目には映らないけれど、目を向けるべきものがあります。それが心です。心の働きを理解すれば見えてくるものがあり、それに素直に従うならば、これまでになかった価値観が生まれてくるでしょう。
何気ない日頃の生活を、もっとポジティブにしたい。また、ネガティブな自分を変えてみたい。そんなみなさんにお読みいただければ、何かしらのヒントがみつかるかもしれません。まずは立ち寄ってみて下さいね。
今回が「輝きのゆりかご」最後の投稿です。これまでの二年間にお付き合いくださったあなたに感謝いたします。
一日があるというのは当たり前のようで大変ありがたいもの。何がなく済んでいく一日をただただ当然のように過ごすより、感謝を持てば気持ちの良い毎日のなるのです。
己の幸せを望むことは生きる基本です。人はそれを得るために生まれてきたと言ってもいいでしょう。しかし実際はどうでしょう。己を第一と考えるのはいやしいものだと決めつけたり、人目を気にして幸せを得ることを拒んではいないでしょうか?今一度生きる意味を見直したいものですね。
現代では全ての人々が性別を越えて平等社会を築こうとしています。昔よりも理解が深まっているのは良いことです。ただ、そこに質の違いという考えを含めることができれば、もっとハードルは下がるでしょう。人は十人十色です。たくさんの個性を最大限に生かす社会が望ましいのではないでしょうか。
あきらめるという行為はネガティブなことばかりではありません。ゴールの見えない状況に終止符を打ち、新たなるステージに向かうためには必要な要素でもあります。人生にはやり遂げた後の達成感と同じだけ、あきらめの先に見る新鮮な景色があることを知ってください。
本物の人助けを考えてみましょう。それは助けを受ける人の代行で全て肩代わりするものではありません。代わりにやってあげることは簡単です。しかし、自分で歩んでいくことが本人のためならば、時には甘えを叱咤しなければいけません。杖となってください。それこそが最高のヘルプです。
足りているか足りていないかは物理的なものではありません。それはいつでも心が判断するものです。いかなる状況であっても心が満たされていれば、充足感は保たれます。常に穏やかさを失わず心をしっかり管理できれば、いつまでも満たされ続けられるでしょう。
利用される人は相手にとっても頼みやすく都合のいい人です。それは良くも悪くもです。もし悪い使われ方で利用しようとする人が寄ってきたとしたら、それはあなたにも原因があります。 世の役に立つ使われ方をするためにも自分自身を磨いておかなければいけません。
犠牲とは苦しみを自覚した時に抱く感情です。仮に外側からあなたが犠牲になっていると同情しても、当人が犠牲になったと思わなければ苦しみとはならないはずです。それが栄光に向かう過程ならばなおさらです。
殺伐とした世の中では必要以上に雑音も多くなっています。そんな今だからこそ、静かな環境を求めなければ疲れてしまいます。できれば自然の中に身を置きたいところですが、叶わなければ室内で一人になって音の無い時間を作ってみましょう。心はきっと晴れやかになります。
これまで生きてきた中で培われた自分だけの財産は誰でも持っています。それはオリジナルの強みでもあります。財産をしまっておくのか、有効利用するかは自分次第です。しかし、利用するならば人生の中で助けとなるのは間違いありません。今持っている財産を今一度探してみましょう。
時は流れている。と理解が必要です。ひとつの場所に永遠にとどまる物事はひとつとしてありません。人間関係も同じ。他人も自分も一秒先はもう別人です。
繰り返す意味は大きいものです。ひとつの物事を重ねていくと、否応なくヴァージョンアップをせざるを得ません。それこそが学びであり、厚みを増す行動になるのです。
デジタルな機器が生活を楽にしてくれ、たくさんの恩恵をわたしたちに与えてくれています。そんな世の中でも、時にはアナログ回帰してみるのも必要です。便利さの中に埋もれてしまった
あなたに否定的で耳の痛いことを言うアンチはいるでしょうか?そういう人が投げかけるクレームにはハッと思い知らされる真実が潜んでいます。親しい人なら絶対口にしない改善点を助言してくれるからです。嫌がらないで聞くことにも意味があります。
人は太古より、祈りを通して神や仏に繋がろうと試みてきました。生かされているという感謝を捧げていました。それが現代においては祈りはお願いという形に変わっていったのは事実です。しかし、究極の祈りは感謝のみです。感謝なくして不足を口にし、願いを叶えて欲しいというのはそもそも傲慢な思いです。そこを理解して感謝に立ち返ることが私たちに求められています。
心はいつでも風車のごとく回ってなければなりません。そのためには風が必要です。風のない停滞は心の淀みをもたらします。そうならないよう風を起こすような生き方が求められます。
人は誰でもいろんな側面を持っています。もちろん好きな面も嫌いな面も両方を持ち合わせています。その中で嫌いな面を色濃く表現すれば心はすさんでいきます。それならば、小さくなっている好きな面を増やしていけるよう努力するしかありません。
心のブログ 輝きのゆりかご「心を知ろう〜 旅する心 〜 」その9ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。ココシリ 前投稿No.
自分だけのささやかな楽しみ。それは誰にも知ることない秘密かもしれません。中には個人的な楽しみを広く告知したいと望む人もいます。そこにはたくさんの人と同じ楽しみを共有したいという、一歩踏み込んだ新しい楽しみ方の提案です。きっかけを提供すれば幸せがさらに広がります。
心のブログ 輝きのゆりかご「 迷い道 」こんにちは。かずてるです。ご訪問ありがとうございます。日常のわたしたちは人生の中で何度も迷い、道半ばで足止めを食らいます。それでも、そのつど行き先を決めてここまで歩いて来たのでしょう。あなたはそんな迷
ライバルは他人だけではありません。自分の中にあるいつかの自分(今の、そして過去のいろんな自分)もそうです。最高を更新するためには自分を越えていかなければなりません。まずは自分に勝つことです。
ホンモノの正義感とは何か。考えたことはありますか?むやみに悪を懲らしめたり排除する行為ではありません。悪もいずれ正義に迎え入れることが望まれます。そのためにすべきことは何なのかを問われるところに来ています。
一生に出会う人はほんの一握り。そんな貴重なご縁を大切にすれば人生はもっと輝きます。
大人になると子供の頃に持っていたものを手放してしまうものです。その中にはとても大切なものがいっぱいあります。子供を観察するとその大切なものが何なのかを気付かせてくれます。子供に戻るのは無理ですが、子供の持つピュアな部分はより良い人生にも大いに役立ちます。
心のブログ 輝きのゆりかご「心を知ろう〜 心と身体の関係 〜 」その8ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。こんにちは。かず
メモを取るのには大きな意味があります。それは過去の記録として残るだけでなく、将来に向けての財産となりうるものです。活用しない手はありませんよね。
人は嘘つきです。誰一人として嘘をついたことのない人はいません。嘘がいけないのではありません。嘘をどう利用したか。すなわち、動機が一番大切なのです。嘘は一般的に利己的なものですが、人を幸せにするものだってあるのです。
世を見渡すと、現代は疲れている人がたくさんいます。日々に追われている中でも休まる場所を持つべきです。それは何にも代え難い大切なものです。それを失わなければ忙しい中でも充実の人生を続けられます。自分にとって何が?そして何処が?オアシスなのかを問うてみましょう。
社会貢献というとたいそうなことをしなければならないのか?と思いがちですが、誰でもできる小さなものでいいのです。人は役に立つこと/迷惑になることの両面を持って人生を構築しています。今の世を乱れていると感じるか、浄化に向かっていると見るかは人それぞれです。ただ、一人一人がほんの1%を貢献すれば世の中は綺麗になるはずです。
自然界では質の同じものであれば、出会った時にお互いが同化する性質を有しています。これを融合といいます。同じ人間同士もそうであるのが自然の摂理です。それに逆らうと確執が生じるのは当たり前のことです。
今のあなたの身体の状態を見てください。それは身体をどのように扱ってきたかを映し出しています。身体に感謝を持って大切にしていれば、どこも不具合などないはずです。身体のサインを無視して、暴飲暴食や害のあるものの摂取や理にかなわない無謀な生活はどれも身体への感謝を怠っている行為に他なりません。今一度、体への敬意を払いましょう。まずは身体と握手です。
比較対象は何にするかによって、捉え方が大きく異なってきます。ケースバイケースによって比べるものを他社か自分自身の過去とに使い分けすると有効的です。
人は誰でもクリエイターです。生きているだけでたくさんのものを創造しています。人に感動を与えるものから自分だけが独占するものであってもです。その中身はどうであれ、良いものとして使うためには責任を持って作り出さなければ、後々苦労するのは自分であることを理解しなければなりません。
自分の持てる知識や強みは財産です。それは度量の結晶であることは間違いありません。しかし、それで終わるよりも自分が” 師 ”となり生徒を育てたならば、それこそが世に還元する行為となります。
これほど小さなタネの中には、これから始まるたくさんの可能性に満ちています。その可能性が開花するまでタネは待ち焦がれています。花を咲かせるのは自分しだいです。
問題や不和が起こると、早く解決したいというのが本音です。互いに話し合いのテーブルについても、平行線ばかりでなかなか状況が好転しないことも実際多いです。そんな時は無理に解決せず、一時期棚上げするというのはどうでしょう。その間に時間が問題を溶かしてくれることもしばしば。これも解決に向けた策であると知っていても損はありません。
心のブログ 輝きのゆりかご「心を知ろう 〜心は永遠に〜」その7ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。こんにちは。かずてる で
その日一日だけが人生の全てだと思ったら人は懸命に生きるでしょう。毎日がその積み重ねになれば充実した人生が待っているでしょう。
感謝を表に出す行為は幸せを得るための魔法です。伝える対象は何でも構いません。” ありがとう ” が日頃の習慣になると、心が穏やかになり普段の生活に変化を感じることでしょう。
謝罪が恥ずかしいと言う認識はまだ根強く残っています。謝罪は相手のためでは無く、自分が反省し前を向いていくためのポジティブな行為です。謝罪によって相手の軍門に下るのではないことを、知っておきたいものです。
両者が末長く良好な関係を築くには偏りがあっては成り立たない。どちらか一方に傾いてしまうと、たちまち関係に亀裂が入ることとなります。相手が居れば必ず相互努力が必要です。
自分の足元を見て下さい。今いる舞台がどこなのか、居心地の良い場所なのかを確認して下さい。心の在り方が身を置くステージを決めます。少しでも高いレベルに昇りつめようという気持ちが大切です。
世の中に多くのゴミを出さないために、ものの作り手と使い手がしっかり向き合い、共に物の行く末を考える時です。両者にものに対する感謝があれば、この世はもっと無駄が無くなり綺麗になるはずです。
引き出しが多いといざという時に役に立ちますし、自慢のタネになりますよね。でも持って入ればいいというものではありません。しかし本当に価値があるのは引き出しの多さではなく、少ない引き出しでもそれをいろんなシーンでたくさん使っていることです。常に引っ張り出してきてボロボロになるまで利用しましょう。
心のブログ 輝きのゆりかご「心を知ろう 〜心に光を〜」その6ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。こんにちは。かずてる です
近いなりのメリットはあります。いつもの近距離ではなく、あえていつもより離れて物事を見てください。今まで見えなかったものが見えてきます。それは気付かなかった風景かもしれません。
人間も自然の一部です。自然をむさぼり破壊する行為は自分たちを傷つけるのと同じです。反対に自然に感謝しそれに伴う行為は、自分を大切にし繁栄をもたらすものです。そのことに早く気付かなければなりません。今からでも間に合います。自然あってのわたしたち人間なのです。
過去からの自分を数えて、ピークと呼べるのは何もいい時だけではありません。 辛く厳しいハードルを越える時、過去の自分にはなかった強さをそこに見ることができます。 今の自分が一番いいと思える生き方は、その後もピークを更新し続けられるのです。
なんの準備もないまま向かうよりも、必要だと思われるものを持っていれば、役に立つことが多いのは間違いありません。備えあれば憂いなし。
人として生きていく中では、良からぬ誘惑に負けてしまうこともあります。しかし失敗を経験して自分を上手く操れるようになれば、失敗の少ない充実した人生を送れるのです。
良いものはなんでも取り込んでおこうという、いわゆる足し算は大切です。しかし、取り入れるばかりでは一杯になりすぎて整理がつかなくなることもしばしば。そうなる前にあらかじめ引き算をして、いらないものを捨てておきましょう。そうすれば取り込むものも効率良く、かつ最大限の活用ができます。
他人に感謝しなさいというのはよく聞きます。しかし、自分に感謝できずして他人への感謝はありません。なにはなくとも自分にありがとうをしましょう。ありがとうは幸せを呼ぶ魔法です。
ブログに対する自分の考えや向き合い方をもう一度振り返ってみました。客観的な立場で自分をみつめると見えてくるものがあります。
無事に物事が運んでいくことは当たり前ではありません。この尊い命もそう、これまでもこれからも永続する保証はありません。たった1%の重みが今という事実を作っています。今が幸せであってもなくても、在るだけで感謝に値するのではないでしょうか。
心って何?の続きです。もう一度おさらいしてご紹介します。わからないと思っても大切なことは心が知っています。
透明であるというのは中身が見えるという意味です。人間関係においても見通しがついている方が何かとスムーズになります。
地球に頻発する大災害や痛ましい歴史は、ここに暮らすわたしたちの脅威となっています。しかし、その原因を作っているのも人間であることは疑いの余地などありません。今真剣に考える岐路に立っています。住みやすく平和な地球を創造するためにできることがあります。
心が傷を負ったと感じている時、それは外部からのものではありません。自分が傷つこうと決心した結果です。そんな時こそ自分だけは自分の味方になって守ってあげましょう。誰にも傷つけることは不可能です。
自分が手にしているものを見てください。それが歓迎に値するものでも望まないものであれ、それが今の自分に相応しいものであることを受け入れましょう。自分が引っ張ってきたものに狂いはありません。
心の中では動かぬ答えがあっても、人は偽りの表現をしてしまうことがあります。それは後悔に繋がっていきます。算数の答えのように正解を知っているのなら、その通りに行動するのが吉です。
時は進み、今は足早に過去になっていきます。その中で出せる力をもったいぶる必要性はどこにもありません。今を全力で生きてこそ喜びは増します。
地球の歴史に比べたら、わたしたち人間の一生はまばたきするくらい短いもの。ちっぽけな悩みなど無意味に帰するというものです。
目の付け所は人それぞれ。見方はひとつではなく、たくさんあると知れば多くの選択肢を共有することとなります。
心をあざむく行為を続ければ、” 魔 ”の餌食になってしまい、いずれは望まない結果を受け取ることとなります。心に従うことを習慣づけする事が平和への近道となるでしょう。
心をあざむく行為を続ければ、” 魔 ”の餌食になってしまい、いずれは望まない結果を受け取ることとなります。心に従うことを習慣づけする事が平和への近道となるでしょう。
自分を取り巻く人や物事は、望もうと望まなくとも自分が引き寄せた結果です。ある意味あなたに必要だから舞い込んでくるものです。しっかりと受けっとて肥やしにしたいものですね。
仮面をかぶり続けるのは不自然な行為。それでもかぶらざるを得ない場合は仮面を脱ぐ時を決めましょう。しかし、仮面の息苦しさを経験するのは無意味ではありません。
困っている人への声かけは難しいものです。それはかける言葉の内容ではなく、タイミングです。いわゆる” 間の取り方 ”を意図的にする方が効果的です。
宿命とは不平等な”さだめ”です。しかし心は誰にも同じように与えられた自由な権利です。それを生かさない手はありません。宿命では人生は決まりません。心のあり方が人生を決定づけるのです。
心がくもっている時は苦しい。そんな時こそ、勇気を出して自分の心を見つめれば、意外と早くに晴れ間を見ることとなるでしょう。
自然界には人間では感じることのできない厳しい掟があります。そんな中で生きて行く動物にも、人間が見習うべきものがあります。
本当の幸せはなんなのか?とぶつかった時、外側ではない自分自身の中にあると気付くことがあります。そのために心の存在を認めてこそ、ようやく心を身近に感じられるでしょう。
本当の意味で ” 相違 ” を好む人はいません。相違に見えてもそれはオリジナリティ(独創性)なのです。それを認め合うと共感になります。
新ジャンルの投稿をスタートさせました。これからわたしたち人間がどう生きるべきかを心からの視点で探っていきます。
やる気にスイッチを入れることは良いことだけれど、そういう気が起こらないことももちろんあります。やる気を無理に起こさないのもそれと同じくらい大切です。なぜなら、いつかまた ” やる気 ” を起こすための休憩時間のようなものですから、落ち込まないでダラっと過ごすのもいいでしょう。
” エンディング ” には欲しい感情がいっぱい詰まっています。 自分が予想していたもの、思いがけないものもすべて。 だから余計に、そのシーンにしっかりと心を込めるという行動になるのでしょう。 人間とは、 ” エンディング ” を大切にしたくなる。 そういう生き物なんです。 それが自然な状態ならば、わたしたちはエンディングに対してもっと意識を向けるべきです。 そうすれば、必ずやあなたのスタートが幸せなものになるでしょう。
生活の中の ” 静 と 動 ” のバランスが大切です。アクティブな活動を円滑に行うためには、静の時間を同じ分とるのが必要です。
世界的な感染症による人類が直面する難局。状況を変えるにはわたしたち人間の意識改革は絶対必要です。
元々の始まりはゼロ。プラスになったりマイナスになったりもします。仮に今がマイナスだったとしても大きくプラスを取りに行くのではなく、ゼロに戻ることを目標にすると気が楽になります。
先の計画が必ずしも予定通り行くとは限りません。あらゆる可能性に対して準備をしておけば、落胆することを避けることができます。準備こそ自分が傷つかなくていい対処法です。
常識は実に曖昧なものです。自分だけの形にこだわらず、いろんな考えを取り入れ共有する事が常識とのうまい付き合い方です。
欲しい情報をキャッチするのにアンテナを立てるのはたいへん有効です。しかし、立てる動機で得るものが決まってきます。闇雲に立てる必要はなく立てないという選択も大切です。アンテナの質と立てる時を間違わなければ、それは強い味方となってくれるでしょう。
こんにちは、かずてるです。今日も元気にいきたいと思います。ところでみなさんは外食はお好きですか?今は世の中の生活様式が変わってしまいましたが、外でのご飯は家食にない特別感を楽しむ絶好の機会ですね。僕も外食が好きで、前はよく出掛けてましたよ。
人と関わりを持つということはお互いに信頼という橋を架けるのと同じ。長い人生の中で橋を架け、時には外しながら世を渡るのです。
今の自分は過去の自分から受け取ったバトンを託されています。そして未来の自分にも責任を持って渡していかなければいけません。次に迷惑かけないように今を懸命に生きたいものですね。
プレゼントする時、お相手の喜ぶものを届けますよね。それは善意の心です。 悪意のあるものがあるとすれば、それを届けないという選択肢があって然りです。
こんにちは。今日も元気に投稿スタートします。あなたは独り(一人)の時間が好きですか?今日はこんなテーマをみなさんに問いかけてみようと思います。最近、若い世代の間では、群れていないと不安だ。という人や、反対に、他人と関わるのが煩わしく、いつも
ドラマのように非日常はたくさん起こりません。人生のほとんどを占める平らな毎日をどう考えどう過ごすかで、人生の行方も決まってきます。
自分の興味を引くものを極めたいという気持ちは、あなたを感動のある場所に連れて行ってくれます。掘り下げた分だけ楽しみも増えるというものです。
何事も意識的に行えば見えなかったところが見えてきます。そしていろんな産物を手にできます。
限度を設ければ循環が生まれます。小さな循環が大きなものになれば、世の中の平和が増えていくでしょう。
疑いは誰しもが持つものです。慎重になりすぎも良くありません。疑うよりも先に向き合えば、疑いなど必要なかったということもあります。
全く関係性がないと思うところから、答えが導き出されることがあります。ちょっとした虫の知らせや何気無く目にするものにも注意を払ってみましょう。
自分のそばにあるもの(より身近で係わりの強いもの)のつながりが良好であれば、そのほかの関係も必ず上手くいきます。
世間一般のいわれでなくてもいい。自分がなりたい理想の人物像こそがあなたの人格者です。 それが人格者への入り口です。
物事の全ては止まることは決してありません。どうせなら、変化を楽しむ生き方をしなければもったいない。
今しかないこの瞬間を、まだ見ぬ未来のために感情を汚してしまわないように。 心はいつでもポジティブな未来を望んでいます。
人は終わりの大切さを本能で知っています。だからこそ、エンディングの美しさや切なさ、希望を抱くのです。
自分を守る最大の防御法はすべてを自己決断することです。自分のことを他人に委ねているうちは自分の人生を歩んでいないのと同じです。自らの頭や足を使って学ぶこと、決める勇気を持てばも迷うことはありません。
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