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  • 黄昏に飛び立つ

    ある夜、信号待ちをしていた。 こんな郊外の町で、こんな時間に走る車の数は多くない。 空を見上げると、目の前を双子座流星群の火球がゆっくりと横切っていった。それはもう白々しいくらい、「さあ、願え。」と言わんばかりの速さで。 「全部うまく行け。」 これ幸いと願う自分を見付けた。今さら神も仏も霊魂も信じたりはしない。私が願ったこと、そのほとんどが叶うことはなかった。しかしそれもこれも、今日この日の為の前振りだとさえ思う私を。 つい最近まで、もはや人生の全てを棄て、金も、幸福も、家族も、命も要らない。そう思っていた私が、いまや節操もなく全部うまく行けなどと願うことの滑稽さを思った。 産気づいた妻を病院…

  • as paisen in tokyo

    「パイセン! お久しぶりです。」 木島崇は、カフェに現れると快活に笑って見せた。 高い身長に健康的に黒い肌、整った顔は男ながら色気を感じてしまう。ネイビーにストライプの入った既製品のスーツはきっと高い物ではないのだろうけれど、オーダーメイドなんてしなくたってすっきり身体にフィットしているのは、彼のスタイルが理想的だからなのだろう。 確か、4つ年下の28歳。同じ歳の頃の私はこんなに爽やかだっただろうか? きっとモテるはずだ。そんなことにしか同性に対して判断基準のない自分がイヤになる。 「ねえ、久しぶりじゃん。久々に連絡もらってちょっとびっくりしたんだけど。マルチ? 宗教? 」 彼は、アハハと笑っ…

  • 事務連絡

    諸事情の為、幾つかの記事は現在閲覧できない状態にしてあります。 こちらは更新しています。 https://note.com/datchang https://twitcasting.tv/dchdatchang

  • 施されること、応えられないこと、死ねない夜

    朝、起きる。顔を洗い、ヒゲを剃る。 金が無いから粗食である。朝起きてパンにマーガリンを塗って食べ、薬を飲み、必要そうな栄養はビタミン剤で摂ったことにする。寒いからとりあえず靴下を履き、財布を探してポケットに突っ込む。 家を出て、アパートの廊下を歩いていく。 毎朝思う。いったい何のためにこんなことをしているんだろう? 何万回も問い続けた疑問の答えが突然降りてくるなんてありえない、不毛な問いだ。本当はいつこの人生が終わっても構わない。そのはずだ。 だけど結局、私は死ねなかった。それだけが間違いのない事実だった。 * 2年前、頭が悪すぎて経済的に破綻した。 貧困な生活は、もちろん苦しいことは苦しかっ…

  • 沖縄滞在日誌4日目、夜

    「これ。」という切っ掛けがあったわけではない。 ほんのつい最近まで、Twitterに愚痴や絶望を吐露しつつ都心にある政府系の金融機関でそれはそれなりに大人しく日々働いていた。 ある日、職場の上長から呼び出され、「きみ最近、遅刻と欠勤が多すぎるよ。」と諫められた。同じ日、人事課長から呼び出され、「きみ最近、遅刻と欠勤が多すぎるよ。」と諫められた。「ああ、本当に限界なのかもしれない。」と思った。 それで仕事に行かなくなった。最初のうちは職場から何の用事か鬼電、鬼メールが来てたけど、今となってはメールボックスは凪のようである。おかげで人生の見通しが全くつかなくなってしまった。 しかしある程度まとまっ…

  • 何でもない日々246

    「あー、さむさむさむ。」 朝7時、バイクに跨り誰にともなく呟いた。つくづく焼きが回ってしまったようで、最近独り言が多くなった。 数か月前、カブを知人に譲りバイクを乗り換えた。ジクサー150SFという単気筒の普通二輪だ。それに伴って、通勤も電車からバイクですることにした。 エンジンの暖気を兼ねてしばらくゆっくり走っていると、信号待ちでエンジンから熱気が立ち上りスーツ越しに足を焦がした。エンジンが温まり、調子が出てきた合図だ。私は空冷エンジンが好きだ。正直で、誤魔化しがない気がする。 思い切りスロットルを回し、周りの車を追い抜いていく。80km/h、100km/h、120km/h……。 ふと路傍を…

  • スピリチュアルにすがろうとした。

    今年に入ってからの不運を数えると、頭が痛くなる。 タイで車に轢かれ、親友を喪い、旅に出ようと思えばバイクが故障し、大雨に降られモバイル機器が壊れ、たまたま入ったぼったくりバーで金を巻き上げられ、先日またしても車に轢かれた。 買ったばかりのバイクが破損し、私自身も相応に負傷し、フットワーク軽く動けなくなってしまった。 別にエピソードもないくらいの小さい不運なら無限にある。 目の前の机上にAとBふたつのカードが伏せられていて、Aのカードを引きたいな、と思う。 だけど絶対にAは出ない。何度やっても、2分の1の確率のはずなのに、必ずBが出る。自分はそういう人間なんだという強い自覚がある。 私は、不運だ…

  • 外資転職は諦めた。

    昨年のこの頃、転職活動をしていた。 昨年のこの頃、転職活動をしていた。 職場ではうだつが上がらず人間関係も壊滅的だったから、一刻も早くこの場所から逃げ出し新天地で態勢を整えようと思っていた。 そこでいくつかの転職サービスに登録した。JAC、リクルート、マイナビ等々、有名どころはおおよそ網羅した。 けれど結局、彼らの紹介する求人はどれも大差なかったし、どの求人もネットで検索すれば出て来る程度のものだった。自分で勝手に調べて勝手に応募した方が早かったし、彼らのアドバイスもネットでググれば出てくるような紋切りのセリフばかりで、リクルートのプロフェッショナルなんてそうそういないということが判った。少な…

  • 姉と仇と妹

    ある朝、スマホの通知履歴を見ると見知らぬ番号から着信があることに気づいた。留守電が入っていた。 「初めまして、急にお電話を掛けてすみません。私、H子の妹です。もしご迷惑でなければ、お電話頂きたいです......。」 あどけなさの残るその声は緊張で震えていて、そしてH子にそっくりだった。 私には、4歳年下の弟がいる。H子の妹さんは確か同い年で、そんなところまで私とH子は似ていた。もし私が一人で死に、H子が生き残っていたのなら、弟もこんな声でH子に電話を掛けたのだろうか。 姉を死に導いたこの私に妹さんが電話を掛けて来るという事態は、いずれにしても尋常ではない話を想起させた。が、覚悟を決めて折り返し…

  • 大丈夫、明けない夜はないのだ。

    ある夜、やりきれない気持ちで公園のベンチで一人コンビニの缶チューハイを飲んでいると、足元に茎の折れた花が咲いているのを見付けた。 誰かに踏まれたのだろうか。植物には詳しくない。紫色の花の名前を検索したけれど、よくわからなかった。 その花を根元から抜いて持ち帰り、缶を洗って水を差して活けると、缶に描かれた花火の模様が映えそれはそれなりに風流な姿だと思った。独り暮らしの男の部屋には、数少ない彩りだった。 あのまま公園に放置されているよりも、死を迎えるまでの間ここにいるのは悪くないのではないかとも思った。 そうしてじきに花は枯れてしまった。そして缶ごとゴミ袋に入れるとき、心に何か形容し難い感情が生ま…

  • 亡霊を追う

    3月14日の朝、H子は宣言どおりその命を裁った。https://datchang.hatenablog.com/entry/2020/03/15/191526 いいや、間違いなく私自身がこの手に掛けたのだ。 あれから3か月、漫然と日を経た。彼女から託された遺言のうち、果たせたものもあれば果たせないものもあった。しかしおおよそ彼女の望み通り「こと。」は運んだはずだ。 しかし私は悪夢にうなされていた。 気が付くと、私は闇の中にいる。闇の中には私と、あの日のホテルのドアがあり、H子が磔にされている。彼女に寄ろうとすると、彼女の身体に火が放たれ、彼女が私に助けを求め泣き叫ぶ。だが彼女と私の間には見えな…

  • 杏仁豆腐と過ごした一週間戦争。

    家庭を持ったら、猫を飼おうと思っていた。妻がいて、子どもがいて、そういう間取りを猫が横断していくような空間の体温に憧れを抱いていた。 紆余曲折あって、私にはそもそも妻子を持つのが難しいんだろう、という現実をようやく、少しずつ受け入れられるようになってきた。 となればもう遠慮することはない、猫を飼ってしまおう。と思い立った。 私は自分のためだけに毎日満員電車に押し込められ、退屈な仕事に日々を埋没させていくようなことができない人間である。自分の所属している社会や、果ては自分自身に対する愛着が無いから、「最悪どうなっても構わない。」という擦れた心が常に傍らにあるせいで踏ん張りが効かない。 そこで家に…

  • 木村花さんの自裁について思うこと(note更新

    標記のnoteを更新しましたのでお知らせします。 「木村花さんの自裁について思うこと」 https://note.com/datchang/n/nd3c275d54c2e

  • 今も未だ旅の途中であること

    小学4年生のある年、京浜急行の出展で私の描いたマリーゴールドの花の絵が表彰を受け、電車の広告に数日貼り出されるということがあった。 それは理科の、花を観察することにかこつけた課題だったのだ。しかしこうして目立つような事態になることは、私にとって決して喜ばしからぬことだった。 私の絵は、家にあったwindows98のブラウン管に画用紙を押し当て、検索して出てきた適当な大輪の花の写真を模写したものだった。それはコンペの求める趣旨からすればイカサマだった。 そして「明らかに私の技術より巧く描けている」その絵について問い詰められた私は容易くイカサマを自白した。そのことを知った母は、烈火の如く怒りを露わ…

  • 中国旅行記・東莞編について(note更新のお知らせ)

    以下のnoteを更新しました。 中国旅行記・東莞編 https://note.com/datchang/n/n680589472f66 このnoteは、当ブログ掲載の「世界最大級の廃墟 華南モールからの脱出(https://datchang.hatenablog.com/entry/2019/03/07/190435)」の完全版です。 宜しければご覧ください。

  • お知らせ(note更新など)

    以下のとおり、お知らせです。 ① noteを更新しておりますのでご査収ください。 https://note.com/datchang/n/nffdbb363d676 ② ブログの体裁を少し弄りました。 ・ ランキングバナーを設置しているので、宜しければ押してください。 ・ 効果のよくわからなかったスター及びブクマコメントを廃止しました。 ・ 背景を季節色にしています。生存報告の一環です。 ③ あとAMZNの欲しい物リストをまた作成しました。まだ全然商品を入れてませんが、時間ができたらモノを足してゆくので何卒...。(私の欲しい物リストはずっと「ケロちゃん🐸♡」名義ですが私です。) ④ 消えてい…

  • ご連絡事項(SNS等)

    現在、TwitterほかSNSアカウントを凡そ停止しています。近況等、主な理由は以下のとおりです。 ① 時間をかけてやりたいこと&やらなければいけないことができた。 → Twitterをやっていると、どうしても「あー」とか「うー」みたいな、そういう意味の無い発言ばかりして時間を食ってしまうし、見てしまう。② 彼女ができたっぽい。 → 特定を避けたい(前科あり)③ LINE等で連絡はとれる。 → Twitter界隈の人の中にはLINEを知っている人も多いので。 ④ 一連の例の件もあり精神的に元気がない → SNSに疲れてきた ⑤ 海外いく → またやります。 おおまかにいうとそういうわけです。①…

  • ブログ更新のお知らせ

    数年前に書いていたブログ(削除済み)の記事をウェブアーカイブ等からサルベージし、データを修復等をした上で以下のとおり一部公開しました。なお公開日時は当時のデータと同じ日付を設定しています。 20150516 彼女ができて、人生がシンプルになった。 https://datchang.hatenablog.com/entry/2015/05/16/013000 婚活1年目の終わりに彼女ができてウキウキしているときに書いた記事です。なおこの直後にフラれます。 20160718 断捨離熱、再燃。 https://datchang.hatenablog.com/entry/2016/07/18/0128…

  • 彼女は雨の日の夕暮れみたいで

    昼休みに会社を中抜けした私は、日比谷のカフェで男を待っていた。 待ち合わせの時間にはまだ早かったけれど、少しでもアポイントを確実なものにしたいと思った。元号が令和になったというのに、薄暗い店内には銀ブラよろしく昭和と思しき歌謡曲が流れレトロな雰囲気を演出していた。 そして今さらになって、「どうしてオレはこんなところにいるのだろう。」という根本的な疑問が頭をもたげてきた。 私はこの一件に多大な労力を払ってきた。一銭の金にもならないばかりか、時間と私の有象無象を尻の穴から濁濁と無為へと流出させる日々を送っている。しかし私にはこうする他なかった。 この辺りの会社は大企業ばかりだから、テレワークを導入…

  • 空に舞う

    東京・丸の内。 近代的なガラス張りのビル群の一角に、タイル張り旧耐震のビルが建て替えもされずに鎮座している。都市開発で遠からず取り壊される予定のこのビルには多数の企業が入居している。 あたかもそこで働いているかのような顔で正面玄関から入り、どこのメーカーとも判らないやたらと遅い古びたエレベータに乗り込み12階へ行く。到着するまでに、同乗者は全員途中の階で降りてしまう。12階へと到着しドアが開くと、薄暗く電灯さえついていない不気味な廊下が広がっている。折り畳み式のテーブルやチェアが放置されておりどうやら資材置き場となっている様子の廊下を進むと一番奥に金属製の扉があり、何故か、いつも鍵が掛かってい…

  • 49日は祈ることにした。

    「誕生日までに死ぬ。」と宣言した親友は、その言葉どおり逝ってしまった。 3月17日、それが親友の誕生日だ。 数年前のその日、私たちは牡蠣の食べ放題にでかけた。ふたりとも牡蠣が大好物だった。 今はもう潰れてしまったけれど神田駅の近くにあるおせっかい屋弐号店という良心的な居酒屋で、私はそこの常連だった。 牡蠣を焼きながら日本酒をのみ、 「あ、そういえば今日誕生日だったでしょ。」 とそういうわざとらしいことを言って彼女に干芋の束を手渡した。干芋は親友の大好物だ。 前日、銀座にある茨城県の物産展で名産の干芋を全種類購入していた。といっても数千円するかしないか程度のものだ、何しろ干芋なので。 しかし彼女…

  • 海原の月になりたい

    クラゲを見たいと思った。 先日、池袋サンシャイン水族館に行くとコロナウイルスの影響で休館となっており、5年前に引き続きまたしても入館し損ねてしまった。本当についてない。せっかく会社を休んだことも無駄になってしまった。 といって行く当てもなく、薄暗い水族館の入口のスペースを歩いた。普段はチケットを買い求める人波に埋まっているはずの場所に人がいない。違う知らない世界に迷い込んでしまったような、不思議な感覚がした。BGMもアナウンスも騒めきもない冷たい静寂のなか、どこか遠くを駆け回る子どもの笑う声が施設に反響して聞こえてきた。それがまるでこの世の者ではないように思え、隙間から入り込む春風がかえって薄…

  • 私たちの望むものは

    「もう、殺して」 とそういうことを彼女に言われたのは一度や二度のことではない。その度に私は、 「もしそのときが来たら、おれがやってやるよ」と返すのだった。「約束だからね」と言う彼女に、「約束するから勝手に死なないでね」と返していた。 私たちは何がなくとも「死にたい、死にたい」などと年がら年じゅう口にして、「もう疲れたよね」などと言ってはお互いを慰め合う関係だった。 死ねば現在の苦しみから解放される、最後の手段がある、というそのこと自体が救いだった。けれども、もうそんな段階はとうに過ぎてしまっていた。私たちの日常には、いつも傍らに死があった。 * H子とは、5年前に婚活をしていた時期に知り合った…

  • 死に至る病について

    「おはよ」 彼女が勢いよくカーテンを明けると、陽光が差し込んできた。部屋の空気を温かく照らし、さらさら流れているのがわかる。「この部屋、眺め良いね」「そう?うん、南向きだからかな」 ベッドに寝そべり空を見あげると、白い雲が風に流され少しずつ動いていた。このままあの雲の行く末を見届けたいけれど、そうはいかない。会社へ行かなければならない。 なんとか布団から抜け出してスーツに着替えながら、以前にもこんな景色を見たことを思い出していた。それは消してしまいたい、忌まわしい日々についての記憶だ。 * 5年前、当時住んでいた下町の安アパートで洗濯機のすすぎ終了を知らせるアラートがけたたましく鳴っていた。急…

  • 女しか使えない文字

    一昨年、中国の湖南省を旅しているときにある深山の古潭に数日ほど滞在していた。友人の結婚式に参加する為だ。 中国で最も貧しい地域であり、外国人の訪問も滅多にないような場所であるだけに歓待され、私の拙い中国語にも拘わらず興味を以て話を聞いて貰い、また多くのことを教えて貰った。https://datchang.hatenablog.com/entry/2019/02/05/095446 そこに長老のような老婆がおり、日本の大男子主義(亭主関白、男尊女卑)の一方、中国には「女書」というものがあるんだよ、という話をしてくれた。 女書とは、中国の湖南省を中心とした僅かな地域において女性のみが使用することの…

  • 粗野に扱っていい人

    「粗野な人間がいるわけではない。粗野に扱って良い人間がいるだけだ。」 とそんなことを言ったのは誰だっただろう。たまにこの言葉を思い出しては、それこそ正に自分のことだと思いいたる。 先日デートをドタキャンしたあの女の子もきっと、大事な人が相手なら無断で約束を反故にするようなこともなかっただろう。 けれどそれは異性の優越的な立場があってこそ成立するものなのであって、男だろうが女だろうが友人たちにとっての私はそうではない、と思っていた。だからこそ、少ないながら友人のことは私なりに大事にしてきたつもりだ。 * N子とは3年前、出会いアプリで知り合った。 国際協力関係だっただろうか、それなりにインテリの…

  • 粗野に扱っていい人

    「粗野な人間がいるわけではない。粗野に扱って良い人間がいるだけだ。」 とそんなことを言ったのは誰だっただろう。たまにこの言葉を思い出しては、それこそ正に自分のことだと思いいたる。 先日デートをドタキャンしたあの女の子もきっと、大事な人が相手なら無断で約束を反故にするようなこともなかっただろう。 けれどそれは異性の優越的な立場があってこそ成立するものなのであって、男だろうが女だろうが友人たちにとっての私はそうではない、と思っていた。だからこそ、少ないながら友人のことは私なりに大事にしてきたつもりだ。 * N子とは3年前、出会いアプリで知り合った。 国際協力関係だっただろうか、それなりにインテリの…

  • 耳無し重助

    戦前、昭和一桁年。 神奈川の相模で重助は生まれた。五人兄弟の末子であった。 間もなく戦争が始まり、幼く貰い手がつくうちに重助は神奈川のさる海辺に在る料理屋を営む養父にもらわれた。 とはいえ養父としても別段重助を可愛く思い引き取ったわけではなく、単に重助の実親にある何がしかの恩なるものを晴らそうとしたに過ぎない。 戦時中でも魚は獲れる。漁港の町ゆえにその食生活は都会の人間に比べれば比較的真っ当なものだった。 しかし、決して線が細かったり小柄であったわけではないけれど、色白で紅を差したような唇の重助の容姿は、浅黒く大柄の者の多い漁港では多少奇異であり都会者の様相であった。 当時、「漁業関係者はみん…

  • 池の祠にて

    地元は見渡す限り田畑ばかりの田舎であるが、丘のような小山も点在している。その内の一つの中に、小松が池という池沼がある。 大きさは東京ドーム半個程度で、ブルーギルやブラックバスのような外来ばかりであるものの釣りもできれば渡り鳥もやってくる。子供の身にはそこそこ大きい池沼だ。 水面のうち半分は通常の池であり、もう半分は沼の中から大樹の屹立する小さい森となっており、泥濘の上に金属製の歩道が整備されている。 暗く鬱蒼とした森であり、釣り人が池部分に出る為に通る以外では地元民も殆ど入らない。 ところで、沼の森の歩道のとある場所から、苔で滑る岩を幾つか飛び超え沼の岸にある藪に分け入ると、かつて使われていた…

  • バレンタインデーを許すな。

    赤道から上下20度経度を広げた高温多湿の熱帯、特に東南アジアにおける一帯を「カカオベルト」と呼ぶ。 似たようなものにコーヒーベルトというものがあり、これは経度上下25度までと範囲が広い為、カカオベルトの方が範囲が狭い。 しかし実際には高地でも栽培可能なコーヒーと異なり、カカオは低地の熱帯でなくては育たないという点でさらに栽培可能な地域は絞られる。 高地での農業は比較的牧歌的である。低地より気候が涼しく、虫が出ず、感染症のおそれも少ない。 他方、低地のカカオ栽培は、コーヒーより高値で取引される利点はあるものの虫や感染症のおそれを常に抱えながら農作業に従事することになる。 つまり、人が死に易い土地…

  • タイ旅行記

    1月の最終週、タイに行くことにした。 以前より周りからしつこく勧められていたことと、職場の閑散期だったこと、滞在8日間で航空券と宿を併せ3万9千円の格安旅券が手に入ったこと、もうとにかく日本にいてもたまらない心境であったこと等々、種々重なりタイの首都バンコクに到着したのは25日の夕方だった。 巷で話題になっていたコロナウイルスの影響なのか機内はいつもより空いていたし、片道7時間のフライトももはや慣れたもので、映画を見て寝て、気付いたときには現地にいた。 極寒の日本と対照的に現地は気温30度以上の陽気で、タイ独特の香辛料の臭いに乗せられ、冬季うつのように沈んだ気分も少しずつ晴れてきた。 空港のす…

  • タイ旅行記

    1月の最終週、タイに行くことにした。 以前より周りからしつこく勧められていたことと、職場の閑散期だったこと、滞在8日間で航空券と宿を併せ3万9千円の格安旅券が手に入ったこと、もうとにかく日本にいてもたまらない心境であったこと等々、種々重なりタイの首都バンコクに到着したのは25日の夕方だった。 巷で話題になっていたコロナウイルスの影響なのか機内はいつもより空いていたし、片道7時間のフライトももはや慣れたもので、映画を見て寝て、気付いたときには現地にいた。 極寒の日本と対照的に現地は気温30度以上の陽気で、タイ独特の香辛料の臭いに乗せられ、冬季うつのように沈んだ気分も少しずつ晴れてきた。 空港のす…

  • 疾走

    先日、30歳の誕生日を迎えた。 かつて「30歳まで生きることはないだろう」と思ったことのある多感な人たちの多くがそうだったように、私もそのご多聞に漏れることなくあっさり誕生日はやってきて、20代に何の余韻も残らなかった。 よほど覚えづらい誕生日なのか、単純にこれまでさほど想われてこなかったというだけのことなのか、これまで「彼女」に自分の誕生日を祝ってもらったことがない。 あんなに自分の誕生日を私が覚えているか気にしていたあの人も、結局私のことを覚えてはいてくれなかった。とはいえ今回は、その「彼女」自体いないのだけど。 ただ、過去友人たちのほかに一人だけ祝ってくれた人がいる。Y子だった。http…

  • マルチの女

    Y子は千葉県出身で、国立大学に在学している時分、公認会計士試験に合格した。 最大手の外資系監査法人に就職したが、監査法人の仕事はブラックで終電帰りもザラだった。 学生時代から付き合っていた男は浮気して離れて行った。意識が朦朧とし、その間どのように仕事をしていたのか、それは彼女自身も覚えていない。 とにかく目の前にある仕事を片付けることに取り憑かれていた。生理も長い間来なくなったが、かえって面倒ごとがひとつ減ったくらいにしか考えていなかった。 そんな日々を数年送っていたある日、目覚めると、雨が降っていた。 身体がいやに重たかった。前日も晩い帰りで3時間睡眠だったこともあり、それは特別なことではな…

  • Smell of rain drops, want to say you'll be alright.

    高校生のとき、当時遠距離で付き合っていた彼女に会うために、バイクの免許をとった。 当初は交通機関を使って通っていたのだけれど、バイクがあれば色んなところに彼女を連れて行けるし、彼女をバイクの背に載せて海辺を走るような、そういう青春に憧れていた。 それに当時彼女は千葉の館山に住んでいたのだけど、房総半島では1時間に一本も電車がない。そういうことにも辟易していた。 16歳の誕生日と共に免許を取得し、ドラッグスター400という中古の大型のバイクを譲り受けた。 月に1,2度、早起きし、まだ薄暗い時間からバイクを暖気した。 コーヒーを飲んで、菓子パンを頬張り、精一杯髪型を整えた。結局、ヘルメットに潰され…

  • In to the wild.(荒野へ)

    鏡の向こうには、グランドキャニオンが広がっていた。 それを見て、おれはただ、立ち尽くすしかなかったのだ。 先月某、髪の毛を切りに近所の1,000円カットへ出かけた。どうせポマードで整えるのだ、高いところへ行く必要はない。 7・3のツーブロック、サイド1mmと堅い仕事に就く社会人としては攻めた髪型だ。成形も簡単らしく20分ほどでカットは終わる。 いつものように美容師が「はい、後ろもこれで大丈夫ですか~?」と事務的に手鏡を後ろに回し、確認を求めた。 そして、おれはそこに確かに見た。美容師の持つ手鏡の中にグランドキャニオンを、雄大な、荒野の姿を。 「はい、大丈夫ですよ」 平静を装ったが、何一つ大丈夫…

  • 自分には、ほとほと失望した。

    ある朝、まだほの暗い時間帯に、少し早めの電車に乗った。 もう30分もすれば身動きがとれないほどの人であふれる乗車駅だけれど、この時間ではまだ「ふつうに立って乗ることができる」。 発車し、寝起きのぼんやりした頭で景色を眺めていると、まもなく次の駅で止まった。 「あああああ!なんなんだよおおおおお!!」 ホームで気が触れた男が叫んで地団太を踏んでいて、それを駅員が宥めようとしていた。たまにはそんな日もある。すぐ隣で誰かが暴れていたとて、多くの乗客にとってそんなものは大した感慨のある光景ではない。みんな、歯を食いしばって正気を保っているだけで、何かの拍子に正気でいるインセンティブを失ってしまったら、…

  • いつもいつでも。

    「死のっか、もう、一緒に」 昨年の春頃に会って以来、A子とは音信不通になっていた。 https://www.datchang.work/entry/2018/12/13/000000 数か月ぶりに連絡が来たのは昨年の末頃で、おれは家から外へ出ることさえ容易なことではなくなっていた。 もうここまででいい。ここから先の未来を見たいと思わない。 ずっと抱いていた希死念慮を実行に移すには、良い頃合いだと思っていた。 そんな折、A子から電話がかかって来た。 「急にいなくなってごめんね」「別に気にしてない。元気そうでよかった」「元気じゃないよ」「おれも、もう良いと思ってる。もう死にたいんだ。何か、おれの持…

  • 後ろ手に束ねた 恥じらいの花束が揺れる 

    都会のサラリーマンなんて、字面で見れば華やかに見えるけれど実際のところ物理的に拘束されてその我慢料を手にしているだけに過ぎない。 そうして毎日時間と心を切り売りしている内に、トルストイが家庭の幸福の中で「人生における唯一の確かな幸福は、他人の為に生きることだ」と語っていたのはどうやら確からしいということを知った。 おれは自分の為だけに生きることのできる人間ではない。 だから家庭を作ろうとしたけど、叶わない願いだった。 醜悪で金のないおれを愛し、特別な存在にしてくれる女なんてそう居はしないし、ましてや子どもを持つのはその先の話だ。 だけど実際のところ、おれは自分が限界だと判っていた。一刻も早く許…

  • 世界最大級の廃墟 華南モールからの脱出

    数年前、中国の東莞という南方の都市を旅しているときに「華南モール」を訪れたことがある。 華南モールは一時世界最大になったこともある中国最大のショッピングモールで、中国のいわゆる建築バブルのときに建造された。 ところがその広さゆえに十分なテナントが集まらず、奥に出店すればするほど客のアクセスが悪くなる。結果、敷地の大半が廃墟と化し、麻薬の売買等の温床と化している。 単一の建築物としては世界最大級の廃墟だ。 空港からバスを乗り継ぐこと約6時間、華南モールに到着した。 海辺の都市と比較すると町は荒廃気味で、打ち捨てられた建物は山ほどあって決して景気はよくなさそうだった。 ただ、電車は走っていないけれ…

  • 家へ帰ったことに免じて

    深夜、満身創痍の身体を引きずって家の扉を開くと、暗い廊下の奥で干してある洗濯物が人の姿に見えることがある。 首を吊って、風もなくギシギシと音を立て揺れる自分自身の亡霊だ。 壁の電気を点けると亡霊は消え、いつもの何もない部屋がある。 部屋には大型犬用のリードがあって、容易に首を入れる輪をつくることができる。洗濯物をどかして、その代わりに自分を吊るせば、それでこの人生もしまいだ。 随分長く歩いた気がする。出来の悪い茶番劇だった。 だからもう、ここまででいい。 この人生はもはや詰んでいて、代わり映えなんてしない。ここから先にあるのは真綿で首を絞められるような緩慢な死だと思う。 居心地の悪い1LDKに…

  • 夜明けの西成・泥棒市場

    まだ陽の昇らない時間帯、空気は肌を刺すように凍てついている。 紆余曲折あって数年ぶりに大阪は西成区のあいりん地区にいた。 朝の5時くらいになると、労働福祉センターの周りにはホームレス崩れの日雇い労働者を現場まで連れて行く為のバンがちらほら現れる。 バンに乗るため参集した日雇い労働者達や近所の貧しい身なりをした老人達が、そこここで道路に座り込むホームレスたちの周りに集まっていた。 ここには「ドロ市(泥棒市場)」というものが存在している。盗品を販売しているのだ。 ホームレスたちはブルーシートを敷いて、その上に雑然と商品を並べている。飽くまで品物を並べているだけなのであって、売っているわけではないと…

  • サンフランシスコの韓国人

    10年前、サンフランシスコに短期留学をしていた。 そのとき撮った写真を見返していたら、一人の韓国人の女の子のことを思い出した。 名前を彗林(hye lim yoon)といった。 韓国人らしい顔つきの美人で、いつもヒョウ柄や妙な色味のちょっとどこかエキセントリックな服を着ていた。 彼女とは同じ語学学校に通っていた。語学学校はペーパーテストの実力別に何段階かのクラスに分かれていたが、彼女はかなり下の方の講座を受けており、おれとは別のクラスだった。 ある日、語学学校の主催するパーティか何かのイベントがあって、隅で一人大人しくしている彼女におれが話しかけたのがきっかけで仲良くなった。 彼女はかなりの人…

  • 何億年も前につけた傷跡なら残って

    目を覚ますと、いつもの天井だった。 カーテンから白い光が差し込んで、塵の浮いた部屋の空気を照らしている。 嫌な汗をかいている。思わずため息をついた。 また、いつもの夢を見た。 * 中学の頃、ネットでは中高生の間で「前略プロフィール」というサイトが流行っていた。 それは簡単な質問に幾つか応えるだけで自己紹介ページを作成することができるというもので、SNSの存在しなかった当時としては画期的な交流の場となっていた。 「前略」には、掲示板が付属している。 自分と気の合いそうな「前略」を見つけたら掲示板に書き込みをして、気が合えばチャットルームに誘導したりhotmailメッセンジャーというLINEのよう…

  • 死にたい。いつからか、そう思うようになった。

    死にたい。いつからか、そう思うようになった。 自分が恵まれてないなんて思わない。 そりゃ上を見たらキリがないけど、やりたいように生きてきたと思う。その割には多くの人に愛して貰った。 そして世の中にはおれよりバカでブサイクで、どうしようもない人間だって沢山いることも知っている。けれど、他人と自分の気持ちには何も関係はない。 死にたい理由なんていくらでも思いつく。だけど、内面化された苦しみの理由を探して解消してもさほど意味はないのだと思う。 「生きてることにはきっと意味がある」、「これから必ず良いことがある」みたいに励ましてくれる人もいる。 だけど、楽観的にはなれない。 根拠がないからだ。実績がな…

  • 祖父の友人の話

    1950年代の終わり、東京の新橋。 男は友人から流行らないバーを買い受け、経営を始めた。 それは後から考えてみれば半分酔狂のような雑な経営で、当然バーが赤字から回復することはなかった。 男には投機癖があった。 焦った男は、バーの経営を補填したい一心で先物相場に手を出した。だが、結局のところ逆に借金を大きくする結果になった。 それは到底返せない金額になっていた。 当時は民事再生等の債務整理の法整備も進んでいなかった。 といって男に会社勤めができるわけもなく、付き合っていた女と夜逃げすることにしたのである。 * とある漁港の小さい町、そこは女の出身地だった。 女はそこで中学校の教師をしていた。その…

  • 見捨てられた町で。

    神奈川県川崎市の海辺の工場地帯に、その集落はある。 第二次世界大戦中、日本第二位の鉄鋼業JFEスチール(旧日本鋼管)は、急増した武器需要に対応するため労働人夫として半島から朝鮮人を大量に採用し、日本に連れてきた。 いわゆる、徴用工である。 JFEは徴用工に工場のある敷地の一角を与え、彼らはそこにバラックを建て、寄り集まって生活を始めることになった。 そして大戦が終わり、朝鮮人徴用工の労働力がもはや必要ないと判断したJFEは、彼らを敷地から追い出そうとした。 だが、彼らが出て行くことは無かった。ほかに行き場がなかったのである。 元々川崎の工業地帯は「部落」のある土地で、稲川会系のヤクザの根城とな…

  • ここじゃない何処かの国に、希望なんてあるんだろうか。

    先日、某企業から招聘を受けて上海に行ってきた。 上海に到着する飛行機から外を眺めていると、夕日で真っ赤に染まった海に点々と風力発電のタービンが突き刺さっていて、まるでエヴァンゲリオンのLCLの海に刺さった十字架のようで、幻想的な光景だった。 空港から出ているバスに乗り込むと、上海の街並みが車窓を流れて行った。ビルの光がキラキラしていて、寧ろ東京よりも都会然としているように見える。 他都市と違って上海は空気も澄んでいる。 中国人は上昇志向が強いから、当然農村等経済的にビハインドの社会に生まれた者は巻き返しを図るべく都市へ向かおうとする。 だけど中国人の居住移転の自由は制限されているので、生まれが…

  • 宗教勧誘についていった

    「君、だっちゃんだろ?」 大学の図書館の前で携帯を弄っていると、男に話しかけられた。長身で爽やかで、清潔な身なりをした如何にも好青年という出で立ちで、知らない顔だった。 どちらさまでしょうか、と応える前に男が続けた。 「わかんないか。S法律研究室の上田っていうんだけど、上級生のことは流石に知らないよね」 男はおれの所属している研究室の名前を口にした。先輩付き合いのある方ではなかったので、なるほど顔を知らなくても当然だと思った。 「あ、お疲れ様です。」 別段忙しいわけでもなかったので、差し障りのない会話に付き合った。教授のこと、授業のこと、試験のこと。 それ自体は上辺を滑るような会話の内容ではあ…

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