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ブログタイトル
戦争の周辺と十二支
ブログURL
http://narachi20.livedoor.blog/
ブログ紹介文
戦争の周辺、十二支の動物にまつわる雑学、忍者に関する事々を載せています。
更新頻度(1年)

8回 / 19日(平均2.9回/週)

ブログ村参加:2020/02/04

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戦争の周辺と十二支
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戦争の周辺と十二支

one-puka-pukaさんの新着記事

1件〜30件

  • 「目線こちらにくださーい」1945年初夏 ビルマ バゴー近郊

    <ストーリー設定>  前年のインパール作戦の失敗以後、インド・ビルマ戦線は連合軍の独壇場となった。 すでに帝国陸軍に満足な兵力はなく、イラワジ川やシッタン川での防衛戦も突破されてしまう。追撃するイギリス軍はビルマの首都ラングーンを目指して南下する。

  • 「泥まみれ」1943年春 ハリコフ戦のその後に

    <ストーリー設定>  スターリングラードは敗北し、ブラウ作戦も頓挫しソ連の大反攻が始まった。我々は守勢にまわってしまった。1943年春、急速な反攻作戦はわが軍に莫大な損耗が出したが、ソ連軍も同じだった。伸びきった補給線はソ連でもやっかいで、前線の損耗

  • 「ケツを蹴り上げろ!一人残らず叩き出せ!」1945年1月バストーニュ

     <ストーリー設定>  1945年1月、ドイツ軍のアルデンヌ攻勢は頓挫し、連合軍の組織的反撃が始まった。包囲されていたベルギーのバストーニュはパットン第三軍の援軍で解放された。 後退するドイツ軍は、あちこちに装備を放棄して着の身着のままで攻撃発起点まで戻って

  • 「ヒトラー最後の攻勢 先鋒部隊をおいかけて」1944年12月ベルギー

     <ストーリー設定> 1944年冬、後退続きのドイツ軍はもはや反撃する力をもたない。そう確信した連合軍は広い最前線にわずかな守備兵しか展開していなかった。 クリスマスを目前にした12月16日 ドイツ軍は最後の大掛かりな反撃作戦を発動する。1940年にそうし

  • 「目標前方シュガーローフヒル。前進せよ!」1945年5月18日沖縄

     <ストーリー設定> 沖縄戦の中盤に差し掛かった5月、第6海兵師団は首里を目指して比較的快調に進撃していた。目の前にある低い丘(安里52高地)も単なる通過点に過ぎなかった。 しかし、複数の丘が連なるこの地域は、相互支援砲撃が可能な巧妙な陣地群で構成され

  • 「勇躍全力を尽して従容として悠久の大義に生きるを悦びとすべし。」1944年マーシャル群島の小島で。

    <ストーリー設定> サルで出っ歯のニップどもはどんな小さな島にでも陣地をつくって抵抗しやがる。 だから、こっちもどんな小島にも必ず上陸しなきゃならなくなるんだ。 でもまさかこんな小島に戦車を置いているとは思わなかった。 こんなの聞いてないぜ。

  • 「1800時出撃予定。各自整備確認せよ!」 北アフリカ戦線 リビア内陸部

     <ストーリー設定>1941年、ロンメルのアフリカ遠征軍とイギリス軍がシーソーゲームを演じていたころ。北アフリカ・サハラ砂漠のエルグ(砂砂漠)で整備作業を行う。 サハラ砂漠は広大だが、エルグはわずか14%程度でしかなく、ほとんどがレグ(礫砂漠)だ。

  • 出戻りモデラ―のディオラマ(1/35ミリタリーモデル)

    イントロダクション(たくさんのひとたちと同じ、出戻りモデラ―の振り返り)<1970年代>1970年代の少年は、ミリタリー模型にはまりました。丁度、タミヤMM(ミリタリーミニチュア―)がブームの時代です。 タイガー1型戦車、キングタイガー、ロンメル襲撃戦車

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ8)アメリカ-SWPA-PWBの宣伝ビラ(2)

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ8)アメリカ-SWPA-PWBの宣伝ビラ(2)<続き><128-J-1 横9.5cm 縦13cm> これも有名なビラ。沖縄戦真っ只中、民間人に向けて散布されたもの。 「笑顔の海兵隊員」「おびえる様子もなく抱かれる幼子」という構図が

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ7)アメリカ-SWPA-PWBの宣伝ビラ

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ7)アメリカ-SWPA-PWBの宣伝ビラ 1944年7月、マッカーサー揮下の「南西太平洋連合国軍総司令部心理戦部」(SWPA-PWB)で作成散布された宣伝ビラはどのようなものだったのだろうか。 SWPAは、イギリス連邦(オーストラリア・ニュージラ

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ6)アメリカ-CINCPAC-CINCPOA-PWBの宣伝ビラ

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ6)アメリカ-CINCPAC-CINCPOA-PWBの宣伝ビラ 1944年6月、ニミッツ揮下設置された「太平洋艦隊兼太平洋方面軍司令官心理戦部」(CINCPAC-CINCPOA-PWB)で作成散布された宣伝ビラはどのようなものだったのだろうか。この部隊は、中部

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ5)アメリカ-CINCPAC-CINCPOA-PWB、SWPA-PWB

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ5)アメリカ-CINCPAC-CINCPOA-PWB、SWPA-PWBアメリカの宣伝ビラの続き。 1944年、日本を押し返し攻勢に転じたアメリカ軍は、太平洋を2つの地域に分けて日本に攻め上っていた。 海軍チェスター・ニミッツ率

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ4)アメリカ-中心となったOWIと「桐一葉」

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ4)アメリカ-中心となったOWIと「桐一葉」 アメリカでは、OCI(Office of the Coordinator of Information情報調整局1941年7月~1942年6月)が最初の対日宣伝ビラを作成したといわれる。 もともとアメリカでは中立政策をとってい

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ3)関わった連合国

    <対日宣伝に関わった国> 対日宣伝ビラを製作した連合国は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、中国国民党、中国共産党である。中部太平洋・南西太平洋は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダが東南アジア、インド、仏領インドシナ

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ2)現在手に入る書籍など

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ2)現在手に入る書籍など宣伝ビラ(伝単)についての書籍は結構ある。 ただ、学術的な研究はほとんどない。これからの開拓分野だということだろうな。 日本人目線だけで記述されていたり、断片情報だけであったり、手持ちのビラの内

  • 戦争の周辺(対日宣伝ビラ1)概要と始まり

    戦争の周辺(対日宣伝ビラ1) 概要と始まり   戦争の時、様々なプロパガンダが行われる。「謀略宣伝ビラ」もその一つだ。日本では「伝単」という。戦地や占領下の都市の街頭に張られる「謀略宣伝ポスター」や「抗戦ポスター」ではなく、航空機から撒い

  • 戦争の周辺「偽造紙幣」4  日本の場合「登戸研究所第三科」

     日本はどうか。 日本で同様の偽造紙幣製作は、陸軍省軍事課陸軍兵器行政本部第9技術研究所 通称登戸研究所第三科でおこなわれていた。 登戸研究所は、現在の川崎市多摩区東三田地区の雑木林を開墾して昭和13年に造成された。もともとは、陸軍科学研究所が

  • 戦争の周辺「偽造紙幣」3 ナチスドイツ「ベルンハルト作戦」

    <ナチスの紙幣偽造 ベルンハルト作戦>アンドレアス作戦改めベルンハルト作戦はこうして、ハイドリヒ、ナウヨックスコンビからカルテンブルナー、クリューガーコンビに主役交代する。1942年7月、親衛隊経済・管理本部からブーフェンヴァルト、ラーヴェ

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