アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
演奏動画(6)/AFRO-CUBAN LULLABY (マーシャル編)
アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
有名盤とマイナー盤・・、そして両極端・・、そのどちらにも魅せられて/P.I.チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 op.13 「冬の日の夢想」
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディが古典派以降に活躍したならきっと変奏曲の大家である・・と信じる
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
閑話休題/大きなBOXはオークション、小さなBOXはまとめて買い取りへ・・そしてその金額の予想以上の大きさに驚く
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
動画のための録音奮戦記(7)/「"身を削る真剣なやりとり"をしよう」・・はい
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
演奏会用序曲「秋に」op.11/E.H.グリーグ/P.ヤルヴィ(2000)
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
チェロ協奏曲 第1番 op.136/D.ミヨー/ロストロポーヴィチ //このチェロ協奏曲は、出だしで騙されないように(←ここ重要・・ぇ?)
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
私の眼を閉じさせて/A.ベルク/無調とロマン[1925年版]と[1907年版]の2つの世界にベルクの人を見た・・ような気がする
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
幸せのそれぞれの形/交響曲 第29番 イ長調 K.201(4)/W.A.モーツァルト/バルビローリ(1956)
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
幸せのそれぞれの形/交響曲 第29番 イ長調 K.201(3)/W.A.モーツァルト/ワルター(1954)
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
心の日曜日(15)/「ペルシャの市場にて」・他/ケテルビー作品集
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
幸せのそれぞれの形/交響曲 第29番 イ長調 K.201(2)/W.A.モーツァルト/クレンペラー(1954/'65)
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
幸せのそれぞれの形/交響曲 第29番 イ長調 K.201(1)/W.A.モーツァルト/コープマン(1987)
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調 FP93/F.プーランク/同じERATOレーベルの尖がった演奏と落ち着いた演奏-或いは現代風と古風との対比
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
ピアノ三重奏曲 第1番・第2番/F.シューベルト/[往年の夢のトリオ1926]の紡ぐロマンと[ピリオド名手たち1996]の美観の違い
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
歌曲集「ミのための詩」 (1937)/O.メシアン(2)/ピアノ伴奏版と管弦楽版の描く世界
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
ヴェーゼンドンクの5つの詩/R.ワーグナー/クレンペラー/ルートヴィヒ
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...
聖なる三位一体の神秘への瞑想/O.メシアン(1)/作曲家本人と、彼が認めたオルガニストの違い
同じオルガンを弾いても、怖いくらいの厳しさや煌びやかな荘厳さとなるのは機械的に風を送り込むオルガンと言えども奏者の意図を反映するものだとつくづく感じた演奏でした。私の大切にする頂きものの辞典が発刊された後もメシアンは作品を創り続けているので、彼の全曲を集めた時にはワーナー系列やユニヴァーサル系列のBOXの中にも邦題が何と呼ばれているのか分からない未掲載のものに出会いました。単盤としては「トゥーランガ...
歌劇「タンホイザー」:序曲(5)/R.ワーグナー/帝王カラヤンと氷の将軍ムラヴィンスキー
ワーグナーの世界にある人の弱さや愚かさをことさらのめり込んで描く事なく、快楽を俗に陥らせずにかえって貴族の宴のようにしてしまえる指揮者は一体どれくらいいるのでしょう・・。その灰汁の混じったコクを分析しのめり込む指揮者のワーグナーの素晴らしさに対し、音の威力・色彩、そして絶妙なコントロールによってそれ以上のものを創り上げる事の出来るのは、帝王、将軍と例えられたカラヤンとムラヴィンスキーが私の中では浮...
歌劇「タンホイザー」:序曲(4)/R.ワーグナー/クナッパーツブッシュとショルティ
少し変わり者であったらしいクナッパーツブッシュ、豪快にオーケストラを響かせるショルティ、二人に共通するのは驚くべきスケールの大きな演奏に出会える事ではないでしょうか。私の中ではとても遅く、しかも几帳面なテンポかと思えば不思議な動きもするクナッパーツブッシュと、R.シュトラウスで「なにこれ速すぎ!!」とびっくりさせられたショルティは、共に規範から飛び越えた感性を持つ変わり者というイメージを持った(過去形)...
歌劇「タンホイザー」:序曲(3)/R.ワーグナー/クリュイタンスとバルビローリ
クリュイタンスは、ベルリン・フィルとのベートーヴェンを同時期に録音した事もあり、カラヤンと一緒に記そうと直前まで考えていました。しかし、急にドイツ・オーストリア以外の指揮者同士で後期ドイツ・ロマン派のワーグナーがどういった姿となるのかに興味を惹かれてしまいました。バルビローリは、ワーグナーだけでまとめられた録音をワーナー録音全集に1枚確認出来たのみでした。それでもBOXには1940年代に単発で様々な作品を...
歌劇「タンホイザー」:序曲(2)/R.ワーグナー/ワルターとクレンペラー
「夕星の歌」が(好きで)²たまらなかった私は、「タンホイザー」全曲に初めて接したのは実演でした。パリ版による強烈な性的描写により「タンホイザー」とはこういうものであったのかぁぁ!?とスポットライトに照らされる男性バレリーナの妖しい動きをしっかりと眼で追ったあの日、それ以来、最も多く観に行く事となったのがタンホイザーであったかどうかは定かではありません・・ぇ?ワーグナーはその音楽自体の中毒性のみならず、総...
歌劇「タンホイザー」:序曲(1)/R.ワーグナー/フルトヴェングラーとトスカニーニ
巡礼達が帰路で歌う合唱に徐々にオーケストラが入って来て最後に雄大に鳴り響く個所が大好きなタンホイザー。ワーグナーの音楽は深い瞑想から、現実ではあり得ない幻想、そして心を鼓舞するかのような勇気をまるで魔法のように与えてくれる音楽だと思っています。それがあまりにも強力な効き目を持つのでワグネリアンという熱狂的な支持者を生み出す程の中毒性を持つのではないでしょうか。という事で、今回から歌劇・楽劇の全曲盤...
12、3世紀のもっとも重要な世俗音楽は、以前記したトルヴェールと共にトルバドゥールと関連があり、両者とも王侯の宮廷と結びついた詩人兼作曲家でした。大抵は身分の高い貴族の出身であった、しかし、卑しい素性の者であっても、その音楽は貴族的な優美さと騎士道的目的によって特徴づけられていた。ナヴァル王の時に記したトルヴェールは北フランス、そして今回のトルバドゥールは南フランスの音楽家で、それまでのゴーリアドた...
中世説話「トリスタンとイズー」/トリスタンとイゾルデ原初の姿を感じた一枚
馴染みある尺八と琴の音のような、古い民話の世界が浮かび上がって来るような素朴な「トリスタンとイズー」は (Vienna, B.N., ms. 2542)を元に淡々とした語りと共に中世の物語が展開されて行きます。琴のような響きと記したのはアイリッシュ・ハープであり笛、そして時にドローン効果を持つフィドルが加わり民族色が濃くなるという、まるで「日本昔話」の世界が展開されると記せば伝わりやすいでしょうか。ワーグナーが濃厚かつ倒...
交響曲 第6番 ハ長調 D.589/F.シューベルト/ヴァイル(1991)
ハ長調の交響曲「グレート」に対する第6番の小ハ長調は、ベートーヴェンの第7番に勇気付けられたかのようなスケルツォ~最終楽章が心地良く楽しい交響曲です。それは同時に、ベートーヴェンの悩みも何も意に介さない第7番にシューベルト自身憧れたようにも感じられた、それと同時にシューベルト自身は強さにおいて上手に見栄を切る事が出来ない正直さを先輩が後押ししてくれるようなものであったようにも思えたのです。辞典から関連...
P.de.ラ・リュー(2)/世俗音楽(シャンソン)と世界初録音(2012)のミサ
第1回目のラ・リューで取り上げた作品は、[ミサ曲]と「モテット]という宗教作品でした。ルネサンス初期のネーデルランドの作曲家ラ・リューは辞典にも少ない作品しか見る事が出来ません。しかし、当時のネーデルランドの音楽家達はヨーロッパ中に招かれ、各地で大きな影響を及ぼし、その後の西欧音楽の礎となった事は音楽史に記される通りです。ラ・リューもオーストリアやフランス(ブルゴーニュ宮廷はじめとする)、イタリアやスペ...
音楽鑑賞は演奏する事とはまた別のお話し/フルートとクラリネットのための協奏曲 変ロ長調 op.41/F.I.ダンツィ
楽しみたいために、感動を得たいために、心を遊ばせたいために、感傷に浸りたい時に・・。鑑賞で聴きたい音楽とはどういったものなのだろうと考えました。今言える事は、非の打ちどころのないテクニックを聴きたいのでも、喜ばせようと考え抜かれたものでもなく、ただひたすら自分の理想とする世界を具現して見せる演奏なのだという事に行き着きました。演奏の参考に聴くという事もあるのですが、そういう時は割とクールに突き放し...
時代はそれまでの慣習を尊ぶ?/フルート協奏曲 第2番 ニ短調 op.31/F.I.ダンツィ
最初にダンツィの生きた時代とその音楽的な一般的傾向を引用してから、このフルート協奏曲を述べるべきと思いました。それは芸術においても慣れ親しんだ先代の音楽と、まさに新しく生まれる言わば当時のアヴァン・ギャルドに対する一般的な反応というものを今回のダンツィを通して強く感じたからに他なりません。その後、本文では推察を交えて音楽史的には決して長いとは言えない古典派様式と言われる時代の一片を探検してみたいと...
ピアノ協奏曲 ヘ長調をノリで聴かせるか、ムードで聴かせるか(アメリカのオーケストラによる)/G.ガーシュウィン
第1楽章のティンパニから2つの盤のリズムのノリが違うと気付かされます。スウィングするようなプレヴィンの弾き振りと、端正な現代の都会風グリモー&ジンマンの、どちらもガーシュウィンの魅力が伝わる演奏です。これら2つの演奏が楽譜を音に変換するだけでは再現できないフィーリングを直に知るボルチモアとピッツバーグの交響楽団によるアメリカ的な(本場JAZZが自然に染み込んだ)響きの特徴で楽しめる事も魅力に思えます。何よ...
エリザベス組曲/サー・ジョン・バルビローリ編/バルビローリ指揮による2つの別世界
指揮者バルビローリがバードやファーナビー、ブル、作者不詳のエリザベス朝時代の作品(「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」より/1曲は不明)を集めて5曲の組曲に編曲したとあります。一聴して英国の響きが(RPGの雰囲気もたっぷりの)心地良い作品です*G.ファーナビーの作品など、この組曲以外でも聴く事があり、英国では広く知られる旋律なのかも知れませんね。この組曲からは懐かしさと哀愁の中にも風格のようなものが感...
弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 op.18/第2番 ト長調 op.36(4)/J.ブラームス/ウィーン・コンツェルトハウスSQ(1951/54)
例えば大好きなアマデウスSQの演奏が柔らかで濃厚なロマンにより、時にむせ返るような想いを聴かせるのに対し、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は淡い想いをひたすら歌わせる事で人の想いに潜む哀愁とか儚さを紡ぐように感じます。それはブラームスがチェロとヴィオラを増強して中・低域の充実を図った厚い響きが表面に出る効果自体とはもしかすると別の道を行くものかも知れません。しかし、ここに聴こえて来る6つの弦楽器...
神秘家 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン の修道女としての顔、才女としての顔
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)について辞典で調べるていると、辞典には掲載されていませんでしたがビンゲンの更に約150年前の重要な人物を知る事となりました。それはトゥオティロという修道院僧で、多分私の辞典に記された最も古い記録となるものと思われます。本線からは外れますが彼の事も少し・・。トゥオティロ(850?-915)スイスのザンクト・ガレン修道院の僧。諸般の学芸に通じ、グレゴリオ聖歌におけるトロープ...
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 D.87(3)/F.シューベルト/アルバンベルクSQ(1997L)
スケルツォ楽章をアルバンベルクSQで聴くと、彼らの演奏には技巧的なもの・表現的なもの共に洗練味というものを感じます。アンサンブルの素晴らしさと1997年という録音状態にも耳を奪われるのですが、同時にシューベルトにある生活感とお人好し感は少し薄められ、これが現代的洗練と呼ばれるものに近いのかな?と思う事があるのです。アルバンベルクSQのライヴ録音はハッとさせられるほど美しく整った第10番像を浮かび上がらせます...
3人が描いた「三重協奏曲(合奏協奏曲) イ短調 BWV.1044」/J.S.バッハ
BWV.1044は日本での呼ばれ方が幾つかあるのでしょうか?バッハの協奏曲中、「ブランデンブルク協奏曲」や「○○(楽器名)協奏曲」たちの中で一つだけ「協奏曲」*とだけ記されたこの作品は辞典の中でも目に付くものとなっています。*「Concerto」の原題を持ちますが、例えば所有する辞典では「合奏協奏曲 イ短調」、CDには「三重協奏曲 イ短調 BWV.1044(フルート・ヴァイオリンとチェンバロのための)」と日本語表記されていたりします(...
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 D.87(2)/F.シューベルト/ラルキブデッリ(1993)
古典派のハイドンやモーツァルトの均整を残し、美しい歌謡性によって古典とロマンを上手に橋渡ししてくれるのもシューベルトの弦楽四重奏曲の魅力だと感じています。それらに共通するのは構成の明快さと愉悦感、そしてくつろぎまでも備わっている事で、オーケストラによる響きや器楽独奏とはまた違う別の世界観でゆったりと聴き入る楽しみがあります。そうすると、ベートーヴェンの中・後期の強い個の意志というものに比べ穏健とも...
音楽の冗談 K.522 (4)/W.A.モーツァルト/ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(1954)
音楽の冗談は音楽の知識をまだ持たない頃に聴いた時にはどこが冗談なのか分からず、それでも楽しい・・くらいに思っていました。調子っぱずれなホルンなどの表面的なものだけでなく、音楽の構成など少し高度な事を知って本当の意味や面白さ、そしてその頃に流行っていたであろう誰それの書いた
1450年を西欧音楽史におけるルネサンス様式の大まかな開始とすると、多分ここに聴こえる1454年の祝宴では過渡期であり、丁度、ゴシック期最後からルネサンス期初期と重なるブルゴーニュ楽派の響きそのものであったのではないかと推察されます。その頃に実際に演奏された音楽はどのようなものであったのか、このCDの成り立ちは考証が新しく、祝典という実用の場での様々な趣向の凝らされたものの再現である事が興味深く、作品自体の...
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 D.87(1)/F.シューベルト/ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(1953)
シューベルトの弦楽四重奏曲 第10番は変ホ長調が変ホ長調たる最良の音楽だと信じています・・ぇ?それは家庭の木製のテーブル、それもフキンで何十年も拭かれて使い続けられた、そう、顔を近づければ家庭の匂いの染み込んだ木の少しすえたものに似た響きと言えば伝わるでしょうか?これがホ長調の色彩ある柔らかさであれば、一気に懐かしくも大切なものが失われる絶妙な響きでシューベルトは第10番を、心底慈しみながら作曲して行っ...
歌劇「マリターナ」序曲/W.V.ウォレス/バルビローリ(1929)
ある作品が指揮者の興味を引いて演奏され、その後再び忘れられた状態になる事があるという事もあるのかな・・と、ふと思いました。現代作品では親しい作曲家と演奏家によって録音された、その演奏家だけのステータスのような作品はいくつか見る事が出来ますが、この作品はどういった経緯で取り上げられたのかなど、鑑賞以外の興味も持たせてくれるものだったのです。そして、この作品が単なる珍しさに終わらず興味深いものであった...
ケルティック・ハープと聴き比べると、スパニッシュ・バロック・ハープは金属的、そして少しダルシマーのような感じもします。何と言っても、この写本がハープの独奏や、伴奏で録音されている事による雰囲気と、統一感は独特で新鮮でした。そして、何より歌唱が濃厚に歌われても、一音一音がぼやける事無く粒となる明快な清々しさはこのアルバムの魅力だと感じました。17世紀の後半にマドリードで編纂されたグエッラの写本からの音...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(5)/R.シューマン/バーンスタイン(1985)
今年は24節気72候に助けられた・・ような気がする夏でした。8月の最も熱い頃に立秋となり、暑中の耐えられない猛暑を「もうすぐ秋になる」と耐えさせ、やがて「もうすぐお盆だから・・そこまでくれば」となり、今週は「処暑にやっとなってくれた」と夏バテの辛さにもうひと頑張りをくれるように感じたのです。急なにわか雨の中、今までの「濡れないように」はやめて「濡れてもいいや・・」と家路に向かう裏道にはそれまで見えなか...
これまでボイレン写本やイートン・クワイア・ブック、個人的な所蔵による写本などを記して来ました。本来バラバラであった作品が纏められる事により、時代に埋もれてしまう作曲家やその作品が、また作者不詳ながら当時盛んに歌い継がれた作品たちを知る事が出来るようになりました。かなり古くより(1960年代?)それらの作品は試行錯誤されながら演奏されていたのですが、それが実を結び現在では考証がさらに深まり、新たな写本も加...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(4)/R.シューマン/クレンペラー(1968)
確かに秋の風を感じるようになったこの頃・・。それは薪で沸かしたお風呂のような、火が消えてからもいつまでも熱いお湯ではなく、電気温水器で沸かしたように、温度は同じでも温かさの勢いを削がれて直ぐにぬるくなるような感覚に近くなったと肌が教えてくれます。意識せずとも夏バテが出て午後が気怠くなる時に、半分寝たような夢うつつの中に聴こえる音楽は、窓から吹き込む風と溶け合って、汗ばみながらも心地良いと感じるよう...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(3)/R.シューマン/カラヤン(1971)
カラヤンの第1楽章出だしは、聴く度に「ツァラトゥストラ」のようだと感じます。そのまろやかで粘りある響きが、あくまで私個人の感覚ですが第2番に持つイメージとは異質と感じるのですが、それでもあれだけ響きにあれこれと言われるシューマンからこれだけ美しい響きを聴かせるのは驚きでもあります。カラヤンは美しく響けばマーラー編であろうとなかろうと、そちらを選択するのではないでしょうか。最初の印象的な主題が、まるで...
ナイトハルト・フォン・ロイエンタールの影響力と原初的音楽との接点
それまで知る範囲であった(少なくとも学校で習い、よく知る作曲家たちという一般的なイメージの)クラシック音楽が、実はバロック様式のほぼ全てから古典派様式、そして前期ロマン派までも江戸時代(1603-1868)に作曲された事に驚いたのはつい最近のような・・。ギターの世界で意識せずとも接する事になったそれらより遥か昔のルネサンス様式も、室町(1336-1573)・戦国(1467-1603)時代と、一般的な歴史年表の半分以後の事である事に...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(2)/R.シューマン/セル(1960+夢の52)
セル/クリーヴランド管によるシューマンの第2番が今は最も好きな演奏だと記しました。ブログの大切なお友達であり尊敬する大先輩Y-XYZ様よりセルの52年盤の存在をお教え頂き、その一端に触れる事が出来た事はより第2番でのセルの素晴らしさを確信させてくれるものでした。シューマンから澱を濾過するばかりでなく、それによって人間的な尊い想いまでも香り立たせる見事さに感動します。もはやシューマンを聴く事にバリケードを用意...
心の日曜日(14)/「カヴァレリア・ルスティカーナ」:間奏曲よりお気に入りの3枚を/カラヤン(1967)/バルビローリ(1931/58)
幼少時代に暮らした田舎から県庁のある市まで出る時には、バスかJRでお出かけするのでしたが、そこはずっと長い海岸を通るので潮の匂いがして夕方だとオレンジ色のどよーんとした気怠く素敵な景色が続きます。今回、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を記そうと思ったのは、その列車のガタン・ゴトンという音のようなSPの周期的なノイズと共に聴こえて来るバルビローリの1931年のMONO盤にその時の景色が蘇り、同じくSTER...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(1)/R.シューマン/クーベリック(1979)
シューマンの交響曲 第2番最初の印象的な音型は多分、人の潜在意識下に潜む何かを喚起するものなのではないでしょうか。古くはハイドンの104番「ロンドン」開始早々の印象深いもの、さらにギターを弾く者としてはソル「ロシアの想い出」にも現れる
「中世のアカペラによる作品が特別強烈な個性を見せない代わりに、その微かな違い・風土感を新鮮に感じる、季節を吹き渡る風のようなアルバムだと感じます。」これは、第1回の時に記したイートン・クワイア・ブックへの結びの言葉でした。イギリスのテューダー朝期(1485年-1603年)に様々な作曲家により聖歌隊用に作られた楽曲を写譜してまとめられた楽譜コレクションである「イートン・クワイアブック」(ウィンザーの名門、イート...
フランス山人の歌による交響曲 op.25 (セヴァンヌ交響曲)(2)/V.ダンディ/クリュイタンス
この作品は、ピアニストが強い自己主張を控え、如何に背景の空気や水の煌めきとなれるかに大きく左右され、しかも、そのピアニストが微妙で繊細な自然と言うものを描く力量も問われると思います。そして、それは普段の研鑽やテクニックで表現できるものではなく、実際にそれを知る事の、いわば心と体が知っている事なのだと信じます。こうしてみると、音楽、ひいては芸術の習得には部屋の中で磨く技巧や楽譜の読み解きだけではなく...
J.オケゲム[オケヘム](6)/「レクイエム」と「比例ミサ」と聖母マリアのモテット「汚れなき神の御母」(2)
4回にわたって記して来たオケゲム(オケヘム)の作品を気が付けばまた買っていました。第1回で記したヒリアードEnsは男声による落ち着いたオリジナル(当時の)美しさを聴かせてくれました。今回の女声も加わるムジカ・フィクタ盤は、キーが高くなっているので受けるイメージがかなり異なって聴こえて来るのも面白いと感じました。同時に旋法に於いても、近代和声の調の色のように音楽の本質に係る部分の変化を感じられるところがとて...
私はオーディオのケーブルやコンセントなど電源回りには案外無頓着だと思います。ですから一度だけスピーカー・ケーブルもRCAケーブルも、音が良くなると聞いて買った事はありますが、最初から付いていたものとの
抒情小品集(2) ピアノによる全曲盤と管弦楽への編曲版/E.グリーグ
グリーグやシベリウスなど、北欧の作曲家たちの作品に接する度にいつも感じる事があります。それは、とても大きなマクロの自然と、身をかがめて注視しなければ見えない虫や花のミクロの世界の共存、そして雪に閉じ込められた家の中でふける夢想と暮らしの営みという対比する世界が違和感なく共存する事だと思える事です。なにより、そこには生き物も含め自然との闘いではなく共存が常に感じられ、また、民謡との結びつき、北欧神話...
現在では音源を手元に置いてハイ・レゾ音源を楽しむというものでは、レーベルの意図した(だから最良とは別の話なのですが)最良の方法はSACDかブルーレイ・オーディオ、USBなどのメモリ媒体と言う事になるのではと思うのです。それもTV用のBD再生機器ではなく、Pioneer製などのオーディオ再生・リッピングに最良の外付けドライブなどとバランス接続を持つDAC/ヘッドフォン・アンプという選択肢を持つPC環境の構築は、パーソナルに於...
交響組曲「シェエラザード」op.35(9)/N.A.リムスキー=コルサコフ/バレンボイム(1993)
第3楽章のロマンに憧れ学生時代はのめり込むほど聴いた「シェエラザード」フルトヴェングラーを信奉するバレンボイムの演奏に、その濃厚なロマンを求めてBOXにあったCDに針を下し・・ぁそこからはシカゴ響からとても肉付きの良い響きで真っ向勝負のような「シェエラザード」が流れて来ました。その事に「えっ!?」と思いましたが、シカゴ響の威力と、それに頼ることなくロマンとは別の
交響曲 第2番 「ロンドン交響曲」(2)[1936年版]/R.ヴォーン=ウィリアムズ/バルビローリ(1957/67)
ヴォーン=ウィリアムスの交響曲の中でも、写実性と情趣の両方に最も訴えて来るのが第2番「ロンドン交響曲」ではないでしょうか。風景と記憶というものが強く結びつく事を、過ぎ去った時代と共に確信した作品です。演奏ではA.デイヴィスの水彩画の(霧の?)中に浮かび上がるロンドンが大好きなのですが、バルビローリはどことなく懐かしい、そう一昔前の都会の情景と言うものが浮かび上がって来るように感じました。江戸時代の
交響曲 第4番 変ホ長調「ロマンティック」(6)/A.ブルックナー/ワルター(1960)
渡辺貞夫さんやJAZZ、ROCK/POPSをどちらかというと好む主人は、ワルターのブルックナー 第7番が好みになってしまい、その後カラヤン/ウィーン・フィルはじめどのCDを聴いても「これが一番気に入ってる」と見向きもしません・・あははその理由が知りたくて聞いてみると「ワルターは第2楽章が心に突き刺さるから」と、そして他の盤は「鳴り物が入るとそれまでゆったり浸っていた雰囲気が変わるから」との事で
交響曲 第4番 変ホ長調「ロマンティック」(5)/A.ブルックナー/ギュンター・ヴァント(1998(L))/ヘッドフォンあれから
ブルックナーの第4番は、以前にも記した通り、私の中では海そのものを感じる交響曲です。私の生まれ育ったのは、みかんの植えられた山が海と接する潮の香りが心地良い場所です。特に初夏のカァッと明るく波の静かな海は蝉の声と相まって楽園のようです。驚くほど透き通った波打ちぎわと、小さな波一つ一つがキラキラと輝く姿は子供の時より焼き付いたもので、冷たい井戸水で冷やしたすいかと、海で食べるおにぎりが一際美味しかっ...
レクイエム op.148/R.シューマン/サヴァリッシュ(1988)
派手な所のない誠実なレクイエム、それだけに多くのレクイエムの陰にひっそりと咲くように思えたのかも知れません。それはシューマンそのものであると聴こえて来るのです。SpとAltを2人揃えた
心の日曜日(13)/オックスフォード・ニュー・カレッジ合唱団/バーバー:アダージョ・他
大学生の頃、グリー・クラブの方たちの合唱を本当に素晴らしいと思いました。何よりも女声にはない深いバスに驚き、音程の微かな変化にもピタリとつける精度、仲間を知り尽くした一体感は大学生の世界・レベルではないとさえ思えた程です。合唱の世界で次に感動したのがタリス・スコラーズであったのですが、少人数で女声が加わった時のバランスは(特にソプラノが突出してしまう事を録音の宿命のように思っていた私には)録音場所の...
スラヴ舞曲 op.46・op.72(2)/A.ドヴォルザーク/ノイマン 全曲(1985)/ワルター 第1番(1941)
スラヴ舞曲集は、国は違えど共通した憧憬や郷愁、家族や暮らしという想いを感じます。作品自体もフリアントとドゥムカなど、独自のリズムが動と静で織りなされる基本3部というシンプルさも親しみ易いと感じるのではないでしょうか。ところが、この作品はただ単なる楽しい曲というだけでなく、オーケストラを聴く、指揮者を知る、何より作品の中に込められたコクというものを感じた時、なんとも素敵なオーケストラ・ピースである事...
前回は3本のリコーダーによるフランス・バロックのソナタとしてL-A.ドルネルのソナタ 変ロ長調を記しました。今回はバロック後期のドイツのJ.マッテゾンのソナタ 第4番を記します。辞典によるとマッテゾンの歌劇にはムソルグスキーにも同名の「ボリス・ゴドゥノフ」を見る事が出来ます。こうしてフランスとドイツの3本のフルート(バロック・フルート/フラウト・トラヴェルソ含む)ソナタの、作曲家のみではなくお国柄と言う違いも(...
交響曲 第1番 ハ短調 B.9 「ズロニツェの鐘」(1)/A.ドヴォルザーク/ノイマン(1981)
第1番にはドヴォルザークの第9番が既に存在しているように感じます。彼が鐘の響きとリズムを作品中に
この2日間、ショップやお目当てのヘッドフォンを持つ友人やその知人を頼りに通い続けました。最初予定していた2機種と、クラスが上のものとどう違うのかなどを徹底的に、音源をとっかえひっかえして、家ではYOUTUBEの人間の頭にヘッドフォンを被せたバイノーラルでの録音比較を必死に聴き込みました。そんな私を見て、主人から「長く使うものだから、どうせなら良いものを買うべき」との援護をもらって予定より上のクラスを購入す...
ミニョンのためのレクイエム op.98b/R.シューマン/サヴァリッシュ(1988)
シューマンが3年後に「レクイエム 変ニ長調」 op.148を書く前に、ゲーテ作品からそれは美しい「ミニョンのためのレクイエム」op.98bを作曲しています。最初の頃は、開始早々その美しさに聴き入ってしまうこちらの作品の方が好きだったのです。ミニョンのためのレクイエム op.98b - Requiem für Mignon編成 : 独唱/Cho/Orch詞 : J.W.ゲーテの「ヴィルヘルム=マイスター」より作曲 : 1849年(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)『...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(6)/W.A.モーツァルト/アーノンクール(1984)/ヘッドフォンが・・
とうとうお気に入りであったオーディオテクニカのヘッドフォンが片方鳴らなくなってしまい、断線ではなくユニットが長年で駄目になっているとの事でした。本体を開けた中のドライバーの周りの防音材も酷い有様でボロボロと崩れる状態でそれを見て納得するしかなく、その木目美しくカーンと響く木だけを残して泣く泣くお別れとなってしまいました。漆塗りのアサダ桜ハウジングの音大好きだったのに・・。という事で、暫くはビクター...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(5)/W.A.モーツァルト/C.クライバー(1991L)
この映像にはブラームスの第2番とモーツァルトの第36番が収録されています。クライバーの「リンツ」を初めて聴いた時は、他の盤に比べてごく普通に思えたのも確かでした。(クライバーにベートーヴェン第7番のようなカタルシスを期待してたのかも知れませんが・・)しかし、他の盤が増えると共に、段々と切り詰められた響きの中に溢れる愉悦感と爽快感をウィーン・フィルのライヴという中に感じられるようになって来たのです。解説書...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(4)/W.A.モーツァルト/クーベリック(1980)/+大人のお話し
ある時期の録音がひと際輝いていると感じるのが、クーベリックがモーツァルトやシューマンの交響曲をバイエルン放送響との最後期にCBSに録音したシリーズだと思っています。それらはどれも確信を持って音楽性豊かに響いて来ると感じるものです。この当時は、全てがクッキリとした明快さを持ち、しかもオーケストラは美しく歌を紡ぐので、アンサンブルの素晴らしさ・旋律の味わいが合わさって爽やかに心に響くクーベリックの良さと...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(3)/W.A.モーツァルト/クレンペラー(1956)
クレンペラーの「リンツ」は2本のファゴットの存在感が意識された、一見モーツァルトらしくない重量級の演奏で、舞曲までも少し重い足取りの一風変わった、しかし気品と愉悦感に溢れるモダンだけに出せる味わいを感じます。この作品の2本づつのオーボエとファゴット、当時の編成では一般的であったその響きが意味する所も理解出来たように思うのが(意味の有るように聴かせるのが)クレンペラーの「リンツ」なのだと思ったのでした。...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(2)/W.A.モーツァルト/ベーム(1966)
いつもその時の心のままに書き記すだけの私は前書きをいつものように書きました。それはきっと、ベームの演奏に母がかけてくれたレコードでクラシックに親しんだ頃を思い出し、現在の当たり前という惰性、あの頃の新鮮さという驚き、その狭間を一瞬ですが彷徨ったからかもしれません。という事で、前書きを最後に移動させました。音楽を聴いている方は皆、多かれ少なかれ同じ想いを持った事があるのでしょうか・・。※各アルバムに...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(1)/W.A.モーツァルト/ワルター(1955/60)
後期三大交響曲では第39番が最も好きだと記しましたが、その3つ前(37番が含まれない事から実際は2つ前)の第36番「リンツ」は、序奏から動き始めた時のワクワク感が大好きです。古典派の巨匠たちの中でもこういったスピーディーで明るい軽やかさはモーツァルトの独壇場だと思っています。交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425 Symphonie No.36
彼はどうしてこのような・・。 ミサ曲 ロ短調 BWV.232/J.S.バッハ/クレンペラー
師がかつて記されていた「レチタティーヴォを持たない事」、或いはその劇的なものにより「ミサ曲 ロ短調」はカンタータから受難曲へと、バッハの宗教曲大作への入り口となる貴重な作品とのお言葉が思い出されます。しかも、マタイやヨハネ受難曲が演奏を選ぶのに対し、ミサ曲 ロ短調は融通の幅の広さに於いても目を見張るものが有り、さまざまなアプローチによる名演奏を多く持つ作品でもあると思っています。最初に聴いた厳しさの...
一般的なものとは少し違った2つの 組曲「ダフニスとクロエ」(2)/M.ラヴェル
第2組曲のみ録音された盤(1)と記した組曲版が、クリュイタンスが第1組曲も録音してくれていた事、バルビローリも面白い事をしています。しかも、これら2つはそれまで聴いて来た第2組曲とは違うものであったのです。「水の戯れ」とバレエ「ダフニスとクロエ」は私の中でのラヴェルそのものであり続けると信じます。同時にバレエ版と組曲版という「ダフニスとクロエ」が存在するのはラヴェルが同じ作品に別の管弦楽法を施した(試した...
バレエ音楽「ダフニスとクロエ」 (全曲版)(2)/M.ラヴェル/アンドレ・クリュイタンス
ラヴェルを最初に好きになったのはブーレーズによるこの「ダフニスとクロエ」(全曲版)からでした。それも序奏からであった事はブログでも最初の方に記す程に大好きな作品でもあるのですが。当時は第2組曲はカラヤンとアンセルメ盤で持っていたので、序奏最初のほぼ無音からの起ち上がりのダイナミックレンジの幅と、合唱が加わって大きなうねりとなる効果に感動し、その部分に於いては強い拘りを持つようになったとも記しています...
心の日曜日(12)/中央アジアの草原にて/A.P.ボロディン
遠近法と経過する時間の存在する音世界 ボロディンの「中央アジアの草原にて」は子供の頃より異国への扉を開けてくれる作品でした(なのに、ずっと忘れてしまっている作品でもあります)「ペルシャの市場にて」や「イーゴリ公」、「シェエラザード」など、それらに聴く東洋の描写は色彩感が強く、且つ力強さや官能、どこか懐かしい情感まであり、そこには民族色の強い暮らしまで垣間見えるように思います。ボロディンは、ロシア5人...
M-A.シャルパンティエ作品(4)/主の御降誕のカンティクム/9つのルソン・ド・テネブレ
シャルパンティエ作品を聴くということは、この2曲に出会うために有る・・。(よしな)なんて勝手なことを書いていますが、本人はいたって真面目に現時点ではそう思い込んでいます。バロック初期に於いて、鐘の音がこんなに情緒豊かに響く作品があるでしょうか。クリュイタンスがたった一度だけ録音した理由、それはきっとこの作品を演奏しなければと使命のようなものを感じたのではないかと・・勝手に思います・・ぁ「主の御降誕の...
M-A.シャルパンティエ作品(3)/死者のためのミサ(レクイエム)/他
私の中のレクイエムのベストというものを整理しておきたいと思います。(ただ一か所の様式を未記入のまま)このブログにも多くのレクイエムを記して来ましたが、これらの作品に優劣をつける事など出来ないのを承知の上で、私の心に深く存在するようになった特別を確認したいと思ったのでした。[今まで]は3つの特別な作品があると記して来ました。あれから1つ加わり4つになりました。それらは、なんとも都合よく、それぞれの様式を代...
M-A.シャルパンティエ作品(2)/歌劇 「メデ」/歌劇「オルフェウスの冥府下り」
古楽の演奏に於いて、ブリュッヘンやアーノンクール達の特別旋律を際立たせたり、表現の可能性追求による大胆な試みや、レオンハルトの厳しいまでの厳格さを持ち込む事、それより後のイタリアの奏者達が見せた過激性などが、クリスティではごく自然に、しかも表現したい事を語弊はありますが「より簡易に」成し遂げる術を身に着けたように感じられました。それによって現われる音楽は、確かな推進力と十分に歌う味わい深い歌を両立...
M-A.シャルパンティエ作品(1)/賢者の石 H501/エール/シャコンヌ
ディヴェルティスマン(ここでは幕間劇)「賢者の石」は、以前スペインの作曲家リテレスの作品でも記した四大元素を題材としています。RPGにもそれらの要素を持つ属性・魔法が取り入れられたものも多く、それらによる攻撃の相性・耐性などが考慮される物を見かけます。シャルパンティエの妖精たちは中々キュートな(人格?)を持つ妖精たちではないでしょうか。特に火と水の精の二重唱「私たち二人が一緒にいるなんて」は作品が微笑まし...
心の日曜日(11)/クラシックで聴くイギリスとアイルランド民謡編(2)
イギリス民謡は日本の学校でもよく歌われる曲が多く、誰もが普通に知っているのも特徴でしょうか。今回は前回記せなかった曲、重ならない演奏を選んでみました。キリ・テ・カナワの歌、合唱の響き、そして少年少女合唱団の懐かしさ、音楽室の匂いと共に同級生たちの顔が思い出されます。そうそう、この間街で出会ったあの人、きっと同級生だと思う・・、相手も私を暫く見てたので間違いないとは思うのですが、何故か声をお互いかけ...
3本のリコーダーによるフランス・バロックのソナタ/ソナタ 変ロ長調/L-A.ドルネル
彼より5年後に生まれ、パリのサン・マドレーヌ教会やサン・ジュヌヴィエーヴ教会でオルガニストを務めたアントニー・ドルネル(1685-1765)と間違われる事の多いルイ・アントワーヌ・ドルネル(c.1680-after 1756)のリコーダー3本によるソナタは、ブリュッヘン達が取り上げた事で現在に聴かれるようになったのではないでしょうか。実は私はヴェルサイユ楽派のドルネル作品にこの1曲しかお目にかかった事が無いのです。辞典にもアント...
今日は帰宅してY-XYZ様https://yxyzusa.blog.fc2.com/の記して下さった嬉しいコメントを拝読させて頂きました。その時にご紹介くださったシェーンベルク作品を聴かせて頂いて、真夜中に彼の作品を聴きたいと思いました。というわけで、今夜はグールドの弾くピアノ作品全集を選んだのでした。(輝く夜景に浮かぶ冷たい鉄筋コンクリートの世界を思い浮かべるポリーニ盤と迷いました。その冷たい固まりの中にところどころ灯る、誰かが...
弦楽四重奏曲 第10番 変イ長調 op.118/D.D.ショスタコーヴィチ
この作品については辞典はじめwikiにも簡単な記録しか見つけられませんでした。しかし、毎度ながら一筋縄ではいかない何かが潜んでいるのを感じるのがショスタコーヴィチ作品で、最初の作品を取りやめ作り直した9番と、続けて書かれた10番は、それまでの総括のようなものも感じます。そう思うのは、単なる思い付きではなく根拠があるのです、それは前回の第9番で記した
中学生の頃、1.000円や1,200円で名盤と呼ばれるものがシリーズとなったものを安い!と思って優先的に買ったものです。それが現在ではBOXで1枚当たりの値段を計算するようになり、1枚200円だと高い!と感じるのですから不思議です。大手レーベルでは古楽専門レーベルを別に持っていて、BOXでもそれらが区別され、偶に混在させたりして発売されています。最近の傾向としては初盤のジャケットと資料を付けたり、レーベルに録音されたも...
楷書の「マタイ受難曲」と行書の「マタイ受難曲」BWV.244/J.S.バッハ
タイトルは、リズムの刻みだけではなく、各パートの歌わせ方にもそれを感じるという事で、どこまでも横に滑らかに繋げるフルトヴェングラーと、一音毎に折り目正しいリヒター、その中間で我が道を行くクレンペラー、今回はモダンによる「マタイ受難曲」の中から3つを選んでみました。ピリオドから受難曲に接した私は、モダン・オーケストラによるミサ曲も含むこれらに最初は違和感さえ覚えたのですが、今ではモダンとピリオドとい...
パステルカラーのサティと不愛想なサティ/ピアノ作品集(2)/E.サティ
GWの間、二人でルールを作りました。カーナビ以外、スマホはお店や施設の検索と緊急時の連絡用としてのみ使用、旅行を純粋に楽しむというものです。その代わり、最後まで守れればお互い夏のボーナスで好きな物を一つ買おうというご褒美付きです(私には見える・・バーンスタインCBS録音全集・・うふ、うふ、うはぁ・・ぁ)♪~♫~♩~パスカル・ロジェのサティ、それはパステル・カラーの柔らかさの中に小さなポップアートが現れるもので...
巨匠たちがこぞって取り上げた? 歌劇 「アウリスのイフィゲニア」序曲/C.W.グルック
なにかと共通点を持つ今回、トスカニーニとワルターは2年違いのカーネギー・ホールでのライヴ録音、また、ワルターとフルトヴェングラーは同年のライヴ録音である事が分かります。ワルターがコロンビアへ残した数少ないライヴ録音であると同時に、今回の中では唯一スタジオ録音で残されたクレンペラー盤の威容はこれらの中でも飛び抜けたスケールの演奏だと驚くものです。1952年から1960年の間に録音されたグルックの「アウリスの...
アルト・ラプソディー op.53(2)/J.ブラームス/ワルター
このジャケットは、パッと見は地味なのですが、書かれている画のバランス、色調、そして何よりも雰囲気が心を惹き付けます。この絵の中に暫しの時を過ごし、心を彷徨わせていました、ですからバラの配置も(これ置く意味があるから置いています)ここでなければならなかったのです。自分が体験したことのない事でも、相手の気持ちを推し量れる人、理解しようとする人、そういう人を思いやりのある人と呼ぶのだと信じます。※各アルバ...
クリスタ・ルートヴィヒの2つのアルト・ラプソディー op.53/J.ブラームス
ルートヴィヒの歌うブラームスやワーグナー、マーラーやリヒャルト・シュトラウスが大好きです。それらはドイツ・ロマン派の作品である事も特徴なのですが、濃厚なロマンの中にあって、その落ち着いた風格によって、それらに深みを増すのがルートヴィヒの歌唱なのだと感じます。ベームやカラヤン、クレンペラー、バーンスタインと、多くの指揮者たちにドイツ・ロマン派作品で抜擢された彼女の存在は大きなものだと知ると同時に、確...
引っ越しで消えたレコードを入れたひと箱/スペイン舞曲集 op.37/E.グラナドス
引っ越しをした時、LPレコードは3箱ありました。ひと箱無い事に気付くのは、それから数か月経ってからでした。そして今もCDで発売されるのを待つのですが、この一枚は一向に発売されません。確かエンジェルから発売されていたジャケットにスペインの宮殿の中庭の描かれたゴンサロ・ソリアーノの「スペイン舞曲(全曲)」です。この作品は、最初にギター演奏から出合ったもので、アルベニスやグラナドスのピアノ作品にある何かが、ギ...
ソナタ集 op.5/A.コレッリ/ブリュッヘン/レオンハルト/ビルスマ
ほんの二日前にバルビローリ編曲によるop.5を記したのですが、そのop.5を既に記したと思い込んでいたおっちょこちょいの私がいます。ということで急遽変更しました。(間に合うかしら・・ぇ)出版年は一昨日の記事に記しています。このソナタ集は12曲より成り立っていて、本来は「ヴァイオリン・ソナタ op.5」となっているのですが、楽器編成Vl&ヴィオローネ(またはCemb)と辞典には記されています。ここではリコーダーとチェンバ...
閑話休題/「復活」 第4楽章に指揮者の人間味を知ったような気がする/G.マーラー 交響曲 第2番
人生は各々が答えを見つけるために有るのかも知れませんね。私が音楽を自分探しの中心となるものに選んだのは、とても小さいながらも
バルビローリは自身編曲によって色々な作品を録音に残しています。ワーナー録音全集のBOXからは、A.コレッリのヴァイオリン・ソナタ集op.5(「ラ・フォリア」が知られる)から編曲された2つの作品を聴く事が出来ます。その一つ、協奏曲としてオーボエ奏者であった妻イヴリン・ロズウェル(イヴリン・レイディ・バルビローリ)と3種類の録音、合奏協奏曲への編曲でハレ管弦楽団と共に1つの録音を残してくれました。A.コレッリのヴァイオ...
デュフリ、デュルフレ、デュプレ、デ・プレ、デュ=マージュ、デュランテ、デュレ、デュファイ、デュパルク、デュティーユ、デュアルテ・・。この中で作品が直ぐに浮かんでくる作曲家は何人くらいいるのでしょう?私は5人でした・・ぇ聴けば「あぁ」と思い出す作曲家も、まだ知らない作曲家も
ジークフリート牧歌(4)/R.ワーグナー/ワルター(1953/リハーサル/1959/リハーサル)
ワルターは「ジークフリート牧歌」の録音と同じくしてリハーサルの様子も残してくれています。それらと照らし合わせながら聴くのももう一つの楽しみとなりました。発売盤を聴くだけでは、私には詳細に分からなかったワルターの意図(いえ想いでしょうか)を、驚きをもって、また共感をもって感じる事が出来たと思っています。[お知らせ]「CDを貰ってください]コーナー、皆様もう既に持っていらっしゃるようですね。これからもページ...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...