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李 白扇
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2020/05/28

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  • 安陽:中華文明の発祥の地。安陽を抜きに漢字文化・中華文化を語ることはできない

    安陽は殷朝の首都が存在した場所である。殷の時代は長く伝説の物語として考えられてきたが、甲骨文字の発見から、急速に考古学上の知見が深まり、殷(商)王朝の実在ばかりか、これに先立つ夏王朝の実在まで立証された。殷王朝時代は新石器時代の末期から、氏姓制度を通じて、奴隷制の期間に相当する。甲骨文字の使用に始まる中華文明の幕開けを導いたきわめて重要な時期である。安陽を抜きに漢字文化・中華文化を語ることはでき…

  • 蘇州:江南の文化の粋を集めた蘇州古典園林が絶品。新旧入り混じった雰囲気を感じられる街だ。

    ユネスコの世界遺産にも登録された「蘇州古典園林」の庭園群はぜひ一度は見ておきたいものだ。そして、古蘇城外の寒山寺、虎丘など文化のレベルの高さを感じる中国の他の街と同様、新旧入り混じった雰囲気を感じられる街だ

  • 広州・光孝寺 一見何の変哲もない禅寺が実は日本に大きな影響を与えたとんでもない古刹だった

    長い期間、両国は友好関係を保ってきた。その結果このページでも見てきたように、お互い非常に深い関係を築いてきて、切っても切れない状態になっている。これからも、様々なことが出てくると思うが、国と国の関係が悪化しても、国どうしは毅然としてお互いを律しつつ、人と人との関係はお互い分かり合える友人でありたいものだ。

  • 南通:上海の姉妹都市、中国の近代軽工業の発祥の地

    私が中国の社会の中で短期間にせよ生活して感じたことは、この社会の大きな変化であった。 街のレストランで、隣の中国人のメニューが日に日に豪華になり、賑やかになっていくのを横目に見て、「彼等のこの贅沢な生活はどうやって成り立っているんだ?」と感じたものだった。 しかし、それにも拘らず中国人は、日本人よりも信心深いのではないかということだ。日本人が新年にお宮参りをイベントのように行くのとは少し違う…

  • 杭州逍遥 「西湖」:太古の昔から多くの詩人・文人から愛された情緒溢れる世界遺産の湖

    湖面に浮かぶ多くの島々が景色に微妙な変化をもたせ、実に美しい光景を醸し出している対岸の遠くに見える雷峰塔。この地方に伝わる伝説の「白蛇伝」がこの雷峰塔に一層なまめかしい雰囲気を与えている。

  • 杭州逍遥 「西湖」:太古の昔から多くの詩人・文人から愛された情緒溢れる湖

    湖面に浮かぶ多くの島々が景色に微妙な変化をもたせ、実に美しい光景を醸し出している対岸の遠くに見える雷峰塔。この地方に伝わる伝説の「白蛇伝」がこの雷峰塔に一層なまめかしい雰囲気を与えている。

  • 紹興逍遥 魯迅の故郷を訪ねて

    魯迅は紹興に生まれている。魯迅を生んだ紹興という街はどんな風土を持っていたのか 魯迅は近代中国にはなくてはならない人だった。辛亥革命以後、周恩来と魯迅という二人のキーマンがこの紹興から出ているのは偶然か<…

  • 中国逍遥 儒教のメッカ「曲阜」をたずねて

    曲阜で興された、孔子の教えは、人々の心の中にある影響を与え続けてきた。宗教ではないといわれるが、人の道を指し示してきた。少なくとも為政者の考え方は推し量ることができる。今の世に合わない部分も多々あるが、さりとて、すべてが駄目だと捨て去ることもできない。 曲阜を尋ねて、孔子をもう一度見直してみるのも、殺伐とした社会を渡っていくのには、何かのきっかけになるかもしれない。

  • 江南逍遥・紹興編:周恩来の生家を尋ねて

    革命家・周恩来の生まれ育ちを探る 周恩来は長い革命運動の中にあって、敵の少ない活動家のうちに数えられる。彼と会う人はすべてと言っていいほど、彼のことが好きになったという。彼の人をひきつける力はどこから来るのか

  • 江南周遊:歴史の舞台「紹興」・越王殿を行く

    紹興は春秋時代の呉越戦争の舞台であった 越王殿は、府山公園の中にあり越王勾践の宮殿跡です 紹興・府山公園にある越王殿を訪ねました。「夏草や兵どもが夢の跡」というほどに荒れ果ててはいません。むしろ公園としてきちんと整備され…

  • 紹興は紹興酒と同じように味わいのある水郷の都

    紹興は一度は訪れたい街であることに間違いはない。

  • 土楼:生活と防衛を兼ね備えた中国の少数民族の集団的自衛アパート

    土楼とは、「生活と防衛を集団で行う組織の、特徴的な伝統的建築と機能の例として、またその環境と調和したあり方を具現した集合住宅」客家(ハッカという)の人々が、三国時代のあと、こちらに追いやられあちらに追いやられ、、転々としながら中国国内や台湾にまで行き着きながらも、自分たちのアイデンティティーを守りながら1500年以上もこうして暮らしてきたとの生命力だけでも敬服せざるを得ない。これからも、厳しい状況が…

  • 中国旅行・雑踏の中で見えてきたもの

    中国では、鉄道駅は権力誇示の場なのか? さらに鉄道そのものが利権を生む構造の真っ只中??

  • 武漢は死ぬまでに、一度は行ってみたい

    武漢は中国のいわば臍みたいな場所である。地政学的に見てその重要性は揺らぐべくもない。歴史的に多少の変動はこれからもあるだろうが、この重要な位置は今後も代わることなく続くだろう

  • 開平はその昔華僑が海の向こうで活躍した想いが伝わる街

    単身でゴールドラッシュに沸くアメリカに渡り、おそらく激しい労働の末財を成して、大変の苦労をして、故郷に帰ってきて錦飾った華僑のことを考えると、一度は見ておきたいところです。

  • 世界遺産「天壇」:皇帝が五穀豊穣を祈った神聖な場所

    皇帝の重要な行事:それは祈ること どこかで聞いた台詞ですが、いろいろ評価はあるのでしょうが、歴史的には、確かにこの側面も存在したのでしょう。 北京市街の南東に位置し、総面積は270万㎡。明の永楽帝の時代に建築され、その後…

  • 日中戦争の幕が切って落とされた舞台は歴史ある美しい橋「盧溝橋」

    盧溝橋は大理石造りの美しい端だ。盧溝橋事件をきっかけとして日本は中国と全面戦争に突入するが、これを皮切りにノモンハン、盧溝橋、インパールなどの作戦が立て続けられた責任は軍全体が厳しく問われなければならない。時代が違えど現代の日本の政治にも通じるところがあるのは恐ろしい。

  • 四川省の省都・成都はしっとりした京都のような古都であり、今やチベットの玄関口にもなっている

    温暖で肥沃な米作地であることから「天府之国」と称される。また、海には面していないが中国最大級の湖「瀘沽湖」を擁し、水産物、特に蝦の一大産地でもある。かつて四川省のあたりは蜀の国と称されていた。古く歴史にある省である

  • 紅葉のある九賽溝、紅葉のない九賽溝

    私が九賽溝を訪れたのは、2011年8月であった。まだ暑いまっさかりであったため、当然のこととして、紅葉などはこれっぽちもなかった。標高は富士山にほぼ匹敵するぐらいなので、朝晩はそれなりに冷え込むことも考えられたが、杞憂に終わった。というより、かすかな期待があったがので、杞憂というより失望であった。 紅葉はなかったが、九賽溝はやはり美しく私の美的感覚を満足させるに充分であった。

  • 中国と朝鮮の分化の源泉は鴨緑江と豆満江にあり、そして日本人のルーツは?

    オホーツク人、縄文人、弥生人が血液の交流を繰り返しながら、現代の本土日本人、アイヌ、ニブフ、沖縄人などになったという説が語られています。 当然のこととして、ツングース族の人々とオホーツク人やアイヌとの間には、アザラシ漁などを通じて、交流があったであろうことは塑像に難くありません。

  • 百舌鳥・古市古墳群 世界遺産登録へ

    令和の出典が、『万葉集』であることに拘った意見が広く陳述され、広く流布していますが、日本独自の文化はそれなりのきちんとした評価がなされるべきであることは当然ですが、ルーツが他からくることを、認識し認めることはなんら恥じずべきことではありません。むしろそのルーツを正当に評価してこそ、自国の文化の優れた面を評価できるのではないでしょうか。

  • 颐和園

    この頤和園の造営した乾隆帝は、この他、紫禁城の大規模な修築、円明園、北京の天壇(祈年殿)、熱河避暑山荘(離宮)など次々と造営を行ったことや、度々領土拡大の遠征を行い、世界最大にして最強と思われる国家を築き上げた反面、その軍事費や造営費は確実に清朝の国家財政を逼迫させることとなった。西太后の時代に清朝が日本や西洋列強の侵略に苦しめられる原因の一つにこの頤和園の造営があったことを考えると感慨ひとしお…

  • 世界遺産 万里長城

    世界遺産に指定されたといえ、観光客が押しかけるところは、数えるほどしかなく、多くのところはメインテンスの費用も捻出できず、いわば荒れ放題に任されている有様といいます。それでも非難だけは一方的に、「中国人は文化財を大事にしない」、「共産党政権だからこんなことになるのだ」とかいった誹謗中傷が続いているそうです。また、長城からレンガを盗み取って、自分の家の建築資材にするというような破壊も横行していると…

  • 明清時代の中国皇帝の祈りの場所「天壇」で、当時の皇帝の思いに触れてみよう

    天壇の「祈年殿」は天壇の中心に位置し、歴代皇帝が豊作を祈った場所。中に入れば、まさに天国にいるのではと錯覚するほどの空間です。 皇帝は絶対権力を握りながらも、五穀豊穣で国が豊かでないと国が持たないと知っていたのでしょう。どの時代でも、いかなる権力でも、このことは基本でしょう。

  • 中国の原点のような地「泰山」に登ってみよう

    泰山の頂上付近には、いろいろの書家が、揮毫を岩の上に彫らせて、自分の足跡を残しているが、これは今風に言えば、完全な落書きである。落書きでも、そこそこの筆遣いなら許されるのは、日本でも良く聞く話ではあるが、これは文化的行事として看過すべきことなのだろうか。日本と文化なのか しかし話のネタだけでも良い。泰山には一度は登ってみることをお勧めする。頂上に立ったときの達成感、歴史ある地に自分もこの…

  • 成都で一度立ち寄ってみたいユースホステル

    この宿泊施設は、スタッフの全員が流暢な英語を操り、日本語できるスタッフさえいる。ここはもともと中国人男性と日本人女性の夫婦が経営していて、従業員の間にもお客本位と言うサービス精神が浸透していて、お客にとって実に居心地がいい。このことはお客の残したコメントノートにもよく現れている。客の相談にも客の立場に立って親身に相談に乗ってくれる。

  • 旅順・白玉山塔を行く 日露戦争の後を歩く

    この白玉山塔は日本人はこの塔を歴史を刻んだものとして、ある種の感慨を持ってみることが出来るが、中国人に聞いてみたところ、彼らにして見れば、「隣り合う国が勝手に自国に入ってきて、殴り合いの喧嘩をし、そこに慰霊碑を建てたもので、見て気分がいいものではない」とのことでした。

  • 日露戦争の激戦地・東鶏山を尋ねて

    いったん戦争に突入してしまえば、多くの言われなき人々が犠牲になる。日露戦争というのは、日本帝国とロシア帝国の帝国主義戦争そのものであり、しかも双方とも他国の領土の中で死闘を繰り広げたもので、そこではいかなる正義も存在していない。まさしく強食弱肉の世界である。 今日の世界がこのような世界になりつつあることを懸念する。

  • 日本の在り方を決定付けた二〇三高地の戦い

    日露戦争では、大きな成果を上げた日本は、これ以降、国民の間でも、神風だの、大和魂だのの精神主義的な精神が蔓延り、やがては国全体として無謀な戦争に突き進むことになります。日本海海戦の参謀秋山真之は、、「非常事態に会うと、すぐ大和魂を持ち出す」といって、大和魂という非合理的な精神を批判する言葉を述べたと言われています。今こそ、冷静に時代を振り返る必要がありそうです。

  • 九賽溝村の少数民族チャン族の心温まる歓迎レセプション

    村は豊かで、清潔であった。今までの旅行とは少し違った雰囲気のものであった。たまにはこのような旅行もいいのかも知れない。 このような経験は現地のバスツアーでなければ、味わえないものだろう。 旅行全体としては、いいのだが、私の場合言葉が通じなかったため、添乗員に別扱いをされ、余りいい気はしなかった。 そのような代償を払ってでも、行ったほうが良かったのは確かだが、ある種の負け惜しみ…

  • 世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」との深い縁で結ぶロマン「集安古墳群や洞溝古墳群と大王墓墳」

    百舌鳥・古市の古墳群が『世界遺産』登録が認められるということです。それはすばらしいことです。この百舌鳥・古市古墳群と同時代の古墳群が中朝国境の街集安というところにあります。

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