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二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

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2019/09/30

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  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・24 黄山谷 (完)

    ラストは黄山谷。調度品や壁、植物、ひとつひとつの描き込みが細かいです。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵黄山谷 貴顕聞天下 平生孝事親 汲泉涓溺器 婢妾豈無人 山谷は宋朝の詩人なり、今に至りて詩家の司といはるゝ人にて東破の弟子なり、家にあまたの人をつかひ妻もありけれども自ら母の大小便のうつわものを取あつかいて汚れたる時は、手づから是をあらひ清めて母にあたへ朝夕よくつかへておこたる事なし、されば一を以て十を知るときたなき限りをさへ斯のごとくなれば其外の事おしはかられて侍る山谷が孝義天下に顕れ元より慈悲心ふかく、下をあはれみ出入ほどの者にもふびんを加へ召…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・23 呉猛

    残りお二人になりました。今日は親をかばって蚊に刺されまくる呉猛くんです。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 呉猛 夏夜無帷帳 蚊多不敢挿恣梁膏血飽 免使人親闈 呉猛は八歳の時より孝心ふかき人なり然れども家まづしくよろづ心にまかせざりける、夏の夜に帷帳さえなくて蚊をふせぐことならざりしかは、呉もうみづから赤はだかになりわがきぬをおやのすそにかけて、わが身を蚊にくわせなば蚊も(はら)にあきておやをばさゝざるべしとおもひいつとても夜もすがらわが身を蚊にくわせておやのかたへ蚊のゆかぬやうにうちわにてはらひのけつゐにわが身は蚊のためにあくまでさゝれすこしもいと…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・22田真、田広、田慶

    田真・田廣・田慶。♪でんしん三兄弟・でんしん♪ 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 田真・田廣・田慶 海庭紫珊瑚 群芳惣不知 春風花満樹 兄弟復同居 此三人は兄弟なりおや孝行にして兄弟むつまじく、両親におくれ財宝こと/″\く三つにわけてとれるが、庭前に紫荊樹といふ美しきみのなる大木あり是をも三つにわけて取べしと、よもすがら談合して止ざりしが夜明て見れば此大木枯たり、草木心なしといへどもわけんといふをかなしみかれたりと覚へたり、人として是をわきまへざるべしやとて分んといふことをやめたりしかば、また元のごとくあを/\としげり花さき実のり二たびさかへたり、ま…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・21 張孝張礼

    張孝兄弟。絵だけ見ると棒を振り回しているのが主役の孝子かと思いそうです。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 張孝張礼 偶値緑林児 代烹云痩肥 人皆在兄弟 張氏古今稀 張孝張禮の兄弟天下大にききんとなりける時木の実を拾ひ八十にあまる母を養ふ食事とせり。弟の張禮木の実を拾ひに行たればひとりの飢つかれたるもの来り、禮を殺して喰はんといへり、張禮大におどろきしが我にひとりの老母有て今日未食をあたへず、木の実を拾ふざんじをまち玉はば母にまいらせて後ここに来るべし、もし約束をちがへなば我家に来り一族までもころしたまへと、帰り母にしよくを進めて後彼ところへ至る、兄…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・20 陸績

    陸績。たもとから転がり落ちた橘の実を見てとがめる袁述。この袁述(術)さんというのは三国志に出てくる袁術さんですよね?最近「絵本通俗三国志」を読み始めました。挿絵が葛飾戴斗なので。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 陸績 孝悌皆天性 人間六歳児 袖中懐緑橘 遺母報含飴 呉国の陸績といふもの六歳のとき袁述といふ人のもとへいたりしに、袁述陸績がために橘の菓子をいだしてもてなしけり、陸績これを三つとりてそでに入てかくしもち用事なしはて帰る時袁述に礼をなすとてたもとより彼橘をおとしければ、袁述これを見て陸績児は幼稚に似合ずいやしきふるまひかなと申しければ、績顔…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・19 庾黔婁

    東尋坊みたいな崖の上で星に祈る庾黔婁。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 庾黔婁 到縣未旬日 椿庭構疾深願将身代死 北望啓憂心 庾黔婁は南齊の時の人なりきわめて心ざし直清なりしかば、扇陵懸といふ所の官人となれり、則ち扇陵懸へいたり未十日にもならざる内俄に胸さはぎしける程に、父のやみ給ふかとあんじ官を辞してかへりける、はたして父病にふしたりしかばおどろきつつ医をまねき其病体を見せ善悪を尋し所病人の大便をなめて甘く苦ければ病いゆべしといふ、やすきことなりとて父の大便をなむるに甘く苦からざれば大におどろき、医師の言葉に相違すれば、その死につかんことをなげき…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・18 蔡順

    蔡順。桑の実を青いものと完熟したものとを分けてたために命拾いした人。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 蔡順 黒椹奉親闈 啼飢涙満衣赤眉知孝順 牛米贈君帰 蔡順は除南といふ所に住り父にはなれて母をやしなふその頃王まうといふもの乱をおこし天下みだれてきゝんとなりけるゆへ食事にとぼしく、母をやしなふたよりすくなく桑の実を拾ひとりて食じのたよりとしける、世の中乱れてより人を殺しはぎとりなどしてせいするものなくぬす人あまた蔡順を追来り、順が桑の実のじゆくしたるとじゆくせざるとをひろい分るをいぶかしみ、そのゆへをたづねければじゆくしたるは老たる母の食にあたふな…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・17 剡子

    鹿の扮装をして山へ鹿の乳を採取に赴き、猟師に狙われた剡子。山中でこんな怪しい格好の人物が近づいてきたら撃つわね。奥の二階家が200年前の住宅っぽくなくて現代でもありそうな佇まい。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 剡子(せんし) 老親思鹿乳 身掛褐毛衣 若不高声語 山中帯矢帰 剡子はかい國の人なり父母共に老て両眼をわづらいしが、此薬に鹿の乳を用ればよしといへり剡子元より孝行ふかきゆへ父母の望を叶へたく、鹿の生皮を求是をかづき山中にわけ入あまた鹿のむらがりし中へ紛れ込、鹿の乳汁を取(とら)んとす。かかる所へ猟師きたりて鉄砲にてねらひうたんとしけるゆへ、…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・16 朱壽昌

    母と感動の再会をする朱壽昌。朱壽昌は細い橋の上。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 朱壽昌 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱壽昌は宋の天長の世の人なり。七才の時父雇州の守護となりし時壽昌が母を去追出せり。夫より五十年が間母を知らざる事をかなしみ父のもつ(没)後官録を辞して母を尋ねに出けり。われ母にあはずば二たびかへらじと身より血を出して経を書誓ひをたてて天道に祈り何卒して母にあはせ玉はれとふかくなげき祈りけるが、其心ざしの切なるにや天の冥助をうけて同じ国のかたはらにて母に遭けり。其時母のとし七十に余れり互に泪を流し悦(よろこ)ぶ事限り…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・15 郭巨

    郭巨。当ブログで一番記事の数が多い孝子。彫刻の題材に多いのは、黄金の釜を掘り当てた、という幸運にあやかりたくなるんでしょうかね。子どもを埋めようとしていた闇の部分も釜の輝きで打ち消されてしまうようです。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 郭巨 貧乏思供給 埋児願母存黄金天所賜 光彩照寒門 郭巨は河南といふ所の人なりきはめてまづしうくらせども、よく母に孝やうをつくせり三才になりける子を持しが、郭巨が母ひとりの孫なりとてめでいつくしみ食物をわけあたへ侍る、或時郭巨つまにかたりていふやう母の食じさへ心にたらずと思ひしに其内を孫に分あたへ玉はればさぞかしもの…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・14 王裒

    王裒。背後に落雷してます。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 王裒 慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺阿香時一震 到墓遶千廻 王裒はえいゐんといふ所の人なり父の王義罪なきに文帝王にころされしが、是を恨み仮にも帝王のかたへむく事なし、父のはかへ行て印の柏木に取つき泣かなしみければ泪にてかれたりとぞ、母はかみなりをきらひけるゆへ死てのち雷鳴するときは母のはかへ行て王裒まいり候と、ははに力をつけ墓所をくる/\とめぐり居たりかやうの孝心ふかきものなれば上もちひらるべきに、官にもつかず位をものぞまず家貧しくくらせ共たくわゆることなし、耕作をなして身を高ぶらずくらしけるゆえ…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・13 黄香

    夏は布団を仰いで涼しくしてから、冬は体温で布団を温めてから父を寝かせた孝行息子の黄香。右ページ上部には黄香の親孝行ぶりを褒めたたえた高札が掲げられて、人々が読んでいます。黄香の家を高台に持ってきて、高札と家の間に川を描いて、高さや距離を明確にする・・・上手いねー。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 黄香 冬月温衾煖 夏天扇枕涼児童知子職 千古一黄香 黄香はあんりやうといふ所の人なり、九才の時母におくれしがよく父につかへて孝をつくせり、夏の夜のきわめてあつきには枕ゆかなどをあほひですずしめ、また冬の至て寒きときはふすまのひへわたりてつめたきことをおもひ…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・12 董永

    董永。機織道具一式とともに天に引き上げていくところ。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 董永 葬父貸方香 天姫泊上迎織絹償債生 孝感尽知名 董永はいとけなき時母にはなれ家ひん(貧)にして常には人にやとはれて耕作し賃をとりて日をおくりたり、父老てあしも立ざればさゝやかなる車をつくりて父をのせ田のあぜに置てやしなひけるが終に父をさきだて葬礼のいとなみせんにもその料足なければ心にまかせず、己が身をうりて十貫の銭を調へ葬式をとり行ひけり、夫より銭主の元へ行道にてひとりの美女董永が妻に成べしとて来る、しか/\のわけなりと辞すれ共、聞いれずやがて銭主のもとへ来り…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・11 楊香

    楊香。これは虎が楊香の説得に応じて去っていくところのようですね。「とびかからんと見へし虎、たちまち尾をたれてしりぞきける」という絵ですね。いつも木の陰に隠れている気の弱いお父さんも安心して見守っています。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 楊香 深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身纔甲中 楊香父とふたり山中をよぎるに、ひとつの虎にあえりとらまなこをいからし牙をあらはしすでに飛かからんとす、楊香幼稚(おさな)ごゝろにちゝのかまれ命をうしなはん事をかなしみ、虎を追退(おいのけ)んとすれどもとらます/\いかりてかなひがたければ、天を拝しこひ願はくは楊香が…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・10 唐夫人

    唐夫人。祖母に母乳をとられている幼子が母親に小さな手を伸ばして訴えています。おばあちゃんと母乳を共有ってヤだわ~。衛生的にもよろしくなくってよ。この子は断乳済だと思いたい。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 唐夫人 孝敬崔家婦 乳姑晨(盥)梳此恩無以報 願得子孫如 唐の夫人は しうとめの長孫夫人年たけて歯もこと/″\くぬけおち、よろず食もつ歯に叶はずして味はひなき故乳汁をふくめ朝には髪けづり、夕には腰をなで(よろず)信(まめ)やかによくつかへ数年やしなひけり、或時長孫夫人わづらひ付てすでに死すべくおもひ一家一門のこらずあつめていへる事は、わが嫁夫人の…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・9 姜詩

    姜詩。彫刻だとちょいちょい不在にする姜詩がいます。でも何してるんだか。魚つかまえるのを奥さんに丸投げ中。「早くつかまえろ」って指図してるのかしら。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 姜詩 舎側甘泉出 一朝双鯉魚子能知事母 婦更孝於姑 姜詩は母に孝行なる人なり、母常に江の水を吞みたくおもひ又は生魚のなますをほしく思へり、則姜詩妻に言付六七里へだてたる江の水をくましめ魚のなますもよく調へ参らせける、或時風雨にあふて妻もどらざりしかば、姜詩いかつて去ける、さられても姜詩を少しもうらむる事なく猶かげより志うとめにいろ/\のものを参せ心をつくして孝養せり、その…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・8 老莱子

    老莱子。印刷が薄くてちょっとわかりにくいですが、老莱子が水の入った器をお盆に乗せて運ぶ途中、ひっくり返して水がこぼれ、泣きわめいているところのようです。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 老莱子 戯舞学嬌痴 春風動綵衣 双親開口笑 喜色満庭闈 老來子は年七十余までふたりの親をもち、孝行をつくし身にうつくしき衣服をまとひ小児のごとくたはふれ舞あそび二親の給事をして、わざとつまづきこけいとけなき時のごとくなきわめきける、或はびん髷の白髪を黒染になしける故人そのこころをたづねければ我七十に余りぬれば年よりてかたちかれうるはしからざる故に、かかるありさまを親…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・7 王祥

    王祥です。氷の下に透けた魚影が見えるのがニクいところです。脇の木に脱いだ衣を掛け、魚籠も置いてあります。王祥笑っていますが氷は大変危険な状況です。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 王祥 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一斤卧氷摸 王祥はいとけなくして母をうしなへり、父後妻を求む其名を朱氏といひ侍(はべる) 継母のくせとして父子の中をあしさまに言なして、王祥を父に悪(にく)まし侍れども恨みとせずしていよ/\孝心おこたらず、継母にもよく仕へける かやうの人なりしゆへ実の母冬のきはめて寒き折ふし、生魚をほしくおもひける程に肇(茎)府といふ所の川へもとめ…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・6 曽参

    「曽参」といえば薪を担いだまま、または玄関先に放り出して母親のもとに駆け寄るシーンが主流ですね。こんな感じにね。 初頴日記故事・3 曽參 こちらが葛飾戴斗タイトの「曽参」。木に登って枝の伐採中です。そして遠い我が家では一人留守番している母親のところに杖をついた客人が訪れたところ。右ページの曽参の振り上げたナタの下、岩の上にはすでに集めた薪がまとめてあります。この場面のあとまもなく、母親は指を噛んで「曽参早く帰ってきて」と念じ、胸騒ぎを感じた曽参は薪を担いで急ぎ山道を駆けおりるわけですね。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 曽参 母指纔方噛 児心痛不禁…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・5 閔子騫

    閔子騫。変な帽子で顔が見えない父親。その父親と衝立の間で品よく座っているのが閔子騫ですね。優しげで、女性かと思いました。意地悪な継母は自分が産んだ子供二人を連れて家を追い出されそうになっているところ。衝立の上部には右から「葛飾ナントカ」と書かれてますね。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 閔子騫 閔氏有賢良 何曽怨晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫はいとけなくして母にはなれ、父の妻をむかへてふたりの子をもてり。彼のつまわが子をふかく愛してまま子をにくみ、寒中にはあしの穂をとりて着ものに入きせけり。父そのさむさにたへかねたるをみて大いにいかり、後のつま…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・4 丁蘭

    この「丁蘭」は異色です。下の文章を例に取ると、普通は「ははの形を木像につくり生(いけ)る人に仕(つかへる)ごとくせり」の部分をさし絵にするところですが。 ↓こういう感じにね。(「修身二十四孝」より、両親の木像に食事をお供えする丁蘭) でも戴斗が描いたのは「一夜の内に雨風の音して木像は自から内へ帰(かへり)たるなり」の部分。木片が空中を舞ってます。嵐の夜、戸板を外して帰宅した母親の像。ホラーですね。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 丁蘭 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親丁蘭は河内の野王といふ所の人なり年十五にして母におくれ長きわかれをかな…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・3 孟宗

    「孟宗」といえば鍬でタケノコを掘っている場面が主流ですが、こちらの絵では収穫を終えて帰路についているところですね。竹林すら描いていません。鍬にタケノコ2本結わえて雪深い山道を下る男性。顔も見えません。彼の眼は右ページ奥にある集落の中の、母が待つ我が家を見ているのでしょう。餌を探す雀の群れが空間を感じさせてくれてます。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 孟宗 泪滴朔風寒 簫々竹数竿須臾春筍出 天意報平安 孟宗はいとけなくして父におくれひとりの母をやしなひけり、母いたく年老て常にやみいたはり食事の味ひもかはり、めづらしきものをのみこのみける冬の雪ふりける…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・2 漢文帝

    漢文帝。左のページで恭しく飲み物を運んでいます。右のページで一段高い部屋のカーテンの奥に座っているのが母の薄太后ですね。侍女が二人、薄太后のそばに控えています。漢文帝の左にある衝立は向こう側の障子の桟が透けて見え、外の風景の水面には帆掛け船が浮かんでます。細かいなあ。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 漢文帝 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢の文帝は高祖の御子なり御幼名は恒と申しはべり、御母の薄太后に孝行まし/\、万の食事をまいらせる時は、先みづからきこしめし試たまへり、御兄弟もまし/\けれ共わけて此みかどは孝心ふかくおわしますゆへ、…

  • 書籍/二十四孝図会(葛飾戴斗)・1 大舜

    1819年版、トップは大舜です。大舜と象が2頭。鳥は・・・どこかな?画面右奥の丸い桶は井戸でしょうか。筵の日よけみたいなのも立ててありますね。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 Museum number : 1979,0305,0.537Title : Nijushiko zue 二十四孝図会Print artist : Katsushika Taito II 二代葛飾戴斗Cultures/periods : Bunsei EraProduction date : 1819 1819年版では印刷がかすれ気味でよくわかりませんが、1822年版を見ると…

  • 二十四孝図会(葛飾戴斗)

    葛飾戴斗の絵が面白いので、The British Museumの画像を利用して明日から一日一つずつご紹介させていただきます。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 Museum number:1979,0305,0.537 Title: Nijushiko zue 二十四孝図会 Print artist: Katsushika Taito II 二代葛飾戴斗 Cultures/periods:Bunsei Era Production date:1819

  • 東置賜郡 貞泉寺・17(終) 郭巨の釜

    内陣奥の左側にも無人の彫刻が。 輝く釜と鍬。これは郭巨以外の何物でもありませんねっ。 黄金の釜の中に、さらに黄金が詰まっている感じ♪ めでたく貞泉寺さまの彫刻の紹介を終えさせていただきます。ご協力くださった関係者の方々に感謝いたします。ありがとうございました。 ーーー 貞泉寺の二十四孝彫刻 終 ーーー

  • 東置賜郡 貞泉寺・16 孟宗の筍と鍬

    さて内陣の奥の右手にある彫刻は・・・。人物はいませんが・・・。 竹とタケノコ、そして鍬。これは「孟宗」ですよねっ。孟宗いませんけどね。 「姜詩のいない”姜詩”」や「丁蘭のいない”丁蘭”」は見慣れてますが「孟宗のいない”孟宗”」は見たことないかも。

  • 東置賜郡 貞泉寺・15 呉猛

    蚊の来襲から父親を守るため、裸になって自分を蚊に捧げた呉猛。 この彫刻も葛飾戴斗の絵とよく似てます。モクモク煙の出ている器が彫刻では手前に来てます。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 BM-JH537 The British Museum所蔵 詞書には「絵にかけるさえいともあはれなるに泪をながさぬはなし いかにくるしからざらんや」と書いてあります。 南里亭其楽 さんも呉猛に同情したんでしょうね。

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