chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 伝説と神話の百名山(12)「八幡平」

    「八幡平」【説明概略】八幡平は大火山高原で温泉があちこちにあります。ここの山の名は八幡平です。この「平=たい」は「岱(たい)」であるとよく説明されます。ところが、この岱という漢字はもとは代山(たいざん)で、転じて偉大な山という義なのだそうです。しかし、八幡平は岩手山や鳥海山のような高く大きな山には見えません。それよりも八幡は「やわた」で、「やわ」は柔らかい意味、「た」は場所のことといい、「柔らかいところ」となるとの説があります。なるほど、八幡平のような高原湿原は、柔らかい所だワナ。山頂から西側(鹿角市側)のふけの湯は子宝の湯として有名。また後生掛温泉には一人の男に後生を掛け、沸き上がる大噴湯に身を投げたふたりの女性の物語の「オナメ(愛人)・モトメ(本妻)伝説」や、鹿角市八幡平小豆沢には、トンボに教えられた...伝説と神話の百名山(12)「八幡平」

  • ▼山の軽口ばなし「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」

    「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」【概略】いまだに女人禁制のしきたりを守り続ける紀伊大峰山山上ヶ岳。時どき、解禁の時期について話題になります。しかし、「日本百名山」を完登した女性は多い。それもそのはず、以前から登っている女性はいるという。記録にあるだけでも、「昭和12年(1937)9月と11月の2回女性を伴い登山決行」などの記事が1951年(昭和26)の「山と渓谷」誌に掲載しています。牧田満政氏の記録によれば、それ以外にも相当数いるという。「今更登山の見地からならば、女性登山など問題じゃない…ただし、その入山は総て開山期以外、もしくは、行者路以外。開山期に無理に女性が押し入ろうとすれば、頑迷固陋(ころう)の地元民の性格を知らないで無理強いするのは無謀であり、傷害事件に発展する可能性もある」との現地...▼山の軽口ばなし「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」

  • ▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」

    ▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」【説明概略】青森県の八甲田山といえば、明治35年(1902)の凍死者197名、「雪中行軍」の悲劇が有名です。この事件を主題として、作家・新田次郎が『八甲田山死の彷徨』を書きました。1977年(昭和52)にはこれが映画化されます。そのテレビコマーシャルの「天は我らを見放した」は流行語にもなりました。八甲田山は、十和田湖と青森市の中間にそびえる山塊の総称で、北八甲田連峰と南八甲田連峰に分かれますが、普通八甲田山といえば、北八甲田山群をさすという。8つの峰と、低地に発達する高層湿原、池塘を田とみなして「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田、甲(かぶと)などの説もあります。東岳と八甲田山が山争いで八甲田は東岳の首をはねました。首は西に飛んで行き、岩木山の肩のコブになった。...▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」

  • ▼伝承と神話の百名山「青森県・岩木山」

    「青森県・岩木山」【説明概略】岩木山は、その山の様子から「石(いわ)の城(き)」の字に「岩木」をあてたものといいます。山頂は中央部の岩木山、南の鳥海山、北の岩鬼山(ママ)からなる。中央部の岩木山山頂には岩木山神社(下居宮・おりいのみや)の奥宮本宮の建物が鎮座しています。弘前藩の鎮守のお山になっているそうです。ここにまつられているのは、森鴎外の小説『安寿と厨子王』で有名な安寿姫。この伝説から安寿姫を責め殺した山椒大夫の国丹後(京都)の人が岩木山の支配地に入っても神が怒るのだという。これを「丹後日和」というのだそうです。実際、山頂に登らせないという厳しい禁制がしかれていたということです。・青森県弘前市と鰺ヶ沢町の境▼【本文】をどうぞ。https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/1...▼伝承と神話の百名山「青森県・岩木山」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」

    「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」【説明概略】東北の名山・鳥海山の名は、鳥海弥三郎に関係するという説もあります。鳥海弥三郎は安倍宗任。平安時代後期の陸奥の国の豪族。あの阿部貞任の弟で「前九年の役」では兄とならんで阿部軍の指揮をとり、源頼義軍を悩ましました。安倍氏の全盛時、宗任の所領がこの地方にあったらしい。宮城県の鳥海の浦とが宗任の生誕地といい、鳥海弥三郎の名の元だといいます。その後安倍氏の発展に従い北に移ります。岩手県磐井郡の鳥海、胆沢郡の鳥海の柵、出羽地方にも矢島方面には鳥海山、相庭館附近に鳥の海、酒田市の泉竜寺の徳尼公廟などは鳥海氏には関係深い遺跡です。このようなことから鳥海山は鳥海氏領内の山としてその名が生まれたのではないかということです。・山形県遊佐町。【説明本文】をどうぞ。https://to...▼山の楽しみもうひとつ「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」

    「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」【説明概略】ふつう山に登る時、まず一合目から二合目、三合目と登り、十合目で頂上につきます。ところが立山では一ノ越、二ノ越、三ノ越と登っていくのだそうです。山を仏さまの姿に見立て、膝が一ノ越で、腰が二ノ越、肩が三ノ越、首が四ノ越、頭が五ノ越なのだそうです。この呼び方は古く、平安末期の国語辞書の『伊呂波字類抄』(編者・橘忠兼)に「躰厳石之山、膝名一輿、腰号二輿、肩字三輿、頸名四輿、申頭烏瑟(うしつ)五輿」とあり、山頂を烏瑟の峰といっているそうです。かつて越中の男子は16歳になると雄山に参詣し、朱塗りの杯のお神酒を戴かないものは一人前として扱われなかったそうです。もし途中でへばり登れなかった時は前世悪業の報いとされ、帰宅してからも一生つまはじきにされたというから大変です。この習...▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北陸・白山の御前峰」

    「北陸・白山の御前峰」【概略】白山は御前峰、大汝峰、剣ヶ峰の3峰の総称で、これらの峰から少し離れた南方に別山があります。この山は奈良時代、越ノ大徳とも呼ばれる泰澄上人が、弟子の臥(ふせり)行者と浄定(じょうじょう)行者を連れて開山したといいます。山頂に登った上人は白山妙理権現という神を感得し、その眷属配下といわれる禅師王子、児宮童子、一万眷属、十万金剛童子、五万八千采女、その他天狗などをまとめる身となりました。そして御前峰にとどまり、白峰大僧正という大天狗になって白山全体を守っていることになっています。(ただ平安時代末期の日本の仙人37人をピックアップした本『本朝神仙伝』には、泰澄は仙人として7番目に数えられています)また臥行者は奥ノ院に当たる大汝峰に止住するといいます。そして浄定行者は白山正法坊天狗とな...▼山の楽しみもうひとつ「北陸・白山の御前峰」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、とよだ 時さんをフォローしませんか?

ハンドル名
とよだ 時さん
ブログタイトル
山のふみあと日記
フォロー
山のふみあと日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用