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いろはで歌うほとけの道 http://iroha047.livedoor.blog/

「いろはにほへと…」の47文字に乗せて、ほとけの道をやさしく分かりやすく解説します。道に迷った時、悩んでいる時、何が幸せか分からなくなった時…ふと、このブログに立ち寄ってみてください。大分県大分市にあるお寺の住職がほぼ毎日更新中!

iroha047
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大分市
出身
佐伯市
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2019/09/24

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  • 弁(わきま)える・矜迦羅(こんがら)童子・蓮華冠(れんげかん)・独鈷杵(とっこしょ)持ちて・不動の左

    不動明王の八大童子です。衿羯羅とは、奴隷のことです。しかし訳語が随順と言うことですので、おとなしく仕事をする人と言うことです。慈悲の顔をしながら、蓮華冠をいただき、天衣を着て、合掌をし、独鈷杵(とっこしょ)を両手の親指にはさみ合掌をしています。印は蓮華

  • 奥義(おうぎ)なる・清浄比丘(びく)は・童子なり・梵夾印(ぼんきょういん)で・両手は函(はこ)か

    不動明王の八大童子です。袈裟(けさ)を着けた僧侶の姿で、左手には梵篋(ぼんきょう)を持ち、右手には五鈷杵(ごこしょ)を握り、上歯牙(うわはきば)をしているのです。つまり、首髪を剃除(ていじょ)して、法袈裟を着け、左の肩に結び垂れ、左手にお経を入れた箱(

  • 縷説(るせつ)する・烏俱婆誐(うぐばが)童子・ここにあり・金剛合掌・ただ有るのみぞ

    不動明王の八大童子です。頭には五鈷冠(ごこかんむり)をいただき、左手には三鈷杵(さんこしょ)を持して、右手は金剛拳(こんごうけん)とします。真言は《おん・ばざら・さったば・うぐばが・まかそうきゃ・た》です。真言の中に、烏俱婆誐童子の名前があります。印は

  • 額(ぬか)ずけば・指徳(しとく)童子が・表立ち・金剛合掌・中指を掌中(しょうちゅう)

    不動明王の八大童子です。三眼で、甲冑(かっちゅう)を身につけてあり、左手には羯摩金剛(かつまこんごう)を持ち、右手には三叉戟(さんさげき)を持ちます。真言は《おん・きゃらま・まかべりな・はりふらか・まん》です。印は金剛合掌に、左右の中指を掌中に入れ面を

  • 理に合った・阿耨達(あのくた)童子・道開く・左右の中指・未敷蓮華(みふれんげ)にぞ

    不動明王の八大童子です。頭には金鳥冠(きんちょうかん)をいただき、左手には蓮華、右手に独鈷杵(とっこしょ)を持ちます。そして、龍王の背中にまたがっているのです。『般若心経』の中に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」と言うのがあります

  • 智慧を持ち・合掌するは・慧喜(えき)童子・中指合わせて・如意(にょい)宝珠(ほうじゅ)なり

    不動明王の八大童子です。左手に如意宝珠(摩尼宝珠まにほうじゅ)、右手に三叉戟(さんさげき)または宝戟手(ほうげきしゅ)を持ちます。如意宝珠とは、気持ちに合わせてくれ宝をいろいろなものに変更されたものです。一切の悪魔や自分の邪念などを抑制しようとする時に

  • とり急ぎ・合掌するぞ・両手にて・慧光(えこう)童子は・中指合わす

    不動明王の八大童子です。忿怒(ふんぬ)の顔をし、天冠(かんむり)をいただき、右手に五智杵(ごちしょ)、左手に月輪をのせた蓮の花を持ちます。両手を美しく合掌する姿です。身は白黄色です。当に不動明王の教えそのものです。袈裟瓔珞にして荘厳されたものです。 似

  • 平衡(へいこう)だ・不動の親は・身心(みこころ)も・つりあいとれた・仏さまかな

    親である不動明王は、身も心も考え方やすることにつり合いが取れているのです。そしてそのことを、子供である私たちに教えようとしてくれるのです。もっと言うと、私たちをお不動さまにしようとしてくれているのです。何事が起きても怖くない心を植え付けようとしているの

  • 法語持ち・励む修行の・ある故に・不動の助け・身にぞ近づく

    お不動さまの有難い教えや言葉を支えにし、身の周りにある事柄で他の人を助け、自分自身も助けるのです。そうするとお不動さまの教えは決して遠い所のものでなく、身近な物であると言うことを知ります。教えを知ったなら助けていただくことは更に身に心に感じるのです。

  • 濁りをば・清まる水に・入れ替えて・煩悩を転じ・悟りへの道

    水の濁りとは、人間の煩悩のことです。汚れた水を美しい水に入れ変えるのではなく、汚れた水を美しくするのが、仏教の教えです。故に、煩悩を転じ悟りにすると言うのです。よく言われる言葉に「煩悩即菩提」と言う言葉があります。同じ物なのです。違うのは心がけが違うの

  • 背教の・信ぜぬ人を・救い上げ・みちびく仏・不動尊かな

    信仰・・・仏さまの教えを捨て去る人たちをも、救い上げるのがお不動さまなのです。救い上げて、仏さまの教えを教えます。多くの仏さまがそうされますが、特に目立つのがお不動さまなのです。あんなに怖い顔や姿形をされていますが、一番やさしい仏さまだそうです。

  • 六道を・歩む衆生を・助けつつ・弥陀極楽に・教え導く

    お不動さまは、何事が起きようと一番最初に来てくれ、助けてくれます。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天と六道を歩む私たちに、一番良い所を教えてくれ、導いてくれるのです。阿弥陀さまが持っている場所を極楽浄土と言いますが、そこへと案内するのが実はお不動さまな

  • いつだって・助けいただく・不動さま・今この時も・導きたまう

    本日から、「お不動さまのいろは歌2」を始めます。お不動さまは、いつでも、何事でも、助けてくれます。どのような時も、いや、今この時にも、助けてくれます。助けると言うても、私たちの身代わりはしません。一緒に苦労をして、苦しんでくれ、支えてくれるのです。導い

  • 夏越しとは・ん!とこらえて・忍びつつ・夏をば無事に・越えて行くかな

    夏越しの間は、こらえなさい。忍んで忍んで、こらえるのだ。それはちょうど、夏の暑さを忍んで頑張ることだ。暑さを、越えて行くことだ。難を逃れ、難をこらえるのに、言葉はいらない。口を開かず、胸の内、口の中で我慢する。それが《ん》だ。自分と仏さまの合言葉だ。

  • 夏越しとは・水難、火難・逃げ延びて・助けをいただく・観世音なり

    夏越し祈願祭は、観音さまの力もいただく。あらゆる水難や火難より逃げ延びて、幸福と言うものを手にする。観音さまはここで終わらない。私たちに対して、自分がするようなことをしなさいと言う。その為に、水難・火難を取り除いたと言う。助けてくれたのは、自分と同じ事

  • 夏越しとは・積年(せきねん)たてぞ・それも良し・持ちつ持たれつ・仏の教えか

    夏越しは、本当に厄除に似ている。一回の夏越しで、どうだこうだは言えない。繰り返しが大切だ。私たちの積もる年月の中に善し悪しが出てくる。厄年の善い時・悪い時があるようなものだ。善悪があることが、仏さまの教えだ。お蔭を与えるのが仏さまの仕事でなく善悪に対処

  • 夏越しとは・魍魎(もうりょう)感謝の・一座なり・助け導く・水となるかな

    魍魎とは、私たちを助け導くものだ。山や川の精であると同時に、妖怪であるとも言う。私たちの心の持ち方で、善にもあくにもなると言うことだ。喉が渇いた時は良い飲料水だが、大雨の後は水災に会うようなものだ。夏越しも同じだ。迎える我々の心の持ち方で、稔るものと成

  • 夏越しとは・ひたすら念じ・手を合わす・見守りささえる・諸仏諸菩薩

    夏越し祈願祭の時は、ひたすら念じて、手を合わせ、読経をする。真剣になると、直ちに諸仏諸菩薩が現れ、我々の願いを支えてくれる。「ひたすら」は、只管しかんと書く。これを「只管打坐(しかんたざ)」とすると、座禅の言葉で、余念をまじえず、ひたすらに座禅に励むこ

  • 夏越しとは・ゑん(縁)を結ぶか・御仏と・ともに励むが・信者一同

    夏越し祈願祭は、厄を除き、達者でいることを願うことが目的ではない。仏さまと縁を結び、仏さまと共に励むことが、夏越し祈願祭の目的だ。自分のことだけでなく、信者一同がそういう心に成り、そういう状態になるように願うことが大切だ。そうなることが、厄を除き、身体

  • 夏越しとは・知れば知るほど・幸せぞ・知らずば歩く・苦難の道を

    夏越し祈願祭を、それがどう言うものであり、どうしなければならないかを知れば、それを幸せと言う。幸せの道を歩むことだ。姿や形は変わらずとも、それが幸せだ。しかし、どう言うものかを知らずに歩いたなれば、いつまでも幸せになれず、楽にもなれず、ただ苦難の道を歩

  • 夏越しとは・満たす念力・この時ぞ・有り難くなり・楽しくもあり

    厳しき中でも、厳しいお行。それが夏越し祈願祭だ。そして、今の心が、念ずることだ。満たす念力、感ずる念力。この時にしか現れない念力だ。こう言う念力を持つと、全てが有り難くなり、楽しくなり、嬉しくなる。このことは自分だけでなく、広く多くの人にも伝えたいと思

  • 夏越しとは・迷路のがれて・第一歩・悟りの道を・歩く幸せ

    夏越し祈願祭とは、私たちの目の前の迷い道をさけ、悟りの道へと路線を変える。その第一歩が、夏越しだ。夏越しで気合いを入れ直し、性根に目を覚まさせ、先に進む。それが、悟りへ向かう道を歩む幸せだ。諸仏諸菩薩と共に歩む道である。悟りの道を歩んだお釈迦さまが、道

  • 夏越しとは・ゆれる気持ちを・新しく・落ち着く心に・仏が変える

    とにかく、私たちの心は、ゆれている。落ち着きがない。安定もない。故に、何事も迷い、何事もうまく行かない。この心の揺れを無くさなければ・・・。この気持ちを汗として流してくれるのが夏越しだ。悔し涙として流す時もある。それをするのが、仏さまだ。私たちの心を、

  • 夏越しとは・祈念一つぞ・阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏

    夏越しに理論・理屈はいらない。南無阿弥陀仏に始まって南無阿弥陀仏に終わる修行だ。勿論、南無大師遍照尊でも良い。あなたの好きな仏さまの名前を称えれば良い。またその時の気持ちに従い「お助け下さい」「頼りにしています」・・・でも良いと思う。それを、祈念と言う

  • 夏越しとは・さまよう心・落ち着かせ・読経、お百度・すがる我かな

    我々の心は、普段は彷徨っている。だから迷って、あてもなく歩き回る。心が定まらずに判断に迷う。夏越しの日だけでも良い、夏越しをはさんで三日間でも良い、読経に励もう。お百度を踏んでみよう。すがってみよう。そうすると、自分とは違う、自分に出会うかも知れない。

  • 夏越しとは・有難きかな・いつまでも・どこどの時も・仏導く

    夏越し祈願祭とは、本当に有り難い。いつまでも有り難い。何故かと言うと、どこで、どのような時でも、何をしていても、仏さまを呼べば、仏さまも応えてくれる。そして、私を導いてくれる。「なごし」とは、「夏越し」だけでなく「名越し」もある。夏の名を乗り越えて、災

  • 夏越しとは・照らす明るさ・有難し・大師の作る・慈悲の道なり

    夏越しは、お行である。弘法大師さまは一年中修行をされる。私たちも、何かをとらえる為に、修行をしよう。真似で良いから、お行をしよう。弘法大師さまの気持ちを知る為に。身の回りのことを照らし上げる光の明るさに気が付く。まことに有難いことだ。それはあなたの実力

  • 夏越しとは・廻向積み上げ・功徳する・生きる者をも・死せる者をも

    廻向とは、自分の積んだ功徳や善行を他に差し向けることだ。そして、共に願いの成就を望みことだ。その次が、ご先祖の供養の為にお経を読むことだ。生きる者、死せる者がその立場で、仏さまに自分のことを願おう。次が、生・死の者が相手のことを願い互いに功徳を積み重ね

  • 夏越しとは・困ることがら・打ち消して・頼むことがら・深く守るぞ

    仏さまの前で、「困った、困った」を繰り返しても駄目です。仏さまが相手にしてくれません。聞こうとしない。もっと言うと、助けてくれない。それよりも、「頼む、頼む」とすがった方が良い。「助けて、助けて」「救って、救って」と言った方が、夏は越えられる。何故なら

  • 夏越しとは・不思議なことが・ここにある・どこまで願う・頼んですがる

    仏さまに、手を合わせて思うことがある。どこまで願えば良いのだろう?。どこまで頼めば良いのだろう?。どう言うすがり方が良いのだろう?。不思議だ。分からなくても、仏さまが全てをしてくれるから。

  • 夏越しとは・謙虚な気持ち・前にだし・後ろに回りて・仏の気持ち

    自分よりも、相手を重んじて、ひかえめにするのが、謙虚な気持ちだ。傲慢になってはいけない。さらに、相手の人の後ろに回り、押すのだ。そして、相手が願いごとを成就した時に、それをともに喜ぶ。それが夏越しを迎えた時の仏さまの思いだ。仏さまの修行だ。だからこの時

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