真夜中、部屋でまどろんでしまっていると、 「おぉーい、〇〇(私の名)! おぉーい、〇〇!」 と、襖の向こうから父の声。 絞り出すような、大きな声。(父はもともと耳が聞こえないので、音量がわからないこと
言い過ぎたと反省したり、老いた姿に切なくなったり、でもやっぱりイラッときたり…。そんな「介護初心者」鬼ムスメの胸のうち。学んだこと、発見した便利グッズ、癒され元気がでたものもシェアします!
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真夜中、部屋でまどろんでしまっていると、 「おぉーい、〇〇(私の名)! おぉーい、〇〇!」 と、襖の向こうから父の声。 絞り出すような、大きな声。(父はもともと耳が聞こえないので、音量がわからないこと
心肺停止後の蘇生から、1年。 いわゆる植物状態になって、1年。 約1ヶ月に一回の対面面会では、耳元での声かけに、涙が溜まり、ときに、流れるほど。 お父さんに、声、届いているよね。 脳波ゼロで、そ
3月15日、対面面会4回目。 今回は、はじめに肩をトントンと叩き、目を覚ましてもらった(?)ので、私の話しかけなどに反応が見られた。 前回、ほとんど何の反応もなくエネルギーの低下を感じて悲しかったので
ここ数ヶ月、ずっと心に蓋をして、日々をやり過ごしている気がする。 ずいぶん長い間、このブログも書かなかった。 先に書いておくと、 父は、生きています。 窒息による心肺停止から蘇生して、 しかし低
昨日11月25日、 2回目の対面面会。 誰か1人だけ、10分間。 母に、行きますか?と聞くと、またもやメモで「No!」とだけ書いてきたので、もうそれ以上何も言わずに、今回も私が行く。 在宅勤務から時間休を取
父が現在の意識障害(いわゆる植物状態)になった原因は、 窒息。 なんてことない、しかも(こんなこと言っては何だが)、安い安い、約100円で数個入っているプチパン… しかし、パーキンソンで嚥下障害があり、こ
明日で、父の、心肺停止後の蘇生から、8ヶ月。 いったん心肺停止して、皮膚も黄緑になってしまっていた姿は、いまも脳裏にこびりついている。 窒息の低酸素脳症から多臓器不全を起こしていた父、当日にも、も
10月末。 6月にいまの病院に転院してから、初めての対面面会。 家族のうち誰か一人だけ、10分間。 マスクにフェイスカバー、もちろん手指消毒は何度も。 そして、初めて、父の病室で面会。 足をさす
昨日から、しばらく職場の夏休み。 午前中は、先日相談に行った司法書士(友だち)とのやり取りと、それに関連する話で、関係各所への問い合わせ電話。 父と自分の、通帳記帳やら、銀行の用事。 午後は、ここ数週
父が窒息事故を起こして低酸素脳症からの意識不明になり、いまに至るが、事故が起きた直後に、長らく担当だったケアマネさんが、急に辞められた。 苦しい胸のうちを話したかったけれど、話せない。 けれど最後に
先週金曜は、オンライン面会の3回目。毎回、7分間。当日は、グループLINE画面の「参加」をクリックしても、なぜかまったく反応せず、切断されてしまったり、何度目かのトライでようやく繋がった。そんなこんなで
心肺停止後の蘇生から、3ヶ月。 生きていてくれる奇跡が有り難く、しかし、果てしなく長い3ヶ月だった気がする。 医療療養病院に転院してからも、1ヶ月。 変わらず意識はなく、しかし悪いほうにも変わりがな
きょうは在宅勤務。 仕事が終わって、すぐ。 お父さんがいなくて、寂しくて、泣く。 こんな時間には、襖の向こうから、ゼロゼロ咳したり、「おぉーい、〇〇(私)はいないのかぁー」と大きな声を出したり。ガサゴ
6月2日。 父、無事に転院できました。 いやぁ…一言でいうと、当日も大変だった。 何より、当日私がどうかなったら、話がイチからやり直し⁉︎と思うと、喉すら痛くなれない、その緊張感。(母も兄も、誰も同行し
ようやく転院先が決まりました。 なかなか希望に合う病院が見つからず、 入院先のソーシャルワーカーさんのみならず、 担当のケアマネさん、知り合いのケアマネさん、口コミ求めて知り合い、 はては東京都保健
昨日は3院目の転院先候補A病院の面談。 仕事のあと午後休をいただき、向かったが、面談に2時間かかったのと、帰りのバスも道が混み、帰宅は19時近く。22時まで在宅にて仕事。(ちょうど立て込んでいる時期につき)
医療療養病棟への転院に向けて、 GW前から3箇所に面談に行った。 手厚い介護をしてくださるところ、 救命措置を希望により施してくれるところ(もちろん程度問題と、状況により病院の判断に任せることは了承
蘇生から約2ヶ月が経とうとしている。 父、生きています。 先週は 5/6 セカンドオピニオン 意識回復について、「可能性は限りなくゼロに近い」というご見解をいただく。 半分わかっていた答え… そのこと
父、頑張って生きています。 しかし姿を見ることはできない。 一般病棟に移ってから、着替えは、週一回とのこと。ズボンはだいたいお通じがべったりついて戻ってくる。 この状態でも、うんちをするんだなぁ
3月14日、 父が救急搬送されてから、きょうでひと月たった。 生きていてくれるだけで有り難い。 なぜなら、希望を持たせてもらえるから。 それが万人に「奇跡」と言われようとも。 私だけは信じるよ。
心肺停止後の蘇生から、1年。 いわゆる植物状態になって、1年。 約1ヶ月に一回の対面面会では、耳元での声かけに、涙が溜まり、ときに、流れるほど。 お父さんに、声、届いているよね。 脳波ゼロで、そ
3月15日、対面面会4回目。 今回は、はじめに肩をトントンと叩き、目を覚ましてもらった(?)ので、私の話しかけなどに反応が見られた。 前回、ほとんど何の反応もなくエネルギーの低下を感じて悲しかったので
ここ数ヶ月、ずっと心に蓋をして、日々をやり過ごしている気がする。 ずいぶん長い間、このブログも書かなかった。 先に書いておくと、 父は、生きています。 窒息による心肺停止から蘇生して、 しかし低
昨日11月25日、 2回目の対面面会。 誰か1人だけ、10分間。 母に、行きますか?と聞くと、またもやメモで「No!」とだけ書いてきたので、もうそれ以上何も言わずに、今回も私が行く。 在宅勤務から時間休を取
父が現在の意識障害(いわゆる植物状態)になった原因は、 窒息。 なんてことない、しかも(こんなこと言っては何だが)、安い安い、約100円で数個入っているプチパン… しかし、パーキンソンで嚥下障害があり、こ
明日で、父の、心肺停止後の蘇生から、8ヶ月。 いったん心肺停止して、皮膚も黄緑になってしまっていた姿は、いまも脳裏にこびりついている。 窒息の低酸素脳症から多臓器不全を起こしていた父、当日にも、も
10月末。 6月にいまの病院に転院してから、初めての対面面会。 家族のうち誰か一人だけ、10分間。 マスクにフェイスカバー、もちろん手指消毒は何度も。 そして、初めて、父の病室で面会。 足をさす