chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
天香山命と久比岐のあれやこれや https://koshi-areyakoreya.hatenablog.com/

素人がネットを検索しまくり天香山命と久比岐について探ってみる。

以前やっていたブログ「天香山命あれやこれや」をバージョンアップしました。

比佐家
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/03/15

arrow_drop_down
  • youtube動画

    新作にしてシリーズ最終回です。 #0015スサノオ 山陰の大己貴 月読 八岐大蛇 ほか Happy birthday ATOM. ――― 訂正 ――― 今回も大規模に持論を改定しました。大きな変更は、武内宿祢は紀伊勢。伊香色謎を葛城氏/尾張氏/和珥氏の系譜につらなる。大物主を唐古鍵と纏向の融合した存在。古事記もある程度は年代を揃えてある。等です。ほかにも幾つか変更があります。

  • 穂積氏と尾張氏と息長氏

    日本書紀前半の構成の詳細版を作成中。 日本書紀前半の構成 詳細版 懿徳[4]と仲哀[14]は早逝してるので短くした。ヤマト大王は女系継承との推測から、母系先祖で色分けした。ここでいう尾張氏は瀛津世襲に近い《日本海側の尾張氏》のこと。 神功皇后は父系の「息長」ばかり吹聴されるが、母系は「葛城」である。母の名は「葛城高顙媛」、母系の曾祖母の名は「当麻之咩斐」という。垂仁7年の逸話に登場する「当摩蹶速」のいた当麻邑は、wikipediaによると現在の葛城市にある。 日本書紀 垂仁7年 七年秋七月己巳朔乙亥 左右奏言 当麻邑 有勇悍士 曰当摩蹶速 其為人也 強力以能毀角申鉤 wikipedia 当麻蹴…

  • youtube動画

    新作です。 #0014天孫降臨と海幸山幸 日向の3勢力 Happy e-mail day.

  • アマテラスの起源について仮説

    【日本書紀 神代上第七段 一書第一】 故 即以石凝姥為冶工 採天香山之金 以作日矛 又 全剥真名鹿之皮 以作天羽韛 用此 奉造之神 是即 紀伊国所坐日前神也 天香山=瀛津世襲の尾張氏(和珥氏)矛≒剱(突き攻撃が主体の武器) 紀伊国一宮日前宮の社伝とは異なるが、この日矛は草薙剣ではないか? 鹿=丹波勢 丹波勢の遺産でフイゴを作り、新たな神を祀りはじめた。この丹波勢は、第7代孝霊天皇だろう。 とすると、天照祭祀は4世紀後期以降の和歌山平野ではじまったことになる。

  • smalltalk - 今年のクリスマスソング

    今年の Carol of the Bells 再現度の高さに慄くNightmare Before Christmas よいお年を!

  • youtube動画

    新作です。 #0013星神討伐③ 星神香香背男 高志国の阿彦 nice wear, meet, book, swell-fish, stationery.

  • 山幸と豊玉姫

    隼人族の祖である海幸は《南九州勢》である。 日本書紀神代下 第九段 本伝 始起烟末 生出之兒 號火闌降命 是隼人等始祖也 火闌降 此云褒能須素里 日本書紀神代下 第十段 一書第二 火酢芹命苗裔 諸隼人等 至今不離天皇宮墻之傍 代吠狗 而 奉事者矣 本伝と複数の一書からなる日本書紀は、神の象徴する地域が逸話ごとに異なることがある。例えば、国譲り神話の大己貴は、本伝が唐古鍵の大己貴、一書第一が纏向の大己貴、一書第二が山陰の大己貴である。 よって海幸と山幸も、逸話によって異なる地域を象徴する可能性がある。第十段では、一書第二以外の逸話の海幸は、南九州勢ではないかもしれない。その可能性を残しつつ推測す…

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0012星神討伐② 分裂するヤマト 瀛津世襲と狭穂彦 纏向大己貴 Tofu is delicious!

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0011星神討伐① 関東の天津甕星 関東の国造 出雲国造神賀詞 midsummer day of the ox.

  • smalltalk - いま

    願矯其枉 youtube カナダ人ニュース6.23 Biden息子捜査妨害の全貌公開Part①6.24 史上最悪の隠蔽の真実 日本書紀 神代上 第五段 一書第六 伊弉諾尊 既還 乃追悔之曰 吾 前到於不須也凶目汚穢之処 故 当滌去吾身之濁穢 則往 至筑紫日向小戸橘之檍原 而 秡除焉 遂将盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬 是太疾 下瀬 是太弱 便濯之於中瀬也 因以 生神 號曰八十枉津日神 次将矯其枉 而 生神 號曰神直日神 次大直日神

  • smalltalk - 卑弥呼に関して疑問

    吉野ケ里遺跡の石棺墓発掘調査に便乗して、ひとつの疑問。頓珍漢な発想かもしれないが。 魏志倭人伝 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑彌呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫壻 有男弟佐治國 一般に「年已長大 無夫壻」の部分は「年はすでに長大、夫婿なし」と読まれている。そしてこれを理由に、卑弥呼は生涯独身だったと言われている。 「夫婿を無くす」と読んではダメなのか? 「長生きしてるうちに配偶者に先立たれた」とか「長生きしていて(今は)夫壻がいない」とは読まない理由を知りたい。 巫女は清らかな身でなくてはならないという西洋史由来の解釈はナシの方向で。

  • 允恭雄略父子を南九州勢とみる根拠

    また忘れそうなのでメモ。 清寧紀 元年 冬十月癸巳朔辛丑 葬大泊瀬天皇于丹比高鷲原陵 于時 隼人 晝夜哀號陵側 與食不喫 七日而死 有司 造墓陵北 以禮葬之 是年也 太歲庚申

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0010欠史八代 ④ 葛城氏 尾張氏 和珥氏 Happy birthday, NARITA INTERNATIONAL AIRPORT.

  • 倭姫命世記 豊鍬入姫巡歴

    動画で言及したけど、ブログではまだ未使用だったネタ。倭姫命世記の豊鍬入姫巡歴は、古代における奈良盆地の覇者を列記している。 天照を《唐古鍵の象徴》と定めるに至る決定打がこの《豊鍬入姫巡歴》。第一の元伊勢に笠縫邑を2つ記す理由を考えた結果だ。 解説が複雑になりすぎるから、動画では言わなかったことが1つ。 清寧(白髪武広国押稚日本根子)の母系先祖は海神族の尾張氏。海神族は纏向。だから第六の元伊勢が倭国三輪になっている可能性もある。

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0009欠史八代 ③ 国譲り神話 纏向vs.唐古鍵 Happy Buddha’s Birthday!

  • 自説変更:瓊瓊杵が逆だった

    日本書紀神代下第九段が記す3つの国譲り神話を整理。皇祖神・天照を定義することを躊躇していたが、このたび勇気を出して決断した。その結果、本伝と一書第一の瓊瓊杵を取り違えていたことに気づいた。 国譲りの差異 高皇産霊は信越勢。筑紫日向のあたりから東征して纏向を建てた初代大王が、信越勢の珍彦を倭国造に任じる。第2代纏向大王が神渟名川耳天皇こと綏靖[2]。よって本伝は纏向視点。 本伝の大己貴は唐古鍵の有力者。唐古鍵から丹波へ移住。のちの丹後王国。 天照は唐古鍵の象徴なので、一書第二は唐古鍵視点。丹波への移住は、纏向の圧力が原因ではあるが、唐古鍵の人々が自分たちで決断した。帰化人が流れ着く日本海を重視し…

  • 自説変更:丹波大己貴は丹波勢じゃなかった

    唐古鍵から見て、冬至の日の出は三輪山の山頂から昇る。その冬至ラインの途中に纏向がある。唐古鍵から冬至の日の出を拝むと、結果、纏向を拝むかたちになる。 なので、纏向が大物主。 これまで当ブログが『丹波大己貴』と呼んできた、日本書紀神代下第九段の本伝と一書第一に記される大己貴は、纏向の有力者。158年天岩戸日食の頃に畿内入りした山陰勢が纏向をつくる。 とりあえず。今回以降、丹波大己貴の呼称を改め『3世紀の大己貴』とする。併せて杵築大己貴も改め『5世紀の大己貴』とする。

  • 筑紫日向は長州

    筑紫国から見て日の出の方角にある土地が『筑紫日向』 日向国は南九州と長州の2か所。唐古鍵系瓊瓊杵こと景行[12]は南九州に、纏向系瓊瓊杵こと誉津別は長州に降臨。 神代下第十段(海幸山幸)は、逆だった。訂正する。海幸(火闌降)が南九州、彦火火出見は長州または筑紫。 神武[1]が出立した日向は長州。椎根津彦と出会った速吸之門は関門海峡。志賀島阿曇氏が椎根津彦。 戊午年の夏四月丙申朔甲辰、長髄彦と対戦する逸話から、神武[1]の中の人が変更。ここまで神武[1]だった長州出身の皇孫は降板して五瀬になる。新しい神武[1]の中の人は、安芸か吉備出身。長髄彦は南九州出身の刺領巾。 六月乙未朔丁巳、名草戸畔を誅…

  • 建御名方の正体

    懿徳[4]は唐古鍵と纏向の統合を試みたが、事故か暗殺か、返し矢により絶命したために頓挫する。矢を返したのは高皇産霊(信越勢)である。 信越勢の働きで、統合の流れは一時停滞した。だが、信越勢にも統合を推進する一派がいたのだろう。それが古事記の建御名方だ。 古事記の建御名方の母は奴奈川姫(信越勢)であり、父は丹波大己貴だろう。懿徳[4]が試みた唐古鍵と纏向の統合が順調に進んでいれば、建御名方はその王位にもっとも近かったのではないか。 統合の流れを阻止するため、建御名方は同族により纏向から排除された。そして建御名方はルーツである信越へ行く。 だが諏訪の伝承では、建御名方が敗戦した事実はないという。同…

  • 天稚彦の試みと政教分離と和風諡号の日本

    夢のお告げにより大物主の祭祀を大田田根子に、倭大国魂の祭祀を市磯長尾市に任せたと、崇神紀は記す。 日本書紀 崇神七年 秋八月 秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田々根子命為祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神主 必天下太平矣 大物主(三輪山)を祀るのは唐古鍵。倭大国魂を祀るのは纏向。 第4代懿徳天皇(大日本彦耜友天皇)=天稚彦天稚彦は、日本書紀神代下第九段の本伝によれば、顕国玉の娘の下照姫を娶り、葦原中国の統治者になろうとした。 天稚彦は、唐古鍵と纏向を統合しようとしたのではないか。 これに高皇産…

  • youtube動画の告知

    改作です。 #0008日本書紀前半の構成 天岩戸日食 始馭天下之天皇/御肇国天皇 Happy GIRL's day!

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0008欠史八代② 高皇産霊(造化三神) 天穂日(誓約の五男神) Happy CAT's day!

  • 仮説:唐古鍵vs.纏向(4世紀)

    唐古鍵遺跡は弥生前期~古墳前期。古墳時代は3世紀後~6世紀。おおまかに前期は4世紀、中期は5世紀、後期は6世紀。 国指定文化財等データベース(文化庁) 奈良県唐古・鍵遺跡出土品 謹製『初期天皇の活動年代表』によれば、4世紀後期は孝元[8]と仲哀/神功[14]、仁徳[14]の世代。 初期天皇の活動年代表 孝元[8]:大日本根子彦国牽:山陰勢日本書紀の神代上第八段(八岐大蛇)本伝が記す大己貴(素戔嗚の子)に推定。 素戔嗚=武内宿祢八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]、忍熊王、麛坂王、菟道稚郎子、大山守王、両面宿儺など。ただし忍熊王+麛坂王=両面宿儺の可能性が濃厚) 唐古鍵遺跡の終焉と、第八段本伝の山陰勢に…

  • 五男神を変更

    今までずーっと見落としてたけど、天津彦根の子孫が書いてあった。天津彦根は大阪湾でした。とすると、東海は活津彦根なのでしょう。 日本書紀 神代上第六段(誓約)本伝 而 吹棄気噴之狭霧 所生神 號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 次天穂日命 是出雲臣土師連等祖也 次天津彦根命 是凡川内直山代直等祖也 次活津彦根命 次熊野櫲樟日命 凡五男矣 wikipedia 凡河内氏 2023/02/10転写 上代の凡河内国、すなわち後世の摂津、河内、和泉にわたる広い地域に国造氏族として勢力を持っていた。 wikipedia 山代氏 2023/02/10転写 支族は摂津国廣田神社の祝として奉仕し、子孫は鷹羽を名乗った[…

  • smalltalk - おすすめ動画

    フィンランド語はわからないが冴えてる熟女。そして何故か黒柴。 Värttinäは2016年のアルバム「Viena」もおすすめ。3曲目の「Kanaset」は突き抜けた陽気さが最高! うたごえにいのちをかんじるんだ。

  • 沖津宮―日御碕 30度ライン

    沖津島と日御碕神社は、ほとんど30度のライン。言い換えると、日御碕神社から見る冬至の太陽は沖津島に沈む。 宗像大社沖津宮祭神の田心姫は、天照の御業で素戔嗚の所有物から生まれた三女神の一柱。 日御碕神社神の宮(上の宮)の主祭神は素戔嗚、ほかに三女神。日沉宮(下の宮)の主祭神は天照、ほかに五男神。 このラインを北東へ延長すると、惜しくも南へ1、2度ずれてしまうが、須須神社と度津神社がある。言い換えると、日御碕神社から見る夏至の太陽は須須神社や度津神社のあたりから昇る。 須須神社祭神は瓊瓊杵と御穂須須美と木花咲耶姫。 出雲国風土記によれば、御穂須須美は奴奈宜波比売と天下所造大神の娘。 度津神社主祭神…

  • 山陰勢の瓊瓊杵

    日本書紀神代下第九段(国譲りと天孫降臨)の本伝が記す瓊瓊杵は、日向国に降った丹波勢である。 日本各地に侵攻していった丹波勢をひとつにまとめて、景行[12]の事績にしている。景行[12]は丹波の日葉酢媛から誕生したと記されているが、これを暗に否定する逸話がある。 応神紀13年の一云(鹿皮を被った牛)については、2022/11/22の記事で言及した。 もうひとつ、垂仁紀87年の「牟士那の腹から八尺瓊勾玉がでた」逸話も、日向国へ降った丹波勢の瓊瓊杵の出自を否定するものだろう。丹波の皇統は鹿のはずだ。正統でない貉腹の瓊と揶揄しているのだろう。 本伝の瓊瓊杵(丹波の日葉酢媛の子と記される景行[12])は…

  • smalltalk - おすすめ動画

    数年前にyoutubeで見たヨーロッパのテレビ放送のクリスマスコンサートで(違法アップロードだったかもしれない)とても気にいった曲。 かつて気に入ったコンサート動画はもう見つからず、多くのミュージシャンによる様々なアレンジを聞き比べて自分好みの演奏を見つけた。原曲はウクライナの民謡だそうなので、時世柄にも合致。

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0007欠史八代① 第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇・第4代懿徳天皇(2022/12/25公開) メリークリスマス。

  • 鳥は海神族、鹿は丹波勢

    古事記の神語歌前半、八千戈が奴奈川姫に求婚(脅し)する逸話で、奴奈川姫は自分を浦渚の鳥に例える。また、八千戈が鵺、雉、鶏に例えているのは奴奈川姫の集落(久比岐)の人々だろう。 奴奈川姫の久比岐は椎根津彦(珍彦)のルーツだ。よって、鳥は海神族の象徴と推定する。 そのほか。日本書紀に登場する隼人第一号は履中紀の刺領巾だ。履中[17]は5世紀前期の人物と考えられ、2世代前の4世紀中期に景行[12]が日向高屋宮にて御刀媛とのあいだに豊国別を儲けている。 天孫降臨の瓊瓊杵=景行[12]鹿葦津姫=御刀媛・日向髪長大田根山幸(彦火火出見)=豊国別(日向国造)海幸(火闌降)=日向襲津彦(阿武国造)=仲哀[14…

  • 小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂が詠んだ月

    小倉百人一首は歴史の教科書だ。と、聞いたことがある。何年か前にはネットでも記事を読んだ。と、思う。たぶん。 それで以前、阿倍仲麻呂の歌を考察した。だが今になって、結論が間違っていたと考えている。 小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出(い)でし月かも 【当ブログの解釈】あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長い仁徳[16]まで)ふりさけみれば →振り裂けみれば →振り裂けるように終わってみればかすが →春日和珥氏(忍熊王討伐・両面宿儺討伐を行った和珥武振熊の子孫)なる →成る →成りあがるみかさのやまにいでしつき →三笠山(奈良盆地の北…

  • 三勢力それぞれの八岐大蛇退治

    丹波勢(孝霊[7]=大国主)の国譲りが本伝、山陰勢(孝元[8]=大国主)の国譲りが一書第二であるように、八岐大蛇退治の本伝と一書第一と一書第二も、三つの勢力の事績だろう。 八岐大蛇退治の本伝は山陰勢 素戔嗚=孝元[8]の父=武内宿祢大国主(素戔嗚の子)=孝元[8]八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]の一族) 脚摩乳が奇稲田姫を「少童」と呼んでいる。日本書紀は神代上の第五段(神生み)の一書第六(黄泉戸喫)にて、ワタツミを「少童」と記す。奇稲田姫が海神族である証左だろう。 神代上 第五段(神生み) 一書第六(黄泉戸喫) 有朝霧 而 薫満之哉 乃吹撥之気 化為神 號曰級長戸辺命 亦曰級長津彦命 是風神也 又…

  • 天穂日および五男神について自説変更

    非常にあやふやな記憶で、「古代の航路を表す五男神のうち天津彦根と活津彦根の交わる場所が彦根説」を教えてくれた彦根市のタクシー運転手に、北陸出身であると話したら、天穂日だと言われたような言われなかったような気がしていた。それで、この不正確な記憶を頼りに、五男神があらわす航路を推定したけれど、間違ってた。 孝元[8]は山陰勢。武力行使により丹波勢(孝霊[7])を追い落として、ヤマトの大王になる。この出来事が、八岐大蛇退治の神話になる。八岐大蛇退治の素戔嗚=武内宿祢。 開化[9]は物部氏。山陰勢との話し合いにより物部大前(開化[9])がヤマトの大王になる。この出来事が、国譲り神話の一書第二になる。 …

  • youtube動画の告知

    新作です。今回は新鮮なネタを調理しました。 #0005初期天皇の活動年代 第11代垂仁天皇~第25代武烈天皇(2022/10/19公開)

  • 初期天皇年代表を微調整

    複数勢力の寄せ集めである神武[1]を除外。備考欄に中臣烏賊津を追加。 初期天皇の年代表 中臣烏賊津は仲哀[14]紀、神功紀、允恭[19]紀に登場する。武内宿祢同様に、この年代表ならば活動年代を約70年間に絞り込める。

  • 八岐大蛇について自説変更

    先だって一応の完成をみた初期天皇の活動年代表をもとに、自説を変更する。今後はこの年代表が新たな自説の核になる、と思う。 新たな自説の核 八岐大蛇伝承のもとになった出来事は、孝元[8]の近畿進出。孝元[8]=武内宿祢=杵築大己貴。山陰勢。四世紀中期か後期、神功(筑紫)の支援により山陰勢が中部日本海側を攻撃、勝利して大王位につく。 八岐大蛇は、頭の一つ一つが高志と丹波の豪族。股が八つあれば頭は九つ。八人の豪族が討伐され、一人が生き残る。頭の内訳については思案中。 生き残った頭の候補には、継体[26]の先祖や、仁徳即位前には屯田で揉めながら仁徳晩年まで生存した額田大中彦が考えられる。 討伐された頭の…

  • 初期天皇の時代考証(改訂版)

    初期天皇の時代考証を、垂仁紀の逸話「狭穂彦討伐」を手掛かりに修正。 この表の利点は、和珥武振熊の活動年代を4世紀中期に絞れること。武内宿禰も4世紀中期と後期の約70年間に絞れること。 初期天皇の時代考証 改訂版 応神(誉田)の幼少期=誉津別=孝安[6]弘文[39](大友皇子)同様、実は即位してない可能性が高い。よって孝昭[5]と同じ時代区分にまとめる。 懿徳[4]=天稚彦。丹波大己貴に阿った懿徳[4]を信越勢が排除、孝昭[5]が大王位につく。このときが国譲りの本伝。3世紀後期~4世紀前期のこと。 垂仁[11]=孝昭[5]越中の阿彦伝承においては支那夜叉(狭穂姫)の夫、邵天義。よって信越勢(高皇…

  • youtube動画の告知

    新作です。 #0005翡翠産地の海神族 後編(2022/09/16公開) 半月に1本くらいのペースでupできたらいいのだけど。むずかしいですねぇ。

  • 欠史八代こそがヤマト王権の大王

    物部大前が長髄彦義兄の饒速日であり、開化[9]と仮定して、100年3世代で年代表に継体[26]以前の天皇を当てはめる。ただし、実在しない崇神[10]と、判断材料に乏しい成務[13]を除く。 初期天皇の時代考証 天岩戸日食がある2世紀中期にちょうど神武[1]が重なる。神代紀第七段『逐降と天岩戸』が神武紀九月甲子朔戊辰『八十梟帥討伐』に相当。 欠史八代がヤマト王権の大王か。あるいは欠史八代の皇太后がヤマト王権の女王か。5世紀中後期は混迷していたため大王ないし女王は空位。 垂仁[11]~武烈[25]は、ヤマト王権の大王ではない。垂仁[11]や応神[15]など継体[26]の祖先だからピックアップされた…

  • 物部大前が長髄彦義兄の饒速日

    神武四兄弟=允恭四兄弟。神武東征は、逸話ごとに登場人物の「中の人」が変わる。 一連の事件における物部氏の動向を推測。(1) 物部大前は履中[19]に味方して、海神族の筑紫勢と対立する。(2) 住吉仲皇子を排除したのち日向勢に攻め込まれ、伊勢を奪われる。(3) 安康[20]と対立する木梨軽皇子が物部大前を頼る。しかし庇いきれず、木梨軽皇子は失脚する。日本書紀本伝では自死、古事記と日本書紀一云では伊予に流刑。 (3)の事件が、長髄彦との再戦。饒速日=物部大前長髄彦=木梨軽皇子神武[1]=安康[20] 遠州灘沿岸の国造は物部氏が多い。紀伊半島の熊野国造も物部氏。熊野と遠州灘の間に位置する伊勢の伊勢津…

  • 四兄弟の絡繰り

    瓊瓊杵=景行[12]彦火火出見(山幸)=豊国別吉野行幸までの神武四兄弟=允恭四兄弟 日本書紀と古事記の狙いは、日向灘と豊後水道をルーツとする勢力がヤマト建国に深く関わったように偽ること。 記紀神話は四兄弟を同母兄弟としているが、これは虚偽。父親も違う可能性が高い。 四兄弟はそれぞれ、出発地と寄港地の四か所をルーツとする勢力。日向 :神武[1]=允恭[19]筑紫 :五瀬=住吉仲皇子安芸 :稲飯か三毛入野どちらか=反正[18]吉備 :稲飯か三毛入野どちらか=履中[17] ふたつの逸話から推測できる事件(1) 海神族が筑紫勢の有力者をヤマト王権へ送り込む。(2) ヤマト王権の有力者(物部、吉備など)…

  • 初期天皇の活動年代予測および四国西部

    垂仁[11]~継体[26]が活動した時代の予測を修正。ただし景行[12]と成務[13]を除く。 (158 天岩戸日食)(238 難升米訪魏)4前: 11.垂仁4中: 15.応神4後: 16.仁徳 14.仲哀/神功 ←中部日本海側が潰される【和珥武振熊】(382 百済記に沙至比跪)5前: 17.履中 18.反正 19.允恭(414 広開土王碑)5中: 20.安康 21.雄略5後: 22.清寧 23.顕宗 24.仁賢 25.武烈6前: 26.継体 安倍仲麿の歌から推測して、和珥氏のルーツが月読かもしれない。 とはいえ、その地域は未だわからず。当方の持論的には、四国の西側であってくれたら都合がよい。…

  • 雄略紀に狭穂彦

    雄略は第21代天皇。雄略13年春3月に「狭穂彦の玄孫・歯田根」が登場。 日本書紀 雄略紀 十三年春三月 狭穂彦玄孫歯田根命 窃姧采女山辺小嶋子 天皇聞 以歯田根命 収付於物部目大連 而 使責譲 歯田根命 以馬八匹 大刀八口 狭穂彦は垂仁[11]1人目の皇后・狭穂姫の兄。 【玄孫の歯田根】 雄略[21] 安康[20]【曾孫】 允恭[19] 反正[20] 履中[19]【孫】 仁徳[18]【子の誉津別】 応神[17]【垂仁】仲哀、神功 やはり垂仁は仲哀・神功と同世代。上宮記逸文の系図は「凡牟都和希王」に「誉田天皇也」と記す。やはり応神[15]は誉津別であろう。

  • youtube動画の告知

    昨年の晩秋頃より、ちまちまと動画を制作しております。本日は4本目の公開です。 いわゆる【ゆっくり動画】です。 #0004翡翠産地の海神族 後編(2022/08/21公開) #0003翡翠産地の海神族 前編(2022/08/21公開) #0002神とは?(2022/03/19公開) #0001奴奈川姫にみる古事記史観の歪み(2022/11/14公開)

  • 安倍仲麿の歌について仮説

    天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 753年に安倍仲麿が詠んだ歌。仲麿(仲麻呂)は阿倍比羅夫の孫。比羅夫は越国守や大宰帥を務めた。安倍氏は大彦の子孫と伝わる(異説あり)。 あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長い仁徳[16]まで) ふりさけみれば →振り裂けみれば →振り裂けるように終わってみれば かすが →春日和珥氏(忍熊王討伐・両面宿儺討伐を行った和珥武振熊の子孫) なる →成る →成りあがる みかさのやまにいでしつき →三笠山(奈良盆地の北東。のち768年に春日大社が西麓に造営)に出る月 奈良盆地の南東にある三輪山は神々の時代から続く太陽信仰。祭…

  • 天日別と天兒屋について仮説

    藤原不比等が春日大社を創祀。春日大社の祭神は武甕槌・経津主・天兒屋・比売神。比売は天兒屋の妃神と伝わる。 春日和珥氏と皇統の関わり 中臣佐久が改名して米餅搗大使主になったと、阿波国続風土記に記されている。 wikipedia 米餅搗大使主 脚注 出典の3 「仁徳紀十三年秋九月始立茨田屯倉因定 此ヨリ以前ハ中臣佐久命ニテ舂米部起テヨリ米餅舂大使主ト称フ事明ナリ」『阿波国続風土記』5巻、大麻比古神社項。 阿波国造(成務[13])および粟国造(応神[15])は忌部氏。忌部氏の斎部広成が古語拾遺を著しており、中臣氏を糺す意欲があったと考えられる。 wikipedia 古語拾遺 内容より 記紀とは異なる…

  • 第六代孝安天皇について改訂

    欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。 孝安[6]の和風諡号は「日本足彦国押人天皇」である。孝元[8]の和風諡号が「大日本根子彦国牽天皇」であり、「国牽」は「国押」と対になる。 「国牽」が国引き神話を連想させることから、孝元[8]は杵築大己貴を推定した。そこでもう一人の大己貴、丹波大己貴が孝安[6]に該当するのではと当初は予測した。 だがしかし、丹波大己貴は孝霊[7]のほうがふさわしい。孝霊[7]の和風諡号は「大日本根子彦太瓊天皇」であり、「太瓊」が垂仁[11]紀の逸話にある「丹波のムジナの腹から出た八尺瓊勾玉…

  • 倭国大乱について仮説

    応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか? 垂仁[11]から仁徳[16]までの即位順と親子関係は、史実と異なるかもしれない。垂仁は仲哀[14]と同世代の4世紀か? 景行紀は九州の動乱を多く記す。景行[12]は、2世紀後期の人物とは考えられないか? 倭国大乱 畿内説 倭国大乱 九州説 2世紀中期 158年 天岩戸日食 158年 天岩戸日食逐降(素戔嗚放逐)=国見岳八十梟帥討伐=武埴安彦討伐兄磯城討伐、長髄彦討伐大彦=後半の神武[1]、椎根津彦 2世紀後期 …

  • 誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

    釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大系. 第7巻 釈日本紀巻第十三 第十七 男大迹王。譽田天皇五世孫。彦主人王子也。母曰振姫。:コマ番号354/484 継体[26]系図 上記デジタル書籍より転写 倭氏系図は、市磯長尾市の孫世代に都彌自足尼を記す。市磯長尾市は崇神[10]紀・垂仁[11]紀に記される人物。国造本紀によれば、都彌自足尼は応神[15]朝に明石国造になっている。 先代旧事本…

  • 神武東征(日向出立~八咫烏)について仮説

    【Attention!】頭を柔らかくして考察してください。 素戔嗚には出雲国熊野大社(櫛御気野)と越前国劔神社(八千戈)の二柱がいる。大己貴には出雲国杵築大社(現・出雲大社)と丹波国出雲大神宮の二柱がいる。襲津彦(ソツヒコ)は幸彦(サチヒコ)であり、海幸彦と山幸彦の二柱がいる。 仲哀[14]=海幸彦。神功紀六十二年が記す百済記逸文の沙至比跪も同一存在の可能性がある。また、日向襲津彦(阿牟君の祖)も同一存在の可能性がある。 豊戸別(火国別の祖)=山幸彦。山幸彦 ── 鸕鶿草葺不合 ── 五瀬・稲飯・三毛入野・磐余彦(神武[1]) 長髄彦との初戦で矢傷を負い薨去した五瀬=住吉仲皇子。長髄彦の軍勢=…

  • 出雲大社(杵築大社)に思うこと

    当ブログの『建国神話を読む』シリーズをしっかり読んでくださらない方々は意外に思われるだろうが、現在、ブログ筆者である比佐安田に出雲大社(杵築大社)を批判する意図は一切ない。 なぜなら出雲大社の有りようは高志や丹波の伝承と融和するからだ。筆者が批判しているのは、江戸後期に台頭した西国出身の維新志士が解釈を歪めてしまったこと、そして戦後から左巻きがその歪みを悪用していることである。 日本書紀神代上の巻末(第八段の一書第六)には、大己貴が大物主と邂逅するエピソードが記されている。この部分の著者は出雲大社に縁のある人物だろうと筆者は考える。冒頭に列記される大国主の別名のなかで、大己貴だけが「命」である…

  • 景行と成務と仲哀について仮説

    景行[12]と仲哀[14]は九州へ赴き、熊襲を討伐している。うろ覚えなのだが、この頃の力関係は筑紫(北九州勢)のほうが上だった説を、何時だったか誰かが言っているのを聞いた気がする。 景行は自身が筑紫入りするまえに使者を送って様子をみる。神夏磯媛は賢木に剱と鏡と瓊を掛けて使者を迎える。仲哀が筑紫に幸したときは、熊鰐が船の舳にたてた賢木に鏡と剱と瓊を掛けて出迎える。 この説では、景行と仲哀が筑紫に恭順したことを、剱・鏡・瓊の神器を暗喩に使って表しているという。皇統の正当性を謳うための歴史書に、天皇が人間に頭を下げたとは書けないから、神器を崇めたことにした。 さらに伊睹(イト)国の五十迹手は賢木に掛…

  • 襲津彦についての仮説

    仮説 ――当ブログでは「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、表題に仮説と謳うこの記事などは、眉に唾して読むことを推奨する。 襲津彦には葛城の他にも一人、景行[12]皇子の日向襲津彦がいる。母は日向髪長大田根。日向国の益安神社に祀られている。 宮巡 宮崎県神道青年会 益安神社(ますやすじんじゃ) 景行[12]紀 次妃日向髮長大田根 生日向襲津彥皇子 是阿牟君之始祖也 次妃の日向髪長大田根 生む日向襲津彦皇子 是は阿牟君の始祖也 景行紀は、日向襲津彦が阿牟君の祖であると記す。阿牟君を阿武国造(山口県萩市/阿武郡、長門国西部)と同一視できるだろうか?阿武国造は景行のころ任命された神魂の後裔だ。 カ…

  • smalltalk - おすすめ動画

    とても勉強になる動画。公開から半年経っても15,000回視聴に届かないのはもったいない。 youtube 富士市 令和2年度 浅間古墳調査報告会

  • 伊勢内宮についての仮説

    当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。たとえば、この記事のような類いである。 何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体が埋まっている」というオカルト話を読んだ。垂仁[11]紀にある殉死者のご遺体だと云う。 垂仁[11]紀 二十八年冬十月丙寅朔庚午 廿八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟倭彥命薨 十一月丙申朔丁酉 葬倭彥命于身狹桃花鳥坂 於是 集近習者 悉生而埋立於陵域 數日不死 晝夜泣吟 遂死而爛臰之 犬烏聚噉焉 二十八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟の倭彦命が薨(みまか)る 十一月…

  • 四道将軍武渟川別の痕跡

    千葉県市原市にある神門5・4・3号墳は、3世紀半ば築造の前方後円墳と目されている。市原市の辺りは上海上国造か菊麻国造と思われ、どちらも成務[13]朝の任命で天穂日後裔だ。 千葉県 神門5号墳 神門5号墳 概要 2021年9月転写 これら3基の古墳から出土した土器に、在来の土器に混じって、近畿・東海・北陸地方の系譜をもつ土器が数多く含まれることから、外来的な要素の強い古墳としても注目されている。 先代旧事本紀巻十 国造本紀 上海上国造志賀高穴穂朝 天穂日命 八世孫忍立化多比命 定賜国造 菊麻国造志賀高穴穂朝 无邪志国造祖兄多毛比命 兒大鹿国直 定賜国造 これまで神門古墳群の存在を知らなかったので…

  • 伊勢神功の外宮と内宮

    むかし、伊勢の内宮と外宮は争っていた。 内宮は中臣氏。 外宮は度会氏。 日本書紀の建国神話を読み解いた結果、中臣氏に関わる「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田」の貢献は、どうも嘘くさい。多大な実績があるなら中臣氏も大連か大臣に就いてもよさそうなものだろう。 外宮の祭神である豊受大神は、もとは丹後の籠神社に祀られていた。 籠神社の海部氏系図は内容を疑問視されているが、そのうちの幾つかは、高倉下が越中東部の豪族であり、東海の尾張氏は傍流であると認めれば解消できそうだ。 外宮の度会氏は丹波国造の同族とされる。 wikipediaによれば丹波国造にも、但遅麻国造同祖(彦坐王後裔)説と尾張氏同祖(高倉…

  • smalltalk - 彦根

    和様建築を見たくなって、滋賀県の西明寺を拝観したときのこと。 うろ覚えなのだが、地元タクシーの運転手さんが、大昔の彦根はハブ港だったと仰っていたと思う。曖昧な記憶だが、たぶん聞いた。 あれは五男神の天津彦根と活津彦根のことを言っておられたのではないかと思う。 西明寺は建築も庭も素晴らしい山寺でした。

  • 建国神話余話 誓約の五男神

    神代上第六段(誓約)で誕生する五男神は、順序こそ違うが、顔ぶれは変わらない。 一書第三は五柱に熯之速日を加え、六男神としている。この熯之速日は、神代下第九段(国譲り)本伝に武甕槌の親として登場する。 本伝 一書第一 一書第二 一書第三 天忍穂耳天穂日天津彦根活津彦根熊野櫲樟日 天忍骨天津彦根活津彦根天穂日熊野忍蹈 天穂日天忍骨天津彦根活津彦根熊野櫲樟日 天忍穂耳天穂日天津彦根活津彦根熯之速日熊野忍蹈 神代下第九段 国譲りと天孫降臨 本伝 是後 高皇産靈尊 更會諸神 選當遣於葦原中國者 曰 磐裂 磐裂 此云以簸娑窶 根裂神之子磐筒男磐筒女所生之子經津 經津 此云賦都 主神 是將佳也 時 有天石窟…

  • 建国神話余話 関東の国譲り

    神代下第一段(国譲り)の一書第二は、高皇産霊が大己貴に「當主汝祭祀者天穗日命」と言い、天穂日が大己貴を祀ることを約束する。 天穂日は、誓約で誕生した五男神(六男神)の一柱である。 本伝は、天穂日に「是出雲臣土師連等祖也」、天津彦根に「是凡川内直山代直等祖也」と添書きする。先代旧事本紀巻十の国造本紀によると、この二柱の後裔から多くの国造が輩出されている。その内訳は関東に多い。 天穂日は、无邪志・上海上・伊甚・菊麻・阿波・新治・高/成務[13]、下海上/応神[15]の国造に任じられている。 天津彦根は、師長・須恵・馬来田・筑波/成務[13]、胸刺/記載なし、茨城・道口岐閇/応神[15]の国造に任じ…

  • 建国神話余話 洲羽神話のモリヤ

    洲羽の伝承では、建御名方が地元の神である洩矢(守屋大臣)を打ち負かして入植したという。この伝承の元になる史実として、ふたつの可能性が考えられるだろう。 訪史料データベース 諏訪信重解状 『諏訪信重解状』とは 上記リンク先より2021年8月転写 諏訪大社上社の大祝(おおほうり)を務めた諏訪(諏方)家に伝わる文書の中に、13世紀半ばに上社の大祝を務めた諏訪信重(すわ のぶしげ)が諏訪下社の大祝・金刺盛基の訴えに対して、諏訪社の本宮は上社であることを主張して鎌倉幕府へ提出したと言われる解状(げじょう、原告が裁判所に提出する上申書・訴状)がある。それが宝治3年(1249年)3月の奥書を持つ『諏訪信重解…

  • 反九州の気運

    前回の要点: 狭穂彦=阿彦=天津甕星、狭穂姫=支那夜叉、支那太郎=誉津別。 草薙剱は越前素戔嗚から子孫の丹波大己貴へ渡り、阿彦討伐に使われた。 同じ頃、科野と関東が争い、饒速日勢が科野を援けて関東勢を退けた。しかし記紀はなぜか八綱田(関東勢)が狭穂彦を討伐したと記して、丹波の勝利を横取りしている。 伊弥頭(越中西部)・三国・江沼(越前)国造は蘇我氏であり、上宮記は凡牟都和希王が継体[26]の祖と記す。 神代下第二段 海幸山幸: 兄の火闌降(海幸)と弟の彦火火出見(山幸)が試しに幸を交換してみたら、どちらも利を得なかった。悔やみつつ兄は弟に弓矢を返し、釣針を返すよう求めるが、釣針を紛失した弟は返…

  • 天津甕星と狭穂彦と越中阿彦

    前回の要点: 武渟川別の東海道派遣は、科野と関東の交流を投影したもの。 協調派と対立派に意見が割れていた丹波では、国譲りののち対立派が優勢になり、日本武と仲哀による九州出兵が起きた。九州から武振熊が来て仲哀庶子の忍熊王を討伐して以降、丹波は衰退する。九州は翡翠産地に入り込んだ丹波の血筋も排除した。これが両面宿儺であり、椎根津彦嫡流の久比岐青海氏は消失する。この抗争の敗者が大物主であり、祭主の三輪氏は久比岐青海氏の流れを汲む。 崇神は個人としても勢力としても実在しない。 「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田・御諸別」は敵対勢力。 越中西部の首長が観松彦・観松姫であり、事代主後裔にあたる。綏靖[…

  • 崇神非実在説

    前回の要点: 淡路の大彦を夫にした久比岐の女性が武渟川別を生む。 大彦が初代神武天皇で、武渟川別が第二代綏靖天皇(神渟名川耳天皇)。 椎根津彦嫡流の久比岐青海氏から分家して近畿へ移住した人々が倭氏。 饒速日は伊勢津彦であり、科野へ移住した。 第三代安寧天皇から第九代開化天皇までは神武(大彦)の子孫ではないが、ヤマト建国神話で活躍した実在の人物が列記されている。 四道将軍 武埴安彦討伐は国見岳八十梟帥討伐であり、四道将軍の大彦は神武、武渟川別は綏靖、吉備津彦は吉備の首長、丹波道主は丹波の首長と考える。 東海道へ派遣されたと記される武渟川別だが、おそらく行ってないだろう。考古出土品から、弥生末期に…

  • 綏靖、並びに欠史八代

    前回の要点: 天稚彦=兄磯城=彦湯支。味耜高彦根=弟磯城=味饒田。 神武(淡路)と椎根津彦(久比岐)が共闘して兄磯城を挟み撃ちにする。丹波大己貴の国譲りとは、このとき淡路・久比岐との対立を避けて素通りさせたこと。 淡路勢と対立する長髄彦は葦原醜男と須世理毘売の子孫。 媛蹈韛五十鈴媛 神武は橿原に宮を造営したのち高貴な女性を求める。進言を受けて媛蹈韛五十鈴媛を正妃に迎え、自身の天皇即位にあわせ皇后とする。 媛蹈韛五十鈴媛の父には大物主説と事代主説があり、神代上第八段(八岐大蛇)一書第六は双方の説を記す。大物主にしろ事代主にしろ越前素戔嗚の子孫なので、この違いにこだわる必要はないだろう。 このエピ…

  • 畿内平定

    前回の要点: 国譲りの大己貴は、本伝は丹波大己貴、一書第二は杵築大己貴のこと。 共通して登場する天穂日および経津主と武甕槌は杵築大己貴に関与した。丹波大己貴には関与してないが、本伝にも登場させることで本来は異なる大己貴を同一存在であるかのように偽装した。 古事記が記す建御名方と武甕槌の勝負は、大己貴の国譲りとは一切関係ない関東で起きた出来事を元にした創作。 味饒田と彦湯支 自宅へ来訪して鳴く使者の鳥に矢を撃つエピソードの類似性から、天稚彦と兄磯城は同一と推測する。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝 於是 高皇産靈尊 賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢 以遣之 此神亦不忠誠也 來到 即娶顯國玉之女子…

  • 国譲り神話

    前回の要点: 日本海を航行した科野安曇氏が八岐大蛇であり、草薙剱の所有者。 八岐大蛇退治は逐降の原因。 時系列を逆転させて美談に転換したのは、山陰出雲に受け入れてもらうため。素戔嗚を山陰出雲に関連づけることで翡翠の産地を隠匿した。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝: 高皇産霊が孫の瓊瓊杵を葦原中国の主にすべく天穂日を降ろすが音沙汰なく、次いで降ろした天稚彦も音沙汰なくて、無名雉を催促に遣わす。天稚彦は天探女の讒言を聞いて無名雉を射殺し、その矢が反矢となって天稚彦を射殺す。葬儀に弔問した友人の味耜高彦根は容姿が天稚彦と似ていたため遺族に故人と間違われ憤慨する。 高皇産霊は経津主と武甕槌を降ろ…

  • 八岐大蛇

    前回の要点: 丹生川上の祭祀で使用した土器の原料を採取したところの地名「埴安」は、武埴安彦を暗示するキーワード。 武埴安彦討伐と国見岳八十梟帥討伐と逐降は、同一の事変を描いている。 大彦=神武=高皇産霊 武埴安彦=国見岳八十梟帥=大国主(※) 大物主=八千矛=素戔嗚(※) 倭迹迹日百襲姫=奴奈川姫=稚日女 ※武埴安彦=国見岳八十梟帥と大物主=八千矛=素戔嗚は同一と云えるが、登場するエピソードの主旨が異なるため分割した。 大物主は、素戔嗚を祖として大己貴を後裔とする氏族が治める地方勢力。 天岩戸日食は158年の日入帯食であり、阿波国の天磐戸神社が元ネタ。 神代上第八段 八岐大蛇: 天より降った素…

  • 逐降と国見岳と埴安(2)

    前回の要点: 神武は高皇産霊。国見岳八十梟帥は大国主、兄磯城も大国主。 越前の丹生山地と国見岳は素戔嗚ゆかりの地。 素戔嗚の狼藉が原因で神退った稚日女は、高志と瀬戸内をむすぶ経路(琵琶湖・淀川)を活動域にしていた息長氏に縁がある。 天岩戸で諸神が講じた策と、丹生川上で神武が行った祭祀は、天香山と真坂樹が共通する。天香山は弥彦神社祭神の名でもある。 埴安 神武[1]紀の末尾、東征を締めくくり即位するエピソードの直前に「或曰(或るいは曰く)」として、天香山の埴土を取った場所を「埴安」と云うとある。 神武[1]紀 己未年春二月壬辰朔辛亥 或曰(或るいは曰く) 天皇 以前年秋九月 潛取天香山之埴土 以…

  • 逐降と国見岳と埴安(1)

    前回の要点: 誓約で生まれた五男神は瀬戸内を指し、宇佐対馬間の三女神と合わせ、朝鮮半島から鉄ていを仕入れる交易路を表す。 鍛冶技術を携え入植した淡路勢は、翡翠の産地である久比岐勢と交流していた。 これより前、日向から伊勢に入植した饒速日勢は、同じく翡翠の産地である越前東部から東海に入植した尾張勢と交流を持ち、兄猾を討って畿内勢に対する強い影響力を得た。 物語は神武の吉野巡幸をもって一区切りとする。続く国見岳からは新章に入る。 神代上第七段 逐降と天岩戸: 高天原で数々の狼藉を働く素戔嗚を許容できなくなった天照が岩戸に籠り、闇に閉ざされた世界を憂える諸神が策を講じて岩戸から天照を引きだして、素戔…

  • ヤマト建国前夜の畿内

    前回の要点: 誓約で生まれた三女神は、宇佐と対馬をむすぶ交易路を司る。 素戔嗚は、狗邪韓国を象徴する。 誓約で生まれた五男神(一書第三は六男神) 三女神が宇佐と対馬をむすぶ交易路ならば、同時に生まれた五男神もそれに類する存在だろうと予測すると、瀬戸内海が思い当たる。 2004年(平成16年)台風23号により淡路島は被災した。その後の普及事業において埋蔵文化財の調査が行われ、五斗長垣内遺跡にて2世紀頃と目される鍛冶の痕跡が確認された。 淡路市 五斗長垣内遺跡発掘調査報告書について 第1章 第2章 淡路島日本遺産 五斗長垣内遺跡と出土品 日立金属 たたらの話 製鉄の始まり 製鉄云々に関しては賢い学…

  • 素戔嗚と三女神

    第五段(神産み)では、さまざまな神と三貴子(天照、月読、素戔嗚)が誕生する。三貴子は、本伝と一書第二では伊弉諾と伊弉冉の両親から、一書第一と第六(黄泉戸喫)では伊弉諾の片親から生まれるが、どちらにせよ素戔嗚は乱暴な気性ゆえに、親により根国へ追放される。 続く第六段(誓約)では、根国へ行く前に姉に会おうと考えた素戔嗚が、高天原を訪ねる。高天原を奪いに来たのではと疑う天照と、悪意はないと主張する素戔嗚が誓約した結果、三女神と五男神(一書第三は六男神)が生まれ、素戔嗚の主張が通る。 誓約で生まれた三女神 現代の宗像大社は、沖ノ島にある沖津宮に田心姫、大島にある中津宮に湍津姫、九州本土にある辺津宮に市…

  • smalltalk - おすすめ動画

    GOODボタンをポチ。 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 中編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 後編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】

  • 自説の骨子 2021夏

    神代紀の誓約から国譲りまでは、倭国大乱を描いている。 神武[1]紀の東征は、倭国大乱のころの近畿地方と中部地方を描いている。 崇神[10]紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 コツを押さえれば日本書紀は、ヤマト建国の立役者は淡路勢と久比岐勢であると読める。それを読めなくさせた要因は3つ。 (1) 久比岐(糸魚川)が翡翠の産地であることを忘れた。 (2) 淡路島に先進的な製鉄施設が存在したことを忘れた。 (3) 古事記の嘘に振り回された。 (1)は昭和初期、(2)は平成半ばに発見・認知されたため、もはや障壁たりえない。 残る問題は(3)の…

  • 事代主は淡路・久比岐勢に同調した

    国譲り本伝(※)で事代主は海に隠れる。一般にこれを自死と解釈するようで、当ブログもそれに順じていたのだが、この既成概念からも脱しようと思う。 日本書紀 国譲り 本伝 故 以熊野諸手船 亦名天鴿船 載使者稻背脛 遣之 而 致高皇産靈尊勅於事代主神 且問將報之辭 時 事代主神 謂使者曰 今天神有此借問之勅 我父宜當奉避 吾亦不可違 因於海中造八重蒼柴 柴 此云府璽 籬 蹈船枻 船枻 此云浮那能倍 而 避之 故 熊野諸手船を以て 亦の名を天鴿船 使者の稲背脛を載せる 之に遣わす 而 事代主神に高皇産霊尊の勅を致す 且つ将報の辞を問う 時 事代主神 使者に謂い曰く 今し天神は此の借問の勅有り 我が父は…

  • 歪められた古代越中史

    記紀神話がどのように記そうと、越前の剱神社は素戔嗚を称えている。飛騨の両面宿儺(※)も地元では慕われている。地元とはそういうものだと思うし、そうあるべきとも思う。 そういう点で、喚起泉達録が記す阿彦の伝承は気分の良いものではない。なぜ地元の阿彦が悪しざまに語られねばならないのか。若干の不快感さえ覚える。 この伝承はおそらく余所者の視点で語られているのだろう。 これを、泉達録がもてはやす大若子や大己貴が属する丹波勢の視点とするなら話は単純だが、応神[15]以降の丹波はおとなしい。阿彦討伐は垂仁[11]御代の出来事だから、丹波が越中に干渉できたと思われる期間は三、四世代しかない。地元の言い伝えを捻…

  • 自説変更:再戦時の長髄彦=伊勢津彦

    3/6に「再戦時の長髄彦=国譲りの大国主」という記事を書いたが、取り消す。 たびたび出雲贔屓を非難してきたくせに、その影響下から私もまだ抜け出せていなかった。既成概念を払拭することは斯くも難しい。 大国主は皇統と対立したはずという思い込みから、杵築大己貴が経津主である物部氏に討伐されるストーリーを想定していた。これが間違いの元だ。宇摩志麻遅が山陰で討伐した凶賊が、杵築大己貴と対立する勢力である可能性を考えるべきだったのに、思いつきさえもしなかった。 石見国一宮 物部神社 御由緒 御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一…

  • 僭上者の治世は短い

    磐長姫が「其生兒 必如木花之移落(其の生す兒 必ず木花の移ろい落ちるが如し)」と呪った(※)はずだが、初期天皇には長寿が多い。 仁徳[14]が最後の長寿天皇で、wikipediaによれば110才で崩じたという。 神武[1]から継体[26]までの治世年数を書きだすと、 神武76 綏靖33 安寧38 懿徳34 孝昭83 孝安102 孝霊76 孝元57 開化60 崇神68 垂仁99 景行60 成務60 仲哀9 (神功69) 応神41 仁徳87 履中6 反正5(6) 允恭42 安康3 雄略23 清寧5 顕宗3 仁賢11 武烈8 継体23 仁徳以前では、仲哀[14]の治世9年が目立って短い。 履中[17…

  • 仲哀[14]は簒奪者

    記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。 wikipedia 両道入姫命 記紀ともに一致して記載している仲哀天皇の享年から計算できる生年(成務天皇18年・148年)が日本武尊の死去から36年後にあたるという矛盾を抱えており、日本武尊と仲哀天皇、そして両者をつなぐ存在である両道入姫命が本当に実在していたかどうかは不明である。 これを根拠に応神新王朝説を唱える向きが多いが、当ブログは仲哀[14]簒奪者説を提唱する。仲哀の子である忍熊王が素戔嗚を敬い、剱神社に祀った伝承から、仲哀および忍熊王は素戔嗚の後裔氏族である丹…

  • smalltalk - 孝昭[5]かも?

    孝昭[5]の和風諡号は觀松彦香殖稲(みまつひこかえしね)天皇。 皇后は尾張氏祖の世襲足媛。 wikipedia 天八現津彦命 八現津彦命[1]、観松彦伊侶止命(みまつひこいろとのみこと)、観松彦色止命、観松比古命、御間都比古命とも表記される。 父神は『諸系譜』において事代主神、『日本事物原始』では阿遅鉏高日子根神となっているが、いずれにしても大国主神の後裔とされた。 おそらく尾張氏のルーツは越中。 孝昭[5]が事代主後裔なら、越中国婦負郡の四隅突出型墳丘墓と関係するか? また自説変更すべきか。 欠史八代は、ヤマト建国神話の関係者を象徴する架空の人物? 綏靖[2] 神渟名川耳天皇 ――奴奈川 安…

  • 大物主=丹波大己貴=彦坐王

    科野安曇氏から越前八千矛が奪った草薙剱は天照へ献上されることなく、子の丹波大己貴に受け継がれ、垂仁の御代に丹波の大若子がこれを用いて、越中の狭穂彦・狭穂姫を討ったと、当ブログは考える。 草薙剱は現代、尾張国の熱田神宮が祀っている。 丹波勢からすれば熱田大神=天津甕星を抑えるためかもしれないが、尾張氏としては同族である狭穂彦や科野安曇氏の御魂を慰めているのだろう。 丹波大己貴は三穂津姫とともに丹波亀岡の出雲大神宮に祀られている。 国譲りの一書第二によれば、高皇産霊が娘の三穂津姫を娶らせたのは大物主だ。したがって大物主=丹波大己貴と考えられる。 wikipedia 丹波国造 出雲神話で有名な大国主…

  • 科野戸隠の九頭龍大神=八岐大蛇

    久比岐の伝承によれば、奴奈川姫の前夫は松本の豪族だという。 松本市の北に隣接する安曇野市に、穂高見と綿津見を祀る穂高神社がある。両市を流れる犀川は長野盆地へ抜けて千曲川(信濃川)に合流する。信濃川を下れば越後平野が広がり、天香山を祀る弥彦神社のご神体である弥彦山がある。 穂高見は、志賀島で綿津見を祀る阿曇氏祖の宇都志日金拆と同一とされる。 科野の安曇氏は日本海を航海して北陸各地と交流したと考えられ、それは栗林式土器に小松式土器の影響が見られることが裏付けになるだろう。 科野安曇氏が戸隠神社の九頭竜大神であるとして。 首に股が八つあれば頭は九つなのだから、八岐大蛇=九頭龍と推測できる。科野安曇氏…

  • smalltalk - 戸隠神社の九頭竜大神

    なんとなく地図を眺めて、科野の戸隠神社に九頭龍社を見つけ、思いだした。 子どものころ行ったことがある。 そして同行の大人から、ここに祀られている九頭龍大神は八千矛に殺された奴奈川姫の夫ではないか、という私説を聞いたと思う。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 10.市野々(いちのの)の地名 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られて…

  • 狭穂彦(阿彦峅)の謀反は濡れ衣

    喚起泉達録は江戸時代(享保、吉宗[8])に富山藩士の野崎伝助が著した越中郷土史。伝助の孫の野崎雅明は越中通史の肯構泉達録を著した(文化、家斉[11])。 上記二書は、越中の阿彦が大若子に退治される話を収録している。 国立国会図書館デジタルコレクション 肯構泉達録 喚起泉達録が記す阿彦について、ファンタジー色を抜いて大雑把にまとめると。 (1)北陸道へ派遣された大彦は、越中を手刀摺彦に任せ帰洛した。 (2)阿彦峅も走長に任じられたが、大彦の帰洛後はこれに従わず、民を虐げた。 (3)阿彦峅の姉の支那夜叉は越後黒姫山の邵天義に嫁ぎ支那太郎を生んだ。苛烈な気性の母子は、温厚な邵天義の殺害を企てたが察知…

  • smalltalk - 垂仁[11]=神八井耳、狭穂彦=越中阿彦峅

    神武東征までを上手くまとめたいのだが難しい。 それでつい脳みそが思索に逃げがちで一向に進まないのだが、逃げた先でひょっこり糸口っぽいものが見えたのでメモ。 狭穂彦=阿彦峅 垂仁皇后狭穂姫(妹)=支那夜叉(姉) 彦坐王(父、丹波道主の父でもある)=阿彦国主(父) 垂仁[11]=邵天義(久比岐黒姫山)=神八井耳 椎根津彦=椎摺彦 越中で祀られている大国主は、古くは阿彦国主=彦坐王だったのでは?

  • 自説の骨子2021春

    自説変更が積み重なって解読困難なブログになってきたので、神武東征まで読み終えて一段落した今、読むに堪えるテキストに構成しなおすことにした。改めて書き直したのち紛らわしい過去記事は、はてなブログから削除する。それらは忍者ブログに蓄積しておく。 2021/3/28 (ver.002) 日本書紀が描く倭国大乱 日本書紀の神代の誓約から国譲りまでは、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の神武紀の東征も、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の崇神紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 第一のコツ 「神は地域を表す」 第二のコツ 「北九州勢の戦果…

  • 自説再考

    当ブログは、素人がネット検索で得た知見を考察して書き綴っている。 ゆえに筆者が新たな知見を得たとき、それまで唱えていた自説を棄てて新しくすることが、ままある。筆者が素人であるゆえに、新たな知見に遭遇する頻度が高いのだから仕方なかろう。 そういうわけで、再考すべき箇所がまた複数見つかったので、一挙放出する。 吉備は独立した在来勢力 神武が吉備国に高嶋宮を建てたという記述から、吉備津彦は九州人ではないかと推測したが、これを改める。 先代旧事本紀 国造本紀 吉備中縣國造 瑞籬朝御世 神魂命 十世孫明石彦 定賜國造 神魂=神皇産霊。 古事記では、出雲大己貴になにかと便宜を図ってやる神。 神皇産霊が吉備…

  • smalltalk - 倭

    椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。 筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。 金印の印文は「委奴」の二字でイトと読む説もある。 翡翠を採集できた姫川下流はイトイガワ(糸魚川)。 これはこじつけか…… 稚日女は天照の妹分らしい。 日本書紀の稚日女には奴奈川姫が当てはまる。 「倭」の字は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろう。 そして記紀は、出雲大己貴、越前八千矛、大和葦原醜男(?)が大国主だと云う。 大国主は倭国大乱の敗者に関係すると考えるのが自然だろう。 大国主に「倭」の字を使わせるとは思えない。 倭大國魂神は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろ…

  • 伊勢は邇藝速日を祀っていた

    なにか見えてくるのではと思い、先代旧事本紀の国造本紀から神武[1]と崇神[10]の頃に定められた国造をピックアップしてみた。 ―――神武(橿原朝)――― 大倭国造:以椎根津彦命 初為大倭國造 葛城國造:以剱根命 初為葛城國造 凡河内國造:以彦己曾保理命 為凡河内國造 山城國造:阿多根命 為山代國造 伊勢國造:以天降天牟久怒命 孫天日鷲 勅定賜國造 素賀國造:始定天下時従侍来人名 美志印命 定賜國造/遠江国東部 紀伊國造:神皇産霊命 五世孫天道根命 定賜國造 宇佐國造:髙魂尊 孫宇佐都彦命 定賜國造 津島縣直:髙魂尊五世孫 健弥己己命 改為直 素賀(遠江国東部)について。 『伊勢国風土記』逸文に…

  • smalltalk - スピリチュアル視点で

    新潟から出土した遺物には、山陰から直接影響を受けた様子がない。 久比岐と出雲の関わりはごく浅いものだった。 この見解を発端に、日本書紀が描く倭国大乱を読み解いてきた。 崇神[10]紀にある倭迹迹日百襲姫の言葉。 吾聞 武埴安彥之妻吾田媛 密來之 取倭香山土 裹領巾頭而祈曰 是倭國之物實 乃反之 物實 此云望能志呂 吾は聞く 武埴安彦の妻の吾田媛 密(ひそか)に来る之 倭香山の土を取る 領巾(ひれ、女性が肩から垂らす細長い布)で頭を裹(果、つつ)みて祈り曰く 是は倭国の物実 乃ち之を反(かえ)す 物実 此れ云う望能志呂(ものしろ) 越後一宮弥彦神社の祭神は天<香山>だ。 倭国大乱後、久比岐海人族…

  • 鹿島勢は倭国大乱に関与してないかも?

    弥生中期以降、科野洲羽勢が広範な地域と交流していたことが、発掘された考古資料から推測されている。相模国三浦半島など、東京湾岸まで及んでいたようだ。 小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料ダウンロード フォーラム小松式土器の時代2「小松発・北陸新幹線ルートの弥生文化を探る」資料集[PDF] 第 12 図 変質輝緑岩製 ( 榎田型 ) 磨製石斧と栗林2式新段階の分布 :60/79ページ 世の常として、交流は必ずしも友好関係を築けるとは限らない。 出雲国譲りとは一切関係ない理由で、場所で、時期に、科野洲羽勢(建御名方)と鹿島勢(武甕雷)は敵対したのかもしれない。 武御雷は、春日大社に勧請されたこと…

  • 諏訪神話も倭国大乱を伝える

    まず、当ブログのスタンスをおさらいしておく。 古事記の国譲り神話は全くの虚偽であり、建御名方は出雲大国主の子ではないと考える。根拠は、八千矛が越前平野の首長と考えられることや、出雲国風土記ですら大国主の子に建御名方を含めないことだ(過去記事:道臣が忍坂で討った土雲八十建=八千矛)。 建御名方が久比岐勢の血筋であることは確定として。 父方について考えるなら、建御名方がいつの時代を生きたかが重要だろう。 神逐以前ならば、松本の豪族が候補たりえる。 神逐以後ならば、淡路勢が候補たりえる。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 10.市野々(いちのの)の地名 ――略―…

  • 日本書紀の神武東征を誤読させる原因

    倭国大乱について、日本書紀は思いの外きっちり書いている。 丹生川上の神事の意味さえ読み取れれば、大和が負けたと読めるのだから。 国譲りの切っ掛けが、横暴とも思える高皇産霊や天照の思いつきである点にも、負けた側の被害者意識が垣間見えているのではなかろうか。 存外、だだ漏れである。 国譲り 本伝(※) 天照大神之子 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 娶高皇産靈尊之女𣑥幡千千姬 生天津彥彥火瓊瓊杵尊 故 皇祖高皇産靈尊 特鍾憐愛 以崇養焉 遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊 以爲葦原中國之主 天照大神の子 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 高皇産霊尊の娘の𣑥幡千千姫を娶る 天津彦彦火瓊瓊杵尊を生む 故 皇祖の高皇産霊尊 …

  • 兄磯城=天稚彦=彦湯支=(欝色雄または大綜麻杵)=?

    兄磯城について追加考察。 (過去記事:兄磯城=天稚彦、弟磯城=味耜高彦根) 彦湯支は、孝元[8]皇后の欝色謎から数えると孝昭[5]世代だ。 樂樂福神社が鬼退治を伝える孝霊[7]や、同世代に吉備津彦がいる孝元[8]、大彦がいる開化[9]が倭国大乱を生きたと考えられ、倭国大乱の後半に討伐されたと考えられる兄磯城と彦湯支では世代が合わない。 天孫本紀の物部氏系図.png 彦湯支を兄磯城に推定した根拠は、妻に出雲色多利姫、子に出雲醜大臣がいるからだった。どちらも「出雲」と「シコ」を名前に含む。 先代旧事本紀の物部氏系図をみると「シコ」を名前に含む人物が他にも存在する。欝色雄、欝色謎(孝元[8]皇后)、…

  • 初戦の長髄彦は饒速日勢

    兄磯城(天稚彦)の次なので順番的に、再戦時の長髄彦には出雲勢を推定するが、初戦時の長髄彦は地理的に考えて出雲勢ではないだろう。 初戦(※)で苦戦した神武は、太陽に向かって戦うのは縁起が悪いと言って軍を退かせる。 今我 是日神子孫 而 向日征虜 此逆天道也 今し我 是は日神の子孫 而 日に向かい虜(敵)を征す 此れは天道に逆らう也 太陽の方角には、南北軸であれば南、東西軸であれば一般的に東を想定する。 長髄彦との初戦で日に向かって戦った神武は、北か西から攻撃したことになる。 出雲の北は海だ。 神武は白肩之津に着岸して下船、徒歩で生駒山を越えて戦場の孔舍衞坂に到達したとあり、出雲の北に至るルートを…

  • 再戦時の長髄彦=国譲りの大国主

    名草戸畔・丹敷戸畔・兄猾を討伐した神武とは、大和の在来勢力(橿原勢か饒速日勢)だろうと、当ブログは考える。 丹生川上の祭祀からは淡路勢が神武になり、橿原勢は弟磯城に、饒速日勢は兄磯城になる。そして畿内を纏めかけていた兄磯城を討伐した淡路勢が、鳶が油揚げを攫うように近畿で君臨した。 兄磯城討伐の勝者である淡路勢は恭順した橿原勢を従え、長髄彦と再戦する神武になる。橿原勢が闘わずして淡路勢に降ったことが史実かどうかは疑わしいが、とりあえず日本書紀の記述に準拠して、兄磯城討伐を為したのちの神武を淡路勢と橿原勢の複合体と見做す。 神武紀は兄磯城討伐のつぎに長髄彦との再戦を記す。 神代紀は天稚彦の返し矢の…

  • 淡路勢と久比岐勢が共闘して奈良盆地を制圧した

    高皇産霊を憑依させた神武が淡路勢であり、椎根津彦が久比岐海人族の青海氏であるなら、大和の兄磯城を挟撃したという神武東征の記述(※)は、地理的に整合性が取れている。 時 椎根津彥 計之曰 今者宜先遣我女軍 出自忍坂 道虜見之 必盡鋭而赴 吾則駈馳勁卒 直指墨坂 取菟田川水 以灌其炭火 儵忽之間 出其不意 則破之必也 天皇善其策 乃出女軍 以臨之 虜謂大兵已至 畢力相待 ――中略―― 果 以男軍越墨坂 從後 夾擊破之 斬其梟帥兄磯城等 この部分は、通常の読み下し文とは異なるテニヲハを付加するほうが意味が通るという問題がある。面倒を避けるため、ここに自作の現代語訳は記さない。 「出自忍坂(忍坂より出…

  • 高尾張邑の赤銅八十梟帥=?

    高倉山の物見により認識した敵(国見岳・墨坂・兄磯城)を討伐した神武の正体は淡路勢だろう。 当ブログは、神武東征の国見岳以降は神代の神逐から国譲りに相当すると考える。 それ以前の敵(名草戸畔・丹敷戸畔・兄猾)を討伐した神武は、対応するエピソードが神代に見当たらないので、橿原勢か饒速日勢か、どちらかわからないが大和在来の勢力ではないかと思う。 悩ましいのが赤銅八十梟帥(※)だ。 赤銅八十梟帥は、磯城八十梟帥と同じく弟猾の進言に登場して、読者の脳内では、高尾張邑の土蜘蛛(※)と同一視される。 弟猾の進言にて:赤銅八十梟帥 時 弟猾又奏曰 倭國磯城邑 有磯城八十梟帥 又高尾張邑 或本云葛城邑也 有赤銅…

  • 高皇産霊は淡路勢を指す

    大和の磯城氏が皇統のルーツなら、なぜ神武と敵対するのか。 この問題に対し、日本書紀は二種類の解決策を提示していると思う。この二種類は異なる考え方をしており、まったくの別物だ。 一種類めは、親戚説。 高倉山で物見した神武が夢で天神の訓を得た翌日、弟猾が夢の訓と同様の進言を奏じ、そこで磯城八十梟帥に言及する(※)。 倭國磯城邑 有磯城八十梟帥 又高尾張邑 或本云葛城邑也 有赤銅八十梟帥 此類皆欲与天皇距戰 臣 竊爲天皇憂之 倭国磯城邑 磯城八十梟帥有り 又 高尾張邑 或る本に云う葛城邑也 に赤銅八十梟帥有り 此の類は皆が天皇と距(へだた)り戦を欲する 臣 窃(ひそ)かに天皇の為に之を憂う 弟猾は、…

  • 兄磯城=天稚彦、弟磯城=味耜高彦根

    日本書紀の神武東征(※)で、神武は兄磯城に頭八咫烏を遣わすが、兄磯城は「烏鳥若此惡鳴耶(烏鳥は此の若く悪しく鳴く耶)」と言い、弓で射ようとする。 このエピソードは国譲り(※)の天稚彦に似ている。 国譲りで、高皇産霊は天稚彦に無名雉を遣わすが、天稚彦は天探女に唆され(一書第一(※)では「鳴聲惡鳥在此樹上(鳴声の悪い鳥が此の樹上に在る)」と教える)、天羽羽矢で雉を射る。 神武の使者の頭八咫烏は矢を避けるが、高皇産霊の使者の無名雉は矢に貫かれる。 だが相違点はあるものの、兄磯城=天稚彦と考えていいと思う。 とすると弟磯城は誰に相当するのか? 天稚彦の周辺で目立つ人物といえば味耜高彦根だが、行動が弟磯…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、比佐家さんをフォローしませんか?

ハンドル名
比佐家さん
ブログタイトル
天香山命と久比岐のあれやこれや
フォロー
天香山命と久比岐のあれやこれや

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用
天香山命と久比岐のあれやこれや

フォローできる上限に達しました。

新規登録/ログインすることで
フォロー上限を増やすことができます。

フォローしました

リーダーで読む

フォロー