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ブログタイトル
私の姉は摂食障害(拒食症)
ブログURL
https://kyoudaishimai.hatenablog.jp/
ブログ紹介文
私の姉は摂食障害(拒食症)でした。当時の出来事や気持ち、今思うことを、妹目線で書いています。
更新頻度(1年)

13回 / 91日(平均1.0回/週)

ブログ村参加:2019/11/21

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ハンドル名
haruredさん
ブログタイトル
私の姉は摂食障害(拒食症)
更新頻度
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私の姉は摂食障害(拒食症)

haruredさんの新着記事

1件〜30件

  • 否定

    姉が拒食症真っ只中の時、太っている人をものすごく否定する発言をよくしていた。 何と言っていたか覚えていないが、とにかく否定していた。 私はそんなことばかり言っている姉の方が嫌だった。 にほんブログ村

  • ザ!世界仰天ニュース

    9歳で拒食症になった優等生ということで、長く摂食障害と向き合っている方が取り上げられていた。 お姉さんがいらっしゃるようで、家族の方も長く辛かっただろうな。 精神の病気って、終わりが見えなくて途方に暮れてしまう。 苦しいのは本人だけじゃない。 にほんブログ村

  • 1番つらいのは誰?

    いつだったかはっきり覚えていないけど、父に言われた。 『お母さんが1番大変だから』 じゃあ、誰が2番なの?私もこの家族との生活、毎日がしんどくて疲れてるけど、学校も頑張ってるんだが…? 1番とか言っちゃダメでしょ。 にほんブログ村

  • 元担任の先生

    私は幸いにも学校(=家以外)に居場所を作ることができた。 学校での活動や勉強で忙しくすることが逃げ道であった。毎日の自宅での出来事を忘れられる時だった。 姉の拒食症ピーク時、姉の担任をしていた先生から言われた。 『☆☆、何か疲れてるな』 これも、何と返事をしたか覚えていない。 その後、中学の卒業式の日、母はその担任の先生に姉の高校中退を報告していた。私は少し離れた場所で待っていた。先生がものすごく驚いていたことを覚えている。そりゃそうだよな、私、何も言ってなかったし。 今思うと、私が助けを求められるチャンスは何度かあったのかもしれない。 にほんブログ村

  • 高校中退

    姉は入院する前後くらいから、高校へ行かなくなり、中退した。 その後、定時制高校へ入り、卒業した。 中退した高校では、拒食症の姿をコソコソ言われたりしていたみたいだ。 にほんブログ村

  • 怒らないで

    姉が入院中の時だったと思うが、母から姉がこう言っていたと、泣きながら話をされた。 『お姉ちゃんが、☆☆のことを怒らないでって。優しいね、お姉ちゃん』 えっ?それ優しさか?違うんじゃ…姉絡みで私に非がないのに私が怒られてるから罪悪感みたいなものじゃないの? にほんブログ村

  • 元の自分に戻らない

    摂食障害になった人に対して、“元の○○に戻って欲しい”と言うことがある。 私の家族も言っていた気がする。 違和感。元の自分が嫌だったから、病気になったのだと思う。戻らなくていいじゃん。新しい自分に変われば。 にほんブログ村

  • 謝る

    姉が拒食症になったのは、ダイエットがきっかけだった。 ダイエットを始めたのは、周りから肉付きがよくなってきたことを言われたのがきっかけらしい。 そして、母から言われた。『☆☆も、お姉ちゃんに太ったって言ったことを謝って』 確か、姉が退院したらそれを謝れと言われた。 え?何で私が謝るの?それってただの子ども同士のケンカの言い合いだよ?私は毎日姉から監視されたりだの嫌なことされてきたのにこっちが謝るの……? 『うん』面倒くさいから、嘘の返事をした。 にほんブログ村 にほんブログ村

  • 体重計

    姉の拒食症ピークが落ち着いた後も、姉は体重計に乗り続けていた。 母に体重計を隠されたことがある。でも、なぜかすぐに復活していた。 ある日、母と姉が言い合いになり、母が体重計を投げた。壊れた。 姉は自分の体重計を購入していた。 なくても、あっても、困る体重計。 にほんブログ村

  • 病気がしている

    病気がそうさせている、病気だからそう考える、これをすんなり受け入れるのは非常に難しい。

  • 見つけた

    大学時代、とあるサイトで偶然見つけた。 家族が摂食障害になり振り回されたと書かれていた。 振り回された家族なのに病気を理解してあげなかったひどい人だと思われる、病気だろうが愛せないし許せない、というようなことが書かれていた。 精神科で話を聞いてもらうのは本人と親。本に書かれていることは本人と親。 共感しかなかった。読みながら号泣した。

  • 外で泣く

    姉の拒食症ピークの時、母、姉、私の3人で少し遠くにあるショッピングセンターまで出掛けた。 中学生の私、姉を思い切り避けていた。 途中、ベンチで休んだ。 母は、静かに涙を拭い出した。姉は、カロリーのある缶入りの飲み物を購入し、口に運んでいた。あり得ない。母への慰め行為か。 最悪な空気。 『☆☆も飲む?』『いらない』 やっぱり聞かれた。 精神的に疲れる。全然楽しくない。

  • ホラー体験

    姉が入院している時、用があって、姉の部屋に入った。 オーディオ機器から、歌声が聴こえてきた。姉の好きな歌手の歌声だ。 怖くなり、部屋を出て、母に『何か聴こえる!』と訴えた。 母と再度部屋へ戻ると、何も聴こえなくなっていた。 これは幻聴なのか…?思い過ごしなのか…?心霊現象なのか…? あの頃、姉の部屋は異様な雰囲気を漂わせていた。

  • 手にタコ

    会社の先輩の手に、吐きダコのようなものがあるのに気が付いたことがある。もしかしたら吐きダコではないかもしれなくて、聞けなかった。 思い切って聞いていて、もし吐きダコだったら、先輩の力になれただろうか。救えたのだろうか。 会うことのない今でも、時々思い出し、心配している。余計な心配であってほしい。

  • 姉妹で摂食障害に

    姉妹のどちらかが摂食障害になると、もう片方も摂食障害になってしまうことが多い、という話を聞いた。 『だから、あなたが摂食障害にならなかったのは、それだけで、ものすごく親孝行だよ』という言葉をくださった。 心に染みた。ありがとうございます。 ん?ということは、高校時代や大学時代に太ったのはもしかしたら過食症だったのか…!?と、頭をよぎった。

  • 意味不明

    結局、どうしたいのか、どうなりたいのか、よくわからない。 でも、とにかくその瞬間ごとに負の感情を爆発させなかったことの後悔が大きい。我慢してしまったことの後悔が大きい。もー、反抗期なんだから、思春期なんだから、ブワッと弾けてよかったのになーチャンスだったじゃん! 謝って欲しいわけでもない。優しい言葉をかけて欲しいわけでもない。頑張ったねと言って欲しいわけでもない。仲良くなりたいわけでもない。普通には戻れない。 まだまだ苦しみの消化に時間がかかるだけなのかもしれない。自分との闘いは長い。でも、私はやってやる。

  • 結婚式

    姉の結婚式に我が家も出席した時のこと。 当然だが、司会者による自己紹介などで自分が拒食症だったことなど言うはずもない。当たり前だ。 流れる映像を見つめる。あー、何か美化された人生だなーみんな表の顔しか知らないよなー出席してるほとんどの親戚も知らないんだもんなー 結婚式だから幸福感と感動に包まれていていいのだ。不幸になれ、とは全く思っていない。だけど、何か違う。私は勝手に、何かわからないけど期待してしまっている。 この日を境に私は自分の苦しみとしっかり決別しようと決意する。

  • 親戚に会うと

    拒食症ピークの間は、祖父母以外の親戚に会うのを避けていた。姉の希望により。そして、ほとんどの親戚は姉が摂食障害であることを知らない。たぶん。 拒食症のピークを過ぎた頃から、親戚に会うようになった。 何事もなかったかのように会話する姉。本当に気分が悪い。 私はというと、父方の叔母に私の死んだ顔を指摘された。覚えている。というか、正しくは、指摘されかけ口をつぐまれた。 よほど酷い顔つきをしていたのだろう。

  • これでいいの?

    思春期・青春時代に拒食症になった姉、疲れ切っている母を見て、将来、自分に娘ができてこうなったらどうしよう、こんな親になってしまったらどうしよう、という起こってもいない不安を抱えることがあった。起きてもいないのに、無駄だ。 姉だけのために毎日を捧げる母を見るのが辛かった。姉に縛られたような人生でいいの?と、感じていた。 自分のために時間を使い、楽しく生きている姿を見せて欲しかった。 そういえば、母に卒業式で渡す予定だったが捨てた手紙に、“お母さんも何か楽しんだら?”と書いた記憶がある。これだけはマシな一文だったな。

  • 何が食べたい

    食事のメニューは、拒食症の姉が希望するものや、拒食症の姉が食べやすいものばかりになった。 揚げ物などの重い感じのメニューは極端に減っていた。姉が衣を剥がしていた記憶が蘇る。私は脂身が食べられないから皿に残していると、睨みつけられたっけ。 私は、自分の食べたいものが何なのか、わからなくなっていた。

  • 過剰な運動

    拒食症の人は、過剰に動く。姉も例外ではない。 外出すれば階段を歩き、遠くまで自転車をこぎ、自宅でもストレッチや運動を欠かさない。風呂は長風呂。 これらの行動も、視界に入るだけでじわじわストレスが溜まっていく。

  • サイン

    今思い返せば、私も精神的に限界なことや、助けて欲しいという意味につながるサインをいくつも出していたとわかる。 姉と一緒になる食卓では、あからさまに姉から距離をとっていた。 椅子を思い切り離した。私の分の茶碗やお皿を囲うようにできる限り自分に寄せた。 癖のようになってしまって見過ごされたのか。

  • 変な食べ方

    自宅で食事をする時、おかずを小分けにしてわざわざ海苔を巻きながら食べていた。 ローカロリーで食物繊維の豊富な食材でくるめば、吸収されにくく、排出されやすいだろう、という考えだろう。 毎日、そういう食べ方が視界に入る。 じわじわストレスが蓄積される。

  • 残せない

    拒食症ピークの時の朝食だったと思う。私は何かのおかずを食べられず、残そうとした。それを見た姉は『☆☆が食べないから食べない』と言い放った。父も母も、そこにいた。それで、自分はどうしたか覚えていない。その後、どうなったのかも覚えていない。でも、何となくだけど、その場は混乱に包まれた気がする。 姉の口から、私を食事の基準にしていることをはっきりと聞いたのはこれが初めてだった。

  • わからない

    姉の拒食症ピークの時、家庭崩壊しかけていた。いや、していたのかな。傍から見れないので、そこのところがわからない。 父と二人で車に乗る時、『☆☆、お父さんはどうしたらいいんだ…』と一度だけ言われた。 答えようがない。わかってたら、苦労しない!!!子どもにそんなこと言うなー!

  • 父のせい

    姉の病気が発覚してから、 『お父さんが太っているから私も太っているんだ!』 と言っているのを聞いた。 何か色々なことを父のせいにしていた時期があった。 拒食症のピークを脱してから、イベントか何かで姉が姓名判断をして帰宅した時。 あまりよくないことを言われたらしく、すごい勢いで親に文句を言っていた。 親が気の毒だ。

  • バラエティ番組や記事で

    バラエティ番組や何かの記事などで、摂食障害について取り上げられることがある。 摂食障害になった人がどうして病気になり、どのように克服していったのか、というのがメインだ。 だいたいは親や友達、恋人の支えによって治っている。 モヤモヤする。

  • ドラマ

    私が中学生か高校生の時、母とドラマを観ていた。何のドラマだったかは、忘れた。 その回は、主要な登場人物が摂食障害になって、あっという間に回復するエピソードとなっていた。 母は、『全然、摂食障害のことをわかっていない!』と怒っていた。私は、“あなたは、私の辛さを全然わかってないよ”と心の中でツッコんだ。

  • 常に私にイラつく姉

    姉が拒食症になる前から、姉のことは嫌いだった。 私に私の悪口を言ったり、私を小馬鹿にしてきたり、姉はそうやってストレスを発散していた気がする。 その延長で、拒食症になったので、もっと嫌いになった。 常に私にイライラしていた。 そんな中で、私に優しい口調で話しかける時があった。何を食べたか確認する時と、私に食べさせようとする時だった。 気持ち悪い。

  • 新幹線

    高校生の時、母と新幹線に乗ることがあった。 『どうしてお姉ちゃんと仲良くできないの?』『お姉ちゃんのことが嫌いなの?』と、問い詰められ、すぐに涙が溢れた。 適当に首を振りながら、ボソボソと言い訳めいたことを呟いた気がするが、嗚咽で話すことは不可能に。 完全に嘘をついた。嫌いだ。

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