日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・10 これは誰でしょう
10番目の孝子はこのブログでも登場回数の非常に多い、虎に立ち向かった人物です。 この本ではなぜか舞台が川べりであることが多いですね。お父さんを守るためなら獰猛な猛獣をも恐れない、この子の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん楊香ですね。 楊香魯の国の人也 十五の年 父と山中に入 虎にあふ とらにわが身をあたへ 父をたすけ給へと天道に祈りて手をひろげて とらにむかへば乕(とら)尾をたれにげける 孝の心ふかきにより 父子とも難をのがれる ーーー
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・9 これは誰でしょう
9番目の人。こちらも間違えようのない図柄。 この人で名前を間違えたら各方面から苦情が押し寄せそうですよね。ほかの孝子の名前は知らなくても、この女性だけは知っている、なんて人が多かったのではないかと想像します。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより はい、唐夫人でございます。 唐夫人崔南といふ人の妻也 夫人しうとめの老年にて 万(よろづ)食物歯にあはず このゆへに朝夕乳をのませて とぼしからぬやうにして孝行をつくせり この嫁 姑に孝行をつくせしめぐみにて末繁盛してさかへけるとなり ーーー
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・8 これは誰でしょう
さて8番目の人です。これはさすがに間違えようがありませんね。 雲に乗って去っていく天女を見送る男性。わきには子どももいます。誰の子かは不明。二人は仮の夫婦になったとはいえ、多分数週間程度でしょうから、この幼児は二人の間の子ではないですよね。たまたま近くにいたんでしょう。ということで孝子の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 董永です。間違うはずありませんよね。 董永後漢の人也 いへまづし 人にやとはれ 耕作して ちん銭を取 父をはごくむ 天女下りて妻にならんと約し 妻に成て一月に二百疋のはたを織て董永が父をはごくむ ーーー えー、タイトルは合ってるんですが、文章の内…
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・7 これは誰でしょう
なんだかんだで7人目まできました。 上半身はだかで横たわる少年。蚊の群れが少年に襲い掛かっていますが、少年は追い払う様子もありません。親孝行な少年の図ですが親の姿は見えません。家の奥のほうで寝てるんでしょうか。この少年の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 呉猛ですね。合ってますね。合ってて当たり前なんですけどね。なんかホッとします。 呉猛いついつの人といふ事をしらず 八才にて孝のみちしれり いへまづしくして夏月かやなし 親のねやのそばに はだをぬぎてふし わが身へ蚊をとまらせて 親の蚊をふせぎし こうこうの人なり ーーー
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・6 これは誰でしょう
何をかくそう、実は内容に疑問点がいくつかあって紹介するのを少々ためらった書籍、鳥居清経の「繪本廿四孝」。 6番目はこちらの方。これは難問です。っていうか、わかったら奇跡。なんでわかるの、と聞き返したくなるレベル。 一段高いところに座っている女性は母親でしょうね、頭を下げる男性とそばに控える女性。漢文帝かな~、でも漢文帝は二番目に登場済、ということは丁蘭だね!母親は実物大で生きてるように見えるけれど実は木像なのね!簡単簡単タンタカタン!! ↓ ↓ ↓ さて驚きの人名は・・・! ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん姜詩ですよ(なんで?) 湧き水はどこいった?鯉二匹は????つーかこの絵は…
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・5 これは誰でしょう
5番目の孝子はこの人です・・・えーと、どの人?と迷うくらい妙に人数が多いです。 ARC古典籍ポータルデータベースより 右側には赤ちゃんとを抱いて幼児の手を引いている女性。手を引かれた幼児の左側には、膝をついて男性に懇願する様子の少年。男性は3人います。田真兄弟でしょうか。違いますね。膝をついている少年が主役です。彼の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 閔子騫ですね。父親は3人の真ん中の黄色っぽい服の人でいいのかな。両脇の二人は激昂している父親をなだめてるところ? 閔子騫山東の兗州(列のような字は州の異体字)府の人なり 孔子の十哲の内也 継母に二人の子あり 母二人の子…
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・4 これは誰でしょう
4番目の孝子はこちらです。父親の床を扇いで涼しくしている少年。 ARC古典籍ポータルデータベースより 川のすぐそばの寝床。川の流れる音がやかましくて寝にくいんじゃないでしょうか。さてこの少年の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ 黄香ですね。これまでの4人、問題ないですね。 黄香江夏安陵の人なり 九才にて母にをくれ 父に孝行をつくす 冬は父の夜具をわが身を以てあたため なつはあをひですずしくしてねせ奉り されは孝の道かくれなく みかどよりほうびを給りしとなり ーーー
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・3 これは誰でしょう
三人目の孝子はこちらです。 川岸に置いた衝立の前に座る老夫婦。その二人の前で踊るおじさん。脇には太鼓を鳴らす子供もいます。どこが親孝行なのか理解しにくい、このおじさんの名は・・・ ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 踊ったり泣いたり、子どものフリをして親に老いを感じさせまいとした老莱子ですね。でも隣に本物の子どもがいたら年齢差が一目瞭然になってしまうと思うのですが。親もそこは気づかないフリをしてたんでしょうね。お父さんは目をそらしているようにも見えます。現実を直視したくないのかもしれません。 老莱子 楚のくにの人なり 七十餘にして百ゆう餘の両親に孝行をつくせし わが年よりて かた…
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・2 これは誰でしょう
二番目の孝子はこちらの方です。場所は・・・昨日に引き続き、山道でしょうか。 山道の途中に衝立を据え、椅子に座る高貴な老婦人。左の男性は恭しく跪いています。この男性が孝子です。右手には若い女性が老婦人を見守っています。二十四孝の書籍ではよく、昨日の孝子さんの次に登場するあの偉い人といえば…。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 漢文帝ですね。通行妨害で訴えられそうですが、きっとここも漢文帝のお屋敷の敷地内なんだと自分を納得させます。 漢文帝漢の高祖の御子なり 稚名恒と申し御母は薄太后と申 一天子の御身に御母に上らるる食物をみつからなめこころみ そののちすすめ給ふ 臣感じて御位にすす…
書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・1 これは誰でしょう
1番目はこちらの少年です。象が二頭。少年の手には鍬・・・これは鍬なのかしら?場所は畑。・・・ここ畑???象を連れて山越えしてるようにも見えますが。鳥は・・・いませんね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 二十四孝の本では大抵トップに登場する人です。 将来皇帝の座まで登りつめる人ですね。答えは・・・。 そう、大舜ですね。これは難しくありませんでしたね。 大舜 ちちは瞽䏂(こさう)とて盲目也 父母ともに大あくなり 舜孝行をつくして親を少しもうらまず かへつてわが身をせめて象をひきいてかうさくをたがへし給ふ ーーー
明日からは鳥居清経の「繪本廿四孝 全」をご紹介していきます。右側が表紙、左側が奥付です。鳥居清経さんは有名な浮世絵師さんですね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 最初のページは序文のようです。(朱印で「このぬし麓雷」。なんのこと?) ARC古典籍ポータルデータベースより初陽毎朝来(はつはるの あしたごとには来たれども) それはわが朝(ちょう)の三十一字 これはもろこし廿四孝の人々を絵本にうつし 倭かなをもつて やわらげて子供様方も見やすからんがため または御孝行のたねにもなれかしと 絵本廿四孝として春のおなくさみにと御めにかけまいらせ候 めでたくかしく ーーー 「初陽毎朝来」の歌について…
書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・24 これは誰でしょう (完)
えー、今回の書籍の最後、24人目の孝子はこちらの方です。さあ、誰でしょう。テキスト部分は消してみました。 国立国会図書館デジタルコレクションより 壇の上には夫婦と思われる小さな像が並んでいます。そして像に向かい恭しく礼をする男性。これはもちろん、親孝行のあまり奥さんや隣人とトラブルを起こした、あの孝子さんですね。 と思いきや・・・。 まさかの老莱子(衝撃)。 いやいやいやいや、違うでしょう。18番目で老莱子すでに紹介してるし。 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・18 老莱子 ↓ 絵描きさんはちゃんと丁蘭の絵を描いたのにねー。文章描き込んだ人は同じ書籍の中で老莱子が二回出てくるのおかし…
雷嫌いの母が死んだ後も、雷が鳴ると母のお墓に駆け寄って母を守ろうとする王裒。服装や飛んだ笠、お墓など、細部は違いますが、基本的なところは左右共通してますね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王裒王裒 聞雷泣墓 王裒は母の使て孝行なり 常に其心は背かず 其母雷恐て甚し 左れば雷の催し有は譬へ遠方に有ても駆付て母の心を慰めける 死して後も雷の鳴る毎に墓に行き母人恐れ給ふに(な?)王裒爰に有迚其辺を立去ぬとぞ ーーー 王裒、この状態では雷に撃たれてますよね。ゴロゴロなんて可愛い音じゃなくてバリバリとか、いきなりドーンとかそういうレベル。
姜詩。右の挿絵には姜詩本人がいますが(立ってるだけ)、今回の挿絵には水を汲む奥さんの龐(ホウ)氏だけですね。見てるだけの姜詩はいなくても構いませんからね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 姜詩姜詩 湧泉踊鯉 後漢の人なり父に使に至孝なり 其妻宝氏も又姑に孝行を盡しける 然るに母 井の水をきらい江の水を好む 家近くに江の清き水無に依り日々龐に遠により江の水を汲み母に進め或時姜子が家の側に清き泉湧江の水に異ならず 又此れも毎朝二足の鯉出し助となりしとぞ ※今回もちょこちょこ怪しい箇所がありますが、何より「二足の鯉」が気になる。多分「二疋」と書くべきだったんだろうとは思うのですが。 ーーー …
父親のベッドメイクに励む黄香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黄香 扇枕温衾 後漢の黄香 字は文香(文強、もしくは文彊) 慶天道格を極め文章を能くしるお以て其名高し 九才の時に母を失ひ父に使へる元より家貧敷召使るれば自ら力を盡し夏の暑き所は夕に床を扇ぎ枕を清くし冬の寒き夜は身を以て床を温め父を臥さしめけり 如此孝行世にかくれなく尚書令(尚書省の長官)魏郡の太守に至る ※「慶天道格」って何だろうと思いましたが、「絵本二十四孝(岡田玉山)」の黄香のページで「経典(けいてん)を学び、道術を究(きは)め」と出ているのでおそらく「経典・道学」のことだと思われます。 ーーー 絵本二十四孝(岡田玉…
母親思いで盗賊からご褒美貰った蔡順。 国立国会図書館デジタルコレクションより 蔡順蔡順 拾椹供親 後漢の人也 此比王猛(王莽)の乱に依て母を養へ難ければ山に行て椹を拾ひ其入物(を?)二つに分て実の赤と黒を分を赤鬚の盗人共其故を尋ければ黒はよく熟たれば母に與 赤は吾が食と云 悪盗大に感じ米二斗牛の形股を與てかへりけり ※反乱軍「赤眉」が「赤鬚」になってます。優しいお医者さん?それにしても二十四孝について「繪本廿四孝(梅堂国政)」だけ読んだ人は、文章意味不明だったり漢字間違ってたりする箇所が多くてちょっと気の毒。 ーーー 修身二十四孝の蔡順。 (修身二十四孝)後漢の人なり 此の頃王莽(おうもう)の…
恐ろしい虎から父親をかばう楊香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 楊香 楊香 搤虎救父 楊香は魯の国にて楊寳の娘也 幼き時より孝心深く父に使て不離 父と供に山に行き大なる虎踊出て父を食はんす虎の首すじ取付父を扶と虎早迯去たり ※文字を書くスペースの都合で文章無理矢理短くしてますねー。文末になると字が小さくなって窮屈な感じ。虎の上の丘や木の部分をもう少しテキスト用に空けてあげればよさそうなものです。「ゑほん廿四孝」のほうは見開きなのでゆったり文章書いてありますね。 ーーー 修身二十四孝の楊香 (修身二十四孝) 楊香は魯の国にて楊ホウの娘なり いとけなきときより 孝心深く 父に仕へて しば…
老莱子。左右の絵、どちらも踊ってます。ご両親も複雑な気持ちでしょうね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子老莱子 戯綵娯親 幼き時より孝行を盡し其身七十に餘り父母存命也 吾老衰を父母の前に顕ては其身の老を悲み思態と子供の様に遊び物抔(など)取出し年の寄たる躰を見せず子供の泣たる真似を父母を慰けり ーーー 「真似を父母を慰けり」が気になるくらいですね。修身二十四孝の老莱子では「真似をして父母を慰めけり」と書かれています。
王祥。真冬だからちょうど今の時期でしょうか。自殺行為ですね。どちらの絵も鯉が池から飛び出しています。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥王祥 臥冰求鯉王祥は晋の世の人也 継母に使て孝行也 或時生魚を食んと母の望ける比霜寒氣甚敷時にて江には冰張結(詰)め魚を取可き手立なしと雖も孝心深き人成 赤躰と成 冰の上に臥て心中魚を得んとて祈けるに冰王祥が臥したる形に解二疋の鯉出て悦び持帰て母に進めける 孝の天を感せしむ事如此(かくのごとし) ※今回もほぼ「修身二十四孝の王祥」のテキストと同じでした。 ーーー (修身二十四孝)王祥は晋の世の人なり 継母に仕へて孝行なり あるとき 生魚を食らはんと …
50年ぶりに母親と再会した朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌朱壽昌 棄官尋母 七才の比父新に美女を求て実の母を去り爰に於て悲しみ歎くこと限無く父と後の母に使へ孝行をつくし其後五十年を過て父も後の母も身まかりて官を捨て母の行居を天に祈り地に祈り母は七十越存命 ※文末に小さな字で「母は七十越存命」と書いて、それ以上書くスペースなくなっちゃったみたいですね。続きの感動の再会シーンは修身二十四孝で。 ーーー 修身二十四孝の朱壽昌。 (修身二十四孝)七歳のころ 父あらたに美女を求めて 寿昌の実の母を去りけり ここにおいて悲しみ嘆くこと 限りなく もとより 孝心深きものなりければ 朝…
呉猛。呉猛の向きがこっち向きと向こう向きで、変化をつけてありますね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 呉猛呉猛 恣蚊飽血 呉猛は何時の人成こと言不知 八才の時孝行の名世に聞へ其家貧くて夏夜蚊帳の手当なく 父母蚊に悩み赤躰に成て父母の側に臥 虫と雖も父母食こと免よ父母は年老て血気薄く吾は満ち盛(さかんなれ)ば飽迄食可迚 躰も見へぬ迄集共其まま居たり ーーー 今回は目立った疑問点はないようですが、念のため修身二十四孝の呉猛のテキストを添えておきますね。こちらは平仮名が多くて読みやすいですし。 (修身二十四孝) 呉猛はいづれのときの人といふを知らず 八才にして 孝行の名 世に聞こへたり その…
唐夫人。これは左右の絵はほぼ同じ構図ですね。左の絵は子供がいないな、と思ったら唐夫人の椅子の後ろに隠れていました。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人 乳姑不怠 唐夫人は唐の伯領成青南と云人の妻也 姑の長孫夫人に使て孝を盡し長孫夫人老て甚食事心の儘に非(あらず) 朝夕乳を含養ける 無病にして長寿を持つ 其親族を招き我に長命したるは偏に唐夫人が思忠不酬して死に至ること恨成子孫の輩此夫人の孝心学行は行末榮可し ※唐夫人は「青南」という人の妻、と書かれています。「青南」はおそらく修身二十四孝での「崔南」のことだと思われます。 ーーー 修身二十四孝の唐夫人。 (修身二十四孝)唐夫人は唐の博…
橘の実を転がして有名になった陸績。 国立国会図書館デジタルコレクションより 陸績 陸績 懐橘遺母 三国の時の人也 六綵の方に行きけるに御馳走に橘を出したり 陸績密に三つを懐に入帰る時腰をかがめ地に落たり 袁術甚卑陋の由咎けるに 陸績畏て吾が為に出し給珍菓を無毛食(むげにくらふ)ことををしみ持帰り母に与へるなり答 満座感じけり ーーー ハイハイ、「六綵」の方に行ったんですね。「六綵」っていうのは地名か人名でしょうかねー。「修身二十四孝」見てみましょうねー。 (修身二十四孝) 三国の時の人なり 六才のとき袁術(えんじゅつ)かたへ行きけるに もてなしに たちばなをいだしたり 陸績ひそかに 三枚をふと…
母を車に乗せて故郷に向かう江革。並べると左右対称みたいに思える構図です。 国立国会図書館デジタルコレクションより 江革江革 行(傭)供母 後漢の人也 世の乱に母を供へ他国に行き其身は素足赤躰に人に雇て母を養へける 其其後母治て故郷へ帰る時 母を車に乗せ午馬又驚き給はんと自ら是を抱き帰り世に孝経に孝と称し朝庭に聞へて高官を授らん行末目出度榮へけり ーーー 例によってわけわかめな文章がちょくちょく入ってますね。「其其後母治て=そのそののち母をさめて」っていうのは「修身二十四孝」を参照すると「その後 世(よ)治まりて」のことですね。もう諦めの境地。 ということで修身二十四孝の江革。 (修身二十四孝)…
鹿の皮をかぶって鹿の群れに入り、猟師に殺されそうになった剡子。事情を説明中。 国立国会図書館デジタルコレクションより 剡子剡子 鹿乳奉親 剡子は其生時代を詳せず 相傳て孝行の(名)を称せり 父母年寄て目を煩へけるば医者を乞ければ鹿の乳を用ざれば癒難と言 然ども殺してと鹿より乳を求べき成れば鹿の皮を冠て山中に行き鹿に交て乳を求めんとす 猟人来て射取らんとす 剡子驚て声を揚て其実を告げたりければ弓矢を伏て通り係るを業なんど情心を感じ見そなはして必死の鎗を免し成る可し ーーー 「殺してと鹿より乳を求(もとむ)べき成れば」。鹿が「殺して」と言ったんでしょうか?なにがどう間違っているのか、さあ修身二十四…
董永。これは左右ほぼ一緒ですね。どちらも鍬が描き添えられてます。右側は雲の表現が細かいです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永 董永 賣身葬父董永は後漢の人なり 早く母を失ひ父に使に孝心也父死し葬べき便なり日比雇るる主人の元に至り銭十〆文を借て長く其家の下僕たらんことを銭(を?)得て父を葬り其家に至とする時道にて美(うるわ)しき女に逢ひ強て永ら妻と成り一ヶ月の間に三百匹のきぬをおり其負目を償ひて我は天帝の織女なり天帝君が孝を感じ我をして負目を償し玉と言て雲に乗て去にける ーーー ↑ 相変わらず意味の分からない部分が散見します。 「(美しき女に)逢ひ強て永ら妻と成り」ってなんなんでし…
曽参と同じく孔子十哲の一人、仲由。またの名を子路。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仲由 仲由 為親負米仲由は孔子の十哲の内なり 家貧しくて自ら米を持運び其賃を取て両親を養へ父母役て後国王に使へ大功を養て富貴の身の上と成飲食衣服一つとして不足なし威耀栄花の身となりしが仲由は夫を悦とせず古貧窮にして父母を養へたる事をしたひて常々歎き悲みしぞ実に孝心感ず可し ーーー ↑ 例によって意味不明な部分のある文章。「両親を養へ父母役て後」って何だろう、と思ったら「両親を養ひ父母歿して後」のことみたい。 こちらは修身二十四孝の仲由。 仲由は孔門十哲のうちなり 家貧しくして自ら米を持ち運び その賃を取…
閔損。継母とその子はほぼ同じポーズですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔損閔損 単衣順母 閔損字は子(騫) 孝子の弟子十哲一人にして孝行成人なり 幼なくして母に後れ父後妻を呼び二人に子を生む 母其子を愛て閔損を憎と雖も嘗て恨ず孝行を盡しける 或時父と共に出ること有 父其寒にたへ兼継母の悪き事は我より謝可御免の程願はんずと父にいさめ給ふとぞ ーーー 後半、継母が閔損の着物に綿を入れる代わりに葦の穂を入れた、という肝心な文章が省略されたために意味不明になってます。 修身二十四孝の閔損 で内容をご確認ください。 閔損 字は子騫(しけん) 孔子の弟子 十哲の一人にて孝行なる人なり いとけ…
曽参。左右の絵の曽参、衣装と顔は違えど構図、人体のポーズはほぼ同じ。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参曽参 齧指痛心 曽子は孔子の弟子にして大孝行の人なり 故に孔子此人に孝経を授け給ふとぞ 或時曽しん山へ行き薪を取に行きたりし跡へ母の親(したし)きへ(人?)来り 母もてなしをせまし思へども心に任ず 曽しんは早く返りし(返れかし?)と自ら指をかみけるが山の中に曽しんは痛心けるに おたふ急ぎ立帰に曽子其故を語けるに孝子親を忘ささるの誠と感じ給へけり 実に類なき孝子とぞ言可し ーーー 上の文章は意味不明な箇所がいくつかありますね。「修身二十四孝・3曽参」がよく似た文章なのでご参照ください…
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日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
訪問先で出されたミカンをこっそり持ち帰ろうとして見つかっちゃった陸績。 挨拶する時に袂からミカンが転がり落ちてしまったのでした。悪いことは出来ませんね、というお話・・・ではありません。美味しそうなミカンを母親のために持ち帰ろうとしたのでした。 鹿沼市千手院観音堂の陸績。ミカンが転がってます。 こちらの彫刻ではミカンが見当たらない。 陸績の足元がなんか怪しい。 画像を調整してみました。「浩」の下あたり、赤丸部分にミカンが数個あったのでは。ガリガリ削った跡があるし。これでは陸績が何を咎められているのかわからないですね。
性格悪くて追い出されそうになった義母を庇う閔損。 岡田玉山の閔損。義母の連れ子二人は置いていくのね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 自分の実子二人には優しく、冬には厚着をさせていましたが、先妻の子である閔損には寒くてたまらない服を着せていた後妻。 反省なんかしてないでしょうねー。 激怒する父親をなだめる閔損。お義母さんがいないと子ども三人ともこごえます!お義母さんがいれば僕は寒くても小さい子二人は暖かくしてもらえます!という謎理論で父親を説得。もっと自分を大事にしてほしいものです。 父親は閔損の謎理論に納得してしまったのか、後妻は家に…
蔡順。左上に「蔡順」と彫ってあるので蔡順。 桑の実の入った籠の横で座っているのが蔡順。なぜか籠が一個しかない。自分用(未熟)と母親用(完熟)、二つの籠がほしいところ。 で、この中央で妙なポーズを決めて、やたら目立っているお兄さんは誰なの。刀背負ってるから盗賊の一味なんでしょうけど。そのポーズの意味はなあに。お米はー?肉の片腿はー?御伽草子の蔡順のお話はこちら。 蔡順:早くご褒美下さいよー。 近所の道路わきに勝手に生えてる桑の木が、ちょうど実をつけてました。 上のように黒っぽくなったら食べごろですねー。桑の木って鳥が種を運んで勝手に生えてくるケース多いみたいですね。
年老いた母親を長生きさせるために、郭巨夫婦は幼い我が子を埋めて殺す計画を立てました。地面を掘ると黄金の釜が出てきたので生活は安泰になりました。子どもの命も救われました。 なんだか掘りにくそうな体勢。 岡田玉山の郭巨。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 郭巨はカメラ目線になっています。 奥さんは泣いてますね。彫刻で、泣いてる郭巨の奥さんは珍しいかも。 重宣の郭巨では奥さん泣いてます。 『和漢廿四孝』重宣 画 (東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース
姑のために遠いところまで水を汲みにいっていた姜詩の奥さん。その献身的な親孝行により神仏のご加護を受け、自宅敷地内から水が湧き出るようになりました。しかも毎日鯉も二匹ずつ捕れる様になりました。 水際にしゃがんで、柄杓で桶に水を汲む女性の図は「姜詩」の絵や彫刻ではスタンダード。 御伽草子 二十四孝 姜詩 国立国会図書館デジタルコレクションより 鯉が二匹水面から顔を出しています。 和漢廿四孝 (柳下亭種員撰 房種画)・9 姜詩 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より ↑この絵の中に、ご主人の姜詩は不在。 魚を運びながら橋を渡るのは姜詩かな。 水汲み場から奥の家まで結構距離ありそう。もっとも自…
董永。主役の董永は画面右上の遠いところにいます。 拡大しないとよくわからない存在。何か農具を担いで帰ってきた様子の董永。 元にしたと思われる岡田玉山の挿絵では織姫のそばにいるのにね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻では無理やり後ろを向かされている織姫。赤い部分は椅子の足なんですよね。普通に椅子に座っているのに上半身は後ろ向き。 江革や曽参、黄香も挿絵では前を向いているけれど彫刻では顔の向きが変わってます。黄香は身体ごと挿絵とは反対向きになってますが。 どうしてもこちらに向いている顔を彫りたかったのかなあ。でも織姫の姿勢は無理矢理す…
服を脱ぎ、身を挺して親の代わりに蚊に刺される呉猛。土の上に何か敷いて寝てるし。親は爆睡。呉猛の孝心に感動するより父親への批判のほうが強そうな場面。 岡田玉山・絵本二十四孝の呉猛。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 挿絵では一応屋根のある場所。 呉猛は丸々と太って血も美味しそう。蚊が狂喜する状況ですね。
漢文帝の右側には大舜。お二人の皇帝が並んでました。 つらい幼少期を過ごしながらも親を恨んだりしなかった舜。 これまでご紹介した彫刻では主に参考にしていたと見られる岡田玉山の「絵本二十四孝」ですが、大舜(虞舜)は一般的な少年時代の大舜ではなく皇帝になってからの姿が描かれてます。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の象はこちらが似てる感じ。「二十四孝教近道」の大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより バッグの中には何が入ってるのー。クンクン。
漢文帝は立派な宮殿にお住まいですね。豪邸過ぎて人物が小さくなってます。 岡田玉山の漢文帝。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の人物の部分を拡大してみましょう。 赤で囲んだ漢文帝と病床の薄太后、そして黄色で囲んだ男性二人と女性一人が彫刻にも描かれているよう。 こちらの厨房担当?の女性は挿絵には出てこない人ですね。 家の中にはこんなに使用人がいるのに、母親の食事は漢文帝自ら味見をして運んだ、というお話ですね。
夏には寝床を扇いで涼しくしてから父親を寝かせる、親孝行な黄香。 岡田玉山の黄香。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 黄香の立ち位置は違いますが、着崩した父親はよく似てますね。
雷雨の度にお墓へ飛んでいく、お墓参り好きな(?)王裒。 お墓が二つ並んでます。父親と母親のお墓でしょうね。 王裒後方頭上には雷神の姿がありますが・・・。 この画像では何だかよくわからない!今度行ったときには雷神もちゃんと写真撮ってこよう。 龍元さんのブログ「国指定重要文化財 柞原八幡宮 其の二」には可愛い雷神さんのお姿がくっきりと。 岡田玉山の王裒もお墓が二つ。こちらは雷神は不在。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
山で薪を集めていた時、「息子よ、早く帰って来て」という母親の心の叫びをキャッチした曽参。 後ろを振り返りつつ、母の待つ家に急ぎます。薪が誰かに盗まれないか心配してるのかしら。 岡田玉山の曽参。こちらの曽参は前を向いてます。首から下、手足の動きは彫刻と挿絵はよく似てますね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 謎の薄笑い。 薪と薪の間に桶がぶら下がってます。ここに桶があるのは初めて見ました。
妻子も地位も捨てて、生き別れになっていた母親に会いに行った朱寿昌。 岡田玉山・絵本二十四孝の朱寿昌。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より玉山の絵では山中の二人ですが、日暮門の彫刻では母親の背後に家がありますね。 やっぱり朱寿昌が訪ねていった母親の家があったほうが落ち着きますね。
母親を車に乗せて曳く江革。多分戦火が収まって避難先から自宅に帰るところ。 岡田玉山の「絵本二十四孝」の江革。 彫刻の江革は振り向いて母親の様子を見守っています。
将来的に、「時代にそぐわない不適切な表現」という理由で撤去されてしまう可能性も否定できない唐夫人。 岡田玉山の唐夫人。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
鹿の扮装をして山に入り、猟師に狙われる剡子。 岡田玉山「絵本二十四孝」の剡子。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 変な奴!討っちゃえ! 怪しい者ではありません!説得力ゼロだけど!
介護を女性に押し付けなかった黄庭堅。 上の部屋には病床の母親。回廊から母親のお小水を流す黄庭堅。下にはお湯を沸かしている女性。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 滝の音を聴きながら飲み物を運ぶ女性。風流ですねー。 その滝の上流で何やら流す主人。 見ないほうがいいわね~。
今日ご紹介する彫刻は仲由です。 孔門十哲の一人、子路。 岡田玉山の仲由。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 仲由は親と暮らしていた頃、貧しくていつもアカザの実などを食べ、米を運ぶ仕事をしていました。両親の死後、仲由は出世して御馳走が食べられるような身になりました。けれども仲由はアカザを食べながら親を養っていた暮らしに戻りたい、と思い涙するのでした。 彫刻ではテーブルの前の女性はいませんね。 食べ物を運ぶもう一人の女性は回廊を歩いています。 先日外食したとき「キヌアのサラダ」というメニューがあり、「キヌアってなあに?」と思って調べたら「アカ…
さて今日はこちらの彫刻です。「丁蘭」です。 左の祠の中には小さな像が二つ。丁蘭の両親をかたどったもの。 「丁蘭」の話を知らない人がこの彫刻を見たら、中央で棒を振り回す人が丁蘭だと思っちゃいそう。 そして右上の女性は、乱暴な夫から像を守ろうとする健気な丁蘭夫人だと思ってしまいそう。 岡田玉山の「丁蘭」。詳しいお話はこちらをご覧ください。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より ということで、この暴徒は丁蘭家の隣人の張叔さんでしたー。 丁蘭は不在です。
けなげな孝行息子の陸績。出されたおやつの果物を袂に入れて母の為に持ち帰りますが、見とがめられて弁明しているところです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孝悌皆天性 人間六歳児 袖中懐緑橘 送母報含飴 陸績(りくせき)字 公紀(あざな かうき) 陸績 六歳のとき 袁術といふ人の所へゆき侍り袁術 陸績がために 菓子にたちばなを出せり陸績これを取て 袖にいれてかへるとて袁術に礼をいたすとて たもとよりおとせり 袁術 是を見 陸績どのは おさなき人に似あはぬことといひはべりければあまりに見事なるほどに 家にかへり 母にあたへんためなりと申はべり袁術これをききて おさなきこころつけ 古今まれなり…
父の病気が治るように北斗の星に祈る庾黔婁。 国立国会図書館デジタルコレクションより 到縣未旬日 椿庭逢疾深願持身代死 北望啓憂心 庾黔婁(ゆきんらう) 庾黔婁は 南斉のときの人なり 孱陵といふ所の官人になつて すなはち孱陵県へ至りけるがいまだ十日にもならざるが たちまちに むなさはぎしけるほどに父の病みたまふかと思ひ 官を捨ててかへりければあんのごとく大にやめり黔婁 医者によしあしをとひければ 医師 病者の糞をなめて見るにあまくにがからばよかるべしとかたりければ黔婁やすき事なりと なめて見ければ あぢはいよからざりけるほどに 死せんことをかなしみほくとの星にいのりかけて 身がはりにたたんことを…
桑の実を分別していたので命拾いした蔡順。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黒椹奉親闈 啼飢泪満衣赤眉知孝順 牛米贈君帰 蔡順(さいしゆん) 蔡順は汝南といふ所の人なり王莽といへる人の時分の末に天下大にみたれ又飢饉して 食事に乏しければ 母のために くわのみをひろひけるが 熟したると熟せざるとをわけたり此とき世のみだれにより 人をころし はきどりなどする者ども来て蔡順に問ふ様は なにとて二色にひろひ分けるぞといひければ蔡順 ひとりの母をもてるが この熟したるをは母にあまへ(あたへ?) 熟せざるは我ため也と語りければ 心つよきふ道(不道)のものなれども かれが孝をかんじて米二斗と 牛のあし…
鹿の皮をかぶって山の中へ入った剡子。猟師に討たれそうになります。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老親思鹿乳 身掛褐毛衣若不高声語 山中帯箭皈 剡子(ぜんし) 剡子は親のために 命を捨てんとしける程の 孝行なる人なり其故は 父母おいて ともに両眼を煩し程に 目の薬なりとて鹿の乳をもとめたり 剡子 元より孝なる者なれは 親の望をかなへんと思ひすなはち鹿のかはをきて あまたむらかりたる鹿の中へまきれいり侍れは 狩人これを見て まことの鹿そと心得て弓にてゐんとしけりそのとき剡子 是はまことの鹿にはあらす剡子といふものなるか 親の望をかなへたく思ひいつはりて鹿のかたちとなれると こゑをあげてい…
母親と感動の再会、朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱寿昌(しゆじゆしやう) 朱寿昌は 七さいのとき 父そのははをさりけりさればその母をよくしらざりければ この事をなげきはべれどもついにあはざること五十年におよべり朱寿昌 官人なりといへども 官禄をもすて 妻子をもすて秦といふ所へたづねにゆきけるとて母にあはせて給へとみづから身より血をいだし 経をかきて 天道へいのりをかけて たづねたれば こころざしのふかきゆへに ついにたづねあへるとなり ーーー
生活が苦しいのはこの子のせい、といわんばかりの郭巨の行動。自分の仕事を増やそうとか変えようとかは考えません。子どもを埋める一択。 国立国会図書館デジタルコレクションより 貧乏思供給 埋児願母存黄金賜天所 光彩照寒門郭巨(くわくきよ)郭巨は 河内(かだい)といふ所の人也 いへ貧しうして母を養へり妻一子を生みて 三歳になれる 郭巨が老母 彼孫をいつくしみ わが食事をわけあたへける 或時郭巨 妻に語る様は貧しければ 母の食事さへ心に不足と思ひしに その内を分けて孫にたまはれば 乏しかるべし これ偏にわが子のありし故也所詮汝と夫婦たらは 子ふたたび有べし母はふたたび有べからず此子を埋(うづみ)て母をよ…
雷が苦手だった母親のために、母の死後も雷が鳴るたびにお墓に来る王裒。 国立国会図書館デジタルコレクションより 慈母怕雷聞 氷魂宿夜臺阿香時一震 到墓遶千回 王裒(わうほう) 王裒は営陰といふ所の人なり父の王義 不慮の事によりて 帝王よりはつと(法度)におこなはれ死けるを恨みて 一期のあゐだ その方へはむかふて座せざりしとなり父の墓所にゆき ひざまつき礼拝してかしはの木に取付て泣きかなしむ程に涙かかりて木も枯れたり母は平生 雷をおそれたる人なりければ 母むなしくなれる後にも 雷電のしける折には いそぎ母の墓所へゆき王裒これにありとて 墓をめぐり 死したる母にちからをそへたり かやうに死してのちま…
父親の寝具を扇いで涼しくしている黄香。お上が立札まで立ててくれました。介護やーめた、なんて言いにくくなるわね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 冬月温衾暖 夏天扇枕涼児童知子職 千古一黄香 黄香(わうきやう) 黄香は 安陵といふ所の人なり 九歳のとき母におくれ 父によくつかへて ちからをつくせり されば夏のきはめてあつき折には まくらや床(とこ)をあふいで すずしめて 又ふゆのいたつてさむき時には ふすまのつめたき事をかなしむとてわが身をもつて あたためてあたへたりかやうに孝行なるとて太守列護(劉讙?)といひし人ふだをたてて かれが孝行をほめたるほどにそれよりして人みな黄香こそかうかう…
天に帰る織姫を見送る董永。董永の脇には鍬と反物。 国立国会図書館デジタルコレクションより 葬父貸方兄 天姫陌上迎織絹償債主 孝感尽知名 董永(とうゑい) 董永は いとけなきときに母にはなれ家 貧にして常に人にやとはれ農作をし ちん(賃)をとつて日をおくりたり父老いて足もたたざれば 小車をつくり 父を乗せて 田のあぜにおいて やしなひたりある時父におくれて葬礼をととのへたく思ひはべれども元よりまづしければ叶はず料足十貫に身をうり 葬礼をいとなみけりさて かの銭主のもとへゆきけるが 道にて一人の美女にあへりかの人董永がつまになるべしとて ともにゆきて一月にかとりの絹 三百匹 織りて主のかたへ返した…
父を守る楊香、娘を守る気ゼロの父親。 国立国会図書館デジタルコレクションより 深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身纔口中 楊香(ようきやう) 楊香はひとりの父をもてり ある時父とともに山中へゆきしにたちまちあらき虎にあへり 楊香父のいのちをうしなはんこ事をおそれて虎を追ひさらんとし侍りけれども かなはざる程に天の御あはれみをこひ ねがはくは わが命をとらにあたへ 父をたすけ給へとこころざしをふかくして いのりければ さすが天もあはれと思ひ給ひけるにや今までたけきけしきにて とりくらはんとせし虎 にはかに尾をすへてにげしりぞきければ 親子ともに虎口の難をまぬかれ つつがなく家に帰りはべるなりこ…
唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孝敬崔家婦 乳姑晨盥(梳?)此恩無以報 願得子孫如 唐夫人 唐夫人は しうとめ長孫夫人 年たけて よろづ食事 は(歯)にかなはざれば ち(乳)をふくめ あるひはあさごとに髪をけづり そのほかよくつかへて 数年よくやしなひはべりあるとき長孫夫人わづらひつきて このたびは し(死)せんと思ひ一門一家をあつめていへることは わが嫁 唐夫人の数年の恩情を報ぜずして今 死せん事のこりおほしわが子孫 此唐夫人の孝義をまねてあるならばかならず すへも繁昌すべしといひはべりかやうに しうとめに孝行なるは 古今まれなりとて人みなこれをほめたりとさればやがてむくひ…
義母のために水を汲むお嫁さん。お姑さんの視線で背中が痛い。 国立国会図書館デジタルコレクションより 舎側甘泉出 一朝双鯉魚子能知事母 婦更孝於姑 姜詩姜詩は母に孝行なる人なり 母つねに江の水をのみたく思ひまた なまいを(生魚)の鱠(なます)をほしくおもへりすなはち姜詩 妻をして六七里の道をへだてたる江の水をくましめうをの鱠をよくしたためてあたへ夫婦ともにつねによくつかへりあるとき姜詩が家のかたはらに たちまちに江のごとくして水わきいで 朝ごとに水中に鯉ありこれすなはちとりて母にあたへりかやうのふしぎなることの ありけるは ひとへに姜詩夫婦の孝行を感じて天道よりあたへ給ふなるべし ーーー 八千戈…
子どもになりきって踊る老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 戯舞学嬌痴 春風動(綵?)衣 双親開口笑 喜色満廷圍 老莱子 老莱子は二人の親につかへたる人なりされば老莱子七十にして 身にいつくしき衣をきておさなきもののかたちになり 舞ひたはふれ 又 親のために給仕をするとてわざと けつまづきてころび いとけなきものの泣くやうに泣きたりこのこころは 七十になりければ としよりて かたちうるはしからざるほどにさこそ このかたちを 親の見給はば わが子のとしよりたるをかなしく思ひ給はんことをおそれ また親の年もよりたると思はれざるやうにとのためにかやうのふるまひをなしたるとなり ーーー 高…
体温で氷を解かし、母親の為に鯉を捕まえて持ち帰った王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 王祥 王祥 いとけなくして母をうしなひ 父また継母をもとめ その名を朱氏といひはべり 継母のくせなれば 親子のなかをあしくいひなしてにくましはべれども うらみとせずして けいぼにもよく孝行をいたしける かやうの人なる程に もとの母 冬のきはめてさむき折ふしなま魚をほしく思ひける故に 肇慶府といふ所の川へ もとめにゆきはべりされども冬のことなれば こほりとぢて うを(魚)みへずすなはち衣をぬぎて はだかになり こほりの上にふし魚なき事をかなしみゐたれば …
母の身に何かあったのではと、薪を背負って山から飛んで帰ってきた曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰来晩 骨肉至情深 曽参 曽参あるとき 山へ薪を取にゆきはべり 母るすにゐたりけるに したしき友来れりこれにもてなしたく思へども 曽参はうちにあらずもとより家貧しければかなはず 曽参がかへれかしとてみづから指をかめり曽参山に薪をひろひゐたるが にはかに むなさはぎしけるほどに いそぎいへにかへりたれば母ありすがたをつぶさにかたりはべりかくのごとく ゆびをかみたるが とほくへこたへたるは 一段の孝行にして 親子のなさけふかきしるしなりそうじて曽参の事は 人にかは…
冷たい継母の仕打ちにも黙って耐えた閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子有賢良 何曽照(怨?)晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫 閔子騫 いとけなくして母をうしなへり 父また妻をもとめて二人の子をもてり かの妻 我が子をふかく愛して 継子をにくみ 寒き冬の日も葦の穂を取りてきる物に入れて着せける間 身も冷へて たへかねたるを見て父 後の妻を去らんとしければ 閔子騫がいふやうは かの妻を去りたらば 三人の子さむかるべし今我一人寒さを こらへたらば 弟の二人は暖かなるべしとて 父をいさめたるゆへに これを感じて 継母ものちには へだてなく いつくしみ もとの母と同じくなれり ただ人…
亡くなった親の像を祀って毎日生きている人に対するように仕えた丁蘭。奥さんはしぶしぶ従ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭 丁蘭は 河内の野王といふ所の人なり十五の年 母におくれ ながきわかれをかなしみ母のかたちを木像につくり いける人につかへぬるごとくせり丁蘭が妻 ある夜のことなるに 火をもつて 木像のおもてをこがしたればかさのごとくに はれいで 膿ながれて 二日をすごしぬれば妻のかしらの髪が 刀にてきりたるやうになりて おちたるほどにおどろいて わびことをするあいだ丁蘭もきどくに思ひ 木像を大道へうつしおき つまに三年わびこと…
雪の中から生えてきたタケノコを収穫する孟宗。 国立国会図書館デジタルコレクションより 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春筝出 天位報平安 孟宗 字恭武あざな けうぶ 或子恭 あるひはしけう 孟宗は いとけなくして父におくれ ひとりの母をやしなへり母年おいて つねにやみいたはり 食のあぢはひも たびごと かはりければ よしなきものを のぞめり ふゆの事なるに 竹の子をほしく思へり すなはち 孟宗 竹林に ゆきもとむれども ゆきふかき折なればなどかたやすく得べきひとへに天道の 御あはれみをたのみ奉るとて いのりをかけて大にかなしみ 竹によりそひける所に にはかに大地ひらけて 竹のこ あまた おへ出侍りけ…
漢文帝。着物や床、調度品まで模様が細かく描きこまれてます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝 漢の文帝は 漢の高祖の御子なり いとけなき御名をば恒(ごう)とぞ申侍りき 母薄太后に孝行也よろづの食事をまいらせらるるときはまづみづからきこしめ召 こころみ給へり兄弟も あまた ましましけれども此みかどほど 仁義を おこなひ孝行なるは なかりけりこのゆへに 陳平周勃などいひける臣下達 王になしまいらせたりそれより漢の文帝と申侍りきしかるに孝行の道は 上一人より下万民まであるべき事也としるといへど 身におこなひ心に おもひ入ことはなりがたきをか…
トップは大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより ※文中、人名・地名と「かうかう(孝行)」「父」「母」などは漢字に変換して読みやすくしています。 隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心 大舜 大舜は いたつて 孝行なる人なり父の名は 瞽䏂(こそう)といへる 一だん かたくなにして 母は かしましき人なり弟は おほいに おごりて いたづら人なりしかれども大舜は ひたすら 孝行をいたせりある時 歴山といふ所に かうさく(耕作)しけるにかれが 孝行をかんじて 大象が来つて 田をたがやし又 鳥 とび来つて 田のくさを くさぎりかうさくのたすけをなしける也さてその時の天下の御あるじを尭(ぎや…