「100日後に死ぬワニ」がついに終わってしまった。自分もいつ死ぬかわからないな、と考えたのも束の間、いつ遺族になるのかもわからなかった…と思った。仕事帰り、乗り換えのために降りた新宿駅で珍しく母親から着信が入っていることに気がついた。私が大学進学と同時に上京
クレープのお店を見ると、”おいしそう”と思うと同時に、いつも思い出す光景がある。私が小学4年、妹は1年の頃だったか…。母方の祖母がお祭りに連れていってくれたときのこと。その当時、クレープの露店はめずらしくて早速私と妹はそれぞれ注文して食べ歩きを始めた。少し
妹も次第に言葉を覚えるようになり、「おねえちゃん、おねえちゃん」と声をかけてくるようになった。ある日、私がピアノを弾くのを母がテープに録音していた。弾き終えた後、テープに残り時間が少しあったようで、”妹と2人で好きに話していいよ”とラジカセを向けられた。私
幼少の頃、母親が仕事に行ってしまうのが嫌で玄関先で泣いていたことを覚えている。日中は祖母が面倒をみてくれ、夕方に母が帰ってきてから寝るまでの時間が私にとって大切なものだった。私が4歳のときに妹が産まれたのだが、当初は祖父母、両親、叔父と所狭しと食卓を囲
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