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2019/10/03

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  • 小さき花-第8章~9

    1894年7月29日、父は種々の苦しみ試しに遭い、完徳に達して後遂に主に呼び招かれました。その死ぬる前の二年の間中風が全身に及びましたが、その間叔父はこの難病に罹った老人を、手厚く介抱してくれました。病気のために痩せ衰えた父は、その病中ただ一度修院の客室に来られて私に会われましたが、この時は実に何とも言えない悲しい面会でした。別れに臨んだ時私は父に「さようなら……」と申しますと、父は静かに眼を天に向け指で天を示し、自分の思いを言い表そうとして涙にむせびながら、ただ一言「天国に於いて……」と。父は美しい天国に入られてから後、彼の慰めであったセリナが世間に繋いであった縁が切れてしまいました。しかし……天使たちはこの世界に残るためではなく、その使命を果たすと直ぐに天主様の法に帰るので、このために皆羽翼が付いてい...小さき花-第8章~9

  • 小さき花-第8章~8

    私の希望についての話しに移りましたから、ついでに聖主が遂げさせてくださった今一つの変わった望みの事を申し上げましょう。この望みはちょうどかの着衣式の時に、雪を望んだような子供らしい望みであります。母様、綿日は花をいかほどに深く好むかという事をよくご存じで御座いましょう。私は15歳の時この修院の囲いの中に入ることを以って事後いつまでも春の宝ともいうべき、花に満ちている郊外をさまよう愉快を味わう事を犠牲としておりましたが、この「カルメル会修院」に入ってから後は、却って今までよりも多くの花を眺めることが出来ました。この世間の人々の中にその許嫁の男は許嫁の女に美しき花束を送る慣例があります。イエズス様はこれをもお忘れなく、私に立派な花束を与えてくださいました……。私は祭壇に飾るためにとか、菊とか、美人草など最も私...小さき花-第8章~8

  • 「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 翻訳ソフトを使った試訳ー神秘的なバラの木: 敬虔な魂たちへ

    神秘的なバラの木:敬虔な魂たちへ聖霊の光の中を歩む、善良で敬虔な魂たちよ。この小さな神秘的なバラの木は、天からまっすぐ届き、あなたの魂の庭に植えられるものである。それは天の木であり、その香りは美しいので、あなたの瞑想の甘い香りの花々を傷つけることはあり得ません。なぜなら、それは天の木であり、その香りは美しいからです。それは、あなたが慎重に計画した花壇の邪魔をすることは少しもありません。もしそれが注意深く水をやり、毎日きちんと世話をするならば、それは驚くべき高さに成長し、その枝は広い範囲を持つようになり、あなたの他の献身を妨げるどころか、それらを維持し完璧にすることでしょう。この神秘のバラの木は、生と死と永遠におけるイエズスとマリアであり、その緑の葉は喜びの秘義、とげは悲しみの秘義、花はイエズスとマリアの栄...「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール翻訳ソフトを使った試訳ー神秘的なバラの木:敬虔な魂たちへ

  • 「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 翻訳ソフトを使った試訳ー赤いバラ

    赤い薔薇:罪人のために罪人である哀れな男女よ、あなたよりもっと罪深い私が、このバラを贈りたい---主の尊い血潮が降り注いだので、深紅のバラである。どうかこのバラがあなた方の人生に真の香りをもたらすように---そして何よりも、あなた方が今置かれている危機から救われますように。毎日、不信仰な者、悔い改めない罪人たちが叫んでいます。"バラの冠をかぶろう"と。しかし、私たちの叫びはこうであるべきです。"至聖なるロザリオのバラで自分を飾ろう"と。彼らのバラと私たちのバラはどれほど違うことでしょう。彼らのバラは、肉の快楽、この世の栄誉、過ぎ行く富であり、あっという間にしぼんで朽ち果ててしまいます。それとは反対に、罪人のバラはバラのように見えるだけで、実は残酷なとげであり、生前は良心の痛みを与えて刺し、死後は苦い後悔で...「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール翻訳ソフトを使った試訳ー赤いバラ

  • 「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 翻訳ソフトを使った試訳ー白いバラ

    白い薔薇:司祭のために親愛なるいと高き方のミニスターたち、神の真理を宣べ伝え、すべての国民に福音を教える私の仲間の司祭たちよ、私はこの小さな本を白いバラとしてあなたがたに贈り、持っていてほしいと思うのです。この本に書かれている真理は、ご覧のように非常にシンプルでわかりやすく書かれています。そして、あなたが常にロザリオを説教し、この聖なる献身の素晴らしさを教えて人々を改心させることができるように、あなたの唇にも常にこの真理を忍ばせておいてください。私は皆さんに、ロザリオを取るに足らないものと考えることのないようにお願いします---無知な人々や、偉大だが高慢な学者たちでさえそうなのですから。ロザリオは重要でないどころか、神の霊感を受けた貴重な宝物なのです。全能の神は、最も硬直した罪人や最も頑迷な異端者を改心さ...「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール翻訳ソフトを使った試訳ー白いバラ

  • 「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 翻訳ソフトを使った試訳ー前書き

    原文はだぶん仏文ですが、英語訳からの翻訳ソフトを使った試訳です。前書き聖ルイ・ド・モンフォールとロザリオについては、すでに多くの伝記作家が語っていますが、この『ロザリオの秘密』の最初の英語版では、モンフォールが自分自身のために語っているのを聴くことができます。ロザリオがキリスト教生活の真の学校であるというメッセージを、彼自身の経験や他の人々の経験をもとに、「単純明快に」読者に伝えようとしているのである。ロザリオとは、イエスとマリアの生と死と栄光に関する秘義を黙想することであり、それぞれの秘義の中で私たちの考察の対象とされている彼らの美徳を称えるだけでなく、特にそれに倣うことを目的としていると、彼は考えているのです。聖人にとってロザリオは単なる祈りの方法ではなく、彼の使徒的活動における最も効果的な道具であり...「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール翻訳ソフトを使った試訳ー前書き

  • 小さき花-第8章~7

    母様、私は天主様に対して、有難く感謝せねばならぬ理由はいくらでもあります。今一つの秘密をありのままに申し上げましょう。主はソロモン王に対して与えられた慈愛を、同じく私にも与えてくださいました。私の希望が全てみな思う通りに果たさせてくださいました。それがただ完徳の望みばかりでなく、前もって無益であると悟っていた望みまでも遂げさせてくださったのであります。私は姉イエズスのアグネスを理想的の模範として、何事も彼女に真似たいと望んでおりました。かつて彼女が美しい絵を描き、詩を作るのを見て、私もこのように絵を描き市を作って自分の思念を表し、周囲にいる人々に利益ある感想を与えることが出来るようになれば、なんて愉快な事でしょう……と思っていました。しかしまた一面にはこのような世間的のたまものを願いたくありませんでしたか...小さき花-第8章~7

  • 小さき花-第8章~6

    また喜んでおりましたのは、祭式用の聖き器具を取り扱う事と、ミサに用いる衣巾を整理する事とを許された事であります。綿日はこういう任務を尽くしには至って厚い信仰を持って居らねばならないと悟り、預言者イザヤの仰せられた「主の器具に触る者等よ、完かれ……(イザヤ書52ノ11)」という言葉を度々思い出しておりました。母様、私はこの時とそして平素の聖体拝領後の感謝について何を申し上げましょうか。私はその時ほど慰めを得ない時がありません。これは当然の事でありましょう。私は自分の楽しみ愉快を得たいために聖体を拝領するのでなく、唯一の目的は聖主のお気に召し、イエズス様を喜ばし楽しめ奉るためでありますから、私は自分の霊魂が、少しも妨げもない、滑らかな土地の如くに考えます。それで聖母マリアにお願いして壊れ物の如き全ての欠点を取...小さき花-第8章~6

  • 小さき花-第8章~5

    私は夢についてはあまり懸念しません。もとより私には何かの預言的のような夢が稀であります。私は朝から晩までただ天主様の事ばかりを思うのに、なぜ睡眠の間にもっと多くのこの御方に心が惹かれないのであろうかと思う事もあります。私の夢は大抵森とか川とか花とか海とか、特にまた美しい子供たちやまだ見たことのない蝶と鳥などを捕らえるという皆詩的のような夢でありまして中々神秘的や比喩的の夢ではありません。ところがこのゲノワ童貞が亡くなられた後のある夜、慰めの夢を見ました。それはこの童貞が私等各々に自分の所持品を遺品として与えておられましたが、私の順番に当たる時にはもはや彼女の手に一品もありませんでしたから、私は到底何物をも頂く事が出来ないと思っておりました。すると彼女は愛情深い眼で私を眺めながら「そなたには私の心を遺す」と...小さき花-第8章~5

  • 小さき花-第8章~4

    ああ、私はこの慰めの言葉を聴いてどれほど幸いであったでしょうか。私は今までかくのごとく天主様を悲しませないところの過失というものがあるということを聞いたことがありませんでしたから司祭のこの断言は私に大いなる喜びを与え、この世の島流しに耐える力を与えられました。もとよりこれは私の心の底からの思いの響きであったのであります。私は長く前から聖主は母親よりも愛の深い御方であるという事を深く信じておりました。私はこの母親たる者の心の底まで、よく知っております。彼は自分の子供が何気なく犯した過失をも、いつも赦す覚悟でいるという事を幾たびとなく幸いに経験致しました。私は母の一つの愛撫を受ける方がいかなる厳しい咎めに遇うよりもはるかに心が動きます。私は恐怖の方が私を後ずさりする性質でありまして、愛を以って進むばかりでなく...小さき花-第8章~4

  • 小さき花-第8章~3

    私はちょうどこの聖母マリアのご誕生日、聖主の配偶者となるには、如何にも適当した立派な祝日ではありませんか。生まれたての「小さき」聖母マリア様は、ご自分の「小さき花」テレジアを「幼き」イエズス様に献げた御方であります。この日は何も彼も皆「小さく」ありまして、ただ小さくなかったものは私の受けた恩寵、平和、喜悦とでした。即ちその夜空の美しい星を仰ぎ眺めながら私も「間もなく」永遠の幸いの中に於いて天配と一致する為に、天国に昇るという事を考えながら平和、喜悦、恩寵はなかなかに「小さく」ありませんでした。9月24日、被巾(ヴェール)を冠る式(真の修道女となる式)がありました。が、この祝いは涙を以って覆われました。即ち父の病気は意外にも重くなりましたので、その女王の式に与ることが出来ませず、ウゴネン司教様もまた式が始ま...小さき花-第8章~3

  • 番外編 小説 秦恒平・湖(うみ)の本 『親指のマリア』

    番外編です。秦恒平(はたこうへい)氏の小説親指のマリアhttp://hanaha-hannari.jp/home.htm湖(うみ)の本をクリックし、37~39の上・中・下の3編に分かれて公開されています。著作権は、秦恒平(はたこうへい)氏にございます。番外編小説秦恒平・湖(うみ)の本『親指のマリア』

  • 国会図書館デジタル お勧めの本

    ご存じの方は多いと思いますが、個人向けデジタル化資料送信サービスが始まっています。登録が必要になりますが、たくさんの本が読めるようになります。ただし、印刷は令和5年1月を目途に開始される予定となっていますが、詳細は不明です。PDFで提供なのかも不明現在、国会図書館デジタルで公開されている本でお勧めを書いておきます。(キリスト教関係のみ)△は読みにくく感じたもの〇は支障なくか、あまり問題なく読みやすく感じたもの(あくまで個人的なもの)*以下は個人的な注釈〇ばらの園トマス・ア・ケンピス著[他]中央出版社,1965△愛情の書ニーノ・サルヴァネスキ著[他]中央出版社,1955△苦難の書ニーノ・サルヴァネスキ著[他]中央出版社,1959△信仰の書ニーノ・サルヴァネスキ著[他]中央出版社,1959△聖マリア・ゴレッテ...国会図書館デジタルお勧めの本

  • 小さき花-第8章~2

    私が誓願を立てる少し前に、ローマから尊き教弟シメオン師が来られて特に私に与えて下さった祝福を与えられました。この祝福は私にとって、最も貴重なものでありまして、一生涯一番激しい嵐を防ぐために、確かに大いなる力があったのであります。この大切なる誓願式の日の曙の前夜常に大いに愉快に過ごされるこの夜の祈りの間、私は俄かに自分の天職がまるで夢の如く空想の如くに見えました。これは悪魔……疑いもなく悪魔の仕業であって、この「カルメル会」修道女の生活が私に少しも適当でないという事を信じさせ、私が天主様のお招きにならぬ道に進むのは、目上の人を欺くのであるという事を思わせる企てであったのであります。それでその時に私の心は修道女となるのは「天主様のお招きではないから、世間の方に帰るより外に途がない」と思う程に、真の暗闇となりま...小さき花-第8章~2

  • 小さき花-第8章~1

    第8章母様!私は誓願を立てる前の黙想会についてお話を致しましょう。この間は慰めを受けるというよりも却って見捨てられたようにこの上もない無感覚でありまして、イエズスはいつも私の小さき船(霊魂)の中に眠っておられました。ああ聖主を心の中に、静かに眠らせ参る霊魂等は至って稀であります。私はこの事をよく悟っております。この良き御主は進んで聖寵の種々の勧めをもって御慈しみを垂れ、人々の心をご自分の方に惹こうと、絶え間なく働き疲れておられるから、私が静かに主を休め参らせたい気があるのをご覧になって、甘んじて私の心の中に休み給うのであります。主は大方私が永遠の大黙想会(天国)に入るまで御眼を醒めますまい、しかし私はこれを辛いというよりも、却ってこれが為にこの上もない愉快であります。まことに私はなかなか聖女ではありません...小さき花-第8章~1

  • 小さき花-第7章~9

    イエズズ様は私に教えて下さったところに立ち戻りましょう。ある夜、修課が終わって後ランプを捜しましたが、いつも置いてあるところにありませんでした。折り悪く断じてこの時は断じて無言を守らなければならない時間でありましたので、他人に尋ねることが出来ません。その時私はこれは疑いもなく一修道女が間違えて、私のランプを持って行ったのでしょう……しかしこの為に暗闇のところに1時間も辛抱しなければならないのか?……殊にこの夜はいろいろの仕事をしたいと思っていたので、もし私の霊魂を照らしていた聖寵の光がなかったならば、私は呟いていたの相違ありませんが、幸いにも聖寵の光を受けておりましたお陰で憂いを感じるに反して却って大いに喜びました。この清貧の徳はただ気にいる事や、不必要なものが欠けているのを辛抱するのではなく、是非なけれ...小さき花-第7章~9

  • 小さき花-第7章~8

    ちょうどその頃、私はシュレン司祭の著わされた「霊的生活の基礎」と題する書物を黙想していましたが、ある日黙想中に「私が誓願を立てるという熱望の中には、大いなる慈愛心が含まれている」という事を悟りました。……即ち私はイエズスを慰め喜ばせ奉る為に、おもちゃの小さき手毬の如きものとなって、イエズズ様の持ち物となっているのであるから、私はイエズス様の聖慮に従わずにして、イエズズ様を強いて私の望みに従わせるというような事を為すべきものではない……と。また婚礼の祝いの時に許嫁になった女が、立派な服装をしなければ夫の気に入りません。私はまだ霊魂を飾るために充分に働いておりませんから、その祝いを延期するのは当然であるという事も悟りました。そこで私は聖主に向かって「主よ私は最早急いで誓願を立てたいという事を願いません。私は主...小さき花-第7章~8

  • 聖小さきテレジアの詩 今日の歌

    三木羅風修道院雑筆(大正14年)より抜粋(国会図書館デジタルより、著作権終了)聖小さきテレジアの詩今日の歌わが命は、過ぎ去る一刻である。わが命は、逃げ去る一瞬である。主よ!この地上に生きながらえて主を愛し奉るには、今日一日のみああイエズス!主を愛し、主を熱望す。我がために、甘味なる救い主として、今日わが心にあまくだり、その微笑みを与えよ、今日一日の為、主よ!「明日」は暗く閉ざさるるもよし、「明日」の為に祈ることは出来まじ、主よ!御手を以って我を覆い、我が心を清浄に保たしめよ。今日一日の為。「明日」を思わば、我が心変わり易き事を感じ、我が心に憂い悶えの生ずるのを恐る。されど主よ!割れは甘んじ喜びて、誘惑と苦難とを迎えん、今日一日の為。やがて、永遠の岸に於いて主に見えん、我が水先案内者なるイエズス!荒波に漂う...聖小さきテレジアの詩今日の歌

  • 小さき花-第7章~7

    いずれ後日天国に行ってから、この島流しの世の辛く陰気な日の事を思い、天主様の為に堪えたこの苦痛を喜んで思い起こすでありましょう。父の殉教(病苦)は三年も長く続きました。しかしこの三年は私にとって最も利益になる最も大切な年であったと思います。その苦しみの三年間はいかに優れた慰さめよりなお貴重でありました。そして私はこの時に受けた心の苦痛を耐えた功績……即ちこの上もない価値のある彼の宝を思いますと、感謝に堪えずしてこう叫びます「主よ祝せられ給え……苦しみの中に過ごした彼の恩恵豊かな年の為に大いに感謝いたします」と。親愛なる母様、私等はその苦しい境遇の中でも絶えず私等の心が愛と感謝の念とに満たされておりましたからこの苦き十字架は如何にも貴重で、如何にも甘味でありました。そのときに私等は完徳の道に歩むばかりでなく...小さき花-第7章~7

  • 小さき花-第7章~6

    人々もみなこのような天候に雪の降ったことを不思議に思っておりました。そしてその時から人々は私のかねてからの望みを知って、雪を好むのは妙であると思いながら、この事を私の着衣式の小さき奇蹟であると申して、その後度々互いにこのことについて話しておりました。とにかくこのことが知れたのは結構であります。即ちこの奇蹟が、童貞の天拝というべき聖主……雪の如く白い百合(清浄潔白の霊魂)を愛せられるところの聖主の、いうに言われぬ慈しみぶかき事をも一層明瞭に表すのであります。式が終ってから後、司教様は私にいろいろと肉親のように親切にしてくださいました。司教様は側に居られた多数の司祭方の面前で、私が修院に入ることについて願った事や、ローマに旅行した時の事や、垂髪を結んだ事までも、お忘れなく話されて後、御手を私の頭にあてて種々と...小さき花-第7章~6

  • 小さき花-第7章~5

    この忠実な僕の徳行に相応しい報いが無かればなりません。父自らこの酬いを願っておりました。母様はまだご存じでございましょう。ある日父はこの修院の応接室に来られて私等に「私はアランソン市から帰ってきた、この市の「姫君の大天主堂」の中で非常に大いなる恩寵と慰めを得たのでこういう祈禱をした「主よ、私は慰めに満ち溢れて感謝に堪えません。実に私はあまりに幸福者であります。私はこのままで天国に行くことが何か済まないような気が致しますから、主の為に何かの苦しみに遭いとうございます。それで私の身を主に……」と申されました。、が……犠牲として捧げます……という終わりの言葉を私等に知られぬ様に口籠りましたが、私等は直ぐにその意味であるという事を悟りました。母様、あなたはその時の私等の悲痛をよく知っておられましょう。私は胸も張り...小さき花-第7章~5

  • 小さき花-第7章~4

    ここに母様、父の徳行について一つの例証を申し上げましょう。私等がローマを参拝した時、昼夜長く汽車に乗っておりましたので、人々の多くは退屈しのぎにカルタ遊びをしておりましたが、この遊びについてしばしば議論が起こっておりました。ある日これを弄ぶ者の一人が私等にともに遊ぶことを勧めましたが、私等はその遊び方を知りませんからこれを謝絶しました。実際に私等は彼らと違って記者の中では退屈を感じないばかりかかえって沿線の立派な光景を眺める時間さえも足りなかったのであります。私等が断ったために彼らは不満足を顕わしたので父は落ち着いて「ローマに参拝する為であるから、少し余計に祈禱をすればよい」というような意味で、穏やかに私等を弁護しました。彼らの中の一人は白髪に対して尊敬すべき事も忘れて、すぐに「幸いにファリゼオ人は少ない...小さき花-第7章~4

  • 小さき花-第7章~3

    これは真にもっともな事であります。然るこの打ち明けにくいという事は、私の霊魂が淡泊なためであったにしても全く一つの試しであった今日はなお一層淡泊になったにもかかわらずすべての思想をも至って容易に打ち明ける事が出来たのであります。先にイエズスは私の教導者であったという事を申し上げましたピシヨン神父は私の霊魂の教導に任せられると間もなくイギリス領カナダの方に遣わされましたので、私はわずかに毎年一度しかお手紙を受けておりませんでした。このカルメル会に移植させられた「小さき花」は教導者ともいうべき聖主イエズス様を仰ぐようになりました、そしてうるわす露としてイエズス様の御涙と御血を受け、輝く太陽としてイエズス様の尊き面影を受けて十字架の陰で花を咲かせておりました。私は今までこの尊き面影の中に、隠れた宝の深さを十分に...小さき花-第7章~3

  • 小さき花-第7章~2

    私は唯今述べたようなことばかりではなくこの修院に入るや否やなおこれよりも苦い試しが、しばしば手を広げて私を迎えましたが、私はその都度愛を以ってこれを歓び迎えました、私は誓願を立てる前に公に知らせた如く、私が此の修院に入りましたのは霊魂を救うため、また殊に司祭方のために祈る目的でありました、目的を達する為にはこれを達する方法を採らねばなりません。イエズスは十字架を以って霊魂を救う恩寵を与えるという事を諭してくださったのでありますから、私は種々の十字架にある度毎に、倍々苦しみを愛するという心が強くなったのであります。そして私は五年間の間この十字架の道を歩みましたがしかしこの苦しい道を歩んでいるという事を隠して誰も知りませんでした。ちょうど私がイエズス様に捧げたいと望むところの隠れたる花は、このように人に知られ...小さき花-第7章~2

  • 小さき花-第7章~1

    1888年4月9日月曜日は、私が「カルメル会修院」に入るために決められた日でありまして、この日はちょうど四旬節の為に延期された。聖母のお付けの祝日でありました、その前日訣別の為にみな自宅に集まりましたが、これは家族らの最後の集会で有りました、こういうような訣別は如何にも胸が張り裂け利用なものであります、出来るだけ人々が自分に気をつけないようにと望んでいるのに、却って人々が一層の親切を以って愛を表されるので、なおさら訣別の悲しみが増してきます。翌朝幼年の時から愉快な月日を送っていたこの家の最後の見納めとして振り返り振り返りつつ「カルメル会修院」に向かって進みました。前日の如く親族一同と共にミサ聖祭に与りました聖体拝領の後、即ちイエズスは彼ら親族の心の中に降臨せられてから、彼らは皆涙にむせびました、私はその時...小さき花-第7章~1

  • 小さき花-第6章~11

    リジューに帰ってから後、一番先にカルメル会修道院を訪問しました。この時の訪問はどういう事であったか、母様あなたはまだ覚えておられるでありましょう、私は最早すべての工夫を尽くした後で有りましたから、万事あなたの思し召しにまかせました、その時あなたは私に、「司教様に、あなたが約束したことを思い出させるため、今一度手紙を出しなさい」と仰せられましたので私は直ぐにその通りにしました。そして手紙を郵便に出して後は、すぐにも修道院の方に飛んでゆく事が出来ると思って、毎日首を長くしてその返事を待ちかけておりましたが、一向に返事がなくそのうちに遂にご誕生の喜ばしい祝日が過ぎたのであります。御主はまだ眠って居られ、ご自分の手毬の事を気に懸けられずそのままに地に置かれています。その時の試し!苦しみ!は実に辛い事でありました、...小さき花-第6章~11

  • 小さき花-第6章~10

    かく憂い悲しみに沈んでおりましても、参りました聖き所については多大の興味を覚えております、幸いにもフロランスに於いて、カルメル会修道女等に取り巻かれているバジーの聖女マグダレナの遺物を見ることが出来ました。参拝者は各々のコンタツをこの遺物に触れようとしましたが、この格子の中に手を入れることが出来るのは、ただ私の小さい手だけでありましたので私は人々に頼まれてコンタツをこの遺物に触れる役をしました、これが長く続きましたが私は喜んでその務めを尽くしました。私はこういう特別の取り扱いを得たのは今度初めてではありません、ローマに於いても、エルサレムの聖十字架の天主堂の中に聖き十字架の木片や、茨の冠の二つの茨や、御血の染まった一つの釘がありましたので、私は緩々とこれを拝見するために一番後まで残っておりました、その時こ...小さき花-第6章~10

  • 小さき花-第6章~9

    ナーブルに行ったときに聖マルチノ修道院で愉快な散歩をしました、この修道院は少し小高い丘の上に建てられてあるので、このナーブル市の全景が見えます、帰途馬車の馬が暴れたので真に危ないことでしたが、無事に立派な宿屋に着くことが出来たのは、全く我らの守護の天使のご加護であったのでありましょう、いま立派な宿屋と申したのは少しも褒め過ぎた言葉ではありません、実はこの旅行中いつも贅沢を極めた宿屋に泊まりました、今までこういう派手な建物を見た事がありませんでした、真に栄誉や財産は真の幸福を与えるのではないという事を経験しました、私はこの時にこういう栄華な境遇に居りましても、蝋石の階段、絹の敷物の中におりましても、心の中に悲しみ愁いがありました、もしこれがカルメル会に入る許可を得ているならば、藁ぶきの家に居ったにせよ逸走降...小さき花-第6章~9

  • 小さき花-第6章~8

    私の試みは烈しく大になりました、しかし天主様のお招きに応じて行くために私の力の及ぶだけの事を致したのでありますから、涙を流している時でも心の中に大いなる平和を感じておりました、この平和安心は心の奥底に潜み、苦い悲しみは充ちております。そしてちょうどイエズスは居られないように黙っておられました、御容姿を示される何の徴候もありませんでした。この日にも太陽が光をあえて見せませんでした、イタリアの美しい蒼空は暗雲に閉ざされて私と共に泣くように大雨が降りました、私は許可を得ようと思った目的が外れましたので、もはやこの旅行は私にとって何の愉快もありません、しかるに教皇陛下の最後の御言葉は一つの預言の如くに私に慰めを与えるはずでありまして、種々の妨げが集まって来たにも拘らず、私の身の上は「天主様の聖慮」通りになりました...小さき花-第6章~8

  • 「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール

    St.LouisMariedeMontfort-TheSecretoftheRosary.pdfで検索すると英文ですが見つけ出しダウンロードすることが出来ます。これによると49のバラ154までとなっています。原文はフランス語?日本語訳は28のバラ91まで邦訳を出されておられる御方がいらっしゃいます。国会図書館サーチでは見つかりません。「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール

  • 小さき花-第6章~7

    こうして6日の間このローマの尊く珍しい主なる不思議を遊覧いたしました。そして7日目に一番尊く珍しい不思議なものを見ました。即ちこれは時の教皇レオ13世陛下であります。私はこの日を待ち望んでおりましたが、また一面に畏れを抱いておりました、この日に於いて私の運命が決まるのでありまして、未だ司教様から何の知らせもありませんでしたから、是非とも教皇陛下の御許可を願うより外に途がなく、これが私にとって唯一の手綱であります。ああ私は数人の枢機官を始め大勢の大司教や司教様の面前で、思い切って教皇陛下に嘆願せねばならないのでありました、かかる重いだけでも私の心を戦慄させました。私等がバチカン宮殿内にある教皇陛下の聖堂に入りましたのは、11月20日の日曜日の朝でありました。8時に教皇陛下のミサ聖祭に与りましたが、このミサの...小さき花-第6章~7

  • 小さき花-第6章~6

    聖書の中に「マリア・マグダレナは常にイエズス様のお墓の傍を離れず、中を見るためにしばしば身を屈めていたところが、ついに2位の天使を見ることが出来た」という事が記されてあります。それで私も彼女の如く絶えず身を屈めながら降り口を覗いておりますと、天使を見ませんでしたが、幸いにも捜していた降り口を見出しました、そこで私はついておいでなさい、通ることが出来ます」と喜び叫びつつ、姉と共に急ぎ走って崩れた後をよじ下がってゆくと、遠方に居られた父はこの大胆な行動を不思議に思われてか、私等を呼ばれましたが、何にも聞こえませんでした。私等は軍人が危険の真っ最中に勇気が増すのを感じるように、私の喜びも目的を達する為に冒す危険と疲れが、増せば増すほどなお喜びも増えてきました。セリナは私よりも注意深い気質でありましたから先に案内...小さき花-第6章~6

  • 小さき花-第6章~5

    こういう追懐は真に愉快であります。しかしながら私等にとって最も大いなる慰めと思うのは、この聖き家に於いて聖体を拝領し、御主が御生活なさった同じ場所で、私はイエズス様の活ける聖堂となったことであります。ローマの慣例では聖体は各天主堂にただ一の祭壇が設けられ、そこに保存せられてあります。そうしてその祭壇により司祭が信者たちに聖体を授けます。この小さき聖き家は、貴重なダイヤモンドが白い蝋石に囲われている如くに天主堂の中にあります。そしてその側には聖櫃の置かれてある祭壇がありまして参拝者は皆この祭壇のもとでミサに与り聖体を拝領します。しかし私等はこの部屋で聖体を受けるよりも、この聖き家の中……即ち飾り箱のなかではなくダイヤモンドの中で、天使のパン(聖体)を受けたかったのであります。この聖き家の中にも祭壇がありまし...小さき花-第6章~5

  • 小さき花-第6章~4

    「カンポ・サント」(イタリア語、聖地という意味で墓地の名)はことに私に感動を与えました。白き大理石で作られた、大小の碑像が、三々五々という具合に処々に多数ありまして、これがみな活きているように見えますので、これを慰めたいような気が致します。中には顔は憂愁を帯びていながらも、真に静かに穏やかにちょうど何ごとも天主様に任せているような想をしているのがあります、がこれ等は皆如何にも得難い傑作であります。ここには父の墓そばに立って花を撒いている子供の像があります、これを見ておりますと同じ石で作られたあるその花びらが石のようには見えず、ちょうどその子供の指先から自然に滑り落ちるように見えます。また寡婦の軽い被巾や、若い女の子の髪を結び飾ってあるリボン等が、風に動いているように見えます。私等はこれを見ている時の感想や...小さき花-第6章~4

  • 小さき花-第6章~3

    目的地に着くまでにスイスを通りました。まことに山水の眺め美しいところで高き山が峭立ち大きな瀑布が懸かり、時々雲に質されて山の頂が見えないようになりますが雲が晴れると左右の山は皆雪で白く日影に輝き、あるいは緑の大きな麁朶(そだ…切り取った木の枝)、あるいは深い渓谷険しい断崖……親愛なる母様、この撒き散らしたような自然の妙景は大いに私に利益を与えました。私の霊魂は儚きこの地上にさえもかくの如き傑作を撒かれたところの御方の方に益々惹かれるようになりました……列車は時に高き山の頂を馳せて今にも天外に飛ばんとするかと思えば、忽ちにして深き渓間に入り、眼の届かないような深い淵に臨んで今にも吞みこまれんとするようになり、忽ちにしてまた美しい村落の中を通ると別荘や鐘楼が見え隠れ、可愛らしい小さき天主堂の棟には紫の雲がたな...小さき花-第6章~3

  • 小さき花-第6章~2

    11月4日の夜明けの3時頃暗夜の静けさの時、リジューの市中を通って停車場に出ました、私は少しも知らない地に行き、ローマでは私の身の上について大事な事が待っているという事を感じておりました。パリ市に着きますと、父は名所旧跡に案内してくれました、が、私にとって唯一の名所は「ノートル・ダム・デ・ビクツアール」(勝利の姫君)の天主堂でありまして、この堂に詣った時に私はいかなる感じが起こったか到底言い表す事が出来ません、その時も又聖母は私が初聖体の時に与えてくださった恩寵と同じ恩寵を与えてくださいましたので、私の心は非常な平和と幸福とに満たされました、ここに我が母なる童貞マリアが以前病気の時に私に微笑みせられた御方、私の病気を治してくださった御方はご自分であるという事を明らかにさとされました、熱心に祈って「いつも私...小さき花-第6章~2

  • 小さき花-第6章~1

    第6章バユーの旅行が終って後、3日目になおこれよりも長い旅行をせねばなりませんでした、即ちローマ……教皇陛下の御座所に決められているので永遠の市ともいうローマに、門出を致したのであります、この旅行の間、この世の儚きこと、むなしきことなどよく悟りました。しかるに立派な景色を視、宗教上や美術上の傑作を視、殊に使徒たちが踏まれた地を訪ね、殉教者の血に染まった所の聖き旧跡の地を踏みましたので、大いなる霊魂の広い知識を得ました、私はこのローマに行くことが出来たので喜ばしく思っております、その時多くの人々は、父が修院に入りたいという私の決心を翻さす目時でローマに連れて行くのであると思っておりました。なるほど人々がこういう考えを持っていたのは決して無理ではなかった、という事を今日悟ります、実際堅き決心を抱いていない者で...小さき花-第6章~1

  • 映画はお好きですか?

    Top100Pro-CatholicMoviesという記事を見つけました。https://gloria.tv/share/T2SN3aWUhoXQ4VAtgSAUxxdZG見ているようで見ていないものです。ThePassionoftheChrist(2004)TheSongofBernadette(1943)Thérèse(2004)TheMiracleofMarcelino(1955)BenHur(1959)BrotherSun,SisterMoon(1972)TheFlowersofSt.Francis(1950)Golgotha(1935)TheTenCommandments(1956)くらいでしょうか。映画はお好きですか?

  • 小さき花-第5章~11

    いろいろと談話の末「いま確かに返事することが出来ぬ、いずれ総院長に照会わせて後に決定しよう……」という事になりました、先に総院長が許可の出来ぬほどの反対をしておられたので、私はこの言葉を聞いて非常に悲しみました。それでこの時先に副司教に注意せられたことがあるにもかかわらず、「ダイヤモンド」を司教様に見せたばかりでなく、沢山に差し上げたのであります、しかしこのために司教様も幾分か感動せられたと見えて、今まで他の子供に対してなされなかったほどに、深く私を慰めてくださいました、「我が小さき娘よ、まだ見込みがなくなったというのではない、そなたはお父さんと一緒にローマに行くそうであるから私は喜んでいる、それでその間に自分は確かに天主様に召されたものであるという事をますます明らかに分かるようになるから、泣くよりも却っ...小さき花-第5章~11

  • 小さき花-第5章~10

    1887年の10月31日、私は司教様のもとを訪れるため、父と共にバユー市に向かって出発しました、途々私は自分の望みが効き入れられると信ずると同時に、司教様に謁見せねばならぬことについて、いろいろの感に打たれました、私は他人を訪問する時には、いつも姉達と一緒でありましたが、しかも始めて一人で会わねばなりません、その上この初めての面悦する人が司教でありました、また今までは唯質問に答えるばかりでよかったのですが、今度は私は確かに天主様に召されたものであるという事を証拠する為に、今日カルメル会修院に入りたい理由を、十分に説明せねばならんのであります。こういう風に自分の怖じ気に克つためにいろいろと戦う必要がありました、「キリストの模範」に「愛する者は万事為し得うべしと確信するが故に、出来ざることを以って言い訳とせず...小さき花-第5章~10

  • 小さき花-第5章~9

    またこの時代にイエズス様は私に、幼児等の美しく無邪気な霊魂たちに近づく恩恵を与えてくださいました。すなわちある貧しい家の母親が、哀れにも病気に罹りましたので、私は六歳を頭とするその子二人の幼き姉妹を大切に世話しました、私がこの二人の幼児に話すことはよしどんな事であっても真実に信用しますので、私は大いに楽しくありました。小さい時から、犠牲を捧げるためには、未来永遠の幸いを受けたいという望みだけで、充分である、という事を見れば、疑いもなく洗礼を受けた霊魂には、対神の徳が深く刻まれて居るに相違ありません、私はこの二人の幼児が互いに仲良くするのを見たい時には、彼女らにおもちゃとか菓子類を与えるという約束をする代わりに「幼きイエズスさまがおとなしい子供に、英会陰終わりなき褒美を与えてくださる」という事を申しておりま...小さき花-第5章~9

  • 小さき花-第5章~8

    三日過ぎた翌日、土曜日であって、私は叔父の家を訪問しましたが、私に対しての叔父の様子が不審に思われるほど変わっていました。私は何も申しませんのに、叔父は自分の部屋に導き、私が幾分か遠慮するような様子でいるのを少し咎めて後「私が願った奇蹟が最早不必要になった、なぜならば私は天主様にもしも聖慮ならば、どうか私に許すような心の傾きだけでも与えてくださいと祈っていましたが、その傾きを与えてくださったからである」と申されました。私はこの時の叔父は、以前とは全く変わった人のように思いました、彼は親の様な愛情を以って私を抱きながら「親愛なるわが娘よ、平安に行け、そなたは主が摘み取りたいと思召すところの、特別に恵まれたる小さき花である。私は決して反対しないから聖慮に従いなさい」と大いに感動して申しました。ああ、私はいかに...小さき花-第5章~8

  • 小さき花-第5章~7

    私は早くカルメル会に入りたいという希望を打ち明け、涙ながらにその許可を願いましたところ、そのとき父も泣きました。そして私の望みを翻さすためカルメル会に入るなとは言わずただ「斯様な大事な事を決心するには、まだ少し若い」とのみ言われましたので、私はそのことについていろいろと弁護致しました。私の感心なる父は正直寛大な性質をもっていましたから、私の言い訳をよく聴き入れてくれましたので、私の心の中は晴れました散歩が長く続きまして、父は最早涙を流さず私に向かって聖人のように話し、やがて少し高い壁垣の方に行って、私に白く小さい花を見せました。この花は小さい画像等によく描いてある百合に似ております。父はその花の一つを取って私に渡しながら、天主様がいかなるお世話を以って今日までこの花を育てられ、これを咲かせなさったかという...小さき花-第5章~7

  • 小さき花-第5章~6

    天の招きに応ずることを、励ましまた勧めてくれたものは私の親愛なるポリナばかりでありました。私の心が彼女の心の裏に映写したようです。もし彼女がいませんでしたら、どうしてもカルメル会に入ることは出来なかったでしょう。五年以前から……親愛なる母様よ、あなたから離れ、まるであなたを見失っておりましたが、しかし試みの時に、私は貴女の手に歩行付き道を示してくださいました。私はその時に大いなる慰めの必要があったのです。その訳はカルメル会修院に面会に来るのは随分つらい気分がしたのです。マリアは私がまだ年齢が若いと思い、親愛なる母様も私のこの熱望を出来るだけ緩めようとなされました。無論、これは私を試すためであったのでしょう。かくのごとく最初はただ反対や妨げのみを受けておりました。その上私は何事をも打ち明けていたセリナにこの...小さき花-第5章~6

  • 小さき花-第5章~5

    聖主は私の望みを良く知っておられましたぁら、神父に対して私に一週間に数回聖体を受けるのを許しなさるように、計らってくださいました。そしてこの許しが直接聖主からくられると感じますので、私も一層感謝の念が増しました。この時私の心の感じを打ち明けるのを遠慮しておりました。私の霊魂の進み行く道は、至って真っすぐで明るく、イエズズ様の外他の案内者の必要を感じませんでした。私は神父が人々の霊魂の中にイエズズ様を写す忠実な鏡に譬えて比べておりました。しかるに聖主は直接私の霊魂を照らしてくださるように思っておりました。即ち園丁がある果物を時期が来ない先に早く熟させようとして、特別な世話をしますが、これはこの果物を熟させて後、樹に遺す為ではなく、その果物を食卓に供えて賓客に与えるためであります。ちょうどその通りの目的で聖主...小さき花-第5章~5

  • 小さき花-第5章~4

    「イエズズキリストの模範」にも『天主様が時として烈しい光明によてご自分を示され、また時として温和に暗影形像(かげかたち)のもとに隠れて語らる(三巻43の4)』とかくの如く、私等の心に私の霊魂にご自分を顕してくださいます。しかし私にとってはこの暗影形像の幕が至って薄いので天主様が私の霊魂にご自分を顕して下さることは至って確かで少しも疑う余地がありません。それゆえもはや信徳と望徳が無くなって、私等が捜している所の御方を、この世界に於いても愛によって見つけることが出来ました。「雅歌」の中にも「この御方一人を見出したので、その御方が私に愛の接吻をしてくださって、この後誰も私を卑下する事が出来ぬよう計らってくださいました。(8の1)斯様な深い天上の感想は、永く実らずにいることが出来ませんから、漸次にその結果が洗われ...小さき花-第5章~4

  • ~ファイル修正~

    ベツレヘムからカルワリオへファイルを修正しました。正三時間の誤参事官の~ファイル修正~

  • 小さき花-第5章~3

    まことに聖主は私に対してかくのごとくにして下さいました。私は今この意味深き言葉についていちいち私の身の上にまるで実行せられたという事を証拠立てるができますが、しかし直に申し上げた所の恩寵が、これを証拠とするに十分であろうと思いますから、ここにはただ聖主が「豊かに」与えて下さった養いだけについて一言申しましょう。私はまだ聖書の中に含んでいる、かくれたる意味を悟ることが出来ませんでした。「イエズスキリストの模範」は私の霊魂の利益になる唯一の書物でありました。この書物の中に含まれてある「一番純潔なる粉」は永く前から私の霊性を修養しておりました。私はこの小さき書物は決して離しませんでした。これが為家族の者等が面白がって、ときどき叔母などは無造作にこの書物を開いて、自分の眼についた章句を私に尋ねて居りました。14歳...小さき花-第5章~3

  • 小さき花-第5章~2

    私の此の祈祷は必ず聞き入れて下さると心の中に感じました。しかしなお続いて他の憐れな霊魂を立ち返らすために働く勇気を与えて頂こうと思って「主よ、私は不幸なるブランジニの罪科を赦して下さるという事を確かに信じます。よし彼は死刑を執行される前に、告解をもしませんでも又もし痛悔すること事を云い現わさないでも、私は主の限りない慈悲を深く信じておりますから、必ず彼を赦して下さるという事を疑いません。しかしこの者は私が改心させたい最初の罪人でありますから、何卒これが私の慰めの為に彼が痛悔の念を起こしたという何か1つの印を与えて下さるようお願い致します。」と。ところが私の祈祷は望む通りに聞き入れて下さい。父は決して私らに新聞を読ましめませんでしたが、私はこのブランジニに関わる記事を見る為に新聞を閲読しても、父の意に背かな...小さき花-第5章~2

  • 小さき花-第5章~1

    【5】天井から私に莫大の恩寵を与えて下さいましたが、私はこの恩寵を受けるだけの功績も価値もない者でありました。私は善徳を行いたいという熱望をいつも絶えず抱いておりましたが、私の行為にはいろいろの不完全が混ざり、至って激しい感情が他人にとってはさぞうるさい事でありましてでしょう、そしてこの困った欠点は如何に諭されても直すことが出来ませんでした。然るにかような欠点がありながら、どうして近いうちに「カルメル会修道院」に入ることが出来るだぞと思っていたでしょうか、私はこの欠点に打ち勝つには、ぜひ一つの奇蹟がなければならないと思い、平素これを望んで居りましたところが、1886年の12月25日という忘れる事の出来ない日に於いて、聖主イエズス様は此の奇跡を行ってくださったのであります。即ち愛すべき幼きイエズス様は、この...小さき花-第5章~1

  • 小さき花-第4章~37

    この会に入るため一週間に二三度、前の童貞学校に行きました。この時私は気恥ずかしいため、少し行きにくかったのです。無論童貞達を深く愛し、私になさる全てのことを皆有難く思っておりましたが、前に申し上げた通り、古い生徒たちの如く数時間も一緒に談話することが出来るように、特別に私を愛してくださる童貞がありませんでしたし、そして私は唯一人黙って稽古をしておりましても、誰も私に気をつけませんから、稽古が済むと直ぐ聖堂の二階に上がり、そこで父が迎えに来て下さるのを待っておりました。その時戸の寂しい聖堂の中で黙想する事が唯一の慰めでありました。私は他の人々と共に談話するのは唯私の心を疲れさせるばかりでありましたから、唯一の友なる聖主イエズス様を訪問し、この御方のみに会話する事を知っておりました。しかしまた他の者に棄てられ...小さき花-第4章~37

  • 小さき花-第4章~36

    尊敬する母様。私はいかに熱き感謝の念を以って、天主様の御慈しみを歌いましょうぞ…「私の精神が世間の俗悪な風に汚されない以前、偽りの虚飾のために迷わされない以前……(知恵の書4の11)に」天主様は私をこの世間から離れさせてくださいました。それで私はこれを待つ間「マリア児童会」に入る許しを願い、特別に聖母マリア様に身を捧げる決心を致しました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~36

  • 小さき花-第4章~35

    私は堕落する霊魂を非常に深く憐れみます。実際花で飾ってあるこの世間の道を迷うのは、如何にもたやすい事ではありませんか、無論高尚な霊魂の為にはこの世間が与えるところの甘味にいつも苦みが混じり、その限りない希望が到底一時のへつらいの言葉をもって満足する事が出来ません。これは至当の事であります。しかし私はここに繰り返しますが、もし私は幼い時から天主様のほうに心を惹かされず、また世間が私に微笑みを示したならば、今日、どんなものになったでありましょうか……。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~35

  • 小さき花-第4章~34

    無駄心遣いの話しに戻ります。ついに私は小心のあまり病気に罹りましたので13歳の時から学校の寄宿舎から出て学校をやめねばならぬ様になりました。しかし父はなお別に教育を授ける為、徳の優れた某夫人の許に一週間に数回連れて行ってくれましたが、今までの学校と違ってこの夫人の自宅に通うのでありますから、自然この世俗に近づいてきました、この夫人の部屋の中には古い珍しいものが沢山ありましたので、これを見るためにいろいろの人が訪ねてきておりました。それで大抵先生の母親が客のもてなしをしておられましたが、私は教えを受ける間、眼は書物に注いでおりましても、耳には聴かなくとも良い事まで入りまして、ある夫人は「この娘の毛髪は綺麗である」とか「この若い美しい娘は誰であるか」とか、直接私に向かって話しするのではないですが、おのへつらい...小さき花-第4章~34

  • 小さき花-第4章~33

    そのころ私のために大いなる利益となった一つの事がありました。従姉妹のマリアは度々頭痛がしましたが、その都度母の叔母は彼女にへつらいの言葉を言って機嫌を取ろうとしましたが、しかしマリアはなお頭が痛い痛いを繰り返して涙ながらに不平を鳴らしておりました。私もその時大抵毎日のように同じく頭痛がしておりましたが黙って辛抱しておりました。ところがある夜図らずも私はマリアのようにすぐに部屋の片隅にある椅子に寄りかかって泣き出しました。すると私が深く愛していたマリア従姉妹のヨハンナと叔母がすぐ私の側に来て「なぜ泣くのか」と訊ねましたから、私はマリアの真似をして「頭が痛い痛い」と申しましたが、いままでこういう事をせず、またこの嘆くのはどうも私の性質に合わないと見えて、実際に頭が痛むために焚いているという事を誰も信じません。それゆ...小さき花-第4章~33

  • 小さき花-第4章~32

    その年の夏季休暇は私等は十五日間ほど海辺に行きましたが、叔母はいつも私等に対して母親の如く親切に愛し、ロバに乗せて散歩させるとか、魚釣りをさせるとか、いろいろの楽しみをさせてくださいました。また身なりまでもよく注意してくれました。ある日私は叔母から空色のリボンを貰いました。私はこの時12歳6か月でありましたが、まだ幼児の様なものであって、この美しいリボンで髪を結ぶのが嬉しくありました。しかし私は後これが大いに心遣いの元となって、罪悪のように思いましたから、この無邪気な楽しみさえも、告解の時に神父に言い表しました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~32

  • 小さき花-第4章~31

    私は第二に聖体を受ける少し前から、何事にでも無駄に気づかいするという恐ろしい小心の病気に罹りましたが、一度試みに罹った人でなければ、とてもその苦しみを悟る事が出来ません。私は二年の間この病気にひどく苦しめられました。私の想いや仕業や、子細なことでも皆悲しみと憂いの種となり、これを長姉マリアに打ち明けてからでないと安心しません。しかし私の全ての想い、殊につまらぬ事までも、ことごとく打ち明けねばならんと思っていたから非常に辛くありました。そしてこれを打ち明けますと一時安心する事が出来ますが、この安心が稲妻のごとく過ぎ去ってまた他の心遣いが起こるのであります。これが為に長姉はさぞうるさかったでありましょう。また彼女自身にとっては忍耐の徳を守るよい機会となったでありましょう。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~31

  • 小さき花-第4章~30

    ちょうどこれと同じく、私は父なる天主様に深く愛される子の子供でありまして、聖書にも「我が来たりしは義人を招ぶ為にあらず、罪人を招びて改心せしめん為なり(ルカ5の32)とある通り、罪人を改心させるためにご自身の御子を遣わされたるところの天主様に愛せられる子供であります。そして私は多く赦されたからではなく、みな赦されたのでありますから、深く愛せねばならぬ義務があります。否、罪悪にに陥らないよう私に恵んでくださったばかりでなく、この誘惑を遠ざけてくださったのでありますから、私は聖女マリア・マグダレナよりもなお一層深く聖主を愛さなければなりません。発狂するまでに愛さねばならないのであります。私は黙想会や説教の時に度々こういう事を聞きました。それは「真に痛悔した霊魂よりも多く主を愛した霊魂がまだ見当たらぬ」という事であり...小さき花-第4章~30

  • 小さき花-第4章~29

    ここに一人の上手な医者の息子があって、彼は路傍の小石につまづき倒れ、胸部の骨を折りました。そのとき父の医学士が急いで来て、その子を抱き起しその巧みな技術を以ってこれを療治し、なお心を尽くし大切に介抱しましたので、間もなくその子は全快しました。それでその子は父の深い愛情を厚く感謝しましたが、無論その感謝は至当の事であります。が、今一つ或る父が自分の息子の通らねばならない道に、危険な石があるという事を聞いて息子のまだ通らぬ以前に急ぎ走って行き誰も知らぬよう、この石を取り除いておきました。しかしこの深く愛せられる息子は、父のおかげで危険を免れたという事を知りませんから、父に対しても別に有難く感謝の意を表さず、また前の息子の如く死に迫るような傷を直してもらった人ほど父を愛しませんが、これは父の仕業を知らないからでありま...小さき花-第4章~29

  • 小さき花-第4章~28

    ああ私は良く知っております。慈しみ深き聖主が私が弱すぎる者であるという事を良くご存じでありましたから、この誘惑には逢いませんでした。万一私がこれに逢ったならば此の世間の偽りの光に全部焼かれていたかも知れません。しかしこの偽りの光が私の眼に入りませんでした。強き霊魂はもしこいいう場合罪悪の便りとなることがあれば、その楽しみは直ぐに棄ててしまう勇気がありますが、人々がこういう愉快を感ずる場合には私はいつも却って悩みに遭いました。それで弱き私の霊魂が、こういう儚く危ない世間の愛情に身を委ねなかったのは私の手柄ではなく全く天主様の御憐れみ、慈しみの結果であります。もし主が私を助け護ってくださらなかったならば、私はマリア・マグダレナの如く、大いなる罪悪に陥っていたかもしれません。聖主がかのファリサイ人なるシモンに向かって...小さき花-第4章~28

  • 小さき花-第4章~27

    また数人の生徒が特別に某童貞と心易くなるのを見て私も同じくこの童貞の気に入るようにしたいといろいろに力を尽くしましたが、どうも思う通りに行きませんでした。しかしこれは主の厚き恩寵であって、私は此の世間の俗悪な友情に唯苦みだけを与えてくださった事を今日主に深く感謝いたします。実際私の様な愛情に満たされたる心を以って世間の人々と親しく交わったならば、すぐに罪悪のために囚われ迷わされて、遂には翼までも切られ、後、主のもとに飛んで行って、楽しい休みに就く事が出来なかったのに相違ありません。これは自分の心を世間的の愛情に委ねるような者は、どうして天主様と親密になり一致する事ができましょうか、とても出来ないと断言致します。私はこの偽りの光に迷わされた多くの霊魂が哀れな胡蝶の如くになって、俗悪な愛情のもとに飛んでゆき、その偽...小さき花-第4章~27

  • 小さき花-第4章~26

    そのころ私は親友として同年の二人の小さき友を選びました。しかし人々の心は如何にも狭きこと、そのうち一人は数か月のあいだ、家に帰らねばならぬようになりました。しかも、私は子の不在の間でも常にその友の事を思い、再び学校に帰った時には、大いなる喜びを以って迎えましたが、彼女は一向に無頓着で私の友情を少しも悟りませんでしたから、我が愛を悟らないということを強く感じました。強いてこんな儚い愛情を決して求めませんでした。しかし、天主様は特に忠実の心を与えてくださったので、私は、一度誰かを愛せば、いつまでもその愛情を続けております。この友人のためには尚続いて祈り、今日でも彼女を愛しております。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~26

  • 小さき花-第4章~25

    私はこの忘れる事の出来ない、愉快な喜ばしい初聖体、堅信の両秘蹟を受けた翌日からまた生徒となって学校に通いました。学校ではいつも成績が良く、学ぶ事はみなその意味を容易く記憶することが出来ました。しかし言葉通りに暗記することは非常に困難でありましたが、そのうち公教要理の暗記は立派に成功しました。この時分司祭は私を指して「小さき博士」と申しておりましたが、大方これは私の名が聖女テレジアと同じでありましたから、その名に対してであったと思います。そして休憩の時間には、いつも少し離れて生徒達の遊びを眺めつつただ一人高尚な問題について考え耽っておりました。私にとってこれは得意の気晴らしであったのです。また気に入る遊び方を工夫し、大きな樹の下に落ちてくる哀れな小鳥の死骸を探し拾い、同じ芝の中へ丁寧に葬って遊んでおりました。また...小さき花-第4章~25

  • 小さき花-第4章~24

    私は初聖体の後、間もなく堅信の秘蹟を受ける為再び黙想会に入りました。私はこの秘蹟を受けるために特に熱心なる注意を以って聖霊を受ける覚悟に勉めました。そしてこの秘蹟を受ける日が都合によって少し延びましたので、それだけ長く黙想する事が出来ました。私の霊魂が昔の使徒たちの如く、約束された慰めもの即ち聖霊のたまものを受ける事を待ち完全なる信者となる秘蹟を受ける事を望み、この秘蹟によって私の額に永遠に遺る十字架の印を刻み付けられる事を如何に望んでおりましたでしょうか。私は使徒たちの上に、初めて聖霊が天下った時の様な、大風を感じずむしろエリアスの預言者がオリーブ山の上に聞いたような、そよ吹く暖かな風に迎えられつつ、穏やかにこの聖きたまものを受けました。その日には私のために必要なちから……苦難に耐える力を受けました。即ち私は...小さき花-第4章~24

  • 小さき花-第4章~23

    私はまた一つの大なる望みが起こりました。それは天主様のみを愛する事、天主様のみを想うて喜ぶという事でありまして、私は聖体拝領後の感謝の祈祷の中に度々「ああ主よ、口に言うべからざる甘味よ、願わくは現世の全ての快楽を私のためにことごとく憂いに変え給え(キリストの模範3の26の3)という言葉が自然に出ますので、ちょうど子供が愛する人から聞いた言葉が、たとえ意味が分かりませんでも、これを繰り返しているように、私もこの言葉をそのまま繰り返しておりました。そして聖主がいかにして、私のこの希望を果たせてくださったか、またいかにしていつも聖主のみ私にとっていうべからざる愉快の喜びの基であったかは、後に母様に申し上げましょう。もしただいまこれを申し上げますと私の中年時代に先立つようになり、かつまた幼年時代のことについて申し上げた...小さき花-第4章~23

  • 小さき花-第4章~22

    マリアはいつも私が聖体を受ける度に、その前日からちょうど初聖体の覚悟をさせておったとき、よく覚悟をさせてくれました。私はまたよく記憶しておりますが、マリアは苦しみについて話をし、天主様は私に対して苦しみの道を歩まされるのではなく、幼き子供のごとく愛し携えてくださるのであろう、と言い加えました。私はその翌日聖体を受けてからマリアの言葉を思い出したので、私は聖主のために苦しみ悩みに遭いたいという熱望が起こり、続いて多くの十字架が私を待っているという事を確かに感ずると同時に、これを受けたいという望みが起こりました。この時私の霊魂は一生涯に感じた事のないような大きな慰めと愉快を覚え、苦しみが私の心を惹くようになり、そして苦しみの中に何とも言えない愉快があるという事を感じましたが、まだ充分にその愉快を悟ることが出来ません...小さき花-第4章~22

  • 小さき花-第4章~21

    あくる日は、幾分か私の愉快が減りまして陰気な日となり、昨日貰った時計やその他の物品は私の心を満たすに足らず、その日から後は、ただイエズス様のみ私に満足を与えてくださることが出来たのであります。そこで私は再び聖体を受ける幸いを待ちかねておりましたが、御昇天の大祝日にあたって2度目に聖体を拝領することが出来ました。そのとき私は父とマリアの間に入って聖体拝領台に跪き、うれし涙を流しながら聖体を受けました。そしてその時「我は活くといえどもそれは最早我ではなく、イエズスキリストこそ我において活き給うのである」と聖パウロがガラテア人に贈られた書簡の内の句を何回となく繰り返し、それから後は度々聖体を受けたいという事を望み、それは大祝日に許されておりましたから、大祝日を待ちかねておりました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~21

  • 小さき花-第4章~20

    家に帰りますと、私のために大いなる祝宴をしてくれ、また父から立派な時計を貰いましたので、私は大いに喜びました。しかし私の喜び幸いは穏やかな静かで心の平和を乱しうるものがなかったのであります。ついにこの愉快な日も夜になり、光明は暗黒となりました。ああ、いかに愉快な日も暗闇と暮れてしまいます。真に暮れない日は、ただ本国(天国)の永遠に入る時のみであります。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~20

  • 小さき花-第4章~19

    この喜ばしい日の午後、父は小さき女王の手を取って「カルメル会」の修道院に参りました。最早霊魂の上でイエズス様の浄配となっていたポリナに会い、私と同じ白いベールをかけ、薔薇の花冠を冠っているのをみて私はこの上もなく喜び自分は間もなく彼女と同じこの修道院に入ることが出来、その側で天国に行くのを待とうと思いました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~19

  • 小さき花-第4章~18

    午後、私は生徒(みんな)に代わって「瀬尾ぼに身を捧げる祈り」を唱えました。この総代に選ばれたのは大方私は幼い時から肉親の母に死に別れていたからでしょう。この時私は心の底から熱心に聖母に身を捧げ、なお私を護ってくださるようにと願いました。聖母もまた、必ず愛を以ってこの「小さき花」をご覧になり、以前のように今一度微笑みなさったに相違ありません。先に私を治し、助けてくださった聖母の微笑みをよく記憶しておりました。私はこの御恩寵に報いるようにしなければならないという事も良く知っておりました。聖母はまたこうして5月8日の朝も私の霊魂のうてなの中に「野の花と谷の百合(雅歌2の1)と歌われているイエズス様を置いてくださったのであります。読んでくださってありがとうございます。小さき花-第4章~18

  • 小さき花-第4章~17

    この日、私の歓喜は大きく深く、とても小さき心の中にその歓喜を保ち抑える事が出来ませんでしたから、うれし涙にむせびました。ところが友達はみなこれを不審に思って、式が終って後、互いに囁きあって「テレジアはなぜ泣いていたのでしょうか、何か気にかかる事でもあったのでしょうか」とか、ある人は「いいえ、母親やポリナが側に居らなかったので泣いたのでしょう」などと申して、誰も私の涙の訳を悟りませんでした。即ち天の全ての喜びの基なる聖主の一の心の内に天降りてこの島流しに会い、かよわき死すべきものがとても感謝の涙を流さずにはおられません。初聖体の日にはどうして母や姉がいない為に泣きましょうか、天の喜びが我が心に天降り、聖主と共に天国に在す親愛なる母が私を訪問してくれました。またポリナがいないからといって、泣きません。彼女もちょうど...小さき花-第4章~17

  • 小さき花-第4章~16

    私は、聖主に愛されているという事を深く感じましたので「私は主を愛します。そして私の一生涯を主に捧げます」と申しました。しかし聖主は私に対して、別に何の願いをもなさらず、また何の犠牲も要求になりませんでした。最早ずっと以前から聖主とこの小さきテレジアとは相互いに見え、心が通じて相通じておりましたので、この日について聖主と私とは全く一致しておりました。そしてこのテレジアはあたかも大洋に流れ入った一滴の水のようになって、ただ残っているのは聖主なる大洋のみでありました。実に彼は主人であって、また王であります。テレジアは自由を奪い取ってくださるように度々祈りを願っておりました。なんとなればこの自由を持つのを恐れていたのであります。自分が至って弱く壊れやすい者であるという事を悟っておりましたから、いつまでも天主の御力と一致...小さき花-第4章~16

  • 小さき花-第4章~15

    イエズス様の初めて我が心に降りて我が霊魂になさった最初の接吻はいかに楽しかったでしょう。実はこれが愛の接吻でありました。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~15

  • 小さき花-第4章~14

    ようやくにして、一生涯中、一番喜ばしい日が来ました。この日の事はいかなる些細な事でも深く頭脳のなかに浸み込んで忘れることが出来ません。まず朝早くから快く目が覚め、童貞方の友達との挨拶、それから雪のように純白の衣装を着たこと、聖堂に入りました時「天使達に取り囲まれた祭壇よ!……」と、讃美歌が始まりました時のことを皆よく記憶しております。しかし、実際を申せば私はこの日の事柄をみな言い表すことが出来ません。よし、これを言い表す事が出来ましてもこれを申したくありません。なぜならばちょうどある物の中には、一度空気に触れるとすぐその良い香りを失うものがあります。それと同じく心のなかにある深い喜び、感想を、この地上の言葉を以って言い表せば、すぐにその深い意味と天の香りとを失うからであります。読んでくださってありがとうございま...小さき花-第4章~14

  • 小さき花-第4章~13

    私はこの黙想の間になさった神父様(ドメレ師)の説教をよく気をつけて聴き、部屋に帰ってから、その概略を記しました。そしてこの説教について感じたことが沢山ありましたが、別にその観念を記さなくても決して忘れないと思って省きました。が、実際その通り今日でもその時の感じを忘れておりません。私はいかに大なる愉快をもって、童貞方と共に全ての日課に与っていたのでしょう。私は「親愛なるレオニアから貰った大きな十字架を、ちょうど宣教師のように常に帯の間に吊るしておりましたので、よく人目についておりました。それで人々は私は「カルメル会修道院」に入っている姉に倣いたいのであるという事を思っていましたが、真にその通り、私の思念思考はいつも姉ポリナの方に飛んで行っておりました。ちょうどその時ポリナも私等のようんび黙想中であることを知ってお...小さき花-第4章~13

  • 小さき花-第4章~12

    三か月も前から初聖体を受けるための覚悟を与えておりましたが、早くもこれが終わって黙想会がありました。その間、修道院の寄宿舎に止まらなければなりませんでしたが、いかにも恩寵豊かな黙想であったでしょう。その時の喜びは修道院の外では決して味わう事が出来ないと思っております。またそのt機に初聖体の覚悟をする子供の数がすくなかったので、童貞方は各々に対して母親のように、良く親切に注意を与えてくれました。大切にしてくださいました事については、なお感謝の念が起こります。そしてどういう理由かそのうちにも特に私を大切にしてくださいました。童貞様が毎晩、小さいランプを提げて私の寝台の側に来られ、愛情をこめて私の額に接吻をしてくださいました。私はその深い親切に感じ、ある晩「母様!私はあなたを深く愛しておりますから、私が秘密にしている...小さき花-第4章~12

  • 小さき花-第4章~11

    そのとき私は黙想する事を習いたかったのですが、しかしマリアは私を充分に信心深いものと思ってか、口禱だけしか許してくれませんでした。ある日学校の童貞が「休日には家で何をしているのか」と尋ねましたので「童貞!私は度々部屋の片隅に隠れて、寝台の前に垂れ下がっている布で身体を囲って、そこで「考える」とこわごわ答えました。すると童貞は笑いながら「何を考えてるのですか」と申されましたから、私は「天主さまの事、生命の儚き事、永遠の事などを考えます……」と答えましたが、童貞はこの答を忘れなかったものと見えまして、その後私にその時の事を思い出させて「まだ昔考えていた事を思い出すか、やはり今日でもお考えていますか」と度々訊ねられました。私はこの「考える」という事は聖主は穏やかに私の心に教えてくださった真の黙想であったと今日悟ってい...小さき花-第4章~11

  • 小さき花-第4章~⒑

    長姉のこの教訓は如何に立派で、私の心の底深く響きました。私はこのような深い教訓をたった一人で聴くのはいかにも惜しいような気がして、なお多数の聴聞者を望みました。そして私は心密かに思ったことは、もしこの教訓を聴くのなら、たとえいかなる大悪人でもすぐに改心し、またこの世の儚き名誉財産に執着している者でも、天の唯一の宝だけを探すために力を尽くすようになるに違いない……と。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~⒑

  • 小さき花-第4章~9

    この覚悟を為す為、長姉のマリアはポリナに代わって、私に良き覚悟を為すため、毎晩、大切な事柄を話してくれましたので、私はいつも喜んで、ずっとその側に居りました。そしてその感じることを聴くと同時に、マリアの勇ましく高尚な精神が私の心に映るように感じました。ちょうど、むかしの武士が子供に武士道を説くように、マリアが私の心を励まし報いられる榮譽の冠を示しながら、人生の戦いを教えていました。そしてまた一日でたくさん積み集めることが出来る永遠の宝を話され「この宝を摘み取るためには、ちょっと身を屈めさえすれば足りるという程容易な事であるのに、却ってこれを足の先で踏みにじるというは如何に不幸な事であろうか」ということについて、詳しく話されました。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~9

  • 小さき花-第4章~8

    私が初聖体を受けた日の事は、少しも曇りないように、記憶に残っております。私はこれ以上の覚悟を為すことが出来ないほど、充分に覚悟していたと思います。母様、あなたが初聖体の三ケ月前に私に小さい立派な書籍を与えてくださったことを、まだ記憶しておられるでありましょう。私はこの書籍のおかげで立派な覚悟が出来ました。実は私はずっと以前から初聖体の事を思っていました。この書籍にあるように、私の精神に新しい励みを与える事、私の精神に新しい花を満たす事が必要であったことをこの書物によって悟りましたのに、毎日多くの犠牲を捧げ、花に変わるべき愛の所業に努めておりましたが、なおこの大小の犠牲をもって、スミレとかバラとはヒナギク、瑠璃草というように、この自然界の全ての花として私の心のなかに飾り、聖主のため……初聖体のために、この花かごを...小さき花-第4章~8

  • 小さき花-第4章~7

    ああ、世間の人々は現世の楽しみ、喜びに耽りながら天主さまに仕えようとするには、如何にも上手であります。彼らは「死」という観念が如何にも薄いからであります。その時、私の知っていた多数の年若い者、富豪、また豊かな生活を送っていた人々が、最早死んでしまいました。ただいま、私は彼らが住んでいて大快楽をしていたところを思い起こして、彼らは今どこにおるであろうか、彼らは生前生活していた立派な建物や庭園について今なんと思っているでしょうか。また、彼らが栄光栄華に耽り、贅沢な生活をしていたことが、今日いかなる利益となっているでしょうか……などという事を度々思い浮かべます。そして「ただ、天主さまを敬愛し天主さまに仕え奉るほか、現世のことは全て無益である」(キリストに倣いて1-3)という事も思います。私のこの旅行は必ず天主さまは、...小さき花-第4章~7

  • 小さき花-第4章~6

    話は少しわき道に入りましたから、前の話しに続きましょう。私は病気が全快してから三ケ月の後、父は愉快な旅行をさせてくれました。これはわずかに二週間の旅行でありましたが、私は世間というものを知り始めた最初であって、どこへ行っても可愛がられ、褒められ、歓び迎えられて、この十五日の間はちょうど花ばかりに取り囲まれておりました。聖書にも「この世界のつまらぬ事の為に、心が蕩かされるならば、悪を嫌う精神までも惑わされるようになる」(知恵の書4の12)という句がありますが、まことにその通りで、この十歳前後の時代は、精神が容易く暗まれ惑わされる時でありまして、私はこの旅行が愉快であったと自白致します。読んでくださってありがとうございます。yui小さき花-第4章~6

  • 小さき花-第4章~5

    もちろん、私には少しの手柄もありませんから、それをあてにしません。ただ全徳と至誠にて在す御方によりすがるであります。そうすれば天主さまは必ず、私の弱く小さいにも関わらず、そのほうに力を尽くすのを見て満足せられ、私をご自分まで引き高められ、イエズス様ご自身の御功績をもって私を覆い囲い、以って私を聖女としてくださるでありましょう。しかし、そのとき私は「聖人になるには、多大の苦しみ悩みを舐めなければならない必要がある」という事をまだよく知りませんでしたから、前にも申し上げたように、私に艱難辛苦をもって、この神秘をお示しくださったのであります。読んでくださってありがとうございます。yui小さき花-第4章~5

  • 「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著) 255-

    「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著)著作権が切れていないので、原文から一部欠の部分をDeepLで機械翻訳しました。検索すると、他のサイトにあるのを発見できると思います。[255]SESTAPRATICA.PerringraziareDiodellegrazieconcesseallaVerginesantissimareciterannospessoilMagnificat,sull'esempiodellabeataMariaDoigniesediparecchisanti.聖母に与えられた恵みを神に感謝するために、福者マリア・ド・ワイニや何人かの聖人に倣って、しばしばマニフィカトを朗読します。IlMagnificatèl'unicapreghierael'unicaoperac...「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著)255-

  • 「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著) 229-254

    「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著)著作権が切れていないので、原文から一部欠の部分を機械翻訳しました。検索すると、他のサイトにあるのを発見できると思います。[229]NellasecondasettimanasiapplicherannointutteleloropreghiereeazioniquotidianeaconoscereMaria.ChiederannotaleconoscenzaalloSpiritoSanto.Potrannoleggereemeditareciòcheneabbiamodetto.Reciteranno,comenellaprimasettimana,lelitaniedelloSpiritoSantoel'Ave,stelladelmareei...「聖母マリアへのまことの信心」(聖グレニョン・ド・モンフォール著)229-254

  • 小さき花-第4章~4

    ところが、この時、私は一生涯の中において、一番優れた一つの恩寵を受けました。私はその時まだ今日のように、天の光を浴び心が照らされておりませんでしたが、「唯一の真の榮譽というのは永遠に続くところの榮譽であって、これを受けるには強いて優れたわざをするとか、人目を惹くような事をする必要がない、ただこれに必要なのは、却って反対になるべく一目を避けるよう、また自分自身にも知られないようにして、ただ天主さまのために力を尽くすという事である」という事を悟されました。それで私は榮譽を受けるために生まれた者であると思い、この目的に達する方法を探しておりますと「私にとっての榮譽はこの世間の人々の目に現れない榮譽であって、聖女になるに限る」というお諭しをも受けました。その時分、私は殊に欠点の多き者で、また数年間修道院生活をしている今...小さき花-第4章~4

  • 小さき花-第4章~3

    私は英雄豪傑の事柄の書いてある書物を読むときに、折々人生の真の方面を充分に悟る事が出来ませんでした。そしてこのフランスの英雄・女傑・ことに聖女なるジャンヌダルクの事柄を読んで、深くその愛徳的動作に感じ、これらの人々に倣いたいという望みが起こりました。読んでくださってありがとうございます。yui小さき花-第4章~3

  • 小さき花-第4章~2

    また、私は御絵を見たり、読書をすることが楽しみでありました事を申し上げませんでしたが、ポリナから見せて貰いました美しく綺麗な御絵のおかげで、私に善徳を行う為に余程励みとなり、一番愉快な喜びと強い感じを以って徳を行う心を引き起こさしめました。これを見ながら時間が経つのを忘れてしまいます。特に私等の愛の激しさのために囚われた聖子の絵…即ちイエズス様を愛する霊魂が小さき花にかたどられ……聖櫃の中に在すイエズス様と共に描かれている御絵などを見て、精神が恍惚となって、ああ私もこの小さき花のごとく、清く身を捧げてイエズス様を慰めたい、聖櫃に近づいて御眼差しを受けたい、そして御手づから育てられ、摘み取られたいような心地が起こります。また私はあまり遊ぶことを知りませんでしたから、読書を何よりも楽しみとしておりました。幸いにも姉...小さき花-第4章~2

  • 聖ラファエラ・マリアの伝記 リンク先を 修正

    聖心侍女修道会の創立者聖ラファエラ・マリアの小伝と伝記が公開されていて無料で読む事が出来ます。御存じのない方もいらっしゃると思いますので、ご紹介させていただきます。以前ご紹介したのですが、場所が修正されています。聖心侍女修道会日本管区から、入って頂きまして、共同体私たちの歴史聖心侍女修道会の歴史に小伝があります。伝記は、こちらにありました。「いしずえ」という邦訳です。以前は、本の表紙があったと思うのですが、いまは無くなっています。霊的手記は、こちらにありました。「神とのかたらい」という邦訳です。お忙しい中を、ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。yui聖ラファエラ・マリアの伝記リンク先を修正

  • 小さき花-第4章~1

    ここで私はポリナが「カルメル会修道院」に入って後。最初に訪問した時の事を思い出しました。この愉快な日の朝、もし後に私がこの修道院に入るならどういう名をつけられるであろうかと思いました。ここには、今一人イエズスという童貞がありますから同じ名をつけることが出来ませんが、私はどうしてもテレジアという美しい名を改えたくない…と考えているなか、ふと深く愛しておりました幼きイエズス様の事を思い浮かびましたので、おお、それよ、もし私が「幼きイエズスのテレジア」と呼ばれるようになるならば、どんなに幸せであろうかと想いに耽っておりましたが、そしてこの希望を、母様に打ち明けないように注意しておりましたのには、その時私との談話の中「私の愛する小さき娘よ、あなたが私等の仲間に入るとき「幼きイエズスのテレジア」と命名しましょう」と仰せら...小さき花-第4章~1

  • 小さき花-第3章~19

    この悲しみ、苦しみか、天主様の特別な試しであったか、或いは悪魔の仕業であったか、それは確かに聖主の聖寵であったに相違ありません。何となれば、姉マリアがテレジアが治ったと叫びましたとき、その顔が光り輝きその至誠の籠ったる容姿、不思議にも超自然的の光を持っておりました。それは疑いもなく、聖母マリアが現われなさったごとく深く感ずるのであります。読んでくださってありがとうございます。yui3章ここまで、次から4章小さき花-第3章~19

  • 小さき花-第3章~18

    敬愛なる母様はちょうどそこに居られまして、どれほど私を親切に迎えてくださいましたでしょうまだご存じでいましょう。その時他の修道女にも会いまして、私の全快したことにつき、いろいろの事を彼女らが訊ねました。ある人は「聖母マリア様が幼きイエズス様を抱いておられましたか」とか、ある人は「天使が随いておられたか」とか、口々に訊ねました。私はこれらの問いによって心が乱れ心配するようになりましたので、ただ一言「聖母マリア様は至って美しき御方に見えました。私の方に進まれて微笑をされたのを見ました」と答えたのであります。しかし修道女達は直美続いて、他のいろいろの事を考えだすのを見て、私が偽りを言ったのではなかろうかと思われるのではあるまいか、ああ、私はこの秘密を保ったならば幸福をも失わなかったろうにと、しかしこの苦痛、心配は聖母...小さき花-第3章~18

  • 小さき花-第3章~17

    私は病気全快の後「カルメル会」に入った時、小さきポリナが聖母の会の服をつけて居られたのを見て非常に愉快に感じました。二人のため、いかに喜ばしい瞬間であったでしょう。そしてその時互いに話すべきことが沢山ありましたが、二人とも余程苦しんでおりました胸が一杯になり、いろいろの感情のために話の出来かねた程であります。読んでくださってありがとうございます。yui小さき花-第3章~17

  • 小さき花-第3章~16

    マリアは、私が前に申したように、聖母は、ただ私の病気を治したばかりでなく、なお何か神秘的の恩寵を与えてなさったに違いないという事を、深く信じまして、私とたった二人になった時、彼女は深切に何回も繰り返し繰り返して頻りにその事を問い質しますので、私はこれを答えずにおられぬようになりました。そしてマリアが私にかかるこの秘密を、まだ一言も云わない前に知っているのは不思議である、と思いましたので、遂に私は何事も隠さず詳しく打ち明けてしまいました。ああ、ここにおいて私は先に誰にも語らないと決心したことも水の泡となり、折角得た幸福も思った通り悲しみと変りました。そしてこれから後4年というものは、この大いなる恩寵を思うたびに、私の霊魂上に、大いなる悲しみを与えたのでます。のち、私がパリ市に行き「勝利の姫君」の天主堂に参りました...小さき花-第3章~16

  • 小さき花-第3章~15

    私は心の中に「聖母マリア様は私の方に進まれ、私に向って微笑まれた、ああ、何という幸いな者であろうか、このうえは、この大いなる恩寵を秘密にして誰にも語らず、もし他人に語るならば、この幸いがなくなるから」と、そしてこの奇妙に感じて後、自然に眼を下げましたが、その時始めて長姉のマリアを認め知ることが出来ました。彼女はなにかに感動されたような愛の目をもって私を見ております。そしてちょうど私は聖母から恩恵を受けたことを察しているように見えました。まことに聖母の微笑みなさった何とも言えない恩寵を受けたのは、全く彼女の熱心な祈祷のおかげでありました。彼女は私が聖母の御像を見つめているのを見て「テレジアが治った!」と思っておりました。実際その通りこの「「小さき花」は聖母の温かき恩寵によって生き返り、恐ろしい敵から救い助けてくだ...小さき花-第3章~15

  • 小さき花-第3章~14

    この九日間中、窓の下で書物を見ているレオニアと一緒に私を残して、マリア一人庭園に出ました。私はしばらくするとマリアマリアと小さい声で呼びましたが、傍にいるレオニアはこういう声を聞きなれておりますので、別段気に留めません。それで私は大きな声で再びマリアを呼びますと、今度はマリアが帰ってきました。その時私は確かにマリアが部屋に入るのを見たのですが、どういう訳か急に妙な風になって、その人がマリアであるかどうか、はっきり分からないようになりました。そこで私は側を見たり庭や窓の方を見まわしているうちに、強いられたように、思わずまたマリアマリアと叫びました。これは実に何とも言えない苦しみでありましたが、恐らく側にいたマリアは私よりも一層苦しんでいたでしょう。それで彼女は私はマリアですと言いながら、是非その事を私に悟らせよう...小さき花-第3章~14

  • 小さき花-第3章~13

    わたしはこうして病床に就いておりましたが、少し良い時には雛菊や瑠璃草を以って美しきサツキの中央に聖母のために花冠を造るのを楽しみとしていました。時は皐月の中半で自然界は春の花で飾られているのに、ただ一つこの「小さき花」が病気のために、色が褪せて衰えるほど萎んできました。しかし私の寝台の傍の一つの星…即ち天の元后の不思議な御像がありましたから、この小さき花が度々その花冠を愛すべき星のほうに向いておりました。ある日、父は私の部屋に入って来られましたが非常に心配した様子で姉マリアのほうに進み「今すぐにパリのノートル・ダム・デ・ビクツアール(勝利の姫君)の天主堂に書簡を出し、この小さき女王の全快を願うために、9日間のミサ聖祭を捧げて貰うよう、願いなさい」と申しました。ああ、私はこれを聞いて父の篤き信仰と愛情をいかに深く...小さき花-第3章~13

  • 小さき花-第3章~12

    しかし、天主様は、このような悪魔に対して私に近づく事を許されると同時に、見える天使等を遣わして私を慰め強めてくださいました。すなわちマリアは私の側をしばらくも離れず、退屈するような風も現さず、心を籠めて厚く世話をしてくれました。それゆえ私も彼女を慕い、食事の時に乳母が代わって来てもマリアマリアと呼び、ただミサに与る為とか、ポリナを訪問に行く時よりほかは決して外出する事を黙っておりませんでした。またレオニアも小さきセリナも私に対してどんなに親切に尽くしてくれたでしょう。日曜日には愚かなものに似ている哀れな貧しい子供を連れてきて、私を慰める為数時間部屋に閉じこもっていました。なおまた叔母も私に対して深い愛情を以って毎日いろいろの見舞い品を持って私を訪ねてくれます。この病気中は叔父と叔母に対して私の慈愛がどれほど増し...小さき花-第3章~12

  • 小さき花-第3章~11

    アグネス童貞となったあなたの着衣式が近づいてきました。叔母や姉達は私がその日式に与ることが出来ないから、そのような話しを聞かせると嘆くであろうと思い、私の前ではわざとこの話しを避けるようにしました。しかし私は心の中に「天主様は必ずこの日ポリナに逢わせてくださる」という事を深く信じておりました。なぜならば憐れみ深き聖主キリストは、ポリナが最早私の病気の事を知って大いに心配しておったから、この愉快な日に私の顔を見ることが出来なければさぞ辛い事であろうと思し召され、必ず私がその式に与ることが出来るよう、取り計らってくださるに相違ない」と思ったからであります。ところが果たしてその当日、私は幸いにも美しく純白な被いを受け、、純白な修道服を着ている清きポリナを眺める事が出来、その笑顔を観ることが出来、なおその膝の上に抱かれ...小さき花-第3章~11

  • 小さき花-第3章~10

    この年の末、絶えず頭が痛みましたが、さほどの事もありませんでしたから、辛抱して翌年の御復活の祝日まで学校に通いました。そのころ父は姉達と共にパリ市に赴かれたので、セリナと私の二人が叔父の家に預けられておりました。ある夜、叔父と私の二人が家に残っておりました時、叔父がふと私の母についての事柄を、いろいろと非常に愛情深き言葉を以って話し聞かせてくれましたので私は痛く感動して涙を流しました。すると叔父は私が年齢が若いにもかかわらず、感情の激しい者であるとさとって心配せられ「夏休みの間いはいろいろ気晴らしをさせてやろう」と申されました。しかし天主様は私に対して、他の聖慮があったのであります。この夜、私は頭の痛みが激しくなり、夜通し身体が妙にふるえました。叔母は本当の母親のように片時も離れず、この病気中、非常に親切に介抱...小さき花-第3章~10

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