日も沈もうとしているころだった。丸窓の西日が消え入りそうになり、紫色の空に反転しつつあった。「もうすぐヴィシーだ。アラン」機長のジル・ボードワン少尉が後部貨物室で横になっている、けが人のアラン・モリエール少尉に呼びかけた。アランは少し寝られたので、いくぶ
アラン・モリエールは釈放された。が、しかし、体はズタズタにされ、青息吐息だった。歯も一本、ぐらぐらになっている。しかし、精神は研ぎ澄まされていた。やつらへの憎しみと、イヴォンヌ・ナオボンヌへの愛と…「あいつが危ない…あいつの親兄弟が…危ない」アランは拷問
パリに本拠のあるフランス空軍の第十八輜重(しちょう)部隊の空輸科輜重兵アラン・モリエール少尉は、ジポ(ナチス保安警察)に連行され、厳しい尋問を受けていた。「君は、イヴォンヌ・ナオボンヌとどこで知り合った?え?」保安警察官にドイツ訛りの耳障りなフランス語で
窓の景色は寒々としたサヴォワ地方を映している。と、マリウスが小銃を抱えて、山小屋に帰ってきた。ジャンがストーブで湯を沸かそうとやかんをぶら下げているところだった。あたしは、シモーヌとあやとりをしていた。「こんな日がつづくといいわね」まだ十九のシモーヌが悲
飛行機の好きな女は、淫乱だと誰かが言っていた。あたしは「当たっているかも」と思っている。飛行機の社会は男社会の典型で、そんな中に女が入れば、奇異の目、好色な目で見られるのは当然だったかもしれない。いい地位を得るために「体」を利用したこともあった。女である
あたしはポン・ヌフ橋を渡ってサンジェルマン地区に向かっていた。この橋は、セーヌ川のノートルダム寺院のある中州を通って対岸に架かる大橋だった。占領下でなければパリジャンのカップルが行き交う、いかにも楽しげな名所なのに、今はどうだ?灰色のドイツ兵の軍服ばかり
年が明けて1941年、フランスの政権がヴィシーに移ってからというもの、ナチスのレジスタンス狩りが一層激しくなった。あたしはイヴォンヌ・ナオボンヌ(Ivonne Naobonne)。「マキ(抗独派)」の「ジャンヌダルク」とひとは呼ぶ。エレーヌ・ブーシェに見込まれて、飛行機の操
ルルル…目覚まし時計のアラームが鳴っている。起きねば…雄一と晶子のお弁当を作らねばならなった。ふと横に寝ていた夫の姿がない。あたしはベッドサイドに座って、しばらくぼおっとしていたら、夫がトイレから戻ってきたらしい。「起きたんか」「お弁当、作らんと」あたし
二人してベッドに入った。おれの隣には、裸の純子がいる。ついこの間まで、今日のデートまで、こんな状況を予想しなかった。いや、少しは期待していたかもしれない…コンドームをカバンに潜ませているのだから。いよいよ、おれはセックスをするんや…「ほな、ええか?」純子
「すごいね、それ」純子がおれの勃起を指して言った。「そうかぁ?男はみんなこんなもんやろ」「あたし、兄弟がいいひんから…普段はもっと小さいんでしょ?」「そらそうや。いっつもこんなんやったら歩けへん」「あはは。湯船にお湯張ってるからね」馴れた感じで、純子は惜
おれは間近で純子をみつめた。眼鏡越しの黒目がちなつぶらな瞳。そして右側の目の下に小さな泣きぼくろ。肌が白いからか、くちびるがいやに赤く見えるのがなまめかしかった。「どうしたの?あたしの顏、変?」「そんなことないよ。こんなに近くで女の子の顏を見るのがはじめ
今年のイブは火曜日だった。その前の週の金曜日が終業式だったのでおれらはクリスマスを満喫できるのだった。山本純子と二人で朝から淀水橋に出て、「エル・グランデ」でお店を見て回り、ケンタッキーで昼を食って、ガード下のゲーセンをぶらぶらして「クレーンゲーム」や「
宮本さんは、おれの気持ちを分かっているくせによそよそしかった。おれは何度も「のりこっ!」と聞こえるように叫んで、自慰行為をしているのに…そして、今日の朝、極めつけにこんなものをもらった。「いざとなったら、ちゃんとこれ使いなさいよ。純子ちゃんを泣かしたらあ
なんで、プラネタリウムで宮本さんは、あんなことを…おれは、家に帰ってからもずっとそのことを考えていた。山本純子とつきあうことが、成就したというのに、おれの頭の中から宮本規子の存在が離れなくなっていた。しょせん、宮本さんは年上であり、一児の母であり、旦那さ
日曜日は、あいにく雨模様だった。傘をさすほどではないけれど、肌に雨粒が感じる寒い日だった。多治比駅の南改札で、おれと宮本さん親子が山本純子を待った。「おねえちゃん、来てくれるやろか」陽菜ちゃんが、不安げに言う。「だいじょうぶよ。雨でも来るって言ってたから
その日の夕方、おれは山本純子に声を掛けられた。おれは、水道のところで、たこ焼きの粉を溶いたバケツを洗っていた。「小縣くん…」その声ですぐに純子だとわかったので、振り向いた。「あ、山本さん」「あの、聞いてるでしょ?」愛くるしい表情で彼女が言う。とぼけるのも
おれらの高校では、十一月の三日~五日までの三日間、文化祭がおこなわれる。毎年恒例の学校行事で、地域の皆さんもこの日ばかりは自由に学校に来てもらって、イベントや展示を楽しんでもらうことになっていた。「宮本さん、これ」おれは十月も残すところ幾日と言うある日の
その日の夜は、夕食にすきやきをごちそうになり、ビールもロング缶を二本飲んだ。田舎の夜は静かだった。美羽は「おばあちゃん」とお風呂に入って、ご機嫌で寝てしまった。ここは、風もあって冷房を入れなくても寝られそうだった。大阪の茨木の自宅ではとうてい暑くて寝られ
蝉時雨だけが聞こえる。彦根からやや山側に入った集落に、幸子の実家があった。いつも車を停める空き地があった。ここは、私有地なのだが、少しの間なら車を停めても誰も何も言わないということだった。なにわナンバーの日産キューブから降り、回り込んで助手席の美羽をチャ
幸子が、幼い美羽(みう)を残してクモ膜下出血で逝ってしまって二年近くになる。美羽を産んでから体調がすぐれなかった。育休していた市立博物館の勤めも、結局そのまま退職してしまった矢先だった。家のトイレでぐったりしているのを見つけ、おれが救急車を呼んだけれど、
私は、私立四葉(よつば)学園高校野球部監督を拝命していた。とうとう甲子園にやってきた。※群馬県伊勢崎市の「市立四ツ葉学園」とはまったく関係がありません。監督が女性であるということで以前から注目もされ、誹謗中傷も受けてきた。2020年の東京オリンピック以後
月遅れの盆が過ぎて、夏の暑さも衰えを見せ始めた。庭ではコオロギがささやき始め、蝉時雨も、遠のいた感があった。八月三日にテニアン島が、十一日にガム(グァム)島が米軍の手に落ちたという知らせがこの山深い寒村にも届き、この村から出征した何人かがその南方の島々で
「なおぼんせんせ、ぼくな、USJに行ってきてん」中一のS君が、お土産のクッキーをそう言って、私に差し出した。「ええなぁ、楽しかったか?何に乗ってきたん?」「フライングダイナソー」「あれって、よう止まるやっちゃな。大丈夫やった?」「うん。怖かったでぇ」「せやろ
夏休みの自由研究に、温度ロガーを使って「ヘスの法則」を確認してみたい。最近はbluetoothとスマホがあればこんな高度な実験ができてしまうのね。ヘスの法則とは系の変化はその経路に関係なく、熱の出入りによる状態変化だけで決まるというものです。吸熱反応や発熱反応は、
私は、学生時代より親しくしている中山弥生(やよい)が産休に入ったので、いわゆる「産休先生」として、私立至誠館学園高等部の理科教員を仰せつかっている。もともと私は、大学院を中途で辞めてぶらぶらしていて、たまたま高校化学教諭の免状を持っていたことから親友の弥
二回生の夏休み、ワンゲルの合宿から帰ってきたころだった。ボーイフレンドから夜遅くに電話をもらった。両親も寝ていたので、電話のある階段の下で、ぼそぼそと話していたのを思い出した。内容とて、たいしたことはなく、とりとめもない話題だったと思う。「暑くって、なに
校門までの間の石垣にはずらりと「たて看」が並んでいる。大学の風景になった歩道を学生たちが列をなして歩いている。あたしも、その中の一人だった。「来たれ!脚光の舞台へ。ポポロ劇団」「落研・緑蔭寄席」「学費値上げ反対!!許すな文部省利権政治」見上げるような大きな
恩田(おんだ)八幡宮は旧富樫藩の初代藩主富樫盛孝が「誉田(こんだ)様」として弓の上達を祈念して建立したものだ。「誉田」とは元「ほむた」もしくは「ほんだ」と読み、応神天皇を祭神とする社(やしろ)である。「応神天皇(誉田別尊命:ほむたわけのみこと)」が弓の名
蒲生譲二と喫茶店で落ち合った。私のセカンドバッグを見て、「なんやそれ、ヴィトンのパチもんけ?」「失礼な、本もんですって」「うそこけぇ、そんなカエルみたいな色のヴィトンがあるけ」「ありますって!」関西では「偽物」のことを「パチもん」という人がいる。「本物の
周平君は主人の部屋で寝てもらっている。主人の部屋は二階にあり、シングルベッドがあって、本棚と机がある、いわゆる書斎だった。本棚には薬学系の分厚い本が並んでおり、その中に混じって漫画や小説もあった。床は黒っぽいつややかなフローリングで、スリッパを履くように
私は、周平君にコーヒーをたててやり、お客用のカップに注いだ。「おばちゃん。だったら、母さんは学生時代におれを産んだの?」姉は息子になんにも話していないのだろうか?「そうよ。大変だったのよ。あなたのお祖父さん、つまり私たちの父親が逆上してね、姉さんと周一さ
若い男の子とひとつ屋根の下に二人きり…そのシチュエーションが、妙に私の心を穏やかにしない。「危険だわ…」「欲しいくせに…」主人に不満はないけれど、そういうんじゃない、危ない関係に自分を置いてみたい…そんな道ならぬことを私は欲しているのかもしれない。その手
八時に店を仕舞い、夕方に作ったカレーを周平君と食べる。「食べたら、お風呂に入ってね」「わかった」「二年生になったら進路も決めるんでしょ?」ライスにカレーをよそいながら、私は訊いてみた。「まあ、二年になってみないと…」「なりたいものはないの?」「ない…てゆ
週があけて月曜日の朝、「じゃあ、行ってくるよ」そう言って主人は出張に出かけた。たまにしか着ないスーツ姿の主人の背中を見送って、私は店内に戻った。店には甥の周平君と私が残された。彼は紙おむつの段ボールケースを開梱している最中だった。このかさばる商品は、積み
うちは薬局といっても、扱いは日用品の方が多い。主人は薬剤師であるから、処方箋による調剤もできる。しかし、処方箋を持ち込んでくるお客は、昔馴染みばかりでご新規さんはいない。新薬情報や保険調剤の新たな適用薬、ジェネリック関係などのプロパー側の説明会などが個人
周平君がうちに来て、二、三日は何事もなく過ぎた。お店の手伝いも喜んでしてくれ、品物の並べ方もすぐに覚えてくれた。ハンドラベラーの扱いも、面白いらしく、やりたがった。「おばちゃん、ティッシュの五個組はいくらだっけ?」「クリネックスが450円、ネピネピが38
周平君の歓迎会をその日の晩にやった。「焼き肉がいいっていうから、おっちゃんがいい肉を買ってきたぞ」主人が、そういってスチロールケースを車から降ろしてくる。「あなた、どんだけ買ってきたのよ。肉屋じゃないんだから」「食うだろ?周ちゃん。おれも食うし」「アロー
外は寒い木枯らしが吹いているが、あたしたちの高校の教室は暑いくらいに暖房が効いていた。古文の授業だった。「はい、ここの『あやしうこそものぐるほしけれ』の訳は、R命館大学の過去問などにも出題されています。横山さん、どうですか?」「え?あたし?」「つれづれなる
「今日は、京都大学理学部霊長類研究所の横山尚子准教授にお越しいただきました。横山先生よろしくお願いいたします」FM-WAWABUBUの内外小鉄キャスターが横山を紹介した。「こちらこそ、よろしくお願いいたします」横山も会釈する。「今回はですね、人類の手の長さがどうして
ヒンズークシを超えれば、アフガニスタンに入る。この「インド人殺し」の名を持つ山脈が、違和感なく私たちの前に立ちはだかる。見るからに恐ろしい山容である。切り立った崖が屏風のように連なり、そこに蟻の這うような道がついている。車のタイヤはぎりぎりのところを転が
アイスランド人でフローキ・ビリガルズソンの名を知らない人はいない。彼はヴァイキングであり、ノース人の冒険家であった。「冒険家」というのは、いささか今様(いまよう)に聞こえるが、とにかくこの地を「アイスランド」と名付けたのは彼だと、この国の人は信じて疑わな
この白色の濁流は何だ?温泉のようだった。湯気がもうもうと上がっている。流れが崩している両岸は滑石の層だろうか。「たぶん、温泉流が分厚い滑石層を溶かして川になっているんだ」博士はザックを背負いなおしながら、ひげもじゃの口を開いた。塊のカッテージチーズを切り
「ブログリーダー」を活用して、なおぼんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。