鬼滅の一刃!「鬼岩公園」にちょっと寄り道
織部焼の名前は聞いたことあったとしても、それの名付け元となった古田織部が岐阜の出身であることを知る者は少ないだろう。そして古田織部がその開発者だと思っている者もいるようだがそれは思い違いで、織田信長の頃には美濃古陶として既に作られていたらしい。古田織部は信長亡き後、豊臣秀吉に命じられその古陶文化を保護しつつ管理していた。とはいえ茶人として好みの器であったことから収集もし、茶の湯ではよく使っていたそうだ。織部が切腹を命じられた後、彼の京屋敷から数々の美濃古陶が発掘されたことから、その関わりが証明され、それから初めて「織部焼」と呼ばれるようになった。 というわけで、器を求めてひとっ飛び。美濃焼で有…
2022/05/31 07:00