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音楽なら入れ食いですが何か? https://muzik-und-katze.hatenablog.jp/

東京の片隅に生息する野良ネコ音吉(おときち)がお気に入りの音楽を紹介するブログです。音吉は入れ食いネコなので、ジャンルはクラシックからJ-POPまでハチャメチャです (^^;;;

音楽ならほとんどのジャンルを聴きカジるジイさんです。聴かない音楽っていったら… む~思い浮かばないですねぇ! そんなジイさんが気に入った音楽はバッハからずとまよまで何でもピックアップしていきますぞなもし。

野良ネコ音吉
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2020/05/14

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  • 9月の更新をお休みします

    9月の更新をお休みします - 音楽なら入れ食いですが何か?

  • 映画『太陽の帝国』と子守歌

    映画の劇伴曲に強い印象を受けたことはありませんか? 劇伴曲とは映画やTVドラマの劇中で流れる音楽のことです。 音吉はスティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国(Empire of the Sun)』(1987)で流れていた劇伴曲に強い印象を覚え、折に触れて曲名を調べていたのですが、それが何であるかを知ったのはつい最近のことです。 まず映画について触れましょう。舞台は日中戦争時の上海。イギリス租界で生まれ育ったジェイミー(ジム)少年は、日本軍が上海を占領した際に両親とはぐれ、捕らえられて蘇州の捕虜収容所に送られますが、絶望と恐怖のさなかにあっても生きる知恵と希望を見出し、やがて両親と再会するま…

  • アイスランドのロックバンド『シガー・ロス』

    シガー・ロス(Sigur Rós)というロック・バンドをご存知でしょうか? 1994年にアイスランドのレイキャヴィクで結成され、コア・メンバーのヨンシー・ビルギッソン(Jón Þór “Jónsi” Birgisson, 1975 - )とゲオルグ・ホルム(Georg “Goggi” Hólm, 1976 - )他一名の3名でスタートし、現在はヨンシーとゲオルグの2名で活動を続けています。 バンド名は結成日に誕生したヨンシーの妹の名前を貰ってつけられています。ちなみに "Sigur Rós" とはアイスランド語で「薔薇」のこと。 別に「薔薇」とは関係ないんですが、ヨンシーは自身がゲイであること…

  • ミューズに見初められたフランコ・ファジョーリ

    イタリア・オペラを観ると、「こりゃ日本でいえば歌舞伎か新国劇ってところだな」 と音吉は思うんです。オペラの化粧も、時代を遡るほど歌舞伎の隈取りにも似た独特のものになりますし、熱狂的に「ブラボー(ブラバー、ブラビー)」と声のかかる様は、「成駒屋っ」「松島屋っ」と絶妙なタイミングで声をかける大向こうにそっくりです。 内容的にも、歌舞伎や新国劇が仇討ちや悲恋ものなど明確なタイプ分けができるのと同じく、その国の人々の心のツボともいうべき浪花節に沿った類型化がオペラにもみられます。大衆文化には、日本の時代劇にみられるようなステレオタイプが必須なのかもしれません。 今回は18世紀に活躍し、生前は超売れっ子…

  • 近代オペラの基となったカストラート

    映画『カストラート(Farinelli Il Castrato)』はご覧になりましたか? ベルギーの監督ジェラール・コルビオ(Gérard Corbiau, 1941 - )が1994年に製作した映画で、18世紀のカストラート、ファリネッリ(Farinelli[本名]カルロ・ブロスキ(Carlo Broschi), 1705 - 1782)の生涯を描いています。 カストラート(castrato)とは何でしょうか? "castrato" はイタリア語ですが、語源のラテン語 "castratus" は「去勢された」と言う意味で、英語でも宦官のことを説明するときに "A eunuch is a ma…

  • ナゲシュワラ・ラオとヴィーナ

    1960年代の後半から1970年代の前半にかけて、インドは一部の若者にとっては憧れの国でした。 これは当時、ベトナム戦争や公民権運動などで露呈した社会的・国家的な矛盾に対するカウンターカルチャーとして脚光を浴びたヒッピー(Hippie, Hippy)・ムーブメントの影響だったと思います。「どうしてヒッピー文化って言わないの? その頃はそう言ってたと思うけど」 そう思う人がいるかもしれません。たしかに日本ではヒッピーを文化として捉えていました。ヒッピーの好む音楽や思想、フリーセックス、ドラッグ解放、エコロジーやヴィーガニズムをファッションとして受容していたわけですから、たしかに文化という括りでよ…

  • ミュージシャンに大人気のミュージシャン ゲイリー・ハズバンド

    2018年8月1日は、音吉と妻さんにとって忘れられない日となりました。名古屋のジャズ・クラブ「STAR EYES」で、ゲイリー・ハズバンド(Gary Husband, 1960 - )のソロ・ライブを観る機会に恵まれたからです。 当日の夕方は曇っていて風も吹かず、むっとする熱気が街に籠もっていました。早めにクラブにたどり着くと、入り口の脇にしつらえてあるベンチにちょこんと座り、レターサイズほどの紙に何かを書き込んでいる初老のおじさんがいました。音吉は一見してゲイリー本人だと気付き、声をかけたい衝動に駆られたんですが、たぶんライブの準備をしているんだろうと思い止まりました。暑いせいでしょうか、と…

  • バンド『プラスチックス』の軌跡

    ふと思い出して、高校時代に買ってホコリを被っていた楽器を引っ張り出していじってみた。SNSでそれを呟いたら、「あー、自分もやったことあるわ」 という友達のコメがちらほらと。気まぐれに、「一緒に楽器で遊んでみね?」 と声をかけたら、たちまちギターにベース、キーボード、ドラムと、形だけはバンドのメンバーが揃った。「スタジオ借りよう!」 と提案したものの、皆からあっさり却下。「なに血迷ってんの。オレら、ほとんどスキルないし。ついでに金もないし」 ド正論。身の程を知り、ドラマーの家に集まることにした。 こうして楽器とメンバーを集めてみたものの、レッド・ツェッペリンやエアロスミスのナンバーに挑戦し忽ち玉…

  • 大震災の被災地を慰問した合唱団『アヌーナ』

    東日本大震災が発生した2011年12月、放射能汚染を恐れて海外のアーティストが次々に来日を取りやめる中、アイルランドからコーラス・グループが日本を訪れ、被害の爪痕も生々しい被災地の慰問を行いました。被曝の危険性を日本人以上に強く感じていた海外の人々が被災地を訪れるのは、どれほどの信念と勇気の要ることだったでしょうか。動画は福島第一原子力発電所から40キロに位置するいわき市小名浜第一小学校で行われた慰問コンサートの様子です。 この混声合唱団の名は「アヌーナ(Anúna)」。ダブリンを拠点として活動していた作曲家のマイケル・マクグリン(Michael McGlynn, 1964 - )によって19…

  • 17世紀のイギリスをを生き抜いた作曲家マシュー・ロック

    イギリスにとって17世紀は、清教徒革命と王政復古という国家の屋台骨を揺るがす事態が続いた激動の時代でした。 この凄惨な時代を生きた人々の中に、マシュー・ロック(Matthew Locke, 1621頃 - 1677)という名の作曲家がいました。 音吉がマシューの音楽に触れたのは小学生のときのこと。父の持っていた音楽全集のレコードにたった一曲、収録されていた『パルティータ第7番ニ短調(Partita VII C minor)』でした。 当時の音吉は、目を閉じて気に入った音楽に聴き入ると、誰かに頭を撫でられるような幸せを感じたんですが、この曲もそうした音楽のひとつでした。誰の演奏家かも覚えていない…

  • ハービー・ハンコックで聴くクロスオーバー、フュージョン、そして今

    音吉が10代の頃(1970年代)は、洋楽ポップスの世界、特にジャズの世界が大きく変わろうとしていた時代でした。今回は、この変化をジャズ・ピアニストで作曲家、そしてプロデューサーでもあるハービー・ハンコック(Herbie Hancock, 1940 - )の音楽を通じて楽しんでみたいと思います。 ロックは若者の反乱ともいうべきカウンターカルチャーに根ざした変化だったのに対して、ジャズは楽器の電子化という文明的なファクターに後押しされての変化であったと思います。 1960年代には、エレクトリック・ギターやハモンド・オルガンなどは既に市民権を得た楽器でしたが、1970年前後から頭角を現してきたシンセ…

  • イスラエルとアラビア語圏で愛された歌姫オフラ・ハザ

    イスラエルで生まれ、イスラエルで生涯を終えながらも、自身のルーツに根ざしたイエメンの歌を歌い、「イスラエルのマドンナ」と称えられた歌手がいます。 オフラ・ハザ(Ofra Haza, 1957 - 2000)は、テルアビブで暮らすイエメン難民の貧しい家庭で生を受けました。 9人兄姉の末っ子だったオフラは、イエメンでプロの歌手として活躍していた母(Shoshana Haza, 1920 - 2000)にイエメンの歌と歌唱法を学び、12歳で地元の劇団「ハティクバ(Shechunat HaTikva)」に入団。劇団マネージャーのベザレル・アロニ(Bezalel Aloni, 1940 - )に才能を認…

  • チェット・ベイカー 人生の痛みに寄り添う音楽

    2015年に公開された映画『ブルーに生まれついて BORN TO BE BLUE』をご覧になった方はいますか? ウェストコースト・ジャズを代表するトランペッターでヴォーカリストのチェット・ベイカー(Chet Baker, 本名:Chesney Henry Baker Jr., 1929 - 1988)の生涯を描いた映画です。 チェット・ベイカーとジャズの出会いは1947年の夏、17歳のときのことでした。軍隊に入隊し、ベルリンに赴任した折に、軍の放送(Armed Forces Radio Service [AFRS])で当時流行っていたビバップ(bebop)を聴いたチェットは即、「感電」してしま…

  • フライング・リザーズと『Money』

    以前にジャケ買いの話を書いたことがあるんですが、今回はそれでいちばん当たった(と音吉が思っている)アーティストを紹介したいと思います。 ご存知ない方のためにカンタンに説明しますと、ジャケ買いとは、ダウンロード販売もないレコードの時代に、曲もアーティストも知らないのにジャケット(レコードのケース)だけで善し悪しを見定めて買う、ある種の博打です。国内盤より3~5割は安く買える輸入盤がターゲットでしたから洋楽POPS専用のお遊びだと思い込んでいたんですが、国内盤でも、「アーティストは知ってるけど曲は分からない。けどジャケットが気に入ったから買ってみよう」 なんていうのもジャケ買いと呼んでいるみたいで…

  • ニコライ・カプースチンはジャズ? クラシック?

    少年の頃から物事を整理するのが苦手だった音吉にとって「分類」とか「仕分け」と呼ばれる作業は苦行以外の何ものでもありません。グラデーションがあるとはいえ所詮はひとつの塊であるものを切り分けるわけですから、これはある意味、暴挙なんだと思うんです。 本棚やCD/DVDケースを整理するときや洗濯物をしまうとき、パソコンのフォルダに溜まった文書や画像を整理するときに、音吉は分類項目を決める段階で煮詰まってしまいます。日々アップしているブログの記事をどのジャンルに仕分けすればいいのか、という場合も同じです。 今回取り上げるウクライナ出身の作曲家、ニコライ・カプースチン(Nikolai Girshevich…

  • アンリ・デスと『テトペッテンソン』

    大人になっても絵本や児童文学が好きな人は多いですね。大きな本屋さんでは児童書のコーナーが充実していて、親御さんと小さなお子さんが思い思いに試し読みができるように土足禁止のスペースが設けられているところがあります。面白いのは、そんなスペースで靴を脱いだ大人が一人、黙々と絵本に目を通している姿をみかけることです。サン=テグジュペリの言う「 かつて子供だったことを忘れずにいる大人」は、意外に多いんじゃないんでしょうか。 そんなこんなで、今回は自分が子どもだったことを思い出せて、しかも元気がもらえる名曲をピックアップしましょう。 2002年10月から11月までNHK「みんなのうた」で放送されていた『テ…

  • 安西腰鼓(安塞老腰太鼓)

    いつのことだったか、どんな番組だったかもロクに覚えていないのですが、NHKのドキュメンタリーか歴史番組だったと思います。オープニング・シーンに総毛立ったんです。中国内陸部の礫漠と思しき荒れ地に、腰に結わえ付けた太鼓を両手に持ったバチで叩きなら乱舞する大集団が忽然と現れる様は圧巻というほかはありませんでした。 番組をみて随分経っていたか、もうすでにネットが使えたかも定かじゃないんですが、最初に調べたときはまったく引っかかりませんでした。今のように情報量が潤沢ではなかったんだと思います。それが何であるのかを音吉が知ったのも、たかだか数年前のことです。 安西腰鼓(あるいは安塞老腰太鼓)。それが謎の正…

  • 神々を召喚するガムラン

    世界には無数の民族音楽があります。もっとも民族音楽というコンセプトは、何かスタンダードなものを想定して、それから外れたものが民族音楽と括られているわけで、音吉的には「なんだかなぁ」なんですが。これは大きなテーマなので、改めて別の機会に考えてみたいと思います。 さて今回は、そんな民族音楽のひとつであるガムラン(Gamelan)を取り上げたいと思います。 日本人に大人気のバリ島でガムランが盛んなせいか、ガムランがバリ島に特有の音楽であると思う人は少なからず。実際は、ジャワ島とマドゥラ島、バリ島を中心とするインドネシア全域を始め、マレーシアやフィリピンの一部を含む広域で演奏される打楽器と鍵盤打楽器に…

  • 琴と筝 雅楽の楽しみ

    和琴(わごん)という楽器をご存知でしょうか? 雅楽の、それも国風歌舞(くにぶりのうたまい)という歌舞で使われ、「むつのを(六つの緒)」という俗称でも呼ばれています。見た目は筝(いわゆるお箏[こと])と似たような格好をしていますが、琴と筝は起源も系統も異なる楽器なんです。どちらにも「こと」と「そう」と読むので、よけいにややこしいんですが。 琴と筝の違いでいちばん分かりやすいのは、弦の数と柱(じ)と呼ばれる支柱の有無です。 現在の筝の弦の数は基本13本(17本なんてのもあります)で、琴は6本。琴については、中国二十四史の『隋書』倭国伝に、 『春日権現験記絵』巻二。右上に和琴を立奏する姿が描かれてい…

  • ヴラド・ペルルミュテールとラヴェル

    人は思わぬところでトンでもない人物に出会っているものです。 何年であったのかがどうしても思い出せないのですが、おそらくは1970年前後であったと思います。 木枯らしの吹きすさぶ冬の夜で、コンサートとなれば嬉々として出向く音吉が気後れしてグズるという大珍事が発生。説得されて渋々、行くことにはなったんですが、コンサートホールに着くまでは機嫌の悪かったのなんの。 というのも音吉は寒いのが大の苦手。雪がコンコンと降ればコタツで丸くなるほうでしたから、真冬の、しかも寒風が街を吹き抜ける夜にYシャツ&半ズボンで出かける(昭和に男の子だった人は分かってもらえますよね)なんて、拷問以外の何物でもありませんでし…

  • アンドレ・マルシャルと『パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582』

    以前に、演奏者と作曲家の文化的な違いが音楽に反映することがあるという投稿をしたことがありますが、今回もそんな類のお話です。 アンドレ・マルシャル(André Louis Marchal, 1894 – 1980)というフランスのオルガニストをご存知でしょうか。 ドイツのヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha, 1907 – 1991)と並んで前世紀を代表する偉大なオルガニストなんですが、録音が古い上に状態が良くないこともあってか、残念ながら日本では一部の熱烈なファンを除いて知名度はそんなに高くありません。 マルシャルは、シュヴァイツァー博士(Albert Schweitzer, 1…

  • 作曲家による自作自演の録音とロウ管蓄音機

    自作自演というと、なんだか嘘つきのアリバイみたいですが、今回は作曲家が自分の作品を演奏するという本来のお話です。それも19世紀末から20世紀初頭にかけての作曲家が遺した自作自演の録音なんです。 管の表面にロウを塗ったロウ管(wax cylinder)を機械にセットし、シリンダーを回転させながら表面に音の振動を針で刻むことによって録音し、再生する時はこの音溝を針でトレースしながら音を拡声させるというロウ管蓄音機をエジソン(Thomas Alva Edison, 1847 - 1931)が開発したのは1877年のことです。 音楽ではありませんが、1877年の記念すべき録音を聴いて頂きましょう。エジ…

  • ブクステフーデ『シャコンヌ ホ短調 BUXWV 160』

    音楽の好みは人それぞれ。親子といえども好きな作曲家や演奏者が一致するのは稀なことです。 音吉の家族もそうで、バロック音楽に限っていえば、父はJ.S.バッハ、母はパーセル、そして音吉はラモーと、てんでバラバラでした。 それでも例外はあるもので、唯一、3人が一致して好きだった作曲家がいます。デンマーク生まれのディートリヒ・ブクステフーデ( Dieterich [Dietrich] Buxtehude, 伝1637 - 1707)です。 1600年代から1700年代の前半にかけて、バルト海沿岸地域やプロイセンを含む北ドイツで活躍した作曲家とオルガニストは「北ドイツ・オルガン楽派(Norddeutsc…

  • ヴィオールと映画『めぐり逢う朝』

    『めぐり逢う朝("Tous les matins du monde", 1991)』というフランス映画をご存知でしょうか。『インド夜想曲("Nocturne indien", 1989)』や『リュミエールの子供たち("Les Enfants de Lumière", 1995)』などで知られるアラン・コルノー(Alain Corneau, 1943 - 2010)監督の代表作で、1991年にルイ・デリュック賞(Le Prix Louis-Delluc)を受賞しています。キャストも豪華で、ジェラール・ドパルデュー(Gérard Xavier Marcel Depardieu, 1948 - )、…

  • 『山崎ハコ』と『ずとまよ』

    高校時代の音吉がしていたアルバイトは、もっぱらコンサートの裏方さんでした。 来場者の整理・誘導から機材の搬入・搬出まで様々で、決してラクな仕事ではありませんでしたが、不定期とはいえ高校生のできるバイトの中では格段にギャラが高く、最小限の労力で最大限の利潤を得るのが大好きな音吉にとっては「ネコにマタタビ」の仕事でした。 そんなバイトに入っていたある日のことです。 舞台裏の給湯室にいた音吉は、廊下から忙しげに飛び込んできた少女と出会い頭にぶつかってしまいました。小さな子を泣かせてしまうようでは、理由はともかく仕事人失格。そう思ってしきりに謝ると、「私がいけなかったの。ステージ前の私って、いつもこう…

  • マイク・オールドフィールドと映画『エクソシスト』

    七夕豪雨で始まり、テレビがウォーターゲート事件一色に染まり、三菱重工爆破事件で終わった1974年の夏休み、中学2年生だった音吉は3人の悪友とつるんで映画館に出かけました。ホントは行きたくなかったんですが、「音吉、怖えんだろう」 という挑発に乗ってしまったのが運の尽きでした。 当時としては本当に怖い映画だったんです。ウィリアム・フリードキン(William Friedkin, 1935 - )監督の『エクソシスト(The Exorcist)』。今でこそ特撮もお粗末に感じられて、「なんでこんなものが怖かったんだろう?」 と思える映画なんですが、怖いわ・グロいわ・キモいわの3点セットで、音吉は映画の…

  • 吉森信と『夏目友人帳』

    音吉は子どもの頃からのマンガ好き。もっぱらギャグ物と恐怖物でしたが。音楽同様の入れ食いで、面白そうだと思ったら少女マンガにも手を出していました。 とはいえ小学生の小遣いで買えたのは週に一冊。時期によって違いましたが、少年マガジンや、サンデー、チャンピオンを買うのが精一杯でした。なので少女マンガは女子(とか男子とか何であんな言い方をしてましたかね? 照れかな)の家に出かけて行って詠ませてもらっていました。土田よしこや楳図かずお、時には山岸涼子なんかも読んでました。 そのせいでしょうか、今でもマンガはジェンダーレスに読んでいます。とくに最近のものはジェンダーでジャンル分けする必要があるのかと思える…

  • ドイツ・バッハゾリステンと楽しいバッハ

    東武東上線成増駅前にモスバーガーの一号店が開店し、横浜からトロリーバスが消えてブルーラインが開業し、世界発の卓上電卓「カシオミニ」が発売された1972年のことです。 音吉は、中学2年生になるのを機にピアノ・レッスンを「卒業」したんですが、そのお祝いにと講師のSさんからコンサート・チケットをいただきました。ヘルムート・ヴィンシャーマン(Helmut Winschermann, 1920 - )率いるドイツ・バッハゾリステン(Deutsche Bachsolisten [DBS])にソプラノ歌手のエリー・アーメリング(Elly Ameling, 1933 - )を加えた公演で、演目はブランデンブル…

  • 子どもの頃にお世話になったピアノ教則本

    ハノンとかツェルニー(チェルニー)と聞いて、なんとなくウンザリしたり残念な気分になる人は、子どもの頃に無理矢理ピアノの練習をさせられたか、ピアノは嫌いじゃなかったけど地道な練習が嫌いだったのどちらかだと思います。音吉は後者で、今なおその性癖は改まっておりませんです。 日本でピアノを学ぶ場合、ハノンを併用しながらバイエルかメトードローズなどの教則本で始まって、ツェルニー100番→30番→40番→50番と練習曲をこなしつつ、バッハのインヴェンションやらモーツァルトやベートーヴェンのソナタを学ぶっていうのが王道なんであります。 でも「ハノン」「バイエル」「ツェルニー」と呪文のように唱えるわりには、な…

  • 河内家菊水丸と『花 ~すべての人に花を~』

    そろそろ記事も溜まってきたので、もう「入れ食いネコ」の意味は説明するまでもないでしょう。その入れ食いネコ所蔵の音源でも、とくに異彩を放っているのが河内家菊水丸(1963 - )です。 フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury, 1946 - 1991)が亡くなり、パンアメリカン航空が倒産し、音吉がまだ独身でウルトラに自堕落な生活を送っていた1991年のことです。 起きがけにテレビをつけたら『笑っていいとも』の放送中。「いくら何でも寝過ぎだよな」 と思いながら、それでも布団を被り直してグダグダしていると、テレビから奇妙な歌が流れてきました。ダミ声の男性が歌う盆踊りみたいな、レゲエみ…

  • アルトゥール・ルービンシュタイン

    音吉少年がショパンに入れ込んでいたお話は以前にした通りです。 正確にいえば「サンソン・フランソワ(Samson François, 1924 - 1970)のショパン」に熱中していたんです。高慢ちきといえるほど気位が高く、むらっ気があり、それでいて繊細という性分のゆえに、評価が二分される演奏家ではあります。興行的には実に面倒な御仁で、絶好調の時には「神が降臨した」と絶賛される演奏をする反面、乗り気でない時は自分で自分の演奏がイヤになり、リサイタルの途中で棄権退場しちゃうこともある人でした。アル中だったせいかもしれませんが。 サンソン・フランソワと同じく気位は高いけれど、プロとしての安定性と貴公…

  • 国分寺トーク・ライブとデューク・エリントンの『イスファハン』

    先日(7月19日)国分寺のライブハウス「Art and Jazz M's」で、東京外大教授でジャズ・トランペッターの伊勢﨑賢治さんと現代イスラム研究センター理事長の宮田律のトーク・ライブがありました。 ジャーナリストや市民活動家、学者、評論家の有志が出資し「市民のためのネット放送局」というコンセプトで設立された『デモクラTV(http://dmcr.tv/)』主催のイベントで、司会はコピーライターで環境保護運動家、そして京都造形芸術大と東北芸術工科大の客員教授をでもあるマエキタミヤコ(前北美弥子)さんでした。 ハスキーボイスにも似た伊勢﨑さんのトランペットはもちろん、NGOや国連で紛争処理や武…

  • レッド・ツェッペリンのファースト・アルバム『Red Zeppelin I』

    1969年のことです。小学4年生だった音吉は、創刊されたばかりの『週刊少年チャンピオン』と、アポロ11号の月面着陸に首ったけの夏休みを過ごしていました。「夏休みの宿題は進んでるの?」 と、母親がやきもきしだした8月の中旬だったと思います。何気にテレビの電源を入れると、突然、これまでに音吉が聴いたことのない種類の音楽が居間いっぱいに鳴り響きました。画面にはブロンドの長髪をなびかせた男性がマイクのバーを斜めに倒して絶叫し、その脇で黒々とした長髪のギタリストがエレキギターをヴァイオリンの弓で弾いているじゃないですか。この二人だけじゃなくベーシストもドラマーも長髪だし、全員がパンタロンを穿いているし。…

  • ウイグル人と『ムカーム』

    音吉は20代の頃、紙媒体の仕事で生活していたんですが、ひょんなことから評論家先生や某有名誌の編集委員さんに誘われて、旧社会党の副委員長さんがリーダーを務めるマスコミ関係者の中国取材旅行に同行したことがあります。 その折に、ある音楽との鮮烈な出会いがありました。 音吉が担当した取材先のトルファンでのことです。カレーズという地下水道の取材を終えてホテルに戻った音吉は、ソファに座り、様々な種類のブドウが盛り付けられた籠を膝に乗せて口いっぱいにブドウを頬ばっていました。「ブドウって、こんなにたくさんの種類があって、味もそれぞれに違うんだ」 と感動しながら、窓の外に広がる緑豊かなブドウ畑を眺めていました…

  • タテタカコと映画『誰も知らない』

    今回は、音吉が結婚してからのお話です。 2004年のことです。当時、まだ小学生だった3人の子どもたちと一緒にDVDで映画を観ました。是枝裕和監督作品の『誰も知らない』です。 この映画は1988年にあった巣鴨子供置き去り事件という実話をもとにしています。シングルマザーが14歳の長男を頭に4人の我が子を残して家を出て行ってしまったという、いわゆるネグレクトですね。 母親は月に数万円の生活費を長男に渡し、家賃を支払い、時には様子を見に来ていたものの、長男が下の子ども達の面倒をみる保護者のいない暮らしは一年近くに及びました。その間に長男の遊び友達によって2歳の三女が暴行を受け死亡。保護された時には、コ…

  • J.S.バッハ『ブランデンブルグ協奏曲第3番』聴き比べ

    先だって、Facebookのお友達から、「聞き比べ楽しいですよね。指揮者別も面白いですよ」 というコメントを頂きました。まことにもってその通りだと思い、今回は規模の小さな合奏協奏曲で聴き比べをやってみたいと思います。 曲はJ.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲から、いかにもドイツ的なムード漂う第3番ト長調 BWV1048を聴いてみましょう。 まずはバッハの演奏では定番中の定番ということで、カール・リヒター(Karl Richter, 1926 - 1981)指揮のミュンヘン・バッハ管弦楽団(Münchener Bach-Orchester)による演奏です。音吉と同じく牧師の息子として生まれたリ…

  • フィービ・スノウと『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』

    高校生の頃から輸入盤を買う楽しみを知って、放課後や休日に音吉は友達とつるんでレコード店巡りをするようになりました。 初めは、同じレコードなら国内盤より輸入盤のほうが安く買えるからというのが理由だったんですが、じきに「日本で知られていないヤバいアーティストを発掘する」コンペを友達と競うようになりました。 輸入盤は大抵の場合、お店での試聴ができませんでした。そんなサービスをしていたらキリがありませんし、第一、ほとんどの輸入盤はラッピングされていましたから、聴きたかったら買うしかなかったんです。アーティストをスマホで検索することができる時代でもありませんでしたし。 では、どうやってレコードを選んでい…

  • リゲティと『2001年宇宙の旅』

    www.youtube.com スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick, 1928 - 1999)監督の名作『2001年宇宙の旅("2001:A Space Odyssey", 1968)』を音吉少年が観たのは小学3年生の夏休みでした。どこで観たのかはよく思い出せないのですが、たしか従兄に付き合ってもらって銀座に行ったと思います。 春先の日本公開直後に観たという友達の、「メチャクチャ面白かった」 という感想を聞いて以来、既に田舎に越して近所に映画館の「え」の字も無いような環境に放り込まれていた音吉は、夏休みの上京をジリジリと恋い焦がれる思いで待っていたんです。なので映画館に…

  • エンニオ・モリコーネと『ニュー・シネマ・パラダイス』

    www.youtube.com 7月6日に数々の映画音楽で親しまれたエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone, 1928 - 2020)が亡くなりました。享年91歳でした。 音吉は『ニュー・シネマ・パラダイス("Nuovo cinema Paradiso", 1988)』や『マレーナ("Malèna", 2000)が大好きですが、古くは『夕陽のガンマン("Per qualche dollaro in piu", 1965)』のようないわゆるマカロニ(本当はスパゲッティ)・ウエスタンものから、最近では『鑑定士と顔のない依頼人("La migliore offerta", 2013)』…

  • ショパン『幻想即興曲』聴き比べ

    今日は、小学生の音吉が熱に浮かされたように聴いていたショパン(Frédéric François Chopin, 1810 - 1849)の作品から『幻想即興曲(即興曲第4番嬰ハ短調 作品66, Fantaisie-Impromptu)の聴き比べをしてみたいと思います。「同じ曲でしょ、じゃあ誰が弾いても一緒なんじゃない?」 そんな声が聞こえてきそうです。クラシック音楽に興味がなければ、楽譜通りに演奏するんだから、誰が演奏しても同じに聞こえるだろうと思うのは無理もないことです。 もちろん実際はそうではありません。論よりなんとやらで、早速、聴いてみてください。 ショパンの『幻想即興曲』は、「僕が死…

  • 西洋音楽と現代の日本人

    メシアンの音楽に初めて触れた頃のお話にも書きましたが、音吉少年は日曜の夜11時からNHK-FMで放送されていた『現代の音楽』を欠かさず聴いていました。 当時、番組を担当していた上浪渡さんのお喋りは、正直に言いますが好きではありませんでした。作曲者や曲のタイトルをフランス人ならフランス語風に、ドイツ人だったらドイツ語風に発音してみせたりすることに、子ども心にカチンときてたんです。 もうひとつの反発は、「知識の特権階級」的な優越感と、それゆえの言いたい放題が耳について嫌だったんです。ただ上浪さんの熱心なファンは今もいらっしゃるので言い訳をしておきますが、現代音楽の普及に上浪さんが果たした役割は大き…

  • カール・W・スターリングと『ルーニー・テューンズ』

    1963年のロードランナー・ショーです。 1943年の作品。エンディングがポーキーのバージョンです。 音吉の少年時代は、以前にアップした『トムとジェリー(Tom and Jerry)』はもちろん、『ルーニー・テューンズ(Looney Tunes)』なしでは語れません。とはいっても友達の間では少数派でしたが。 たしかNETテレビ(なんて名称を覚えてたら歳がバレますね。現テレビ朝日のことです)で放送されていたと思いますが、何はさておいても絶対に観たい番組でした。 間抜けなメロディを意味する『ルーニー・テューンズ』というタイトルは、1929年から1939年までディズニーが製作した短編アニメ映画『シリ…

  • ジュリエット・グレコと『パリの空の下』

    www.youtube.com 音吉少年にはお爺さんのお友達がいました。ピシェさんというフランス系カナダ人の神父様で、既に頭頂部に御髪はなく、丸眼鏡をちょんと鼻に乗せて上目遣いに人を見る癖のある小柄なお爺さんでした。お年の割には身のこなしが機敏で、白いリネンのシャツの袖をまくり、片手にじょうろを持ち、飛び回るように教会の花壇の世話をしていたのを今でも鮮やかに思い出します。 音吉に気付くと、少し身体をかしがせてお辞儀をし、「音吉さん、よく来てくれましたね!」 と、両手で音吉の手を包み込むように握手をしてくれました。 たいていはお三時の招待だったので、ピシェ神父様にとっては音吉の登場が休憩の印だっ…

  • クラフトワークの『Autobahn』

    www.youtube.com 高校受験の勉強たけなわの、中学3年生の夏休みのことでした。昼下がりに居間でゴロゴロしていたら電話がかかってきました。 ベルリン自由大学に留学していた従兄が一時帰国し、「遊びに来い」 とのお達し。音吉の母は、「音吉が受験生だってことは知ってるはずなのに、そんな子を遊び相手に呼び出すなんて!」 とおかんむりでしたが、音吉は内心、大喜びで、「兄ぃもさぁ、そんなに非常識じゃないでしょ。すぐに帰してくれるよ」 とポーカーフェイスで母をなだめて家を出たんですが、結論から言うと、従兄は非常識極まりませんでした。 従兄は自室に音吉を閉じ込めると、ドイツで買い込んだレコードを次か…

  • 古代ギリシャの楽譜と『セイキロスの碑文』

    www.youtube.com 音吉の父が持っていたクラシックの音楽全集。10巻は軽くあったかな。白いハードケースにレコードと立派な装丁の解説書が入っていて、クラシック音楽を体系的に聴くことができるという以外は版元も覚えていないんですが、たったひとつ、覚えていることがあります。 たしか中世以前の音楽という、やたらとざっくりした切り口で、グレゴリオ聖歌を中心にした構成の巻だったと思います。グレゴリオ聖歌に至る古代の旋法が具体例として何曲か選ばれていたんですが、中に不思議な音楽というか、当時の音吉には音の切れ端みたいに思える曲が入っていました。 『セイキロスの碑文(Seikilos epitaph…

  • 金延幸子とNHK少年ドラマシリーズ『とべたら本こ』テーマ曲

    小学2年生の時、音吉は都会から田舎の学校に転校しました。そこで待ち受けていたのは、豊かな自然でもなければ純朴な友達でもなく、壮絶な虐めでした。 それも小学校を卒業するまでの4年間です。3年生までは、チラホラとあった虐めを先生がカバーしてくれていたのですが、4年生から6年生まで続けて担任となった先生は、よほど音吉とウマが合わなかったのでしょうか。信じられないかもしれませんが、先生が虐めを容認し、時にはクラスを率いての虐めを行ったのです。クラスをまとめたがる先生で、当時大流行だったスポ根ものや青春ドラマの大好きな先生に、「先生は和とかクラス一丸とか言うけど、どうしてバラバラじゃいけないんですか?」…

  • 初めて買った現代音楽はメシアンの『アーメンの幻影』

    www.youtube.com 現代音楽と呼ばれるジャンルのレコードを音吉が初めて買ったのは小学5年生の時でした。 それまで熱に浮かされるようにショパンを聴いていた音吉でしたが、憧れのショパン弾きだったサンソン・フランソワ(Samson François, 1924 - 1970)が1970年10月22日に亡くなったのを機に魔法が解けたんでしょうか。音楽の関心が現代音楽にぐらりとシフトしたんです。 もちろん、きっかけもありました。NHK-FMで放送されていた「現代の音楽」という番組で、たしかNHKのディレクターで音楽評論家の上浪渡(1925 - 2003)さんが担当していた頃だったと思いますが…

  • ソノシートとショパン

    ディスク社の音楽雑誌『世界名曲シリーズ』第4集より レコード世代の方なら、たぶん「ソノシート(Sonosheet, [英] Flexi disc)」のことはご存知でしょう。ペラペラの塩化ビニール製レコードで色は様々。サイズはシングル盤と同じ17センチ(稀に8センチ盤もありました)で、ほとんどがモノラル盤で片面でした。「え、フォノシートとかシート・レコードって言わなかったっけ?」 そう思った方、大正解です。 ソノシートは、フランスのレコード・メーカーS.A.I.P.社によって1958年に開発されました。そして同年、S.A.I.P.と出版社のHachetteが共同で設立したSonopresse社は…

  • 向田邦子とNHKドラマ『阿修羅のごとく』テーマ曲

    www.youtube.com 音吉が大学生だった1981年8月のことです。 アルバイト先だった通信社でベルの音がオフィスに鳴り響きました。記事のタイトルに"urgent"の文字が打ち込まれた速報が流れると、決まってテレックスが鳴らすアラートでした。 速報は数分から数十分のスパンで入電したので、音吉のようなアルバイトがザッと目を通して「これは本当のアージェント」と思ったものをデスク(当務のボス)に渡し、それ以外はヒラの記者に渡すのが常でした。 昼前で猛烈な飢餓状態にあった音吉は、「これを整理したら昼飯に行かせてくださいよぉ。餓死寸前なんで」 なんてベタなお願いをデスクにしながら、いつものように…

  • 竹内勉とオリジナルの民謡

    www.youtube.com 音吉が高校生だった1970年代の後半はラジオ番組の全盛期で、深夜放送だけではなく、今思えば価値ある番組がオンエアされていました。 とりわけ音吉が忘れられないのは、NHK第一の16時台に週一で放送されていた民謡の番組で、パーソナリティは民謡研究家の竹内勉(1937 - 2015)さんでした。 灯台なんとやらのご多分に漏れず、音吉はその頃には様々な文化圏固有の音楽を聴き漁っていたというのに、どうしてか日本の民謡には手を出さないという歪な状態にあったんです。その訳は実にシンプルで、「民謡なんて宴会芸のひとつ」レベルの、まったく知らないのに知った気になるという思考停止に…

  • リパッティとモーツァルトの『ピアノ協奏曲第21番』

    www.youtube.com 3楽章のみです。全曲を聴きたい方はこちらをどうぞ。 https://www.youtube.com/watch?v=8z72vIfeINo 子供時代にクラシック音楽に親しみ、モーツァルトが嫌いだったという方は、あまりいないんじゃないでしょうか。明快で愛らしいモーツァルトの音楽は、無防備なようでその実、ガードの堅い子供たちの心の鍵を、いともカンタンに外してしまう力を持っています。 ドイツにいた時も、ご近所の小学校の子供たちが、音楽の授業で『魔笛(Die Zauberflöte)』の観劇に行くと知って知人に、「ずいぶんと贅沢な授業だね」 と半ばやっかみ半分に尋ねたら…

  • ルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界』

    www.youtube.com 音吉が中学生になって買ってもらったいちばん高価なものは、ソニーのマルチバンド・ラジオでした。スカイセンサー5500(ICF-5500A, 1973年発売。\18,800)といって、上位機種のスカイセンサー5800(ICF-5800, \20,800)とともに当時の日本に一大ブームを巻き起こしました。 音吉にとってはFMで音楽が聴けて、AMで深夜放送が聴けて、さらには短波で海外の放送をキャッチできるスカイセンサーは、まさに玉手箱でした。 ある日のことです。FEN(Far East Network, 現AFN)を聴いていたら、もの凄いダミ声の歌が聞こえてきました。思…

  • ラヴィ・シャンカルの思い出

    www.youtube.com ビートルズの『抱きしめたい』を紹介した時に、音吉の家にご近所の学生寮に住む学生たちが出入りしていたお話を書いたんですが、その一人にインド哲学を専攻していたニシダさんという学生さんがいました。 ボサボサ頭に分厚い唇。日焼けしているわけでもないのに浅黒い肌。いつもクタクタのYシャツにダブダブのズボン。牛乳瓶の底(今時の若者には通じないか、この表現)みたいな眼鏡をかけていて、どことなくマッド・サイエンティスト然としたニシダさんでした。 彼は口数が少ないうえに表情に乏しく、とっつきにくい印象を与える人でしたが、子供の音吉が何気なく発する問いにも真剣に答えてくれる誠実な人…

  • ジャクソン5と『ABC』

    www.youtube.com 大阪万博が開幕して世が万博一辺倒になった1970年の春休みのことでした。 当時小学6年生になったばかりの音吉は、街のレコード店で流れていた音楽に即、感電してしまいました。ビートの効いた子供にも親しみやすいバブルガム・サウンドを、おそらくは自分と変わらない年の子がカッコよく英語で歌ってるんです。店員さんに誰の歌か訊いたところ、「ジャクソン5(Jackson 5)。キミ、買わなかったっけ? 去年、『帰ってほしいの(”I Want You Back”)』ってシングル盤」 買っていませんでした。今みたいに「ググって検索♪」なんてわけにはいかない御時世でしたから。それでも…

  • 「音楽に国境はない」っていうけど…

    国際的な慈善コンサートなんかで、成功に酔いしれたミュージシャンが顔を紅潮させて、 「音楽で繋がろう! 音楽に国境はないんだ!」 なんて絶叫する光景を目にすることがあります。 世界中、言葉が通じなくとも食事を共にし、酒を酌み交わせば仲良くなれるし、基本的なルールの理解があればスポーツやダンスを通じて友情を育むこともできます。音楽もその意味では同じ役割を果たすことができるわけです。 「そんな当たり前のことを何で知ったかぶって言うわけ?」 とお叱りを受ける前に、今回はサン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921)の交響曲第3番ハ短調作品78「オルガ…

  • 武満徹と『未来への遺産』

    www.youtube.com 音吉が大学生の時のことです。 西武線(何線だったかは忘れちゃいました)沿線に住む友人が、喫茶店で都市伝説を語り始めたんです。 「正午過ぎに西武線に乗ると宇宙人に接近遭遇する」 と。 「電車で移動してるってこと?」 「そーなんだよね、お客さんとして乗ってるわけ」 「どーして宇宙人だって分かるの?」 「ファッションはフツーにスタンドカラーのシャツにチノパンなんよ。だけどデコッパチの程度が半端ないんだよね。おでこが頭頂部まであんの。んでもって長髪」 「それって単に長髪の人が禿げあがってるだけじゃね?」 「いやいや、『ボクって異星人』みたいなオーラを発散させてるし。あれ…

  • スコット・ブラッドリーと『トムとジェリーのオープニング・テーマ』

    www.youtube.com つい先日、『トムとジェリー(Tom and Jerry)』第2期(1961 - 1962)の制作監督を務めたイラストレーターでアニメーターでもあるジーン・ダイッチ(Gene Deitch, 1924 - 2020)の訃報が目にとまりました。4月16日にプラハの自宅でお亡くなりになったとのこと。享年95歳でした。 いつからかも思い出せない頃から還暦を迎えた今日まで、腹の底から笑える作品を与え続けてくれた『トムとジェリー』。 1940年にアニメーターでプロデューサーのウィリアム・ハンナ(William Denby Hanna, 1910 - 2001)とアニメーター…

  • クレマン・ジャヌカンの『鳥の歌』

    www.youtube.com 以前に取り上げたノートルダム楽派のギヨーム・ド・マショーから200年も経たぬ15世末、西欧の音楽はノートルダム楽派の頃のオルガヌム(Organum, 四度か五度の二声の和声)のような素朴なポリフォニー(Polyphony, 多声音楽)から更に複雑なものへと進化していました。 マショーの頃はまだ色濃かった中世の面影は既になく、世はルネサンスの真っ只中にあった頃のことです。フランスの聖職者でありながら典礼音楽はほとんど遺さなかった作曲家がいました。クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, 1485[?] - 1558)です。 彼がもっぱら作曲していた…

  • ヴィクトリア・デ・ロスアンへレスの『中世及びルネッサンス期におけるアンダルシアの歌』

    父の持つ赤盤(赤い色のレコード)の中に、ひときわ子供心をくすぐるものがありました。ジャケの体裁も立派なハードボックスで、レコードは一枚しか入っていないのに、ライナーノーツがちょっとしたムックの体裁になっているもので、シンプルで美しいサウンドは何度聴いても飽きることがありませんでした。 『中世及びルネッサンス期におけるアンダルシアの歌』という学術書のような邦題がついていて、歌手はスペインの偉大なソプラノ歌手ヴィクトリア・デ・ロスアンへレス(Victoria de los Ángeles, 1923 – 2005)でした。 ヴィクトリアのことは、1992年のヴァルセロナ・オリンピックの時に、閉会式…

  • 利喜丸姉さんと『金毘羅船船』

    音吉が小学4年生の時のことです。 音吉の自宅にはピアノがあり、音大で教鞭をとっていたS先生が週に2回、ピアノの個人レッスンをしていました。音吉も教わっていたのですが、ある日のこと、音吉と入れ替わりに見知らぬお婆さんがレッスンの部屋に入っていきました。 60代の後半か70代の前半ぐらいのお年だったでしょうか。長い白髪を髷にして後頭部で束ね、麻のモンペ風パンツに和柄で紺色の野良着という出で立ちで、すれ違った時にほんのりお香の匂いがしました。お年の割に動作が機敏で、穏やかさの中に鋭い眼光を宿したような美しい女性でした。 音吉が玄関先で飼い犬のタロちゃんと遊んでいると、ほどなく部屋からタドタドしいピア…

  • ビートルズの『抱きしめたい』

    音吉少年の自宅のそばには某ミッション系大学の学生寮があり、プロテスタント教会(日本基督教団)の牧師をしていた父の許には、寮に住む学生が頻繁に出入りしていました。 そんな学生の中に音吉を実の弟のように可愛がってくれたエンドーさんという方がいて、音吉は寮に住むエンドーさんの部屋によく遊びに出かけていました。 大学寮は、昔で言う文化住宅を連ねたような木造平屋の長屋がだだっ広い敷地に何棟も建っているようなところで、特にフェンスなどの境界もなく、近所の子供達にとっては格好の遊び場になっていました。 幼稚園の年長さんだった1964年のある日、音吉がいつものようにエンドーさんの住む棟に近づくと、どこかで結構…

  • NHK大河ドラマ『新平家物語』テーマ曲と桜井英顕

    洋楽とクラシック音楽にズブズブの日々を送っていた少年時代の音吉に、新たな世界の扉を開いてくれた音楽があります。 自分が依って立つ日本の歴史と文化とは一体、どんなものなのか。もちろん小学生が意識することではありませんでしたし、キリスト教徒の家庭に育ち、放課後は直帰して洋楽ポップスを聴きながら海外の児童文学書を読み漁っていた音吉にとって、日本という国は「外国」でした。神社は戦争に人々を駆り立てた戦犯的な存在でしかありませんでしたし、民謡とは畳とお酒の臭いが入り混じる宴会場の音楽でした。 音吉の家庭は妙なことに厳しくて、普段はテレビをなかなか観せてもらえませんでした。今でいえば、子供がスマホ漬けにな…

  • ビリー・ホリディの『奇妙な果実』

    音吉が少年だった頃の日本は高度経済成長期の真っ只中。そしてマスコミから伝わる海外のニュースは米国一色でした。ケネディ大統領の暗殺やベトナム戦争などなど、印象深いニュースだけでもキリがないほどですが、キリスト教徒だった両親の関心事に強い影響を受けたんでしょうか。キング牧師の言動とアフリカ系アメリカ人の公民権運動は、内容はよく分からずとも「とても大切なお話」として、子供だった音吉の心に刻み込まれることになりました。 人種差別、わけてもアフリカ系アメリカ人の歴史的な苦悩を語るうえで無視することのできない一曲があります。『奇妙な果実(Strange Fruit)』です。 作詞・作曲はニューヨークのブロ…

  • ピート・シーガーの『We Shall Overcome』

    教会の前で聖書をかざし、デモの武力鎮圧を正当化するトランプ大統領の姿をテレビで見て、言い知れぬ嫌悪感を覚えました。キリスト教徒の僕にとっては耐えがたい光景だったからです。 気持ちのほうが先に立って、今日は何も書けそうにありません。コロナ禍と戦う世界中の人々と、人権と正義のために立ち上がる米国の友人たちに、ピート・シーガーの歌う『We shall overcome(邦題は『勝利を我らに』)』に連帯の思いを託し、捧げます。 We shall overcome We shall overcome We shall overcome, some day Oh, deep in my heart I d…

  • ウィルソン・ピケットの『ダンス天国』

    1910フルーツガムカンパニーの『サイモン・セッズ』を聴きながら友だちと踊った音吉少年でしたが、もう一枚、自然に体が動き出すサウンドがありました。ソウル(Soul music, 広義にはR&B[RnBとも表記。リズム&ブルースのこと])シンガーのレジェンド、ウィルソン・ピケット(Wilson Pickett, 1946 - 2006)の『ダンス天国(Land of a Thousand Dances)』です。 音吉が持っていたシングル盤は6歳年上の従兄がプレゼントしてくれたもので、その後の音吉にとっては、アフリカ系アメリカ人の文化に関心をもつきっかけともなった大切なレコードになりました。 ウィ…

  • 1910フルーツガムカンパニーの『サイモン・セッズ』

    バブルガム・ポップ(Bubblegum pop)というポップスのジャンルをご存知でしょうか? 時は1960年代。10代の子たちをターゲットにしたポップスで、明るく分かりやすいメロディと歌詞が特徴です。 「ポップスって若者が聴くものなのに何でわざわざバブルガムなんていうの?」 という疑問をもった方もいらっしゃるでしょう。たしかに今時の感覚ではそうなんですが、当時はまだレコードを買う財力のある大人向けのポップスが主流でした。ビートルズが世界中の若者に対して強烈にアピールしたのもそのためでしたが、同じようにバブルガムもその後のポップスの潮流を劇的に変える立役者であったといえるでしょう。 そんなバブル…

  • メリー・ホプキンの『悲しき天使』

    少年時代の音吉が聴いていたのは、もちろんクラシックだけではありません。生まれつき好奇心が強かったので、入れ食いの本領は覚えていない頃から発揮していたようです。もっとも天邪鬼が災いして、日本のフォークソングや歌謡曲は食わず嫌いでほとんど聴いていませんでしたが。 クラシックは父がお師匠でしたが、洋楽のポップスについては従兄弟たちが情報源で、持っていたレコードをガンガン聴かせてくれました。まだ小学校にあがる前からビートルズやモンキーズ、ウィルソン・ピケットやジャクソン5、ジョーン・バエズやジャニス・ジョプリンなどなど、挙げたらキリがないほどたくさんの洋楽が聴き放題の環境がありました。 今回取り上げる…

  • ギヨーム・ド・マショーとアルス・ノヴァ

    プレトリウスの記事で書いた父のレコード全集の中で、ひときわ音吉少年を魅了した作曲家がいました。ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, 1300[?] - 1377)です。 ギヨーム・ド・マショーは14世紀の西欧を代表する作曲家にして詩人です。シャンパーニュの貴族マショー家に生まれ、聖職者としての経歴を経た後にランス・ノートルダム大聖堂の要職に就き、フランス各地のパトロンに仕えて生涯を過ごしました。 当時の西欧は、先の世紀に十字軍が事実上の失敗に終わって教皇のアヴィニョン捕囚にみられるような教会分裂が発生し、百年戦争も勃発するなど、教会や封建領主、騎士階級を軸とした中…

  • ミヒャエル・プレトリウスの『テルプシコーレ』

    音吉少年は、高校生になって民族音楽にのめり込むことになるんですが、そのきっかけになった音楽との出会いが小学4年生の頃にありました。 音吉の父が揃えていたドイツ・グラモフォンのレコード全集(中世からバロックまでだったと記憶しています)があったんですが、音吉はその中に愛らしく楽しい音楽をみつけたんです。分かりやすいメロディだったので、聴くだけでは飽き足らず、レコードに合わせてリコーダーを吹いて楽しんでいました。それまで音吉が知っていた、まるで自分たちが世界の頂点に立っているかのように振舞う西欧の音楽とは違う何かを感じながら。 音楽の名は『テルプシコーレ(舞曲集、Terpsichore)』。ドイツの…

  • ヴィルヘルム・バックハウス

    音吉少年は、どうしてかドイツ語圏の作曲家とは相性が悪かったようで、とくにベートーベンにはほとんど関心がありませんでした。というか好きじゃなかった。何なんだろうなぁ、心が共振しないんです。あ、『ロマンス第2番ヘ長調作品50』は好きでしたが。 もちろん例外もあって、シューマンとブラームスは大好きでした。シューマンは大好き一番手だったショパンに引っ張られて聴いていたような気がするんですが、ブラームスはしがらみなし(クララ・シューマンに片思いしていたのを知ったのは中学生になってからでした)で好きでした。 そのきっかけになったのが『ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15』で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウス…

  • アルベルト・シュバイツァー

    音吉少年は、他の少年たちと同じく好奇心が抑えられないタチで、「ダメ」と言われれば、ついその禁を犯すことになってしまうのでした。 レコードにしてもそうで、演奏家や作曲者とは無関係に盤自体に特徴があると、それが何か特別な宝物であるかのように思えてくるのです。 「これは大切なレコードだから自分で勝手に聴いちゃダメだよ」 と厳命されていたのに、父の不在中にこっそり書斎からレコードを持ち出しては自室のポータブルプレイヤーで聴いていたものが何枚かありました。 そのうちの一枚がアルベルト・シュヴァイツァーの演奏するバッハのオルガン小曲集でした。このレコードは盤面が赤く、若干ですが少し透けていて、初めて見た途…

  • シャルパンティエの『聖週間のルソン・ド・テネーブル』

    前回に続き、音吉の父の愛蔵盤で、よく聴かせてもらったレコードの中から、マルカントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)の『聖週間のルソン・ド・テネーブル』を取り上げたいと思います。 シャルパンティエの曲で一般に知られているのはEBU(欧州放送連合)のテーマに採用された『テ・デウム(Te Deum)』だと思います。青年時代にローマに留学していたせいなんでしょうか、ティンパニーとトランペットが耳に残る華やかな曲で、まるで同時代のリュリみたいすよね。リュリと仲違いした後のモリエールと一緒に仕事をしたりもしていますから、実際にリュリとは何…

  • ピエール・モントゥー

    ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, 1875 - 1964)は、前世紀を代表するフランス人の指揮者です。若い頃にディアギレフのロシア・バレエ団に所属してタクトを振ったことから、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』やストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』といった名曲の初演を数々こなした「歴史的」な指揮者でした。 ディアギレフの下を去り渡米した後も、メトロポリタン歌劇場の指揮者を経てアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団、パリ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ロンドン交響楽団などの常任・主席指揮者を歴任し、後進の指導にも熱心にあたるなど、モントゥーは生…

  • ジャンヌ・ドメッシュー

    音吉の父は何でもかんでも息子にレコードを分け与えてくれたわけではありません。当たり前ですよね、中には盤自体が貴重なものもあれば本当に惚れ込んだ演奏家のものがあるんですから。それに音吉はまだ子供でしたからレコードの扱いは乱暴で、下手をすれば大事なレコードに損傷を与えかねませんでしたし。事実、音吉のせいで針飛びを起こすレコードが後を絶たず。本来なら相当なお叱りを覚悟しなきゃならないんですが、なぜか父にそのことで叱られた記憶がありません。 音吉がねだってもくれなかったレコードの一枚に、フランスのオルガニスト、ジャンヌ・ドゥメッシュー(Jeanne Marie-Madeleine Demessieux…

  • 音吉は生まれもっての天邪鬼。 「バッハといったら『トッカータとフーガニ短調』と『G線上のアリア』でしょう!』 なんて言われると、 「ケっ」 とか言って耳を塞いじゃうようなところがありました。たぶん方々で耳に飛び込んできて飽きちゃったんでしょうね。 そんな音吉の目に止まったシングル盤がありました。ヘルマ・エルスナー(Helma Elsner, 1927 - 2000)の演奏する『半音階的幻想曲とフーガニ短調 BWV903』です。演奏時間が10分を超える大作で、とてもシングル盤では収録できない作品なんですが、曲が「幻想曲」と「フーガ」の二部構成になっているのをいいことに一曲をA面とB面に分割すると…

  • ワンダ・ランドフスカのドーナツ盤の次に音吉の餌食になった父のレコードは2枚。いずれも25センチ盤(10インチ盤)で、最初はサイズが物珍しくて手を出したのだと思います。小学1年生の時でした。ランドフスカのレコードとの間には1年半ほどのブランクがありますが、実はその間はソノシートに夢中になっていたんです。そのシートについては別の機会に詳しく書きますね。 話を戻しますが、父から簒奪した2枚のレコードのうちの1枚は1952年に結成されたイ・ムジチ合奏団の演奏するヴィヴァルディの『四季』でした。記憶が曖昧なんですがステレオ盤だった記憶があるので、おそらくはフェリックス・アーヨを加えた1959年盤であった…

  • ご挨拶

    はじめまして! 野良ネコ音吉(おときち)です。 僕は音楽が大好きです。父が大の音楽好きで、貧乏な家庭なのにレコードだけは山のようにあったせいでしょうか。幼稚園児の時分には音楽の虜になっていました。 初めて大人の手を借りずに針を落とした(懐かしい表現でしょう?)のはワンダ・ランドフスカのレコード。A面に「トルコ行進曲」、B面に「調子のよい鍛冶屋」の入った45回転のドーナツ盤でした。 フツーにレコードといって思い浮かぶのは直径30センチのLP(Long Play)盤で、中心にターンテーブルにレコードを固定するための穴が開いているものだと思いますが、ドーナツ盤はその穴が大きく、見た目にドーナツのよう…

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