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ブログタイトル
盤珪禅師 ~ 盤珪さんの不生禅
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/nisa27rug493
ブログ紹介文
不生で居る・不生の仏心で居る・不生で一切がととのう・不生で坐る・
更新頻度(1年)

274回 / 365日(平均5.3回/週)

ブログ村参加:2019/12/11

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ハンドル名
琢然房さん
ブログタイトル
盤珪禅師 ~ 盤珪さんの不生禅
更新頻度
274回 / 365日(平均5.3回/週)
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盤珪禅師 ~ 盤珪さんの不生禅

琢然房さんの新着記事

1件〜30件

  • 盤珪さんの不生禅 ~ 諸法無我の言葉によって起こる錯覚

    盤珪さんの不生禅~諸法無我の言葉によって起こる錯覚諸法無我(しょうほうむが)は「森羅万象は実体が無い」という意味です。諸法無我という言葉によって、ほとんどの人々は「森羅万象は実体が無いと思っていないこと」に気づかれるでしょう。これが諸法無我の言葉によって起こる錯覚なのです。以前の投稿において、森羅万象の中はスカスカの空間であることを科学的に説明させていただきました。盤珪さんは、諸法無我の言葉によって起こる考え違いや錯覚を壊す言葉として、「不生」の言葉を造られたのです。諸法不生だから、すなわち、「森羅万象は生じていない」のだから、森羅万象は実体が有るとか、森羅万象は実体が無いとか、考えることは考え違いであると、考え違いや錯覚を正すことを説かれたのです。現代的に言えば、森羅万象は自然界における科学の法則によって、人...盤珪さんの不生禅~諸法無我の言葉によって起こる錯覚

  • 盤珪禅師:盤珪さんの不生禅 ~ シャボン玉のような森羅万象は、縁によって起こっているのであって、実体が生じているわけではない

    盤珪禅師:盤珪さんの不生禅~シャボン玉のような森羅万象は、縁によって起こっているのであって、実体が生じているわけではない「シャボン玉のような森羅万象は、縁によって起こっているのであって、実体が生じているわけではない」は、釈尊の仏教の基礎です。長年に渡って仏教を学んでいても、この基礎を押さえておかないと迷路に落ちてしまうでしょう。縁(えん)とは「縁起の法」の「縁」です。縁起の法とは、「原因と縁(条件)と結果の法則」とも言えます。シャボン玉のような森羅万象は、「原因と縁(条件)と結果の法則」によって起こっているのです。釈尊について書かれている『自説経』では、「原因と縁(条件)と結果の法則」は、『此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。』と説かれています。「原因と縁(条件...盤珪禅師:盤珪さんの不生禅~シャボン玉のような森羅万象は、縁によって起こっているのであって、実体が生じているわけではない

  • 盤珪禅師 ~ 盤珪さんの不生禅 ~ シャボン玉のような森羅万象はコンピュータの中に有るようなものである

    盤珪禅師~盤珪さんの不生禅~シャボン玉のような森羅万象はコンピュータの中に有るようなものであるコンピュータを活用する時代になっています。シャボン玉のような森羅万象は、あたかもコンピュータで表現されている画像などに構造上よく似ていると思いましたので書いておきます。コンピュータは、人間世界の10進法と違い「2進法」という表現の仕方を用いています。人間世界の10進法を、コンピュータは桁を増やして2進法に変換しています。自然界の「マイナスの電荷」と「プラスの電荷」は、コンピュータの「2進法」に相当しているように見えます。話しが飛びますが、現代では、素粒子の世界は高エネルギー加速器を使って実験し研究されています。高エネルギー加速器を使いますと、光子+光子(注1)→エータc中間子(注2)→陽子(注3)+反陽子(注4)の反応...盤珪禅師~盤珪さんの不生禅~シャボン玉のような森羅万象はコンピュータの中に有るようなものである

  • 盤珪禅師:盤珪さんの不生禅 ~ 豆知識 ~ 錯覚を科学的に表現する

    盤珪禅師:盤珪さんの不生禅~豆知識~錯覚を科学的に表現する人体は、塊(かたまり)ではなく、ほとんどスカスカの空間、です。人体だけではなく、植物や、動物、鉱物、ウイルス、空気までもが、大きくは宇宙の星たちも、皆、原子核や電子でできていますからスキマだらけの空間なのです。最近は、人体は37兆個の細胞で成り立っている、と言われています。細胞を小さく分析しますと「分子」というものに行きつきます。分子は物質の性質を失わない最小の単位です。分子をさらに小さく分析しますと「原子」というものに行きつきます。たとえば水の分子(H2O)は、水素の原子2個と、酸素の原子1個でできています。1910年ごろまでは「原子」が物質の究極の姿だと考えられて来ました。しかし1910年代に入ってから「原子核」が発見され、「電子」が発見されました。...盤珪禅師:盤珪さんの不生禅~豆知識~錯覚を科学的に表現する

  • 盤珪さんの動禅・不生禅 ~ 豆知識 ~ 錯覚

    盤珪さんの動禅・不生禅~豆知識~錯覚盤珪さんの不生禅(ふしょうぜん)は「動禅(どうぜん)」です。坐禅は多くありますが、動きながらする体系的な動禅は盤珪さんの不生禅だけでしょう。管理人も動禅を主としていますので、盤珪さんのしやすい「動禅~不生禅」に力を入れていきたいと思います。不生禅を理解しやすくする豆知識も書いていきます。仏教では、はかなさや、実体が無い、を理解しやすくするために、「泡(あわ)」の話しをすることがあります。なぜ泡は、はかなさや、実体が無い、と感じるときの話題となるのでしょうか。おそらく人間の寿命に比べて、泡の寿命がとても短いことにあるでしょう。「消える泡残るアワも、消える泡」ですから、やがて人間の命にも順番が回って来ると、良寛さんの俳句「散る桜残る桜も散る桜」になります。自分を含めたすべての桜が...盤珪さんの動禅・不生禅~豆知識~錯覚

  • 盤珪(ばんけい)さん

    盤珪(ばんけい)さん盤珪さんは、「盤珪永琢(ばんけいようたく/えいたく)」と言い、江戸時代前期(1622年4月18日~1693年10月2日)の臨済宗の僧侶でした。現在は、盤珪さんの法脈は絶えております。盤珪さんは不生禅(ふしょうぜん)を唱えられ、やさしい言葉で大名から庶民にいたるまで広く理解されるように仏法を説かれました。弟子の礼をとった者は五万人あまりにのぼると伝えられています。とても盛況でした。盤珪さんは、現在の兵庫県姫路市網干区浜田の出身で、儒医・菅原道節の三男として生まれました。1632年(寛永9年)10歳の時に父と死別した後、母と兄に育てられ、兄により地元の儒学の学校に入れられました。先生である儒学者に「大学」を学び、「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」という一文が気になって仕方がありませんでした...盤珪(ばんけい)さん

  • 明けましておめでとうございます。本年もよろしお願いいたします。

    明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします。管理人よりクリック応援よろしくお願いいたします。精神世界ランキング明けましておめでとうございます。本年もよろしお願いいたします。

  • 本年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

    本年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。各位様へ本年はクリック応援をしていただき本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。管理人よりクリック・ボランティアよろしく精神世界ランキング本年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

  • 再掲:エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をする

    再掲:エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をするエゴ・自我・自己中心が痛むように、おつりなどの小銭を貯金箱に貯金して、年末にまとめてお札に両替します。両替したお金を、年末に、地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をします。人道的に寄付するのですから、寄付先は宗教や政治の息のかかっていないところがいいでしょう。寄付する対象は福祉施設だけではなく、地元に貢献できる寄付先はいろいろあるでしょう。エゴが痛むようにして貯めた小銭貯金を寄付先に届ける途中が、無財の七施(むざいのしちせ)の捨身施(しゃしんせ)になります。寄付先にお金を届ける途中の中で、小銭貯金をためた一年間の出来事が走馬灯のように頭をかけめぐることもあるでしょう。そのとき、臍下丹田の底から「不生の良心=不...再掲:エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をする

  • 新約聖書のギリシャ語の翻訳は、平和ではなく、「和平」が適切である

    新約聖書のギリシャ語の翻訳は、平和ではなく、「和平」が適切である新約聖書の原本はギリシャ語で書かれています。日本語で読む新約聖書は、ギリシャ語の新約聖書を、日本語に翻訳したものです。新約聖書をつくった当時は多くの国々で使われていた言語(公用語)はギリシャ語でした。より多くの人々に読んでいただきたいという願いから、当時の公用語であったギリシャ語で新約聖書は書かれたのでしょう。ほとんどの日本人は、日本語に翻訳した新約聖書をあまり疑問を持たずに読んでいるようです。新約聖書の「マタイによる福音書」5章1節において、「平和をつくり出す人たちは、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」と日本語に翻訳されています。この「平和」という翻訳は適切なのでしょうか?管理人は、平和ではなく、「和平」が適切な翻訳であると理解していま...新約聖書のギリシャ語の翻訳は、平和ではなく、「和平」が適切である

  • ワシントンからのメッセージ:6回目

    2020/12/19/付ワシントンからのメッセージ:6回目石川様に伝えられたワシントンからのメッセージです。定点観測になるかもしれません。管理人は輪廻を卒業するつもりですので静観しています。この投稿はやがて削除させていただきます。ワシントンからのメッセージ:6回目「いつも温かい応援ありがとうございます。まず、ラトクリフのレポートの提出が延びている理由をご説明します。今回のレポートはとても大切なもので何年か経ったときに情報公開がされます。トランプ大統領は望んでいて、これから起きるであろう歴史的にも分岐点になります。急がずさらにしっかりとしたものをあげたいとのラトクリフの意見を尊重させていただきました。一部お話しますと、CIA、FBI側からあがってきた内容に彼は納得しませんでした。再度提出させてしっかりしたもので今...ワシントンからのメッセージ:6回目

  • あるメッセージについて

    あるメッセージについて下記メッセージは、現在進行中の未来を含む文章のように見えます。書かれていることが、当たるかどうかはわかりません。管理人は輪廻を卒業するつもりでいますので静観しています。このようなメッセージがあることだけをお知らせしておきます。この投稿はやがて削除させていただきます。『12月18日付けのワシントンからの伝言その5:「石川様、先ほどみんなで視聴させていただきました。ありがとうございます。日本の皆様を含めた全ての地球の皆様に本当の想いが伝わりうれしくてたまりません。ワシントンで働いている我々は皆さまと同様の立場です。地球上の全ての人々は地上になくてはならない一つ一つのピースです。それらが募って無限のエネルギーとなりその想念で出来上がったのが宝であります。全ての物ごとは受け身では得られません。ある...あるメッセージについて

  • 三つのダンマ(法)が実現するとどうなるのか

    三つのダンマ(法)が実現するとどうなるのか釈尊は三つのダンマ全てを実現されましたが、日本では三つのダンマ全てを実現する仏教宗派はありません。外国はどうか知りません。おそらく個人で実現するしかないでしょう。三つのダンマの内、どれか一つ、もしくは、どれか二つのダンマが実現する仏教宗派ばかりです。ですから日本の仏教宗派は釈尊の総合的な境涯には至っていません。「廃墟のブッダたち」の著者・EO氏は、輪廻を卒業するには「光明」と「悟り」がある旨のことを言っておられます。しかしEO氏は「不生の仏心のダンマ」を実現しておられないでしょう。悟りは、無我の体験のダンマを実現する、を言うでしょう。光明は、無量光(集諦)のダンマを実現する、を言うでしょう。禅は「無我の体験のダンマを実現する」を目的としていますから、無量光のダンマや無量...三つのダンマ(法)が実現するとどうなるのか

  • 後光(ごこう)・光背(こうはい)・火焔光(かえんこう)・火焔定(かえんじょう)について

    後光(ごこう)・光背(こうはい)・火焔光(かえんこう)・火焔定(かえんじょう)について良寛さんのように、称名念仏で安全に無量光に包まれることができますし、マインド念仏で無我の体験を維持することもできます。ニサルガダッタ・マハラジは、「IAMTHAT」のマインドを使って、無我(シヴァ)を体験されました。日本では、念仏のマインドを使う動禅によって、無我のダンマを体験することもできるでしょう。仏教では、修行者は自らの身体から光が発しているのを気づくことができます。第三者は認識することができません。当事者しか認識できないでしょう。不動尊の火焔定(かえんじょう)もあります。火焔が燃え上がりますと煩悩が焼かれます。焼かれると煩悩がすべて無くなるということではなく、人生観が真逆になります。有ると思っていた世界が無くて、無いと...後光(ごこう)・光背(こうはい)・火焔光(かえんこう)・火焔定(かえんじょう)について

  • 人生の「林住期」と、無我(シヴァ)のダンマ実現について

    人生の「林住期」と、無我(シヴァ)のダンマ実現についてインドには人生を四つに区分する「四住期(しじゅうき)」という考え方があります。その内容は、人生を「学生期(がくしようき)」「家住期(かじゆうき)」「林住期(りんじゆうき)」「遊行期(ゆぎようき)」の四つに区分します。簡単に言えば、学生期は学生時代となるでしょう。家住期(かじゆうき)は、結婚して、仕事について、子どもを育てる時代に相当するでしょう。家住期は世俗的なことをする時代です。三番目の林住期は、今までのもの(資産や家族や人間関係や社会的義務)から解放されて、人里離れて暮らす時代です。四番目の遊行期は、この世の一切の執着を捨てて、乞食となっていろいろと巡礼する時代です。インドの覚者・ニサルガダッタ・マハラジに当てはめますと、彼はタバコ屋の親父さんでしたが、...人生の「林住期」と、無我(シヴァ)のダンマ実現について

  • 釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について ②

    釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について②無我の体験のダンマを実現する方法は三つあります。一つは心にアプローチする方法です。二つ目は行動にアプローチする方法です。三つ目は心と行動に共にアプローチする方法です。臨済宗の禅は、心を停止するアプローチの方法です。曹洞宗の禅は、行動において自己を忘れるアプローチ方法です。第三の方法は、心を停止し、かつ、無人の行動にアプローチする方法です。おそらく最も効果ある無我の体験の方法は第三の方法でしょう。では曹洞宗の、行動にアプローチする無我の体験の方法は、現代的に言えば、無人ロボットになる、でしょう。たとえば、只管打坐は、無人の坐禅ロボットになる、でしょう。曹洞宗の僧侶であった良寛さんは、無人ロボットに成る(無我の体験)が実現できても、指導者から悟ったと許可されても...釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について②

  • 釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について

    釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について前回投稿しましたように、釈尊が実際にダンマ(法)を体験された順番は、「苦諦⇒集諦のダンマ⇒道諦のダンマ⇒滅諦のダンマ」となっています。上記の順番になっている四諦を「釈尊のマイナーな四諦(苦・集・道・滅)」と呼ぶことにします。しかし、釈尊は初転法輪において四諦の順番を、「苦諦⇒集諦のダンマ⇒滅諦のダンマ⇒道諦のダンマ」と発表されました。この順番になっている四諦を「釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)」と呼ぶことにします。マイナーな四諦(苦集道滅)では滅諦の実現が最後になっています。このことは、釈尊が滅諦を実現することに大変な苦労をされたことを物語っています。釈尊は、滅諦のダンマを探すのに、滅諦のダンマを実現するのに、大変な苦労をされたから、釈尊以後のダン...釈尊の広く知られている四諦(苦・集・滅・道)について

  • 四諦の滅諦と、瞑想との関係について

    四諦の滅諦と、瞑想との関係について釈尊は、第二の「エゴを痛むようにする瞑想(修行)」を実現され、菩提樹の下での第三の瞑想に進まれました。第三の瞑想は「心(思考)を停止する瞑想」です。第三の瞑想は目は開いたままです。目を閉じると第一の「集中する瞑想」になりやすいので、それを避けるために目は開いたまま瞑想します。第三の「心(思考)を停止する瞑想」によって滅諦のダンマを実現するには長時間の瞑想が必要になるでしょう。第三の瞑想を得意とするのは禅門です。在家者にとって長期間・長時間の坐禅はとても難しいことでしょう。管理人は腰を痛めていますので坐禅はしていません。これが幸いしたのか、動きながらの禅定、すなわち、動禅をしました。立ちながらの禅定、すなわち、立禅もしました。動禅や立禅は、坐禅よりも長時間できますので、在家者にと...四諦の滅諦と、瞑想との関係について

  • 四諦の道諦と、瞑想との関係について

    四諦の道諦と、瞑想との関係について無量光のダンマによって、すなわち、集諦のダンマによって、釈尊は魔境に落ちられたでしょう。釈尊は、肉体が燃えるように熱いとも言っておられましたから、クンダリニーも目覚められたでしょう。魔境は、無量光を光源として、エゴを縁として、映し出された魔の境涯です。無量光が現れますと、自らが魔境に居ることを容易に自覚することができます。「無量光(光源)⇒エゴ(縁)⇒魔境(結果)」です。エゴという縁を滅すると、縁を正しくすると、魔境から脱することができます。釈尊はエゴを痛める瞑想(修行)をすることによって魔境から脱出されたのでしょう。ここに、エゴを痛めることによって不生の仏心を目覚めさせ成長させる瞑想があります。これが釈尊の二つ目の瞑想です。肉体はエゴの塊(かたまり)のようなものです。エゴが痛...四諦の道諦と、瞑想との関係について

  • 四諦の苦諦・集諦と、瞑想との関係について

    四諦の苦諦・集諦と、瞑想との関係について四諦のはじまりは苦諦です。苦諦は、輪廻する真理によって起こる苦しみ、です。苦諦の次は集諦が書かれています。輪廻よって起こる苦しみは、輪廻の主体である思考(因縁)が原因であるという真理です。言い換えれば、輪廻による苦しみは、「縁起の法(原因と縁と結果の法則)を知らないことによって起こる真理」です。輪廻による苦しみの解決策は「縁起の法(原因と縁と結果の法則)を知る」や「輪廻の主体である思考(因縁)を滅すること」にあります。集諦では、無量光を経験する「集中する瞑想」をします。しかし、無量光は多くの人々を魔境に導きますので、現代では無量光を経験することは特に必要ではありません。それよりも「縁起の法を知る」や「輪廻の主体である思考(因縁)を滅する」に進む方が、輪廻を卒業する道に通じ...四諦の苦諦・集諦と、瞑想との関係について

  • 釈尊の悟りと科学は一致する

    釈尊の悟りと科学は一致する素粒子反応の世界では「時間の向きをひっくり返してもかまわない」という常識があります。一つの命が誕生し、誕生した肉体は成長して行き、成長した肉体は維持され、極まると、反転して。老化がはじまります。老化が増すと病気になり、やがて死に向かって行き、肉体は死を迎えます。素粒子反応の世界を見ますと「生老病死」を科学的に見ることができるでしょう。素粒子の世界の研究は高エネルギー加速器を使って実験・研究されています。高エネルギー加速器を使って、「光子+光子→エータc中間子(注2)→陽子(注3)+反陽子(注1)」(1)の反応が測定されています。注1:反陽子は、マイナスの電荷を持つ、反物質(反粒子)です。反陽子は、自然には地球上には存在しません。反陽子は、陽子と衝突すると対消滅を起こして数個のパイ中間子...釈尊の悟りと科学は一致する

  • 釈尊は三種の物質の波動性を感じておられた

    釈尊は三種の物質の波動性を感じておられたフランスの理論物理学者・ルイ・ド・ブロイ(1892年8月15日-1987年3月19日)は、物質波(ブロイ波)の理論を唱えました。ド・ブロイは、今まで波と考えられてきた光が、アインシュタインの光量子説で「物質(粒子)」としても考えられるのならば、反対に、今まで物質(粒子)と考えられていた電子などは波と考えることができるのではという発想に立ちました。エネルギーを持った粒子である光子が、電子とぶつかった時に、エネルギーを受け渡しできるということを根拠にしました。つまり「光子←エネルギー→電子」ということです。光子と電子は、粒子性と波動性という二つの性質を持っていることになります。ド・ブロイの理論では、波動性を持つのは光子や電子だけではなく、全ての粒子が波動性を持っています。原子...釈尊は三種の物質の波動性を感じておられた

  • 輪廻を続けることを目的とする者と、輪廻を卒業することを目的とする者は、どのように違うのか

    輪廻を続けることを目的とする者と、輪廻を卒業することを目的とする者は、どのように違うのか輪廻を続ける者の世界を、迷いの世界、と言われています。釈尊によると、迷いの世界は、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上界、の五つ界があります。ほとんどの天使や人間でさえ輪廻を卒業しようとは思っていません。思考を自分だと思い込み、思考を使って、善いだ、悪いだ、嫌いだ、好きだ、などと評価して分別することを主としています。これが迷いの世界の特徴です。このために、ほとんどの人間や天使たちは迷いの世界に住み続けることになるのです。輪廻を卒業することを目的とする者は、思考をともし火とするのではなく、ダンマ(法)をともし火とします。ダンマは、保持するもの、という意味です。「保持するもの」の主語は「空間」です。大きな空間は、「大きな宇宙」のことです...輪廻を続けることを目的とする者と、輪廻を卒業することを目的とする者は、どのように違うのか

  • 輪廻を卒業するとは、死後、どういうことが起こることを意味するのか?

    輪廻を卒業するとは、死後、どういうことが起こることを意味するのか?前回、人の死後すぐに脳内にドラッグが放出され、脳内ドラッグの放出は5分ほど続きます、と申し上げました。臨死体験を起こすもとである、この脳内ドラッグの働きによって、思考は肉体から離れます。いわゆる解離現象が起こります。肉体から離れた思考は思考体となり、思考体(魂)は輪廻の主体となります。死後、思考体(魂)は暗闇の中に居ることになります。脳内ドラッグのもう一つの働きは、潜在していた様々な感情が数十倍に拡大することです。潜在していた様々な感情が数十倍に拡大され怪物化されて、思考体(魂)を取り囲みます。怪物化された感情を何とか我慢をしていると、思考体(魂)が溶けはじめます。手の思考体や、足の思考体、胴体の思考体などがだんだん溶けていきます。あたかも肉体の...輪廻を卒業するとは、死後、どういうことが起こることを意味するのか?

  • 輪廻(りんね)は、「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎(そ)にして漏(も)らさず」のシステムである

    輪廻(りんね)は、「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎(そ)にして漏(も)らさず」のシステムである老子73章に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疏(そ)にして失せず」があります。そこから生まれたのが「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎(そ)にして漏(も)らさず」です。その意味は、「天の法の網の目は、広く大きくあらいが、取り逃がすことはない」となるでしょう。「天の法の網」とは「輪廻のシステム」のことです。人の死後すぐに脳内にドラッグが放出され、脳内ドラッグの放出は5分ほど続きます。この脳内ドラッグの働きによって思考は肉体から離れます。いわゆる解離現象が起こります。肉体から離れた思考は思考体となり、思考体(魂)は輪廻の主体です。脳内ドラッグのもう一つの働きは、思考を数十倍に拡大することです。いわゆる潜在してい...輪廻(りんね)は、「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎(そ)にして漏(も)らさず」のシステムである

  • エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をする

    エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をするエゴ・自我・自己中心が痛むように、おつりなどの小銭を貯金箱に貯金して、年末にまとめてお札に両替します。両替したお金を、年末に、地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をします。人道的に寄付するのですから、寄付先は宗教や政治の息のかかっていないところがいいでしょう。寄付する対象は福祉施設だけではなく、地元に貢献できる寄付先はいろいろあるでしょう。エゴが痛むようにして貯めた小銭貯金を寄付先に届ける途中が、無財の七施(むざいのしちせ)の捨身施(しゃしんせ)になります。寄付先にお金を届ける途中の中で、小銭貯金をためた一年間の出来事が走馬灯のように頭をかけめぐることもあるでしょう。そのとき、臍下丹田の底から「不生の良心のダンマ=...エゴが痛むように小銭貯金して、年末にまとめて地元の歳末助け合い運動や福祉施設などに寄付をする

  • 古事記の造化三神の内、先に「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」を実現して、後に「神産巣日神・カミムスビノカミ」を実現する理由について

    古事記の造化三神の内、先に「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」を実現して、後に「神産巣日神・カミムスビノカミ」を実現する理由について古事記の造化三神の一つであります「神産巣日神・カミムスビノカミ」が現れますと、マインド(心)が全く消えて、内面に沈黙が訪れます。それに対して、菩薩道である「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」の実現は、マインド(心)を使って、「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」を目覚めるようにします。マインドを活用するのか、マインドが消えてしまうのか、によって、マインドに対する姿勢が全く正反対になっています。両方とも実現するには、どちらを先行する方がしやすいかと言いますと、「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」の実現を先行させて、後に「神産巣日神・カミムスビノカミ」の実現をした方が心理的抵抗が起こりま...古事記の造化三神の内、先に「高御産巣日神・タカミムスビノカミ」を実現して、後に「神産巣日神・カミムスビノカミ」を実現する理由について

  • 古事記の造化三神「神産巣日神・カミムスビノカミ」が般若心経の世界を科学的に表現する

    古事記の造化三神「神産巣日神・カミムスビノカミ」が般若心経の世界を科学的に表現する何も無い空間に、無量の光子と、無量の陽極の電子と、無量の陰極の電子が現れて、この現象世界のベースを造りました、と前回に述べました。前回は書いておりませんでしたが、無量の光子(光)は情報を伝えることが出来ます。「何も無い空間」すなわち「根源」を、「神」と表現するのは情報の源だからでしょう。それらのベースの上に「原因・縁・結果の法則」が加わって、バーチャルの立体映像の現象世界ができています。その現象世界は、粒子による物理現象の世界と、波動による想念現象の世界の、二つの世界に分かれたと述べました。塊(かたまり)のように見える物質は、現実は、塊(かたまり)ではなく、ほとんどスカスカの空間なのです。それを科学的に分析することができます。最近...古事記の造化三神「神産巣日神・カミムスビノカミ」が般若心経の世界を科学的に表現する

  • 宇宙のはじまりは古事記の造化三神によって造られた

    古事記の序文「造化三神」を科学的に表現します。三種の神器によって封印されていた造化三神をすでに解放いたしました。今回は科学的に表現して造化三神をさらに解放したいと思います。人には二つの脳があると言われています。一つは「臍下丹田の脳」です。もう一つは「頭の脳」です。頭の脳を休める習慣がありますと、頭の脳はあまり動かずに、臍下丹田の脳がよく働くようになります。二つの脳があるのですから認識も二つあります。臍下丹田の脳の認識によりますと、古事記の序文には自然科学的な真理が隠れているように観えます。古事記の序文『天地が初めて分かれた時、高天原(たかまがはら)に登場した神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)。この三柱の神は、みな獨神(ひと...宇宙のはじまりは古事記の造化三神によって造られた

  • 臍下丹田(せいかたんでん)の底から突き上がる神の心に気づきましょう

    臍下丹田(せいかたんでん)の底から突き上がる神の心に気づきましょう臍下丹田(せいかたんでん)の底から込み上げる、と表現できる場合もあります。臍下丹田(せいかたんでん)は「おへその下あたり」を言います。臍下丹田の底ですから、おへその下あたりのもう少し下あたり、です。そのあたりから、神の心が頭頂部を目指して突き上がり、ます。それが、神の心、です。神の心と感情は違います。感情は脳の主に大脳辺縁系を始点としています。感情は脳が始点です。神の心は臍下丹田の底が始点です。感情は起こってもそのままにしておけば消えてゆきます。そのまましておかずに感情が成長して行きますと、感情は現象化して消えて行きます。これが感情の終点です。それに対して神の心は頭頂部を突き抜けて頭上に留まります。このように神の心と感情では始点と終点が異なるので...臍下丹田(せいかたんでん)の底から突き上がる神の心に気づきましょう

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