chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 2023-10-24 11:37:59

    投稿が出来ず困っております。2023-10-2411:37:59

  • あかね空に吹く風 248

    柴田の叔母さんは優しく、洋介、お母さんと洋二のお墓を造ると聞いて、とても喜んでいるよ。私もとても安心しているよ、洋介と涙だぐんだ。叔母さん、ありがとう。困った事があったら洋介に相談して下さいね、と言った。叔母さん、今まで何も出来なかったが、これからは少しはさせて頂きます。ここに100万円あります。持っていて下さいと言って手渡した。その時、紀子姉さんの目が少し動いたが洋介はわからなかった。。あかね空に吹く風248

  • あかね空に吹く風 247

    洋介はこれから、かなり忙しくなりそうだとはわかっていたがこれから、どうすればよいかはわからなかった。洋介は、浅田に連絡した。週明けは忙しそうだった。連絡だけしてもらった。週末になったので柴田の叔母さんと首里のホテルグランドに紀子姉さんと一緒に来てくれた。柴田の叔母さんにはこの相続や金額や果樹園の事は一切話してはいなかった。話すべきはこの叔母さんだとはわかっていたが、紀子姉さんの背後が怖かったからである。あかね空に吹く風247

  • あかね空に吹く風 246

    翌日、洋介はいつもより早めに出勤した。垣間さんに、休んですみませんでしたとあやまり、いつもの飛騨牛を渡した。それから、事務の掛川さんのところに行き、和菓子を多めに渡した。掛川さんは不思議そうに洋介を見ていた。机にはかなりの書類が積まれ、スケジュール表が置かれていた。来週あたりから北部で立て続けに会議が予定されていた。あかね空に吹く風246

  • あかね空に吹く風 245

    洋介は窓口の席だった。つい、さっきの山里さんを探していたが、みつからなかった。だが大部先に法隆寺で写真を撮ってあげた四人の女性達の後ろ姿が見えた。洋介はいつのまにか寝ていたようだ。満席ではなかったせいか、いたって静かだった。那覇空港に滑るように着陸した。洋介は首里のアパートに急いだ。かなり買い込んでいた。みんなにあげるのが楽しみになっていた。あかね空に吹く風245

  • あかね空に吹く風 244

    洋介はまだ独身である。女性に関心があるのはごく普通である。しかし、これまで、立て続けに美人に会った事は一度もない。それだけに洋介は法隆寺に行ったおかげと考えたりもした。どうも那覇空港行の搭乗が始まるようだった。あかね空に吹く風244

  • あかね空に吹く風 243

    洋介は搭乗手続きをすまし、ほっと一息ついた。改めて、今回は何の為に岐阜まで来たのか、すっかり忘れていた。そうか、郵便積み立て定期の相続で来た事を思い浮かべまたもや涙だぐんだ。しかし、法隆寺で、よく沖縄の女性達に会ったものだと思った。あかね空に吹く風243

  • あかね空に吹く風 242

    山野洋介は奈良から京都に行った。夕闇が迫っていた。京都駅から関西空港行に乗った。那覇空港行きの最終便の手続きをしていた。あら、法隆寺でお会いした方ですね。この便でと女性が声をかけてきた。良く見ると法隆寺であった洋菓子店の山里さんだった。洋介はまたお会いしましたね。よく会うものですね。と言った。山里さんは笑いながら、忘れないでケーキを買いにいらしてください。忘れないで。と言い搭乗口へ向かった。あかね空に吹く風242

  • あかね空に吹く風 241

    女性達は皆、三十代でかなり派手な格好をしていた。これからみると、スナックや看護師やいろいろな職業が考えられた。洋介はそれではと言って法隆寺の境内に出て、お土産店に入り、かなりの和菓子と置物を買い込んだ。法隆寺では御守り等を買い、母さんと洋二を思い浮かべていた。近くにお蕎麦屋さんがあった。法隆寺蕎麦御膳を注文した。洋介はいつのまにか高級志向になっていた。あかね空に吹く風241

  • あかね空に吹く風 240

    山野洋介はまたもや法隆寺で女性達に会った事になる。かなりの枚数を撮り終わったところで、四人の女性が近付き、私達は同級生で久し振りに京都と奈良を観光しているところだと言った。洋介は、遺産相続の件で岐阜まで来たが、友人が奈良県立医科大学卒なもので大学を見に来たと話した。私は沖縄から来たが、これから関西空港に行き、那覇に帰る予定だと言って笑った。四人の女性も沖縄から来ましたと言い、私達も今日の最終便で那覇はに帰ると言った。四人はそれぞれ、いい体をしていた。あかね空に吹く風240

  • あかね空に吹く風 239

    山野洋介は暫く法隆寺の境内の端の方にたっていた。まだ沖縄に帰る時間までには時間はあった。ようやく夢から覚めたように辺りを見渡した。かなりの人が境内にはいた。法隆寺の門のところで四人ほどの女性が写真を撮っていた。静かに横を通ろうとしたら一人の女性に、すみません、シャッター押して貰えませんか?と言い、カメラを渡された。あかね空に吹く風239

  • あかね空に吹く風 238

    その女性は足早に洋介の側に寄り、私、山里のりこと申します。といった。かなりの美人だった。洋介は胸の鼓動を感じた。山里のりこは、貴方様は?と聞いてきた。私は山野洋介といいますと言って下を向いた。その女性は、私、那覇の中央通りの紅薔薇洋菓子店で働いています。何時かケーキを買いにいらしてくださいと言い、私これから京都に行ってきます。お元気でと言い、法隆寺を後にした。洋介にとっては夢を見ているような心地だった。あかね空に吹く風238

  • あかね空に吹く風 237

    法隆寺は歴史の時間に詳しく教わったが、ほとんどが忘れていた。境内に入り、本堂前で拝殿した。何となく清々しい気分になっていた。法隆寺の境内をどこもとも歩いていた。暫くして、背後から声を掛けられた。若い女性だった。先程、岐阜城近くの洋館風の喫茶店においででしたよね。きっと沖縄の方だと思っていましたが、違っていましたら失礼ですが、と言って笑っていた。いやー、どうも、沖縄から来ました。して、あなたはときいた。私も沖縄から来ました。私は那覇ですと言ってまた笑っていた。かなりの美人だった。ふくよかな体つきだつたせいで、魅力的な女性だった。あかね空に吹く風237

  • あかね空に吹く風 236

    洋介は、初めて奈良に行った。やはり聞いていた通りのいにしえの古都であった。奈良駅からタクシーで奈良県立医科大学まで行った。立派な医科大の建物を見ながら、浅田はここで医学の勉強をしたのかと感慨深く見ていた。医科大の中には、入らなかったが洋介は、ふと、これだけの資金があったら弟の洋二を私立医大に入学させるだけの力はあったのにと、浅田から洋二に考えが変わっていた。暫く、奈良県立医科大学の周辺を歩いた。いや、来て良かったと思った。それから洋介は法隆寺の方へ向かった。法隆寺に行った事から、いろいろ展開していくのであった。あかね空に吹く風236

  • あかね空に吹く風 235

    洋介は暫く、モーツアルトの曲を聞きこれからの予定を考えていた。ここは岐阜でも一番の繁華街に近いところである。ここで、今、自分が何千万円と云う積み立て定期預金を考えながらコーヒーを飲んでいる。夢か現実か、いささか解らなくなっていた。名残り惜しくはあったがマンゼルマンをでた。岐阜駅に行き、乗り継ぎのキップを買い奈良に向かう予定であった。駅前の古い和菓子やさんに入った。母さんと洋二に供える為だった。あかね空に吹く風235

  • あかね空に吹く風 234

    洋介は柳ケ瀬あたりに、いい喫茶店はないかと尋ねた。運転手は、岐阜城近くにマンジェルマンと云う古い洋館建の喫茶店を紹介してくれた。昼過ぎのマンジェルマンはモーツアルトの優しい曲が流れていた。洋介は値段が高いコーヒーを頼んだ。曲線美が感じられるカップに並々と注がれた香ばしいコーヒーだった。洋介は郵便局関連の相続が三千万円もあった事に今さらながら、驚き、熱い涙が自然に流れていた。母の山野ゆきは何と幸せだったんだろうと思っていた。これから、浅田にこの件を知らせて、浅田の母校の奈良県立医科大学に行く事にしていた。あかね空に吹く風234

  • あかね空に吹く風 233

    洋介は週末、再び岐阜に飛んだ。岐阜中央郵便局は柳瀬川沿いから北に行ったところにあった。郵便局員は沖縄からはるばる来たと云う事で親切に応対していた。別室で待たされ、次長と云う人と部下が入ってきた。ご苦労様ですと言って、沼田弁護士から、よろしくとの事でした。戸籍謄本と運転免許証の提出を求められた。確かに沖縄の山野ゆき様の相続人に間違いありません。他の相続手続きは沼田弁護士の方て全て完了しておりますと言った。山野洋介さん、郵便預金関連の相続額は総額三千五百万一千円となっております。こちらからお振込み致しますので銀行の口座番号をご記入下さいと云い、番号と住所氏名を署名した。一週間以内にお振込み致しますのでご安心下さいと云い、郵便局での手続きは全て終了した。洋介は柳瀬の繁華街に出ようとタクシーを拾った。あかね空に吹く風233

  • あかね空に吹く風 232

    洋介は今度の郵便局関係の相続額をざっと2300万から2500万とみていた。山本慎之介さんは山野ゆきの、行く末に大変な不安を感じられ、おそらく郵便局のは生活費の足しにと思っておられたのであろう。それにしても額は大きかった。洋介は何はともあれこれが先だと思い、柴田の叔母さんに会うのも少し延ばしてもらった。また部長に岐阜まで早急に行かなければならなくなったと言って五日間の休暇願いを出した。あかね空に吹く風232

  • あかね空に吹く風 231

    沼田弁護士から次のように書かれていた。山本慎之介さんは、山野ゆきさん名機で岐阜中央郵便局に毎月10万円の積み立て定期預金をなさっております。また亡くなる一年前に500万円の定期預金をなされておられる事が最近になり分かりました。つきましては、山野ゆき様の長男の洋介さんが法律的には受け取り人になりますので、ご足労ですがもう一度岐阜までおいで頂きまして、お引き出しの手続きをして頂きたいとあった。またしても、山本慎之介さんからの大きな遺産相続であった。洋介は翌日、週明けの早い時期に岐阜に行く旨の手紙を送った。あかね空に吹く風231

  • あかね空に吹く風 230

    翌日の事である。郵便受けに真っ白い封筒が見えた。私は急ぎ封筒を手にした。沼田弁護士事務所からであった。私は首里のホテルグランドキャッスルに向かった。今では遺産相続関連の書類はほとんどグランドキャッスルで読んでいた。静かに封を切った。沼田弁護士直々の手紙だった。季節の挨拶の後、また私にとって信じられない文面が続けられていた。あかね空に吹く風230

  • あかね空に吹く風 229

    柴田の叔母さんから週末に会いたいと連絡があった。首里にあるホテルまで来てもらう事にした。週末には浦添のお墓の件で、墓地の代金とお墓の建造費の300万円を用意していた。また、町田桃香からも、お礼がしたいので是非、店に来て欲しいと言った。週末はかなり忙しくなりそうだった。あかね空に吹く風229

  • あかね空に吹く風 228

    柴田の叔母さんが可哀想でならなかった。紀子姉さんの800万の元金を500万で手を打つて、柴田の叔母さんを助けた方が良いか考えることにし、この件は誰にも黙っていようと思っていた。12月はあれこれ忙しくなりそうだった。あかね空に吹く風228

  • 和歌

    古今和歌集くもり日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をば離れず曇った日の影のようにあなたの目には見えなくなったが、いつもあなたの側にいますと云う意味のようです。和歌

  • あかね空に吹く風 227

    最悪にならないように協力して下さい。と男は言った。私は保証人にはなれません。これ以上私のところには来ないで下さい。私は直接的な関係はありませんのでこれ以上そちらが何かなさるなら私も対抗措置をとるかも知れません。それではこれで失礼しますと言い会計を済ましホテルを出た。この件の解決策を浅野に相談するか迷っていた。要するにこの件は紀子姉さんがサプリメントのシステムメンバーに入る為に借りたものであろう。そして元金どころか利息も払えず母親である柴田の叔母さんの住んでいる家まで危機的な状況になっているのに間違いない。私の母さんのたった一人の妹である。母さんが元気だったらどうしたのだろうかと考えていたがサプリメントシステムが憎いばかりか柴田の叔母さんが可哀想でたまらなかった。つづくあかね空に吹く風227

  • あかね空に吹く風 1226

    ホテルのロビーは休日のせいかかなりの人がいた。ロビーに先ほどの二人が待っていた。私は山野と申します。と冷静に向きあった。男は後藤と名乗った。山野さん、ご親戚に柴田さんと方がいらっしゃいますね。と言い鞄から何か書類を取り出していた。もう一人の男は黙ったままだった。後藤という男がそれでは柴田紀子さんもご親戚ですねと言った。そうだと言った。実はその柴田紀子さんが私共から八百万円借りております。つきましては親戚である山野さんに保証人になって頂くためにお会いしています。男の話しでは貸してから一年近くなり利息は月二十四万円だと言った。私は会社名を教えてくれと言うと会社組織ではなくまあ個人的に貸していると思って下さい。と言った。私がなぜ今頃になって保証人が必要かと聞いた。柴田紀子さんの支払いが全く出来なくなったからだと...あかね空に吹く風1226

  • あかね空に吹く風 225

    十二月に入ったと同時にいろいろな動きがあった。柴田の叔母さんから会えないかねーと云う電話があり近く会うことにした。浅野からも時間が出来次第話しをしようと連絡があった。里谷夕日からも十二月に早めの忘年会をしようと連絡があった。私は年内に墓地の建造についてはめどをつけたいと思い天久にある会社と浦添にある墓地の購入と建造の契約をした。百万円支払い完成したあと残金を支払う事にした。小さなお墓だが材質は御影石を使ってもらうことにした。浅野が云う通りこれから先にやるべきだった。母さんと洋二の事を真っ先にやるべきで少し遅い感じを受けていた。休みの日にやはり見知らぬ二人の男がアパートを訪ねて来た。私は首里坂下のグランドキャツスルホテルのロビーで会うことにした。大家さんが言っていた男達に間違いはなかった。つづくあかね空に吹く風225

  • あかね空に吹く風 224

    その年も十二月を迎えていた。私はその日天久にある墓地とお墓の建造についてやっている会社に行った。ああ、山野さんですね。お待ちしていました。これから浦添にある墓地を見に行きましょうと言って案内された。場所は墓地指定区域らしく至るところお墓だった。西原町の一部と琉球大学附属病院が見えるところだった。こじんまりとしたお墓が二つばかり造られる墓地が空いていて場所的に明るくいい墓地ではないかと会社の人は薦めていた。ここだとお墓の建造費もあわせて約三百万円だといい完成までに二カ月ばかりかかると言った。検討して返事をします。と言った。胆石の手術をした桃香さんから久しぶりに連絡があった。退院は意外と早かったそうでその後の経過も良好だと言った。事情があり清流は辞めたと言い松山の小料理店に勤めると言った。しかし桃香さんは私に...あかね空に吹く風224

  • あかね空に吹く風 223

    ここまで夕日に話した。時間もかなり経っていた。夕日にその後の続きは次会う時にしよう。ホテルのケーキを買ってもう帰りなさいと言って一万円を渡した。夕日は今度は私が炭火焼きとりの店に案内するね。では先になります。と言って帰って行った。夕日は少しびっくりした様子だったが話しをよく聞いてくれていた。私は夕日が帰った後、柴田の叔母さんにはもう相談なしでいろいろ事を進めようか悩んだ。暫くして墓地の件で依頼していた会社から電話があり浦添の方に手頃な墓地があるので暇な時に会社に寄るように言われた。近い内に行くと返事をしておいた。柴田の紀子姉さんからも何の連絡もなかった。また清流の桃香さんからも連絡はなくいたって静かに過ごしていた。しかしアパートの大家さんからは相変わらず時々山野さんを訪ねてくる男達がいると言った。つづくあかね空に吹く風223

  • あかね空に吹く風 222

    岐阜に着くと岐阜都ホテルで沼田弁護士が待っていた。小さな会議室でまあ何と云うか本人確認だな。山野ゆきは母で、山野洋二は私の弟であると言うことの身元確認が始まった。岐阜市に住む造り酒屋の三代目の山本慎之介さんが今年六月に亡くなった。山本慎之介さんは亡くなる七年前に公正証書遺言を沼田弁護士と中部電力取締役館林聖一朗さんの二人が証人となり作成されたと説明した。そしてあす尾張一宮市にある的場公正人役場で山本慎之介さんの公正証書遺言の執行が執り行われたのだ。と夕日に説明した。その間里谷夕日は静かに聞いていた。つづくあかね空に吹く風222

  • あかね空に吹く風 221

    私が夕日に全日空で良く頑張っているじゃないか。空港で制服姿でテキパキやっているのを見ると実に素晴らしいと思ってしまったよ。夕日は僕らと違って優秀だからなあーと言った。ホテルのウエイトレスにケーキを数種類出してもらった。洋介さん、見た目よりハードで給料も洋介より少し多いだけだよ。と言った。洋介、私空手三段だよ。洋介よりずっと上だよと言って笑うのも忘れなかった。しかし洋介の肘突き今でも怖いよと言った。ところで洋介、こないだの名古屋行き何しに行ったのと聞いてきた。私は夕日に九月に突然岐阜の弁護士事務所から公正証書遺言が山野さんにありそれについて詳しく説明するから岐阜に来るように言われ行ったんだ。というと夕日はびっくりして顔を覗き込んでいた。つづくあかね空に吹く風221

  • あかね空に吹く風 220

    里谷夕日と初めてあったのは私が高校生の時であった。山野の祖父のところで空手の手ほどきを受けたその帰りがけに近くの那覇中学校の体育館で空手の練習をしていた夕日を見たのがそもそもの初めであった。夕日は可愛いいあどけない少女であった。しかし一生懸命に指導を受けていた夕日があどけながらも頼もしくも思えた。暫くして空手の練習が終わった後、夕日の手を取って力の入れどころを教えたのが初めての出会いだった。そんなことを考えていた時夕日が洋介さん久しぶりと言ってやって来た。岐阜に行った日の那覇空港以来だった。元気そうだな。仕事は忙しいかと聞いた。空港で洋介さんが名古屋に行くと聞いた時はびっくりしたよ。またハーバービューホテルでこうして珈琲を飲んでいる優雅な洋介さん、一体何があったのと立て続けに聞いていた。私は夕日には公正証...あかね空に吹く風220

  • あかね空に吹く風 219

    ハーバービューホテルは沖縄でも一流のホテルだけあって雰囲気がなんとも豪華である。珈琲を飲むだけで気持ちも何故か高揚する。私は手帳を見ながらこれからのことを考えていた。お墓の建造費用、住居の移転、電気製品などの買い替え、あといろいろな出費を約一千万円と試算した。私自身の事としてこれだけはやっておきたかった。その時、里谷夕日のことを思い出していた。里谷夕日の名刺を取り出し電話をした。どちら様ですかと会社の人が尋ねていた。親戚の者で山野と申します。携帯の番号ですが里谷さんに知らせてもらいたいと言った。暫くして里谷夕日から電話があった。洋介さんですか。今どちらと聞いていた。ハーバービューホテル、洋介さん一人。そんなホテルで珈琲が飲めるのと不思議で不思議でたまらないという感じだった。一時間以内にそちらに行くと言って...あかね空に吹く風219

  • あかね空に吹く風 218

    私は静かな生活がしたかった。九月以来生活が一変したような落ち着かない日々が続いていた。私は柴田の叔母さんにも連絡を取らなかった。日曜日の午後赤十字病院に行った。桃香さんの見舞いも今日までだろう。退院もすぐだろう。白バラでバームクーヘンを買っていた。岐阜に行った時も白バラに行ったものだった。五階の病室に行くと桃香さんと妹と友達が見舞いに来ていた。その後経過はどうですかと聞いた。すっかり元気になったと云い今週中には退院が出来そうだと言った。妹さんに良く頑張りました。と言ってバームクーヘンを渡した。無理をなさらないで暮れ暮れもお大事に。また元気になったら清流でお会いしましょうと言って部屋を出た。桃香さんは医療費は妹達に頼んでいると言っていた。経済的にはかなり苦しそうな家庭に見えた。見舞い金として二十万円はしてい...あかね空に吹く風218

  • あかね空に吹く風 217

    浅野は笑って答えなかった。その時は大きく貸してもらうよ、洋介。三月に相続税を払うとして約今の半分位になるだろう。それまでにやることも多いしなあーと言った。住居の移転の件は四月頃かな。大きい出費の時は俺に相談するように。お前のところにいろいろな人が集まってくるかもしれない。また女性も怖いぞ。これから大波が押し寄せてくると思え。お前が相続した相続財産だ。何に使っても構わない。只、大きいだけに心配なんだよ洋介と言った。郷のママさんがやって来た。日本酒いけるでしょうと言った。聞こえましたよ。洋介さん、怖いのは女性ですよ。それが日が経つうちに現実味を帯びて来るのであった。つづくあかね空に吹く風217

  • あかね空に吹く風 216

    浅野が言った。叔母さんの娘さんが問題だな。詐欺紛いなものに巻き込まれたと見える。ここは注意が必要になりそうだな。洋介まで巻き込もうとしているようだ。一番やってあげたい叔母さんの周囲にとんだことがあろうとは洋介のお母さんもがっかりだなこれは、と言って浅野も嘆いていた。暫く沈黙が続いた。郷のママさんが東北の日本酒で一乃倉と云うのを飲まれてみて下さいと言った。渋い味の日本酒だった。浅野、何時も考えているのだがお前には何時も助けられてきた。いつもだ。今度のことでもお前の力が必要だった。是非ともお前にお礼がしたい。相続税を支払う前だがお前の気持ちを是非聞きたいと言った。つづくあかね空に吹く風216

  • あかね空に吹く風 215

    職場ではなるべく仕事に集中しいろいろ考えないことにした。昼休みは真面目に英単語を覚えた。岐阜の沼田先生や館林取締役からも何の連絡もないところを見ると遺産相続には今のところ支障はなかったと考えて良さそうだった。一週間は早い。週末になっていた。浅野から久茂地の郷で会おうと言った。そう言えば久しぶりである。早目に郷に行った。今日も満席に近かった。ママさんが一人ですかと言いビールをついだ。今日は後で東北の日本酒を飲んでみて下さいと言った。いい日本酒が入ったみたいである。浅野が来た。元気そうだった。久しぶりだな。洋介もだんだん落ち着いてきたみたいだな。見てわかるよ。と言ってビールを飲んだ。叔母さんに相談したようだがどうだったと聞いた。ハーバービューホテルでの話しの様子をした。浅野は少し顔を曇らせて聞いていた。調べに...あかね空に吹く風215

  • あかね空に吹く風 214

    桃香さんが言うには清流のママさんは忙しいのか私が赤十字病院に入院してから一度も病院には来てくれていないと言った。今日あたり店の従業員の方も一緒にお見舞いに見えますよ。と言った。後で知ったことだが桃香さんが退院するまでママさんは一度も病院に来てくれなかったそうである。私は妹二人に頑張って下さいと言い赤十字病院を後にした。救急車で来た夜のことを思いほっとしていた。私が帰宅すると大家さんが待っていた。そして今日二回程三人の男が山野さんを訪ねていたと告げた。紀子姉さんのグループらしいと察した。紀子姉さんはどうして私の連絡先やアパートまで教えなければならないのだろうと不思議に思った。今年の夏のある調査員から山野さんはまとまったお金が入るかも知れないと聞かされていたものと思われるが親戚だけにこれからどう対応すればよい...あかね空に吹く風214

  • あかね空に吹く風 213

    仕事が終わり赤十字病院に行くことにしていた。電話がなった。先日ロワジールホテルでサプリメントシステムの件で柴田紀子さんと一緒に会った鈴木です。山野さんに是非ともこのシステムに登録して頂きたく電話しています。二度とないチャンスですと一方的に言った。私がこれから話すことをしっかり聞いてください。そちらのサプリメントシステムには全く関心はなく登録をする意思はありません。今後もありませんので今後一切電話はしないで下さいと言って切った。やはり柴田の紀子姉さんはこの種の仕事をしている。柴田の叔母さんが自分のことで話しがしたいと言っていたがこれには何か有りそうだった。柴田の叔母さんが急に可哀想になっていた。私は赤十字病院に急いだ。五階に行き町田桃香さんの病室を聞くと奥の個室だと言った。静かにノックして部屋に入った。桃香...あかね空に吹く風213

  • あかね空に吹く風 212

    十一月になると肌寒い日が続いた。それと共に背広姿が目につくようになってきた。いつものようにコルトの中古車をのろのろ運転してやっと職場に着く。後ろの車からのクラクションもさほど気にならなくなっていた。昼休みに電話があった。桃香さんの妹からであった。先程、手術が無事終わりました。胆石が三つあったようです。今はナースステーションの側の部屋ですが個室に移るようです。ご心配かけ大変申し訳有りませんでした。と言った。私は良かったですね。仕事が終わり次第病院に行きます。どうぞお大事にと言って切った。良かったと思った。胆石が三つ、痛かっただろうなあとつい思った。つづくあかね空に吹く風212

  • あかね空に吹く風 211

    私は小学校の頃、当時若狭にいた母方の祖父と祖母に会う為に良く行ったものだ。祖父は私をことのほか可愛がった。祖父は僅かの土地に大根を植えていた。私は今でも大根の白い花を思い出す。私はこの山野の祖父からある程度の空手の手ほどきを受けた。沖縄の代表的な空手の流派どころか何派とも言えないような型を幼い私に教え込むのを楽しみにしていた。祖父の空手の特徴は手の先ではなく手の肘を使うことであった。肘をかならず相手の顎に当てる寸前で止める練習ばかりであった。だから私が山野の祖父から教わった型といいその技たるや誰の目にも触れたくない。でも本当に私には優しかった。それだけは間違いない。また運動会だけは毎年必ず見に来てくれた。白い帽子をかぶっていた。その時分柴田の叔母さんもいたとは思うが余り思い出せないのである。つづくあかね空に吹く風211

  • あかね空に吹く風 210

    翌日浅野から電話があり仙台の学会は疲れたよと愚痴をこぼしていた。そちらはどうかと聞いていたがいたって静かだと言っておいた。浅野はどうも最新型の内視鏡のことについて触れていた。さては購入する積もりかと思った。早めに帰宅すると銀行と郵便局からの封筒が届いていた。全部、普通預金から定期預金にしてもらいたいというものだった。余り興味はなかった。夜になっても電話はなく気にしていた手術はおそらく明日だろうと思っていた。そろそろ寝ようかと思っていた時に柴田の叔母さんの紀子姉さんから電話があり母と代わりますと言った。洋介ね。こないだは済まなかったねと言いお墓のことは進んでいるねーと聞いた。叔母さん、お墓を作る専門の会社に頼んでおきました。心配しないで下さいねと言った。洋介、暇の時でいいから話しがあるから電話してねと言った...あかね空に吹く風210

  • あかね空に吹く風 209

    桃香さんの母親に言った。胆石を手術で取り出せば治る病気ですからあまり心配しないで下さいと言った。そして妹に先ほどの看護士の明日の検査予定を伝えた。手術中はどなたかいてあげて下さい。また手術が終わりましたら知らせて下さいと言った。私は前もって用意していたお見舞い金を入れた封筒を取り出し少しですがと言ってベットの側に置いた。それでは私はこれで失礼しますと云い、桃香さん頑張って下さいと言った。母親も心なしか安心しているように見えた。私は赤十字病院を後にしながら県立那覇病院の建物を思い浮かべていた。昨日から預けていた駐車場に行きコルトに乗った。私はその時館林さんが受けとらないと言った一千万円が今いろいろな形で使われつつあった。つづくあかね空に吹く風209

  • あかね空に吹く風 208

    手術を控えているせいか看護士さん達の病室への出入りがかなりあった。点滴などが二つもあり痛々しかった。看護士さんが私を家族と思ったのか明日の検査予定を説明した。腹部と心臓のエコーと胆のうの造影検査をします。その結果で手術が決まると云い明日か明後日になると思っていて下さい。手術前に保証人をお二人お願いしますと言った。手術中はどなたか着いていて下さいと言った。良くわかりました。よろしくお願いしますと家族に代わって言った。桃香さん失礼とは思いますが今度の医療費は大丈夫ですかと聞いた。妹達になんとか頼んでありますので。とそれだけ言った。手術費用などは私のお見舞い金で十分に支払えるようにしますのでご心配なく。また個室にしてもらいましょう。と言った。三時を過ぎていた。桃香さんの母親が妹に連れられて入って来た。七十そこそ...あかね空に吹く風208

  • あかね空に吹く風 207

    赤十字病院に着いたのは一時を過ぎていた。日曜日とあって殆どが見舞いに来ているらしい人達だった。私は県立那覇病院時代は良く行ったものだが赤十字になってからは初めてだった。五階で降り五百三号室をたずねた。話し声がしていた。桃香さんは私を見てびっくりしていた。昨晩は本当に有り難うございました。山野さんが救急車を呼んで付き添っていただいたようでといたって元気だった。昨夜は本当に痛そうにしていました。このさい手術して胆石を取ってもらって下さい。そう心配しないでも大丈夫ですよ。と言った。妹さんがいた。私がいますのでお帰りになって下さい。夕方にまた来て下さいとだれが家族かわからないようなことを言った。私は明日からはお見舞いがそんなにできませんので今日は頑張ります。と言って妹を帰した。山野さん済みません。と桃香さんは何度...あかね空に吹く風207

  • あかね空に吹く風 206

    遅い朝食を取っている時、桃香さんの妹から電話があった。痛みも薬で押さえているようで落ち着いてきていると云い五階の五百三号室だと言った。姉も良く覚えていないようで山野さんにご迷惑をかけたと言っていました。私どもは浦添に住んでおりますが母だけを家に残してきておりますので少し心配です。私はこれから実家に帰りますが午後お見舞いに来て頂ければ下の妹も助かります。余り急だったもので。申し訳ありませんがよろしくお願いしますと言って電話は切れた。私はこれも何かの縁だと思って赤十字病院に行くことにした。公正証書遺言前はいつでも静かな毎日だったがあの時以来こうもいろいろなことが起ころうとは不思議で仕方がなかった。つづくあかね空に吹く風206

  • あかね空に吹く風 205

    町田桃香の家族の者ですがと言う声が聞こえたので私が声をかけた。二人は妹ですと言った。私は清流の客で山野です。急にこんなことになりましてと云い、救急車を呼んで今先、先生から胆石の手術をすることになるようだと説明を受けたと言った。妹二人はびっくりしていたが次第に冷静になった。やがて入院室がきまると思いますと言った。手術は明後日か火曜日と言っており十日程で退院出来るだろうとも言っていました。あまり心配しないで下さいと言った。私が明日の午後は付き添いができますのでそれまで妹さん二人で頑張って下さいと言って私の電話番号を書いて渡した。明日、桃香さんの様子と部屋番号を知らせて下さい。それから姉さんには手術費用や入院費用は私山野が全額支払いますとお伝え下さいと言って、深夜のタクシーに乗って帰ったのであった。つづくあかね空に吹く風205

  • あかね空に吹く風 204

    救急の医師が私に説明した。エコーの検査を精密にしました結果胆石が有ます。今日から入院して下さい。明後日、消化器外科の先生による手術になると思います。腹部に何カ所か穴を開けそこから胆石を取り出す手術になると思いますが主治医が決めると思います。順調にいけば十日で退院出来ると思います。検査の結果によっては手術は火曜日になる可能性もあります。入院室が決まりましたらお知らせします。と言った。私は直ぐに清流のママに電話で今の医師の説明を伝えた。ママさんは家族には伝えてありますから誰か見えるでしょう。山野さん、済みませんがよろしくお願いしますねと言った。明日はママさん見舞いに来てあげて下さいと言って切った。午前二時前に桃香さんの妹二人がやって来た。つづくあかね空に吹く風204

  • あかね空に吹く風 203

    土曜日にしては救急車は早かった。手際よく病人を救急車に乗せた。ママさんも心配そうに外まで出てきていた。私が桃香さんの姓名を聞くと町田桃香だと言った。沖縄赤十字病院の救急に行くことになった。ママさんから桃香さんの家族への連絡をお願いしますといい救急車に乗った。桃香さんはかなり痛そうにしていた。冷や汗というか顔を歪めかなり唸っていた。サイレンを鳴らしながら与儀の赤十字病院まであっという間に着いたが桃香さんは前より症状はひどくなっていた。救急隊員が無線で連絡を取っていた。私は救急車からおり桃香さん頑張ってと言って見送った。待合室にはかなりの人がいた。私は急性の消化器系の病気だと思っていた。時間は十二時を廻ろうとしていた。救急治療室で何らかの処置が行われているだろうとは思っていたが様子はわからなかった。それから一...あかね空に吹く風203

  • あかね空に吹く風 202

    私はそれから今日電話があった清流に行った。満席に近い状態だったが席を作ってもらった。すぐ桃香さんがやってきていらっしゃいませと言ってビールをついだ。久し振りですね。忙しいですねと言って笑ったのだがこの後思わぬことがあろうとはその時はつゆだにも思ってもいなかった。久し振りにカラオケも歌い続けすっかりいい気分になっていた。だんだん空席も出来たので桃香さんがグラスにビールをついで私のそばの席に着いた。私は最近車を買った話しをしたりしていた。暫くして失礼と言って店の奥に消えていた。しかしなかなか姿が見えないのでママさんを呼んで聞いた。桃香さんはどうしたのかと聞くと少し戻して休んでいると言った。今先まで私のそばに紛れもいたこともあり気になっていた。暫くしてママさんが私を呼びお腹と背中に激痛が有るらしく唸っている。山...あかね空に吹く風202

  • あかね空に吹く風 201

    私はその日週末とあって久し振りに若狭通りの店adayに行った。週末とあって混んでいた。カウンターに一つ席を見つけてビールを飲んでいた。ママさんが今日はお一人ですかと聞いた。浅野は内科学会で仙台に行っていると言った。ビールが久し振りに飲むとやけにうまかった。ママさんも私の柴田の叔母さんの事が気になっているらしくどうなっているのかと聞いた。やはり叔母さんの娘さんが他の事に使うことで水増しされていた。実際は四十万円だったと言った。やはり注意が必要でしたね。と言ってカウンターを忙しく回っていた。かなり落ち着きを取り戻したところで私が言った。サプリメントシステムとか云うものに四百万円注ぎ込む予定だったようだ。ロワジールホテルに呼び出され会社の三人に支払いを強要されたが私は断った。しかし登録キャンセル料として三十万円...あかね空に吹く風201

  • あかね空に吹く風 200

    初めて車を買う事が出来た。西原町にある不動産屋でアパートの近くの月極め駐車場を契約した。車庫証明が取れ中古車屋さんが全て手続きをしてくれた。買ったコルトは中古車だったが私には新車の匂いがして心地よかった。買って一週間は首里石嶺辺りから西原町までを何回も何回も走らせた。十日程経ったあたりから恐る恐る通勤にも使っているが嬉しくてたまらない。垣間さんもいい車だと言ってくれていた。最近はいたって静かに暮らしていた。これと言う問題もないまま十一月の末を迎えていた。那覇の天久にある墓地とお墓の建造専門の会社に小さな墓地を探してもらっていた。浅野からも何故か絶えずその事を言われていた。昼休みは真面目に英単語を覚えていた。その日は十一月としては寒い日だった。若狭にある清流の店の桃香さんから久し振りに電話があり、たまには店...あかね空に吹く風200

  • あかね空に吹く風 199

    私達はその男達が立ち去った後暫く黙っていた。紀子姉さんは本当に済みませんでした。と言ってすまなさそうにしていた。私が紀子姉さんは今回が初めてではなさそうですが被害を受けてはいませんかと聞いた。友達の紹介で大分損失を被りました。今度は大丈夫だと思って…‥。私は念を押した。またなさりたいですかと。すると、そうですね。資金があればねーと言った。私は話しを変えた。紀子姉さんつかの事を聞きますが最近私の母や洋二のことや私洋介のことを誰かが聞きに来てはいませんでしたかと聞いた。すると紀子姉さんは今年の夏、ある調査の為と言ってあなた達の家族のことを聞きに来ていました。うちの母が知っているだけは教えていました。調査費用だと言って二万円受け取っていました。なるほど。そうでしたかと言い、交通費に使って下さいと言い一万円を渡し...あかね空に吹く風199

  • あかね空に吹く風 198

    鈴木と名乗った男の人がこの方が私どもの会社のサプリメントシステム口座の百万円コースに四口登録なさっています。その四百万円をあなた様が支払われるとのことで参りました。とどこまでも丁寧だった。そしていつ支払いはなさいますかと聞いてきた。私は即座に未定です。支払うとしてもこの方のお母さんつまり私の亡き母の妹にあたります叔母さんへになります。そして私は紀子姉さんを見てこのサプリメントシステムの登録をキャンセルさせて頂けないでしょうかと頼んだ。すると先程の鈴木と云う人がサプリメントも届いております。また四百万円のコースに入られますと来月から二十万円の配当があります。是非登録をお願いしますと言った。私はこのさい登録はキャンセルさせて頂きますと言った。鈴木さんは私を見てキャンセル料として三十万円支払っていただけますかと...あかね空に吹く風198

  • あかね空に吹く風 197

    数日して私は柴田の叔母さんの紀子姉さんから電話があった。叔母さんは私の母さんからのメモ書きは五枚しか持ってなく額は四十万円だそうです。それ以外は探せないようです。と言った。私は即座に四十万円振り込んでおきます。と言った。予想はしていたが私は週末に那覇港に近いロワジールホテルのロビーに紀子姉さんから呼び出された。不安ではあったが行ってみた。既に紀子姉さんは見知らぬ三人の男の人達と一緒だった。三人はどうもビジネスマン風の人達だった。私はこちらの親戚の者ですがどういうご用でこちらにといきなり聞いた。私はホテルの人を呼び珈琲を五つ注文した。つづくあかね空に吹く風197

  • あかね空に吹く風 196

    私は垣間さんに中古車屋さんの紹介の礼を言い近く軽自動車のコルトを五十万円で買う予定にしていますと言った。それはまた楽しみだなあ。信用が置ける店だ。早く車で通勤してくれと言い喜んでいた。また浅野から電話があり叔母さんとの話し合いを気にしていた。お墓は早く造りお寺から母さんと洋二を移した方がいいと言っていたと話した。しかし困ったことに母さんが柴田の叔母さんから四百万円も以前借りていて娘に払ってもらえないかと言う。借りたという書類を見せてくれと言ったがどうも急いでいるようだ。またどうも母さんと洋二の事を第三者から事情を聞かれた節があり何かありそうだと言った。浅野が四百万円をすぐにと云うのは気を付けるべきだ。娘さんに何かあるかも知れない。娘さんに会う時はホテルのロビーを使え。十分注意は必要だ。ただお母さんの妹さん...あかね空に吹く風196

  • あかね空に吹く風 195

    私は長瀬課長のところに行き遅くなりました。飛騨牛です。と大きな袋に入れて渡した。ご家族で召し上がって下さいと言うといつも有り難うと言った。前は話しもしなかった課長と話しが出来るのも不思議だった。昼休みに垣間さんに飛騨牛と名古屋の和菓子を渡したら喜んでいた。女子職員にも名古屋の色とりどりの和菓子をあげた。土産品はいつでもいい物だ。人を何故か和ましてくれる。暫く昼休みは職場にいたことが無かった。私は久し振りに英単語を見たが殆ど忘れていた。少しでもやろうと気を取り直した。また柴田の叔母さんのことが気になっていた。どうも最近母さんと洋二のことを第三者に聞かれていたような気がした。その直感は当たっていた。つづくあかね空に吹く風195

  • あかね空に吹く風 194

    私は考え過ぎかと思っていた。ただ母さんがあれだけの生活費を叔母さんから借りなければ成らなかった苦労が悲しかった。それだけにその事実が無くて欲しいと思っただけだった。ママさん、嫌な話しをしてしまってといいビールを飲んだ。ママさんが言うには、叔母さんに返す前に必ずお母さんが書いたものを見せて貰う事ね洋介さんと言った。翌日、私はアパートの近くの月極め駐車場に行った。連絡先に電話を入れた。私は駐車場の近くの大家さんのアパートに住んでいる山野と云う者だが駐車場は空いていないかと聞いた。一台分の軽自動車なら空いていると云い月一万五千円だと言った。私は是非お願いしたいと云い近い内に契約に行くと言った。西原町にある不動産屋だった。週明けと同時に柴田の叔母さんの紀子姉さんから早速電話があった。沖縄海邦銀行の口座を教えてもら...あかね空に吹く風194

  • あかね空に吹く風 193

    気がついたら昨日浅野と来たadayと云う店の近くに来ていた。店内は客がまばらだった。ママさんは連日来たのでびっくりしていた。ビールを注文した。昨日は何億とか聞こえましたがと笑っていた。ママさんにも近々詳しい話しをしますけど。と言って少し聞いてみた。実は今日私の母と弟の事で母の実の妹とその娘にハーバービューホテルで会ったんだ。母と弟のお墓を造った方が良いかと云う相談をしたのだ。その話しの後、叔母さんの話しでは私の母に以前四百万近く貸してあると云う。生活費の為だと思われる。そして叔母さんが云うには娘がいま経済的に大変困っている。それでその四百万円を母に代わって返して欲しいと言われ、叔母さんに返す事にしたんですよママさんと一気に言った。ママさんは静かに聞いていたが四百万円は大きいですねと言った。そして洋介さん、...あかね空に吹く風193

  • あかね空に吹く風 191

    その日は母さんのことが思い出されていた。母さんは洋二が生まれてからは苦労の連続だったに違いない。コンクリート会社の作業員では二人の子供を育てるには容易なことではなかっただろう。妹の柴田の叔母さんのところに行き生活費を借りていたのだろう。私は首里坂下のグランドキャッスルに行き今後の計画を立てる積もりでいたが私の知らない意外な支払いが有りそうだった。この際支払うべきものは全て支払いを済まそうと思っていた。私自身数ヶ月前までは酒場で支払いが出来なかった。山野さんもう来ないでと言われている店が何店かあるがそれも一気に払う積もりでいた。今日は土曜日でどこも一杯だろう。支払い日にしては最適だと思った。こういう支払いがあっては精神的に良くないと思っていた。これからする事は中古車の購入。お墓を造り母さんと洋二を早くお寺か...あかね空に吹く風191

  • あかね空に吹く風 190?

    暫く二人は何も言わなかった。柴田の叔母さんも辛かっただろう。紀子姉さんも目を伏していた。柴田の叔母さん、長い間母さんが叔母さんにご迷惑をかけて済みませんでした。四百万円何とかしますからね。と言って紀子さんの銀行口座に四百万円振り込みますから口座番号を教えて下さいと言った。柴田の叔母さん、お墓を造りましたらまたいろいろ教えて下さい。叔母さんだけが頼りですから体には気を付けて下さい。また連絡しますからと言った。柴田の叔母さん、紀子姉さんの口座に振り込みが済みましたら母さんが書いたお金のものは済みと書いて処分して下さい。長い時間有り難う叔母さんと言った。口座番号は電話で教えてくれることになっていた。叔母さんを見送りながら悲しさが込み上げていた。つづくあかね空に吹く風190?

  • あかね空に吹く風 189

    柴田の叔母さんは遠い日を思い出そうとしている目で遠くを見ていた。洋介、母さんは洋二の出産については私には何の相談も無かったね。よっぽどの事情があったのだろう。元気な男の子が誕生したことを知った時はびっくりしたが嬉しかったね。と言って叔母さんは涙を拭いた。しかし私は何故か叔母さんはかなりのことを知っていたと直感した。私はそれ以上は聞かなかった。一息ついてから柴田の叔母さんは思わぬことを言った。洋介には本当は言いたくなかったのだが許してね。実は洋介の母さんに四百万円近く貸してあってねえー。亡くなって請求も出来なかったが、娘の紀子も生活に困っていてねー。いつか洋介と話しがしたいと思っていたところなのだよ。と言った。そうでしたか。柴田の叔母さん。母さんは私達兄弟を育てるのに生活費が足りなかったのですねと言って涙が...あかね空に吹く風189

  • あかね空に吹く風 188

    私達はロビーに行った。柴田の叔母さんはケーキを前にウーロン茶をおいしそうに飲んでいた。私は珈琲を飲みながら長いご無沙汰を詫びた。ところで叔母さん、母さんと洋二をお寺に預けているのが最近とても気になっています。叔母さんどうしたらいいでしょうかと聞いた。私もこの話しではないかと思っていたよ洋介と方言を交えながら言った。本当はね洋介、小さなお墓でも造り母さんと洋二のお墓にするのが一番いいのだがねー。と言った。それが一番いいですか叔母さん。でいつお墓を造ったらいいですかと聞いた。洋介、出来るだけ早く造ってあげた方がいいに決まっている。でも洋介お墓を造る費用はどうするのと言って顔を曇らせた。叔母さんいろいろあてが有りますから早く造るようにしますと言った。私はホテルのウエイトレスを呼んでケーキを追加した。柴田の叔母さ...あかね空に吹く風188

  • あかね空に吹く風 185

    adayに行くと浅野が早く来てビールを飲んでいた。早いなーと言って私もビールを注文した。浅野、おかげで村野証券での株式の売却は全て完了した。売却総額は五億三千七百七十万円だった。琉銀はじめ五つの銀行に振り込まれた。一応ほっとしていると言った。浅野は良く頑張ったと言った。果樹園合わせて約十億、相続税払っても五億はある。山野、夢みたいなことがここ何ヶ月かで起こったものだ。人生って本当にわからないものだな。と言って一人唸っていた。また館林取締役から速達が届いた。一千万円の御礼金の話しは無かったものにして欲しい。とあった。かなり沼田弁護士に怒られたようだ。公正証書遺言の作成にあたりかなりの額が山本慎之介さんから渡されていたようだ。と話した。浅野は静かに聞いていた。私がところで浅野には何のお礼もしてない。浅野のアド...あかね空に吹く風185

  • 夏のジョーク

    何年かぶりに三郎と黒助は出会った。挨拶してから三郎は黒助に聞いた。「奥さんは元気している?」黒助は「実は、僕は三回目のヤモメなんだ」と言った。「三回目?どうして?」すると黒助が「最初の妻はキノコを食べたら死んでしまった」と言った。「そうだったのか、それで二人目は?」すると黒助は「二人目もキノコを食べて死んだ」と言った。「三人目は?」すると黒助は「キノコを食べたくないって言ったから死んだんだ」と言った。夏のジョーク

  • あかね空に吹く風 184

    糸満街道はいつの間にか中古車街道になっていた。車の運転が出来なかったためほとんど家と職場の行き帰りであった。たまつ中古車商会は直ぐに分かった。垣間さんの紹介と言うと原西さんが親切に中古車を説明してくれた。垣間さんとは同期生と云うことだった。茶系のえんじがかったコルトと云う車を勧められた。私は心配なく運転が出来るようになるまでこのコルトで頑張ってみようと思った。私は今のアパートの近くに月極めの駐車場があるので契約出来次第知らすといいほぼ仮り契約の形をとった。支払いは一括支払いにしたいと言った。電話が鳴った。山野か、今日の夜大丈夫か?久し振りに若狭のadayに行ってみよう。と浅野が言って切れた。ふと私は浅野には何も御礼をしていないことに気がついた。つづくあかね空に吹く風184

  • あかね空に吹く風 182

    帰宅するとすぐにアパートの大家さんが来た。山野さん今日はあちこちから宅配便が届いています。本当に珍しいですね。と言った。この大家さんとは長い間のつきあいだが実にいい人である。名前がまた大家ときている。土産物はほとんど届いていた。大家さんに宅配便の受け取りのお礼として二千円を渡した。笑っていた。土産物を仕分けして早めに寝た。土産物を渡すのも何となく嬉しくなっていた。週末が近くなったので柴田の叔母さんに電話した。明日の土曜日大丈夫ですかと聞くと早めに行って待っているよと言って笑っていた。つづくあかね空に吹く風182

  • あかね空に吹く風 180

    私は暫く館林取締役からの手紙を見ていた。沼田先生にかなり意見された様子が読みとれた。館林取締役には果樹園の売却に関し尽力して頂いたがそういう事情なら一千万円は控えておこうと思っていた。明日あたりからいろいろ発送を依頼したのが届くだろうと思っていた。翌日、垣間さんからメモを渡された。たまつ中古車自動車商会まで電話するようにとあり電話番号が書かれていた。午前中の仕事はあっという間に終わる。私は近くの郵便局に寄った。通帳と印鑑と身分証明書を提示して一千万円引き出した。みずほ銀行那覇支店に行き新しく普通預金口座を作り、一千万円預金した。最近はやることがかなりあり英単語はさっぱりだった。つづくあかね空に吹く風180

  • あかね空に吹く風 181

    垣間さんから紹介されたたまつ中古車自動車商会に電話をした。垣間さんの紹介で電話しております山野と申しますと言った。私が垣間さんから話しを伺った原西です。軽自動車をお探しの様ですがなかなかお買い得のがあります。一年車検付きで五十万です。早めにご来店下さい。糸満市向けに行きますと糸満ロータリーの近くですぐわかります。と言った。私は週末までには行きますと約束した。名古屋に行ったこともあり車の事もすっかり忘れていた。私は新都心近くの不動産に電話をした。私は一人住まいの者で現在首里石嶺に住んでいるが新都心に移りたい。一人住まいが出来る物件を探していると言った。つづくあかね空に吹く風181

  • あかね空に吹く風 173

    私は暫く郵便局の椅子に座っていた。肩の重圧が取れた。と同時に脱力状態になっていた。暫くしてやっと立ち上がって外に出た。秋の空はどこまでも青かった。夕方久しぶりに久茂地にある店の郷に行った。夕方ともなるとどこからともなく客がやって来る。今日もほぼ満席だった。はいキリンビールです。といつものビールを置き一杯ついでくれた。店の人が浅野さんはこれからですかと聞いた。浅野が疲れた顔でやって来た。今日は内視鏡の検査が続いて疲れたよ。ビールを頼んでくれと言った。ビールを飲みながら浅野が五億円だと、良く売却出来たなあー。洋介、なにはともあれ名古屋に行ったかいはあった。村野証券はどうなっているんだとたたみかけて聞いていた。つづくあかね空に吹く風173

  • あかね空に吹く風 172

    私は無事に首里石嶺の家に帰ってきた。荷物は殆ど無く名古屋から発送を頼んでいた。意外と長く感じた名古屋行きだった。背広には小切手が異常なく納められていた。久しぶりに母さんと洋二にお線香をあげた。明日から仕事が待っていたが小切手や村野証券とのことでかなり忙しく成りそうだった。私は旅の疲れもあり朝までぐっすり眠っていた。手帳を目の前にして洗顔するなどかなり日常とは違っていた。早めに職場に行き長瀬課長に挨拶した。度々休みを取りまして済みませんでしたと言った。資料が机に積まれていた。垣間さんも声を掛けてくれた。しかしまだ人事異動の話しが聞こえていた。私は何度も背広の中を確かめながら資料を整理していた。昼休みに浅野に電話をした。浅野が出て小切手は大丈夫かと切り出した。小切手は郵便貯金口座に入金しておけといい夕方久茂地...あかね空に吹く風172

  • あかね空に吹く風 171

    私は離陸してもかなり緊張していた。緊張する必要はなかった。かなり自律神経がやられているようだ。那覇空港までどう過ごせばよいか考えていた。一昨日那覇空港を発ち関西空港に着き京都駅に着いた。私なりにこの二、三日のことを振り返ってみる間に那覇空港に着くだろうと思っていた。京都の宵は街を歩くだけで浮き浮きした。平安神宮で何を願ったのかわからない。名古屋駅界隈ではミニ会席料理などかなり贅沢をしたものだ。夜の河文の本格的な会席料理には唸らされた。館林さんは五億五千万円を売却額として提示した。五億円でまとまった。私はわからないが経営権というのをどう評価したのだろうか。私はまたしても名古屋和恵外科病院が目に浮かんだ。あの病院の院長は山本慎之介さんの長男だと云う。その院長先生夫婦が沼田先生の事務所に果樹園相続のことで来たと...あかね空に吹く風171

  • あかね空に吹く風 170

    私は名古屋空港の全日空のカウンターにいた。出発まで三十分しかなかった。幸いにも窓際の席がとれていた。出発ロビーに急いだ。あれから私は名鉄名古屋前の名鉄百貨店に入った。地下の食料品売り場に行った。地方発送承りコーナーがあった。私は垣間さんからの飛騨牛を思い出し二キロ分を買い込んだ。地下の食料品売り場は時間的にも混みあっていたがいろいろなものがあり決めかねていた。名古屋もたいした街だとつくづく感じていた。柴田の叔母さんにと特製の味噌と漬け物を買った。浅野や他の人達への土産物もかなり買い込んだ。私は背広の内ポケットには十分注意していた。全日空那覇行きの搭乗が始まった。窓際の席についたとたん疲労と安心感とが混在した気分だった。横の席は若い女性だった。全日空機は定刻通り離陸した。今自分が五億円というとてつもない小切...あかね空に吹く風170

  • あかね空に吹く風 169

    私は名古屋市街地でも繁華街の栄に来ていた。川口屋という和菓子専門店に入った。銘菓の名前がおもしろかった。花紅、花の宴、花衣、春の水を買った。明日発送してくれると言った。両口屋ではカステラ風のどら焼きを買った。青柳家では青柳生ういろう、カエルまんじゅうを買った。まだ三時を過ぎたばかりだった。歩き疲れたと思った矢先に西原珈琲店があった。木製のカウンターやテーブルが飴色に光り、骨董品やカップが並んでいた。珈琲とクラシックレアチーズケーキを注文した。ふと背広の内ポケットに手を当てた。異常はなかった。暫く忘れていたのである。明日からはかなり忙しくなりそうだった。つづくあかね空に吹く風169

  • あかね空に吹く風 168

    私は地下鉄の伏見駅の近くに来ていた。私は名古屋に来たからには名古屋名物のひつまぶしを食してみたかったからである。うなぎ料理であるが各店の秘伝のタレと備長炭で香ばしく焼き上げるひつまぶしは私には初めてだった。私が入った店は創業明治三十二年のうなぎとかしわ料理の老舗だった。絶妙な焼き上げと香ばしさがなんとも云えない料理だった。私はひつまぶしを食べながらも洋二のことを考えていた。洋二が生まれた時母さんが山本慎之介さんの息子として認知させ山本慎之介さんに引き取って貰っていたら、今頃は医者とは言わずともかなりの人物として成長していたのではないだろうか。そして今でも元気で頑張っていたのではなかったのかと思ったりした。あの名古屋和恵外科病院が私の目に焼き付いて離れなかった。館林さんの何気ない話しが長い間私の頭からは離れ...あかね空に吹く風168

  • あかね空に吹く風 165

    館林さんが全て完了してよかったですね山野さん。五億円の小切手も心配入りません。手が震えておられましたがお気持ちよくわかります。私も今度の件で多少緊張していましたが五億円で売却出来私も喜んでおります。私に対する一千万円もお気持ちとして頂きますがいつでも構いません。落ち着いてからで結構です。私はこれから社に戻りますが沼田先生にも経緯をお話ししておきます。五億円の小切手は十分に気を付けられお帰り下さいと言って握手を交わして館林さんも帰られた。残された私はまだ緊張感から解放されていなかった。珈琲をもう一杯注文してそれから部屋に戻り一億円の小切手をどのようにするか考えることにした。浅野に電話をして暇の時に連絡して欲しいと伝言を頼んだ。つづくあかね空に吹く風165

  • あかね空に吹く風 165

    私は急ぎ部屋に戻りチェックアウトの準備をした。荷物は殆ど無く小切手に集中出来そうであった。全日空の名古屋支店に電話を入れ午後五時過ぎの名古屋発那覇行きを予約した。空席は僅かだった。電話がなった。浅野からだった。洋介どうだった。上手くいっているかと聞いた。細かいことは抜きにして先程売却額五億円で全て完了し今日帰ると言った。浅野は洋介よくやった。館林さんに一千万円置いてこれるな。とかなり喜んでいた。つづくあかね空に吹く風165

  • あかね空に吹く風 167

    私は小切手の事が気になっていた。私の預金通帳は全て村野証券に預けてあった。キャッシュカードも二枚しかなかった。私は真新しい運転免許証の入った手帳に細長い真新しい小切手を丁寧に折って入れた。その手帳を背広のポケットの内側に入れしっかりとボタンを締めた。あまりに神経質になるのもどうかと思ったが沖縄に帰るまで大変ではある。人混みを避け特に空港は気を付ける場所だと言い聞かせていた。フロントに行きチェックアウトしようとした時、宿泊費の精算は済んでいると言った。館林さんが支払ったのだろう。私はタクシーで館林さんから教えてもらった山本慎之介さんの長男が院長の名古屋和恵外科病院を訪ねた。昭和区役所あたりからは名古屋市街地より静かな感じを受けた。この辺りは地下鉄鶴舞線が走っていると言った。桑山美術館辺りでタクシーをおりた。...あかね空に吹く風167

  • あかね空に吹く風 164

    紺野さんはかなり達筆で柔らかな字で署名捺印した。なかなか綺麗な字ですねと言った。紺野さんは売買契約書を取り出した。ワープロで殆どが埋められていた。紺野さんが一応契約書をお読み下さいと言った。私はすぐに館林さんに書類を見せた。こういった事は館林さんはお手のものであろうと思った。住所、氏名、連絡先を書き捺印した。紺野さんも書き慣れていて売買契約もすんだ。それでは売却額五億円を名古屋支店の支店長振り出しの小切手でお支払い致しますと言って背広の内ポケットから丁寧に小切手を出して私に手渡した。私は震えた手で小切手を受け取った。まさしく五億円の小切手だった。私は館林さんに手渡した。私は受領証に住所氏名を署名して捺印した。緊張感から捺印も上手に出来なかった。私はいろいろ有難うございました。と礼を述べた。紺野さんが何か書...あかね空に吹く風164

  • あかね空に吹く風 163

    そこまで話しが進んだところでどうも遅くなりましてと紺野さんが急いでやって来た。昨夜は豪華な会席料理を頂きまして誠に有難うございました。山野さんは今日沖縄にお帰りですかと言った。私はもっといたいところなんですがと言って紺野さんの珈琲を注文した。紺野さんが館林さんに登記簿謄本と法人関連の定款及び書類等はお持ちですかと聞いた。館林さんはかなり几帳面らしく登記簿謄本は木箱に入れ紫の布で綺麗に包んであった。また経営権に関する法人関連の書類も綺麗な封筒に入れられていた。何故か私には館林さんの山本慎之介さんへの思いが込められているように感じられて仕方がなかった。紺野さんは手際よく書類に目を通していた。間違いありません。確かに受け取らせて頂きます。それでは登記簿謄本の受領及びその他の書類の受領等に関し私紺野が確かに受領し...あかね空に吹く風163

  • あかね空に吹く風 161

    翌日私は名古屋国際観光ホテルで快適な朝を迎えた。昨夜はあれから名残惜しくはあったが河文を後にした。会計は私が支払った。かなりの額だった。館林さんがわざわざホテルまで見送ってくれていた。私は戸籍謄本や公正証書遺言の控えや印鑑証明など考えられる書類は全て準備していた。ロビーには九時過ぎに行きのんびりする積もりでいたがかなり緊張していた。私は全てが完了してから浅野に連絡を取ろうと思っていた。意外と早く館林さんがやって来た。鞄を大事そうに抱えていた。やがて紺野さんも見えると思いますと言って珈琲を二つ注文した。館林さんが昨夜は大変ご馳走になり恐縮していると言った。館林さんが云うには紺野さんも私達の売却意思と売却額が変わらない内に取引を完了させてしまいたいと思っていますので確認書や受領証への署名捺印を山野洋介さんも五...あかね空に吹く風161

  • あかね空に吹く風 162

    館林さんが、山野さんも今日沖縄に帰られましたらいつまたお会い出来るかわかりませんねと言って、何度も言うようですがどうか山本慎之介さんの思いを考え元気を出して頑張って頂きたい。最終的にはどれほどの遺産相続が出来るかは私にはわかりませんが、山本慎之介さんに感謝しつつお母様と洋二さんの為にどうぞ有効にこの遺産を生かして下さいと言った。私はわかりましたと言って私から尋ねた。館林さん、私は山本慎之介さんにお目にかかったことは御座いませんがこのように遺産を相続させて頂いた上はお墓参りをしないでも宜しいのでしょうか。館林さんはどう思われますかと言った。すると館林さんは今は山本慎之介さんの遺族の方のことを考えられ控えていた方が宜しいと思います。その時期が参りましたら私どもからお知らせいたします。紺野さんとの売却が完了され...あかね空に吹く風162

  • あかね空に吹く風 160

    紺野さんが帰られた後も私達は河文に残っていた。こんな豪華な会席料理の店にはもう来れないような気もしていたのである。館林さんが山野さん、五億五千万まで頑張ってみようと思っていたのですが。まあ一括売却で明日売却額の全額支払いで決着出来て良かったのではないでしょうか。と言った。私はもうそれで十分です。お約束通り一千万円はお礼とさせて頂きますと言った。館林さんも山本慎之介さんもほっとしておいでではないでしょうかと言った。館林さんは私は明日は比較的時間が取れますので午前十時に先程の名古屋国際観光ホテルのロビーでお会いしましょう。今日の宿泊もそのホテルに予約して有ります。飛騨古川の果樹園の登記の名義の移転は先に完了して山野洋介さんの名義になっており、登記簿謄本と果樹園の法人としての定款及びその関連の書類も揃っておりま...あかね空に吹く風160

  • あかね空に吹く風 159

    山本慎之介さんの公正証書遺言の相続財産の飛騨古川の果樹園とその経営権はひとまず紺野屋不動産の紺野さんが五億円で一括して買い取ることで決着したのだった。私が紺野さんに紺野さんの印象からはとても不動産ビジネスをやっておられるようには見えません。学校の先生か研究所の職員のようにお見受け致しておりました。と言うと紺野さんは岐阜県立商業を出て岐阜大学に進み卒業後はビジネスマンとして活躍していたが不動産の何千万、何億円と云うスケールの大きさに惹かれて今の仕事をしているといい、山野さんは誠実な館林さんに相談出来幸運でしたと言った。それでは明日館林さんからのご連絡が有り次第お会いして確認書や受領証などを書かれて下さい。私は取引先銀行の支店長振り出しの小切手でお支払い致しますと言った。そこで私が言った。私は一地方公務員でこ...あかね空に吹く風159

  • あかね空に吹く風 158

    この河文で味わえるのは、伝統の技に裏打ちされた本物の日本料理だった。寒鮃、勝浦金目鯛、文甲イカ、蟹しんじょうのお椀、さわらの松笠焼き、最高級飛騨牛焼き、鴨味噌煮込み、伊勢海老造り、まぐろ三昧御膳など和食が次々と運ばれた。高級日本酒も一本一本丁寧に並べられた。私達は暫くの間会話を忘れて和食に酔いしれていた。暫くして紺野さんが切り出した。山野さん売却額をどの辺におかれておられますかと言った。私は不動産のことは何も知りません。今度の件は一切館林さんにお任せしておりますと言った。館林さんが紺野さん果樹園と経営権の全てで五億五千万円でまとめて頂ければ嬉しいのですがと言った。紺野さんが目をつぶり天井を見て決心したように言った。館林さん、五億円でひとまず私紺野が買い、その後三人の方に私が売却すると云うことでどうでしょう...あかね空に吹く風158

  • あかね空に吹く風 157

    紺野さんは長身のスラリとした方だった。口髭をはやした五十代の優しそうな方だった。さあこちらへと館林さんが紺野さんに上座に座ってもらった。今日はわざわざ来て頂き有難うございますと館林さんが礼を言った。こちらは名古屋で不動産を扱っておられる紺野屋不動産の紺野さんですと言いこちらは沖縄から山本慎之介さんの相続の件で来られた山野さんですと一応の紹介がすんだ。部屋が開いて数名の店の人がビールや日本酒や数々の会席料理がテーブルいっぱいに並べられた。紺野さんが良くこちらの老舗の個室が取れましたね。と言った。ビールで乾杯した。ここ河文も沼田先生と良くお知り合いのものですので特別にお願いしたのです。と言った。紺野さんがはじめて私の方を向き沖縄からわざわざおいで下さり有難うございます。本日は館林取締役からかねてより山本慎之介...あかね空に吹く風157

  • あかね空に吹く風 156

    私は静かに館林さんの話しを聞いていた。館林さんは続けた。山本慎之介さんは岐阜市内の繊維問屋を叔父から受け継いだとも聞いています。岐阜は繊維の街でして反物の山が所狭しと積まれていた時代も有りました。今は和服も目立たなくなりましたが山本慎之介さんの和服姿はなかなかのものでしたね。私は果樹園の経営についても知り合いから助けを求められ資金を投入されたものと思っています。人柄といい財力といい申し分ない方でした。ですから山野さん山本慎之介さんの遺産は予想以上に大きなものなのです。山野さんが申し分ないと思う方がおかしいのです。山野さん、いいですか、お母様と洋二さんの為に有り難く相続致しますと元気を出れて下さい。これは沼田先生もお感じになっておられます。いいですね。元気を出すのですよ。と言った。そしてビールを飲んで、先程...あかね空に吹く風156

  • あかね空に吹く風 155

    個室は茶系で統一された素晴らしい部屋だった。館林さんがビールを飲みながらいきなり言った。そりゃあ山野さんの気持ちもわからないのでもない。岐阜都ホテルに電話をした時も公正証書遺言の執行の時もまた今お会いしている時もそうですが何か自信がなさそうと云いますかすまなさそうにしていらっしゃる。それではいけないのです山野さん。山本慎之介さんの家柄は岐阜加茂でも三代続いた造り酒屋です。そしてその長男です。沖縄のお酒は泡盛と今では全国的に有名ですがなかなか酒屋さんは苦労してきたと聞いています。山本慎之介さんは岐阜加茂に酒屋の蔵元を持っておられましたが飛騨地方は北アルプスや伊吹山などの雪解け水が長良川や飛騨川へとながれ、上質な米を育み蔵元の酒造りに生かされております。山本慎之介の酒蔵の純米吟醸酒花しぐれや、飛騨加茂柳流れな...あかね空に吹く風155

  • あかね空に吹く風 154

    個室は長いテーブルが置かれ上質の茶の背もたれが四つ並べられていた。さり気なく置かれたアンティークの小物や、時を経た建具などが醸し出す和の風情漂うしつらいが心を和ませていた。紺野さんが見えるまでビールを飲んでおきましょうと言って静かにビールを飲んでいた。つづくあかね空に吹く風154

  • あかね空に吹く風 153

    館林さんが山野さんそろそろ河文に行きましょうかと言った。少し早いかも知れませんがむこうで山本慎之介さんの思い出話でも致しましょうといい二人はホテルを出た。河文は名古屋の丸の内という所にあったが門構えといい建物自体の風格といい老舗料亭の趣がいやが上にも滲み出ていた。後で知ったのだがここ河文は徳川家お抱えの料理屋として創業された。敷地内には有名な建築家や彫刻家の作品が随所に有るということだった。個室は僅かしかない中で運良く予約が出来たものである。私達は奥の個室の座敷に通された。つづくあかね空に吹く風153

  • あかね空に吹く風 152

    私は館林さんに言った。私は館林さんの誠実さに心から感謝しています。公正証書遺言による遺産相続も始まっております。館林さんの会社の中部電力の株式もほぼ売却されています。また宝酒造株式も同じように売却が進んでおります。沼田先生はじめ皆様方の力で山本慎之介様の遺言の相続が進んでおります。私自信喜んでいいのか正直複雑な気持ちでございます。本日も私の為に高級な会席料理店を予約されておられます。この費用は当然私が支払うべきだと思っておりますので私の気持ちをお汲み取り願いたいと思っております。もうひとつはこれからの紺野さんとの話し合いで館林さんのおっしゃる五億円で売却額が決まりましたら是非とも一千万円を私からのお礼として受け取って頂きたいと思っております。ここまでの館林さんのご苦労に対し感謝の気持ちを伝えたいと思ってお...あかね空に吹く風152

  • あかね空に吹く風 151

    館林取締役が、山野さん、売却額はどう考えておられますかと言った。私は浅野の言葉を思い出していた。館林さんに全てお任せ致します。私は正直不動産についてはなんにもわからないのですと言った。また、果樹園の経営権なるものも全くわかりません。私からの希望は早めに売却を完了させ館林取締役さんにも楽になって頂きたいと思っていますと言った。館林取締役が初めて売却額を口にした。私としては山本慎之介さんに大変な恩義があります。このさい五億円でまとめたく皆さんにお願いしようと思っていますと言った。五億円、その時は他人事のように聞こえていた。山野さんこれから名古屋でも最古の名料亭でなかなか行けない河文にご案内致します。そちらに紺野さんを呼んでおりますので良く相談してみましょうと言った。つづくあかね空に吹く風151

  • あかね空に吹く風 150

    館林取締役は懐かしそうにガラス越しに庭を見ていた。暫くして、山野さん、飛騨古川の果樹園の売却が大変遅れて相すみません。沼田先生からも催促の連絡を頂いておりますが私の方が急に忙しくなりまして遅くなっております。なにせ山本慎之介さんは洋二さんに十五万坪と云う広さの果樹園を遺言にて相続させようとなさっておられました。果樹園や山林や花卉園栽培などの不動産売買はかなり価格の面で難しい様です。そこで私の知人から紹介されました名古屋の紺野屋不動産の紺野さんが買い手をお二人探されておりますがあと一人加えられないかと云う話しになりました。そこで私は親戚に相談し親戚も買い手に加わることにあいなりましたと言った。つづくあかね空に吹く風150

  • あかね空に吹く風 149

    名古屋城を出た。いつの間にか三時を過ぎていた。タクシーで名古屋国際観光ホテルに急いだ。綺麗なホテルだった。中に入った。庭が見渡せるガラス張りの近くがロビーだった。館林取締役はまだ見えていなかった。珈琲を注文していたら館林取締役が笑いながら私のところにやって来た。手を差し出しお久しぶりです。と言った。館林取締役も珈琲を注文し、しきりに札幌で会議があって大変申し訳ないと言った。館林取締役の穏やかな顔がますます西田敏行に似ているように見えた。聞いてみた。釣りなどなさいますか。いやいや専らゴルフだけです。そういえば山本慎之介さんもゴルフが上手でしたなー。私も良く誘われましたよと言った。つづくあかね空に吹く風149

  • あかね空に吹く風 148

    新幹線ひかりは岐阜羽島駅に停まった。新幹線は岐阜駅には停まらず名古屋に行く。先日来た岐阜に今回行けるかどうかはまだわからなかった。新幹線名古屋駅に着いた。人の乗り降りが激しくなっていた。さすが尾張名古屋だった。私は館林取締役を名古屋でも超一流の会席料理の店に招待する積もりでいた。駅前で郵便局を探した。昨日村野証券に振り込みを依頼した一千万円は既に入金されていた。まだ館林取締役との約束の時間までには間があった。私は村野証券の課長が誠実に対応してくれたのに嬉しくなっていた。名古屋駅構内にある観光案内所に行き昼、会席料理が一人でも食べれる店を紹介してもらった。名古屋駅から少し離れているが、長年経済界の社交場として使われていた八十年以上の屋敷を日本料理店としてよみがえらせた神楽家に行かれたらと云う事だった。オープ...あかね空に吹く風148

  • あかね空に吹く風 147

    二条城ホテルに帰り休んでいたところに暫くしてまた携帯電話が鳴った。今度は沖縄の村野証券の課長からだった。中部電力の株式が千百円で五万株売却出来、また宝酒造株式も八万株六百二十円で売却出来ました。後少しで注文頂いている全ての株式の売却が完了致します日にちがかかりまして申し訳ありませんがもうしばらくお待ち下さい。と言った。私はとっさに浅野が言った館林取締役に一千万円置いて来い。と云うことを思い出した。私は慌てて課長さん、私の郵便貯金口座に明日一千万円振り込みをお願い出来ませんかと聞くと残高が十分ありますので明日の朝振り込んでおきます。と言って切れた。私は浅野の云う一千万円のことが何を意味するかを考えながら今日の館林取締役からいい話しが聞ければと思っていた。新幹線ひかりは滋賀辺りにさしかかっていたつづくあかね空に吹く風147

  • あかね空に吹く風 146

    私は京都駅から新幹線ひかり東京行きに乗り込んだ。十時は少し過ぎていた。昨夜はあれから宵の河原町界隈を歩き回った。途中、携帯電話が鳴った。浅野からだった。今京都の河原町に来ていると言った。一体どうなっているのかと怒鳴られた。館林取締役の事情を説明すると一変優しくなり、四条烏丸駅近くの竹寿司で寿司を堪能してみたらいいと言った。俺は奈良に長い間いたが京都は良く行った。奈良京都と聞くだけで血が騒ぐよと言った。明日かなり詳しい事がわかるはずだ。売却のチャンスを逃すなよとも言った。私は四条烏丸に行き教えられたように竹寿司の店でマグロの寿司を味わっていた。この店はマグロ三昧と云われていたようでマグロの味をどこまでも追求しているかのように思えた。かなりの量を堪能したところで店を出た。さすがに京都の寿司店は高かった。つづくあかね空に吹く風146

  • あかね空に吹く風 145

    今、私は何故二条城ホテルにいるのか不思議であった。こういう意識は私だけなのだろうかと思った。数ヶ月前に郵便受から書類を取り上げた時から私には目に見えない義務と責任と幸運が同時に混在し京都に今こうして来ていたのであった。いよいよ明日は公正証書遺言による遺産相続でも難しい果樹園と云う不動産の売却に付いて最後の段階が待っているような気がしていた。私はここまで考えてうつらうつら寝てしまっていた。目が覚めた時には外はすっかり暮れ街は闇に包まれていた。私はもう一度河原町を歩いてみたくなっていた。河原町から八坂神社の方に歩いてみた。昼よりもはるかに賑やかだった。今の私にとっては只歩くだけで有るが気持ちが軽くなっていた。京都は只歩くだけでも本当に楽しい街だと云うことをその時から身を以て知らされた。すっかり秋の日も暮れ肌寒...あかね空に吹く風145

  • あかね空に吹く風 144

    私は今、名古屋でなくて京都を歩いていた。母さんと洋二も一緒だったら楽しかっただろうその時つくづく思っていた。私の記憶では母さんは九州は行ったで有ろうが京都に行ったとは一度も聞いてはいなかった。洋二も修学旅行でしか京都には来ていないのではなかったかと賀茂川の流れを橋から見ながら思った。母さんも洋二ももう少し長生きして欲しかった。自然と涙が滲んだ。悔しかった。まだ宵には時間があった。タクシーで平安神宮に行った。砂利道が続いていた。かなりの人がいた。修学旅行の学生達もいた。私はお詣りして御守りを買った。また交通安全の御札も買った。思いつきで京都の街を見て回っていたが結構忙しかった。タクシーで京都大学に行った。時計台を見た。暫く歩いてみた。京都府立医科大学が見えてきた。このあたりは静かで素晴らしい環境を呈していた...あかね空に吹く風144

  • あかね空に吹く風 143

    暫く京都の街を歩いてみることにした。さすがに古い商店街がつづいていた。焙煎珈琲店に入った。いい香りがした。モカを注文した。何故かやっとリラックスしてきた。無意識にもかなり重圧感があるのだろうか。何ヶ月前までは無気力でのんびりすぎるほどの生活に慣れ切っていた。そういう私でも緊張状態になるものなのだろうか。遺産相続なるもののもつ怖い一面でもあった京都の人は客とは余り話しをしない。京都名産宇治茶と書かれた店に寄った。私はこれからは毎日お線香とお茶を供えるのを日課にしようと思っていたのである。私はこれまで何一つやっていなかったからである。宇治茶でも上質のものを一キロ買った。土産物になるとも思っていた。一週間後送って欲しいと依頼した。つづくあかね空に吹く風143

  • あかね空に吹く風 142

    私は二条城ホテルに宿泊の予約をした。タクシーで河原町に行ってみた。まだ昼間と云うのに沢山の人だかりだった。さすが京都のメインストリートだけあって歩くだけで楽しくなる。昼御飯は丼ものと決めた。タクシーで東本願寺に行った。お参りした。タクシーを拾い仏具を扱っている有名な店に連れて行ってもらった。京都に寄ったのは仏具を買う為でもあった。タクシーの運転手は何条通りは何の店が多いと盛んに説明していたがあまり耳に入らなかった。京都の仏具店は初めてだったが沖縄とは少し異質な感もあった。線香、お花生け、お茶碗、ロウソク、提灯それに香料などいくつかを買い一週間後送って欲しいと依頼した。これが公正証書遺言による遺産相続で私が母さんと洋二の為に具体的にやった事の初めであった。つづくあかね空に吹く風142

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、春風がふく街さんをフォローしませんか?

ハンドル名
春風がふく街さん
ブログタイトル
春風が吹く街
フォロー
春風が吹く街

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用