chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
浦和のたぬき
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/18

arrow_drop_down
  • 三つの女体神社 其の弐

    大牧氷川女体神社を往く複雑に流れの方向を変える芝川に三方を囲まれた台地上に鎮座している先回訪問の三室の女体神社の祭神(奇稲田媛命)の御子姫を祀ったとも伝わる双子の姫の内どちらだとつまらないことを考えつつ石段を登り本殿を観る県指定文化財らしいが建物の中隣の公園で遊ぶ子供の声は聞こえるがこちらはひと気もない覗き見ることにするいつもの悪い癖だ読み取れないが創建にかかわる歴史が書かれているようだ地方にいくつか点在する「女体」神社はパワースポットとして女性の人生を見守る神社として人気だそうだがここもその一つか女性の守護神たるにはちょっと貧弱じゃないかと思いつつ後にする三つの女体神社其の弐

  • 三つの女体神社

    周辺に女体を名乗る神社が3か所これをめぐってみるまず氷川(三室)女体神社を参拝に往く往事この地は巨大な沼地であったといいそこに神社を三社を配置三社で一体の氷川神社を形成し見沼を神池「御沼」とし、広大な神域を有していたとのこと大宮氷川神社が「男体」、当社を「女体」中山氷川社が「子」といった塩梅三社は直線上にあり太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の当社から陽が昇るという意図的にそんな配置をしたようだ今現在当社拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されその石碑が境内に残されている一国に一社の一の宮が二か所奇異な感じがしないでもないが・・・。可憐な巫女さん人形も名物で願い事が叶ったら着物を着せ返納するらしい自然にできた「こぶ」が熊の木登りに見え江戸時代コレラ除けの心願の為、眷属狼参拝にこれを見にわざわざ来る人もい...三つの女体神社

  • 川口市伊刈 力神社

    打ち明けるとこの神社については殆ど重要視したことがなかったどこか変だなとの思いだけが先行して後は素通り今回、改めて見てどこが変なのか気がついた参道と神殿が直角なのだ正面にも鳥居を立て参道を通すスペースは十分あるのになんでだろう今は少し窮屈だが創建当時ならなんともなくそお出来たはずなのにと思う素人ながら頭をめぐらすまず、ここ伊刈だ「怒り」の字を当てたことも古い以前にはあったようだ伝えられる「平家伝説」と考え合わせるとそんなことかと、うなづける詳細は省くが平清盛のひ孫六代が落ち延び当地に草庵をあみ一門の菩提を弔ったとある(あくまでも〝伝承”ではあるが)そんな事情から敢えて恨み・怒りを込め、一直線に結ばない配置をしたそう考えると合点が行くのだが素人の当て推量違ってたらごめんなさい当社古い写真に見ると鬱蒼とした木立の中...川口市伊刈力神社

  • 木曽呂の木揃堂

    足立阪東の31番札所そらく一番小さいだろうとのことご本尊は十一面観音さびれた小さなお堂には不似合いな立派なものらしいが未だ拝観したことはない総開帳の時期まで待たねばならないようだがこの情勢ではそれもいつの事やら石仏を拝んで回る感じることはどこでも同じで童子、童女の多いことまるでこの地が呪われ疫病でも流行ったのではないかとさえ思うほど実態はこの地に限らず成人を待たず病気等で亡くなる子供が多かったって事かやめよう見ているだけでつらくなる十一面観音は深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施すと言うそんな菩薩の力をもってしても幼い命を救うことができなかったのだろうかそれでもここに祀られているだけこの母や子らは恵まれているのだろうかただひたすらに合掌初夏の心地よい晴天なのに重い気持ちを抱いてこの地を後にするそ...木曽呂の木揃堂

  • 雑貨屋さん宅の稲荷社

    我が家近所に雑貨屋さんがある商うものは雑多とあるらしいがコンビニやスーパーマーケットができた昨今では店先で日向ぼっこしている小母さんに通り掛かりに会釈する程度の存在だが、日ごろから気になっているのが裏庭の小さな稲荷社きれいに清掃されているのに眷属の狐はいないようだ神様とのお使いなんて不要ということか商売繁盛だけを祈り農耕とは縁が無いからということなのかな(余計な心配だ)ところでこの小母さんだが我が家が転居してきた時、40年近く前のことだがその時すでに「お婆さん」だったと記憶しているのだが相変わらず今も「お婆さん」している不思議に健在なのだ(これも余計な心配)もしやこれがお稲荷さんの御利益なんだろうかだとしたら俺も人様の家内の神様だけど時々手を合わせようか雑貨屋さん宅の稲荷社

  • 馬・鹿 について考える

    先日例によってデジカメをぶら下げていつもの散歩なんとカメラにSDカードが装着されてないバカだな俺はとつくづく思うところで馬鹿ってなんで馬と鹿なんだろうと突如考える漢字の馬鹿の語源諸説あるうち秦の時代中国で皇帝に鹿を献じて馬と言い張った高官がいて居並ぶ群臣のうちあるものは献上者を慮って「それは馬です」と述べ「鹿」と正しく述べたものは粛清されたそれがためかやがて秦国はほろんだという諸説ある馬鹿の語源の内これが心にズシンときた説(小沢一郎さんんも同様なことを述べているらしいが詳細は見ていない)なにやら今の政治に当てはまるようだが政治的発言はこの当ブログではご法度と決めているのでこれ以上は差し控える散歩の途中馬を見かけたためこんなことが頭をよぎった馬はバカには見えないまして鹿には見えない《人には沿ってみよ馬には乗ってみ...馬・鹿について考える

  • 木曽呂 朝日神社

    応永2年(1396年)氷川神社として創建の古社で木曾呂の鎮守だったと伝わる明治時代に近隣の神社を合祀その後、社号を現在の朝日神社と改めたと伝わる今は、これと言って特色のない神社深く調べればそれなりに由緒あるものと思うが調べきれないでも、この時期なのに三々五々お参りの人が絶えない地元にとっては大事な「祈りの場」なんだろう気になるのは社号・朝日神社だ御遷宮(合祀祭)を執り行った日にちなみ、「十月十日」の四文字を分解再構築し『朝』とし、朝日のごとき隆盛を祈ったとある(由緒書)なんという安直な発想による命名だ神社名ってこんな風にして決められてしまうのだろか重々しいものと考えていたが認識を改めねばならぬと感じた次第狛犬があまりに平凡なのも気に入らないところ木曽呂朝日神社

  • 熊野社と電子朱印

    熊野社を観るショッピングセンタの広場内数ある熊野権現で一番小さいと思うこの辺り江戸期には周囲沼地で台地での農作業の用水確保に難儀したらしい幸い境内の一部から水が湧き出て沼に注いでいる用水の確保に苦心していた村民はこの神霊に感得し、天水の確保を祈念し当地を祀ったとあるその後沼地は水田となり、さらに埋め立て現在に至った模様近年建て替えたか威厳に乏しいが、この時期こんなところへも参る人がいるか。どうやらおまけに御朱印をもと無理な願いを希望されるらしい当今、何事も可能なようで今はやりの電子決済スマホに朱印帳が落とせるらしい神社本庁が全国の80,000以上の神社や77,000以上のお寺のご朱印を交付するサービスを始めているとか公式のご朱印ではありません・・・・当たり前だ朱印は現地にて正式参拝したのちありがたく頂戴するもの...熊野社と電子朱印

  • ふるさとへ廻る六部は

    ふるさとへ廻る六部は気の弱り好きな作家の藤沢周平さんがふるさと庄内地方を旅した時の気持ちをやや自嘲的に詠んだ川柳このエッセイ集を読みたいものと思っているが未だ目にしてないだから以下はすべて私の読書前?感想六十六部とは法華経を六十六部書写して一部づつ諸国の霊場に納めて歩いた巡礼きつい修行で故郷を目前にしたときには思わず立ち寄り血縁者に会いたい・みたいとの思いがふつふつと。。。。修行中の身を忘れ耐え切れずについ、と修行放棄した例もあったに違いない事実、そうした例を福島で途中行き倒れとなった修行者の菩提を供養した石像を観たことがある作家・周平氏も故郷への郷愁との懸命な葛藤時代小説へのこだわりを石仏に託し語ったに違いない、と思うこの像金剛界大日如来坐像安永6年(1777年)奉納六十六部供養塔とあるから途中挫折することな...ふるさとへ廻る六部は

  • 隠れ青面金剛

    先回に引き続き新道を歩く実は地蔵尊とはほんの僅か但し連続で行くには一旦新道に戻ることになるあたりはきれいに切り払われている土地活用によるかこの空間の先に見える石仏だってこの先どうなるか保証はないすぐそこまで宅地化の波は押し寄せているどこでも見られる開発と史跡とのせめぎあい今のうちに〝せめて”との思い近寄ってみる立派なものじゃないかさらに接近・・・・。元禄十二年赤穂浪士の吉良邸討入り三年前でもこの辺りの住人には無縁の話かも改めて眺めてみるいつか処分され無くなっているかもしれない今のうちにと顔が少し損壊していたり邪鬼に丁寧さが見られなくはあるが320年間この地で安静に過ごしたんだいつまでも残しておいて貰いたいものだ隠れ青面金剛

  • 隠れ地蔵尊

    東浦和駅を背に東に向かう新道の広い道途中、右折以前は藪に隠れてそれと気が付かなかったほどで密かに隠れ石仏発見とこころ踊らせたものだが今はさほどの事もなく人の通りも幾分はあるようで突き当たったあたりに知る人ぞ知る石像が藪を背にひっそりとたたずんでいる背には文化8年再建と刻まれている1811年200年以上前のことだ或いは当時この新道が本来の道であったのかもしれない歴史に忘れ去られようとしたところが思わぬことで再登場?今はどなたか個人の墓所か花と供物もそえられていて思わず合掌板碑に何か記載あるようだがすっかり摩滅して読み取れない柔和な地蔵さんんに再び手を合わせ新道に戻る思い出した先回といってもかなり以前だが辺りの柿の実を失敬・齧ったっけそのほのかな甘さが今によみがえるもはや時効とは思うが柿ドロ謝罪。。。隠れ地蔵尊

  • 捜索 八丁石工

    長年にわたり捜索中であるその所在を知るものは連絡あるべし八丁石工そんな石工或いは石工集団がどこかにいたはずなのだ年齢不明壮年を超えてるものと思われる生国不明流れものか定住者かわかっていない生業石工又は建設業に従事かすまい浦和宿近辺と思われるも定かではない前科凶状持ちではないようだ所属八丁石工を名乗ったことあるやもしれず本日有力な情報を得、足跡の追跡に向かう神明神社緑区芝原弐丁目境内にて存在を確認然しながら同人が捜索中の『八丁石工』との確証には至ってない謎は残る過去に足跡を残した形跡がないものが何故今回に限って「大間木山三郎」なる名を残したか余罪を追及せんとせしも証拠不十分他に《浦和・石工権八良》なる疑わしき情報あるも民地のため捜査及ばず時代が「大明」やら「天明」やら判然としないが大明なる時代は存在しないので天明...捜索八丁石工

  • 広重を観る

    コロナ禍で外出を制限されているうえ、うっとしい雨模様だ浮世絵の広重(初代)もまた江戸市中にコレラが流行した安政五年に40年の画業の末八千点の絵を残し、六二年の生涯を終えたとあるなんとなく興味がわき手元の画本を開いてみる北斎のスケールの大きく今にも動き出しそうな力強い画風と違い風土の静けさとうつくしさを日本の四季の中に描き上げた絵がこの時期にはふさわしく思われてしばらくの間その世界に遊んだ数多い作品を一枚ずつページをめくってゆくのも楽しいが、やはりこの絵『王子装束ゑの木大晦日のきつね火』でめくる手が止まるここお稲荷さんには訪ねたことがあるこの大榎のもとに大晦日の夜、数百もの、狐が寄ってきて「狐火」を燃やすその火が多い・少ないで来年の稲作の出来を占ったと伝わるそんな謂れを聞いたことがあるこおりつくような冬の夜踊り、...広重を観る

  • 噺のまくら 三者三様

    三遊亭円生・噺のまくらもちネタの多彩さで史上最高と言われた円生師本番の噺の中にはそのままでは現代に通じない場合があるそこで本番の落語の前にちょっとだけ喋る短い噺いわゆる「まくら」廓のこと、長屋住まいのあれこれ商家のしきたり・・・・・。知らない内に教わりこれに助けられて後、噺にのめりこんでいくこんな経験を何度かしたものだもっともっと聞いておくべきだったと思うも。。。。もう遅い柳家小三治・まくらみじかい小噺を一つ二つ喋っておいて、ポンと本題に入るのが江戸前ってもんですいつの間にか、小三治は、枕のほうが面白いなんて言い出すヤツが出てきやがったなんのキッカケか知りませんが本を買って下すったあなたに本心からお礼を申し上げます小三治師匠のお人ガラやまくら噺の醍醐味はこれで充分だろう「まくらの小三治」の真骨頂しまいに・・・・...噺のまくら三者三様

  • 赤山街道沿いの庚申塔

    氷川神社の目の前ながらわかりにくい駐車場の中だいつもは車の出入りに邪魔されて(邪魔してるのは俺のほうか)ともかく今の時世だ車は見えない馬頭だろうか?青面かしら近寄ってみる摩滅していて近寄らないと判然としない年代は定かではない猫みたいな顔をした邪鬼も赤ん坊のようでかわいらしい三猿もあってどうやら青面金剛のようだ江戸期から続くこの道は赤山陣屋へ年貢米を運んだりと当時は主要道であったに違いないいつまた会えるかわからないので再度入念に観直す赤山街道沿いの庚申塔

  • 明智光秀

    いわゆる戦国時代があまり好きではない一握りの武将の野望の前に泣かされ、死んでいった多くの『庶民』『民・百姓』が哀れだまるでゲームの世界のように、抵抗もできず庶民が倒れていくそんなところが嫌いなのだ「明智光秀の妻煕子」を読みテレビドラマ「麒麟が来る」中止の報に接する小説がそうだが恐らくドラマも庶民の嘆きに触れてなかろう(と思う)そのテレビがコロナの影響で収録ができず放送中止を決めたようだドラマの中止は気にならないがコロナもついにここまで来たかとの感を深くした憂鬱な雨の日。。。明智光秀

  • 尾間木氷川神社

    尾間木氷川神社を参拝する何度もなんども訪れたことがある馴染みの神社春日和座ってくれる人もなしあのねママ学校行きたいって頼んでいい?きっとくる坊やのお願いかなう日が尾間木氷川神社

  • 清泰寺の石仏

    平安時代の高僧・慈覚大師円仁開祖と伝わる境内には武田信玄の息女・見性院の墓がある他350基を超える庚申塔があたりを取り巻くように立ち並ぶ秘仏ながら江戸時代初期の作との本尊・十一面観音もある・・・らしい等々話題は尽きないがこれらはすべて省略いつかの機会に譲ることにして石仏に見どころが多いのでこちらを見て回る初夏の日差しの中、折から外出規制で境内に人影は見えない一人石仏に魅入るここ清泰寺には私の亡妻の墓もある合掌やすらかに眠れ清泰寺の石仏

  • 御宿かわせみ

    東京・代々木八幡神社が平岩弓枝さんの実家神社好きな私は何度か訪れ、参拝したことがあるそんなこともあってか作品も結構読む「御宿かわせみ」ばかりだけど出かける際、車中のつれづれにはてごろな読み物そんなことでいつの間にか溜まってしまった半分ほどは処分したのだが今後さらに断捨離・書籍の第一号極楽とんぼ・・・は平岩さんの半生記を綴ったものだが熱烈なファンでない私には読み通しはしたものの少々たいくつ平岩さんはたまった書物の整理と仕事場として八ヶ岳に別荘を持ったという1人暮らしで,喋る相手がいないので口が退屈してるからかぼそぼそ言いながら家の中を歩ている。これが寂しいということなのかと考えたとも書いてある1人暮らしのわが身と同じだなと身につまされたり親近感がわいたりする御宿かわせみ

  • スーパーマーケットの弁財天

    日常的にお世話になっている近所のスーパーマーケット駐車場の片隅に小さなほこらが見える深く考えるともなしに商いの神様だからと今までお稲荷様と固く信じていたそのため近寄ってみることもなしに今日まで来たのだが改めて見直してみた少しはご利益のおこぼれが頂戴できないかとのさもしい根性近寄ってびっくり御神体は弁財天ではないか七福神唯一の女神「財を弁ずる神」商売繁盛、福徳の神様がここにあるのは店側に立って考えれば承服できないまでも何とか納得ができるも一方、消費者である我らの目からは「金運アップ」「蓄財」の神様少しでも買い物を控えねばならんぞよと、おさとし下さるありがたい神様を店入り口に祀るとはいかなる神経やら店の真意は計り知れないものの今日も御忠告を無視して3日間分の買いだめに走る私である因みに私は1人暮らし、男子念のためスーパーマーケットの弁財天

  • ラジオを聞き流す

    俺はラジオ派だと胸を張るほどのことではないか・・・ナ?テレビはほとんど見ないNHKはつまらんし、民放はコマーシャルで寸断されるのがイラつくしこのコロナ禍でラジオ人気が高まっているという英国では3月後半に聴取者が15~75%増え「危機に人はラジオに向かう」英ラジオ人の解説(5月11日毎日新聞『余禄』)だ今日も朝からラジオをつけっ放しにしているが・・・実態は殆ど頭に入ってないその邪魔にならな点がラジオの〝良さ”だと俺は勝手に認識しているラジオを伴にして掃除に精を出した午後からは庭の除草でもしようか熱中症になりそうな温度急上昇だ「注意してよ!」と娘の忠告ではあるのだがラジオを聞き流す

  • 赤めだか

    風の強い日終日読書で過ごす「赤めだか」談春が談志門下に入門、前座時代から真打昇進迄を笑わせて泣かせて終いには腹にズシンとくる話を綴ったものだ「修業とは矛盾に耐えることだ」と、カリスマ家元は教えるその矛盾に満ちた師匠の下でのめちゃくちゃな修業談や後輩でありながら先に真打に昇進した立川志らくとの切磋琢磨の交情同門のすごい先輩志の輔のこと。。。知ってる話、初めて知る話が江戸前の噺のごとくトントンとテンポよく語られる赤めだかは師匠宅の水槽に飼われて一向に大きくならない金魚の事を弟子連中がそう称した世の中がこんな事になる以前俺は寄席巡りに日を送った談志一門のチケットこそ入手は出来なかったが鈴本、末広や池袋で一日中過ごしたり巣鴨で真打5人の競演を観たり上野黒門亭で・・・・。今はどこも休演ばかり好きなだけ話が聞けたのはなんと...赤めだか

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、浦和のたぬきさんをフォローしませんか?

ハンドル名
浦和のたぬきさん
ブログタイトル
風来坊の忘備録
フォロー
風来坊の忘備録

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用