ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 札幌市の歓楽街、スス […] 札幌護國神社の境内に佇む多賀神社のご紹介。 御英霊をお護りしていただくため、滋賀県の多賀大社から御祀神である伊邪那岐大神と伊邪那美大神をお招きした神社です。
スピリチュアルに特化しないウンチクの多いブログを書き綴っています。遠くはハワイ、近くは市内、全国各地の訪れた神社をひたすら淡々と、時にはクドクドと紹介。
1件〜100件
88. 石上神宮(いそのかみじんぐう) 前編 〜奈良県天理市〜
今回は、大神神社と同様に、”日本最古”の神社である石上神宮へ行きました。参道では神鶏が出迎えてくれます。参拝を忘れ、ついつい神鶏たちと戯れてしまうトラップがあるので気をつけなければいけません(笑)。少し長くなりますので、前編と後編に分けています。
纏向遺跡⑥ <メクリ1号墳> 柿本人麻呂屋敷跡 〜奈良県桜井市〜
纏向遺跡ツアーの最後を締めくくるのは、「メクリ1号墳」!この古墳は現在は全貌は見えないものの、増築時期には珍しい「前方後方墳」でした。時代の移り変わりを示唆するような古墳です。「メクリ1号墳」の近くにある「柿本人麻呂屋敷跡」にも立ち寄りました。
纏向遺跡⑤ <纏向遺跡辻地区大型建物群跡> 〜奈良県桜井市〜
見どころたくさんの纏向遺跡。中でも一番見応えがあるのが「纏向遺跡辻地区大型建物群跡」です。「卑弥呼が居住していた場所ではないか?」という説もある遺跡。「卑弥呼」や卑弥呼がいたとされる「邪馬台国」についても様々な憶測があるので少し考察してみました。真相は如何に!?
纏向遺跡の古墳群、今回は「勝山古墳」と「纏向石塚古墳」を訪れました。古墳の多くは原型をとどめていませんが、それであっても出土品の多くから時代を調べることができ、古代の人々に思いを馳せることができます。今回の二つの古墳についても、私たちのご先祖様の軌跡に触れることができました。
纏向遺跡ツアーの続きです。今回は、卑弥呼の墓という説もある「箸墓古墳」から北西方向に歩いて10分ぐらいの場所にある「東田大塚古墳」と、そこから更に北へ10分歩いたところにある「矢塚古墳」のご紹介です。長閑な風景の中に太古の遺跡が溶け込んでいました。
纏向遺跡探訪その2。茅原大墓古墳の次に訪れたのは、纏向遺跡のメインでもある「卑弥呼のお墓」とも噂される箸墓古墳(大市墓)。この古墳の主は一体誰なのか?というのは古墳愛好家の間でも長年の議論の的ですが、いつか発掘を開始される日が来るのでしょうか?
奈良には神社の他に古墳などの遺跡も数多くあります。今回は纏向(まきむく)遺跡を訪れました。この辺りで有名なのは「卑弥呼の墓では?」という説もある箸墓古墳(大市墓)ですが、その前に国の史跡とされている「茅原大墓古墳」に立ち寄りました。
「元伊勢」とも呼ばれる桧原神社の御朱印の紹介です。桧原神社は大神神社の摂社の一つで、三輪山向かって左の山裾にある神社。天照大御神を宮中から連れ出し、現在の伊勢神宮より前にこの倭笠縫邑にお祀りした天照大御神の御杖代である豊鍬入姫のお社もあり、御朱印もいただけます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の拾壱 〜奈良県桜井市〜
大神神社の摂社・末社を徒歩で巡り続け、いよいよ最後の摂社「元伊勢」と呼ばれる桧原神社へ。そこには伊勢神宮に繋がるエピソードがありました。太古の昔、私たちの祖先はこの大和の地でどんな風景を見ていたのでしょうか。途中、初代・神武天皇が即位された時に皇后とした媛蹈鞴五十鈴媛と出会った場所にも立ち寄ります。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の拾 〜奈良県桜井市〜
大神神社の摂末社シリーズ、其の拾!このシリーズも終盤に差し掛かりました。今回ご紹介する摂社は、大神神社の主祭神である大物主命の子孫であり、大神氏の始祖にあたる大直禰子命(おおたたねこのみこと)をお祀りする大直禰子神社です。 境内には田道間守に倣った橘の木と、役小角に倣った吉野桜が植えられています。
大神神社の末社、久延彦神社(くえひこじんじゃ)の御朱印をご紹介します。こちらの神社は”知恵の神様”とされる久延毘古命がお祀りされており、合格祈願に訪れる参拝者が多い神社です。境内から大和三山と大神神社の大鳥居を眺めることができます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の玖 〜奈良県桜井市〜
日本酒を造る酒蔵の軒先に吊られている杉玉。実は大神神社がルーツでした。これを知ると日本酒の味わい方も少し変わりそう。日本の伝統を辿るとだいたい同じ原点にたどり着くようになっていて、そういうことを知れるのも神社巡りの楽しみのひとつかもしれません。
奈良県は大神神社の摂社である、狭井神社の御朱印を紹介します。大物主命の荒魂をお祀りする狭井神社は、三輪山登拝への登山道の入り口がある神社でもあります。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の捌 〜奈良県桜井市〜
奈良の大神神社の摂末社巡り、第8弾!市杵嶋姫神社、磐座神社、活日神社をご紹介します。古事記や日本書紀に書かれた大昔のものが目の前にあることに、悠久の時の流れを感じます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の漆 〜奈良県桜井市〜
大神神社シリーズ第7弾!今回の摂社は、三輪山登拝の入山口がある狭井神社。拝殿の裏には「薬井戸」という御神水をいただけるところがあり、登拝の際はここで御神水を汲んで入山することもできます。
玉列神社の御朱印のご紹介です。御朱印は全体の仕上がりを見て満足しがちですが、朱印にもぜひ注目していただきたい。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の陸 〜奈良県桜井市〜
三輪山向かって右側の端っこ、玉列神社のご紹介です。やっと大神神社の摂社・末社の半分を攻略!玉列神社は初瀬谷で最古の神社。春に椿が咲き誇り、参拝者を楽しませてくれます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の伍 〜奈良県桜井市〜
奈良県、大神神社の摂社・末社の紹介です。三輪山の山裾をはしる日本最古の古道である「山の辺の道」を、太古の景色を想像しながらお社巡り。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の肆 〜奈良県桜井市〜
前回からの続き、大神神社の摂社である神坐日向神社(みわにますひむかいじんじゃ)のご紹介です。この神社は三輪山の頂上にある高宮神社(こうのみやじんじゃ)の神様を勧請した神社で、他の摂社・末社とはまた違った雰囲気でした。居心地の良さに、つい長居したくなります。
大神神社の御朱印をご紹介します。御朱印は2種類あり、それぞれに日本画家の清水桃香先生がお描きになった拝殿の絵と巳の神杉の絵が描かれており、品の漂うものとなっています。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の参 〜奈良県櫻井市〜
引き続き、大神神社シリーズです。今回からは大神神社の拝殿を離れ、摂社と末社を巡ります!イラストの地図で見ると至近距離に感じたんですが、これが意外と…。拝殿向かって右側の山裾から順番に巡り、最後は桧原神社までの経緯を綴ります。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の弍 〜奈良県櫻井市〜
前回の大神神社の続きです。二の鳥居をくぐり、いよいよ拝殿へ!ここでは神職の方からたくさんのお話をお伺いすることができました。悠久の時を経て歴史を紡いできた大神神社の影には、たくさんの方が必死に守りぬいてきた形跡が垣間見えました…
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の壱 〜奈良県櫻井市〜
奈良の大神神社のご紹介です。拝殿背面の三輪山が御神体で拝殿はありますが本殿はありません。原初の自然信仰(古代信仰)がそのまま残っており、日本古来からあるアミニズムを感じることができる貴重な神社です。御祭神は大物主大神。
東大寺にある二月堂は、夜になると吊り灯籠に明かりが灯り、幻想的な雰囲気に包まれます。 晴れていれば奈良市の夜景も眺めることができます。せっかく古都・奈良へ行ったなら夜の散策もおすすめ。
86. 東大寺<手向山八幡宮・二月堂境内社> 〜奈良県奈良市〜
奈良の東大寺の境内には、神社が幾つもあり、神仏習合の時代を歩んできた歴史がそのまま残された風景に時代の移ろいを感じます。今回は境内社の一部をご紹介しています。
奈良といえば東大寺の奈良の大仏。「修学旅行で行きました!」という方も多いと思いますが私もその1人。大人になってから再度訪れてみると当時とはまた違った印象で、改めて古都・奈良の魅力に触れられた気がしました。
85. 祇園社八坂神社(ぎおんしゃやさかじんじゃ) 〜奈良県奈良市〜
今回は奈良の神社をご紹介します。歴史の重みを感じながら、”古都”を堪能してきました。ひとつ目の神社は、奈良県奈良市にある京都の八坂神社から勧請された「八坂神社祇園社」です。
札幌市中央区にある多賀神社の御朱印の紹介です。合祀されている山鼻神社についても少し触れています。 札幌市中央区にある多賀神社の御朱印の紹介です。合祀されている山鼻神社についても少し触れています。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 札幌市の歓楽街、スス […] 札幌護國神社の境内に佇む多賀神社のご紹介。 御英霊をお護りしていただくため、滋賀県の多賀大社から御祀神である伊邪那岐大神と伊邪那美大神をお招きした神社です。
札幌市内の中島公園にある札幌護國神社の御朱印をご紹介します。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 前回の記事。↓ ht […]一年のうちで一番最後の祝日「勤労感謝の日」について記事にしています。現在の名称になる前は「新嘗祭」という祭日でした。この「新嘗祭」というのは実はとても重要な宮中祭祀でもあります。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 前回の記事。↓ ht […]「文化の日」も元は違う名称でした。本来は「憲法記念日」になるはずだった日でもあります。この日は国家に功績を残した方へ、宮中で天皇陛下から文化勲章が贈られる式典があります。
#post_content10月10日は「体育の日」でした。ところがある時から10月第2月曜日になり、そして名称が代わり、今年に至っては10月から祝日が消えていました!なぜ消え去ったのか、その真相は…
日本には様々な暦があります。中でも「二十四節気(にじゅうしせっき)」は私達にとって身近なものでもあります。「秋分の日」もその「二十四節気(にじゅうしせっき)」の一つ。ご先祖様との距離が縮まる日です。
「こどもの日、成人の日があるなら"としよりの日"もあってもいいだろがっ!」(そんな高圧的な言い方してない)という発想から作られた「敬老の日」。 祖父母、両親、孫の3世帯が揃って一緒に食事したり、普段言えない「ありがとう」を伝えたり。
「海の日」とニコイチの「山の日」。日本が豊かな国である理由として、海に囲まれた国であること、そして山々に抱かれた土地であること、この二つがあります。自然を神と崇め畏れ敬ってきた日本人にとって、山を想う時間は大切なことかもしれません。
明治天皇の東北巡幸がきっかけできた祝日。元は7月20日でしたが、ハッピーマンデー制度の導入により現在は7月第3月曜日となっています。海についてちょっと思いを巡らせ、恵みに感謝をして過ごすのも良いのではないでしょうか。
もう鬱になりそうなゴールデンウィークの最終日である5月5日の「こどもの日」についての記事です。端午の節句であるこの日は古来から様々な風習があり、現代にも受け継がれています。粽と柏餅、選ぶならどちら?
「平日」から「国民の休日」、そして「みどりの日」へと昇格を果たした5月4日! ゴールデンウィーク後半の休日について調べてみると、その歴史は結構浅かったです(笑)
「憲法」と聞いただけで、小難しそうという印象でちょっともう拒否反応が出そうですが、5月3日がなぜ「憲法記念日」と定められたかを記事にしました。小難しいので内容はサラッと済ませました(笑)
ゴールデンウィークのスターター、「昭和の日」。この日から国民の多くは浮き足立つわけですが(私もですが)、いったい"どんな経緯があって、この祝日が制定されたのか"を綴っています。
この記事では「二十四節気(にじゅうしせっき)」である「春分の日」についてダラダラとウンチクを述べています。「春分の日」は立春から数えて4つ目の節句になります。
「天皇誕生日」は、かつては古来から続く四大節の一つの「天長節」だったことはあまり知られていません。 この記事では、日本のナショナル・デー(国家の日)でもある「天皇誕生日」について解説しています。
全国の皆さんがなんとなく過ごしているであろう祝日第一位(私調べ)の「建国記念の日」。実はこの祝日は一度抹消されているんです!そんな「建国記念の日」が復活に至るまでを調べてみました。
「成人の日」は本来は1月15日に定められていましたが、ハッピーマンデー制度の導入により1月第2月曜日に変わりました。一生に一度のハレの日である「成人式」。一体どんな由来があって誕生したのでしょうか?また、「成人」とは?
日本の暦には祝日、二十四節気、節句、雑節など様々なことが書かれています。 その中でも「祝日」は一番身近にあるもので生活にも直接関わりのあるものではないでしょうか。 今回から数回にわたり、日本の暦の「祝日」について、改めて掘り下げてみます。
日本の暦で日曜日の他にある「祝日」について掘り下げてみました。「祝日」の中には神事によるものや季節の節目に基づく日があり、日本ならではの文化を感じることができます。そんなことに思いを馳せながら「祝日」の過ごすのもまた良いのではないでしょうか。
御朱印 札幌祖霊神社(さっぽろそれいじんじゃ) 〜北海道札幌市〜
開拓使によって創建された札幌祖霊神社の御朱印の紹介です。 御神紋である、大きな赤い五稜星(星形)の印が目を引きます。新型コロナウイルス感染症の終息に願いを込めたアマビエの印が可愛い! 札幌祖霊神社の「霊」の漢字についても掘り下げています。
83. 札幌祖霊神社(さっぽろそれいじんじゃ) 〜北海道札幌市〜
北海道開拓使の黒田清隆が霊祠を建てたことから造営された神社。神紋は神社でも珍しく開拓使のシンボルである五稜星が使われています。2021年に150年を迎えるこの神社は、開拓使から現在に至るまで、大切にお祀りされてきました。
神社での参拝マナー・撮影マナーについて。一部の身勝手な迷惑行為をする人のお話。
かつて札幌にあった遊郭の面影を湛える公園で、ひっそりと佇む神社がありました。 小さいながらもしっかりした作りと細かな装飾にかつての繁栄を感じさせられます。
札幌市中心部から見て南東に位置する清田区にある清田稲荷神社の御朱印です。こちらの神社は平成19年に創建された神社で、札幌でも一番新しい神社。黒猫がいることで有名な、通称「猫神社」です。
今回ご紹介するのは札幌市中心部から見て南東に位置する清田区にある神社です。こちらの神社は平成19年に創建された神社で、札幌でも一番新しい神社。黒猫がいることで有名な、通称「猫神社」です。
札幌駅から西に3丁ほど西に行ったあたりに「偕楽園緑地」という緑に囲まれたところがあります。 その敷地内にこじんまりとしたお社があります。一見それが何なのかわかりにくいのですが、実は龍神様をお祀りする神社なのでした。
本陣狸大明神社(ほんじんたぬきだいみょうじんじゃ) 〜北海道札幌市〜
札幌市の中心部に「狸小路(たぬきこうじ)」というアーケード街があるのはご存知でしょうか。 ここに、昔からこじんまりとした神社があります。 少し変わった神社なのですが、私が物心ついた頃から様子を変えることなく普通にそこにあったので、今まであまり意識したことがありませんでしたが…
札幌市の円山の登山道にある小さな神社へ行きがてら、円山を登頂してきました。麓の「円山八十八ヶ所大師堂」の中にはきちんと弘法大師・空海がお祀りされています。
最終回は、人を占う側はどんなことを思ってるのか、ということを書いています。占い師業界のゴタゴタなどの裏話、占いは何のためにあるのか、相談者は何を求めているのか、など。
未来って誰しも気になるもので、中には"今"がよければいいっていう方もいると思います。 「占いとか霊的なものとか全然信じない!」みたいな人もいるし、私は全然それでいいとも思います。 結局はいくら未来を占ってもそれは不確かでしかない。
占い師として活動していた経歴を元に、そこで得たことことを思いのまま綴っています。何を自分にとって真実とするか?占いとはどういうものか?危険な占い師は?などをテーマに紐解いています。
占い師の経験をしていたことから、何を自分にとっての真実とするか、そしてその不確かな中で未来を知りたいという欲望についての人の心の動き、それを伝える側の心境というのを書いています。
「スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね」シリーズで、占いについてちょっと触れた折に、「"占い師"をしてた時のことも記事にしたいなぁ…」って思書くことにしました。 序章では「誓」と「御神籤」について書いています。
沖縄を訪れた際、波上宮の後に首里城も拝観してきました。その首里城、残念ながら不備の出火により2019年10月31日に焼け落ちてしまいました。私が訪れた1か月半後の出来事です。そんな貴重な首里城の写真を掲載しています。
スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね (其の肆・結)
大のスピリチュアル好きだった私が、このブログでスピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由をご説明します。
スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね (其の参)
大のスピリチュアル好きだった私が、このブログでスピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由をご説明します。
スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね (其の弐)
引き続き、スピリチュアルを一周してきた結果、辿り着いたのはこれでした、のお話。
スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね (其の壱)
例えば、神社や日本神話に出てくるような神様なんかについてのブログって、大抵の方が期待するのがスピリチュアル的な要素だと思うんです。 が、私の記事の書き方として、敢えてスピリチュアル的な要素、用語などはなるべく用いないことを意識しています。 いやこれ、わざわざお伝えすることもないのかもしれないんですが、ちょっと新型コロナウィルスのアレで自粛が続いてね、約2か月ぐらいスーパーしか行かない生活をしていて
御朱印 札幌諏訪神社(さっぽろすわじんじゃ) 〜北海道札幌市〜
長野県の諏訪大社より御分霊賜った札幌諏訪神社の御朱印を紹介します。
この神社は長野県の諏訪大社から御分霊賜った神様をお祭りする神社です。御祭神は出雲大社の大国主命の御子にあたる建御名方命とその奥さんの八坂刀売命の夫婦神がお祀りされています。 子宝・安産・縁結びという御利益があるとされています。
白石神社の御神紋は、神武天皇をお祀りしてるので御神紋は菊花紋、もっと詳しくいうと「十六葉八重表菊」です。これは、天皇及び皇室を表す紋章です。因みに北海道神宮も「十六葉八重表菊」です。 北海道神宮の御祭神は明治天皇です。
神武天皇をお祀りする札幌市白石区にある人気の神社を紹介します。 元々は北海道神宮(札幌神社)があった場所。必見は神寄谷。 伊達政宗の近習、片倉景綱の子孫が作った街、白石区。
伊勢神宮巡りで最後に訪れたのは、特別史跡にも指定されている名古屋城です。 「特別史跡」とは、文化財保護法により指定された史跡のうちで特に価値が高い!と認められているものです。 国宝と同格と見做されるものでもあります。 実は、名古屋城は建てたのは徳川家康ですが、初代城主は尾張徳川家の家祖で13歳で尾張藩の領主になった九男の徳川義直(よしなお)です。 家康が彼のために建てたお城なのでした。 それ以降は17代まで尾張藩主の居城として使われていました。
おはらい町は伊勢神宮・内宮前にある町で…と言っても居住地はほとんどありません。 五十鈴川に沿っているおはらい町通り(旧参宮道)に商店街が軒を連ねており、一つ一つの建物が切妻・入母屋・妻入り様式でとても風情のある景観になっています。 石畳のおはらい町通りの長さはおよそ800m。 タイムスリップしたような気持ちになって「昔の人もここを歩いて参拝に行ってたのかな」とか得意の妄想も捗ります(笑)
伊勢市二見町にあるこの建物は明治20年に、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設されたものです。 歴代諸皇族が避暑や療養に滞在されたり、各界要人が数多く宿泊されていました。 明治44年2月に隣接していた二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)に払い下げられ、二見館の別館として平成11年まで宿泊所とされ、二見館の廃業後は平成15年に二見町に寄贈されました。
ミキモト真珠島 は、三重県鳥羽市の鳥羽湾内に浮かぶ小島です。 島全体が株式会社御木本真珠島が経営する施設となっています。 真珠に生涯を捧げPearl King(真珠王)とも呼ばれた株式会社ミキモト(株式会社御木本真珠島はグループ会社)の創業者の御木本幸吉さんは、誰も実現することができなかった真珠の養殖をこの志摩国で1893年に成功させました。 これは世界で初めての偉業であり大発明でした。
熱田神宮境内にある上知我麻神社の御朱印をご紹介します。 こちらの神社は熱田神宮の摂社にあたります。 同じスペースに熱田神宮の別宮である八剣宮もあり、熱田神宮とはまた違った雰囲気の場所になっています。
75. 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 〜愛知県名古屋市〜
熱田神宮の境内にある別宮、八剣宮と同じエリアにあるのが上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)です。上 知 我 麻 と書いて か み ち か ま。 因みに、今回は立ち寄らなかったけど境内の北西の角に下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)もあります。 こちらは境内を一旦出て、外側から参拝する形になります。
「劔」は「剣」の旧漢字ですが異体字(いたいじ)になります。 「異体字」とは読みも意味も一緒だけど漢字の一部が違うものを言います。 「剣」の旧漢字だと本来は「劒」となりますが、八剣宮のこの角印では旁が"刀"ではなく"刃"になっています。
前回、熱田神宮について記事を書きましたが、大事なことを忘れていました。 伊勢神宮同様に熱田神宮にも別宮(べつぐう)があります。 創祀は、和銅元年(708)9月9日、元明天皇(第43代天皇/女性天皇)の勅命により神剣をつくり境内に社を建てて祀ったことが始まり。 古来より武家の信仰がとくに篤い。
三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ=草薙御剣、天叢雲剣)をお祀りする熱田神宮の御朱印を紹介します。
草薙剣が納められているという神社。 ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。 織田信長が納めた信長塀など歴史的建造物が残る神社。
伊勢神宮内宮の別宮にあたる月読宮の御朱印をご紹介します。 記事はコチラ→ 72. 月読宮(つきよみのみや) 〜三重県伊勢市〜 やっぱりこのシンプルな感じが逆に高貴で荘厳な感じがしますね。 角印の中は「月読宮印(つきよみのみやのいん)」と書かれています。
外宮の別宮にも同じく月読尊(つきよみのみこと)をお祀りする月夜見宮(つきよみのみや)がありますが、そのお宮とはまた違った感じ…というか、とても不思議な感じを憶えました。
伊勢神宮の別宮とは違う、独立した神社です。 こちらの御祭神である猿田彦大神の奥さん、天宇受売命も境内社でお祀りされていますので、そちらの御朱印も併せて掲載します。
猿田彦命は天狗のモデルとされています。 猿田彦命は、顔が赤くて鼻が異様に高くて背もとても高く、目は八咫鏡みたいに光って一本歯の高下駄を履きこなす風貌らしいです。
御朱印 伊勢神宮-外宮(いせじんぐう-げくう)/豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
伊勢神宮の内宮で特別参拝(詳しくは内宮の記事で)を済ませた後、そのまま外宮へ行ってそちらでも特別参拝を済ませてきました。
伊勢神宮の内宮の記事を書いて内宮で頭がいっぱいになってしまって、ウッカリ忘れてしまったんですが、外宮の後に行った外宮の別宮である、月夜見宮の御朱印を内宮よりも先にいただいていたので、順番が逆になってしまいましたがご紹介いたします。
御朱印 伊勢神宮-内宮(いせじんぐう-ないくう)/皇大神宮(こうたいじんぐう)
昭和以前は角印ではなくて丸印に「内宮参拝」と書かれた印だけで日付などはなかったそうです。 むしろ本来、御朱印と言うのはそこの寺社に参った証でしかないので、現在のように日付などはないですし、色を使うようなこともありませんでした。 朱色の印、それが御朱印たるものでした。
御朱印 内宮(いせじんぐう-ないくう)/皇大神宮(こうたいじんぐう)
伊勢巡り、まだまだ続きますが一旦ここで御朱印をご紹介します。 記事はコチラ→ 70. 伊勢神宮-内宮(いせじんぐう-ないくう)/皇大神宮(こうたいじんぐう) 〜三重県伊勢市〜 ちょうど御朱印帳もなくなりそうなタイミングでもあったので、内宮でいただいた御朱印帳の1ページ目に内宮の御朱印をいただきました! 伊勢神宮の御朱印帳もお披露目します。幾つか種類がありましたが、大判で統一してる私はこちらのものに
70. 伊勢神宮-内宮(いせじんぐう-ないくう)/皇大神宮(こうたいじんぐう) 〜三重県伊勢市〜
記事の内容は、タイトル通り伊勢神宮の内宮です。 別名、皇大神宮。 または、伊勢神宮、略して神宮。伊勢神宮へはいつか訪れてみたい、とずっと思っていて、でも「こんな自分じゃまだご挨拶するには恥ずかしいな」という気持ちや「まずは地元の神社から大切にしたい」という気持ちなどが相まってなかなか行動に移せずいました。
二見興玉神社→外宮[正宮]→(外宮の別宮)→内宮[正宮]→(内宮の別宮) 外宮の北御門から月夜見宮に真っすぐ伸びる道があるんですが、この道は神様が通う「神路通り」と呼ばれていて、真中を歩かないようにしてるんだそうです。
68. 伊勢神宮-外宮(いせじんぐう-げくう)/豊受大神宮(とようけだいじんぐう) 〜三重県伊勢市〜
伊勢神宮参拝には順番があります。二見興玉神社→外宮[正宮]→(外宮の別宮)→内宮[正宮]→(内宮の別宮)の順で周りますが↑今ココ(外宮)です。
そこそこ色んな神社へ行ってる私ですが、未だに伊勢神宮は訪れたことがありませんでした。 っていう話をすると「えーーーー!!」って意外に思われるし、初詣しか神社へ行かないような方に「神社が好きなら行かなきゃダメだよ、伊勢神宮は〜」とか上から言われることもあリました(この場合ちょっと癇に障る)。 私が今まで伊勢神宮へ行かなかったのには私なりの理由があリました。 ひとつは、単純に畏れ多く感じていて近寄り難
夫婦岩でも有名な二見興玉神社の御朱印を紹介します。
67. 二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)・夫婦岩(めおといわ) 〜三重県伊勢市〜
まずちょっと必要なご説明を。 伊勢神宮参拝には順序があります。 外宮を参拝してから内宮を参拝という順序で参拝しますが、正式にはこちらの二見興玉神社で禊をしてからというのが昔からの習わしだそうです。 本来は神事の際にも二見浦の浜で沐浴していましたが、現代はこの神社でお祓をしてから伊勢神宮へ向かうことになっています。
【由緒】 当社は古より現在地に鎮座し、世木社と称し、外宮禰宜、度会神主の遠祖を奉斎した社である。当地は往宮川の沿岸で、その上流と下流とに堰を設け、その間を関川と称し、付近に河原村、世木村などの村が散在した。 外宮祀官、度会神主の一族がこの地に移住して、家号を世木と号し下の堰辺りに祖神を奉祀して世木社と称した。 当時世木家は地方の権家で住民も世木社を尊敬し、室町時代に世木一族がこの地を去るに及んで、付近住民の産土神としたものと思われる。
明智光秀という人物像も色々なイメージがありますが、"光秀目線"で見ると、とても温情がある人で当時にしては珍しく嫁一筋で忠誠心があって、そんな人がどうしてこんな謀反を起こすまでに至ったのか、その敬意を深く考えると切ない気持ちになります… 今までは三日天下とか言われてちょっとdisられてきましたが、色んな文献を集めて集約して考えると同情心も芽生えてくるほど。
江戸幕府初代将軍徳川家康によって天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築城されたお城で、城内全体が国の史跡に指定、二の丸御殿(6棟)が国宝、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画(1,016画)が重要文化財、そして二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。 更に更に、1994年に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に登録されました。 あ、名城100選にも選定されるそうです。
京都御所がある京都御苑。 京都御所は、桓武天皇〜明治天皇の代までのお住まい、今でいうところの"皇居"として利用していたところです。 歴代の天皇がどのようなところで暮らしていたのかとても興味があったので大変楽しみにしておりました。
京都は古くから歴史の舞台となってきました。 当ブログは基本的に神社メインのブログですが、京都の史跡にも軽〜く寄ってきたのでせっかくですから備忘録として残しておきたいと思います。 3箇所の史跡に立ち寄りましたが、1つ目は皆さんご存知、本能寺!
近江国一宮である建部大社の御朱印をご紹介します。記事はこちら→ 65. 建部大社(たけべたいしゃ) 〜滋賀県大津市〜
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