アートが問題にしているのは、ていうかその生命線は結局、制作者における「特殊な関心」てことなんだろう。結果、誰もが気持ちよく感じるとか、作品がそんな風にならない確率は、相当に高い。
身も蓋もないことを言えば、 Facebook ってほとんどの場合時間の無駄じゃないかと思うけど、時々他の媒体には期待できないえらく貴重な情報が得られるので、時間投資という側面からは自分にとって一種のギャンブルと化している(さほど「賭け」ては...
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何ができるかよりも、何をやりたいかの方が重要であることは、論理的に言って明らかに重要だ。
アート思考はまず、人に害を成さないこと
絵画は、人の意識の最前線を現わしている一種の鏡なのだ。1枚でも描いたことがあって、そのプロセスに自覚的であればそれはよくわかることであると思う。つまり、人間を版とする版画である。
知人が電車のつり広告を見て、とある清涼飲料水に含まれる果汁が1%なのに(そうでっかく書いてある)、「しっかりオレンジ」とかうたってるのはおかしい、と発言した。
今この瞬間に何をやるのが一番正しいかというのは、なかなかに難しい問いかけだ。生活上のあれこれだってそうだし、白い紙だのカンヴァスを前にした時だって結局のところそうなのである。自分が思うに、我々はその答えを理性では知っている。
審美的な感覚って、人が人として持っていていいものだ。例えば某国の為政者及び為政者候補が戦わせた議論が「美しい」か否かというのは、一人一人が自分の損得とは一瞬離れて感じてみたらいい興味深い問いである。
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