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  • 『如来意識』を電子出版しました

    『如来意識』を電子出版しました

    ここしばらくブログ記事の書き込みも滞っていましたが、その間に新作『如来意識』を書きあげ、なんとか電子書籍として出版することはできました。出版と言っても電子書籍のみで、紙本はありません。それでもよろしければ、どうぞ読んでやってください。価格は440円で、アマゾンから購入していただけます。「如来意識」で検索すれば、山本玄幸の作者名で出てくると思います。内容には自信があっても、ものが仏教本ですから、既に悟りが十全している方にもお役に立つかということになると、何とも答えようがないのですが、「ほう、こういう説き方もあるのか」という辺りを楽しんで頂ければ嬉しく思います。もし「面白い」と思われましたら、レビューをよろしくお願い申し上げます。『如来意識』を電子出版しました

  • 医療従事者の悲痛な声

    医療従事者の悲痛な声

    東京都のコロナ感染者数が五日連続の100人超えというニュース。第二波が懸念される中、医療従事者の三割近くがうつ状態という現状も伝えられている。この現状を伝える一例として、アメリカの医療従事者の悲痛な声が、TVで放映された。コロナ重症患者の治療に当たりながらも、自分への感染を恐れ、精神的パニック状態に陥って、「もう、以前の自分に戻ることはできない」と述べ、更に「もし第二波が来たら、もう自分を支えきることすら出来ないだろう」とも語る。伝えるところによると、これは戦場の兵士にもよく起こる状態であると。それは分かりすぎるほど能く分かる理だが、これは、人間が「己に打ち克つ」ことの難しさを如実に伝える話なのだ。特に様々な病症の患者に接しなくてはならない医療従事者が、感染したら自分の生命にも危険が及ぶという今回の場合を考えれ...医療従事者の悲痛な声

  • 【無我の壁を破る】

    【無我の壁を破る】

    無我というのは仏教用語の一つですが、これはどういう意味かと云うと、此の世というものは常に移り変わり、人々もまた生まれたからには、やがて去って逝かねばなりません。それでも人は、此の世を懸命に生きて働き、老いや病などで世を去って逝くのです。その一生は身体と共に有ります。若くて伸び盛りの頃には、色々と将来の夢を膨らませます。しかし、その夢は身体的能力によって制限され、どんな夢でも叶うというものではありません。また大きな仮我をすることも有るかも知れません。回復困難な病を発症するかも知れません。そのような突発的事故によって、人生行路の変更を余儀なくされる場合もあります。それは悲しく、また苦しいことです。このように人の心は常々、身体的条件に左右されますが、身体的条件はまた気象状況や交通事情などの外的条件にも影響を受けて、定...【無我の壁を破る】

  • 天国の楽園

    天国の楽園

    思えば悟りの旅路というものは、私には長かった。それは私が怠け者で、生活に埋没している時間ばかりが長かったということです。それでも私には幸運があった。或る日、ふと「天国と地獄」というものが有るとすれば、それは何処に、どういうものとして有るのだろうか、などと、あれこれ考えていると、身体全体を揺り動かす衝撃的な霊感に包まれ、その霊体に導かれるままに身を任せていたら、天国へと生まれ変わった。暇潰しに哲学書を少し囓る程度だった私が、宗教に関心を持ったのは、それからです。その後、聖書を読み、また仏教の経典を読み始めてから、ボチボチと悟りの道を歩き始めた次第であるが、それを話していると、きりが無いので、それはやめて、本日は「天国の楽園」で怠けに怠けていた日々のことを話すとしましょう。天国と云えば永遠の命の国とも云われているよ...天国の楽園

  • 真我観に因んで・禅宗系の一例

    真我観に因んで・禅宗系の一例

    「心が落ち着きません」と云った慧可に「落ち着かないその心を出してみなさい」と云った達磨。「その心が見付かりません」と答えた慧可に「心を落ち着かせてやった」と達磨。この遣り取りから、達磨の境地は見えてくる。ではこの時、慧可は達磨の境地に達しただろうか。悟らなかったとは思えないが。(とはいえ、この逸話は事実ではないようだが)一休禅師は、死に近い頃の自画像に「借用申す昨月昨日、返済申す今月今日、借り置きし五つのものを四つ返し、本来空に今ぞもとづく」と賛した。この賛もまた、達磨の境地を彷彿とさせる。更に一休が詠んだ次の短歌によっても明らかである。「花を見よ色香も共に散り果てゝ心無きだに春は来にけり」この無とこの空、只の無と空ではないぞと、読み取るが故に。真我観に因んで・禅宗系の一例

  • 「あれか、これか」の閑話

    「あれか、これか」の閑話

    ちょっとした弾みで思い出したキルケゴールの「あれか、これか」。十代の終わり頃からニーチェやヤスパースなどと同時に読んでいたキルケゴール、今となっては「懐かしい」の一語に尽きる。その「あれか、これか」の最初のところには、「結婚したまえ、君はそれを悔いるだろう。結婚しないでいたまえ、やっぱり君は悔いるだろう。結婚しても、しないでも、何れにしても君は悔いるのだ」というような例を幾つか並べている。ここでキルケゴールが云わんとしている事柄を、別の形に買い換えてみると、「昨日私は〇〇へ出掛けて、〇〇して遊んだ」と人が語るとき、その「出掛けて遊んだ私」は「本当の私」ではないという話にもなる。ならばその人が「〇〇へ出掛けるのを止めて、出掛けなかった」とすればどうだろうか。勿論「出掛けなかった私」の「本当の私ではない」という話だ...「あれか、これか」の閑話

  • 死魔に打ち勝つ道の話

    死魔に打ち勝つ道の話

    人間として此の世に生まれてきたからには、死から逃れることができない。これは此の世の定めである。ならば人間という存在は、ハイデガーも云うように「人間は死に向かって生きている存在」という見解を以て決まりだろうか。もし「決まり」であるならば、人間の生き方はどのようになるのだろうか。やはり実存思想に倣って「死によって限定された時間枠の中で、一度きりの掛け替えのない人生を、精一杯生きよう」という考えに落ち着くのだろうか。いや、選択肢はまだある。仏道を学べば、一切の衆生の苦しみは、身体有るが故である、という認識が得られよう。これは「身体が無ければ、心に苦しみは生じない」ということだ。そこで心が身体を放下する。つまり解脱をするのである。そんなことが可能なのか、と思うかもしれないが、やってみると意外と出来るものだ。勿論解脱でき...死魔に打ち勝つ道の話

  • 不立文字

    不立文字

    禅の本質を表す言葉の一つとされている「不立文字」。仮にこの四文字の意味を推考していると、「文字を立てず」は即ち「文字に依らず」であり、文字に依らないということは、取りも直さず「音声にも依らない」ことを意味するのだから、そのまま「何の意味にも依らず」であり、自ずから「無語の故に無音声」にして「能動も無く受動も無し」という「無の境地」に至り着くのではなかろうか。では、ここで到達されたかに見える「無の境地」は、正当な覚りの境地だろうか、と検討してみると、確かに表面的には「法身は説法せず」と説かれている「如来の定の辺」に等しいかのようにも見える。しかしこの「無の境地」は、最初に提示された「不立文字」という四文字、即ち「文字に依存して考えられた境地」であって「文字から縁起した空想の境地」であるから、当然ながら行者の心には...不立文字

  • コロナ禍に人生の縮図を見る

    コロナ禍に人生の縮図を見る

    今、世界規模でのコロナ禍の蔓延に、人々は苦しめられています。緊急事態宣言で人民の外出自粛を要請すると、蔓延も少し治まるが、経済活動も悪化する。そこで緊急事態宣言を解除して経済活動を取り戻そうとすると、コロナ禍もまた復活する。これではまるで世界中がコロナウイルス相手に「だるまさんが転んだ」遊びを始めたようなもので、こんなことを繰り返していても埒が明かない。このようにコロナ禍を観察していると、一枚の人生の縮図を見る思いがする。人は此の世に生まれてきた時点で既に、将来の死は避けられない宿命を背負わされている。此の世に生を受けて、死なない人は誰もいないということですね。従って「生者は常に死魔を伴って生きている」と。今回のコロナ禍もまた、自由な生活活動を脅かして蔓延する。これは世界規模での死活問題に繋がりますから、生を蝕...コロナ禍に人生の縮図を見る

  • 「悟りの杖」への質問に答える(3)

    「悟りの杖」への質問に答える(3)

    拙著「悟りの杖」を読んだ近在の知人からの、幾つかの質問に答えた経験に因み、このテーマで記事を書いています。それ故、この記事に関する質問などを頂けると、今後の参考にもなりますので、有り難く思います。今回は「悟りの杖」を読んだ方から、「まったく歯が立たない」という批判を頂いた件について、少しばかり述べてみたいと思います。先ずこの書が目指した内容について語りますと、「解脱の実践技を易しく説く」ということにありました。したがって「まったく歯が立たない」と評されれば、心も痛みますが、それはその方の理解力の問題ではなく、単に仏教経典の類いに接した経験が殆ど無かったから、ということでしょう。誰だって始めて目にする仏教用語を、辞書も引かずに妥当な意味で読み取ることは難しいからです。しかもこの書は、「悟りを得る実践技を易しく説く...「悟りの杖」への質問に答える(3)

  • 「悟りの杖」への質問に答える(2)

    「悟りの杖」への質問に答える(2)

    拙著「悟りの杖」を読んだ近在の知人からの、幾つかの質問に答えた経験に因み、このテーマで記事を書いています。それ故、この記事をお読みの方からの質問なども頂けると、有り難く思います。今回は「なぜ、南無阿弥陀仏と唱えると、阿弥陀仏の来迎があるのですか」という問いについての答え方を考えてみましょう。問うている人は、当然その答えを知らないのですが、回答者には正解を知っている者もいるかも知れません。もし正解を知らないのに答えた場合は、間違った答えを言ったことになります。そこで、質問者はなぜこのような問いを発したのかと、考察の対象を転換してみます。経典には「是より西方十万億の仏土を過ぎて世界あり。名付けて極楽と云う。其の土に阿弥陀仏居まして、現に説法したまえり」とあり、更に「阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を持すること若しは一日...「悟りの杖」への質問に答える(2)

  • 「悟りの杖」への質問に答える(1)

    「悟りの杖」への質問に答える(1)

    拙著「悟りの杖」を読んだ近在の知人からの、幾つかの質問に答えた経験に因み、より分かり易く書く技術を身に付けたいとの思いもあって、このテーマで記事を書くことを思い立ちました。それ故、この種の記事をお読みの方からの質問なども頂けると、有り難く思います。上記「悟りの杖」の読者からの質問の一つに、「極楽浄土は死後の世界と云う。死んだ者には、そこが極楽浄土であっても、そうでは無くても、何も分からないのだから、極楽往生を願うことからして意味がないのでは?」というものがありました。ご尤もな質問だとは思うけれど、これを分かり易く説明するのは難しい。極楽往生体験者にだって、往生体験の直前までは、想像もつかなかった不思議な問題だからです。それはどういうことかというと、新約聖書の福音書で、イエスが「わたしの名のために命を捨てる者は、...「悟りの杖」への質問に答える(1)

  • 悟りの心は超単純か

    悟りの心は超単純か

    前日記の冒頭の言葉「仏教を学ぶ者は多いが、彼岸へと解脱して仏陀に至る者は極めて少なく、多くは生死の此岸の岸辺に沿って、只々空しく走り回るだけである。」は、釈尊の経説をほぼ復唱したようなものですが、「彼岸へ至るのは、そんなに難しいのか」と問われたならば、何と答えたらよいだろうか。思うに多くの仏教学者は、膨大な読書量があり、知識の量もまた極めて広範囲に渉っているのではないかと思われている。勿論それは間違いではないだろう。しかし、彼岸へと解脱した心が堅持していなくてはならない知識はと問われたら、「何もない」と答えたくなるだろう。これもまた間違いではないからだ。では、この「何もない」という言葉には、どういう経緯が含まれているのかと問われたなら、「無限に縁起する一切法との繋縛を断ち切っている」と答えるのが適切だろう。細か...悟りの心は超単純か

  • 仏道の新しい修法

    仏道の新しい修法

    仏教を学ぶ者は多いが、彼岸へと解脱して仏陀に至る者は極めて少なく、多くは生死の此岸の岸辺に沿って、只々空しく走り回るだけである。そこに私の研究成果の出番もあろうか。原始仏典から密教経典までを消化した仏教のエキスを、忙しい現代人向けに、易しく簡素化したものが出来上がったからである。しかし、この新しい仏道の修法を、何時、どこで、どのような方法で、欲する人の手元に届けたらよいのだろうか。公開が有効に役立つ適切な場を見付けることが難しい。仏道の新しい修法

  • 色と受想行識は無常ということ

    色と受想行識は無常ということ

    人は何の為に仏教を学んでいるのでしょうか。理想を云えば、悟って仏陀と等しく成るためではないでしょうか、できることならと。もし、そうなら、悟りへの道を確りと着実に歩む必要があるのではないでしょうか。またそれは、遠くて険しい道でもありますが、何はともあれ、先ずは仏道の入り口から確認してみましょうか。釈尊が語り残してくれた説法の原形に最も近いと云われている原始仏典の漢訳に、大蔵経第二巻に収められている『雑阿含経』がありますが、その全五巻千三百六十二経の冒頭を飾る第一経には、次のように説かれています。『当に色は無常であると観なさい。このように観るのが正観です。正観すれば厭い離れる心が生じます。厭い離れれば貪る喜びが尽きます。貪る喜びが尽きることを心解脱が成ったと云います。』これは五薀の中の色についての解脱を説いた箇所で...色と受想行識は無常ということ

  • 宗教と治病

    宗教と治病

    今般のコロナ禍に因んで、宗教が治病に関わる事柄についても、経典の言葉などを参照しつつ考察してみたいと思います。というのも、ふと聖書にある、イエスによって為された奇跡的治病の話を思い出したからです。記憶を頼りに仏典を開いていると、法句譬喩経の中から、重病で床に就いた一般庶民の一人を、お釈迦様が見舞ったときの話が目に留まりました。その時お釈迦様は、「身体の悪寒や熱気は医薬を用いて治し、心の治癒は仏の教えや戒めを保って善処しなければならない」と諭しています。これは私たち現代人にとっても、ほぼ違和感のない言い分に聞こえるのではないでしょうか。しかし「悪寒や熱気は医薬を用い」と云っても、お釈迦様の時代には、この度のコロナ禍のような疾病に効力のある医薬の調達はできなかっただろうし、大勢の感染者や死者が出たりして、大変な騒ぎ...宗教と治病

  • 日本人の宗教観は変なのか

    日本人の宗教観は変なのか

    これは特に外国人から見た日本人の特性ということになるようだが、日本人に「あなたの宗教は何?」と問うと、「特に信じている宗教は無い」と答える人が多いことに驚く、と。この「驚く」の意味は何だろう?「日本人は、自分が何らかの宗教を信じていると見られることを、まだ非科学的な思考から抜け切れていない人間と見られているようで、恥ずかしいことだとでも思っているのだろうか」などと思って「驚く」のだろうか?いや、どうやらそんなことではなさそうだ。或る外国人が語るのを耳にしたことがある。「日本人の宗教観は変わっていて、人間は死んだら、みんな極楽往生すると思っている。これ、変でしょう?」と。この外国人が「変だ」と云うのも、尤もなことだ。キリスト教では、人間の死後は天国行きか地獄行きに分かれる。だからこそ信者は、現世で善い行いをしよう...日本人の宗教観は変なのか

  • 病死苦からの脱出

    病死苦からの脱出

    今回の新型コロナ禍への、国を挙げての対応の主眼は、主権者の国民が全体的に病死苦からの脱出を目指すことにあったと云えます。この病苦と死苦は、仏教で説く生老病死という四つの苦しみのうちの二つを占めています。生というのは此の世に生まれることで、生まれなければ老いることもなく、病むこともなく、死ぬこともないので、生は苦しみの根本だと認識することができます。しかし生あれば老病死苦は避けられないとはいえ、生き方の注意次第で、今回のコロナ禍に巻き込まれる確率などは減らすことができます。この病死苦を減らすことができれば、より天寿を全うできる確率は増えます。これが緊急事態宣言が発令された意義でしょうか。また、こうして新たな感染者数を制御しているうちに、より効果的で副作用も少ない治療薬の開発が進み、コロナ禍による病苦と死苦の発生を...病死苦からの脱出

  • この機に乗じても悟りは得られる

    この機に乗じても悟りは得られる

    人々が幸せに生き抜くのか困難な時代には、宗教的覚者も多かったように、今回の新型コロナ禍による緊急事態宣言が出た先行き不安な期間中でも、悟りを開くためには有利にはたらく場合があると考えられます。悟りというのは、一切の苦しみから解放される境地でもありますから、もし運悪くウイルス感染した場合でも、先行きの不安から解放されて、安らかな平常心で事に当たれることもあるでしょう。ヨーロッパでは、ニーチェが「神は死んだ」と発言したのを、「待ってました」とばかりに、「やはり、神なんて、もともと人間の作り話だったんだ」と考え、信仰の灯を消してしまった人も多いとか。事実、哲学者たちの口からも、神という言葉が出る回数が、極端に減少した感も否めません。しかし、そういう場合でも、やはり自分の死を身近に感じて、苦を解消したいと念じていれば、...この機に乗じても悟りは得られる

  • 解脱対応

    解脱対応

    緊急事態宣言を五月末まで延長。コロナ禍が終息する時期は見通し難いが、今できることは国民一丸となって精一杯やらなくてはならない。古の聖者曰く「まことの観賞者は死を見ず、病を見ず、また苦を見ず、しかも一切を徹見し、一切処において一切を得る」と。勿論これは解脱者にのみ得られる安楽だから、一般衆生には無縁だとも思われるかも知れない。そこでこの解脱者観法を一般衆生の次元に置き替えてみるとする。「コロナウイルスに関わらなければ、感染せず、病死の苦も見なくてすむ」ということになる。例えば「外出するときは、コロナウイルスの侵入を完璧に断つ防禦服を着用する」というようなことを思えばよいのだが、そんな服は今のところ手に入らないので、現在流布している感染予防の知識は、一致団結して守る。また解脱者の「一切を徹見し、一切処において一切を...解脱対応

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