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父が遺した宿題  ~人生を旅する ハートの半生記~ https://ladli.blog.fc2.com/

人生の様々な出来事を通じ、私自身に起こった“内なる変化”をたどってみます。それは「生きるとは」を見ていく作業。皆さんも、ご自分の人生を振り返りながら読んでいただき、ご自分にとっての「生きるとは」を見つめるきっかけになれば幸いです。

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2020/04/24

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  • 演奏動画

    ← トップページへ【織りなす糸】ゆう琴 自作曲【懐かしき】ゆう琴 自作曲【どんなときにも】ゆう琴 自作曲【僕らしく】ゆう琴 自作曲...

  • [7-7] 最後に

    前のページ「[7-6] ゆだねて生きる」から続く→ 最後に、パラマハンサ・ヴィシュワナンダの御言葉をご紹介させていただき、終わりにしようと思う。 「私達一人一人が全て、内側に神性の一部を有した存在です。神実現を果たした人というのは、進化の過程でカルマを焼き尽くし、自らを浄化し、マインド、意識、知性、そして身体を純粋なものとした存在です。こうした全ての浄化が完了した時、神性な光が私達の内に輝き始めます」パ...

  • [7-6] ゆだねて生きる

    前のページ「[7-5] グルという存在」から続く→ アートマ・クリヤ・ヨーガに始まり、パラマハンサ・ヴィシュワナンダとの出会いから、益々人生の流れが加速度を増し、自分が考えもしなかった方に導かれているのを感じる。 絵を描き始め、アートマ・クリヤ・ヨーガのティーチャーになり、今では歌まで唄うようになってきた。 沖縄での出来事があってからというもの、自分のコントロールを手放して、導かれるままに生きてきた。 ...

  • [7-5] グルという存在

    前のページ「[7-4] 運命の時」から続く→ パラマハンサ・ヴィシュワナンダは、一人一人に祝福を与えてくださる。 片手を頭の上に載せ、じっと目を見つめる―― この祝福が、なんともいえず、素晴らしかった。大いなる存在(愛)を感じた。十年ほど前に、圧倒的エネルギーに突然抱かれた沖縄での体験を思い出させるものだった。 パラマハンサ・ヴィシュワナンダが目を見つめることを通して、私の魂を見てくださっているのがわかっ...

  • [7-4] 運命の時

    前のページ「[7-3] アートマ・クリヤ・ヨーガ」から続く→ 初めてパラマハンサ・ヴィシュワナンダのお姿を目にした時は衝撃的だった。(こんなにエネルギーの美しい人は見たことない)(愛そのものの方だ)と思った。 ハートの内側から、(ようやく会えた)という歓びが湧いてきて、自然と涙が浮かんだ。 そして対面した時、絵を差し上げようと思いお見せしたところ、「この絵の能力は過去生からのものだ」と言われた。(やっぱ...

  • [7-3] アートマ・クリヤ・ヨーガ

    前のページ「[7-2] 奉仕の瞑想」から続く→ 伝導瞑想をする中で、覚者やマスターという存在が、より身近なものになってきていた。 そんなある時、友達から「今度うちで、この人達のアートマ・クリヤ・ヨーガというのをやるんだけど来ない?」と2枚の写真を見せられた。 片方はマハヴァター・ババジだった。ババジは、ヒマラヤにいると言われているマスターで、「あるヨギの自叙伝」にも書かれていたので知っていた。 もう片方...

  • [7-2] 奉仕の瞑想

    前のページ「[7-1] 覚者、聖者、マスター」から続く→ するとある時、この覚者方と共同で行う奉仕活動があることを知った。 それは、「伝導瞑想」と言われるものだ。座って瞑想することが、世界の奉仕になるという。 世界を見回した時に、このままでは地球がもたないのではないか、と危惧を抱いていた私は、人間の意識の変容こそ、必要なことなのではないか、と思っていた。だからといって、自分にできることが思いつかなかった...

  • [7-1] 覚者、聖者、マスター

    前のページ「[6-5] 生き方のシフトチェンジ」から続く→ 大いなる存在(愛)や働きに加え、忘れてならないのが、覚者、聖者、マスターといった方々の存在だ。 覚者、聖者、マスターというのは、“神実現”を果たし、輪廻を超えた存在、もしくは、宇宙から人類を導くために地球に来てくださっている存在である。 私は先に挙げた「アガスティアの葉」「真実のサイババ」の他、「ヒマラヤ聖者の生活探究」「あるヨギの自叙伝」「マイ...

  • [6-5]生き方のシフトチェンジ

    前のページ「[6-4] 霊的な体験」から続く→ あの沖縄での出来事は、私を根底から変えた。 あの出来事をきっかけに、「心配」や「不安」がすっかり手放されてしまった。(だって私、大丈夫って知ってるんだもん)という感じで。 あれだけ心配性だった私のこの変化は、驚くべきものだった。 知識として、大いなる存在(愛)に導かれているという事は知っていた。そして(そうなんだろうな)とも思っていた。 しかし、ただ知って...

  • [6-4] 霊的な体験

    前のページ「[6-3] マインドの働き」から続く→ それは確か30歳の頃だったと思う。 セミナーに参加するために、沖縄に行った時のこと。宿泊する部屋がタバコ臭く、そのことを同行した方に伝えたところ、その方は、「私は与えられた全てのことに感謝しているわよ」と言われた。 その言葉を聞き、(あぁ、私はちっとも感謝できていないなぁ)と思い、それをきっかけに、私の意識は自分の内側深くに降りて行った。 これまで潜った...

  • [6-3] マインドの働き

    前のページ「[6-2] 天使と悪魔」から続く→ 私が楽に生きられるようになってきたのには、頭(マインド)でいろいろ考えなくなった、というのが大きいと思う。 何か答えが必要な時も、自分の中に投げておく。そして信頼して待つ。 そうすると、良きタイミングでその答えがフッと浮かんでくる。このやり方は、無駄に頭を使わないから、とっても楽チン。 頭(マインド)は、いろいろジャッジをする。比較したり、計算したり、非難...

  • [6-2] 天使と悪魔

    前のページ「[6-1] 不幸になれない」から続く→ 私は子供の頃、自分の中に二人の自分がいるように感じていた。 元気な自分と臆病な自分、ポジティブな自分とネガティブな自分、優しい自分と意地悪な自分――。まるで天使と悪魔が共存しているような感じ。 正直、そんな自分に戸惑っていた。(本当の私って一体どんな人なんだろう) その後いろいろ学ぶ中でわかってきたのが、これまでも書いてきた、「本質(魂)の自分」と、「エ...

  • [6-1] 不幸になれない

    前のページ「[5-3] 父からの宿題」から続く→ ここから先は、とりとめのないものになるかもしれないが、これまでの歩みの中で、印象に残った出来事、そして今の自分のことを少し書いてみようと思う。 今の私がどんな状況でいるのかといえば、これまでの人生で一番自分らしく、幸せに暮らしている。 昔のように自分のことを「やましい存在」なんて思わないし、自分は何が好きで、何をしていきたいのかも、ちゃんと知っている。 ...

  • [5-3] 父からの宿題

    前のページ「[5-2]すべてが恵み」から続く→ 私の50年という、これまでの人生を駆け足で振り返ってきた。 両親が亡くなったのは25歳の時。その出来事の前と後では、全く違う人生の歩みになっている。 両親の自死という、大きな大きな出来事がなければ、私の人生の大転換が起こらなかったであろう事は明らかだ。 親というのは、有り難い存在だと思う。両親がいなければ、この私は存在しないわけだし、その生き様、死に様の全て...

  • [5-2] すべてが恵み

    前のページ「[5-2] 自分の本質を知る」から続く→ 私達の本質(魂)は、全知全能の神だと言われている。 初めてこのことを聞いた時、自分の内側が、「それは本当のことだ」と応えた。 私の内側深くは、どうやらそのことを知っているようだった。私は、この内側で感じたこと、直観を疑う気持ちには全くなれなかった。 その時から、自分の本質(魂)を知る旅が始まった。 なぜ私達は、本来の自分の姿を忘れてしまっているのだろ...

  • [5-1] 自分の本質を知る

    前のページ「[4-7] 流し続ける」から続く→ 再び「瞑想」のことを書く。 私がこれまで自分を癒し、統合していく作業をしていく中で、これは絶対外せない、と思っているのが「瞑想」だ。 先にも書いたが、瞑想は、両親が亡くなってしばらくしてから始め、今もずっと続けている。 「生きるとはどういうことなのか」「自分とは何なのか」その答えを求めて、瞑想に巡り会った。 瞑想することで、自分の本質(魂)との繋がりが次第...

  • [4-7] 流し続ける

    前のページ「[4-6] 解放と浄化」から続く→ 抑圧してきたエネルギーの解放・浄化をしていきながらも、毎日心がけていたことがある。 それは、「自分の感情・思考・思いを、ただただ見ていく」ということだった。 私は子供の頃から、うまく寝られない子だった。 寝ようと思って布団に入っても、それから1、2時間寝られないのは当たり前。高校生の頃には、玉ねぎをスライスしたものを枕元に置くと寝付きが良くなるらしいという...

  • [4-6] 解放と浄化

    前のページ「[4-5] 大きな変化」から続く→ こうした自分の体験から、抑圧されているエネルギーを解放・浄化することで、グンと生きにくさが解消されることがわかった。 それからというもの、「人生は浄化の旅だ」という思いで、様々なことを試みてきた。 しかし、ブリージングの時のような劇的な事は起こらなかった。行きつ戻りつしながらの、どちらかというと、薄皮を剥ぐという表現がぴったりな、ゆっくりとした変化の歩みだ...

  • [4-5] 大きな変化

    前のページ「[4-4] 沈殿した重い塊」から続く→ このブリージングの体験により、私の中に大きな変化が生まれた。 私はそれまで、人に否定されること、拒否されることに、異常なほど反応してしまう人だった。 例えば、エステのお客様にお茶をお出しした時に、「私、いらないわ」と言われただけで、体がギュッと硬くなって、緊張するのを感じる位だった。 お客様は、「お茶はいらない」と言っただけなのにも関わらず、まるで自分...

  • [4-4] 沈殿した重い塊

    前のページ「[4-3] 溢れ出す」から続く→ 実は、この体験をしている間に見たヴィジョンがあった。 それは、私が2歳位の頃の出来事だと思う。何故かものすごく寂しくて悲しい気持ちになって、台所仕事をしている母親の所に駆け寄っている場面。 お母さんにただ抱きしめてもらいたかった。なんだけど、その時の母は、こちらをチラッと見て、「今は忙しいからちょっと待ってね」と言って、抱きしめてくれなかった。 母にしたら大...

  • [4-3] 溢れ出す

    前のページ「[4-2] 駄々をこねる」から続く→ ひとしきり話をして、私の中の抑え込んでいた感情が動き出してきた頃を見計らったかのように、ブリージングのセッションが始められた。 セッションは、横になって行われ、セラピストの誘導に従って、まず呼吸をしていく。 段々と過呼吸のような状態になってくる。そうすると、脳波が潜在意識に繋がりやすい状態になるらしい。 私の体は自然とどんどん丸まっていき、なぜか胎児のよ...

  • [4-2] 駄々をこねる

    前のページ「[4-1] 私には価値がない」から続く→ ブリージングのセラピストの方は男性で、泉谷しげるさんのような風貌の方だった。 畑の中にある二階建てのご自宅の一室が、セッションルームだった。 まず最初に、お話することから始まった。二人の間に、4メートル位距離がある状態で座ってお話しした。 どんな話をしたのか覚えていないけれど、多分その時は2時間位話していたと思う。印象に残っていることが幾つかある。 ...

  • [4-1] 私には価値がない

    前のページ「[3-8]瞑想」から続く→ あまりに苦しくてどうにもならなかった時、藁をもすがる思いで、あるアメリカ人のオーラリーディングのセッションを受けたことがあった。 かなりの高額であったにも関わらず、そんなことを気にしている余裕はなかった。 その彼女のリーディングで言われたことの中で、今でも覚えていることがある。 彼女は、幾層ものオーラを読むことができる人だったのだが、そのリーディングの中で、「あ...

  • [3-8] 瞑想

    前のページ「[3-7]記憶」から続く→ 瞑想していくことが、今の自分には一番必要なことだと思った私は、毎日瞑想するようになった。 自分の内側には、全てを知っている自分の本質(魂)が眠っているという。そことの繋がりを作っていくのが瞑想だった。 私はただただ、ほんとの自分を知りたかった。そして、自分がどう生きていけばいいのかの答えを、内側から受け取りたかった。 そんな私にとっては、瞑想は必要不可欠なものだ...

  • [3-8] 記憶

    前のページ「[3-7] やましい存在」から続く→ さて、私どうする? というところまで追い詰められた。 その頃は、必要最低限の人づき合い以外しないし、外出も買い物など最低限で、ひたすら引き籠っていた。 起きて、ご飯を食べて、トイレに行って、寝る。ただそれだけの、なんの張り合いもない生活だった。 そんな生活の中でも、一つだけ大切にしている思いがあった。 それは、「真実を知りたい」ということ。 自分は何者で...

  • [3-6] やましい存在

    前のページ「[3-5] 苦い思い出」から続く→ これまでも、この“腐った水”、言い方を変えれば地雷のようなものが、私の中に沢山埋もれていることには、なんとなく気づいていた。 ただ、自分ではどうしていいのかわからず、放っておいた。見て見ぬふりをしてきていた。 まさに、見たくないものに蓋をしている状態… しかし、さすがにもうこのままでは、どうにもならないこともわかっていた。 なかなか、そのことに向き合う勇気が...

  • [3-5] 苦い思い出

    前のページ「[3-4] 腐った水」から続く→ それは、エステの会社に就職し、研修を終え、お店に配属されてからのこと―― 私が配属された店舗は、ホテルの中にある高級サロンで、お客様は、芸能人や医師、経営者、経営者の奥様といった、ハイソサエティな方々ばかりだった。 私は、フェイシャル専門のエステティシャンとして訓練を受けていた。お客様に初めて施術に入る前に、店長によるチェックを受け、合格しなければ、エステティ...

  • [3-4] 腐った水

    前のページ「[3-3] 価値観の見直し」から続く→ 腐った水をバケツに入れっぱなしにしておけば、益々腐ってきてヘドロが発生し、酷い臭いになり、ボウフラが湧き、大変なことになる。 そんなことはわかっているはずなのに、それまで、自分の中の腐った水(エネルギーと言った方がわかりやすいけれど)を捨てる、という作業をしてこなかった。 (なんか臭うよな…)と思いつつ、その臭いの元を絶つという行動を起こすことができな...

  • [3-3] 価値観の見直し

    前のページ「[3-2] 父と母のこと その2」から続く→ 両親が亡くなるまでの私は、表向きはとりあえずなんとか暮らしていた。でも実は、そこかしこにほころびが出てきていた。 それを見せまいとして誤魔化していた。自分に対しても、人に対しても。 しかしいよいよ、本気でそのことに取り組まないと、にっちもさっちもいかない状態になっていた。 客観的に見て、私は両親の価値観の影響を多大に受けていたので、その見直しの作...

  • [3-2] 父と母のこと その2

    前のページ「[3-1] 父と母のこと その1」から続く→ 父は、おぼっちゃまだった。お兄さんがいたのだが、父が生れる前に、幼くして亡くなっている。 そして父は、祖父母が年いってから授かった子供だった。家業を継いでくれる男の子の誕生は、大層喜ばれたと思う。 そして、大切にチヤホヤと育てられ、経済的にも困ることなく、苦労することなく大人になり、そのまま家業を継いだようだ。なので父は、自分で何かを作り出すとい...

  • [3-1] 父と母のこと その1

    「前のページ[2-4] ターニングポイント」から続く→ 25歳、11月の両親の死から、私の人生の第二幕が始まる。 それまでなんとなく当たり前に受け入れてきていた、両親の価値観、ものの考え方を、見直す作業が始まるのであった。 そもそも何故、両親は二人で自死する道を選んだのか、ということを知りたかった。 ほんとのところは、わかりっこないのだけれど、自分なりに、その理由を見ていきたい気持ちにかられた。 まず、私か...

  • [2-4] ターニングポイント

    「前のページ[2-3]一番の関心事」から続く→実は、両親が亡くなる前から少しずつ「生きること」への探求の兆しは現れてきていた。そのきっかけは結婚であった。 学生時代から付き合っていた主人と結婚したのは、23歳の時。 大学を卒業してから就職したエステの会社を10か月で辞めて、結婚し、専業主婦となった。 なぜそんなに早くに結婚したのかといえば、単に仕事を辞めたかったから。仕事を辞めたかった理由は後述するが、仕...

  • [2-3] 一番の関心事

    「前のページ[2-2] 運命の出会い」から続く→ 「生きることってどういうこと?」 小学校四年生の頃、母に聞いた覚えがある。 「生まれてくるだけでも凄いことなんだよ」 と言われたが、(答えになってないじゃん)と、納得できなかった。 私が知りたいことを知っている大人は、どうやら身近にはいないようだと、この頃なんとなく感じていた。 夜になれば、果てが無いという宇宙に思いを馳せ、昼間はお日様の温もりの中で日向...

  • [2-2] 運命の出会い

    「前のページ[2-1] 心に決めたこと」から続く→ 母の遺書に、「仕事は辞めないで続けるように。気持ちが紛れるでしょうから」と書かれていた。 その頃私は、横浜でフェイシャルのお店をやっていて、毎月一週間、豊川にも出張していた。遺書には、「豊川での仕事のことは、Aさんに頼んでおいたので」と書いてあった。 (そんなこと頼まれても、Aさんだって困るだろうに)と思っていたのだが、当のAさんが、「うちで仕事したら...

  • [2-1] 心に決めたこと

    「前のページ[1-7]赦し」から続く→ 両親を突然亡くして、まず最初に起きた私の変化。それは、夜床に就いた時に一日を振り返り、「人に伝え残したことがないようにしよう」という、人への接し方についての変化だった。 それまでの私は、人に気持ちを素直に伝えることが苦手だった。それは関係性が近ければ近いほどそうだった。 23歳で結婚した時には最たるもので、両親に「今までお世話になり、ありがとうございました」なんて...

  • [1-7] 赦し

    「前のページ[1-6] 念書」から続く→ 頭では、4人も子供がいるおじさんの切羽詰まった状況を理解しながらも、そんなおじさんを赦すことができなかった。 しかし、そんな自分自身に対しても嫌気がさしていた。人を赦せないでいる気持ちを抱えたまま生きるのは、決して気持ちのいいものではなかった。 そして、輪廻転生があると思っていた私は、おじさんとの関係を来世に持ち越したくないと思った。 そこで私は、毎晩寝る前にお...

  • [1-6] 念書

    「前のページ[1-5] 豹変したおじさん」から続く→ おじさんは横浜から葬儀に駆けつけて来ていた。 苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 私は一言も話さなかった。自分の中の釈然としない気持ちが残ったままだったから。 おじさんが父に対してしたことを聞いたのは、私が横浜に戻ってからのことだった。 おじさんと父は、おじさんが持っている土地を担保に、銀行からお金を借り、一緒に事業をしようとしていた。 その時おじ...

  • [1-5] 豹変したおじさん

    「前のページ[1-4] 遺体との対面」から続く→ 両親の友達の優しさ、思いやりに触れ、人間の素晴らしさを肌で実感する一方、私にとっては、辛く感じる出来事もあった。 それは、私が親しくさせてもらい、可愛がってもらっていた、遠い親戚のおじさんのこと。 そのおじさんと父は、バブル経済全盛期に、一緒に事業を始めようとしていた。それは私が大学生の時で、私は、そのおじさんが店長として、父と一緒に始めた洋食屋でアルバ...

  • [1-4] 遺体との対面

    「前のページ[1-3]葬儀」から続く→ 自分でも不思議だな、と思ったのが、初めて両親の遺体と対面した時のことだった。 変わり果てた姿を見て、動揺してもよさそうなものなのに、そんな心情には全くならなかった。 その亡骸は、私にとっては、両親の魂が抜けた単なる物体でしかなかった。(これはもう両親じゃない)という思いがあり、ドラマで見るように、泣きすがるなんて気持ちには全くならなかった。 これはどうしたものか...

  • [1-3] 葬儀

    前のページ「[1-2]愛知県の実家で」から続く→ 両親の自死についての記事が、新聞に載ってしまったせいか、お通夜、お葬式、それから私達が帰るまでの間、母のお友達が入れ替わり立ち替わり来てくれた。ご飯を作って持ってきてくれることもあり、とても助けられた。 豊川に親族は誰もいなかったが、お陰様で、私達は孤独を感じることなく過ごすことができた。 東京から駆けつけた母の妹を最寄りの駅まで出迎えに行くと、真っ赤に...

  • [1-2] 愛知県の実家で

    前のページ「[1-1]深夜の電話」から続く→ 私が住んでいた横浜から豊川まで、夜中だったこともあり、4時間ほどで到着した。 豊川の実家に着いた時、そこにはまるでドラマの撮影現場のような光景が広がっていた。黄色と黒の立ち入り禁止のテープが家の周りに張り巡らされ、パトカーが何台も止まり、警察官が何人もいた。 「この家の者です」 と警察官に告げ、家の中に入る。家の中は、物々しい雰囲気だった。 その時はまだ、第...

  • [1-1] 深夜の電話

    「はじめに」 から続く→ 滅多に鳴らない家の電話の呼び出し音を、眠りの中で遠くに聞いた。時計を見ると夜中の2時を回っていた。 「こんな時間に誰だろう?」 寝ぼけまなこをこすりながら電話に出る。 「はい、工藤です」 「落ち着いて聞いて…」 電話の向こうは、ただならぬ気配の弟の押し殺した声。 「うん、なに?」 「お父さんとお母さんが、死んだ」 「………」 「今、豊川から電話があって、これからそっちに向かうか...

  • はじめに

    これから、これまでの私の歩みを書いてみようと思う。 出来事を追いながら書いていくが、様々な出来事を通して変化していく、私の心の内側の動きを追う試みだ。そして、私にとっての「生きるとは」を見ていく作業でもある。 皆さんも、ご自分の人生を振り返りながら読み進めていただき、ご自分にとっての「生きるとは」を見つめるきっかけにしていただければ幸いだ。Ladli →本編のはじまり「[1-1]深夜の電話」へ続く...

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