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二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

小心
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2019/09/30

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  • 二十四孝・24 陸績

    ラストは陸績。 陸績ろくせき 字(あざな)公紀陸績(ろくせき)は六歳の時 袁術と云人の所へ行き侍り。袁術陸績(りくせき)がために 菓子に橘を出せり。陸績(りくせき)これを三つ取りて袖に入れて帰るとて 袁術に礼をいたすとて たもとより落とせり。袁術これを見 「陸績(りくせき)殿は幼き人に似あわぬこと」と云ひ侍りければ 「あまりに見事なるほどに 家に帰り 母に与へんためなり」と 申し侍り。袁術これを聞きて 幼き心にて かやうの心づけ 古今まれなりと 誉めたるとなり さてこそ天下の人 彼が孝行なることを 知りたるとなり。 「ろくせき」になったり「りくせき」になったりしていますが、細かいことは気にしな…

  • 二十四孝・23 剡子

    残り二人になりました。23番目は剡子。 剡子せんし剡子は親のために命を捨てんとしけるほどの孝行なる人なり。そのゆへは父母老ひて ともに両眼をわづらひしほどに 目の薬なるとて 鹿の乳をのぞめり。剡子もとより孝なるものなれば 親の望みを叶へたく思ひ すなはち 鹿の皮を着て あまた群がりたる鹿の中へまぎれいり侍れば 猟人是を見て まことの鹿ぞと 心得て弓にて射んとしけり。その時 剡子「是は まことの鹿にはあらず 剡と云ふ者なるが 親の望みをかなへたく思ひ いつわりて 鹿の形となれる」と 声をあげて 云ひければ かりうど 驚いて その故をとへば ありすがたを語る。されば孝行のこころざし深き故に 矢を逃…

  • 二十四孝・22 田真田廣田慶

    22番目も兄弟。こちらは田真・田廣・田慶の三人兄弟。 田真 田廣 田慶でんしん でんくはう でんけいこの三人は兄弟なり 親に後れて後 親の財宝を三つに分けてとれるが 庭前に紫荊樹とて 枝葉さかへ 花も咲き乱れたる木一本あり。これをも三つに分けて取るべしとて 夜もすがら三人詮議しけるが 夜すでに明ければ 木を切らんとて 木の下へいたりければ 昨日まで さかへたる木が にわかに枯れたり。田真これを見て 「草木心ありて 切り分かたんといへるを聞きて 枯れたり。まことに人として是をわきまへさるべしや」とて分かたずして おきたれば また 再びもとのごとく さかへたるとなり。 親の遺した木を伐って分ける相…

  • 二十四孝・21 張孝 張礼

    残り少なくなってきました。21番目は張孝兄弟。 張孝張礼ちやうかう ちやうれい張孝張礼は兄弟なり。世間飢饉の時に八十余りの母を養へり。木の実を拾ひに行きたれば 一人の たへ疲れたる者来て 張礼を殺して 食らはんと云へり。張礼 云ふ様は 「我 老いたる母を持てり。今日はまだ食事を参らず候ほどに 暇を給はれ。 母に食を参らせ やがて参らん もし この約束 違へば 家に来て 一族まで殺し給へ」と云ひて 約束のごとく彼の者の所へ行きける。兄の張孝 是を聞きて また跡より行き 盗人にいへるやうは 「我は張礼より こへたる程に 食するによかるべし 我を殺して張礼たすけよ」といへり。また張礼は「我はじめより…

  • 二十四孝・20 丁蘭

    20番は丁蘭。綺麗な響きの名前だけど男性でしたー。 丁蘭ていらん丁蘭は かだい(河内)の やわう(野王)といふ所の人なり。十五の年 母に後れ 長き別れを悲しみ 母の形を木像に作り 生ける人に仕へぬるごとくせり。丁蘭が妻 有る夜のことなるに 火をもって 木像の面を焦がしたれば 瘡のごとく腫れいで 膿流れて 二日を 過ごしぬれば 妻の女房 かしらの髪が 刀にて 切りたるやうになりて落ちたるほどに 驚きて詫び言をする間 丁蘭も奇特に思ひ 木像を大道へ移し置き 妻に三年詫び言をさせたれば 一夜のうちに 雨風の音して木像は 自ら うちへ帰りたりるなり。それよりして かりそめのことをも 木像の気色を伺ひた…

  • 二十四孝・19 王裒

    19番!嵐の中、お墓に向かう王裒さん! 王裒わうしやう(おうしょう・・・読みが王祥と一緒になってますね。一般的には「おうほう」です)「わうしやう」は営陰といふ所の人なり。父の王義 不慮の事によりて 帝王より法度に行はれ 死にけるを恨みて 一期の間 その方へは向かふて 座せずなり。父の墓所に ゐて ひざまづき 礼拝して 柏の木に取り付きて泣き悲しむ程に 涙かかりて 木も枯れたるとなり。母は平生 雷を恐れたる人なり。されば母むなしくなれる後にも 雷電のしける折には 急ぎ母の墓所へ行き 「わうほう(こっちは〇)」是にありとて 墓をめぐり 死したる母に力を添へたり。かやうに死して後まで 孝行をなしける…

  • 二十四孝・18 山谷

    18番目は黄山谷。 山谷さんこく山谷は宋の代の人なり。今に至りて詩人の師といはるる人なり。あまた 使ひ人も多く また妻もありといへども 自ら 母の大小便の器物を取り扱ひて けがれたる時は手づから 是を洗ひて 母に与へ 朝夕よく仕へて 怠ることなし されば 一をもって万を知るなれば そのほかの孝行 おしはかられたるとて この人の孝義 天下にあらはれたるとなり。 この山谷のことは 余人にかはりて名の高き人なり。 介護の義務は実子にあるんだもん、フツーのことだと思うわ。奥さんに押し付ける旦那さんが間違ってるわよねー。・・・と言える時代に生きててよかったわ。

  • 二十四孝・17 庾黔婁

    17人目は庾黔婁でございます。 庾黔婁ゆきんろう (「ゆさんろう」と書かれているように見えますが気にせず「ゆきんろう」と読んでいきます。だってほかの本はみんな「ゆきんろう」だもん)庾黔婁は南斉の時の人なり。「せんりやう」といふ所の官人なり。すなはち「せんりやう県」へ至りけるが いまだ十日にもならざるに たちまちに 胸騒ぎしけるほどに 父の病み給ふかと思ひ 官を捨てて帰りければ 案のごとく 大きに病めり。黔婁は医師によしあしを 問いければ 医師 「病者の 糞を甞めて見るに甘く 苦からば よかるべし」と語りければ 黔婁やすき事なりとて 嘗めてみれば 味わひ よからざりけるほどに 死せん事を悲しみ …

  • 二十四孝・16 蔡順

    16番目は蔡順。 蔡順さいじゅん蔡順は汝南といふ所の人なり。王莽(わうまう)といへる人の時分の末に 天下きに乱れ また飢饉して食事に乏しければ 母のために 桑の実を拾いけるが 熟したると 熟せざるとを 分けたり。この時 世の乱れにより 人を殺し 剥ぎ取りなどするもの共 来て 蔡順に問ふ様は 何とて二色に拾ひわけるぞと いひければ 蔡順一人の母をもてるが この熟したるは 母に与へ いまだ熟せざるは 我ためなりと語りければ 心強き不道の者なれども 彼が孝を感じて 米二斗と 牛の足一つ与へてさりけり。その米と牛の腿とを 母に与へ また自らも常に食すれども一期の間 尽きずして ありたるとなり。是孝行の…

  • 二十四孝・15 王祥

    15人目の孝行者は王祥さん。 王祥わうしやう王祥は いとけなくして母を失へり。 父また妻を求め その名を 朱みん といひ侍り。継母の癖なれば 親子の仲をあしく言ひなして 憎まし侍れ共 恨みとせずして継母にも よく孝行をいたしける。かやうの人なるほどに もとの母 冬のことなれば きはめて寒き折節 生魚をほしく思ひけるに 肇慶府(ちょうけいふ) といふ所の川へ求めに行き侍り。されども 冬のことなれば 氷閉ぢて 魚見えず すなはち衣を脱ぎて裸になり氷の上に伏し 魚なきことを悲しみゐたれば かの氷少し溶けて 魚二つおどり出たり すなはち取りて帰り 母に与へ侍り 是ひとへに孝行のゆへに 其の所には毎年人…

  • 二十四孝・14 曾参

    14番~。曾参~。 曾参そうしん曾参ある時山中へ薪をとりにゆき侍り。母留守にゐたりけるに い(し)たしき友きたれり。これにもてなしたく 思へども 曾参はうちにあらず。もとより家貧しければ かなはず。曾参がかへれかしとて 自ら指を噛めり。曾参山に薪を拾ひゐたるが にわかに 胸騒ぎしけるほどに 急ぎ家に 帰りたれば母ありすがたをつぶさに語り侍り。かくのごとく指を噛みたるが 遠きにこたへたるは 一段 孝行にして しんし(親子)の情け深きしるしなりと 惣じて曾参のことは 人にかはりて心と心との上の事をいへり。奥深きことはりあるべし。 ありすがた・・・有様。 曾参の肩には薪。息子の帰りを待つ母親はしっか…

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