川村伸寛です。 僧侶向け仏教学習メルマガ「サルブツ通信」を発行しています。 専門は「親鸞浄土教(浄土真宗)」ですが、人間の宗教行為すべてに関心があります。
今日 | 04/19 | 04/18 | 04/17 | 04/16 | 04/15 | 04/14 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,225サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
哲学・思想ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 14,677サイト |
浄土真宗 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 59サイト |
仏教 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 385サイト |
海外生活ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 37,175サイト |
台湾情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 810サイト |
今日 | 04/19 | 04/18 | 04/17 | 04/16 | 04/15 | 04/14 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,225サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
哲学・思想ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 14,677サイト |
浄土真宗 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 59サイト |
仏教 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 385サイト |
海外生活ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 37,175サイト |
台湾情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 810サイト |
今日 | 04/19 | 04/18 | 04/17 | 04/16 | 04/15 | 04/14 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,225サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
哲学・思想ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 14,677サイト |
浄土真宗 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 59サイト |
仏教 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 385サイト |
海外生活ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 37,175サイト |
台湾情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 810サイト |
これ、大切なんだけれど、お話しするの忘れてました。簡単に言うと、「宗教は時間と共に劣化する」ということです。世の中は、歴史と共に発展してきてますか?こういうの、判断が難しいんけどね。科学技術に限れば、進んでる、と、言えますかね?何で考えるとわかり易いですかねえ・・・・。まあ、いいや、例えば、自動車。はじめてできた自動車と、今の自動車を比べると、性能的には比較にならないほど、今の自動車の方が優れてますよね?いや、哲学の話はなしですよ。純粋に、技術的な話。時間と共に技術が発達して、進化しました。老舗の重みと言うのも、そういうところですよね?味や技術が維持されてきただけではなく、長い時間かけて、だんだん進歩してきてるから、重みがあるんですよね。他の店には真似のできない良さがある、みたいなことになるわけです。そんなこと...【宗教の劣化史観】
「般若心経」ですが、皆様、ご存じですね?「般若心経」と言えば、「空」のお経です。有名なフレーズがありますね。「色即是空空即是色」「般若心経」は短いお経ですが、何なら、この二句で事足りるのではないかとも思います。大乗仏教を象徴するような言葉ですね。「空」「そら」でも「から」でもありません。「くう」ですね。この「空」を、とある超有名な大先生様が英訳する際に「emptiness(空っぽ、空虚)」と、誤訳されました。それが国内、海外問わず、広く伝わってしまったがために、以降、「空」と「無」が混同されてしまったのではないかと、私は睨んでいるのですが、おかしなことになっています。「空とは無の境地なんだ」みたいに語る人がいるわけです。「心を空っぽにするんだ。それこそが空だ」だとかね。違いますからね。「空」というのは、存在を表...【「空」ってなんだ?】
懸案となっております「二種回向論」ですが、「教えられて」「促されて」「命令されて」(還相)「何かをする」(往相)という、実は、ただの一般則にすぎないということに、お気付きいただけましたでしょうか?何を難しいこと考えてるんですかねえ?なのですが、一つだけ重大な注意点があります。これを忘れたら、坊主やめろ!と、断言します。それは、前回も申し上げましたが、「還相の主体は仏様」「往相の主体は人間」「回向の主体は阿弥陀様」ということです。この分別を忘れないでね。これは、忘れたら怒るからね。この分別を曖昧にしてるところ見たら、マジ切れするからね。というわけで、前回の結論は、仏様「阿弥陀仏!」(還相)人間「南無!」(往相)「南無」(往相)「阿弥陀仏」(還相)と、往相還相が一つになった「南無阿弥陀仏」を、阿弥陀様が私たちに「回...【二種回向論その3】
まず、整理しておきましょう。「(浄土へ)往く姿(相)」=「往相」「(浄土から)還る姿(相)」=「還相」で、「還る」のが先ですよ、というのが前回の結論でしたね。「還る」のが先ということは、「還る」主体と、「往く」主体が別だということを表わします。一つの主体が「往還」するわけじゃない、ということです。結論から言うと、「往」も「還」も、単に方向性を示しているにすぎません。この世(穢土)から、あの世(浄土)へと向かう矢印が「往」あの世(浄土)から、この世(穢土)へと向かう矢印が「還」ということです。「穢土→浄土」=「往」主体は人「穢土←浄土」=「還」主体は仏となり、「往」「還」それぞれに姿(相)があります。前にもお話ししていますが、「主体」の見極め!これだけですね、重要なのは。「往」の姿、すなわち「往相」とは、「人が浄...【二種回向論その2】
イヤな題ですねえ。でも、なんか、このネタやれと、M本和尚に脅されてるような気がするので、嫌だけどお話ししてみようかと思います。「回向(えこう)」って、聞いたことありますか?仏教では、自分が積んだ功徳を、他の人に「振り向ける」ことを「回向」と言います。お坊さんに読経してもらって、その功徳をご先祖様に振り向ける(回向する)と、「先祖供養」になります。この世で積んだ功徳をあの世に振り向けて、地獄の御先祖様を救出したりするわけですよ。ところが、親鸞聖人は、「我々には、功徳など、ろくすっぽ積めやしない。」と、仰っておられます。ですから、親鸞浄土教では、阿弥陀様や、仏様方から、仏の功徳というか、仏力が、我々に振り向けられているということを、「回向」と考えます。「回向」の主体は、というか、「回向」の主体も、やはり、仏様、阿弥...【二種回向論その1】
前回は、参考書がないんだよ、という話をさせていただきました。無いんですよ。実は「無い」と言わなきゃならない理由がもう一つあります。が、それは、そのまま、参考書など頼らずに親鸞聖人を読まなければならない、皆様への注意点となります。今日は、それをお話ししますね。まず、親鸞聖人の著作を読むということは、前回から申し上げておりますが、親鸞聖人のお書きになられたものを、現代日本語に翻訳する作業だと思ってください。外国語で書かれた、例えば小説を、日本語に翻訳するためには、どんな知識が必要でしょうか?必要なのは語学だけではありませんよね?その国の、風土、歴史、文化、社会、常識や慣習、つまり、その作品が生み出された環境を理解していなければ、翻訳はできません。さらに、一歩進んで、作者の意図を読み取ろうと思えば、作者の生い立ちや、...【親鸞聖人って、どんな人だと思う?後編】
今日は少し毛色の違う話をしてみたいと思います。楽しくない話かもしれないので、ごめんなさい。でも、ちゃんと勉強しなければならない人には重要なお話しです。どうせやるなら、ちゃんとやろうね、ってことかな?「先生、自分でも勉強したいので、どんな本を読んだらいいですか?」と、聞かれることが、よくあります。もちろん、「浄土真宗」を勉強したい、というご質問なのですが、これ、かなり困る質問です。で、困るものですから、「『スッタニパータ』(お釈迦様)と『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)かな?」と、答えると、まあ、「?」な顔されます。こちらとしては、わりと真面目に言っているのですが、説明するとサルブツ1~10以上に説明が必要になるので、仕方がないので、「じゃあ、『真宗聖典』、西(本願寺)のでも東(本願寺)のでもいいから。」と...【親鸞聖人って、どんな人だと思う?前編】
【勅命!悲泣せよ!】「慈悲」という言葉があります。誰でも知ってる言葉ですね。仏・菩薩の「やさしさ」を表わす言葉です。不思議じゃないですか?「慈しむ」はわかります。なんで「悲しい」の?ここ、考えて使ってましたか?これを言い出すと、荒川の土手を長髪のおっさんが歩いているところを思い出されるので嫌なんだけれど、他に言いようがないんだよね。ま、いいか。「悲しみ」や「痛み」は「やさしさ」の源なのです。ほら、やっぱり思い出してる。イントロが鳴り出してるでしょ?歌うなってば。♪人は♪悲しみが・・・・・・やめろ!真似までするな!でも、そうなんですね。「悲しみ」と「やさしさ」はセットです。だから、「慈悲」なのです。仏様は、自分を痛む必要がないので、ただただ、私たち人間を憐れみ、慈しんで下さいます。しかし、私たちは、まずもって、自...【勅命!悲泣せよ!】
阿弥陀様が我々に掛けた呪いは、ずばり!「生きろ!」という呪いです。「生かしておいてやるから、生きろ!」ということですよ。「死んだら成仏させてやるから、死ぬまで生き抜け!」って、あれだけ「苦しい」「苦しい」と言ってる、この世界でですよ。これを「慈悲」と言うべきか?「呪い」と言うべきか?「呪い」と言わずして、何と言えば良いのでしょうか?しかも、ですよ。生きれば良いというわけではないのです。「やがて成仏する身であると自覚して、生きろ!」「生かされて生きる身であることを感謝して、生きろ!」と、仰るわけですよ、阿弥陀様は。この、地獄である娑婆をですよ。酷くないですか?親鸞聖人は、こんな、阿弥陀様から、私たちへの御命令を、「勅命である!」と、御教示くださっておられます。今時、「勅命」ですよ?「勅命」、ご存じですか?絶対に逆...【阿弥陀如来の呪い】
「無戒」は困るんです。特に、私のような、やんちゃ坊主には、何か戒めがないとダメなんです。無意識に、とんでもないことをしでかしたりもします。「破れない」のは困るのです。最初からルール無しだと、獣以下なんです、私。破った時には、破ったんだとわかる、そんなルールが必要なのです。すっかり忘れて、破ってしまうとは思いますが、思い出した時に、「うわっ!しまった!やっちゃった!」と、思えるように、ルールが必要なのです。忘れてなくても、破る時は破ると思いますが、「しょうがない、やるしかない」「それでも、俺は、やる」という、覚悟ができないと、後で困るんです。反省できないんですよ。どうか、私を縛ってください!と、こんな風に思うことないですか?私だけ?そんなことないよね?いや、あるかもしれません。何も「戒律」がなくたって、色んなもの...【恥ずべし痛むべし】
前回、「戒律」の話が出ましたので、本日は、そのあたりをテーマにしたいと思います。「戒律」という言葉は聞いたことありますよね?仏教徒が守らなければならない「決まり事」だと思ってください。「戒」と「律」には若干違いがありますが、同じようなものです。「戒」は仏教僧侶にあるのはもちろんですが、出家者でないただの仏教徒にもあります。出家用、在家用、それぞれに「戒」があり、その決まりを守るという約束をして、僧侶になり、仏教徒になるのです。それを「受戒」と言います。原則としては、僧侶は全員「受戒」しているはずです。それが、昨日も言いましたが、仏教界の常識です。「受戒」した者が「戒律」を破ることを「破戒」と言います。守るべき約束事(戒律)を持っているからこそ、できることだと言えますね。一方、守るべき約束事を持っていなことを「無...【破戒と無戒】
折に触れというか、ことあるごとに、私、浄土真宗と他宗(神道を含む)は断絶しているという話をしてきたと思いますが、浄土真宗が他宗のどんなところを否定しているのか、ということを、もう少し細かく考えてみたいと思います。まず、浄土真宗が認めないあれこれを列挙します。ちなみに、僧侶信者共通です。1阿弥陀如来以外の仏様(お釈迦様を含む)、菩薩様、神様等をお祀りすること2↑を拝むこと3神仏にお願い事をすること4加持祈祷・おまじない・お祓いなど5先祖供養(現場では普通にやってる)6占いなど7戒律8修行こんなところ?何か忘れてますかね?ま、いいや。次に、他宗では認められていないけれど、真宗では認められていること。①僧侶の肉食(今は他宗の人も普通に食べてる)②僧侶の妻帯(今は他宗でも認められている)③寺院の世襲(今は他宗でも多い)...【神様、お金をください!】改め【私は考える】
前回は、浄土真宗というものが、他の仏教諸派から見た場合、非常に異質なグループとして存在しているということと、その原因が信仰の課題が「仏中心」ではなく、「人(自分)中心」になってしまったことにあるというお話をしたと思います。「念仏為本(念仏が一番大切)」から「信心為本(信心が一番大切)」へのすり替えですね。その結果、現在、日本の仏教界では、「通仏教(普通の仏教)」と「浄土真宗」というカテゴリー分化がなされています。これ、一般の方はご存じないかもしれませんが、仏教界では常識となっています。要するに、日本仏教界において、「浄土真宗は普通の仏教ではない」と認識されているということです。私などは、これ、「どう考えても、親鸞聖人は仏教の王道を歩んでいらっしゃる」としか思えないので、非常に遺憾とするところなのですが、一般的な...【すべて仏説その2】
※注意誤解を招きやすい表現を含んでおりますので、理性でご対処下さい。戯論はお断りさせていただいております。仏教は争わない教えですから※そもそも仏教というのは「争わない宗教」だと言われています。そりゃそうですよねえ、「欲」や「執着」を否定するんですから、戦う理由が出てきません。ましてや、仏教同士が争うなど、論理的にあり得ないことです。その割に色々やって来たではないか!と言われると、その通りではあるのですが、論争の枠を超えた思想的争いというのは、それ程あるものではありません。ほとんどは、権力闘争であるとか、境界線争いであるとか、政治的、経済的理由で起こった争いでしかありません。そもそも、日本では、宗派という概念などなかったんですから、論争にすらなりようがなかったわけです。色々な入り口はあるけれど、「すべて仏説」なん...【すべて仏説その1】
ここ数年、浄土真宗用語にまったく興味が無かったので、忘れかけていましたが、久しぶりに「二種深信」という言葉を聞き、色々と考えてしまいました。なので、本日は、宗教とは切り離せない「信心」というか、「信じる」ということについて考えてみたいと思います。ちなみに、「二種深信」というのは、「信じる」ということには、「機(人間)」についての「信心」と「法(阿弥陀如来)」についての「信心」と二種類ある、ということです。「深信」=「信心」です。「自分はダメ人間だから、成仏なんてできるわけがないと深く知れ」(機の深信)「そんな自分でも成仏させてくださるという、阿弥陀様を深く信じろ」(法の深信)もっと簡単に言えば、「南無」(機の深信)「阿弥陀仏」(法の深信)「南無阿弥陀仏」(機法一体)ということです。結論から言えば、「一体になるな...【あなたは、仏を信じられますか?】
前回は三つの悪道を順にみてきました。怒りの世界=阿修羅欲の世界=餓鬼言葉を失った世界=畜生私たちは、毎日毎日、当たり前のように、この悪道を経めぐっているのではありませんか?時々「天」で一息つくこともあるかもしれませんが、また、落っこちて、悪道を経めぐる。餓鬼が阿修羅を産み、阿修羅が畜生を呼び込み、我を忘れ、人であることを忘れ、六道とは言うものの、主に悪道を経めぐって、喘いでいるのです。「阿修羅」「餓鬼」「畜生」、どれも、私たちが陥りがちな、人の在り様です。ここでは、三つありますが、上手く譬えられるなら、数はいくつでも構いません。誰か、よく観察して、五十道くらい考えてくれると、きっと、面白いと思います。例えば、自分の子供可愛さに、周りが全く見えなくなっている「鬼子母神道」とかどうですかね?エロい妄想で頭がいっぱい...【ホントに怖いのは地獄です】
さて、前回の続きです。今回は、悪い方、つまりマイナス方向の煩悩に狂わされた世界のお話です。怖いですねえ。4「阿修羅、餓鬼、畜生、地獄」これを、またまた二つに分けます。5「阿修羅、餓鬼、畜生」6「地獄」5は、それぞれに特徴を持つ、マイナス感情に支配された世界だとお考え下さい。6は、5の世界をひっくるめた総称だと思ってください。「地獄」には地獄の恐ろしい特性があるのですが、それは後回しとして、まずは、5を解説します。「阿修羅」怒りや憎悪に我を失った状態。つまりは、争いの世界ですね。怒ってますか?はい。争ってますか?はい。自分で応えてしまいましたが、かなり頻繁に、この世界に落っこちています。駄目ですよ。怒っても、争っても、良いことなんて一つもないんですから。それは、誰でもわかってることなのです。平和が一番。でも、無理...【四悪道、怖いですねえ】
人生は苦しい。苦しくないなんてまやかしなんだ。それを、きちんと自覚したところからはじめましょう。そこに立てるのが仏教の強さです。ということで、本題に入ります。私、「輪廻はしない」って言いましたよね?実は、してるんですよ。「死んで生まれ変わる」と言う「輪廻」はありません。でも、「六道(天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄)」を回ることを「輪廻」と言うのであれば、それはあります。私たち、クルックルックルックルと、回りまくっています。いつ?どこで?今、ここで。死んだ後に生まれ変わるところが「六道」だという理解が多いようですが、「六道」は空想の産物ではありません。というか、実のところ、「輪廻思想」と「六道思想」は、辻褄が合っていないと思うんですよ。これ、細かくは触れません。とにかく、死後の世界を想像して作られた、おとぎ話で...【六道なんだもの】
酷いテーマですねえ。でも、しょうがないんですよ。仏教だから。と、ここで終わってやろうか、という考えが頭を過ぎりましたが、続けましょう。実は、この「死にたくもなるよな」というところに立てるのが、仏教の強みでもあると思うんですよ。生きてるのって辛すぎる。そこが出発点でしょ?何の?ってお釈迦様のですよ。そいでもって、お釈迦様は、「煩悩を消せば苦しくないよ。」という、ありがたいお教えを下さったけれど、これっぽっちも煩悩(欲)が無くならない私たちは、常に、「生きてるのって辛い、苦しい、もう嫌だ!」という自分を託って生きているはずなんですよ。生きるのが嫌になるのなんて、特別なことじゃないんです。私たちに、そのことを気付かせてくれるのが仏教です。そんな、弱い自分のまま、「それでいいよ」と、そこに立たせてくれるのが、仏教なんで...【死にたくもなるよね】
課題だ!と言って、投げっ放しにしている話題に、少しだけ触れておきましょう。「生きてることをありがたいと思わせるには、どうしたらいいのか?」という課題ですよ。皆さん、考えてくださいましたか?てゆーか、皆さん自身は、「生きてて良かった!」「生まれて良かった!」と、思ってらっしゃいますか?思ってらっしゃるなら、「なぜ、そう思えるのか?」ということを、よくよく考えてみてください。そうは思えないと言う方、いらっしゃいますか?いらっしゃったら、教えてください。全力で発剄をブチかましに行ってあげますからね。死にそうな目にあうと、本当に、「生きてて良かった!」と、実感できますよ。あ、じゃあ、これで問題解決だ。違いますね。「生きてて良かった!」と、思えるのは、「生きていたい」「死にたくない」という煩悩の所為です。その点では、「生...【生きてることって、ありがたいですか?】
「ブログリーダー」を活用して、さるぶつさんをフォローしませんか?