趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、 後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合お知らせください。
昭和を代表する歌手・美空ひばりは、ほぼ昭和とともに 生涯を終えて いる(平成元年6月没)。 52年の生涯に吹き込んだレコードは1500 余曲。 うち、オリジナル曲は517曲だった。 日本コロムビアの最新の 出荷枚数の集計によると、 シングル・ベスト5は ①「川の流れのように...
カラオケの定番としておなじみ、1992年に大ヒットした 「部屋とYシャツと私」の平松愛理さん。 人生を変えた一曲はGARO(ガロ)の「学生街の喫茶店」だ。 72年に発売され、ミリオンセラーになった、あの独特の イントロと歌の美しいメロディー。 そのギャップに魅了され、今でも...
※注意 掲載されている情報には危険なものも含まれています。 閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに 責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。 不快感がある方は、読むのを中断してください。・・・ 私が子供の頃、中学1年生ぐらいの時だったと思います。 ...
生後2か月で「視線がおかしい」 凌雅君はお姉ちゃんに続く待望の男の子でした。 その凌雅君に生後2か月ごろから異変が起きました。 健診を受けた際に、視線がおかしいと、 医師に指摘されたのです。 また授乳の時には、頭をのけぞらせてしまいます。 飲みながらヒューヒューとのどか...
「最近、よく眠れなくて、頭痛がひどいんです」 と、H子さんは語り始めた。 近くの内科で「自律神経失調症」の診断を受け、 心療内科に紹介されてきたのだ。 年齢は52歳。症状は、睡眠障害と頭痛。 食思不振や下痢などの症状もあるというが、 血液検査では異常なし。エコーや内...
桜の便りと共に、この時期が来ると、必ず思い出す“1通の手紙” があります。 ある学生から私宛に届いた、卒業にまつわる手紙を紹介します。 学生の名はオリエさんといいます。私がまだ大学で講義をして いた頃のことです・・・、 あれから月日は流れたものの、この手紙を受け取ったの...
「お父さんが意識を失いました」 「お父さんが看護師を殴ってしまいました」 父が形成外科でおでこの皮膚移植手術を受けた後、 毎日のように入院先の病院から電話がかかってきたり、 看護師さんから注意があったりと、気の休まる時がなかった。 病院からかかってくる電話にろくなこ...
井深 大が考えたこと第2回 後年、ソニーは「商品開発でこそ先行するが、市場自体は 後発の大企業に席巻されてしまう"モルモット"だ」と 揶揄される。 そうした世評に対する井深の答えは・・・。 井深は、それまで真空管を使っていたラジオを全てトランジスタ に変えてしまうことを考え...
むかしむかし、スズメとカラスが林に行って、楢(なら)の木に 一夜の宿を頼みました。 すると楢の木は、 「ふん。お前たちみたいなやつに、宿なんか貸せんわ」 と、断ったのです。 するとそこへ神さまがやって来て、楢の木に言いました。 「これこれ。へる物でもないし、一宿ぐらい貸して...
むかしむかし、江戸の神田に一人の大工がいました。 女房が死んで、とてもさびしかった大工は、一匹の三毛ネコ を可愛がっていました。 大工は毎朝、ネコのごはんを用意してから仕事に出かけます。 そして夕方に仕事が終わると、ネコの大好きな魚をお土産に 買って帰ります。 ...
《運命を決めたジャニー喜多川さんとの出会いは 高校1年生のときだった》 高校に入学して間もない頃、昭和46年ですね。 おやじが国鉄(当時)に勤務していた関係で住んでいた 東京・大井町の同じ官舎でご近所のおばさんが、 おふくろから僕の写真を借り、内緒で映画のオーディション...
私はこの不安を経験したことがある 中国で発生した新型コロナウイルスのことが最初にニュースに なったのは、昨年の12月末ごろになる。今、大変な騒ぎに なっており、世界中を不安が支配している。 外出自粛要請が出て、週末のお店は閑散としていて、 人が集まるべきところに人がいない。...
私たちは西宮市内の喫茶店で、吉田利康さん(71) と恵子さん(57)の話を聞いている。 「人って出会いがあって、別れがあって。・・・ 『先に死んだ方が楽やなあ』って思ったりしてね。 残された者はずっと生きますから」 利康さんの言葉に恵子さんがうなずく。夫妻は「命」をテー...
風が吹けば、どうなるか。桶屋が儲かる。 ご存知の通り、桶屋が儲かるのである。 一見して意味がわからんのに、皆わかってんのが、 すごい。ところで「風が吹けば桶屋が儲かる」は、 十返舎一九が書いた東海道中膝栗毛という作品で 書かれた話だ。 東海道中膝栗毛は作り話だけど。 元にな...
「なんかやったな!」キッチンで妻が叫んでいる。 言われてみると、家じゅうにいい匂いが漂っている。 これはシャンプーかボディーソープだろう。 匂いのする液体があると、洗面所に全部、 流してしまうという行為に洋介がハマってしまったのは、 この5年ほどだろうか。 シャンプー類なら...
校長先生が小学校6年生の時のお話です。 冬を迎えた11月の末、学級はざわついていました。 原因は私でした。 以前、この学校に勤めていた先生方の計らいで、 内陸の学校と県南の学校、そして海に近い私の学校の 3校で年に一回、一泊二日で児童会交流をしていたのです。 代表は5年生か...
「娘さんかなり疲れておられるようだし…。 要介護5のお父さんと、要介護4のお母さんを これ以上独りで看るのは無理ですよ。 この5年半、交代する人がなくて、娘さん1日も休んでいないんでしょ。 どちらか1人でも施設に入ってあげないと、このままでは 娘さんのほうが倒れてしまいます...
西日本の児童相談所(児相)に、一時保護されていた 4歳と2歳の兄弟を両親が2カ月ぶりに迎えに来た。 「また子供と過ごせる」と涙を流し、わが子を抱こうとする母親。 だが、弟の陽太(ひなた)ちゃん(仮名)は逃れるようにじたばた と暴れた。「本当に帰して大丈夫なのか」。 保護した...
違法な性風俗店が各フロアに並び、「風俗ビル」と呼ばれていた 大阪府枚方市の「ジャンボ枚方ビル」。 昨秋から1年かけて大阪府警が風営法違反容疑で順次店舗 を摘発し、 一掃することに成功した。 さらに11月にはビルのオーナーの男を同法違反幇助(ほうじょ) の疑いで送検。徹底した...
ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね 大きくなった このぼくを 背負って歩く 悲しさも 「かたわな子だね」とふ...
希少疾患の子を抱え日々の暮らしを営む困難 北九州市(きたきゅうしゅうし)在住の梅本千鶴(うめもとちづる) さんが、「魚鱗癬(ぎょりんせん)」の子・遼(りょう)さん を出産したのは1995年。 その育児を通じ、同じ病気や症状、障害を持つ患者や家族 が互いに支え合う場が必要...
赤とんぼのようだが赤とんぼではない それは、帰り道のない旅立ちである。 そのトンボは精霊(しょうりょう)とんぼと呼ばれている。 お盆の頃になると、精霊とんぼは日本各地で群れて飛ぶの が目立つようになる。そのため、祖先の霊を乗せて帰って くると言われているのである。 精霊トン...
アングラ小説です、不快感がある方は、読むのを中断して下さい メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、良いかな・・・ 紀元前104年、長安の遊民であった李広利は突如大宛攻略 の命を皇帝から受けた。大宛とは西域の果てにある未知の国。 そこに たどり着くまでには天まで届く山脈...
アングラ小説です、不快感がある方は、読むのを中断して下さい メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、良いかな・・・ 紀元前104年、長安の遊民であった李広利は突如大宛攻略 の命を皇帝から受けた。大宛とは西域の果てにある未知の国。 そこに たどり着くまでには天まで届く山脈...
福島さんは3歳で右目を、9歳で左目を失明、全盲となった。 生来が楽天的、と本人はおっしゃるが、視力を失っても 音の世界がある、耳を使えば外の世界と繋がることができる と考え、実際、音楽やスポーツや落語に夢中になっていた、 という。 だが、さらなる過酷な試練が全盲の少年を襲う...
沢田研二の代表曲「勝手にしやがれ」は、阿久悠の 傑作だと思うが、本人の評価はそこまででは なかったようだ。 生涯で5000曲以上を作詞した阿久悠が 「自分の作品で好きなもの」の第1位にあげたのは、 同じ大野克夫とのコンビで生み出したジュリーの 「時の過ぎゆくままに」なの...
《蛇足》 島崎藤村の第一詩集『若菜集』所収の詩に 若松甲が曲をつけたもの。 曲は昭和38年(1963)に小林旭の唄で発表され、 8年後の昭和46年(1971)に舟木一夫によってカバー されました。 ほかにも、初恋を歌った曲では三木露風の 『ふるさとの』(斎藤佳三作曲)と藤...
私と娘は、夫の正妻にとって幽霊に等しい存在だった。 病院のベッドに横たわる夫をはさみ、妻と向き合った時、 押し込めていた思いが堰を切ったようにあふれ出た 心不全で倒れた夫 それはこれから起きるかもしれない地震への不安に 似ているのではないだろうか。いつか来る、と思い ながら...
障害児を生んでごめんね」 彩香ちゃんは国立千葉病院で帝王切開によって生まれました。 出生直後、母親は赤ちゃんの顔を見て、「ん? なんだろう?」 と思いました。 それは赤ちゃんの顔つきがちょっと独特だったからです。 この時、母親は33歳でした。だから、障害児が生まれて...
15歳の時に親父が畑や山に通うのに使うスーパーカブ を無免で持ち出し、親父に顔の形が変わるほど ぶん殴られて以来のバイク好きだった。 カブから始まり、モンキー、FX、CBX、CB750、Ninja 750と乗っていた。 結婚して子供が二人でき、それからは苦しいながらも 家族...
多摩丘陵の自然に恵まれた、川崎市麻生区の小高い山の上に、 「風の谷幼稚園」はあります。 園児約160名のこの小さな幼稚園は、20年前、園長の 天野優子先生が、たった一人でゼロから作り上げました。 当時、天野先生は48歳。長年幼児教育に携わる中で、 子どもの育ちや、親の意...
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