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小形幸平のMacBook-Air
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https://ogatakouhei.com
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小形幸平のブログです。 考えたことや、学んだことの整理としてのブログ
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20回 / 35日(平均4.0回/週)

ブログ村参加:2020/06/10

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kouheiさんの新着記事

1件〜30件

  • オイル交換について

    ACSで学んだことのアウトプット11オイル交換についてオイルタンクは、カバーがついてたり、ついていなかったりするみたいだが基本的に車の下にある。だから、まず車を機械で持ち上げ、オイル入れの容器を用意する。オイルタンクのあるねじを外した瞬間、

  • 名づけえぬもの -サミュエル・ベケット-

    はじめにいろいろなところで聞くので『名づけえぬもの』を読んでみた。正確には読んでいないが、読んだということをその本に満足したということだとすると、読んだということに近い気がする。文学の授業には、必ずと言っていいほどこの小説は取り上げられる。

  • DjangoでSNSを作っている途中

    なんとなく、はじめに最近流行の「プログラミングをしてみたい」し、最近流行の「webアプリケーションを作ってみたい」という興味もあったので、最近流行の「Python」を使ってとりあえず簡単なTwitterみたいなものを作ってみたいと思った。そ

  • 長崎とキリスト教と原爆②

    六〇〇〇度の愛(鹿島田真希)における長崎とキリスト教と原爆鹿島田真希は東京出身の小説家で芥川賞作家でもある。本作は2005年に発表され、三島賞を受賞した。芥川賞はその7年後「冥土巡り」で受賞する。さて、『六〇〇〇度の愛』とは離婚歴五回の「女

  • 純文学と大衆文学の比較

    純文学と大衆文学の違いとは一体なんなのだろうか。この違いについて明確に区分できる人は未だにいないと思われる。よく言われる分け方としては、大衆文学は娯楽に、純文学は芸術性に重きを置いているかどうかである。または、純文学は書き手の書きたいことを

  • #BlackLivesMatterについて②

    中村文則「逃亡者」にこのような文があった。「君達はこのまま敗北し続けていくだろう。人権や多様性と言いながら敗北していくだろう。黒人達のために立ち上がった、キング牧師の言葉は知っているだろう?『最大の悲劇は、悪人達の圧制や残酷さではなく、善人

  • “哲学”を書いてみる

    そもそも哲学なのかはわからないが、「哲学とはなんなのか」ということを定義するのは難しいらしい。私の個人的な定義だが、「哲学とは、自分を通して、様々なことを深く掘り下げて考えてみること」だとしてみようかな。かなり曖昧ではあるが、それくらい大きく広い方がいいだろう。

  • バッテリー交換について

    ACSで学んだことのアウトプット⑩バッテリー交換は意外に危険が伴う。マイナスとプラスがあるが、諸々のネジを外す。まずはマイナスから端子?を外す。なぜかというと、マイナスはボディと繋がっているので、プラス端子から外すと、万が一ボディにその端子

  • カーコーティングについて

    やっとカーコーティングに関わることができた。と言っても、そこまでしっかりしたカーコーティングではなく、艶出しレベルではあったが、それでもカーコーティングの一部である。

  • 長崎とキリスト教と原爆①

    小説における長崎・キリスト教・原爆長崎とキリスト教は多くの関係があることは歴史的にも明白だ。これを舞台にした小説も多い。あまり知っているわけではないが、いくつかの作品をあげてみて、そこから長崎とキリスト教がどのように描かれてきたのか。その理

  • 逃亡者 -中村文則-③

    逃亡者 -中村文則-①逃亡者 -中村文則-②ファナティシズム・トランペットは何を意味するのかファナティシズム・トランペットとはなんだったのか。最初に読んだときの第一印象を書いてみる。ファナティシズム・トランペットとは、「周りの空気」「同調圧

  • 逃亡者 -中村文則- ②

    ナショナリズムとこの小説の関連について ナショナリズムとは、「ナショナリズムについて」の記事でも書いたが、政治と民族の一致を、求める概念である。そして、多民族への排他的な意識も中には含まれることもある。そしてリベラリズムとは、絶対王政に反対してできた概念であり、現代に置き換えると国家の暴力に反対しているということである。かなり極端だが、この二つから考えると、ナショナリズムからは「戦争」が連想され、

  • 差別ってなんだ②

    差別ってなんだ①では、なんとなく定義を決めてみたが、それだけでは足りないような気がする。差別とは・・・人に対して行われ、かつ外見からその人の人となりを主観的に決めつけることとしたが、不十分だと思われるということだ。 水原希子は、ルッキズム(外見主義)というものを批判しているが、これも確かに差別に値するだろう。見た目で人のランクを決めるなということだが、それは上述した差別の定義のようなものにも合致す

  • 差別ってなんだ①

    はじめに 差別とは一体なんだろうか。なんとなくわかるけどわからない。区別とは何が違うのか。明確にしようとすることは少し危ないのかもしれない。様々な文脈で様々な使われ方をするこの言葉について、差別ってなんなのか、少し考えてみたい。 差別と区別 差別と区別。似たような言葉だが、少し違うだろう。様々な意味合いがあるが、差別は人に対して行われ、区別は人も含めものに対しても行われるというのが、それぞれのイメ

  • エンジンとかその周辺について

    ACSで学んだことのアウトプット ボンネットとかには、エンジンやいろいろなものが積まれている。車によっては、座席の下とかにあったりする。主なものとしてはエンジン、エンジンオイル、ウォッシャー液、冷却水などなど。車のことは全然知らないのだが、せっかく働かせてもらっているのであるから、勉強したいと思った。 いつか、レンタカー車のチェックシートに基づいて、車の基本的なことについてまとめてみたいと思う。

  • 沈黙は暴力なのか?

    沈黙は暴力とはどういう意味なのか この #BlackLivesMatter 運動が日本でも活発になったが、あるフレーズがよく聞かれるようになった。「沈黙は暴力だ」である。 わかるようでわからない。これは一体どういう意味なのだろうか。いや、沈黙は別に暴力を奮っていないじゃないか。なんていうことを言いたいわけではない。言わんとすることは、「いじめ」をみて、沈黙するということは、傍観者である人間も加害者

  • #BlackLivesMatterについて①

    はじめに 差別とはいったいなんなのだろうか。現在、#BlackLivesMatter の運動がかなり活発になっている。これは黒人に対する差別意識に対してのプロテストだ。これに付随して、日本でも自分たちの差別意識を見直そうとする声も上がっている。例えばアイヌ差別だって、部落差別だってある。確かにわかる。そりゃやっぱり差別はなくした方がいい。 大なり小なりあるが『差別』で辛い思いをしている人を見たこと

  • エンジン周りを綺麗にする

    ACSで学んだことのアウトプット⑦ ボンネットを開けて、シリコンオイルだったかな?たしかそんなので、ツヤだしみたいな感じ。基本機械に直接そのスプレーを噴射して、そこを拭いて伸ばしてくみたいなのでもいいけど、窓付近をやるときは、タオルに噴射して伸ばす。なぜか。窓に油膜がついてしまうから。

  • タイヤを外して、ブレーキ点検へ

    ACSで学んだことのアウトプット⑥写真のような青い機械で車を上げる。電動ドリル、電動インパクトみたいなのでタイヤのネジを外す。この時、対角線の順番でネジを外すと良い。全部ネジを外して、然るべき場所にまとめたら、タイヤをはずす。ワイヤーが出てる時は気をつける。

  • オリエンタリズムについて

    おそらく、いわゆる文系(社会科学、文学など)で非常に重要な概念がオリエンタリズムである。というか、グローバル社会と言われている今日では、日常生活においても非常に重要な概念である。 では、オリエンタリズムとは何か。世界を西洋と東洋に二分し、西洋の方が東洋よりも優れているという考え方である。

  • リベラリズムについて

    リベラリズムとは何なのか。ということについてだが、やはり「自由主義」という単語しか出てこず、その単語から連想されるざっくりとしたイメージしかない。しかも少しみてみると、リベラリズム、ネオリベラリズム、ニューリベラリズム、リバタリアニズム、ソーシャルリベラリズム、モダン・リベラリズム、クラシカルリベラリズムなどなど、いっぱいあって意味がわからない。

  • 曖昧な言葉の危うさについて②

    曖昧な言葉について、前回は自分について語る時の危険性について少し書いた。自分について語ることは、真面目にすればするほど哲学そのものになっていくのではないかと思った。今回は他人について語る時の曖昧さの危険性について考えてみたい。

  • 曖昧な言葉の危うさについて①

    曖昧な言葉は使わざるをえない。誰かに何かを話す時、この誰かとは自分であったり、他人であったり。自分って何だ、他人って何だ、という議論は今は少し置いておこう。ここで話したい内容とは、まさにそのような「自分」とか「他人」とかわかったようでわかっていないものについてである。私たちはもっと言葉を大切にすべきである。

  • ホース捌きを制するものは洗車を制す

    ACSでのインターンについて⑤ 洗車を10台近くおこなったが、なかなか時間がかかった。用意するものはホースと洗車用のスポンジと拭きあげる用のタオルの三点。鉄則は上から。水をかけ、スポンジで洗う。水をかけないとボディーに付着してる砂で、スポンジで擦ったときに、ボディーを傷つけてしまう。

  • 100円レンタカーの手続き

    ACSで学んだことのアウトプット④ ACSは100円レンタカーをフランチャイズでやっている。事務処理とかは比較的簡単。

  • 過去を意味付けすることについて

    「あの出来事にはこんな意味があった」という言葉をよく聞く。これはつまり過去に意味付けをするということであるが、これについて少し思うところを整理していきたい。過去の出来事に対して意味付けをすることは、「ある種の精神的な救い」があり、それと同時に「考え方における視野が狭くなるのではないか」という懸念があると考える。

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