も妻、金子の故郷、豊橋をとても愛していたようです。 ■愛知大学交換音楽会 終戦直後…

  • 古山(古関裕而)と池田(菊田一夫)の名コンビで日本のミュージカル世界を切り開く。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一と池田二郎がNHK連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』をコンビで作り、次には『君の名は』を作ることになり、二人の仕事はどんどん忙しくなりました。 ラジオドラマでのメイコンビのモデルは古関裕而と菊田一夫。二人は、年齢も菊田が1才上とほとんど変わらず。相性も良かった。 出会いは1937年(昭和12年)の戦前のNHKラジオドラマ『当世五人男子』で一緒に仕事。評判が良く『思い出…

  • 『エール』史実との誤りはいくつあるのか?クイズ

    最近、受験日が間近になり、毎日のように過去問題集を解いていました。 試験問題を解いていたらこんな出題形式が出ていました。 『誤りははいくらあるか答えなさい。』 なるほどこんな形式で出題すれば良いのかと思い、NHK連続ドラマ『エール』をクイズにしてみました。 ■『エール』史実との誤りはいくらあるのか?クイズ 『エール』に於いて史実と誤っているのはいくつあるでしょうか? 答えて下さい。 �@古山音(…

  • 『君の名は』元祖ご当地ソング!忘却なくしては人生暮らしていけない。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一と池田二郎がNHK連続ドラマ『君の名は』をコンビで作ることになります。 古関裕而と菊田一夫がコンビで作ったNHK連続ドラマ『君の名は』は敵わない恋、禁じられた恋をドラマとして大ヒットしますが、最初はドラマは社会派ドラマとしてスタートし、登場人物は、戦争未亡人や戦災孤児、元軍人、娼婦ら当時の社会を反映したものでした。 当初、あまり人気の出なかったこのドラマは…

  • 古関裕而て菊田一夫『君の名は』、『七人の侍』や『ゴジラ』に勝っていた。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一と池田二郎がNHK連続ドラマ『君の名は』をコンビで作ることになります。 古関裕而と菊田一夫がコンビで作ったNHK連続ドラマ『君の名は』は敵わない恋、禁じられた恋をドラマにした物語です。しかし、昭和のすれ違いメロドラマとして女性に受け入れられ大ヒットとなります。 ■NHKラジオドラマ『君の名は』 古関裕而と菊田一夫のNHKラジオドラマ『君の名は』1952年(昭和27年…

  • 古関メロディ第1位『高原列車は行く』

    NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一こと古関裕而さんの作品で「あなたが選んだ古関メロディーベスト30」(日本コロムビア)の中で堂々の第1位に輝いたのは、昭和29年に発売された『高原列車は行く』でした。 丘灯至夫作詞。古関裕而の曲の中でも特に有名な曲の一つです。丘灯至夫は福島県小野町出身です。 丘灯至夫は、福島県の沼尻温泉や中ノ沢温泉の湯治客に人気のあった沼尻軽便鉄道をイメージして作詞したとの…

  • NHK『エール』古山裕一、村野鉄男、佐藤久志は本名?ペンネーム?ドラマ名?

    NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一と村野鉄男と佐藤久志、福島三羽烏と呼ばれ、戦後も次々とヒット曲を世に出していきます。 あのドラマで歌った久志(山崎郁三郎)「栄冠は君に輝く」は良かったですね。とか、鉄男の境遇は悲しかったとか、ドラマを観ていて、いろいろと感じてしまいました。 ドラマを観ていてふと、ちょっとしたことが気になりました。古山裕一は大作曲家になり、佐藤久志もスター歌手に、村野鉄…

  • 渡ろ渡ろ 何みて渡ろ 信号見てたら口ずさんでいた古関メロディは凄い。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一と音のドラマなんですが、モデルになってるのは作曲家の古関裕而さん、この方の作曲した歌は知らないまに古関さんの曲を口ずさんでいることがあります。みなさんもそんな経験はありませんか。 小さい頃、集団登校で学校に向かう途中、みんなでよく、歌ったことがありました。 ♪渡ろ渡ろ 何見て渡ろ ♪信号見て渡ろう これって古関裕而さん作曲の「あかあおきいろ」って歌な…

  • 先生は死んでいなかった。藤堂モデル遠藤先生と古関裕而の心温まるエピソード。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一(窪田正孝)と村野鉄男(中村蒼)と一緒に小学校の恩師、藤堂先生のお墓に母校の校歌を作った報告をしに行きます。 『エール』は古関裕而夫妻の物語をモデルとしてますが、史実とは全く違っています。 ちょっとドラマと史実の対比をしてみます。 古山裕一のモデルは古関裕而、村野鉄男のモデルは野村俊夫、藤堂先生のモデルは遠藤喜美治、二人の母校の小学校は福島師範附属小…

  • 音のそれから?驚き!古関裕而の妻、金子は百戦錬磨の利殖マダムとなる。

    NHK連続ドラマ『エール』では音(二階堂ふみ)は オペラ「ラ・ボエーム」の稽古で、皆と明らかな実力の差を感じた音は、追いつこうと努力するが、どうしてもうまくいかない。ついに舞台を断念します。 音のモデル古関金子も理由は違いますが、声楽を断念しています。 古関裕而の妻、金子は、1946年(昭和21)年7月に長男・古関正裕(まさひろ)が生まれてから、歌手活動を続けるのは不可能だと悟り、1949年(昭和24年)より放…

  • 古関裕而と野村俊夫、福島商業高校校歌「若きこころ」なんでも福島!

    NHK連続ドラマ『エール』では鉄男(中村蒼さん)は木枯(野田洋次郎さん)と作った「湯の町エレジー」のヒット後、少し行き詰まっていた。そんな鉄男の様子を察した裕一(窪田さん)は、鉄男に母校の小学校の校歌の作詞をしてほしいと依頼する。 主人公、古山裕一は鉄男に優しいですね。小学校時代に鉄男に助けてもらった記憶が忘れられないからでしょうか。 古山裕一と鉄男の通っていた小学校は福島師範学校付属信夫小…

  • NHK連続ドラマ『エール』古関裕而夫妻の史実に基づいたドラマにして欲しい。

    NHK連続ドラマ『エール』の放送を観ると非常に理解できたことがあります。日本は1945年(昭和20年)8月15日敗戦を通して大きく体制が180度変わったことである。 戦時中は軍部の統制社会であり、戦後はアメリカ軍部の統制社会であった。 ドラマは古山裕一(古関裕而)の軍歌を作曲し苦悩するが将来の日本のためにまた歩き始める姿が描れてきた。 確かに、それはそうなんだが、結果的には日本の軍部に協力た後でアメリカ軍部…

  • 「君の名は」二階堂ふみさんか柴咲コウさんか誰が歌うか楽しみです。

    NHK連続ドラマ『エール』では「鐘の鳴る丘」、「栄冠は君に輝く」を佐藤久志(山崎郁三郎)熱唱しました。 古関裕而の戦後の大ヒット曲で次に思い浮かぶのは「君の名は」でしょうか。 「君の名は」は「鐘の鳴る丘」の次のNHKラジオドラマでした。 ■ラジオドラマ『君の名は』 1952年(昭和27年)から3年間、98回にわたって放送された『君の名は』 主人公の後宮春樹と氏家真知子のすれちがいが延々と続くメロドラマ。 「忘却と…

  • 古山裕一が音のために作った最後の曲。シューマン古関がクララ金子に捧げたオペラ朱金昭。

    NHK連続ドラマ『エール』ドラマでは音(二階堂ふみ)のために古山裕一(窪田正孝)は作曲をすることになる。 やっと二人の最初の出会いの夢がかなうことになる。 二人は文通しながら将来の夢を語りあっていた。古山が作曲し、音がその歌を歌う、それが二人の共通の夢であった。 戦争中は古山裕一は軍歌を作るのに忙しくてそんな余裕はなかったが、戦後やっと妻のために作曲できるのです。 ここで、史実の古関裕而と金…

  • 音のモデル古関金子「声楽の才能は誰にも負けなかった」頑張れ音!モデルに近づけ音!

    NHK連続ドラマ『エール』の主人公古山裕一の妻(二階堂ふみ)音はオペラ「ラ・ボエーム」の稽古で、皆と明らかな実力の差を感じた。 稽古後も、ベルトーマス先生(広岡由里子)とのレッスンや自宅での練習で必死にがんばるが、どうしてもうまくいかない。 音楽の才能に悩む音の姿がドラマでは展開しました。 実際の音のモデル、古関裕而の妻、金子の戦後はどうだったんでしょうか。 ■古関金子の戦後 古関金子は戦…

  • 戦争孤児救済ドラマ「鐘の鳴る丘」古山さんが作った「とんがり帽子」

    昭和20年8月15日、終戦を迎えた日本。しかし、ここから本当の闘いが始まった子どもたちがいました。 親を失い、路上で生きることになった戦争孤児。 当時「浮浪児」「駅の子」とも呼ばれていました。 ■戦争孤児 太平洋戦争では軍人や民間人あわせて310万もの人が亡くなり、戦争末期には、日本各地が空襲により大きな被害を受け、その結果、多くの子どもたちが親を失い、孤児となったりました。 ある孤児の話しより『…

  • 久志と藤丸の婚約。事実を勝手に変えるNHKの在り方に疑問。

    NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)と藤丸(井上希美) 藤丸「(久志に腕を絡め、指輪を見せ)婚約しました。(一同祝福)ありがとうございます」 久志 「僕という存在が、誰か1人だけのものになる日が来るとは」 藤丸 「何を人ごとみたいに。そっちが求婚してきたんでしょ?」 久志 「君が早く言えって顔をするから」 藤丸は裕一が作曲した「船頭可愛いや」を歌った芸者・歌手。戦後、自暴自棄の…

  • 久志演じる山崎郁三郎とそのモデル伊藤久男はタイプが全く違っていた。

    NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)と藤丸(井上希美)がドラマでは戦後の苦しいときに久志の心の支えとなり、なんだか良い仲となってます。二人の恋の発展はなんだか気になりますね。 ■史実モデル「音丸」と「伊藤久男」はどうだったの? 史実のモデルは「栄冠は君に輝く」を歌った伊藤久男、「船頭可愛いや」を歌った音丸なのは明確なのでしが、ドラマと史実は全く違っています。 NHK連続ドラマ『エール…

  • 古関裕而は戦犯?怯える。戦前と変わらなかったお役所。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一(窪田正孝)や佐藤久志(山崎郁三郎)が戦時中に自分の作曲した歌、歌った歌で多くの若い兵士を戦争に駆り立て、若い命が亡くなったことに後悔していた。 それはそうなんだろうけど、なんか納得がいかない点があります。 古山裕一や佐藤久志のモデルである古関裕而や伊藤久男は軍歌を作曲し、歌ったことにより戦犯ではないのかと疑われていた冷たい世間の目が彼らを歌から遠ざけ…

  • 山崎郁三郎「栄冠は君に輝く」甲子園球場で歌う。朝ドラ最高のシーンだった。

    NHK連続ドラマ『エール』甲子園球場に佐藤久志の歌声が響き渡りました。 ※戦後初甲子園球場開会式 朝日新聞より 雲は湧(わ)き 光あふれて 天高…

  • 古関裕而「鐘の鳴る丘」「栄冠は君に輝く」はGHQ統治より始まった。

    NHK連続ドラマ『エール』で終戦後の主人公、古山裕一窪田正孝)と池田二郎(北村有起哉)が力をあわせて、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を…裕一が「栄冠は君に輝く」を作曲し、佐藤久志(山崎郁三郎)が、その歌を自己の復活として歌をうとしている…朝ドラはいろんな展開をしています。 NHKドラマの脚本家は、それは戦争に協力した罪悪感から反省し、戦後立ち直ろうとする姿を中心に描きたいようです。 確かに戦争は起こすべ…

  • 古関裕而「栄冠は君に輝く」は甲子園球場のグランドでメロディが湧いた。

    NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)が酒浸りの状態から、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げて復活するまでを描かれていきます。 1948年(昭和23年)、名称も全国高等学校野球選手権大会となった。 これを記念して大会歌をつくることになり、朝日新聞社が全国から歌詞を募集しました。 ■「全国高等学校野球選手権大会歌募集」 朝日新聞に「全国高等学校野球選手権大会歌募集」が紙面に…

  • NHK朝ドラマ『エール』は古関裕而と夫婦のパラレルワールドを描く作品である。

    NHK連続ドラマ『エール』のブログを毎日書いていると、ふと書けなくなってしまった。 この朝のドラマ、これは何のドラマがわからなくなったからだ。 NHK製作者は『「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)」「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」などスポーツシーンを彩る応援歌の数々、戦後、人々を夢中にさせたラジオドラマ「君の名は」「鐘の鳴る丘」、「長崎の鐘」「イヨマンテの夜…

  • 久志変貌、心に炎の火を!伊藤久男代表曲「イヨマンテの夜」

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一と鉄男が藤丸に連れられて佐藤久志の家を訪れると、久志(山崎郁三郎)はすっかりかわりはてた姿になっていました。 プリンス久志とは思えない姿に…。どうしたんでしょうか。久志の目には昔の輝きもありません、早く戦後の苦しい思いから立ち直って、心に炎の火を灯して欲しいものです。 佐藤久志のモデルは伊藤久男です。伊藤久男と言えば「イヨマンテの夜」でしょう。今日…

  • 戦後の伊藤久男。山崎郁三郎が「栄冠は君に輝く」をどんな風に歌うのか楽しみです。

    NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)が酒浸りの状態から、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げて復活するまでを描かれていきます。 佐藤久志の史実モデルは歌手の伊藤久男です。 史実の伊藤久男はドラマと違っているのか? ■伊藤久男の戦後 伊藤久男は戦争中、『暁に祈る』『熱砂の誓い(建設の歌)』などの戦時歌謡で一世を風靡しました。 昭和18年、赤紙が届くも痔の悪化で入院した病…

  • 古関裕而作曲「栄冠は君に輝く」名曲誕生秘話

    NHK連続ドラマ『エール』物語は古山裕一(窪田正孝)高校野球の名曲「栄冠は君に輝く」を作曲するシーンへと進みます。 ■「栄冠は君に輝く」名曲の誕生秘話 1945年(昭和20年)8月15日終戦となります。アメリカ軍が日本を占領し物事が全て変わったかと言うとそう言うことではありません。 戦後の日本は戦前の制度を引きずったまま、混乱の社会が日本の日常でした。 教育に関しても、戦前のままでした。戦後直後の日本の…

  • 医師の永田武、史実モデルは永井隆。思想と勝てば全てが許される。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一が長崎に行き、医師の永田武(吉岡秀隆)と会い、再び作曲活動をスタートさせました。その最初が『長崎の鐘』でした。 永田武の史実のモデルは永井隆です。永井隆は医学博士であり敬虔なカトリック信徒でした。 ■永井隆の思想 1945年(昭和20年)8月9日11:02アメリカ軍が長崎に原爆投下。長崎市の人口24万人の内7万4千人(推定)死亡建物は35%が全焼または全半焼しました。永井隆…

  • 永井隆とヘレンケラーと昭和天皇

    永井隆とヘレンケラーそして昭和天皇 ■永井隆とヘレンケラー 昭和23年10月、秋の日がもう西にかたむいたころ、その人は現れました。 その人とは、三重苦を克服した偉人として世界的に有名になっていたヘレン・ケラーさんでした。 三重苦とは、目が見えず、耳が聞こえず、口で話すこともできない障害のことです。 ヘレン・ケラーさんは、とても努力して、障害を克服し、自分のように障害をかかえている人々を励ますため…

  • 永井隆『原子爆弾合同葬弔辞』が古関裕而、祈りの『長崎の鐘』を生んだ。

    1945年11月23日長崎の浦上天守堂の廃墟で合同葬が行われ、永井隆は浦上カトリック信徒代表として『原子爆弾死者合同葬弔辞』を述べている。 ■『原子爆弾死者合同葬弔辞』 「昭和20年8月9日午前10時30分から、大本営に於いて戦争最高指導会議が開かれ、抗戦か終戦かを決定することになりました。この会議の結果に日本の運命のみならず世界の運命がかかってきました。世界に新しい平和をもたらすかそれとも人類を更に悲惨な戦…

  • 原子爆弾と戦った一人の医師永井隆。愛の世界に敵はない。

    1945年(昭和20年)8月9日11:02アメリカ軍が長崎に原爆投下。長崎市の人口24万人の内7万4千人(推定)死亡建物は35%が全焼または全半焼しました。 長崎医科大学助教授、永井隆は爆心地から700メートルしか離れていない長崎医大の診察室で被爆した。彼は飛び散ったガラスの破片で頭部右側の動脈を切断しましたが、簡単に包帯を巻いただけで、生き残った医師や看護婦たちとともに、被災者の救護に奔走しました。
 永井隆ははま…

  • 社会派ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が青少年に悪影響と社会問題になる。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一(窪田正孝)と池田二郎(北村有起哉)の二人が、力をあわせて、あの名作NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を作っていくことになります。 1947年(昭和22年)7月5日17時、菊田一夫脚本、古関裕而音楽にて始まりました。 ラジオドラマは,最初は土日の夕方の15分番組でしたが、大人気となり1回30分・週5回の放送となりました。 やがて、舞台化されたり(創作座公演,有楽座,1948年7…

  • 国に捨てられた戦争孤児と「鐘の鳴る丘」

    NHK連続ドラマ『エール』ではドラマは終戦後となっています。 池田二郎(北村有起哉)が闇市を歩くと戦災孤児たちの姿が、なかには二郎のズボンのポッケから財布をぬすとする孤児までいました。 池田二郎の史実のモデルは菊田一夫です。 ■国に捨てられた戦災孤児と「鐘の鳴る丘」 戦争が終わった時に、戦争孤児は12万人とか…。 昭和20年3月10日の東京大空襲は、沢山の戦災孤児を生み。 戦後の街に戦災孤児は溢…

  • 終戦後配給制度では食べられない。衝撃の山口判事餓死事件!

    NHK連続ドラマ『エール』では池田二郎(北村有起哉)が終戦後、登場し闇市が出て来ました。 終戦後の日本は食糧難に苦しんで居り、闇市で高値の食べ物を手に入れるしかありませんでした。 ■「配給制度」はあるが配給する食糧がない 日本は戦争中、「配給制度」をとっていました。米、味噌、醤油、砂糖などの食料、調味料からマッチ、石鹸、ちり紙などの日常品までが、配給されていました。 各家庭に、あらかじめ人数…

  • 古関裕而と菊田一夫「鐘の鳴る丘」ラジオドラマが戦争孤児に明るい未来を与えた。

    NHK連続ドラマ『エール』先週の金曜日のラストシーンでは池田二郎(北村有起哉)が最後に「待ってろよ、君のドラマを作ってやるからな」で終わりました。 終戦を迎えたとはいっても、戦災で父母を失った子供たちが巷にあふれ、誰しもが食糧難で生きることに精一杯だった時代です。 子供たちも生きるのに必死でした。 二郎の後ろポッケより財布を盗もうとした子供もその一人です。二郎には彼らの苦しい思いが良くわかって…

  • 池田二郎のモデルは菊田一夫。「NHKは嘘をつかない」なんて冗談!

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公古山裕一(窪田正孝)は曲を書くことができなくなってしまった。 彼は戦争中に自分の作った音楽が人々を戦うことに駆り立て、その結果若い人の命を奪ってきたことを自分のせいだと後悔…。 一方、劇作家の池田二郎(北村有起哉)は、戦争孤児のドラマの企画をNHKに持ち込んでいました。 ■池田二郎のモデルは菊田一夫 この池田二郎は古関裕而とコンビを組み数々のラジオドラマ、…

  • 藤堂先生の手紙。ドラマ『エール』は愛のラブレター物語。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一(窪田正孝)は)は音楽慰問から帰国。 その足で戦死した藤堂先生(森山)から託された手紙を妻・昌子(堀内)に届けるため、故郷・福島に向かいました。 ドラマ『エール』主人公古山裕一と音との出会いも1通の手紙から、手紙っていいですね。相手が見えないだけに気持ちが良く伝わります。 ドラマ『エール』の脚本家の方々も良くそれがわかっていて藤堂先生の戦死と妻への手紙と…

  • 軍部が無理強いした「比島決戦の歌」古関裕而の全集入り拒否!

    NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一(窪田正孝)は大事な小学校の藤堂先生(森山直太朗)がビルマで戦死しました。 古山裕一にとっては小学校時代より自分を励まして、音楽の道に導いてくださった先生です。とても辛く悲しい気持ちでいっぱいでした。とても作曲するような状況ではありません。 しかし、帰国していた彼を待っていたのは軍部からの軍歌の作曲依頼でした。 NHK連続ドラマ『エール』と同様、古山裕一モ…

  • 本土決戦も竹槍で…首相も驚いた。軍部の縦社会に嫌気がさす。

    NHKドラマ『エール』ビルマでは、中井が戻って来た。 「全戦は地獄です。 険しい山・濁流の大河・食糧不足、戦う以前に命を保つのが難しい。」 物資の揃わない中、突撃命令が下されていた。 1杯の水もなく死んで行く者もいた。 『古山さん、日本は負けます。命を尊重しない戦いに未来はありません。」 ■最も無謀なインパール作戦 インパール作戦が大本営が作戦中止をようやく決定したのは1944年(昭和19年)7月1…

  • 「老人が始めた戦争に死ぬのは若者」全く酷い話しです。

    NHK連続ドラマ『エール』古山裕一(窪田正孝)はビルマに慰安に行き、帝国陸軍のインパール作戦で戦争の悲惨さを経験します。 誰もが思うことですが、日中戦争が継続していながら、なぜ無謀なアメリカとの戦争に突入するのか…。 ■太平洋戦争の政府の責任 歴史を振り返ると、1941年9月6日の御前会議は、10月下旬を目標に対米英戦の準備を「完整」すること、日米交渉が10月上旬になっても目途のつかないときには開戦決意をする…

  • 1944年(昭和19年)毎日新聞「竹槍では戦争は勝てない」正論を書いていた。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)はビルマのインパール作戦に従軍することになる。 1944年(昭和19年)3月帝国陸軍はインドのインパールに向けて進軍を開始していた。 インパール作戦こそ食料・弾薬の補給が全くない精神論だけで突撃(竹槍作戦)をし約3万人の命が奪われた大惨事となった地上最悪の作戦でした。 日本のマスコミではインパール作戦が開始する前に陸軍の竹槍作戦を痛烈に批判…

  • 「アベノマスク」と「インパール作戦」縦社会の原理原則。

    2020年8月28日朝日新聞デジタルでコロナ対策のアベノマスクの記事 『政府の新型コロナウイルス対策は成果を出しているのか、反省点はないのか。28日の記者会見で問われた安倍晋三首相は、「アベノマスク」と揶揄(やゆ)された布製マスクの全戸配布問題に言及した。 「マスクについても様々なご批判もいただいたが、マスクの配布を始めることによって、需要と供給の関係から、相当供給も出てきた。ネットでも価格も大きく…

  • 古関裕而の第3回目の従軍はあの大惨事のインパール作戦だった!

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一(窪田正孝)に音楽協会を通じて軍から慰問の依頼が。 自分よりも若い人たちが死を覚悟し、訓練に励む姿を目の当たりにしてから安全な場所で音楽を続けることに後ろめたさを感じている裕一は、複雑な感情を抱きながらも戦地に赴く決意を固めていた。 古山裕一モデル古関裕而は音楽の作曲家として3回も外地に従軍しています。最後の3回目が最も危険なインパール作戦への従軍で…

  • 古山裕一の責任を問う五郎。古関裕而とキリスト教とNHKの戦争責任。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一(窪田正孝)の家に梅(森七菜)と五郎(岡部大)は結婚報告に訪れた。五郎はキリスト教に入信した。 彼は梅と結婚ができた幸せをかみしめつつも、馬具職人として軍に協力していることへの葛藤を語り始める。 五郎は裕一の前に正座をして「先生には、戦争に協力するような歌を作ってほしくありません!」「先生の歌を聴いて、軍に志願した若者がたくさんいます…」 「戦争に行く…

  • 米軍から見た戦争末期の帝国陸軍の姿。終戦直後はもう限界です。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一まで赤紙が、モデル古関裕而に赤紙が届いたのは昭和25年終戦の年です。 軍部が作曲家名古関裕而と知らず、本名古関勇治を招集したのだとしても、彼は既に36歳であり、身体検査も丙種合格。丙種とは身体上極めて欠陥の多いと言うことであり、普通であれば招集されない。 しかし、既に日本には招集すべき若者がほとんど残っていなかった。 終戦直前には、病気でないほとん…

  • 太平洋戦争中の宗教弾圧。杉原千畝のピザを発行したユダヤ人のその後。

    NHK連続ドラマ『エール』では1943年(昭和18年)、古山裕一(窪田正孝)のもとにも召集令状が届く。 その頃、妻の音(二階堂ふみ)の実家、愛知県豊橋にある関内家では、信徒仲間らしい婦人が窓から外の様子をうかがいながらカーテンを閉め、母親の光子(薬師丸ひろ子)に、「次の礼拝は、瓜田さんとこでやることになったで」に伝えるシーンがある。 光子が「大丈夫なの」と心配すると、「瓜田さんとこでやるのは初め…

  • 1945年(昭和20年)終戦の年の古関裕而。変わらない生き方は素敵です。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一に赤紙が届きましたが国に対して曲作りで多大な貢献をしていると兵役が解除となります。 NHK連続ドラマではモデルを古関裕而としながら作曲家の史実を大きく書きかえています。 東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌「若鷲の歌」(予科練の歌)が1943年(昭和18年)のことですが、古関裕而に赤紙が届いたのは1945年(昭和20年)のことです。 また、国に作曲で貢献しているからと言って即…

  • 「若鷲の歌」を歌った予科練生。約1万9千人が戦死。

    NHK連続ドラマ主人公、古山裕一コロンビアの依頼を受け作曲をしたのが「若鷲(わかわし)の歌」だった。別名「予科練の歌」です。 海軍飛行予科練習生は略して「予科練と言われた。その海軍のパイロット養成学校の少年飛行兵士の生活を描いた1943年(昭和18年)9月16日公開の東宝映画『決戦の大空へ』の劇中歌が「若鷲の歌」でした。 映画が終わって出てきた大勢の小学生が「若い血潮の予科練の——」と歌いながら出てくるの…

  • 古関裕而、国策映画「決戦の大空へ」主題歌「若鷲の歌」作曲への後悔の念。

    NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一(窪田正孝)のもとに東都映画の三隅(正名僕蔵)と言う人物がやって来ます。 三隅は航空兵を目指す若者たち予科練生の成長を描く映画を企画していると言い裕一に主題歌を依頼するのでした。 ※予科練(海軍飛行予科練習生の略)では14〜17歳の少年を募集し、航空兵としての基礎訓練をしていた。 ■東宝映画「決戦の大空へ」 史実では東都映画は東宝映画です。製作担当の…

  • 古山裕一に赤紙。古関裕而の真実、軍部の手違いで届いた招集令状!!<br />

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)についに赤紙が届きました。 ドラマの主人公、古山裕一の史実モデル古関裕而にも終戦間近の1945年 (昭和20年)に赤紙が届いています ■古関裕而と赤紙 1945年(昭和20年)3月硫黄島でのアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林忠道陸軍大将が指揮した硫黄島がついに陥落します。 古関裕而は栗林忠道大将を知っていました。1940年映画「暁に祈る」の主題歌を依頼したのが陸…

  • 古山裕一に赤紙。古関裕而の真実、軍部の手違いで届いた招集令状!!<br />

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)についに赤紙が届きました。 ドラマの主人公、古山裕一の史実モデル古関裕而にも終戦間近の1945年 (昭和20年)に赤紙が届いています ■古関裕而と赤紙 1945年(昭和20年)3月硫黄島でのアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林忠道陸軍大将が指揮した硫黄島がついに陥落します。 古関裕而は栗林忠道大将を知っていました。1940年映画「暁に祈る」の主題歌を依頼したのが陸…

  • 音(二階堂ふみ)モデル古関金子さん防空群長となり大活躍。

    NHK連続ドラマ『エール』では音(二階堂ふみ)が音楽挺身隊に参加し慰問をしているシーンが出てきました。 主人公、古山裕一(窪田正孝)妻、音(二階堂ふみ)のモデル古関裕而の妻、金子さんの戦争中はどうであったのか。 ■古関金子は防空群長で大活躍 音のモデル古関金子さんもドラマの音とそっくり、明るくて活発でした。金子さんも積極的に世田谷代田の地元の組織に入っては隣組をまとめていました。彼女は防空群長を務…

  • 音と軍服姿で音楽挺身隊の指揮をする志村けん。ビックボスと対決はあるのか?

    NHK連続ドラマ『エール』では音(二階堂ふみ)は梅(森七菜)に「せっかく歌を歌える機会があるのになぜ生かさないのか」と言われ自分には向いてないと思った音楽挺身隊に参加することになりました。 音は懐かしい音楽学校の仲間たちとも会え、慰問にも喜んでもらえ楽しみも感じたのですが…。 軍人とともに軍服を着た威圧感を放つビックボス小山田耕三(志村けん)が登場、違和感を感じる音(ドラマを予想してみました) 小…

  • アメリカに日本街がない理由、海の向こう日系人の太平洋戦争。

    NHK連続ドラマ『エール』では太平洋戦争に突入し、主人公古山裕一も音も生活がだんだん苦しくなり、音楽も自由に歌ったりする雰囲気ではなくなりました。 日本中が戦争に巻き込まれてしまって、もう個人のことなど考える余裕がなくなっていたのです。 ■戦争の相手国アメリカはどうだったのか。 自由の国、人権のある国アメリカですから日本とは違って個人の人権や自由が守られていたのかと思いましたがどうもそうでは…

  • 音と白い割烹着と襷の大日本婦人会。

    NHK連続ドラマ『エール』音(二階堂ふみ)は吟(松井玲奈)に連れられて、さぼりがちな婦人会に半ば強制的に参加することになるが、婦人会の班長、克子(峯村リエ)に圧倒されます。 しかし、婦人会の班長たちはみんな白い割烹着(かっぽうぎ)ですね。今は白い割烹着を見ることはほとんどありませんが、昔のお母さんはみんな白い割烹着を着ていました。お母さんと言えば白い割烹着なんです。 ■割烹着とは 割烹着は、衣服…

  • 音と食糧難、喫茶バンブーにコーヒー豆がありません。

    NHK連続ドラマ『エール』では戦争が激しさを増すにつれ、日本は次第に苦境に立たされて食料の配給も少なくなり、音(二階堂ふみ)も日々の食事づくりに苦労するようになります。 1940年(昭和15年)5月になされた閣議決定「消費規正に関する件」に基づき、翌月から配給制が導入されました。国からの配給があったのではとおもわれますが、配給券は配られましたが食料品はまわってきませんでした。 戦争のため軍隊に食料品が…

  • 太平洋戦争開戦と古関裕而。久志(伊藤久男)に赤紙。古山裕一にも届く。

    NHK連続ドラマ『エール』では昭和16年、太平洋戦争が始まりました。 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」1941年(昭和16年)12月8日5時太平洋戦争開戦した旨、大本営のからの「大本営発表」臨時ニュースを日本放送協会(NHK)のアナウンサーが読み上げていました。 日…

  • 久志の土産は「うさぎや」?戦時中は貴重品だったどら焼き。

    NHK連続ドラマ『エール』福島の実家へ鉄男を連れて帰った裕一は、なぜか先に家に居た佐藤久志に驚きました。古山裕一の行くところ久志あり、不思議です。 そんな久志は、裕一の母親のまさに抜かりなくどら焼きの手土産を持参しました。 どら焼きのお土産は大きな箱ですね。 佐藤久志 「ここのどら焼きあんこがとてもおいしいんです」 どこのどら焼きでしょうか。 昭和の初期のどら焼きと言えば上野の「うさぎや」が真っ先…

  • 藤堂先生っていったい何歳?ドラマの嘘!発覚

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)の恩師・藤堂先生(森山直太朗)が出征することが明らかに…。生徒だった「福島三羽ガラス」古山裕一、村野鉄男、佐藤久志3人と再会したものの「みんなとは、楽しい思い出ばっかりだ。本当に幸せな教師生活だったよ」。今生の別れを告げるようでした。 小さい頃の三羽烏それぞれが 藤堂先生がいたから今がある 優しい藤堂先生のおかげですと想いを告げる。 なんとも感動のシ…

  • 巨人軍の歌「闘魂込めて」守家浩と古関裕而。

    「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られる歌手の守屋浩(本名・守屋邦彦)さんが19日午後7時ごろ、静岡県内の施設で前立腺がんのため死去した。81歳。 「僕は泣いちっち」ヒットしたのはいつの頃のことだろう。 1959年(昭和34年)浜口庫之助作詞・作曲となってた。61年前か、随分昔になったものです。昭和のアイドルも歌手も次々とお亡くなりになります。寂しい限りです。 ♪ 僕の恋人東京へ 行っちっち 僕の気持を …

  • NHKと戦争「東京ローズ」アイバ・戸栗の悲運

    NHK連続ドラマ『エール』を放送している日本放送協会は国営放送として同盟通信社提供ニュースをNHKアナウンサーが読み上げていた。 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」 1941年(昭和16年)12月8日5時太平洋戦争開戦した旨、大本営のからの「大本営発表」臨時ニュースを放…

  • 福島三羽ガラス初レコード『暁に祈る』大ヒット。馬政課長はあの栗林忠道だった。

    NHK連続ドラマ『エール』では『露営の歌』のヒットから1年後。裕一(窪田正孝)をたずねて、音の姉・吟(松井玲奈)と吟の夫・智彦(奥野瑛太)が古山家を訪れます。 智彦は、自身が勤める陸軍の馬政課でつくることになった映画『暁に祈る』の主題歌を、裕一に作曲してもらいたいと依頼に来ます。 うむ、なるほど姉のお見合いした軍人がここでドラマでは繋がるのですね。なかなかこった脚本ですね。 だから豊橋の実家が馬具商だ…

  • 『露営の歌』パクリ番組『買ッテ来ルゾト勇マシク』古関裕而はどう思う。

    1937年(昭和12年)古関裕而が『露営の歌』を作曲して36年しか経たないのにテレビでは『露営の歌』の 替え歌をパクった番組が放送されていた。買い物ゲーム番組のその名も『買ッテ来ルゾト勇マシク』である。 ■買い物ゲーム番組『買ッテ来ルゾト勇マシク』 1973年(昭和48年)6月3日より読売テレビ制作の買物ゲーム番組『買ッテ来ルゾト勇マシク』坂本九と柏木由紀子の夫婦での司会で始まった。 テーマ曲に「露営の歌」の替え…

  • 「露営の歌」より古関裕而は「軍歌の覇王」と呼ばれた懸賞募集軍歌ブームが始まった。

     「音楽が戦争を左右する。音楽は軍需品だ」、「宣伝は強制的でなく国民を知らず知らずに戦争にかりたたせる」ことが出来ると軍部は考えていた。 軍はマスメディアに呼びかけ新聞社、国内レコード会社各社は国民の戦意高揚のために軍国歌謡の企画、製作に乗り出し始める。 しかし、レコード会社から見ればそれは「商機」だった。 軍歌ブームに乗ること、時流に乗ることで軍歌のレコードの売上が直接、会社の利益となったから…

  • 進軍の歌懸賞募集、賞金は1000円。「露営の歌」二席でB面だった。

    1937年(昭和12年)支那事変勃発を受け、東京日々新聞と大阪毎日新聞が合同で「進軍の歌」の歌詞を公募しました。 審査の結果、第一席に選ばれたのは本多信壽さんの歌詞、第二席は藪内喜一郎の歌詞が選ばれます。 第一席は当然に「進軍の歌」、第二席は審査にあたった、北原白秋と菊池寛が「露営の歌」と名づけられました。 菊池寛いわく、「当選作[進軍の歌]は格調が整つてゐるが、味は佳作第一席[露営の歌]の方にあると思ふ。…

  • 古関裕而と才能、五郎君「いったいなにがやりたいの?」

    NHK連続ドラマ『エール』は廿日市(古田新太)に「この世界、才能だからな」と釘を刺され、五郎は自分には才能があるのか、ないのか…不安を募らせていた。 「努力しても、しょせん自分はダメなんだ」と落ち込む五郎に、梅は「五郎さんは、本気で音楽で身を立てたいの?」「大事なのは、五郎さんがどう生きたいかってことだと思う」 梅は「ダメなだけな人、好きにならんもん。私、五郎さんのことが…好き」と告白した直後に古山…

  • 「天国に結ぶ恋」五郎の遺書「デート」は戦後の若者たちが日本で最初。

    NHK連続ドラマ『エール』では酔いつぶれて帰宅した五郎を見て、裕一の娘、華(田中乃愛)は梅に 「五郎のことどう思ってるの?五郎は梅のこと好きだよ。間違いない。だって、梅の本、何回も読んでるもん」 と打ち明ける。 酔って書斎で眠っている五郎。梅が水を持って部屋に入ってくると、五郎が急に目を覚まして起き上がり…というところでした。 梅ちゃんの恋人は 「これは五郎確定だ」 プリンス久志、梅ちゃんとの恋争…

  • 五郎は渥美清に激似。梅ちゃんの恋のゆくえ。<br />

    NHK連続ドラマ『エール』梅の式「文芸ノ友新人賞」を受賞式の途中、記者からは実力ではなく容姿で選ばれたかのように陰口を叩かれる、動揺のあまり転んでしまった梅(森七菜)をあざ笑う文子。「笑うな!」と一喝したのは五郎だった。 田ノ上五郎(岡部大)、かっこいい。 あれ、誰かに似ていると思ったら寅さん(渥美清)だった。 顔もなんだか似ていません。 風貌もさえない、太った弟子の田之上さん子どもにも女性にも優しい…

  • 古関裕而と弟子、土橋啓ニ 2人で大活躍!昭和30年代は明るく楽しい時代だった。

    古関自身が言及している弟子には、土橋啓二がいます。 太平洋戦争の末期には、土橋の母が、福島に疎開した古関家に代わって、その留守宅を守ってくれていたそうです。 古関裕而 『留守宅は、弟子の土橋啓二君の母上が守ってくれた。 土橋君も兵隊になっていたが、「そのうち兵役解除で戻るだろうから心淋しいだろうがお願いする」と土橋君の母上に、よく留守を頼んで福島へ戻った。10時間もかかった。』 土橋啓ニって今では…

  • 古関裕而の弟子モデルは土橋啓ニ?

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而の弟子で田ノ上五郎(岡部大)が登場。 古関裕而の弟子? 彼もコロンビアより次々とヒット曲を出して有名作曲家となっていましたから弟子がいたようです。 その中の1人に土橋啓ニと言う人物がいました。 この方も指揮者で作曲家、歌謡曲、映画・テレビ音楽、コマーシャルソングといろいろな分野で活躍していました。 中でも驚いたの東京六大学の立教大学、第…

  • 「幻の東京オリンピック」と古関裕而

    1938年(昭和13年)は近衛文麿内閣のもと4月1日に国家総動員法が公布されるなど戦時体制確立が本格的に進んだ。 世界ではヒトラーのナチスドイツがユダヤ人を迫害。 チャプリンの「モダンタイム」が好評を博し、17歳でデビューした李香蘭が人気を集めた。 横綱双葉山は全盛期を迎え、淡谷のり子「雨のブルース」が流行した。 NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而は 軍歌の作曲依頼が相次ぐように…

  • 古関裕而に「自分の心に最も残っている曲は?」と聞いてみた。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関 裕而 (こせき ゆうじ)(1909年(明治42年)8月11日−1989年(平成元年)8月18日)は,本名・古關 勇治。 1969年(昭和44年)に紫綬褒章,1979年(昭和54年)に三等瑞宝章を受賞し、応援歌,軍歌,歌謡曲など,作曲した曲は 5000曲に及びます。 NHKラジオ深夜便で番組担当の女性アナウンサーより 「その中で,自分の心に今,最…

  • 古関裕而とオリンピック

    1896年第1回オリンピック・アテネ大会。 盛大に行われた開会式ではギリシャ国王が開会を宣言し、続いて演奏されたのは、スピロ・サマラス作曲の「オリン…

  • 古関裕而と西条八十「赤い鳥」と「かなりや」人の運命は複雑に絡んでいる。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而が小学生の時代。 童謡の新しい運動として鈴木三重吉氏が「赤い鳥」を発行して、毎月童謡を北原白秋や野口雨情が書いて発表されていた。 古関裕而の国語担当の遠藤先生はこの新しい童謡運動に没頭して、生徒に沢山作らせ、新しい童謡を歌わせていた。 古関裕而 「小学5年生の時、遠藤先生は童謡を生徒にも作らせ、作文の時間に自分の作品をそれぞれ読ませた…

  • 「ぼくの帽子」西条八十と古関裕而 三越ホームソング

    1977年(昭和52年)10月8日公開された角川映画『人間の証明』キャッチコピーは 「母さん…僕のあの帽子…どうしたんでしょうね?…」 でした。 テレビでもしつこいほど何度も何度も放送されたので当時は頭からこびりついて離れませんでした。

  • 伊藤久男「あざみの歌」佐藤久志役 山崎郁三郎に歌って欲しい。

    NHK連続ドラマ『エール』も再開が近くなりました。早く放送して欲しいものです。少し待つのも長くなりました。 今日は主人公古山裕一(窪田正孝)の友人佐藤久志(山崎郁三郎)モデル伊藤久男さんの代表曲の1つである「あざみの歌」の話しをします。 太平洋戦争も後半、昭和18年、伊藤久男にも赤紙が届きます。 ただラッキーなことに痔の悪化で入院した病院の医師が伊藤のファンで、その計らいで、軍役を解かれています。 その後…

  • 日本最古の長編アニメ「桃太郎 海の神兵」の音楽監督も古関裕而だった。

    漫画家の手塚治虫が漫画家になろうと決意したアニメがあった。 アニメ「桃太郎 海の神兵」である。手塚治虫は次のように語っている。 『敗戦の年の春、意外な傑作が突如として現れた。「桃太郎 海の神兵」全九巻の、文字通りの大作である。製作費二十七万円、監督瀬尾光世(せおみつよ)(現せお・たろう)、原画桑田良太郎(くわたりょうたろう)、音楽古関裕而(こせきゆうじ)、作詞サトウ・ハチロー、美術黒崎義介(くろ…

  • 古山裕一、音、久志、みんなで作った「露営の歌」心に十字架を背負うことになろうとは!

    1937年(昭和12年)盧溝橋事件より日中戦争勃発。 毎日新聞は戦意高揚のためこれにあわせて「進軍の歌」の歌詞を募集。 籔内喜一郎の歌詞が傑作に入選し新聞に歌詞が掲載されていた。 満州からの帰途、下関から「富士号」に乗って家に帰る途中に、新聞に載っていた歌詞を山陽線の「汽車が揺れるリズムに乗って簡単に作曲でき、東京に着くまで金子と二人で歌っていたと言われています。 『古関裕而−流行作曲家と激動の昭和』は…

  • 名曲「星の流れに」は戦後の街娼の歌だった。歌うのを拒否した淡谷のり子。

    ♪星の流れに 身を占って どこをねぐらの 今日の宿 荒(すさ)む心で いるのじゃないが 泣けて涙も 枯れはてた こんな女に 誰がした♪ 「星の流れに」をYouTube藤圭子で聴いていた。 藤圭子のハスキーな声を際立たせる細やかなヴァイブレーション、それを可能にする天性のリズム感、テクニックに頼るのではなく魂そのものを、歌詞とともにぶつけるような歌唱法はブルース・シンガーのものだ。 最後の「こんな女に誰が…

  • 「島原の子守唄」を全国に広めたのは古関裕而だった。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而さんは「露営の歌」「とんがり帽子」「長崎の鐘」「鐘の鳴る丘」「君の名は」「オリンピック・マーチ」誰もが聞いた曲を作曲し作品総数は、5,000曲にもおよびました。 ジャンルもスポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多岐にわたっています。 また、日本の地方に眠っていた民謡や子守唄を全国に知らしめたのも古関裕而さんでした。 その中の1…

  • 「大きいことはいいことだ」大き過ぎて困ったディックミネ

    「大きいことはいいことだ。おいしいことはいいことだ。50円とはいいことだ」。 50円(現在の価格で約170円)という、現代でいうところのチョコレートとしてのコストパフォーマンスはともかく、「大きい」「激しい」「ぜいたく」などへの、いままで小さなウサギ小屋のなかでさんざん我慢させられていたみんなの気分が、ときのいざなぎ景気(昭和40〜45年)と直純気球に乗り、大空へと開放させられていく。

  • 遊園地「としまえん」と古関裕而

    8月31日をもって、惜しまれながらも、94年の長い歴史に幕を下ろした遊園地・としまえん(東京都練馬区)。 有終の美を飾るにふさわしい新聞の全面広告が、閉園直前に掲載され、ツイッター上で大いに話題をさらいました。

  • 古関裕而と妻が愛した代田、ダイダラボッチと幸せな暮らし

    NHK連続ドラマ古山裕一(窪田正孝)の妻、音(二階堂ふみ)さんのモデルとなったのは古関裕而の妻、古関金子さんです。 上京した後に帝国音楽学校の声楽科に入学した。帝国音楽学校とは、かつて存在した音楽学校で、第二次世界大戦の際に焼失して廃校となっている。 場所は、東京都世田谷区代田二丁目にあった。 金子の学業を優先するため、古関夫妻は金子の姉が住む阿佐ヶ谷から世田谷代田へ転居した。

  • 古山音こと古関金子(二階堂ふみ)の大好物はメロンパン。いつも鞄の中にしのばせていた。

    NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)こと古関裕而さんの奥様、音(二階堂ふみ)こと金子さんが甘い物好きでメロンパンを鞄にしのばせていたそうです。 ご主人の古関裕而さんも酒は飲まないが甘い物には目がない。 近所の香風の和菓子が大好物だったようです。 2人とも好みも同じで羨ましい夫婦ですね。

  • 古関裕而とインパール作戦、九州の校歌の作曲が多い理由。

    NHK連続ドラマ『エール』の主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而ドラマの再開は9月17日からです。 『麒麟がくる』も再開し、コロナも終息すれば普段通りの生活に戻れるのかも…。 『エール』も再開されれば、ドラマシーンはそろそろ戦時中になるはずです。 古関裕而さんは日中戦争が勃発した1937年(昭和12年)『露営の歌』が大ヒットとなります。コロンビアレコードも本人もヒットをたいへん喜びますが、戦争は彼にとってい…

  • 淡谷のり子「別れのブルース」対古関裕而「露営の歌」

    ♪窓をあければ 港が見える メリケン波止場の 灯が見える 夜風汐風 恋風乗せて 今日の出船は 何処へ行く むせぶ心よ はかない恋よ 踊るブルースの 切なさよ♪ 昭和12年(1937年)の「別れのブルース」淡谷のり子のヒット曲です。 同じ年、NHK連続ドラマ主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而は「露営の歌」としてレコード化し、大ヒットしています。 ♪勝って来るぞと 勇ましく ちかって故郷を 出たからは …

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