カトリック。カルト問題(統一教会)をカトリック信者の視点から論じました。情報量は少ないですが、データとして残します。
今回の安倍元首相の銃殺事件について、犯人の動機についての議論がなされている。統一教会を憎み、怨念を晴らしたいなら統一教会側の人間、例えば、韓鶴子らを狙えばよいのに、どうして安倍元首相なのか、という話だ。実際、犯人は、韓鶴子を殺害すべく、いくつかの計画を練
統一教会(家庭連合)の「世界平和統一家庭連合会員の合同ニュースブログ」に以下の記事が掲載されていた。「教皇フランシスコ、UPF代表団と会談」(元記事:2019年7月13日)「7月1日、ローマ教皇フランシスコとUPFインターナショナルのウォルシ世界議長、ハマド副会長、
これまでの投稿で統一教会の教義に対する投稿を終えます。● 拙ブログでは、『原理講論』の「総序」「創造原理」「復帰摂理」「同時性」「堕落論」を扱いました。まだ、「キリスト論」「三位一体論」「復活論」「終末論」「再臨論」など、未着手の部分もありますが、それら
すでに、拙ブログ「統一原理批判:「総序」⑨⑩」にて『原理講論』をめぐるいくつかの問題を扱ったが、ここでは全体の印象を補足的に述べたい。 今はどうか知らないが、以前は『原理講論』を「成約聖書」などと言っていたこともあった。すでに教祖は亡くなったので、続編
『原理講論』は、原罪のない人間について以下のように記している。 「この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要がなく、したがって、救い主が不必要であり、堕落人間に要求される悔い改めの祈祷や、信仰の生活も、また必要ではないのである。そればかりでなく、原罪
統一教会の原罪の定義『原理講論』において、「原罪」は以下のように説明される。 ➀「原罪はあくまで、人間の祖先から遺伝されてきたもの……なぜなら、遺伝はその血統を通じてのみなされるからである」(同、93頁) ②「いかに信仰の篤い信徒といえども、アダムから遺伝
摂理的同時性 この教義は、文鮮明が再臨主だということを歴史を分析することによって証明しようとするものである。 『原理講論』は人類史を(象徴的か実数かは別として)6000年と捉え、それを2000年ごと3段階に分けて、それぞれの時代を対応させている(上の「摂理的同時
復帰摂理 一般のキリスト教で「救済史」と言われる部分は、統一教会では「復帰摂理」という独特の教説となっている。「救いの摂理はすなわち復帰摂理である」(『原理講論』138頁)ということである。彼らの主張を見てみよう。 ➀旧約聖書の創世記にあるノアの箱舟の記事中
もしかしたら統一教会と何らかの関わりがあった人がこのブログの記事を読んでくれたかもしれません。そうであれば、一言、申し上げたいと思います。 私は個人として、現時点ではかつて出会った統一教会員たちに恨みや反感はまったく持っていません。一時は、カルト教団の
統一協会の主張神の二性性相(2) 「二性性相」について『原理講論』はもうひとつの定義を加える。それは「陽性と陰性の二性性相」ではなく、「性相と形状の二性性相」である。 『原理講論』では、陽性と陰性の二性性相を説明した後、 「さらに、我々はすべての存在を形
カトリック側の反論 これが『原理講論』の「神の存在証明」である。ローマ人への手紙1:20を根拠に展開される“科学的証明”なのだという。 しかしそれはカトリックの自然神学とはまったく異なり、ここでは自然を観察することによって、神の存在の根幹もわかってしまう
「創造原理」について<統一協会の創造観、神観> 『原理講論』の「総序」では、自らの教義の科学性を強調し「科学の発達に伴い、人間の知性が最高度に啓発された結果、現代人はすべての事物に対して科学的な認識をするようになったにもかかわらず、旧態依然たる宗教の教理
統一協会の反論(2) このような文鮮明の居直りとも思える態度からも、統一協会員らはさらに弁解を試みる。それは、聖書批判学からすれば福音派の反対牧師がいうような聖書全体が正しいという主張はもはや成立しない。だから、反対牧師の根拠は聖書の真の理解の上に立って
統一協会の主張最近の統一協会の『原理講論』の位置 「総序」の始めから統一協会の主張は、自分たちの教えが「新しい真理」であり、「科学的」なものであることを強調してきた。「いかに霊的な事実を否定する人であろうと、それらのことが科学的に証明されるならば、信じま
啓示の漸進性について 加えて、統一協会の弁明のひとつに、“聖書は、旧約も新約も資料を用いて書かれ、後にそれらが編集されたものである。さらに書かれた後も「正典」となるまで時間がかかった。それから考えて、「啓示は漸進的に行われている」と言うことができるのだ”
#3:「新しい真理」の特徴統一協会の主張 『原理講論』では、「またこの新しい真理は、今日の文化圏を形成する世界的な使命を帯びているキリスト教の数多くの難解な問題を、明白に解いてくれるものでなければならない」(同36頁)、「また、この真理は、・・・〔聖書
カトリック教会の啓示理解1-聖書と聖伝 カトリック教会においての、公会議の決議や後の時代の教義宣言などは、教会が聖霊に導かれて聖書に含蓄された教えをさらに明確化したものである。また、「聖伝」とは、『カトリック要理』によれば「聖霊の御助けのもとに、言い伝え
#2:「新しい真理」のオカルト的性格統一協会の主張 「この最終的真理は、いかなる教典や文献による総合的研究の結果からも、またいかなる人間の頭脳からも、編みだされるものではない。・・・この最終的真理は、あくまでも神の啓示をもって、我々の前に現れなければなら
再批判 ます、②からコメントしよう。カトリック教会はだからこそ、教父たちが聖霊の照らしのもとに研究し、聖霊の導きに従って公会議を開き、体系的な教理体系を築き上げていったのである。このような聖霊の働きは、イエスが復活したことにより実現したのである(ヨハネ7
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