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ギャラリー柳水(りゅうすい) 日々のよもやま https://blog.goo.ne.jp/gallery_ryusui

40年以上を陶磁器とともに過ごしてきました。<br>見て美しく使って楽しい陶磁器の世界をご紹介いたします。

ギャラリー柳水
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京都市
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2020/05/29

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  • いのりのかたち

    品物の処分を請け負った中に、古いイコンがあった。東欧のどこかから明治~大正のあたりに日本に渡ってきたようだ。正式には三連祭壇画(Triptych)といい、観音開きになっており、開けると中央に聖母子、両翼に様々な聖人が描かれる。日本に渡ってきた時点で虫食いがすでにひどかったのかもしれないが、外側は木の粉がパラパラ落ちてくるし、金具もとれかかっている。だが内部を見ると、人物の表情や衣服の模様がとても丁寧に描かれているし、背景の金の色がいい。わりに質の高い素材でていねいに作られたもののようだ。生まれて間もないはずのキリストさんのお顔が妙に大人びている。カトリックの祭壇画はわりになじみがあるが、東方教会のものはあまり知らない。どの聖人が描かれているのかも調べないといけない。100~200年くらいは遡るだろうが、描かれた...いのりのかたち

  • おとぼけ(子犬の水滴)

    すっとぼけた顔の水滴なまいきにも金の縁取りのある赤い紐が首についている。からだのぶち模様は黒と緑目鼻や足の細部まできっちり作ってある。誰かの注文で作られたのかもしれない。しかもけっこう古い。気が付けばいつの間にか店に棲みついていた。これ見よがしの美術品に疲れたとき、こうした小物を見るとほっこりする。おとぼけ(子犬の水滴)

  • 流描(ながしがき)

    鉄薬の上から黄色い釉薬をかけ、乾かないうちに竹串で黄色い釉薬を引っ掻く。すると筆では描けない自然な線ができる。一時英国に渡っていた濱田庄司が帰国して、河井寛次郎の家に滞在していた時に濱田から教えてもらった技法だ。紙を染める技法で墨流しがある。水面に染料を浮かべて、息を吹きかけたり、竹串で動かしたりして模様を描き、紙をかぶせて転写させる。イタリアのマーブル紙も同じ方法どちらも液体の流動性を利用した装飾技法である。もうずっと前のことになるが、陶器の山を買った。その中にはひょっとしたら寛次郎のものかもしれない流描の皿があった。本物か偽物かわからないときは、自分にとっていい方向にしか考えない。疑いを持たないように、これは本物、これは本物と、自我がささやいてくる。しかし数日ながめていると、だんだん偽物だとわかってきた。線...流描(ながしがき)

  • 春峰(しゅんぽう)さん

    趣味に走ると、身のまわりがごつごつした陶器で固められ、息が苦しい。そんなときに磁器を出してみる。手のひらにのるサイズのかわいらしいものだ。戦前の年号を書いた紙箱に無造作に入れられている。裏には「平安春峰」とあるから、初代の井上春峰(1896~1965)の作品ずっと京都の人かと思っていたが、調べると愛知県の瀬戸市生まれとある。京都に住まいを移し、煎茶道で身を興した。現在は3代目膨らんだ胴の部分はわずか6センチくらいしかないが、そこに梅・竹・蘭・菊の四君子の植物模様がが手描きされている。湾曲した面にこうした自然な感じの植物を描くまでにはけっこうな修練の年月を重ねていると思われる。赤・黄・青・緑の四色が派手すぎず、目に心地よい。絵の調子がよいので、なんとなく使いそびれたまま、棚の中に置いてある。あったところでどうとい...春峰(しゅんぽう)さん

  • 兎糸文(としもん)

    河井寛次郎の作品は、一人でよくこれだけ考え出せたものだと感心するくらい作品が多岐にわたる。明治23年島根県の安来に生まれた。成績優秀にして旧制中学、東京工業高等学校を卒業し、京都の工業試験場に技師として就職。足かけ3年で5代清水六兵衛工房の顧問、またその2年後には独立。裕福な支援者のバックアップがあったにせよ、地縁血縁の少ない京都で、30歳で自分の窯を持てた人は、当時としても少なかったと思われる。5代六兵衛から譲り受けた窯を「鐘渓窯」(しょうけいよう)と名づけて、亡くなるまでの46年間、さまざまな色や形の作品を生み出している。数は少ないが、初期のものは窯名の印が押されている。中国古陶磁をよく研究し、中国風の難しい漢字を使った作品名が多い。砕苺紅、鱔血文、繍花白瓷…そうした名前の中に「兎糸紋」がある。主に花瓶、茶...兎糸文(としもん)

  • コネチカットからきた時計

    こういう商売をしていると、今は時代遅れとなって誰にも使われなくなった道具が集まりやすい。このだるま時計もそうしたもののうちの一つ明治時代にアメリカからはるばる船に乗ってやってきたらしい。月に2~3回くらいねじを巻いてやる。ゼンマイ式なので、巻きが足らなくなると遅れだす。古時計の収集家は、止まるまで巻かないようにと昔アドバイスをくれた。常に同じ回数だけ巻くことが、時計を長持ちさせる方法なんだそうだこの方が旅立たれてもう10年以上たつ。ある日、動かないままホコリにまみれていたこの時計と目が合ってしまった。かわいそうになって連れて帰り、また動けるように直してもらった。20年くらい前はまだ振り子時計を修理できる店が商店街の中にあったが、時計が古びていくとともに、修理できる人も年で引退していく。今は探すのに苦労し、また探...コネチカットからきた時計

  • 濱田の皿

    長年陶器を扱っていると、共箱がなかったり、数が揃わなかったりして、売れずに手元に残る品物が出てきます。この皿もそうしたもの一つ。形や線の勢いから、50~60代前後の作ではないかと思います。白と黒の流描(ながしがき)柄杓に入れた釉薬を上から流しながら線を描く。自然な線が描けるまで、何度繰り返したでしょうか。濱田庄司の著書『無盡蔵』(むじんぞう)には次のような下りがあります。これだけの大皿に対する釉掛が十五秒ぐらいきりかからないのは、あまり速過ぎて物足りなくはないかと尋ねる。しかしこれは“十五秒プラス六十年”と見たらどうか。自分でも思いがけない軽い答が出た。リーチも手を打ってうまく答えたと悦ぶ。こうなると、この仕事は自分の考えより、手が学んでいたさばきに委したに過ぎない。結局六十年間体で鍛えた業に無意識の影がさして...濱田の皿

  • 神のお使い 今むかし

    どちらも、京都市に隣接する八幡市のなだらかな男山の上にある、石清水八幡宮の木彫りの土産物です。向かって左は、今から15年くらい前に購入したもの。白木に水色、白、黒で着色し、くりぬいた足の部分におみくじを挟んでいます。非常にシンプルな一刀彫です。目をよく見ると、細い黒い筋が目から2ミリくらい飛び出しています。両側にあるので、わざわざこの線を入れています。ほんの一筋で目に表情が加わります。今でもあるかと探してみると、現代の鳩みくじは、ぷっくりした白鳩となり羽は金の装飾が施され、ずいぶんデラックスなものに変身していました。参拝客が多くなり撮影される機会が増えたのか、しっかりカメラ目線です。 京阪電車のHPから転載向かって右は、かなり古いものです。少なくとも明治時代くらいには遡れそうです。できた当時は彫りもくっきりとし...神のお使い今むかし

  • 改めてこんにちは

    思いもよらない疫病の発生で生活が大きく変わった方が多いのではないでしょうか。私どもも卸業を中心としておりましたが、これから予想される荒波を乗り切っていくために、小売業にも乗り出していくことにしました。陶器を扱うようになってほぼ45年。たくさんの陶器を扱ってきましたが、次から次に新しいものが出てきて、決して飽きることがありません。ただ、自分の好きなものと時代の流れに沿ったものとが必ずしも一致するわけではないところがつらいところです。これから今まで体験したことのない局面に社会全体が差し掛かります。不安はたくさんあります。こんな時に思い出すのが、敗戦後に再び制作をはじめた先人たちの作品です。見出しの作品は昭和30年の河井寛次郎の作品です。練上(ねりあげ)という色の違う土を重ねて模様を出す技法です。現代は土を着色して重...改めてこんにちは

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