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INOUE文庫 https://inouebunko.com/

本の紹介。前方後円墳はスキタイの銅鍑が原型/スサノオは北部九州の黒髪山に降り立った/など私の説も発表しています。

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2020/06/05

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  • 貴船神社とは何か

    貴船の夏の風物詩「川床(カワドコ)」。涼しげな清流の上で料理を食べるという、世界でもあまり聞かない、京都の風物詩。一度は行ってみたいとあこがれるところではないだろうか。さて「貴船」とはなんだろうか。由緒では神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川を遡り当地に上陸したとある。そして社名も当初は「黄船」であった。しかし黄色の船も、奥宮境内にある「御船型石」も後付けのように思われる。本当は恐ろしい(かもしれない)貴船の由来を考えてみよう。まず、奥

  • 壬申大乱 古田武彦

    冒頭に作者は言っています、「万葉を愛する諸君よ、大和へ行くな」。また、万葉集に柿本朝臣人麿が詠う「吉野」は、近畿中央にある吉野ではなく「吉野ヶ里」のことである、と。万葉集の知識が私にはないので列記します。天武・持統紀には、人麿の名は登場しないそうです。また持統天皇が、吉野に9年の在位中31回も行幸しているそうですが、退位後は6年には1回だけという目的が不明な点があります。また天武天皇の挽歌がないという不思議もあります。作品中に三森堯司氏の「馬

  • 京都のなかの朝鮮 朴鐘鳴

    京都市を各区ごとに分け、三国時代から朝鮮通信使の時代に関わる神社仏閣等を解説している。ガイドブックのように手書きの地図もあり、まとめて訪れようと思われる方はよいのではないか。この本での私の初見としては、「安養寺」「山田宿禰」「秦川勝の弟和賀」があっただ。まず安養寺については、この寺が広隆寺と同時期に建立されていることだ。安養寺は全国で数の多い寺として、その機能と性格に注目していたが、寺院として初期(推古朝)のものであることが注目される。ここから全国に秦氏が管

  • 銅鐸民族の謎 臼田篤伸

    医師としての執筆は過去に何冊もされているが、古代史については初めての書籍と見受けられる。参考文献には100冊以上の本が列記され、古代史への思いもひとしおと感じられる。「四大銅鐸圏」を提唱され、銅鐸文明は九州に起こり諏訪地方で終焉を迎えたと語っている。私も吉野ヶ里遺跡から銅鐸が出土していたことはこの本で知った。しかも遺跡の発掘中に出土するのは稀であるらしい。吉野ヶ里のものは「福田型」といい「邪視文」という人の両目の文様が特徴的である。これは分類中新型とされているが、筆

  • 八雲さす

    八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ (柿本朝臣人麿)柿本人麿は九州王朝の人という説があるようだが、私もヤマタノオロチを九州の伝説と考えているので興味を持っている。上記の歌の解説には納得がいかない。以前読んだ本に「九州銅鐸圏」というフレーズがあったので読み返したが、吉野ヶ里遺跡でも銅鐸が出土している。また鋳型も近くの佐賀県鳥栖市と福岡市で出土している。国譲りはまず北部九州で行われたとみる。ヤマタノオロチはズバリ邪馬壹国自身かもしれない。井上悦文氏

  • 石見型の結論

    ずっと謎だった、石見型と言われる形。この形は石製品、木製品、埴輪などに見られる。儀仗と推測されてきた。しかし何を意味するのかは分かっていない。私もこれまでいくつか考えてきた。以下のように。単・干の漢字の原型である盾と羽飾り 騎馬民族?アルファベットのX・Y(三重県宝塚一号墳の船形埴輪の飾り)ヨーロッパ文化?卯杖 枝を糸や組み紐で束ねたもの 漢代の風習?エジプトのジェド柱?そして私が石見方の最古の形と考えているのは、福岡県糸島市の釜塚古墳の石見型木製

  • 木・城・来

    名前や地名にある「木」、「城」は「から来た」の意味である場合が多い。崇神天皇の「ミマキ」は任那(ミマナ)から来たと考えられ、平木は新羅、厳木(キュウラギ)は木浦から来た可能性がある。更に発展させると、茨木(大阪府)・茨城は井原から来たと考える。井原は伊都国の三雲・井原遺跡周辺だ。茨城の筑波山の「筑」は筑紫のと思う。応神朝に筑紫刀禰が国造に任ぜられている。そして佐々木は「楽々浦(ササウラ)」が兵庫県豊岡市にあるが、ここではないだろう。しかしこの地にある気比神社

  • 讃岐は倭の五王か

    讃岐(サヌキ)は、倭王讃+岐(敬称語尾)と考える。岐は神社名によく出る字であるが、現在でも「おじき(叔父貴)」のように残っている。長崎県佐世保市に「早岐」という地名が残っているが、これはモンゴルや古代朝鮮の首長を表す言葉で、チンギスハンのハンと、同じく敬語語尾の岐で、現在は「ハイキ」と読む。同じく長崎の諫早も古くは「伊佐早」であり、長崎のこの二つの地名は未確認であるが、同様の由来を持つと考えている。さて倭の五王の武の上表文「封国は偏遠にして藩を外に作

  • 江上波夫の日本古代史 江上波夫

    「騎馬民族征服王朝説」で有名な著者の初めての一冊でした。扶余族からでた、辰王朝から新羅・百済が独立し、残る弁韓の加羅人・倭人が協力し北九州に南下し、任那に根拠地として、実在が疑われる「任那日本府」は故地として半島進出の足掛かりの地としての役割を担ったところというのが説の大筋です。「騎馬民族征服王朝」という刺激的なネーミングをされて、当時は皇室に対するタブーがなくなった時代とはいえ文化勲章を受章されています。日本言論の自由が保障されたいい国だなあと思って読み進めていま

  • 出雲とは何か

    出雲は天孫族に国譲りをした。しかし出雲国はその後も残っている。これは、国譲り以前は、出雲の国の範囲はもっと広かったと考えられる。天照大御神が太陽、それと対称的な存在の素戔嗚尊のイメージは雲。だから出雲国、というように連想からくる名前だと考えていたが、実際は土地の特徴を表した名前ではないだろうか。結論から言うと「雲=砂鉄」だ。常用字解(白川静)では群がり集まる雲の性質から派生して「多くのものが群がって区別しがたい状態」も意味するとある。砂鉄は砂粒と紛れ、混在し

  • 倭・倭人・倭国 井上秀雄

    これを読んで歯切れが悪い、どっちつかずと思う方がいれば、それはあなたの気が早いからだ。「科学者として責任を持った解答ができないかぎり,応えてはならないというのが、科学者に課せられた責任だと考えています。」これを逃げ口上と、勘ぐってはいけない。人間は明確であることを好む傾向がある。矛盾したことや、理解できないことにストレスを感じる。「怒り」でさえ、そういった「理解できないこと」に対する反応の一種ではないかとも思う。「なんでそうなるんだ!」「なんでそんなことをい

  • 邪馬壹国の歴史学 古田史学の会

    一番読んで頂きたいのは、正木裕氏の「『魏志倭人伝』伊都国・奴国の官名の起源」です。タイトルの二国には「泄謨觚(せもこ)・柄渠觚(へくこ)・兕馬觚(じまこ)」という官名があり、それは中国の殷・周時代の青銅器の祭器名を由来とし、それを爵制として倭人が取り入れたものだとしています。青銅器そのものはこれま国内で出土はしていませんが、現在も結婚式の形態、神前式で用いられる「三三九度」「三献の儀」も周代の儀礼が形を残ったものです。青銅器「爵」の形(尖った二つの注ぎ口)が

  • 美しい蒲生野

    蒲生野で詠まれたと言われる額田王、大海人皇子の相聞歌は有名だ。壬申の乱の引き金にもなったといわれてもいたが、白洲正子さんのエッセイ「近江山河抄」では、この歌を詠んだ時には二人は年を取り過ぎていた。これは戯歌あるいは儀礼の詠歌だと書いている。しかし蒲生野の風景はこの歌のように今でも美しい。広義の蒲生野は広く、鏡山、雪野山、瓶割山、箕作山、布施山、繖山とやわらかかな稜線を描く山々が、いくつも島のように浮かんでいる。山に囲まれたこの土地では、どこにもかくれ里の趣がある。

  • 韓半島からきた倭国 李鍾恒

    主題としては倭人は伽耶人であり、天皇家も伽耶出身の九州王朝からの分派である、とまとめれる思います。古田武彦氏の九州王朝説を採りつつ、朝鮮半島の伽耶が母体のままであり、任那は北の地を意味し倭側の名であるという古田氏の説とは反しています。細部をここで比較することはしませんが、古田氏も「解説にかえて」で著者が日本の学界とは違い”黙殺”ではなく、正々堂々と九州王朝説を論じつつも、細部では異説を唱えられたことについて歓迎の言を述べ、失礼の批言と言いつつ紙上で論説しています。古

  • 古墳の発掘 森浩一

    率直に、古墳の学術的・文化的価値というものが軽視されているために、戦後、高度経済成長期に破壊されてきた遺跡や古墳の様子を読むと辛くなります。しかし高速道路や工場の建設など、現在その恩恵を私たちが受けていることも事実であり、この問題のより良い解決方法に対し、社会が関心を持ち、多くの人に議論されることを期待します。現在では貧困問題に対しても、社会起業家という方達によって、社会問題の解決を、経済活動からアプローチする取り組みが始められ、その活動に賛同し参加する人達を含めメ

  • 前方後円墳の源流 全浩天

    前方後円墳の源流は高句麗の積石塚にあるという内容です。高句麗の積石塚には円墳、方墳、前方後円、四隅突出形があり、出雲地域の四隅突出形古墳の原型も高句麗積石塚に歴史を遡れるようです。騎馬民族説の江上波夫氏も「天皇家は高句麗と同じく松花江畔の夫余族」から出たと言っていましたので、高句麗に何らかの関係がありそうです。実際挿絵の測量図を見ても、くびれの確認できる前方後円墳に近い形をしています。森浩一氏が言う、「阿讃積石塚分布圏」の古墳群の中にも積石塚の前方後円墳があり、定型化前の段

  • ペルシャの幻術師 司馬遼太郎

    短編の中の一つ「兜率天の巡礼」は日ユ同祖論や景教にまつわる話です。物語の中盤で作者は「ここまで書いて、実を言えば語り手は閉口している。(中略)一体どの程度まで正気で閼伽道竜が景教の研究などに凝りはじめたのか、この物語の語りてにも疑問である。」と自身の戸惑いを吐露する一文がはさまれます。にわかに信じがたい、これを信じるのは一種、狂気の沙汰だと。これは日ユ同祖論をやる人が誰しも共感するところではないでしょうか。しかし物語は続いていきます。存在不明の祖先の見えない影を追い

  • 教科書では教えてくれないイエス・キリストと神武天皇 茂木誠

    予備校の講師をされてるだけあって、すごく簡潔でわかり易いというのが、一番の印象です。流れを理解するのにはもってこいの「参考書」です。世界の主な宗教、それにまつわる神話や歴史について一通り書かれています。一番読みたかったのは「ミトラ教」についてですが、こうもあっさりした文で読むと「謎」だと言って普段小難しく考えていることがなんだか可笑しく思えます。インド・ヨーロッパ語族の祖先が祭っていた神がミトラ神であったのです。「ミトラ教」も含め全ての宗教や歴史に対して、よく練られ

  • 「サカイ」と堺の古墳

    大阪の堺の由来は、摂津国、河内国、和泉国の国境であったからと、以前知りましたが、これを疑うのは古代史をやる者の悪い癖でしょうか。ギリシアのヘロドトスの記した「歴史」の中に「ペルシア人はスキタイ人をすべてサカイ人と呼ぶ」という箇所がある。サカイ人の「人」は二重に翻訳されていると思うのだが、大阪の堺の語源はこのサカイであると考えたい。実際日本に来ていたサカイと呼ばれる人が、ヘロドトスが言うサカイかはわからない。匈奴や、塞かもしれない。しかし沖ノ島から出土した金製指輪はス

  • 天皇家とユダヤ人 篠原央憲

    いよいよ「日ユ同祖論」の本の紹介です。とてつもない大きな謎の一つです。聞くだけで、ワクワクします。興奮します。と言っておきながら私は、「日ユ混交論」という、日本の文化にちょっと影響があったかな、くらいの立場です。信じる方が楽しいですがヤミクモではいけません。この本はあばかれてしまった高貴な人物の墓、高松塚古墳の被葬者が誰かという問いを軸に天皇家とユダヤ人の関係を追うストーリーです。内容の多くはネットにも見受けられるものが大半ですが、その被葬者の母系の一族、胸形氏や猿

  • 船形埴輪と古代の喪葬 穂積裕昌

    まず表紙の船形埴輪の写真で、「ジャケ買い」でした。両端の形は剣の柄と蓋(キヌガサ)とわかるものの、中央の石見型といわれるX・Y字の立物に、興味が集中します。同じ三重県に「伊勢」「志摩」地名があるので、私は福岡県糸島市に居たと考える神武天皇や伊都国との関係を想像しています。この本で特に注目する内容が、同じ三重県内にこの船形埴輪と同じ装飾をした船でのお祭りが現在も行われていることです(写真アリ)。もしろん船形埴輪が知られる以前から行われるものだそうです。お祭りの船には前

  • ヤマタノオロチ退治は九州北部

    NOTEに掲載していますが、ウェブサイト開設の自己紹介としてブログでも発信してゆきます。ヤマタノオロチ退治は記紀には登場しますが、出雲風土記には登場しません。本当の理由はわかりませんが、基本的に出雲での出来事ではないから書かなかった、書けなかったと言えそうです。佐賀県西部に腰岳と黒髪山という山が隣接してあります。黒髪山には、黒髪神社という肥前最古と言われる神社と「天童岩」という朝鮮半島由来っぽい名前の立派な岩山があります。ヤマタノオロチはコシから来ましたが、腰岳は縄

  • スキタイ 騎馬遊牧国家の歴史と考古 雪嶋宏一

    これまで日本の古代のをやるのに、朝鮮の王族の名前にあっぷあっぷになり、中国の夏、周王朝で腹を下し気味になったところなのに、もうどうすんの!って話なんですが、「スキタイ」は別腹です。デザート程度につまみ食いしときましょう。NHKの「アイアンロード」は録画し何度も見ていますが、ああやって映像で見せられるとすんなり理解できますね。なるべく視野は広く持っておいた方が躓きません。遊牧民、騎馬民族が文明の外にいたのではなかったことがわかります。もちろん彼らの文明の影響も日本に届いていま

  • 常用字解 白川静

    一時期雑学系のクイズ番組でよく見かけたが、「本当は怖い漢字」のようなフレーズも最近はひと段落している。20年程前に習字の先生が「尊敬して止まない白川静先生」と言っていたのが気になって、当時は必要もなかったがこの「常用字解」を買った。ものものしい古代中国の青銅器の挿絵、びっくり仰天の古代の中国の風習に興奮しつ赤ペンで傍線を引きまくっていた。その後、日本の古代史をコツコツとやるようになって、漢字の意味の古代と現在の違いに謎を解く鍵があることが多くなり、今改めて私も白川静氏の偉大

  • 広がってゆくクロスワードパズル

    私的三大テーマ「邪馬台国・九州王朝・日ユ混交論」について研究しています。私は仮に「日ユ混交論」として、日本に古代ユダヤ人やその文化が”一部”混交し、現在の姿にあると考えています。「塩をホンの一つまみ」というニュアンスです。メディアには「日ユ同祖論」として多くの情報が出ていますね。私はまだ確信がないので、「一部入っている」という姿勢です。古代ユダヤ人と聞くと何か崇高、神秘、悲劇的運命のイメージがあり、日本という世界の国々の中で、最も平和で豊かに暮らす私たちにとってはある意味、

  • 神社の起源と古代朝鮮 岡谷広二

    日本各地(近江、出石、敦賀、出雲、三輪、宇佐)にある、伽耶地方や新羅からの渡来人の足跡を巡り、最終章で源流「堂信仰」の地、新羅の慶州に行き着きます。朝鮮半島の地名、王族の名前、日本の神社の祭神、朝鮮由来地名がわんさか出てきます。目と脳みそが追い付きません。この本は三周くらいしましたが、まだ全ての情報が拾えている気がしないので、あと何週かするつもりの本です。新羅系の神社は十分知ってるという方は、慶州の堂については七分の一のボリュームなのでお薦めはできません。その他の方に対して

  • 卑弥呼と神武が明かす古代 内倉武久

    中国の太伯と卑弥呼のつながりから、神武東征後の新伊都国までの歴史について書かれています。最近読んだ古代史の中で、私の研究の基本的方針となる本になっています。記録にない神武の姉の名前や、神武の一族と思われる阿蘇の「井氏」の発見などの独自のトピックもあり、研究の後進者として参考になります。三角縁神獣鏡の「景初三年」の続きの銘文について解説され、歴史資料の捉えかたに新たな知見を得た気がしました。字の大きさを含め、文章に読みにくさはありません。伊都国に記紀の地名を探す段は是

  • 安禄山 森部豊

    世界史で安史の乱や、安禄山、楊貴妃のことは習った覚えはあるが、それがどんな出来事であったを覚えている人は稀でないだろうか。まして安禄山がソクド人(イラン系)と突厥(トルコ系)の人種の混血で、私達の想像する中国人とは違うことなど知らないのが当然だと思う。私もそうであった。そして中国に限っては「安」姓はもともと漢人にはない姓でソグド人が漢字文化圏で名乗ったものなのだ。それを知るとまるで歴史の見方が変わってくる。景教や祆教の文化への浸透は理解しても、当時の幽州(現在の北京)を行き

  • 秦氏の研究 大和岩雄

    8000円。高いか、安いかはもちろん人によって様々ですが、私は買って後悔はしていません。同じ解説が散見されますが、それは理解の為の方便として許容範囲内です。「木島坐天照御魂神社-三柱鳥居の謎と秦氏-」の段はありますが、日ユ同祖論や景教徒であったことなどは日本に入った時期が中国より早いため否定されています。しかし「韓神」という神へ牛を殺して捧げる習俗については一部書かれています。まだ謎が残り、まだまだその線は消えていないように思われます。信仰、製鉄、養蚕、木工、芸能と多くの分

  • 九州の古墳 吉村靖徳

    九州の古墳を一通り知るには絶対お勧めしたい一冊。野に鎮まる古墳の静かな美しさが格別。写真はオールカラーで出土品の詳細もあり、九州各地域の特徴がよくわかります。古墳用語集にアクセス方法も掲載され、私はこれを読んだら古墳に会いに行きたい衝動を掻き立てられます。

  • 金印の出た土地 岩波写真文庫

    第一刷発行が1951年とある。この本の写真は、文化財の写真資料というより、70年ほど前の当時のおおらかな空気感がとても味わい深い。撮影された季節は,人の服装から初夏や真夏と思われるが、木々の葉に当たる光のハイライトが写真ながらまぶしく、玄界灘のパノラマは茫々として、しかしどこか安らぐ潮風を全身に受ける気さえする。また、掘り起こしたばかりの甕棺の底に中学生くらいの男の子が腰を下ろす写真は、甕棺とのサイズの対比なのであろがなんともおおらかな時代であったと微笑ましい。現在博物館で

  • 近江山河抄 白洲正子

    近江(滋賀県)の歴史と風土に関するエッセイであり、文体は深く旅情を誘いながらも、作者の幅広い日本文化の知識による推察や直観が率直に語られ、耽溺したようなとこがなく颯爽として心地よい。「私はえたいの知れぬ魅力にとりつかれてしまった。」と冒頭述べられているが、まさに私も同感で、近江の歴史は特別な何かがあると思われる。豊かな自然の中に息づく近江の歴史の姿を想像しながら読んで頂きたい。冒頭の「近江路」では、汽車の車窓の描写から、過去や空想の様々なイメージを喚起させ、

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