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2020/04/16

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  • A猪木 対 大木金太郎(1975.4.4)

    新日が主催した第2回ワールド・リーグ戦が昭和50年4月4日、蔵前国技館で開幕し、メインではA猪木対大木金太郎の公式戦が行われました。半年前の雪辱に燃える大木はスタートから大ラッシュし、ヘッドバッド4連発の猛攻を見せ、猪木をリング下に落とします。さらに大木自身も場外に下りて、ヘッドバッドをやめません。そして先にリングに戻り、遅れてエプロンに上がった猪木にとどめのヘッドバッドこれで猪木は再び転落し、計17発のヘッドバッドで1分16秒、大木がリングアウト勝利を収めたのです。裁定後、20カウント以内のリング生還をアピールするも判定は覆らず、レフェリーに「怒りの鉄拳」の猪木なのでした。プロレス興行の中で、特に勝敗が重視される祭典的な試合では、予選でエース級があっさり負ける秒殺結果もたまにありますが、決して安くない入場料を...A猪木対大木金太郎(1975.4.4)

  • A猪木 対 T・J・シン(1975.3.13)

    昭和50年3月13日、広島県立体育館に於けるA猪木対T・J・シンこの対戦に至るまでの経緯を申しますと・・・前年6月26日の大阪大会で、猪木がシンの肘をへし折ったことにより、完全決着という事で、シンを新日マットから追放した形となりましたが、納得のいかないシンは肘が回復するのを待ち、NWF本部に再挑戦を直訴しました。しかしながら、猪木は「もうやる必要がない!」とばかり、この指令を拒否したものの、しつこいシンの再三の要求にキレて、ついにはタイトルそのものを返上したのです。慌てたNWF側は(当時の)会長が辞任し、暫定責任者として、K・ゴッチが一時的に就任しました。ゴッチは「王座決定戦」として、猪木対シンを提案した事で、弟子でもある猪木はこれを断れず「今回限り」という条件で、しぶしぶ了承…かなり回りくどい道のりを経て、結...A猪木対T・J・シン(1975.3.13)

  • A猪木 対 大木金太郎(1974.10.10)

    馬場、猪木と共に「若手三羽烏」と言われた大木金太郎実際は1929年2月生まれ(*猪木より14歳上)で1959年(昭和34年)11月にデビューし、翌年9月30日にデビューした猪木の対戦相手を務め、逆腕固めで大木が勝利しました。時は14年経ち、昭和49年10月10日の新日興行、超満員に膨れあがった蔵前国技館において、NWF世界ヘビー級選手権、<王者>A猪木対<挑戦者>大木金太郎の一戦が行われたのです。何となんと試合開始前、いきなり猪木が大木に顔面パンチを放ったのでした。予想外の攻撃に、大木が一瞬ひるんだものの、試合が始まるや、先制のブレーンバスターを放ちます。ダブルアーム・スープレックスでお返しした猪木ですが、大木が得意のヘッドバッドをぶちかますと、あまりのダメージにダウンしました。更に大木は10連発の猛打すると顔...A猪木対大木金太郎(1974.10.10)

  • 対 T・J・シン(1974.6.26)

    「全てが成功であった!」とは、決して申しませんが、日本人対決、異種格闘技戦、ⅠWGP…といった奇抜なアイデアで常に全日本プロレスの先手を取り、自らの体を張って、我々の心を熱くさせてくれたA猪木の闘いを、私は「やったモン勝ちプロレス」と勝手に名づけています。そんな新日マットに、あのタイガー・ジェット・シンが初登場したのは、昭和48年5月の事でした。興行開催中の川崎体育館に、突如乱入したシンは、試合中の山本小鉄をメッタ打ちにし、失神させるという暴挙に出たのです。そして、そのまま強引にシリーズに参戦し、猪木と血の抗争を繰り広げたのであります。そんなシンの行動は、来日する度にエスカレートしました。同年11月には、新宿伊勢丹へ入ろうとした猪木・倍賞美津子夫妻(*当時)と「偶然」遭遇した際、引き連れていた数人の外人レスラー...対T・J・シン(1974.6.26)

  • A猪木 対 S小林(1974.3.19)

    私のような80年代ファンにしてみたら、「巌流島の決闘」といえば、当然1987年10月4日に、当地で行われたA猪木対M斎藤そのものであります。しかし70年代の方々にしたら、昭和49年3月19日でのA猪木対S小林を思い浮かべるのではないでしょうか?国際プロレスを離脱し、エースの座も捨て、裸一貫で猪木に挑戦してきたストロング小林試合前のインタビューでは「とにかく試合を見てほしい!」とだけ、言い放ちました。一方、受けて立つ猪木も余裕の表情で、全く同じ言葉を発したのであります。北は北海道から南は沖縄まで、16000人の大観衆が集結した蔵前国技館で、いよいよNWF世界ヘビー級のタイトルマッチとして、世紀の一戦が始まったのです。試合は勢いに乗る小林がやや優勢にスタート、得意のベア・ハッグで猪木を苦しめると、更にお株を奪うグラ...A猪木対S小林(1974.3.19)

  • A猪木 対 J・パワーズ(1973.12.10)

    昭和47年3月6日に新日本プロレスを旗揚げしたA猪木が、ついにベルト獲りに乗り出しました。1年8ヶ月経った翌年12月10日、東京体育館において、J・パワーズが保持するNWF世界ヘビー級王座に挑戦したのです。60分3本勝負のこの試合、「死神」の異名を持つパワーズの試合運びに苦戦した猪木ですが、20分26秒、コブラ・ツイストで1本目を先制しました。後がないパワーズは手段を択ばず、レフェリーの目を盗んで急所攻撃を行い、そのまま得意の8の字固め(パワーズ・ロック)で5分49秒、猪木からギブアップを奪い、タイに持ち込みます。決勝ラウンドも王者優勢であり、再び8の字固めを狙おうと、スタンディングからグラウンドに持ち込もうとするもその瞬間、後頭部をセカンド・ロープに誤って激突しました。これを好機と見た猪木は卍固めをガッチリと...A猪木対J・パワーズ(1973.12.10)

  • A猪木 対 K・ゴッチ(1972.3.

    以前、フェイスブックにおけるプロレス友人との会話で、「ストロング・スタイルって何か?」という話題になりました。色々考えた挙句、「アントニオ猪木から、エースの座を受け継いだ新日トップレスラーが行うべきスタイル」と言うのが率直な私の答えになったのですが、「では、それはどんなスタイルで、誰が受け継ぐのがふさわしかったか?」と更に考えると、すぐに答えが見つかりません。そこで答えを見つけるために、1972年3月6日、大田区体育館、新日本プロレス旗揚げ戦のメインエベントで行われたA猪木対K・ゴッチのビデオを観て、改めて考えました。この時、エースA猪木の付き人を務めるのは、若干18歳の藤波辰巳です。長い歴史に於いて、この両者も色々ありましたが、藤波が「師匠の背中を見て、育った」事は否定しようのない事実と言えましょう。両者ガッ...A猪木対K・ゴッチ(1972.3.

  • A猪木 対 D・F・ジュニア(1970.8.2)

    昭和45年8月2日、福岡スポーツセンターにおいて、NWA世界ヘビー級選手権、<王者>D・F・ジュニア対<挑戦者>A猪木の一戦が行われました。猪木にとっては、前年8月の大阪大会以来2度めの世界挑戦となります。前回のドリーとの「大阪・冬の陣」では、3本勝負でありながら、60分ノー・フォール・フルタイム・ドローでした。今回の「福岡・夏の陣」も60分3本勝負、先制攻撃をかけ、まずは1本取りたい猪木でしたが、さすがは「世界」のドリー、「うまく自分のペースへと持っていき、ダブルアーム・スープレックスで、「若獅子」猪木をマットに沈め、30分38秒、1本目を先取したのです。あとがない猪木、しかし7分4秒、「白いキャンパスに美しい弧を描く人間アートブリッジ」原爆固めでイーブンに持ち込みました。3本目は得意のコブラ・ツイストで「世...A猪木対D・F・ジュニア(1970.8.2)

  • A猪木 対 C・マルコフ(1969.5.16)

    昭和44年5月16日、東京体育館に於いて、日本プロレスが主催した第11回ワールドリーグ決勝戦が行われました。この時点で決勝に残ったのは、日本勢からG馬場とA猪木、外人勢はB・ブラジルとⅭ・マルコフであります。抽選の結果、馬場対ブラジルと猪木対マルコフのカードが組まれたのですが、第1試合の馬場対ブラジルは両者リングアウトで双方共に失格となり、第2試合の「猪木対マルコフの勝者が優勝」という特別ルールが組まれました。さて、今大会ダークホース的存在だった「ロシアの妖怪」マルコフは、優勝候補のG・モンスーンの不調により決勝に進出、試合はマルコフのペースで展開したものの、ナックル・パートで形勢逆転した猪木、最後は17分45秒、卍固めでギブアップを奪い、見事ワールドリーグ大会を初優勝したのです。当時猪木ファンは「これで馬場と...A猪木対C・マルコフ(1969.5.16)

  • A猪木 対 ザ・デストロイヤー(1966.5.19)

    「80年代」ファンの私にしたら、「場外心中」と言って思いだすのは、やはり昭和61年3月26日、東京体育館での新日対UWF(5対5)に於ける上田による前田との道連れ心中であります。まあ、それはともかくとして・・・昭和46年5月19日、大阪府立体育館に於いて、日本プロレスが主催した第13回ワールドリーグ決勝戦が行われました。この時点で決勝に残ったのは、日本勢からG馬場とA猪木、外人勢はA・ブッチャーとザ・デストロイヤーであります。抽選の結果、猪木対デストロイヤーと馬場対ブッチャーのカードが組まれました。前日、K・K・コックスに勝った事で辛うじて優勝戦に残った猪木ですが、勿論ここまできたら、2年ぶり2度めの優勝を狙ってる事でしょう。しかし外人勢として初優勝を狙うデストロイヤーはロープ最上段からのニー・ドロップ、ドロッ...A猪木対ザ・デストロイヤー(1966.5.19)

  • A猪木 対 S・ハンセン(1980.9.25)

    昭和55年9月25日、広島大会での猪木によるハンセンへの伝説の逆ラリアット!当時、小6だった私が「ワープロ」を見始めたのはこの時期なんですが残念ながら、この試合は見てないんです。我が富山県は当時土曜昼に、しかも1ヶ月ほど遅れて放送されていたのですがこの日は何か特番が入ったかで、放送されなかったのです。前週の大阪大会で、猪木が半死半生の状態ながら辛うじてリングアウト勝ちを治めたのは、友達数人で観ていて「来週こそ猪木は負けるんでないか!?」と思っていたので、放送されなかったあのショックは未だによく覚えています(笑)さあ、気合い十分の両者ですが今回もに「ブレーキの壊れたダンプカー」なハンセンが終始攻めジャンピング・ニー急降下ニードロップドロップキックエルボードロップと徹底的に猪木をいたぶりそして、仕上げはラリアートと...A猪木対S・ハンセン(1980.9.25)

  • A猪木 対 W・ウィリアムス(1980.2.27)

    果たしてプロレスが強いのか?それとも極真空手が強いのか?昭和55年2月27日、蔵前国技館ついに格闘技の雌雄を決する時がきました。日本中のプロレスファン、空手家、その他の格闘技経験者のみならず日本国民が注目した「格闘技の関ヶ原決戦」A猪木対W・ウィリアムスの大一番が3分15Rで行われたのです。ちなみに大いにもめたルールですがウィリーはグロープ着用そして猪木側のハンディとして寝技は5秒以内と、特別に設けられました。余裕満々の猪木のウィリーに対しどこか自信なさげの猪木まさに好対照の両者ですが第1Rからハイキックを振り回すウィリーに対し猪木はうまいステップでこれをかわしました。続いての第2Rリングという、普段とは違った足裏感触でやりづらい(?)ウィリーは今度は接近し、猪木を追い込んで膝蹴りを連打します。これがうまく猪木...A猪木対W・ウィリアムス(1980.2.27)

  • A猪木 対 S・ハンセン(1980.4.3)

    屈辱のタイトル喪失から2ヶ月経った昭和55年4月3日、蔵前国技館に於いて<王者>S・ハンセン対<挑戦者>A猪木によるNWFヘビー級選手権試合が行われました。王者の風格も見せ、余裕なハンセンに対し後がない猪木しかし序盤からショルダー・アーム・ブリーカーストンピングと徹底した左腕攻撃をみせます。左腕にダメージを受けながらそれでも強烈なラリア―トを繰り出したハンセンエプロンでダウンする猪木を攻め立てなんとそのエプロンで危険なブレーン・バスターを仕掛けました。場外で苦痛な表情の猪木余裕なハンセンは猪木がエプロンに上がるのを待ってまたしても前回同様、ラリアットを狙いますがこれをショルダースルーでかわした猪木はそのままコーナーポストに上って場外のハンセンめがけ起死回生の脳天へフライング・ニー・アタックをかませました。そして...A猪木対S・ハンセン(1980.4.3)

  • A猪木 対 谷津嘉章(1983.11.3)

    「モスクワ・オリンピック、幻の金メダリスト」と言われた「すごいヤツ」谷津嘉章が鳴り物入りで新日本プロレスに入団したのは昭和55年暮れの事です。しかし、翌年6月24日の蔵前でのデビュー戦において猪木と組んで、ハンセン、ブッチャー組と対戦した際今なお語り継がれる歴史的惨敗を喫しそれ以後はパッとする事なく、海外武者修行を行い昭和58年秋の闘魂シリーズに凱旋帰国しかし、アマレス繋がりからか長州率いる維新軍に加入し新日本本隊に反旗を翻しました。そして最終戦となった11月3日、因縁の蔵前でA猪木とシングルマッチを行ったのであります。何となく自信なさげの谷津の表情を見てセコンドの長州もやや心配そう・・・そして猪木の鋭い眼光にビビって、後ずさりする谷津いやっ、そうではなくエプロンに出て、自らブレイクしたり四つん這いになって、犬...A猪木対谷津嘉章(1983.11.3)

  • A猪木 対 B・J・スタッド(1983.5.13)

    小6の冬から「ワールドプロレスリング」を観始めた私ここ富山県は約1ヶ月遅れの放送で当時、月刊誌であったプロレス誌の情報よりも遅かったため試合内容・結果を把握してから、テレビを観るのが通常でありました。しかし中3時の修学旅行先でついに私は初めて、「ワープロ」を生中継で観る事が出来たのです。プロレスが好きな同室の仲間が集まって初めて観たリアルタイムの新日の試合その興行は1983年5月13日、大宮スケートセンターセミの前田対アンドレが終わり大変な盛り上がりで、いよいよメインエベントを迎えました。ついにアントニオ猪木が登場IWGP決勝リーグ戦ということで相手は<アメリカ代表>のB・J・スタッドであります。古館アナが「ニューヨークの摩天楼」と命名したスタッドは赤縁の黒マスクを被り、全くの無表情一方、先週アンドレに反則負け...A猪木対B・J・スタッド(1983.5.13)

  • A猪木 対 S・マギー(1982.6.18)

    昭和57年6月18日、蔵前大会メイン・エベントのA猪木対S・マギーはテレビ生中継の放送終了10秒前に開始となりました。同年4月21日のベンチュラ戦以来約2ヶ月ぶりの戦線復帰となった猪木は開始早々、いきなりバックドロップを食らいます。しかし、サイド・スープレックスで切り返し狙いを定めて延髄斬り一閃とどめはお返しのバックドロップで97秒の完勝おそらく猪木の大会場におけるシングル最短試合だと思います。しかし、このS・マギー2年後には第一次UWFに参戦本当はデキる男だったんですね。A猪木対S・マギー(1982.6.18)

  • A猪木 対 E・カネック(1982.7.6)

    A猪木が「世界統一」のために提唱したⅠWGP構想その開催が具体化してきた昭和57年7月6日大阪府立体育館では、A猪木対E・カネックという注目すべき一戦が行われました。メインに登場したのは、ⅠWGP中南米代表として既にエントリーされているエル・カネック地元メキシコでは、あのM・マスカラスのライバルして英雄視されているという事です。一方、我らがアントニオ猪木しかしこの年は下肢疾患の体調不良によりシリーズ出場と欠場を繰り返しており顔色も今1つといった感があります。シリーズ参戦して猪木の状態をインプットしたのでしょう。まずは開始早々カネックが攻め込みました。更に猪木をコーナーに押し込みパンチ攻撃の連打そしてロープに飛ばすやカウンターのランニング・ネック・ブリーカーとどめは変形のアルゼンチン・バック・ブリーカ-で追い込み...A猪木対E・カネック(1982.7.6)

  • A猪木 対 A・アドニス(1982.12.9)

    昭和57年に於ける最後の「ワールドプロレスリング」放送は12月9日、大阪府立体育会館からの中継でメイン・カードはA猪木対A・アドニスでした。当年は下肢疾患(糖尿病)が悪化し半年近く欠場した猪木せめて有終の美を飾りたいトコでしょう。今回が2度目の来日となった暴走狼に対しいきなりの「ナックル・パートを一閃勢い余ったアドニスは後方に1回転してトップとセカンド・ロープの間に両腕を挟まれ、身動きが取れなくなりました。(*ちなみにこの体制が、以後のアドニスの「お約束?」になります・笑)しかしうまく場外に脱出したアドニスはまず鉄柱を利用して猪木の股間を攻め更に得意のマンハッタン・ドロップで追い打ちをかけました。そしてとどめはトップ・ロープからのフライング・エルボー・ドロップを狙いますが寸前でかわした猪木は延髄斬りからのバック...A猪木対A・アドニス(1982.12.9)

  • A猪木 対 B・ダンカン(1980.12.26)

    今回紹介する試合は私が小6の時に初めて買ったプロレス雑誌(確か月刊プロレス81年1月号)に掲載されていましたので非常に記憶に残っている試合です。それは1980年12月26日、MSGで行われたA猪木対B・ダンカンのNWFヘビー級選手権試合でした。リングサイドではこの日、デビューしたばかりの「すごい奴」谷津嘉明が「師匠の背中」をじっと見つめています。その奴の視線に刺激されたのか猪木はいきなりヘッドバッドナックルパートショルダー・アーム・ブリーカーと大ハッスルしかしダンカンも急所攻撃からバックブリーカーで反撃しますが猪木は華麗なドロップキックで再び逆転最後はアリキック、延髄からのギロチンドロップで完勝に終わり、敵地防衛を果たしたのです。ハンセンと風貌が似ているばかりか大学の先輩であったダンカンですが翌年の新日リングで...A猪木対B・ダンカン(1980.12.26)

  • A猪木 対 P・オンドーフ(1980.10.30)

    まだ見ぬ強豪として、来日前から注目されていた「鋼鉄男」P・オンド―フが初登場したのは昭和55年秋の闘魂シリーズの事でした。終盤に差し掛かった10月30日、日の国・熊本大会に於いてA猪木と一騎討ちを行ったのであります。リング内に入った猪木めがけて花束を投げつけるオンド―フこの暴挙に猪木が睨み返しました。しかし開始早々、持ち前のパワーで猪木を捕え、ベアハッグで締めつけます。5分過ぎには、ネックブリーカー気味のラリアット更にはパイル・ドライバーを畳み掛け早い勝負を仕掛けますが逆に延髄斬りを食らい卍固めの餌食となり7分34秒で、ギブアップ個人的な事を申しますと・・・この前シリーズから何となく「ワープロ」を観始めていた当時小6の私にしたらこれがTVで初めて観た猪木の卍固めでした。それはともかく・・・この前週の沖縄大会でシ...A猪木対P・オンドーフ(1980.10.30)

  • A猪木 対 B・アレン(1981.8.2)

    1980年代前半は、毎シリーズ新日に参戦していたぐらいのイメージがあるB・アレンその存在はまさに名脇役そのものでしたが昭和56年8月2日、後楽園大会ではA猪木との一騎打ちが組まれました。当シリーズより、A・ブッチャーと「黒人最強コンビ」を結成したアレンは気合十分です。まずは、袈裟固めで抑えながらの目つぶし攻撃場外に下りて、チョーク攻撃リング中央でのストマック・クローで猪木を巧妙に苦しめ続いてパイル・ドライバーとアバランシュ・ホールドと大技の波状攻撃とどめとして、ダイビング・ヘッド・バッドを狙うも寸前で猪木にかわされました。結局、延髄斬りをまともにくらった後「卍固め」に無念のギブアップしかしながら、13分以上の大健闘で「最終戦のM・スーパースターよりも猪木を苦しめたのではないか」というのが、私の感想です。「いつか...A猪木対B・アレン(1981.8.2)

  • A猪木 対 О・ベイカー(1980.11.28)

    1980年暮れに、新日が開催した第1回MSGタッグ・リーグ戦開幕戦のテレビ放送は、メインの6人タッグが尻切れトンボに終わりモヤッとした状態で2週目を迎えたのですが11月28日、宮城県スポーツセンターからの中継も藤波組対シン組、ハンセン組対アンドレ組の公式戦が10分以上行われ残る放送時間も残り5分というトコでメインのA猪木対O・ベイカーの一戦が行われたのです。対戦相手を2人死に至らしめたりR木村の足を折ったり、という武勇伝(?)を持ちスキンヘッド、極太眉、デカ髭、全身体毛とまさに「昭和の怪奇レスラー」そのもので子供を震え上がらせたベイカーしかしながらこのシリーズはハンセン、アンドレ、シン、ホーガンと言った豪華外人レスラーが揃っていたためまさに「ロートル」感が強くこの試合も3分で猪木に敗れました。試合後には、ハンセ...A猪木対О・ベイカー(1980.11.28)

  • A猪木 対 S・ハンセン(1980.2.8)

    昭和55年2月8日、東京体育館A猪木とS・ハンセンによるNWFヘビー級選手権が行われました。これが3度目の挑戦となるハンセンは10分過ぎに猪木の卍固めでがっちり固められるも何度かパワーで跳ね返します。そして、完璧なウエスタン・ラリアートをぶちかましました。しかしバック・ドロップで繰り返した猪木は得意の急降下膝爆弾を仕掛けようとしますがいち早く察知したハンセンが立ち上がり猪木のボディにパンチを浴びせ場外に転落させます。辛うじてエプロンに上がった猪木に対しハンセンは助走を付けて、この2発目のラリアットをこれまた完璧に炸裂させました。リング下のマットに横たわったまま猪木は起き上がることができずハンセンがリングアウト勝利この3年4ヶ月後のホーガンとほぼ同じような手法で念願のNWF新王者に輝いたのでした。当時、私はプロレ...A猪木対S・ハンセン(1980.2.8)

  • A猪木 対 越中詩郎(1989.4.13)

    初の東京ドーム進出を11日後に控えた平成元年4月13日、上越大会に於いてA猪木対越中詩郎の一戦が行われました。東京ドームのメインで猪木はソ連(当時の)柔道元金メダリストS・チョチョシビリと異種格闘技戦を行う事が決定している猪木実況の辻アナも申してたように「越中がはいてる白袴」から仮想チョチョシビリに見立ててる訳でもないんでしょうけどともかく勝って、いい形でドームにつなげたいところでしょう。何と猪木自身が試合前に奇襲攻撃をかけますがすぐに越中が切り返し場外からエルボー攻撃そして強烈なバック・ドロップを仕掛けヘッド・シザースで締め付けます。しかしコーナーからカウンターのナックル・パートで反撃した猪木はミサイルキックをぶちかまし越中の決死のヒップアタックを受け止めバック・ドロップをお返しそのまま3カウントで完勝したの...A猪木対越中詩郎(1989.4.13)

  • A猪木 対 前田明(1983.5.27)

    たった1度だけ行われた猪木と前田のシングルマッチは昭和58年5月27日、高松市民文化センターにおいて第1回IWGP決勝リーグ公式戦で実現しました。この時、遠征中に欧州ヘビー級王座を獲得した前田はヨーロッパ代表として、IWGP世界大会に出場一方、猪木は体調不良ながらもアジア予選を全勝で突破し、堂々の1位通過両者の闘いは5分過ぎにまずヒートアップ前田が張り手合戦を挑めば「小癪な」とばかり猪木は前田をコーナーに追い詰めナックルパートを食わらします。猪木がバックドロップを放てば前田はスロイダーでお返し前田が三角締めで猪木を苦しめると猪木は卍固めで前田を捕らえました。しかし、ギブアップしないと見るや技を解き、試合続行をアピールします。いやっ、これも今思うと前田のためというよりは、猪木が観客や視聴者に対し己を誇示するための...A猪木対前田明(1983.5.27)

  • A猪木 対 B・ベイダー(1988.7.29)

    昭和63年サマー・ファイト・シリーズIWGP王者・藤波辰巳への挑戦権を賭けてA猪木、長州力、M斎藤、木村健吾、B・ベイダーによるリーグ戦が開催され7月29日、有明コロシアムでは公式戦最終試合として、猪木対ベイダーの一戦が行われました。足親指の骨折により、3か月欠場後に復帰した猪木はこの段階で2勝1敗ベイダーに完全に勝たなければ挑戦権を得られない状態であります。序盤からベイダーのパワーに圧倒され大技の波状攻撃を浴びますが場外戦では、ベイダーの凶器攻撃をうまくかわし逆に凶器を取り上げて、ベイダーの左腕を切り裂きました。リングに戻ってからは、アンドレを仕留めた腕固めで見事なギブアップ勝利2週間後に控える藤波への挑戦権を獲得したのであります。そして、控室に戻った猪木は、藤波に対し逆・下克上を宣言し、握手を交わしたのでし...A猪木対B・ベイダー(1988.7.29)

  • A猪木 対 木村健悟(1988.7.29)

    昭和63年7月29日、青森に於いて王者・藤波辰巳に対するⅠWGP挑戦者決定リーグ戦としてA猪木対木村健悟の一戦が行われました。当年4月より約3ヶ月、戦線を離脱し復帰して間もない猪木1週間前も長州に完敗しておりどうしてもこの一戦を落とす訳にはいきません。一方、すでにリーグ戦3連敗し戦線脱落した健悟(*白△はリングアウト勝ち)せめてこの猪木を倒し一矢報いたいところでしょう。張り切る健悟は何と猪木のお株を奪うかの如くスリーパーやアキレス腱固めで、猪木を苦しめバックドロップから得意の稲妻レッグラリアートで勝負を賭けます。大ピンチの猪木でしたがカウンターのナックルパートで形勢逆転最後は延髄斬りから卍固めで見事に勝利を掴んだのでありました。このリーグ戦のテーマは「猪木がいかにこのリーグ戦を制し、弟子の藤波に逆挑戦するか!」...A猪木対木村健悟(1988.7.29)

  • 坂口征二、前田明 対 B・J・スタッド、E・ベラ(1983.5.6)

    1983年5月6日、福岡スポーツセンターに於いて華々しく開幕された第1回ⅠWGP決勝リーグ戦TVオープニング・マッチとして行われたのは坂口征二、前田明対B・J・スタッド、E・ベラの一戦でした。アメリカ代表のスタッドとメキシコ代表のベラはおそらくこれが初のタッグ結成でありましょう。慣れぬコンビ―ネーションを狙い前田が同士討ちを誘いました。外人側の2人はもしかしたら、会話すら通じてないかもしれません。更にそのスキを狙った前田はベラの背後からドロッピキックを食らわしロープに飛ばしてカウンターのフライング・ニール・キックを浴びせました。そして起き上ったベラを素早く抱えるやそのまま反り投げて完璧なまでのスパークリング・スープレックス凱旋帰国のオンド―フ戦に続き見事に勝利を治めたのであります。残念ながら、我が富山県は放送が...坂口征二、前田明対B・J・スタッド、E・ベラ(1983.5.6)

  • 肩甲骨剥がし

    「羽をはえさせる」ための肩甲骨剥がし手技療法五十肩にも、肩こりにも、頭痛にも有効な方法です。当院は横向きだけでなく、仰向け、うつ伏せでも行います。肩甲骨剥がし

  • 前田明 対 P・オンドーフ(1983.4.21)

    1983年4月21日、蔵前国技館「欧州ヘビー級王者」としてヨーロッパ遠征から華々しく帰国した前田明の凱旋試合が3分36秒で終わった事は今でもハッキリ覚えています。前田の対戦相手である「鋼鉄男」P・オンド―フは前週(4月15日)の福山大会で長州力とは、両者リングアウトで引き分けたのですがその後、帰国の挨拶をしていた前田の前に立ちはだかり早くも睨み合いを展開していました。若干24歳の前田は非常に落ち着いた表情腰には、欧州ヘビー級王者のベルトがしっかりと巻かれております。前田のセコンドに、師匠カールゴッチがじっと見守る中、開始のゴングが告げられました。開始早々は、持ち前のパワーで前田を圧倒するオンド―フしかし前田は肩車でオンド―フを綺麗に投げ、切り返します。こうして試合のペースを握った前田はゴッチから教わったであろう...前田明対P・オンドーフ(1983.4.21)

  • A猪木 対 K・パテラ(1980.9.30)

    昭和55年9月30日、日本武道館に於いてNWFヘビー級王者、A猪木に挑戦したのはミュンヘン・オリンピック重量挙げ銅メダリストのK・パテラでした。新日初登場でいきなり武道館のメイン登場の「五輪の怪力」いきなりデッドリードライブ連発で息のをマットに叩きつけるやベアハッグ、フルネルソンで猪木を締め上げます。圧倒的な力の違いに大ピンチの猪木でしたがカンガルーキックで脱出しさらにショルダースルーでパテラを場外に投げ落としました。そしてエプロンに上がったところに延髄斬りを食らわせギロチンドロップ、ニードロップと畳みかけ最後は卍固めでギブアップ勝利見事に完全防衛を果たしたのです。以後もパテラは何度か新日に来日するもこの試合以上の力を発揮することができず…むしろその後に有名になったのはM斎藤をも巻き込んだアメリカでの警官暴行事...A猪木対K・パテラ(1980.9.30)

  • 前田日明 対 M斎藤(1987.5.18)

    昭和62年5~6月にかけて、新日プロで開催された「87ⅠWGPチャンピオンシリーズ」形式はA、Bリーグに分かれ予選を戦うのですが5月18日、千葉公園体育館ではBリーグでの事実上の決勝戦でもある前田日明対M斎藤の一戦が行われました。まずは斉藤が入場しその後に、「キャプチュード」のテーマに載って前田が現れます。大一番を前に、非常に厳しい表情です。前田がリングに入ろうとした瞬間全日から長州力と共にUターン参加してきたS・S・マシンが近づいてきました。新日には、1年9ヶ月ぶりの登場であり今回は斉藤のセコンドという立場ながら手を差し出し、握手を要求するも前田はこれを拒否この態度に腹が立ったマシンは何と、前田を襲ったのです。せっかく今から、楽しみな一戦が行われるというのにマシンは鉄柱攻撃で前田を大流血に追い込んだのでありま...前田日明対M斎藤(1987.5.18)

  • 前田日明 対 D・ニールセン(1986.10.9)

    昭和61年10月9日、両国で行われた「A猪木闘魂ライブPART1」において猪木はボクサーのL・スピンクスと異種格闘技戦を行いました。しかしこの興行でファンの心を掴んだのは主役の猪木ではなくセミに登場した前田日明でした。前田はキックボクサーのD・ニールセンと対戦試合前の刺殺戦においても、ニールセンをビビらせます。もうこの時点で勝負あったかと思いきや1Rからいきなり顔面に、左ストレートをまともに食らいました。倒れはしなかったものの、本人曰く「完全に意識が飛んでしまった」という事で、以後は前田が持つ格闘本能だけで闘っていた事になります。寝技では勿論、前田が圧倒し何度も何度もニールセンを捕まえますが肝心なところで足の長いニールセンにロープに逃げられ今一歩のところで、極めることができません。そして前田にも疲れが見え始め、...前田日明対D・ニールセン(1986.10.9)

  • 背中から腰にかけての手技療法

    当院オリジナルの肘圧法です(^^)この手法で研修時代、プロレスラーや力士の施術をしてきました。この手法は背中から腰にかけて背骨の両方に存在する脊柱起立筋をほぐすのに最適だと思います。一般の患者様に対しては、最初に問診をして、希望者のみに行っております。力加減は十分気を付けてますので、どうかご安心ください!(^^)!背中から腰にかけての手技療法

  • A猪木 対 R木村、A浜口、寺西勇(1982.11.4)

    A猪木とR木村の初対決から1年1ヶ月経った昭和57年11月4日、蔵前国技館に於いてA猪木対R木村、A浜口、寺西勇という信じられない変則タッグマッチが行われることになりました。猪木は3人全員から何らかの形で勝たなけれなならず一方の国際軍は誰か1人でも猪木から勝利をもぎ取ればいいのですがそれはそれで屈辱でもあり更に当然のことながら、負けるわけにはいきません。まず猪木と木村でスタートしたこの試合猪木が首4の字で攻めれば木村がヘッドシザースで仕返すという予想を覆してのグラウンドの展開で始まりそして10分過ぎに、猪木の足4の字がガッチリ決まりました。サブレフェリー2人の制止をかいくぐってリング内に乱入する寺西、浜口に対し体を張って阻止した山本小鉄レフェリーの大活躍に超満員1万以上の観客席から歓声と拍手喝采であります。(*...A猪木対R木村、A浜口、寺西勇(1982.11.4)

  • A猪木 対 スティング(1995.1.4)

    平成7年1月4日、東京ドームにおけるBVD杯格闘技トーナメント決勝戦はA猪木対スティングという猪木にしたら、「らしくない(?)」相手と闘うことになりました。(*ただし、実況の辻アナは「やっぱりプロレスが強かった!」と無理矢理言ってましたが…)しかし、我々ドームにいた観衆が驚いたのは猪木の入場「イノキ・ボンバイエ」とともに再び姿を現した猪木ですがガウンを羽織ってなく、しかも先ほどゴルドーに蹴られた足を引きずりながら満身創痍の状態で入場しかも途中でガクッと膝をつき、歩けなくなってしまいました。私を含む5万人全てが、悲痛な猪木コールを絶叫すると、猪木は何とか立ち上がって、一歩一歩ゆっくりゆっくり歩きどうにかリングインしたのです。対戦相手のスティングは、本当にやりにくかったことでしょう。それでも足4の字固めSTF逆片エ...A猪木対スティング(1995.1.4)

  • 全身ハリ療法

    当院では全身ハリ治療を行い、自律神経のバランスを調整します。ハリ治療は身体の免疫機能を向上させ、感染症にかかりにくい体作りに役立つと言われています。もし興味のある方は当院にお電話かメールで連絡下さい。電話0766-72-4111メールtakasaki@p1.cnh.ne.jpです。全身ハリ療法

  • A猪木 対 G・ゴルドー(1995.1.4)

    平成7年1月4日、東京ドームにおいて開催された4選手によるBVD杯格闘技トーナメント1回戦では、なんとA猪木対Gゴルドーという(80年代であれば)生唾ごっくんモンのカードが組まれました。「オランダの喧嘩屋」ともいわれ上半身には、タトーというより、ヤ〇ザ風の紋々を入れ全く冷めた目で無表情のゴルドー時に、リング上でキレると何をしでかすか分からないとも言われており果たして、52歳の「燃える闘魂」は大丈夫なのでしょうか?開始のゴングが鳴るやゴルドーが妖気的オーラを発し猪木はロープ際まで後ずさりその時、ゴルドーのローキックが炸裂もはや木の枝と化した猪木の下肢は今にも折れんばかりです。ゲスト解説の北斗晶もとても心配そうな表情今度は猪木をコーナーに追い詰め正拳突きの連打もはや絶体絶命の猪木でしたが一瞬のスキをついてゴルドーの...A猪木対G・ゴルドー(1995.1.4)

  • A猪木、坂口征二 対 橋本真也、蝶野正洋(1990.2.10)

    平成2年2月10日、東京ドームのメインで行われたA猪木、坂口征二対橋本真也、蝶野正洋の一戦この試合、何十回観ても本当に面白い試合です。どうしても、試合前のインタビューばかりが語られてますが誰も試合内容に対して、全く語られていないのが不思議くらいすごい試合だと、私は思います。特にすごかったのは、坂口と橋本の攻防ちなみに橋本は、「坂口の付き人が努めらなかった」と言われています。そんな橋本に対しいきなり見せた坂口の一瞬の体落としは20年以上前と言えど、まさに柔道日本一の片鱗でした。しかし、橋本も柔道出身の意地を見せ強引な払い腰でお返しここからお互いの攻めが強烈と化しました。坂口の逆水平チョップはモロ喉に入ってますしお得意のジャンピング・ニー・アタックは橋本の顎を砕きかねないほどの勢いでした。しかし、橋本は橋本で130...A猪木、坂口征二対橋本真也、蝶野正洋(1990.2.10)

  • 金村ゆきひろ、中牧昭二 対 外道、邪道(1993.10.31)

    平成5年10月31日のWING・小田原興行(野外リング)に於いて金村ゆきひろ、中牧昭二対外道、邪道による「スクランブル・ファイヤー・デスマッチ」が行われました。設置されたリング四方には沢山の松明が立てられおり4者は「火闘」を展開したのであります。5分過ぎ、外道と中牧がもつれ合って場外に飛び出すやセコンドの非道がリング中央で点火したところに邪道が金村を抱えると、何とパワーボムでその炎へ落としました。まさに「火ダルマ」大ダメージを負った金村は全身熱傷となりこれを見たレフエリーは、すぐに試合を止め6分46秒、邪道、外道組のTKO勝ちとなったのです。金村はそのまま救急車へ運ばれ緊急入院し、復帰まで3ヶ月半を要しました。勝った邪道、外道組は試合後も、大口を叩き最後まで「プロレスラーを貫き」ましたが内心は複雑だったことでし...金村ゆきひろ、中牧昭二対外道、邪道(1993.10.31)

  • A猪木 対 B・ベイダー(1995.1.4)

    平成7年1月4日、東京ドーム「イノキ・ファイナル・カウントダウン5」の相手として3年ぶりにビックバン・ベイダーが帰ってきました。そして、大きな竪琴の音色がドーム内に流れた後「闘魂燃え尽きるまで、アントニオ猪木入場!」というリングアナの紹介と共にA猪木が姿を現したのです。その猪木をベイダーが敬意を示しロープを広げて、リング内に招き入れました。しかし、試合が始まるや、ベイダーは非情でした。「ガンバッテ!ガンバッテ!」と言いながらパンチ攻撃で猪木を顔面をボコボコにしバックから猪木をつかむやそのまま投げっぱなしジャーマンで猪木を後方に吹っ飛ばしたのです。ものすごい衝撃で後頭部をマットに直撃し更にそのまま反動で一回転した猪木すでに反失神状態なことでしょう。そして、後ろ向きでコーナー最上段にのぼったベイダー何となんとそのま...A猪木対B・ベイダー(1995.1.4)

  • 1分時間差バトルロイヤル・ニュージャパンランボー(2015.1.4)

    平成27年1月4日、新日・東京ドーム大会のオープニング・マッチとして行われたのは15選手による1分時間差バトルロイヤルでした。残る選手が2人となった時場内に「ワルキューレの騎行」の曲が鳴り響きます。どよめきと大歓声の中、65歳(当時)の藤原組長が登場しました。リングインするや否やTAKAみちのくを捕まえるといきなりの一本足ヘッドバッドであります。TAKAの顔の歪みが昔と何ら変わらない破壊力を物語っていました。そしてしんがりは、「東洋の神秘」66歳(当時)のザ・グレート・カブキ大歓声の中、素晴らしいヌンチャクさばきを披露そして、緑の毒霧を噴射します。レジェントコンビは、TAKAに照準を定めたようでリングに入るや、赤の毒霧を発射これによって、あっさり反則負けになりました。それでも、してやったりのカブキの表情です。そ...1分時間差バトルロイヤル・ニュージャパンランボー(2015.1.4)

  • 長州力 対 天龍源一郎(1993.1.4)

    平成5年1月4日東京ドームにおいて長州力対天龍源一郎の約7年半ぶりのシングルマッチが実現しました。厳しい表情で向かい合う両者新日本プロレスの長州力WARの天龍源一郎7年前とは、状況が全く違います。試合が始めるや、突っ走ったのは長州コーナーに追い付けて強烈なヘッドバッドやストンピングを連発しそして串刺しラリアットバックドロップで叩き潰すやとどめのラリアット長州の勝利かと思われましたがWARの看板を背負う天龍は延髄斬りで逆転し最後は渾身のパワーボムで見事にカウント3長州からタッグも含め初めてフォールを奪ったのであります。この状況を見届けて、リングに上がったのは解説席にいた猪木以前、天龍から対戦要望書を受け取った時「今度のドームで勝った方に、俺が挑戦してやる」と言ってたのであります。そしてマイクをつかむや「おめでとう...長州力対天龍源一郎(1993.1.4)

  • 橋本真也、平田淳嗣 対 安生洋二、高山善廣

    平成8年2月25日、両国国技館で行われたIWGPタッグ選手権試合<王者>橋本真也、平田淳嗣対<挑戦者>安生洋二、高山善廣で行われる予定でしたが何と、挑戦者チームとして登場したのはS・マシン軍?待てよ確かS・マシン1号の正体は確か王者チームの平田のハズ・・・そうです。これは安生と高山が単にマシンのマスクを被ってきただけでありしかも安生の額にはあの200%のペイントが施されていたのです。あっけにとられる王者チームいやっ、挑発された平田は怒り心頭でしょうか試合自体は白熱したものになりました。安生のハイキック平田のサソリ固め高山のジャンピング・ニー・パット平田のマウント・パンチ安生の逆片エビ固め安生のエルボー・バッド橋本の袈裟切りチョップ平田のラリアット安生の変形4の字固めそして、最後は橋本がDDTからの三角締めで12...橋本真也、平田淳嗣対安生洋二、高山善廣

  • A猪木、タイガーキング 対 佐々木健介、藤田和之(1997.7.6)

    振り返ると、猪木が引退する9カ月前猪木ファイナルカウントダウンも全て終了してしまった平成9年7月6日、真駒内アイスアリーナにおいてA猪木、タイガーキング対佐々木健介、藤田和之の一戦が行われました。百獣王と虎王は2度目のタッグ結成そして、健介と藤田はこの伝説の2人と初めての対戦となります。まずは注目の猪木対健介猪木が健介に浴びせ蹴りで洗礼すれば健介は逆一本背負いでお返し代わったタイガーが健介にローリング・ソバットを見舞えば健介はデッドリー・ドライブでお返しこうして、物おじすることない攻防を見せた健介は藤田とチェンジこの時点では、プロレスラーのキャリアが1年に満たない藤田はまず闘魂ビンタの伝承を受けました。タイガーからは側頭部へのハイキックを食らいツームストン・パイルドライバ、ダイビング・ヘッド・バッドを食らい再び...A猪木、タイガーキング対佐々木健介、藤田和之(1997.7.6)

  • 棚橋弘至、真壁刀義 対 後藤洋央紀、柴田勝頼(2014.5.)

    21世紀に入って、思うことがありずっとプロレス村から離れていた私しかし、FBフレンドの勧めもあり2014年の6月、意を決して(笑)「ワープロ」を観てみることにしました。そういう訳で、私の復帰第1戦(?)は棚橋弘至、真壁刀義対後藤洋央紀、柴田勝頼の試合であります。この時は「IWGPタッグ王座ナンバーワン・コンデンター・マッチ」という意味も分からず…さあ試合で、まず注目したのは棚橋と真壁のコンビと言っても、その時は棚橋の繰り出す得意技は技自体も名前も全くチンプンカンプン分かったのは、ドラゴンスクリューとかドラゴンスリーパーとかで「あっ、藤波辰巳の進化系か」と思いました。一方の真壁もフィニッシュとなったニー・ドロップを見て「この選手はK・カーンの進化系にしよう」とか(笑)そういう訳で、この試合は私にしたら昭和49年に...棚橋弘至、真壁刀義対後藤洋央紀、柴田勝頼(2014.5.)

  • A猪木、北尾光司 対 長州力、天龍源一郎(1995.5.3)

    2日間で38万人を動員した奇跡の北朝鮮興行から4日経った平成7年5月3日、福岡ドームにおいてA猪木、北尾光司対長州力、天龍源一郎というこれまた信じられない一戦が行われました。しかも入場時、猪木は何とタキシードを着て登場マイクをつかむや「平壌にガウンを忘れてきました。しかしちゃんとタイツとシューズを履いております。」と言って、臨戦態勢となります。しかし隣にいるのが、アノ北尾とは本当に信じられません。しかも対面している最も因縁の長州、そして天龍SWS時代、プロレス会場では絶対言ってはいけない「八〇〇野郎」を発しクビになった北尾それでも天龍とは結果的に和解し、前年にWARのリングに上がったものの新日時代に、「朝〇人野郎」と発した長州とはおそらくわだかまりが残ったままだと思います。試合が始まるや、長州は北尾を厳しい表情...A猪木、北尾光司対長州力、天龍源一郎(1995.5.3)

  • 長州力 対 B・ベイダー(1990.8.19)

    平成2年8月19日、両国国技館IWGPヘビー級選手権試合<王者>B・ベイダー対<挑戦者>長州力昨年夏、同地でベルトを奪われた長州が1年越しに奪取に向け、挑戦を致しました。早々と至近距離のラリアットを食らうも「今日は絶対勝つ!」と、気合十分の長州は猪木譲り(?)の延髄斬りで主導権を握ろうとします。しかし、ビックバン・クラッシュ、ベイダー・キラー・プレスと殺人技を立て続けに食らい更にコーナーでパンチ攻撃を連打され、大ピンチとなりました。それでも雪崩式ブレーン・バスターで流れを変えサソリ固めでベイダーの巨体を締め上げるやハンセン戦で傷が癒えない眼へのパンチ攻撃を浴びせ最後はラリアットの連発で、見事にベイダーから初のフォール勝ちを奪い、タイトルを奪還したのであります。1万以上の大観衆の拍手喝采に両手を挙げて答える長州何...長州力対B・ベイダー(1990.8.19)

  • B・ベイダー、C・B・ビガロ 対 R・スタイナー、S・スタイナー(1992.6.26)

    平成4年6月26日、日本武道館においてIWGPタッグ選手権として<王者組>B・ベイダー、C・B・ビガロ対<挑戦者組>R・スタイナー、S・スタイナーという、注目の外人タッグ対決が実現しました。挑戦者組はWWCの世界タッグ王者でありまさに日米…いや、世界一タッグ王決定戦ともいえます(*全日ファンの人は認めないかもしれませんが…)体格差で不利なスタイナーですがまずはリックがベイダーを投げっぱなしジャーマンで叩きつけ観客を驚かせました。恥をかかされたベイダーは怒りのパワーボムからラリアット、ベイダー・キラー・プレスで三倍返し代わったビガロも前宙してのボディ・プレスを決め更にとどめとばかりデッドリー・ドライブを狙います。…が、なんと振り上げた際にリックの足が服部レフェリーにまともに直撃し、そのまま失神ビガロがフォールカバ...B・ベイダー、C・B・ビガロ対R・スタイナー、S・スタイナー(1992.6.26)

  • 長州力 対 後藤達俊(1990.1.18)

    平成2年1月18日、徳山市体育館において長州力対後藤達俊の一戦が行われました。前年暮れより、H斎藤、保永と共に髪を茶色に染めて、「ブロンド・アウトローズ」を結成し新日リングを荒らしている後藤今年は金髪に変え、気合が入っております。一方の長州昨年末はワールド・カップ争奪シリーズで見事優勝したものの今年は念頭から調子が今イチでブロンド軍団にかき回されておりました。地元徳山で張り切る長州ですがやはり今回もブロンド勢の悪の連携につかまり後藤にやりたい放題やられます。そして、ブロンド入りが噂されるマシンが乱入結局、試合はノーコンテストに終わりました。ほとんど何もできなかった長州はリングで大の字この時、突如プロレスファンにとって見覚えのある一人の男が疾風のごとくリングに登場します。その男とは、2年半前に引退しこの時はボディ...長州力対後藤達俊(1990.1.18)

  • G馬場、J鶴田 対 G・ゴディ、S・ウィリアムス(1990。5.14)

    平成2年5月14日、東京体育館同所でこけら落とし興行となったメインエベントはG馬場、J鶴田対T・ゴディ、S・ウィリアムスの一戦でありました。2カ月前に天龍、ハンセンから世界タッグ王者を強奪した殺人魚雷コンビ一方、BT砲の大会場でのコンビ結成は7年ぶりぐらいでありましょう。観客席には負傷欠場している新日の藤波辰爾が観戦しております。それを知ってか知らずか試合の方は、久々のメイン登場の馬場が張り切りゴディに脳天チョップウィリアムスにネックブリーカーを仕掛けペースを握りました。しかし、ゴディが馬場をコーナーに放り投げラリアットを狙いますが何とその前に馬場がコーナーで崩れ落ちたのです。直接コーナーにぶつけられた後頭部への衝撃か或いは頸椎か胸椎かともかくこの攻撃が致命的となって馬場はフォール負けを喫しました。心配そうに近...G馬場、J鶴田対G・ゴディ、S・ウィリアムス(1990。5.14)

  • 鈴木みのるにとって、人生の転機となった格闘技戦

    総合格闘技団体・DEEP2001の旗揚げ1周年記念興行が2002年3月30日(土)、愛知県体育館に於いて開催されました。格闘技のリングなのに、何とメキシコのルチャドールが参戦仲でも、特に注目されたのは第9試合に90kg以下契約、5分3Rとして行われた鈴木みのる(日本/パンクラスism)対E・ソラール(メキシコ/CMLL)の一戦です。ソラールと言えば、(*まあ今は「コロナ」という意味なので、それはそれでタイムリーなのですが)我々昭和ファンにしたら当時から20年前に於ける「9.23田コロ決戦」でタイガーマスクと闘い、アクシデントとはいえ左肩を負傷し(*脱臼ともいわれています)戦意喪失による試合放棄(*公式上はレフェリーストップ負け)をしたという弱々しい汚名を持つルチャ選手なのであります。そんな選手がさらに40歳以上...鈴木みのるにとって、人生の転機となった格闘技戦

  • 極真世界大会でプロレスを演じた熊殺し

    昭和54年11月25日、日本武道館第2回極真空手世界大会準決勝に於いて三瓶啓二(日本)対W・ウィリアムス(アメリカ)の一戦が行われました。「世界に伸びる極真会館空手」という垂れ幕の下添野義二主審が試合開始を宣告します。これまで蹴りのみで1本勝ちを続けてきたウイリーは体格差で圧倒的に勝り、完全優位でありますがしかし何と三瓶の道着を掴み膝蹴りの連打を浴びせさらに場外に押し出し、足払いで倒すという突然の暴挙に出たのです。慌てた審判団がウィリーを止めさらに本部席の大山倍達館長や梶原一騎氏らと協議を始め「ウィリーには減点1」ということでとりあえず試合を再開しました。今度は、三瓶を食ったかのように両手を下げノーガードで、やる気のない態度を見せたかと思えばまたもや膝蹴りを連発しそして三瓶を投げ倒したのです。「もう、どうしよう...極真世界大会でプロレスを演じた熊殺し

  • 力道山に挑戦した死神酋長の正体は?

    週刊少年マガジンに連載されていたプロレス漫画「チャンピオン太」力道山を主人公として実写ドラマ化され昭和37年11月7日に、記念すべき第1話「死神酋長」の巻が放送されました。怪力世界一を自負する死神酋長なる男が力道山に挑戦記者会見の場でも暴れまくります。昭和37年10月1日、超満員に膨れ上がった渋谷リキ・スポーツパレスにおいて力道山対死神酋長の一騎打ちが実現しました(*実際に撮影が行われた日は昭和37年8月18日)さあ試合開始です。まず手四つの体制の両者死神が力道山をコーナーに追い込み弓を引く右ストレートを魅せます。すると力道山は胴タックルに入ろうとしますが死神がフロントネックロックに捕え、防御しました。単なるパワーだけの持ち主かと思いきやかなりの実力者と思われます。そして噛みつき攻撃と、反則技もお手のもの場内の...力道山に挑戦した死神酋長の正体は?

  • ヤモリ君騒動

    施術終了間際に包帯を洗濯に行った男性スタッフが悲鳴をあげたので何事かと行ってみたら、何と洗面台にヤモリが…私も得意ではないが、これはネタになるとパシャリ恐る恐る近づいてパシャリすると女性スタッフがおもむろに摘んで、「院長、どうぞ」と差し出してきました。「ギョエー😫」と叫びたいところでしたが私なりに面目もあるので何とかこらえ、摘んでみると意外と好感触だし、至近距離で見ると結構可愛いですね。というわけで、記念にパシャリあまりの暑さに、中に涼みに来たんでしょうかねヤモリ(家守)君、これからも当院を守ってくださいね🤗ヤモリ君騒動

  • 日本柔道、究極の世界王者対決!小川直也対古賀稔彦

    1990年4月29日、日本武道館で行われた全日本柔道選手権この大会は無差別級のトーナメントで行われほどんどが100キロ前後の重量級選手で争われるのですが当年は体重75キロで軽量級(71キロ超)の世界王者・古賀稔彦が参加し大きな注目を浴びました。「平成の三四郎」と言われた古賀は1回戦はシード2回戦は体重135キロの選手、3回戦は120キロ、準々決勝では155キロ、準決勝では108Kgの重量級選手を相手にすべて判定の優勢勝ちで決勝進出したのです。決勝の相手は当時最重量級(95キロ超&無差別級)の世界2冠王者で全日本2連覇を狙う小川直也(当時体重130キロ)でありました。古賀稔彦と小川直也は同級生国体では同じ東京代表に選ばれ、東京都の優勝に貢献その後はともに日本代表となり、励ましあってきた仲でもありました。決勝戦は1...日本柔道、究極の世界王者対決!小川直也対古賀稔彦

  • 近鉄対ロッテ、10.19伝説の死闘(後編)

    「昭和」最後の年でもある1988年10月19日、川崎球場で行われた近鉄対ロッテ対とのダブルヘッダー死闘を展開した第1試合終了から、僅か23分後の18時44分に近鉄にとって、優勝を賭けた最終戦となる第2試合目が開始しました。この日の2試合は朝日放送のみが関西地区(及び一部地域)で、第1試合から生中継してたもののテレビ朝日が放送する東京を中心とした関東地区では中継されていませんでした。しかし視聴者から「野球を放送してほしい」との要望が殺到し試合から2時間が経過した21時より全国放送開始となったのです。試合は3対1で近鉄がリードロッテは7回裏、近鉄の先発高柳から岡部がソロ本塁打近鉄が第1試合に続き、「抑えの切り札」吉井に交代すると2死から西村の適時打で同点に追いつきました。それでも8回表、近鉄は1死からここまでチーム...近鉄対ロッテ、10.19伝説の死闘(後編)

  • 近鉄対ロッテ、10.19伝説の死闘

    1988年10月19日、川崎球場でり行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーは、「10.19伝説の死闘」として、昭和から平成、そして令和になっても今なお語り継がれる試合であります。当年パリーグは夏場まで4連覇を目指す西武が独走し、6月28日の時点で近鉄とは8ゲーム開いていました。しかし、同日に中日から加入したブライアントが本塁打を量産し、チームも躍進します。それでも9月15日の段階ではまだ、首位西武と2位近鉄は6ゲーム差でありましたが、ここから近鉄は驚異の追い上げを見せました。全戦績73勝51敗6分けの.589で全日程終了している西武に対し、近鉄は73勝52敗3分け.584、首位西武と0.5ゲーム差で10月19日の最終日、ロッテとのダブルヘッダーを迎えたのです。近鉄が優勝するには2連勝しかありません。第1試合は15...近鉄対ロッテ、10.19伝説の死闘

  • 侍JAPAN・イチロー、苦心の末のV2決定打

    「王ジャパン」奇跡の世界一から3年WBC第2回世界大会が2009年3月に行われました。当大会は、予選の第1ラウンド、第2ランドともに変則ともいえる敗者復活ルールを採用しており日本と韓国はそれぞれ2試合ずつ戦って2勝2敗で両国ともに決勝ラウンドに進出準決勝で日本はアメリカを、韓国はベネズエラを破り3月23日、ロサンゼルス・ドジャー・スタジアムにおいてついに雌雄を決する時が来たのです。さて、原監督率いる侍ジャパン決勝まで勝ち残ったものの第1回大会から連続出場のキャプテン・イチローが不振の大誤算当試合前まで38打数8安打の.211であり決勝のスタメンも危ぶまれましたが原監督は迷わず、イチローを一番に起用しました。そのイチローようやく打撃に目覚め第一打席のヒットを皮切りに、9回まで5打数3安打の大活躍そして試合も、3対...侍JAPAN・イチロー、苦心の末のV2決定打

  • 見せ物小屋・ヘビ女

    昨日、今日(7月13~14日)と我が氷見市は祇園祭が行われここ当院前商店街通りには露天商屋台がズラリと並ぶのですが今年はコロナの影響により、祭り行事は大幅に縮小され当然、屋台は一軒もなく、日常そのままの通りであります。そういえば、私が小学生ぐらいの時(40年前)近くの境内には「見世物小屋」なる怪しい建物がいつの間にか設置されており入口には、非常に興味をそそる絵看板を掲げ「お代は見てからで結構だよ。さあさあさあさあ入って入って、間もなく始まるよ〜」などと呼び込み口上をする人がいて「これを見逃してはならない」と付き添いの親にお願いしワクワクしながら、中に入ったのを思い出しました。結果は…「騙してくれてありがとう」でしたけどね笑ただ大寅興行社という見世物小屋に2003年~2013年まで出演していた小雪丈夫という人は生...見せ物小屋・ヘビ女

  • 松山商・矢野、奇跡のバックホーム

    平成8年8月21日、松山商対熊本工で行われた第78回全国高等学校野球選手権大会決勝戦に奇跡は起こりました。3対2とリードされていた熊本工が9回裏に1年・澤村のホームランで同点に追いつき試合は延長戦に突入その勢いもままに10回裏、松山商の先発投手・新田から先頭打者の8番星子が二塁打を放ちます。ここで松山商は投手を渡部に代え、新田をライトの守備に就かせました。監督の澤田勝彦は松山商送りバントの後、2人を敬遠し満塁策を取ります。バッターは3番の本多この時、タイムをとった松山商・澤田監督「今を逃れなかったら後はないんだぞ」という天の声が聞こえこの声に従って急遽、ライトの守備を新田から、控えながら本職の矢野に代えたのでありますさあ、プレーが再開高めのスライダーを振り抜いた本多の打球は何と「代わったばかり」のライト・矢野へ...松山商・矢野、奇跡のバックホーム

  • 「本物の女番長」対「女番長キャラ」137秒の素晴らしい闘い

    平成5年6月11日、後楽園ホール全日本女子プロレス・マットに1人の暴走レディースが殴り込みをかけてきました。その名は紅夜叉リングに登場するや「バリバリだぜぃ!」と全開アピールです。迎え撃つ全女は何とあの北斗晶が受けて立つ事に!かくして「女・番長対決」として北斗晶対紅夜叉の一戦が開始されたのであります。赤い特攻服姿でふんぞり返る紅夜叉に対し赤い革ジャン姿で仁王立ちの北斗白いタンクトップ姿になった紅は北斗を必死で睨みつけるが・・・黄色いコスチューム姿の北斗は全く微動だにせずむしろ冷めたカンジの表情であります。試合開始のゴングが鳴るやいきなりウ〇コ座りで、下からメンチを切る紅夜叉に対し北斗はあぐらをかいて、あしらいます。そのバカにされた対応に頭にきた紅がいきなりすごい形相で北斗に突っかかりました。まずは目つぶし攻撃を...「本物の女番長」対「女番長キャラ」137秒の素晴らしい闘い

  • 金曜夜8時生中継、放送事故寸前の攻防

    昭和61年の年末掉尾を飾るJC争奪タッグ・リーグ開幕戦11月14日金曜夜8時、後楽園大会からの実況生中継で放送事故寸前のヤバ~いアクシデント(?)が起こりました。記念すべき公式オープニングマッチは前田日明、木戸修対D・マードック、M・スーパースターの一戦であります。新日外人タッグチームの中で抜群の安定感を誇るマードック、スーパースター組年末タッグリーグも3度目の出場となりました。一方の前田、木戸のUWFコンビ前田はニールセン戦以後、1ヶ月ぶりに戦線復帰となります。10分過ぎ、試合権利のない前田とマードックが場外でやり合いました。マードックは前田の顔面へ、パンチを乱打します。この時、リング内では劣勢であった木戸が一瞬の隙を突いて首固めでスーパースターを丸め込みました。この戦況に慌てたマードックが、急いでリング内に...金曜夜8時生中継、放送事故寸前の攻防

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    本日もよろしくお願いいたします。今日の一言

  • 阪神・バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発!

    それは1985年4月17日の出来事でした。阪神甲子園球場での阪神対巨人2回戦巨人の先発・槇原が6回まで好投し3対1で巨人がリード7回裏の阪神は2アウトでランナー一、二塁ここで、3番のバースが登場したのです。バースはここまで15打数2安打、打率.133、本塁打0本と絶不調でこの日も2つのセカンドゴロで全くタイミングが合っていません。しかし、槇原の投げた初球を狙いすましたかのようにバックスクリーンに運び、これが逆転の3ランとなりました。ガッカリとしゃがみ打球の方向を見据える槇原しかし、阪神の猛攻はこれで終わらなかったのです。続いて4番の掛布槇原の144キロの直球をやはりバックスクリーン(やや左)へホームランさすがは4番しかし、当年の猛虎は違いました。5番、岡田彰布は「狙った」とのことです。スライダーと呼んで、ジャス...阪神・バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発!

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    下半期もよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます6月最終日です本日もよろしくお願いいたします今日の一言

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    今までの経験を生かして頑張っていきます今週もよろしくお願いいたします今日の一言

  • 新団体UWF幻のプレ旗揚げ戦?

    1984年2月3日、新日・札幌大会・・・と、言いますと思い出されるのは、あの「藤原テロリスト襲撃事件」でありますが実はメインではA猪木、前田明対H・ホーガン、Ⅰ・M・シャープという非常に注目の一戦が行われておりました。この前週(1月27日)の愛知大会では猪木が藤波と組んで、ホーガン、シャープ組と対戦思えば、前年6月2日蔵前国技館での第1回ⅠWGP優勝戦でホーガンのアックスボンバーで失神KOされ屈辱の惨敗を喫してから8ヶ月タッグながら、猪木はようやく雪辱する機会を与えられたのですが愛知大会は両軍リングアウトで、決着が持ち越された形であります。そして、場所を札幌に移し、再びリング上で顔を合わせた猪木とホーガン試合は外人サイドが有利な展開で進みホーガンが前田にアックス・ボンバーを浴びせました。大ダメージの前田は辛うじ...新団体UWF幻のプレ旗揚げ戦?

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    雨の一日ですが、頑張っていきます本日もよろしくお願いいたします今日の一言

  • 長州小力の「キレてないですよ」な試合

    平成7年10月9日、東京ドームに於いて新日本プロレス対Uインターというプロレス史上、最も注目された団体対抗戦が行われました。実はこの両団体、平成4年に1度不穏な関係となっておりその時は確か…巌流島で4対4でやるとか、3000万円かけてやるとか、蝶野対高田でやるとか色々噂が流れましたが、結局流れた経緯があり今回は、月曜開催であるにもかかわらず「天下分け目の決戦をこの目で見届けたい!!」と、67000人の大観衆が来場したのであります。さて2勝2敗で迎えた第5戦目いよいよ長州力対安生洋二の闘いとなりました。「前田には200%勝てる!そして長州には210%勝てる!!」と、相当な挑発を繰り返した安生が先ず入場会場は大ブーイングですが本人は「JAMESBROWNISDEAD」の曲に乗り胸を張っての登場です。続いて「パワーホ...長州小力の「キレてないですよ」な試合

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    週の後半もよろしくお願いいたします「まあるくまあるく」今日の一言

  • 「ロートル」ベイカーの哀しきテレビラストマッチ

    1980年暮れに、新日が開催した第1回MSGタッグ・リーグ戦開幕戦のテレビ放送は、メインの6人タッグが尻切れトンボに終わりモヤッとした状態で2週目を迎えたのですが11月28日、宮城県スポーツセンターからの中継も藤波組対シン組、ハンセン組対アンドレ組の公式戦が10分以上行われ残る放送時間も残り5分というトコでメインのA猪木対O・ベイカーの一戦が行われたのです。対戦相手を2人死に至らしめたりR木村の足を折ったり、という武勇伝(?)を持ちスキンヘッド、極太眉、デカ髭、全身体毛とまさに「昭和の怪奇レスラー」そのもので子供を震え上がらせたベイカーしかしながらこのシリーズはハンセン、アンドレ、シン、ホーガンと言った豪華外人レスラーが揃っていたためまさに「ロートル」感が強くこの試合も3分で猪木に敗れました。試合後には、ハンセ...「ロートル」ベイカーの哀しきテレビラストマッチ

  • あまり語り継がれていない長州力の快挙

    昭和63年夏、藤波辰巳が保持するⅠWGPヘビー級王座の挑戦権をかけてA猪木、B・ベイダー、長州力、M斎藤、木村健吾5選手によるリーグ戦が展開されました。7月22日、札幌中島体育センターでは猪木と長州の公式戦が実現5月初めに足の親指を骨折して以来ずっと欠場して約70日ぶりに復帰したとはいえ前日の小樽大会に於いて、猪木は6人タッグながら何と長州からピンフォールを奪われておりこのシングルで雪辱を果たしたいところでしょう。一方、勢いに乗る長州は入場してきた猪木を全くリング内に入れようとせずそのまま、試合開始のゴングが鳴りました。何とかリングインした猪木に対し長州はオクラハマ・スタンピートを食らわします。これに対し、猪木は得意のインディアン・デスロックを仕掛け自分のペースを取り戻そうとしました。まだスタミナに不安があるの...あまり語り継がれていない長州力の快挙

  • 「死神」パワーズ、日本ラストのテレビマッチ

    1980年暮れ、超豪華外人勢が来日して開催された新日・第1回MSGタッグ・リーグ戦11月21日、横浜文化体育館の開幕戦ではハンセン組、アンドレ組、シン組が公式戦を行ったためメイン・エベントはA猪木、藤波辰巳、木村健吾対J・パワーズ、O・ベイカー、B・アレンの6人タッグマッチとなりました。私にしたら、初めて観る未知の外人トリオアレン、ベイカーと順にコールされ最後はパワーズが紹介されます。悪役感満載の先の2人とは違いパワーズはよく言えばゴージャス悪く言えば、ナルシスト的なカンジでした。この時まで知らなかった訳ですから当然私は、猪木とパワーズに於けるNWFを賭けた激闘も知らなかったのであります。今、こうしてパワーズの表情を観ますと「死神」と言われていたのがよく分かります笑残念ながら、この日の放送は入場式から始まったた...「死神」パワーズ、日本ラストのテレビマッチ

  • まつい

    水島信二原作の「ドカベン」という漫画を小学生の時、よく読んでいました。これは主人公の山田太郎が中学柔道、高校は野球、そしてプロ野球で活躍するという話なのですが、特に高校野球の話が中心で、この中で江川学院の中(あたる)というピッチャーに甲子園で5打席連続敬遠されるという出来事がありました。それから15年経った1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高等学校(高知)対星稜高等学校(石川)戦にて、明徳義塾のエース・河野和洋が星稜の4番打者・松井秀喜に対し、「5打席連続で敬遠する」という出来事。この試合で明徳義塾は、松井に対して「全打席敬遠」作戦をとっていた。河野は松井に5打席全てストライクゾーンから大きく外れるボール球を投げ、四球を与えた。公式記録は、捕手が初め...まつい

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  • 今観ると、「初代海賊」の正体がハッキリ分かります笑

    A猪木対H・ホーガンというとやはりIWGPにおける数々の死闘…特に昭和58年6月2日、蔵前での第1回大会決勝におけるアックスボンバーでの失神劇が思い出されますがそれより2年7か月前昭和55年11月3日、場所は同じ蔵前国技館に於いて猪木が保持するNWFヘビー級王座に挑戦した試合がありました。この時は「一番」の黒法被…ではなく、色彩色豊かなマントを羽織りあの「銀髪鬼」F・ブラッシーがマネージャーとして帯同してたのです。やはり体格、パワーで猪木を圧倒するホーガンギロチン・ドロップ、ブレーン・バスター、ジャンピング・ニーパットと猪木を攻め込み親友ハンセンの得意技でもあるラリアットをぶち込み(*まだアックスボンバーは開発してません)さらに当時のフィニッシュホールドであるカルフォルニア・クラッシュで猪木を圧潰しますがこれを...今観ると、「初代海賊」の正体がハッキリ分かります笑

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    午後からも笑って頑張りますよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます本日もおだやかにのんびり頑張りますよろしくお願いいたします今日の一言

  • 熊殺しと17年越しの決着戦

    平成9年1月4日、東京ドームで行われた「A猪木ファイナル・カウントダウン6」引退試合の6番目の相手として、選ばれたのは遡る事、17年前の昭和55年2月27日死闘を繰り広げたまま、未決着となっていたW・ウィリアムスでありました。さすがに時の流れは感じるもののその表情には、まだ「熊殺し」のオーラは漂っています。前回は、「ウィリーがグローブ着用」「寝技は5秒以内」という特殊ルールでしたが今回は、「猪木がコブラツイスト」「ウィリーは正拳突き」のみという決め技限定マッチとなりました。まずは猪木の腹部に前蹴りを食らわすウィリーしかし怯まない猪木はウィリーを倒しそのままマウント・ポジションを取ります。うつぶせに体を返したウィリーにチョーク・スリーパーを仕掛けたもののこれは決め技として認められません。とは言え、開始から3分で早...熊殺しと17年越しの決着戦

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    おはようございます今週もよろしくお願いいたします今日の一言

  • 実は一般視聴者の発案だった「世代闘争」

    1987年6月12日、両国国技館87ⅠWGPシリーズに於いて、M斎藤を破って優勝し正式にタイトル化されたⅠWGP王者になった猪木しかしその直後に、大変な事が起こりました。本シリーズより新日にUターン復帰した長州がリングに上がって、マイクを掴むやこう叫んだのです。長州「藤波!俺は自分たちの世界を変えようと、3年間叫び続けてきたぞ」長州「藤波、前田!今こそ新旧交代だぞ。お前らは噛みつかないのか!?今しかないぞ、俺達やるのは!!」リング上に主力全選手が集まり、騒然とする中藤波と前田は、長州の誘いに決起しその場の勢い(?)で、ニュー・リーダー軍を結成しました。これに対する猪木は猪木「両国の皆さん、聞いてくれ~!てめえら、いいか。その気で来るなら、俺は受けてやる。てめえらの力で勝ち取ってみろ、このヤロ~!!」そして、傍に...実は一般視聴者の発案だった「世代闘争」

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    おはようございます本日も感謝、感謝、感謝で頑張りますどうぞよろしくお願いいたします今日の一言

  • 前田より10年前に起こした師匠の顔面襲撃行為

    昭和52年12月8日、蔵前国技館に於いてA猪木対G・アントニオという文字通りの「アントニオ」対決が実現しました。16年ぶりにの再来日を果たした「密林男」G・アントニオは190センチ、225キロの当年51歳身長はほぼ同じながら、体重は100キロの程の差があり「どこからでもかかってきない。偽アントニオ君」といった感じで、腹を突き出します。猪木はアーム・ホイップを仕掛けますがまったく微動だしません。逆にヘッドロックで猪木の首を締め上げロープ際でパンチ攻撃を浴びせました。アントニオの無法攻撃で怒りの導線に火が付いた猪木は顔面めがけ、数発のサッカーボール・キックを放ち更に後頭部にストンピングの連打これによってアントニオは顔面血だるまで戦意喪失となり3分49秒で、猪木がKO勝ちとなったのです。何とも後味が悪い感もあったこの...前田より10年前に起こした師匠の顔面襲撃行為

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    おはようございます。本日もよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます。本日もコツコツ頑張ります。よろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます本日もよろしくお願いいたします今日の一言

  • 昭和版「本能寺の変」とも言えた猪木信長対藤原光秀、前田秀吉

    1582年6月2日、家臣・明智光秀が謀反を起こし織田信長を襲撃した「本能寺の変」それから404年経った1985年12月6日新日本プロレス興行・両国国技館のリングにスーツ姿の5人の男たちが現れました。5人はかつて新日に所属し、A猪木の弟子でもあった前田日明、藤原喜明らUWFの5選手代表として、マイクを握った前田は「1年半、UWFがやってきたことが何であったかを確認するためにやってきました」と言って、翌年1月からの古巣・新日への参戦を表明したのです。要するに経営状況が芳しくない新日に倒産したUWFの5選手が業務提携を結んだという話なのですが…この提携にあたって、新日からUサイドに「最初のシリーズは、そちらの5人でまずリーグ戦をしてもらいたい。そして2月5日の大阪城ホールで上位2名で代表者決定戦を行い、翌日の両国国技...昭和版「本能寺の変」とも言えた猪木信長対藤原光秀、前田秀吉

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    今週も伸び伸び頑張りましょうよろしくお願いいたします今日の一言

  • 苦しかった昭和62年を象徴する闘い

    M斎藤との巌流島の血闘から3週間1987年10月25日、両国国技館に於いてA猪木はS・ウィリアムスを相手に、自らが保持するⅠWGP王座の防衛戦を行いました。ウィリアムスとは1年ぶりの対戦になりますが前回もスピンクスとの格闘技戦の直後の対戦であり大苦戦を強いられ、何となく苦手な感があります。まだ巌流島でのダメージが回復していないのか珍しく左肩に大きな絆創膏を貼って登場した猪木しかしテレビ解説者の山本小鉄氏によると「これは猪木流のブラフであって、実際は右肩を負傷している」との事ですが…(*確かに前週放送の富士大会では、右肩を痛がっていた)しかし、そんな小細工も「殺人医師」には全く意味をもたらしませんでした。危険な角度から繰り出すバック・ドロップ、デッドリー・ドライブ、パイル・ドライバー・・・と、ウィリアムスの繰り出...苦しかった昭和62年を象徴する闘い

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    今日は割と涼しいですね午後からもよろしくお願いいたします今日の一言

  • 今日のツボ(肩こり編⑤)

    当院では、いわゆる「肩こり」症状に対しては天柱(てんちゅう)、風池(ふうち)、肩井(けんせい)、風門(ふうもん)、膏肓(こうこう)と、主に5つのツボを重視しています。最後となる今回は「膏肓」というツボの紹介です。位置は第4,5胸椎棘突起の間で、背骨から指の幅4本分外側に位置し、筋肉としては、表層から僧帽筋・大菱形筋・脊柱起立筋の一部(腸肋筋)が重なる部位にあります。東洋医学では『病は膏肓に入る』といい、この部分の病は鍼や薬の効き目が出にくい場所とされてきました膏肓の膏は「油」「肥える」、肓は胸部と腹部の間にある薄い膜のこと。つまり、横隔膜の上で、肺、心臓、胸膜の病気のことをです疲れや動悸、息切れなど呼吸器系に関わる症状の他、神経痛、消化不良、胃酸過多などに効果があります。単純に「肩こり」と言っても、さまざまな原...今日のツボ(肩こり編⑤)

  • あの「藤波対前田」について考える

    1985年12月12日、仙台で行われたIWGPタッグリーグ優勝決定戦で藤波が歴史的ドラゴンスープレックスで猪木をピンフォール勝ちしてから半年後の翌年6月19日、両国での86IWGPリーグ優勝決定戦これは私の推測ですが当初はAブロック優勝者のA猪木とBブロック優勝者の藤波辰巳とで行われる予定だったハズです。しかしながら、1週間前の12日の大阪城ホールで行われた藤波辰巳対前田日明の一戦でその予定は大きく狂いました。この試合前の時点で、両者共に4試合行って藤波は3勝1敗の15点前田も3勝1敗ですが、1つは上田からの反則勝ちであり1点ロスして、14点であります残るは前田がスヌーカ戦、藤波は上田戦を残していました。またもう1人の優勝候補であるD・マードックはすでに全試合を4勝1敗1分けの21点で終えておりました。ともかく...あの「藤波対前田」について考える

  • あの時の江川、実は10者連続三振を狙っていた!?

    1971年7月17日のオールスターで江夏が9者連続奪三振を達成してから13年1984年7月24日、オールスター第3戦がナゴヤ球場で行われ4回表のパリーグの攻撃マウンドには全セ2番手として、巨人・江川卓が登場13年ぶりの大記録を破るべく(?)、奪三振ショーの始まりとなります。まずは2番センター福本豊(阪急)を139キロ直球で見逃し三振福本談「思ったより速かったなあ。ただ、あんなことになるとは思わなかったから。最後のボールを見送ってしまった。当てられたけどなあ」続いて3番ライト簑田浩二(阪急)は120キロのカーブ見逃し三振蓑田談「初速はそれほどでもないんだけど、手元に来てグーンと伸びてきたね」そして、当年に外国人選手初の三冠王になった4番・ファーストブーマー(阪急)しかし、145キロの直球を空振り三振ブーマー談「久...あの時の江川、実は10者連続三振を狙っていた!?

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    おはようございます。本日もよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます。いよいよ6月に入りましたね。何かとうっとおしい季節ですが、頑張っていきます。今月もよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます今月最後の施術日本日も頑張りますよろしくお願いいたします今日の一言

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    おはようございます今月最後の施術日本日も頑張りますよろしくお願いいたします今日の一言

  • ハンセンに「猫のようだった」と言わしめた猪木

    屈辱のタイトル喪失から2ヶ月経った昭和55年4月3日、蔵前国技館に於いて<王者>S・ハンセン対<挑戦者>A猪木によるNWFヘビー級選手権試合が行われました。王者の風格も見せ、余裕なハンセンに対し後がない猪木しかし序盤からショルダー・アーム・ブリーカーストンピングと徹底した左腕攻撃をみせます。左腕にダメージを受けながらそれでも強烈なラリア―トを繰り出したハンセンエプロンでダウンする猪木を攻め立てなんとそのエプロンで危険なブレーン・バスターを仕掛けました。場外で苦痛な表情の猪木余裕なハンセンは猪木がエプロンに上がるのを待ってまたしても前回同様、ラリアットを狙いますがこれをショルダースルーでかわした猪木はそのままコーナーポストに上って場外のハンセンめがけ起死回生の脳天へフライング・ニー・アタックをかませました。そして...ハンセンに「猫のようだった」と言わしめた猪木

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