紅子さんが私にききました。「神田さんはもともと文章を書くことがお好きだったのですか?」私は正直に答えました。本日、フェチフェス24のブースでの会話です。「ううん、あまり得意ではなかったですねー。紅子さんは写真がお好きでしたか?」「普通の人が写真を好き
自分のМ性を自覚した女性からの告白メールを、本人の許可を得て掲載します。 直接の出会いサイトではありませんが、M女性の心を知っていただけたら… 文中の固有名詞はすべて仮名です。(編集:神田つばき)
紅子さんが私にききました。「神田さんはもともと文章を書くことがお好きだったのですか?」私は正直に答えました。本日、フェチフェス24のブースでの会話です。「ううん、あまり得意ではなかったですねー。紅子さんは写真がお好きでしたか?」「普通の人が写真を好き
水無月み遊さんともリカヤ・スプナーさんとほぼ同時期、2006~2007年に知り合ったはずなんだけれど、きっかけが何だったかは思い出せない。ゼロ年代のエロシーンは毎日がお祭り騒ぎのように忙しかったからだと思う。み遊さん近影デパートメントHやトーチャーガーデン、ロ
「みんなでマキエマキ!空想ピンク映画♡朗読選手権」にエントリーしてくれた人の中で、大泉りかさんの次に長い付き合いなのが俳優のリカヤ・スプナーさんだ。複数のディメンションで遭遇しているし、ご家族ともお会いしたことがあるし、いつ知り合ったのかわからなくな
来週の今日、7月29日(土)に高円寺パンディットで行われる「みんなでマキエマキ!空想ピンク映画♡朗読選手権」の出場予定者を、今日から一人ずつ紹介していこうかな、と思う。ゼロ年代からの付き合いエントリーしている6名でいちばん付き合いが長いのは大泉りかさんだと
マキエマキさんの作品の中で
故・濡木痴夢男先生とともに緊縛美研究会を主宰していた春原悠理さん、緊美研で最初に友人になった西尾ゆきほちゃんと撮ったカルトムービーのディスクが引っ越しの際に出てきました。この作品は縛りこそしているもののAVではなく、今で言う毒親をテーマにしており、令和の今
銀座人形館にて。多賀新さんの作品に刺繍の作品があり、驚く。多賀新さんはこんな表現もするのだと、これこそ目で見ないとわからない。美術に詳しくない私でも多賀新さんの名は知っている。まだ小学生の時に江戸川乱歩に心の平和を乱され、大人になってもその嵐をずっ
何もしないで、常に美しいものを見ていたっていいのに、人間はそれを我慢するのがあたりまえになっている。美しいものをただ見ているはとても贅沢なことで、脳に良い。今日はそんな贅沢をした。午後から銀座人形館へ、企画展『Rondeau~幻想の輪舞曲~』を見に行って。
私の内なるアベサダ~草凪優『定―待ちわびて』を読んで、打ちのめされて。
定、吉ふたり (双葉文庫)まさか自分に、自分にだけはこのような日が訪れるなど想像したことすらなかった。物心ついた時には私の腹の奥底に居た、熱い悪魔からついに解放されてしまった。完全に更年期が終わったと思われた60歳の頃、人間ドックで卵巣の大きさを診てもらっ
神保町のネオ書房@ワンダーというシェア本棚の一棚主になりました。手刷り・手製本で過去の日記を販売しています。現在配本しているのは1999年10月~12月の日記。家庭のドタバタや世紀末の大騒ぎも交えつつ、当時熱心に参加していた濡木痴夢男の緊縛美研究会のモデル同士
12月4日に、再び奈加あきらさんの責め縄研究会にお邪魔した。この日のモデルは翡翠さんで、参加者の中には故・明智伝鬼先生のパートナーである京極夢路さん、才勝さんの姿もあり、大変貴重なお話がたくさん聞けた。ノートを忘れた私は「こりゃいかん」とあわて、持参した
もう四半世紀もエロにまつわる仕事をしている私だが、そのいちばん最初に、人に知られたら罪悪感で死んでしまいたくなるような「縛られたい」という願望があった。5歳か6歳の頃にはそのことを切実に願っていた。その夢を深く理解してもらえたのは、SMペディアによれば19
「緊縛が好きである」という人は少なくない。「緊縛の写真を撮っている」という人も少なくない。でも、「緊縛が好きなので写真を撮って雑誌を作ってしまいました」という人に初めてお目にかかり驚いた。だって、普通じゃないでしょう、良い意味で。緊縛師の奈加あき
写真家・佐藤恵里沙さんの写真集『日常ラバー』をあらためて手に取る。しみじみと癒された。私はラバーフェチではないけれど、2000年前後にラバーラバー(rubber lover)の人たちと交流があった。当時の常として、突然誰かから「今夜〇〇に〇〇の人たちが集まるけど、
まったくバカげたいじめですが…。体育の後で男子が着替えている教室に押し込められたのです。もちろんやったのは例のヤンキー女子グループです。「松田くーん!!」と黄色い声を上げながら、突き飛ばされドアを閉められました。高校生男子ですからね。揃って色めき立
オナニーでそんなふうになったことは初めてでした。どう言ったらいいでしょうか。足の先から背筋まで、針金が一本ピーンと入っているような感じ…その針金が熱くなったり冷たくなったりして、私はこらえられなくなる…ギリギリまで耐えて、こらえて、急に力が抜ける…
入れるつもりはなかったのに、入ってしまった人差し指…痛いと思ったのは一瞬で、指を入れたままにしていると、すぐに何でもなくなりました。自分の体の一部なのに、自分で触れたのは初めてです。ものすごく暖かくて、感触はツルンとしているのに形はデコボコしていまし
想像したのは松田のことでした。それまでは、オナニーする時に思い浮かべるのはアイドルとか、生徒会長の男の子(割とシュッとした顔で、勉強もスポーツもできて、みんなの王子様という感じ)とか。まさか、松田のようなワルっぽい男子を想像するなんて、あり得ませんでした
すみません。コロナの影響で事務所の勤務形態を変える必要があり、忙殺されていました。話の続きです…家に帰ってから、私は勉強が手につきませんでした。自分が何をしたいかはわかっていました。私はベッドに飛びこみ、オナニーしました。男の人は、真面目な女はオナ
この時の気持ちを思い出すと、今でも胸がざわざわします。タバコの匂いだけではなく、男のにおいが漂ってきました。「何かされる」に近い気持ちです。自分は女で、この男は今にも自分に飛びかかろうとしている―そういう本能的な緊張感でした。「俺のこと好きとか言いふら
中学1年の頃、ちょっといやな経験をしています。そのことが自分はМなんだと、気づくきっかけになりました。あまり偏差値の高くない中学で、将来四年制大学に進みたかった私は周囲の女子から浮いていました。近寄りがたいと言われるのは慣れていましたが、ヤンキーのグルー
最近、ちょっとショックなことがあって、ずっとモヤモヤしているのでメールします。本名や勤務先を伏せてくれるなら、ブログに掲載してもらっても良いです。他にも個人情報、ばれそうなところがあったら直してください。よろしくお願いします。うちの事務所はA先生と私
テキスタイルとキルトワークのアーティスト、増田ぴろよ氏との交流は2013年の第三回東京女子エロ画祭にぴろよ氏の作品をノミネートして以来だから、もう四年にもなるのか。ある意味、長い四年間だった。彼女と親しくなるのには時間が必要だった。私が臆したからだ。
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紅子さんが私にききました。「神田さんはもともと文章を書くことがお好きだったのですか?」私は正直に答えました。本日、フェチフェス24のブースでの会話です。「ううん、あまり得意ではなかったですねー。紅子さんは写真がお好きでしたか?」「普通の人が写真を好き
水無月み遊さんともリカヤ・スプナーさんとほぼ同時期、2006~2007年に知り合ったはずなんだけれど、きっかけが何だったかは思い出せない。ゼロ年代のエロシーンは毎日がお祭り騒ぎのように忙しかったからだと思う。み遊さん近影デパートメントHやトーチャーガーデン、ロ
「みんなでマキエマキ!空想ピンク映画♡朗読選手権」にエントリーしてくれた人の中で、大泉りかさんの次に長い付き合いなのが俳優のリカヤ・スプナーさんだ。複数のディメンションで遭遇しているし、ご家族ともお会いしたことがあるし、いつ知り合ったのかわからなくな
来週の今日、7月29日(土)に高円寺パンディットで行われる「みんなでマキエマキ!空想ピンク映画♡朗読選手権」の出場予定者を、今日から一人ずつ紹介していこうかな、と思う。ゼロ年代からの付き合いエントリーしている6名でいちばん付き合いが長いのは大泉りかさんだと
マキエマキさんの作品の中で
故・濡木痴夢男先生とともに緊縛美研究会を主宰していた春原悠理さん、緊美研で最初に友人になった西尾ゆきほちゃんと撮ったカルトムービーのディスクが引っ越しの際に出てきました。この作品は縛りこそしているもののAVではなく、今で言う毒親をテーマにしており、令和の今
銀座人形館にて。多賀新さんの作品に刺繍の作品があり、驚く。多賀新さんはこんな表現もするのだと、これこそ目で見ないとわからない。美術に詳しくない私でも多賀新さんの名は知っている。まだ小学生の時に江戸川乱歩に心の平和を乱され、大人になってもその嵐をずっ
何もしないで、常に美しいものを見ていたっていいのに、人間はそれを我慢するのがあたりまえになっている。美しいものをただ見ているはとても贅沢なことで、脳に良い。今日はそんな贅沢をした。午後から銀座人形館へ、企画展『Rondeau~幻想の輪舞曲~』を見に行って。
定、吉ふたり (双葉文庫)まさか自分に、自分にだけはこのような日が訪れるなど想像したことすらなかった。物心ついた時には私の腹の奥底に居た、熱い悪魔からついに解放されてしまった。完全に更年期が終わったと思われた60歳の頃、人間ドックで卵巣の大きさを診てもらっ
神保町のネオ書房@ワンダーというシェア本棚の一棚主になりました。手刷り・手製本で過去の日記を販売しています。現在配本しているのは1999年10月~12月の日記。家庭のドタバタや世紀末の大騒ぎも交えつつ、当時熱心に参加していた濡木痴夢男の緊縛美研究会のモデル同士
12月4日に、再び奈加あきらさんの責め縄研究会にお邪魔した。この日のモデルは翡翠さんで、参加者の中には故・明智伝鬼先生のパートナーである京極夢路さん、才勝さんの姿もあり、大変貴重なお話がたくさん聞けた。ノートを忘れた私は「こりゃいかん」とあわて、持参した
もう四半世紀もエロにまつわる仕事をしている私だが、そのいちばん最初に、人に知られたら罪悪感で死んでしまいたくなるような「縛られたい」という願望があった。5歳か6歳の頃にはそのことを切実に願っていた。その夢を深く理解してもらえたのは、SMペディアによれば19
「緊縛が好きである」という人は少なくない。「緊縛の写真を撮っている」という人も少なくない。でも、「緊縛が好きなので写真を撮って雑誌を作ってしまいました」という人に初めてお目にかかり驚いた。だって、普通じゃないでしょう、良い意味で。緊縛師の奈加あき
写真家・佐藤恵里沙さんの写真集『日常ラバー』をあらためて手に取る。しみじみと癒された。私はラバーフェチではないけれど、2000年前後にラバーラバー(rubber lover)の人たちと交流があった。当時の常として、突然誰かから「今夜〇〇に〇〇の人たちが集まるけど、
まったくバカげたいじめですが…。体育の後で男子が着替えている教室に押し込められたのです。もちろんやったのは例のヤンキー女子グループです。「松田くーん!!」と黄色い声を上げながら、突き飛ばされドアを閉められました。高校生男子ですからね。揃って色めき立
オナニーでそんなふうになったことは初めてでした。どう言ったらいいでしょうか。足の先から背筋まで、針金が一本ピーンと入っているような感じ…その針金が熱くなったり冷たくなったりして、私はこらえられなくなる…ギリギリまで耐えて、こらえて、急に力が抜ける…
入れるつもりはなかったのに、入ってしまった人差し指…痛いと思ったのは一瞬で、指を入れたままにしていると、すぐに何でもなくなりました。自分の体の一部なのに、自分で触れたのは初めてです。ものすごく暖かくて、感触はツルンとしているのに形はデコボコしていまし
想像したのは松田のことでした。それまでは、オナニーする時に思い浮かべるのはアイドルとか、生徒会長の男の子(割とシュッとした顔で、勉強もスポーツもできて、みんなの王子様という感じ)とか。まさか、松田のようなワルっぽい男子を想像するなんて、あり得ませんでした
すみません。コロナの影響で事務所の勤務形態を変える必要があり、忙殺されていました。話の続きです…家に帰ってから、私は勉強が手につきませんでした。自分が何をしたいかはわかっていました。私はベッドに飛びこみ、オナニーしました。男の人は、真面目な女はオナ
この時の気持ちを思い出すと、今でも胸がざわざわします。タバコの匂いだけではなく、男のにおいが漂ってきました。「何かされる」に近い気持ちです。自分は女で、この男は今にも自分に飛びかかろうとしている―そういう本能的な緊張感でした。「俺のこと好きとか言いふら
12月4日に、再び奈加あきらさんの責め縄研究会にお邪魔した。この日のモデルは翡翠さんで、参加者の中には故・明智伝鬼先生のパートナーである京極夢路さん、才勝さんの姿もあり、大変貴重なお話がたくさん聞けた。ノートを忘れた私は「こりゃいかん」とあわて、持参した
もう四半世紀もエロにまつわる仕事をしている私だが、そのいちばん最初に、人に知られたら罪悪感で死んでしまいたくなるような「縛られたい」という願望があった。5歳か6歳の頃にはそのことを切実に願っていた。その夢を深く理解してもらえたのは、SMペディアによれば19
「緊縛が好きである」という人は少なくない。「緊縛の写真を撮っている」という人も少なくない。でも、「緊縛が好きなので写真を撮って雑誌を作ってしまいました」という人に初めてお目にかかり驚いた。だって、普通じゃないでしょう、良い意味で。緊縛師の奈加あき
写真家・佐藤恵里沙さんの写真集『日常ラバー』をあらためて手に取る。しみじみと癒された。私はラバーフェチではないけれど、2000年前後にラバーラバー(rubber lover)の人たちと交流があった。当時の常として、突然誰かから「今夜〇〇に〇〇の人たちが集まるけど、