chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

小心
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/09/30

arrow_drop_down
  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・10 これは誰でしょう

    10番目の孝子はこのブログでも登場回数の非常に多い、虎に立ち向かった人物です。 この本ではなぜか舞台が川べりであることが多いですね。お父さんを守るためなら獰猛な猛獣をも恐れない、この子の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん楊香ですね。 楊香魯の国の人也 十五の年 父と山中に入 虎にあふ とらにわが身をあたへ 父をたすけ給へと天道に祈りて手をひろげて とらにむかへば乕(とら)尾をたれにげける 孝の心ふかきにより 父子とも難をのがれる ーーー

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・9 これは誰でしょう

    9番目の人。こちらも間違えようのない図柄。 この人で名前を間違えたら各方面から苦情が押し寄せそうですよね。ほかの孝子の名前は知らなくても、この女性だけは知っている、なんて人が多かったのではないかと想像します。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより はい、唐夫人でございます。 唐夫人崔南といふ人の妻也 夫人しうとめの老年にて 万(よろづ)食物歯にあはず このゆへに朝夕乳をのませて とぼしからぬやうにして孝行をつくせり この嫁 姑に孝行をつくせしめぐみにて末繁盛してさかへけるとなり ーーー

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・8 これは誰でしょう

    さて8番目の人です。これはさすがに間違えようがありませんね。 雲に乗って去っていく天女を見送る男性。わきには子どももいます。誰の子かは不明。二人は仮の夫婦になったとはいえ、多分数週間程度でしょうから、この幼児は二人の間の子ではないですよね。たまたま近くにいたんでしょう。ということで孝子の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 董永です。間違うはずありませんよね。 董永後漢の人也 いへまづし 人にやとはれ 耕作して ちん銭を取 父をはごくむ 天女下りて妻にならんと約し 妻に成て一月に二百疋のはたを織て董永が父をはごくむ ーーー えー、タイトルは合ってるんですが、文章の内…

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・7 これは誰でしょう

    なんだかんだで7人目まできました。 上半身はだかで横たわる少年。蚊の群れが少年に襲い掛かっていますが、少年は追い払う様子もありません。親孝行な少年の図ですが親の姿は見えません。家の奥のほうで寝てるんでしょうか。この少年の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 呉猛ですね。合ってますね。合ってて当たり前なんですけどね。なんかホッとします。 呉猛いついつの人といふ事をしらず 八才にて孝のみちしれり いへまづしくして夏月かやなし 親のねやのそばに はだをぬぎてふし わが身へ蚊をとまらせて 親の蚊をふせぎし こうこうの人なり ーーー

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・6 これは誰でしょう

    何をかくそう、実は内容に疑問点がいくつかあって紹介するのを少々ためらった書籍、鳥居清経の「繪本廿四孝」。 6番目はこちらの方。これは難問です。っていうか、わかったら奇跡。なんでわかるの、と聞き返したくなるレベル。 一段高いところに座っている女性は母親でしょうね、頭を下げる男性とそばに控える女性。漢文帝かな~、でも漢文帝は二番目に登場済、ということは丁蘭だね!母親は実物大で生きてるように見えるけれど実は木像なのね!簡単簡単タンタカタン!! ↓ ↓ ↓ さて驚きの人名は・・・! ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん姜詩ですよ(なんで?) 湧き水はどこいった?鯉二匹は????つーかこの絵は…

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・5 これは誰でしょう

    5番目の孝子はこの人です・・・えーと、どの人?と迷うくらい妙に人数が多いです。 ARC古典籍ポータルデータベースより 右側には赤ちゃんとを抱いて幼児の手を引いている女性。手を引かれた幼児の左側には、膝をついて男性に懇願する様子の少年。男性は3人います。田真兄弟でしょうか。違いますね。膝をついている少年が主役です。彼の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 閔子騫ですね。父親は3人の真ん中の黄色っぽい服の人でいいのかな。両脇の二人は激昂している父親をなだめてるところ? 閔子騫山東の兗州(列のような字は州の異体字)府の人なり 孔子の十哲の内也 継母に二人の子あり 母二人の子…

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・4 これは誰でしょう

    4番目の孝子はこちらです。父親の床を扇いで涼しくしている少年。 ARC古典籍ポータルデータベースより 川のすぐそばの寝床。川の流れる音がやかましくて寝にくいんじゃないでしょうか。さてこの少年の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ 黄香ですね。これまでの4人、問題ないですね。 黄香江夏安陵の人なり 九才にて母にをくれ 父に孝行をつくす 冬は父の夜具をわが身を以てあたため なつはあをひですずしくしてねせ奉り されは孝の道かくれなく みかどよりほうびを給りしとなり ーーー

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・3 これは誰でしょう

    三人目の孝子はこちらです。 川岸に置いた衝立の前に座る老夫婦。その二人の前で踊るおじさん。脇には太鼓を鳴らす子供もいます。どこが親孝行なのか理解しにくい、このおじさんの名は・・・ ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 踊ったり泣いたり、子どものフリをして親に老いを感じさせまいとした老莱子ですね。でも隣に本物の子どもがいたら年齢差が一目瞭然になってしまうと思うのですが。親もそこは気づかないフリをしてたんでしょうね。お父さんは目をそらしているようにも見えます。現実を直視したくないのかもしれません。 老莱子 楚のくにの人なり 七十餘にして百ゆう餘の両親に孝行をつくせし わが年よりて かた…

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・2 これは誰でしょう

    二番目の孝子はこちらの方です。場所は・・・昨日に引き続き、山道でしょうか。 山道の途中に衝立を据え、椅子に座る高貴な老婦人。左の男性は恭しく跪いています。この男性が孝子です。右手には若い女性が老婦人を見守っています。二十四孝の書籍ではよく、昨日の孝子さんの次に登場するあの偉い人といえば…。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 漢文帝ですね。通行妨害で訴えられそうですが、きっとここも漢文帝のお屋敷の敷地内なんだと自分を納得させます。 漢文帝漢の高祖の御子なり 稚名恒と申し御母は薄太后と申 一天子の御身に御母に上らるる食物をみつからなめこころみ そののちすすめ給ふ 臣感じて御位にすす…

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)・1 これは誰でしょう

    1番目はこちらの少年です。象が二頭。少年の手には鍬・・・これは鍬なのかしら?場所は畑。・・・ここ畑???象を連れて山越えしてるようにも見えますが。鳥は・・・いませんね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 二十四孝の本では大抵トップに登場する人です。 将来皇帝の座まで登りつめる人ですね。答えは・・・。 そう、大舜ですね。これは難しくありませんでしたね。 大舜 ちちは瞽䏂(こさう)とて盲目也 父母ともに大あくなり 舜孝行をつくして親を少しもうらまず かへつてわが身をせめて象をひきいてかうさくをたがへし給ふ ーーー

  • 書籍/繪本廿四孝 (鳥居清経画1774)

    明日からは鳥居清経の「繪本廿四孝 全」をご紹介していきます。右側が表紙、左側が奥付です。鳥居清経さんは有名な浮世絵師さんですね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 最初のページは序文のようです。(朱印で「このぬし麓雷」。なんのこと?) ARC古典籍ポータルデータベースより初陽毎朝来(はつはるの あしたごとには来たれども) それはわが朝(ちょう)の三十一字 これはもろこし廿四孝の人々を絵本にうつし 倭かなをもつて やわらげて子供様方も見やすからんがため または御孝行のたねにもなれかしと 絵本廿四孝として春のおなくさみにと御めにかけまいらせ候 めでたくかしく ーーー 「初陽毎朝来」の歌について…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・24 これは誰でしょう (完)

    えー、今回の書籍の最後、24人目の孝子はこちらの方です。さあ、誰でしょう。テキスト部分は消してみました。 国立国会図書館デジタルコレクションより 壇の上には夫婦と思われる小さな像が並んでいます。そして像に向かい恭しく礼をする男性。これはもちろん、親孝行のあまり奥さんや隣人とトラブルを起こした、あの孝子さんですね。 と思いきや・・・。 まさかの老莱子(衝撃)。 いやいやいやいや、違うでしょう。18番目で老莱子すでに紹介してるし。 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・18 老莱子 ↓ 絵描きさんはちゃんと丁蘭の絵を描いたのにねー。文章描き込んだ人は同じ書籍の中で老莱子が二回出てくるのおかし…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・23 王裒

    雷嫌いの母が死んだ後も、雷が鳴ると母のお墓に駆け寄って母を守ろうとする王裒。服装や飛んだ笠、お墓など、細部は違いますが、基本的なところは左右共通してますね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王裒王裒 聞雷泣墓 王裒は母の使て孝行なり 常に其心は背かず 其母雷恐て甚し 左れば雷の催し有は譬へ遠方に有ても駆付て母の心を慰めける 死して後も雷の鳴る毎に墓に行き母人恐れ給ふに(な?)王裒爰に有迚其辺を立去ぬとぞ ーーー 王裒、この状態では雷に撃たれてますよね。ゴロゴロなんて可愛い音じゃなくてバリバリとか、いきなりドーンとかそういうレベル。

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・22 姜詩

    姜詩。右の挿絵には姜詩本人がいますが(立ってるだけ)、今回の挿絵には水を汲む奥さんの龐(ホウ)氏だけですね。見てるだけの姜詩はいなくても構いませんからね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 姜詩姜詩 湧泉踊鯉 後漢の人なり父に使に至孝なり 其妻宝氏も又姑に孝行を盡しける 然るに母 井の水をきらい江の水を好む 家近くに江の清き水無に依り日々龐に遠により江の水を汲み母に進め或時姜子が家の側に清き泉湧江の水に異ならず 又此れも毎朝二足の鯉出し助となりしとぞ ※今回もちょこちょこ怪しい箇所がありますが、何より「二足の鯉」が気になる。多分「二疋」と書くべきだったんだろうとは思うのですが。 ーーー …

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・21 黄香

    父親のベッドメイクに励む黄香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黄香 扇枕温衾 後漢の黄香 字は文香(文強、もしくは文彊) 慶天道格を極め文章を能くしるお以て其名高し 九才の時に母を失ひ父に使へる元より家貧敷召使るれば自ら力を盡し夏の暑き所は夕に床を扇ぎ枕を清くし冬の寒き夜は身を以て床を温め父を臥さしめけり 如此孝行世にかくれなく尚書令(尚書省の長官)魏郡の太守に至る ※「慶天道格」って何だろうと思いましたが、「絵本二十四孝(岡田玉山)」の黄香のページで「経典(けいてん)を学び、道術を究(きは)め」と出ているのでおそらく「経典・道学」のことだと思われます。 ーーー 絵本二十四孝(岡田玉…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・20 蔡順

    母親思いで盗賊からご褒美貰った蔡順。 国立国会図書館デジタルコレクションより 蔡順蔡順 拾椹供親 後漢の人也 此比王猛(王莽)の乱に依て母を養へ難ければ山に行て椹を拾ひ其入物(を?)二つに分て実の赤と黒を分を赤鬚の盗人共其故を尋ければ黒はよく熟たれば母に與 赤は吾が食と云 悪盗大に感じ米二斗牛の形股を與てかへりけり ※反乱軍「赤眉」が「赤鬚」になってます。優しいお医者さん?それにしても二十四孝について「繪本廿四孝(梅堂国政)」だけ読んだ人は、文章意味不明だったり漢字間違ってたりする箇所が多くてちょっと気の毒。 ーーー 修身二十四孝の蔡順。 (修身二十四孝)後漢の人なり 此の頃王莽(おうもう)の…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・19 楊香

    恐ろしい虎から父親をかばう楊香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 楊香 楊香 搤虎救父 楊香は魯の国にて楊寳の娘也 幼き時より孝心深く父に使て不離 父と供に山に行き大なる虎踊出て父を食はんす虎の首すじ取付父を扶と虎早迯去たり ※文字を書くスペースの都合で文章無理矢理短くしてますねー。文末になると字が小さくなって窮屈な感じ。虎の上の丘や木の部分をもう少しテキスト用に空けてあげればよさそうなものです。「ゑほん廿四孝」のほうは見開きなのでゆったり文章書いてありますね。 ーーー 修身二十四孝の楊香 (修身二十四孝) 楊香は魯の国にて楊ホウの娘なり いとけなきときより 孝心深く 父に仕へて しば…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・18 老莱子

    老莱子。左右の絵、どちらも踊ってます。ご両親も複雑な気持ちでしょうね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子老莱子 戯綵娯親 幼き時より孝行を盡し其身七十に餘り父母存命也 吾老衰を父母の前に顕ては其身の老を悲み思態と子供の様に遊び物抔(など)取出し年の寄たる躰を見せず子供の泣たる真似を父母を慰けり ーーー 「真似を父母を慰けり」が気になるくらいですね。修身二十四孝の老莱子では「真似をして父母を慰めけり」と書かれています。

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・17 王祥

    王祥。真冬だからちょうど今の時期でしょうか。自殺行為ですね。どちらの絵も鯉が池から飛び出しています。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥王祥 臥冰求鯉王祥は晋の世の人也 継母に使て孝行也 或時生魚を食んと母の望ける比霜寒氣甚敷時にて江には冰張結(詰)め魚を取可き手立なしと雖も孝心深き人成 赤躰と成 冰の上に臥て心中魚を得んとて祈けるに冰王祥が臥したる形に解二疋の鯉出て悦び持帰て母に進めける 孝の天を感せしむ事如此(かくのごとし) ※今回もほぼ「修身二十四孝の王祥」のテキストと同じでした。 ーーー (修身二十四孝)王祥は晋の世の人なり 継母に仕へて孝行なり あるとき 生魚を食らはんと …

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・16 朱壽昌

    50年ぶりに母親と再会した朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌朱壽昌 棄官尋母 七才の比父新に美女を求て実の母を去り爰に於て悲しみ歎くこと限無く父と後の母に使へ孝行をつくし其後五十年を過て父も後の母も身まかりて官を捨て母の行居を天に祈り地に祈り母は七十越存命 ※文末に小さな字で「母は七十越存命」と書いて、それ以上書くスペースなくなっちゃったみたいですね。続きの感動の再会シーンは修身二十四孝で。 ーーー 修身二十四孝の朱壽昌。 (修身二十四孝)七歳のころ 父あらたに美女を求めて 寿昌の実の母を去りけり ここにおいて悲しみ嘆くこと 限りなく もとより 孝心深きものなりければ 朝…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・15 呉猛

    呉猛。呉猛の向きがこっち向きと向こう向きで、変化をつけてありますね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 呉猛呉猛 恣蚊飽血 呉猛は何時の人成こと言不知 八才の時孝行の名世に聞へ其家貧くて夏夜蚊帳の手当なく 父母蚊に悩み赤躰に成て父母の側に臥 虫と雖も父母食こと免よ父母は年老て血気薄く吾は満ち盛(さかんなれ)ば飽迄食可迚 躰も見へぬ迄集共其まま居たり ーーー 今回は目立った疑問点はないようですが、念のため修身二十四孝の呉猛のテキストを添えておきますね。こちらは平仮名が多くて読みやすいですし。 (修身二十四孝) 呉猛はいづれのときの人といふを知らず 八才にして 孝行の名 世に聞こへたり その…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・14 唐夫人

    唐夫人。これは左右の絵はほぼ同じ構図ですね。左の絵は子供がいないな、と思ったら唐夫人の椅子の後ろに隠れていました。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人 乳姑不怠 唐夫人は唐の伯領成青南と云人の妻也 姑の長孫夫人に使て孝を盡し長孫夫人老て甚食事心の儘に非(あらず) 朝夕乳を含養ける 無病にして長寿を持つ 其親族を招き我に長命したるは偏に唐夫人が思忠不酬して死に至ること恨成子孫の輩此夫人の孝心学行は行末榮可し ※唐夫人は「青南」という人の妻、と書かれています。「青南」はおそらく修身二十四孝での「崔南」のことだと思われます。 ーーー 修身二十四孝の唐夫人。 (修身二十四孝)唐夫人は唐の博…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・13 陸績

    橘の実を転がして有名になった陸績。 国立国会図書館デジタルコレクションより 陸績 陸績 懐橘遺母 三国の時の人也 六綵の方に行きけるに御馳走に橘を出したり 陸績密に三つを懐に入帰る時腰をかがめ地に落たり 袁術甚卑陋の由咎けるに 陸績畏て吾が為に出し給珍菓を無毛食(むげにくらふ)ことををしみ持帰り母に与へるなり答 満座感じけり ーーー ハイハイ、「六綵」の方に行ったんですね。「六綵」っていうのは地名か人名でしょうかねー。「修身二十四孝」見てみましょうねー。 (修身二十四孝) 三国の時の人なり 六才のとき袁術(えんじゅつ)かたへ行きけるに もてなしに たちばなをいだしたり 陸績ひそかに 三枚をふと…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・12 江革

    母を車に乗せて故郷に向かう江革。並べると左右対称みたいに思える構図です。 国立国会図書館デジタルコレクションより 江革江革 行(傭)供母 後漢の人也 世の乱に母を供へ他国に行き其身は素足赤躰に人に雇て母を養へける 其其後母治て故郷へ帰る時 母を車に乗せ午馬又驚き給はんと自ら是を抱き帰り世に孝経に孝と称し朝庭に聞へて高官を授らん行末目出度榮へけり ーーー 例によってわけわかめな文章がちょくちょく入ってますね。「其其後母治て=そのそののち母をさめて」っていうのは「修身二十四孝」を参照すると「その後 世(よ)治まりて」のことですね。もう諦めの境地。 ということで修身二十四孝の江革。 (修身二十四孝)…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・11 剡子

    鹿の皮をかぶって鹿の群れに入り、猟師に殺されそうになった剡子。事情を説明中。 国立国会図書館デジタルコレクションより 剡子剡子 鹿乳奉親 剡子は其生時代を詳せず 相傳て孝行の(名)を称せり 父母年寄て目を煩へけるば医者を乞ければ鹿の乳を用ざれば癒難と言 然ども殺してと鹿より乳を求べき成れば鹿の皮を冠て山中に行き鹿に交て乳を求めんとす 猟人来て射取らんとす 剡子驚て声を揚て其実を告げたりければ弓矢を伏て通り係るを業なんど情心を感じ見そなはして必死の鎗を免し成る可し ーーー 「殺してと鹿より乳を求(もとむ)べき成れば」。鹿が「殺して」と言ったんでしょうか?なにがどう間違っているのか、さあ修身二十四…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・10 董永

    董永。これは左右ほぼ一緒ですね。どちらも鍬が描き添えられてます。右側は雲の表現が細かいです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永 董永 賣身葬父董永は後漢の人なり 早く母を失ひ父に使に孝心也父死し葬べき便なり日比雇るる主人の元に至り銭十〆文を借て長く其家の下僕たらんことを銭(を?)得て父を葬り其家に至とする時道にて美(うるわ)しき女に逢ひ強て永ら妻と成り一ヶ月の間に三百匹のきぬをおり其負目を償ひて我は天帝の織女なり天帝君が孝を感じ我をして負目を償し玉と言て雲に乗て去にける ーーー ↑ 相変わらず意味の分からない部分が散見します。 「(美しき女に)逢ひ強て永ら妻と成り」ってなんなんでし…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・9 仲由

    曽参と同じく孔子十哲の一人、仲由。またの名を子路。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仲由 仲由 為親負米仲由は孔子の十哲の内なり 家貧しくて自ら米を持運び其賃を取て両親を養へ父母役て後国王に使へ大功を養て富貴の身の上と成飲食衣服一つとして不足なし威耀栄花の身となりしが仲由は夫を悦とせず古貧窮にして父母を養へたる事をしたひて常々歎き悲みしぞ実に孝心感ず可し ーーー ↑ 例によって意味不明な部分のある文章。「両親を養へ父母役て後」って何だろう、と思ったら「両親を養ひ父母歿して後」のことみたい。 こちらは修身二十四孝の仲由。 仲由は孔門十哲のうちなり 家貧しくして自ら米を持ち運び その賃を取…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・8 閔損

    閔損。継母とその子はほぼ同じポーズですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔損閔損 単衣順母 閔損字は子(騫) 孝子の弟子十哲一人にして孝行成人なり 幼なくして母に後れ父後妻を呼び二人に子を生む 母其子を愛て閔損を憎と雖も嘗て恨ず孝行を盡しける 或時父と共に出ること有 父其寒にたへ兼継母の悪き事は我より謝可御免の程願はんずと父にいさめ給ふとぞ ーーー 後半、継母が閔損の着物に綿を入れる代わりに葦の穂を入れた、という肝心な文章が省略されたために意味不明になってます。 修身二十四孝の閔損 で内容をご確認ください。 閔損 字は子騫(しけん) 孔子の弟子 十哲の一人にて孝行なる人なり いとけ…

  • 書籍/繪本廿四孝 (梅堂国政1885~6)・7 曽参

    曽参。左右の絵の曽参、衣装と顔は違えど構図、人体のポーズはほぼ同じ。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参曽参 齧指痛心 曽子は孔子の弟子にして大孝行の人なり 故に孔子此人に孝経を授け給ふとぞ 或時曽しん山へ行き薪を取に行きたりし跡へ母の親(したし)きへ(人?)来り 母もてなしをせまし思へども心に任ず 曽しんは早く返りし(返れかし?)と自ら指をかみけるが山の中に曽しんは痛心けるに おたふ急ぎ立帰に曽子其故を語けるに孝子親を忘ささるの誠と感じ給へけり 実に類なき孝子とぞ言可し ーーー 上の文章は意味不明な箇所がいくつかありますね。「修身二十四孝・3曽参」がよく似た文章なのでご参照ください…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、小心さんをフォローしませんか?

ハンドル名
小心さん
ブログタイトル
二十四孝に会いに行く!
フォロー
二十四孝に会いに行く!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用