例えば人間関係に完成があるとすれば、 不完全でのままであることを望む。 完璧になんてなりたくない。 自分の現状を正当化するための捻くれた考えかもしれないが そうではない。こうなる以前から考えていたことだからだ。 未完であれば関係を向上していく話し合いや妥協が生きる悦びとなり ずっと仲の良い親友であり続けられるかもしれない。 改善点がある限り関係を永遠に近いものにできるような気がする。 欠点を受け入れ、容認し合うこと。 それさえも含めて好きになること。 完璧な人なんていないのだから
今日は30度近くの気温で気分が高揚したのち 自粛生活のまま夏が来たらどうしようと考えると悲しくもなる日であった。 洗濯物を干した束の間、一緒に陽光を浴びる。 秋雨前線と一緒にコロナいなくなってくれまいか、などと想像する。 家事を済ませて仕舞えば、あとは料理である。 観たいテレビも映画も本もない時、僕はいつの間にか台所にいる。 ラジオか音楽を流しながら シンクの淵に両手をかけていろいろな事を考える。 水道の水を飲み、17時が過ぎたら酒を飲みながら空想する。 今日の晩ご飯、今後の人生、仕事について。このまま一人だったらどうしよう。 友人はいつまでも友人のままでいてくれるだろうか。 大不況が訪れるの…
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