性善説を唱える奴らは、多くの犠牲を生んだ。 それは、まるで水が張ってあるプールのように見せかけた騙し絵に飛び込ませているようなものだから。下はコンクリートだ。
人としての基盤がぶっ壊れているのか、他者とうまく関わっていくことができません。必然的に仕事が続きません。家族ともうまくやっていけませんので、家を出ることになりました。無職です。一人暮らしをしていくための金が必要です。何とかせねば・・・
ホモサピエンスという、愚かで汚い生物に「ルールを守る」という行為を継続することなどできるはずがないので、「競争」というやり方で何かを得ようとすれば、いつか落とし穴にはまってしまう。 ルールを守り続けることができないくせに「競争」を利用しようとするから失敗する。 扱うことの難しい道具を使用し続ければいつか失敗する。 子供に車の運転はさせられない。
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性善説を唱える奴らは、多くの犠牲を生んだ。 それは、まるで水が張ってあるプールのように見せかけた騙し絵に飛び込ませているようなものだから。下はコンクリートだ。
求めれば「もっともっと」とキリがなくなり、永遠の渇望地獄に落とされてしまう種類の欲がある。 この種の欲にハマった境界知能が世の中のバランスを歪めている。 最大の失敗は、彼らに権力を握らせたこと。
個人のアレルギー反応に周囲が翻弄される世の中。 アレルギーじゃなかったのにアレルギーになってしまった。
物質的に恵まれることが必ずしも幸福に繋がるわけではない。むしろ、それを追うことで不幸に繋がることさえある。猿共はそんなものに時間と労力を全力で費やしてきた。 例えるなら、10段階の価値があるものの中からわざわざ5を選択し、それを神かなんかでも崇めるようにして信奉してきた感じ。 5より上が見えないわけではない。なぜか見ようとしない。5に対する行き過ぎた欲、執着が邪魔をする。それは間違っている。 間違いは是正されなければならない。しかし、長年に渡って血肉となって染みついたその価値観、風習は癖となってしまい、一朝一夕に払拭することはできない。しかもそれを払拭することが、肉体の維持を阻害することに繋が…
都合が悪いから排除する、自分の欲望を満たすために邪魔だから排除する、排除することで利益を得ることができるから排除する。 このようなガサツなやり方で構築されてきた世の中に欠陥が無いわけがない。 身体で例えれば、目先の「邪魔だから」という感情に任せて、大事な器官と知らずにそれを排除してしまった結果、身体が全く動かせなくなってしまった。というようなことが、この世の中が構築される過程であったのではないか?ということ。そうなってしまえば、もう延命措置で身体をチューブまみれにされ「生かされる状態」に陥ってしまう。 この世の中の構造が、既にこのような「生かされる状態」になってしまっているのではないか?。過去…
誰かの愚かさを指摘すると、自分自身の愚かさを忘れる。この状態に陥ってしまうと軌道修正は難しい。仮にこの状態に陥っていることに気が付いたとしても、気が付いたことに満足してそこで終わらせてしまうから軌道修正まで至らない。 軌道修正するにはそれなりの時間をかけなければならないが、個々がそれをしてしまうと社会が回らなくなってしまうという仕組みになっている。 だから世の中のホモサピエンスは殆どが愚かな存在であると思って間違いない。
ホモサピエンスは、あらゆる物事を自分の都合で歪めて解釈してしまうという特性を持っている。
搾取する側にとって都合がいいから「友達は多い方が良い」などといった嘘の価値観を広めた。
「障害者は社会にとってお荷物だから皆殺し」等といった発言を大声でしてしまうような奴は、仮にその提案が通ってしまった場合、次の皆殺し対象となってしまうのが自分自身であることに気が付いていない、あるいは気付くのが遅い。つまり後に 「発達障害は社会にとってお荷物だから皆殺し」 といった提案が出された場合、その提案を飲まざるを得ない状況に立たされることになる。
Aをバカにしなければならないと刷り込まれて育ち、教えられた通りAをバカにし続けてきた。しかし実はそのAの特性は自己の内面にも存在していた。Aをバカすることは、自分自信を否定することに繋がり、それは生きにくさの原因の一つとなった。
相手を信用するという綺麗そうな言葉の裏には、相手が自分の都合の良いように行動してくれる奴隷のような存在でなければならない、という期待が隠されている。 だから信用していいホモサピエンスは一匹も存在しない。二つの意味で。
生き甲斐は、行動を起こす原動力としては優秀だが、生き甲斐自体を目的として行動する者はトラブルメーカーとなることが多い。
欲が無いと生きていけない時点で性善説は破綻している。 自然な欲ならまだコントロールできる。でもこのホモサピエンスという猿は、自然な欲だけでは我慢できなくなってしまったり、「そんな欲だけで満足しては駄目だ」と言って周囲を唆して、不幸の道連れを作ろうとしたりする。 そういう動物だから仕方がない。
どんなに着飾っても、どんなに聖人君子ぶってみても、このホモサピエンスという猿は、愚かで醜い凶暴な犯罪者となる可能性を秘めている。 一匹残らずその可能性を秘めている。 にも関わらず、着飾ったものを一生懸命剥がそうとしたり、聖人君子の粗を探ろうとしたりする猿がいる。 「アイドルはウンコをしない」という幻想を抱いているのと同等のレベル。
長生きが必ずしも幸福に繋がるわけではない。 長生きすれば、その分だけ幸福になるための機会に遭遇する回数は増えるかも知れないが、それ以上に不幸になるための機会に遭遇する回数は増える。 世の中が勝ち組と負け組とにハッキリ分かれており、勝ち組は一握りしか存在しないのに対し、負け組の方が圧倒的に多い。大多数の負け組側が不幸と感じるのは当然だが、勝ち組側が必ずしも幸福であるとは限らない。 若い時には勝ち組側であっても、歳を重ねるだけ肉体はもちろん、精神も衰えていき、競争の優位性が損なわれていくことで、徐々に負け組側へと席をずらされていくことになる。 何より本人が「勝たねばならない」といった類の信念を幼い…
不幸は自覚から始まる。情報化が進んだ現在においては、頼んでもいないのに、お節介にも各種媒体が不幸の自覚を突きつけてくる。 「他と比べる」「他と区別する」といった心の根本問題を解決する前に情報化を進めてしまったことで、不幸を量産してしまった。
大昔のホモサピエンスは自然の中で本能のまま生きることができた。 今のホモサピエンスは本能のままに生きると「社会不適合者」「犯罪者」のレッテルを貼られかねない。
身体を維持する、生命を維持するための行為は、動物的本能に意識を偏らせてしまうので、その都度その偏りの修正を行う必要がある。
お客様はホモサピエンスでございます。
ホモサピエンスなんかに完璧を求める頭の悪いホモサピエンス
しがみついてでも生きたいと思う奴は生きればいい。死にたい奴は死んだって構わんだろ。 苦痛しか無い、汚い世の中を形成してしまった奴らは責任とって「苦痛の無い、綺麗な死」を提供しろ。
本来、間引きされるべき対象を「命は大事」という衝動的な、ほぼ感情論で生かしてしまった結果、そいつらが覇権を握り、間接的にせよ大量虐殺を行なってしまっている。 彼らは、欲望を無限に肥大化させてしまう病を患っている。 永遠の貧困者。
歴史という巨大な車輪が少しでも動けば、その下に生息する動植物(ホモサピエンスも含む)は、すり鉢ですり潰されたかのように粉々になってしまう。 その残骸は殆ど誰からも関心を寄せられない。
晒し首や公開処刑が「過去に実在した酷い歴史」として捉えられているように、将来的に、「満足するな」や「一番じゃないと意味がない」などといった、人格を無視した社会成長第一主義の考え方は「過去に実在した酷い歴史」として捉えられることになる。
ほぼ100%のホモサピエンスは「自分さえ良ければいい」といった理念をもとに行動しているので、信用に足るホモサピエンスは一匹も存在しないと言っても過言では無い。 とくに「自分を信用しろ」といった内容の「吠え方」をするホモサピエンスには注意が必要で、コイツは最初から騙すつもりで近づいてきているか、あるいは「自分はホモサピエンスである」という自覚が無い。 いずれにしても騙される結果になることには変わりないが、殺傷能力は後者の方が高い場合が多い。
競争社会において、安楽死はビジネスになりうる。 長生きすればするほど、競争の上位陣は「死んだ方がマシ」という状況に追いやられる。 彼らはの多くは潤沢な財産を保有しており、人一倍それらに執着しているが、やがて、その殆どを失うよりも楽に死ぬ方に価値を見出すようになる。
道具を自分のためにしか利用できないホモサピエンス。 彼らは、相手から主導権を奪うために「笑い」という道具を利用する。
間引きシステムの廃止は、強者にとって都合が良い。 生きる力が弱く、一昔前ならとっくに間引きされているような弱者は、今の世の中では最終的に自殺することが多い。 このことによって、強者は「殺人」という罪を弱者に押し付けることに成功した。 弱者は、生きにくい環境下に苦しめられ、死ぬより苦しい思いをさせられ、更に、最後には「殺人」という罪まで押しつけられる。
「野良猫に餌を与えるな」という注意喚起はするくせに「大衆」という、私利私欲でしか行動できない、何の存在価値も無い愚かな動物どもに「車」という武器を与えることに対しては何の言及もされない。
生身の肉体を持ったホモサピエンスに、集団をまとめて維持し続ける、ということは不可能。生身の肉体を持っているということは必ず完璧ではないということ。どこかに穴が生じる。 自分たちは完璧で神のような存在であると思い上がったホモサピエンスの集団の中に、この穴を指摘する者が必ず出てくる。それが争いの火種となって、やがて集団は崩壊する。 過去の歴史で、生身の身体を持たない、なにか完璧な偶像を造り上げ、それに身を委ねるというやり方で集団の統制を図ったことがあったが、自分たちは不完全で、やることなすこと穴だらけの愚かな動物である、ということを認めることのできないホモサピエンスたちの手によって、その合理的な手…
「どのようにすれば最大限に相手を苦しめることができるか?」などという不自然な創意工夫をしてしまう可能性を秘めたこの「ホモサピエンス」という動物全体がそもそも奇形である可能性。 ホモサピエンスの中に健常者は一匹も存在しない。他の動物達に比べて劣っているという仮説。
自由を取り扱うことのできるホモサピエンスは、この地球上に一匹も存在しない。 ホモサピエンスに自由を与えると必ず罪を犯す。 にも関わらずこの劣った動物は自由を求める。自由を主張する。自由を貪ろうとする。 学習能力皆無なのか?地球上に生存する生物の中で最も邪魔な動物たちよ。
グレーの狭間で「思いやり」と「迎合」が共存しているのことで歪みが生じている。 「思いやり」は他者のためになるばかりか自分のためにもなる。「迎合」は他者を堕落に導くばかりか自分をも堕落に導く。 他者に迎合を強要するということは、自分が堕落していくための協力を他者に求めているということになる。更にその相手まで堕落させてしまうことになるので、お互いマイナスになる。関係を続ける以上お互いマイナスになり続ける。
誰かのスキャンダル情報が目に入ると、嬉々として「批判したい」という衝動に駆られてしまう。自分は、やっぱりホモサピエンスなんだな、と自覚する。汚らしい醜い動物。
ある集団に所属することでホモサピエンスの持つ野蛮な性質を鎮静化できているのであれば、それだけで金銭に変えられない価値があると言える。なぜなら、その野蛮な本能は罪を重ねる引き金になるから。 にも関わらず、金銭という数字だけを根拠にして、その集団に所属することをやめて独立を企てるといった行動に出るものがよくいる。確かに金銭面だけを考慮すれば得なのかもしれないが、そのことで罪を犯してしまうリスクが高まるのであれば、それはリスクリワードの悪い行動と言える。
生身の肉体を持ち、重力のもとで生きていく以上、半分は動物である部分を持ち合わせているため、100%理性だけで行動することは不可能。 にも関わらず「自分たちは動物を超越した神に近い何者かである」という思い上がりから、ホモサピエンスたちはさまざまな負の産物を作り上げてしまった。 例えば「車」を運転するには、ある程度の判断力や反射神経などが必要なことは言うまでもないが、動物的な部分を抑える強い理性も必要で、特にホモサピエンスという種は獰猛な性質を兼ね備えた動物なので、その本性を剥き出しの状態で運転などさせたら大惨事は免れない。 動物的な部分を抑えるには、強い信念だったり、絶対的な神のようなものを信じ…
数字に執着してしまうぐらいだったら、初めから「目標」なんて掲げない方がマシ。 執着に囚われたホモサピエンスは、どんな罪でも犯すことができるようになってしまうから。
闇雲に、ただ人口を増やすことだけに注力することによって起こりうる弊害は、未熟な人間が親となり、未熟なやり方で育ったその子供もまた未熟なまま成人を迎えて世の中に出荷され、また同じように未熟な人間を製造してしまうという負のサイクルが起こりうるということ。 それを繰り返していくことで、ゆくゆくは人口の100%が、どうしようもない欠陥品で構成される地獄のような国が誕生してしまう。 子供の時期に能力を伸ばすというのは合理的な考え方だと思う。ただし、そのことで負わせてしまったトラウマをそのままにして、ただ「成人したから」というだけの理由で子供を世の中に投げ出してしまうというのは、親としては未熟な行為。 欠…
ホモサピエンスのくせに性善説とか厚かましいにも程がある。 どっちかと言えば悪の方だろ。 甘やかすなよ。 自分が正しいと思い込んでいるホモサピエンスほど残虐な行為ができてしまうんだから。 危ない危ない。
自由は狂気を駆り立てる。 その狂気を自分自身の力で抑制することは不可能に近い。 罪を犯したくなければ、あえて他者の管理のもとに自分自身を置くという手段もある。