メキシコに暮らしながら、日本各地の鉄道風景とともに歩んだ20年を振り返って。 海外生活ネタの発信もしますが、もともと10年前から細々続けていたテツブログなのでそっちの話多めです。 徒然なる雑記帳。よろしくおねがいします。
ちょっと遠出してみることにした。 KCSMのパティオがある、Escobedoへ。 見た感じは何も変わってない!雰囲気のよさも健在。 今日も釜が多数止まっていて、入換も活発にやっていた。 南側は本線用の釜による入替。 面白かったのは、操重車編成がエンジン始動状態だったこと。 4年前に入替で大活躍していた小さなネズミくんたちは、KCSMカラーに大半が塗り直され、パティオの北側でつながれていた。ピカピカで、放置されてる感は、なかったけど、エンジン始動中の釜につながれていて、もしかして検査回送? 2両だけ稼働していたが、KCSMカラーに塗り直されていた。 ここ、午前でも午後でも下り貨物が多数集結しているけれど、動いたのをみたことがない。 夜間に出るのだろうか? しばらく別の場所で待ってみよう。
朝から好天、そしてタンカーが下り方面へ発車したことを確認。 この貨物はなかなかのもの。 今回の編成は先頭重連に中間補機重連、 見事に黒光りする巨大なタキの行列、 そして、足がとっても遅い! スピードは最高50キロ程度、しかも軸焼けをよく起こすらしく、 頻繁に停車可能な場所で停車する! そんな厄介な列車なので、わざわざ線路閉鎖して運行するらしく、 タンカーの前後3時間は他の列車はこない。対向も皆無。 だから、この列車の撮影だけに集中できる。 普通のシーズンだと他の列車運行を支障しないよう、週の後半に設定されることが多いが、 さすが繁忙期だけあり、今回は火曜の朝に設定された! 割合なだらかな場所を走るので、俯瞰できるようなところは今の所みつかっていない。 道路のオーバークロスならいくらとあるし、実際いい感じなのだが、車でどんなヤツがやってくるかわからな..
朝から出かけて、昔住んでいたコンドミアムを訪問してきた。 平日なので管理人のおじさんがいて、しばらく立ち話。 また帰ってきてくれよという調子で、 帰り道の車の中で私にしては珍しく涙が止まらなかった。 そのまま、今度は線路の方へ。 走っていると、Irapuato方面へ走行中のGP40重連ホキを発見。 9月は穀物の収穫の時期だから、本数も多くイレギュラーも多い。 貨物はおおむね週前半に集中する傾向があるから、力が入る。 このエリアではレア度が高い被写体なので力が入ったが・・・。 撮影地で待っていても、いつまでたってもこない。 日陰に出ると涼しいのだがやはりひなたでは暑い。羽虫が飛び回っている。 何時間待っただろうか。ざっと3時間くらいだったか。 落ち着いた集落なので危なさは感じない。静かだった。 現地の方とスペイン語でお話ししながら、待った。 この1..
グアナファトの街並みを散策 ディエゴリベラの生家が博物館になっているので、そこも訪問。 スペイン語オンリーの掲示で、英語のガイドさんがいるが、 頑張ってスペイン語オンリーでトライしてみた。 メキシコが栄えていた戦前から戦後にかけて活躍した、有名な画家さん。 少年時代の絵から、パリ修行時代のキュビズム風の作品、そして次第にメキシコ土着の画材を扱った絵になっていく様子がわかるようになっていて、わかる人にはかなり見応えのある内容。 この画家さんは500ペソ(最高額紙幣)の肖像になっていたりするので、興味のある方はどうぞ。 https://sic.cultura.gob.mx/ficha.php?table=museo&table_id=621 さて、晴れてきたので、一旦イラプアトに引き上げ。 眠くてたまらなかったので、名物コカコーラを調達。 200mlで9ペソ..
朝早く起きてはみたものの、一面曇り空。 秋に入ろうとしているこの場所だから、おそらく盆地にキリが溜まっているのだろうと思い、 午後からの晴れを期待し午前中は観光モードへ。 やっぱりこの界隈でいくとすればグアナファト。 かなりの回数行っているんだけど、毎回発見があって。 イラプアトから見て、大体車で1時間弱。 フリーウェーから分岐すると荒涼とした丘と、谷地にある集落の繰り返し。 そうではあるものの、今日はキリが多くてあまり遠望が利かない。 さて、どうなるか、と思っていたら、 グアナファトの街が見えてくる丘の辺りで、やっぱり晴れ間が見えてきた。 グアナファトの街に鉄道はない。昔はあったが、廃線になって久しい。 途中まではシーメンスの工場の専用線のようになっているが、工場の先からは、チラチラと、線路あとが見える。 緑色の、古びたガーター橋が残っていたりする。 そ..
目が覚めたら12時前だった。 時差ボケの影響でこればかりは毎回どうしようもなく、大抵ついた翌朝は使い物にならない。 とりあえず腹減ったから昼食へ。 冷麺が食べたくてHanaへ。 店主が若い日本人に代わっていて、メニューも全部変わっていた。 とりあえずカレーでも食べとくか。 駐車料金かかるようになったので、セキュリティは向上したかもしれない。 その後、1年前には休日毎に訪れていたスーパーへ。 Superama がWalmart express になってた。 売ってるものは基本同じ。 あれ、よく見かけたレジ打ちの子かな?お互いニコリと。 簡単な食料とか虫除けスプレーとかを調達。 靴といくつかの服も現地で調達。 1年目にひたすら散歩しまくってた、ショッピングモールにて。 目標、メキシコ人に化ける。 そうこうしていると夕方。 穀物ホキが操作場を出..
ホテルについた。ロビーで鍵の受け取りを。。。と。 予約していたからあとは鍵を受け取るだけだろうと思ったら大間違い。 今からこれだけ払え、と。結構な金額をふっかけてきた。 おかしいぞー、宿泊代は日本から前払いしといたはずだが?とスペイン語で延々と。 これは保証garantía だから、という言葉で、なんとなくこれは前払を信じていない? それならエビデンスを見せる必要があるんだと思ったので…。 メール添付の領収書を見せて説明。 カウンターの画面をチェックすることわずか数秒、わかりました、とのこと・・・。 まあ確かにメキシコは現地払が一般的なんだけど。 見りゃわかったんだよな?これは確信犯。 だからといって、解決したら根に持たないのがこの地の流儀。 どんな時でもふっかけてくる可能性があるから、スペイン語話せないとダメだよ!という日系人の方の言葉を思い出した。 ..
空港を出発、目指す町は1時間ほど南のIrapuato。 私が3年間住んでいた町。日系企業がたくさんある町。 知ってる人は、ああって感じだと思う。 空は真っ暗。奈良もまあまあ夜空は暗いけど、こっちの夜は本当に暗い。 3車線のフリーウェイを黙々と走る。交通量は結構多い。 しばらく走るとSilaoという街があって、そこを過ぎるとアップダウンのある道になる。 スピード感をつかみながら、安全運転。 4回くらいか、バイクの珍走団を追い抜いた。ご丁寧に警察車両が随行して監視中。 そう、今日は独立記念日前夜。 愛国心にみち溢れているから警察さんも取り締まるところまではいかないのだろうが、 日本ではなかなか見かけなくなったタイプの方々かもしれない。 ピカピカと赤白緑のライトを点滅させ、ときどき、奇声をあげていた。 変なの飛び出してこないよなーと内心思いながらも、チラチ..
1時間ほど遅れての現地到着。グアナファト州のレオン空港。 悲喜こもごも、もはや懐かしいという感覚をとうに超えているような場所。 さすがに辺りは真っ暗。 基本、メキシコのような国で夜間移動は極力避けた方がいいのだが。。。 土地勘があるのとシティの飛行機の乗り継ぎに余裕持ちたかったのとで、今回は夜間移動。 うーん、後から考えるとこの日は空港近くのホテルでよかったかも。 空港を出て、レンタカー屋へ。どこでも同じ、レンタカー屋の窓口が並ぶ風景。 Avis もHertz も https://www.avis.com/en/locations/mx/leon/bjx https://www.hertz.com/rentacar/location/mexico/leon/BJXT50 結構手続きは面倒。 何人かのスタッフが英語OK。英語は問題なく通じ..
いきなりスペイン語だけの世界。英語が使えたのは入国審査だけ。試される大地メキシコ。 予備知識ゼロで来たので、警備員の人に道順も聞いて、トランジットへ。 (実はCDMX経由は初めて) 中で食事。 好物、トルティージャのスープ。いい具合に辛味旨み調整が効いている そして搭乗口で飛行機待ち。 待っていたらパァーン。 みんなでオッとなったけど、まえのおじさまいわく、ただ怖くなって鳴らしただけらしい、と。 うん、ここは戦地。こっちもそのつもり。 いつもの夕方のスコールがきて、ひんやりと。 小雨になった中、乗り継ぎの飛行機のタラップへ。 いつもの小さな飛行機。 1時間ほどして、目的地が見えてきた。 明かりの少ない風景、畑とサボテン灌木の生い茂る丘が一面に。 いつも、ここに人が住んでるのか、と思ってしまう、不安げな景色。 ちょうど日没が飛行機..
夜が明けてきた。メキシコの7時38分、日本の22時38分 少しずつ シティの空港に12時20分到着。うーん、あんまり眠れなかったような気が。 3時間ごとに目が覚めてしまいました。先が思いやられる。
土産物を買って、さあ飛行機へ。 スペイン語がやたら増えてきた 13時間の長旅、メキシコシティへ。 東洋人少なめの室内でした。満席御礼。
メキシコは北米大陸にある国です。南米ほどではないけど、遠いです メキシコシティ(CDMX)には直行便が成田から出ていますが、13時間はかかります。 そこから地方の空港に乗り継ぐと、さらに時間が。。。 アメリカ経由にしても、羽田か成田経由です。 奈良に住んでいる私からすれば、成田に行くだけでも結構大変。 航空券はCDMX経由を早めにおさえて往復1200ドル程度、現状でほぼ最安値。 これは決まったものの成田の行き方はなかなか固まらず。 そして、最終的に夜行バスで向かうことにしました。 奈良から上野までバスが出ています。 3列シートの車両で、まあまあの時間寝れました。 上野到着は6時! そこから京成で成田へ。160キロ運転体験。 飛行機は14時台の出発でしたが、むっちゃ早くつきました。早すぎるくらいかも。 でも、当日移動で新幹線だと、..
まずメキシコに行くことにしたきっかけについて、書きましょうか。 私は、2019年から3年間、駐在員として現地に赴任していました。 初めての海外赴任、きっとエンジョイできるに違いないと思うところ。 色々想像ばかりは膨らむところでした。 あちらでも貨物撮りたいな!などとも。 とはいえ、この時点ではスペイン語の知識ゼロに近く、英語が多少話せるだけ。 できることも限られていました。 どこに何があるかもわからない、慣れない生活を軌道に乗せるだけでも大変です。 漂白剤を洗濯機に入れて洗濯してしまったり… そうこうしているうちに、COVIDがやってきて、ずっと感染症対策の日々になってしまいました。 仕事も大変厳しかったので、結果、家と職場とスーパーだけを行き来する毎日となりました。 彼の地のことは職場での目線でしか知りようもなく。 現地の方とは仲良くさせていた..
9月にメキシコに行ってきました。 1週間ほど。 1年間暇見つけてはスペイン語ばかりやっていました。 そしてなんとかスペイン語でやり切りました。 あとは久々の再会を喜んだり。 でも課題はいっぱい。撮影もほどほど。 まずプライベートで行けるか実証することを優先しました。 暇見つけてレポートします。
メキシコの鳥さんということで少し話題に出してみましょうか。不定期です。 メキシコというと熱帯雨林の鳥たちのイメージが強いところかもしれませんが、 そうでないエリアでしたが、特徴的な鳥がたくさんいました。 日本の方が地味かな?と思います。 砂漠と農村部の境目のような、乾いたところでしたが、 野ウサギが跳ね回っていたり、リスが住んでいたりと自然は思いのほか豊かでした。 面白いものですね。 しかし、現地の人はほとんど関心がない模様でした・・・。 文化的な理由ですね。あまり自然のものに関心がないようでした。 (もちろん、みんなではないけれど!) 写真は、ハチドリです。ホバリングしているところは、さすがに撮れませんでした。
雨季。空が立ち上がるように、ひたすら高いところまで続いているかのように。 最初にやってきた日も、この日のように空が高かったことを思い出す。 夕方に雨は降れど、数か月間、新緑の盛りのような風景が続く。 突然、目が覚めたように山の木々が芽吹いて、それが広がっていく。
延々と貨車を連ねて、そのうなりは数キロ先から聞こえてくる。 汽笛を何度も繰り返し鳴らして、やってきた。スピードは目測で50キロくらいか。 文字通り、踏みしめるように。 紫色の花は、Jacarandaといって、3月から4月に咲く花です。 現地の日系人が桜の代わりに、とメキシコに持ち込んだといわれています。
メキシコという国で撮影をしている方の話はあまり聞いたことがありません。 なんせ治安の問題が大きいので。 わずかながら写真がありますが、どれも工夫に工夫を凝らして何とか撮ったものばかりです。 メキシコの鉄道はかつてより衰退したとは言われるものの、アメリカ規格の貨物が多数走っていて、相当に魅力があります。 アメリカと同じサイズの釜が重連、三重連、四重連、貨車は延々と数キロ先まで。大迫力です。 そして数キロ先までエンジンの爆音が響き渡る!見た目も結構イケる。 正直言って、もっと撮りたかった。撮れる場所もだいぶわかってきていた。 でも、撮影は日本のように自由にはできなかった。 だから枚数も少ない。 思い入れのある土地の汽車は格別。
皆さんの中ではどうなんですかね? 私の中では信越で北越を見送った日と、山陰京都口で381を見送った日がラスト、 という強い感覚がどうも自分の中に根強い感じがします。 この日も、これからどうしていけばいいのかと思いながら、撮っていたように思います。
梅雨時期です。 そんな中、土曜日は良く晴れていましたが、終日家で過ごしていました。 あちらに行ってから生活様式が大きく変わってしまい、圧倒的インドア派です。 その方が体の負担は小さいようで、現状には合っています。 ちょっと寂しいのも事実ではありますかね。 今日は写真撮っている人として元気だったころの写真から。 アジサイというのはあちらでは見かけませんでした。 園芸種として広く見られるので、環境が整えばどこでも植えられそうではあります。 モモは植えられるけどサクラはうまくいかない、とか言っていました。 植物関係はいろいろ興味が尽きません。
有間川の駅は、昔のまま。貨物も、昔のまま。 はくたかや485は、来なくなって久しい。 ずっと黄色い花を撮っていたら、地元の方に声をかけられた。 懐かしい、独特なこぶしのきいた話し方。 今の季節が一番素晴らしい、よく来てくれた、また来いよ、と。 冬は写真映えはするけれど、生活する者にはたまったものではない。 その頃のことを思い出して、心の中で大きくうなづいた。 この後、帰路についた。
冬は強い潮混じりの雪と風に覆われる斜面 何の花かは知らないけれど、たくましい
有間川に降り立った。 目当てのアジサイはまだまだ先だった。今年はどうなのかな。 当てもなく歩いてしばらく、目の前の黄色い花が気になった。 ずっとずっとそればかり撮っていた。 長く異国にいた者には、曇り空も、野辺の茂みも花も、新鮮に見えた。 そして、そういうものを昔々、全然とっていなかったことにも気づいた。 もう、それでいいのかもしれない。
昔々の、純粋に写真を撮ることが面白かったころのことを思い出した。 電車は乗った方が面白い。それ自体が文化だと言いきってもいい。 かの国で、そういう空間が失われたことを惜しむ声をたびたび聞いた。
二本木の駅ホームは、堂々としたものでした
二本木の駅に急行色がしずしずと入ってきた。 貨車が多数いた頃にはもう戻らないのだろう。 少し、わびしかった雰囲気がますますわびしくなった、ような気がしなくもない。 駅ホームや駅舎はは、本当に見事なんだけど。 そのまま、乗って、直江津へ
6月、帰国して間もなく、新潟(というか上越)を訪れた。 3年ぶりのその地、115系はもうなく、長野界隈でも数少なかった。 西日本ではそれほど冴えない車両たちという印象で、比較的近くにキュウリの113系が多数走っているのだが、あまり撮ろうとは思えないでいる。 そうなのだが、北国の彼らは味わいがあった。何をとってもきれいだからなのかもしれない。 気持ちの整理がついたら、また出していこうか。 かわって急行色になった413系が色鮮やかだった。 その日は歩きながら写真を撮った。天気は雨から曇り。少し肌寒いような湿気を伴うような。 かの地の普段の姿そのもので迎えられた。 木の陰に、なにものかが住んでいそうに見えた。 そういう国だったかな、と思って撮ってみることにした。
このブログをある時は気合入れて書いたり、放置していたり、ある時は復活したりと繰り返しておりますが、 少し思い出したように書いてみます。 初めて投稿したころから一回りくらい経ちましたので、振り返りです。 ①日本に帰ってきました 去年帰国してきました。今もあんまり実感がわかないのですが・・・。 今は奈良に住んでいます。広い意味で地元に帰ってきました。 ②ほとんど遠征に出かけられていないです 本音を言うとやくも撮りに行きたいし、いろいろ撮りたいものはあるんですが、 車で片道30分先に行くのも気が引けている今日この頃です。 ③一応撮り続けています 少し205系撮っています。1か所でワンシーズン撮り続けましたが、奥深い。103系が残ってたらなあ。 ④ほかに何しているの? 寝る間も惜しんで語学の勉強しています。英語とスペイン語。意外といい組み合わせ。 ⑤こ..
はるか3年がたち、ようやく日本に少しばかり帰ってきているのだけど、 みんな元気かな ついたころには桜がちょうど散ったくらい、八重桜が咲いていました。 写真は3年前の分水 とりあえず仕事しかしていなかったからのんびりしたいですね。
PCで見てると大丈夫なんですが、スマホで見るとぐちゃぐちゃだったので、直しました こんなに変わるものなのか・・・と思うのですが。 今の時代は大抵スマホで見てるでしょうから、難しいですね。 リンクです https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni 引き続きよろしくお願いします。
ページ追加: 日本海縦貫 冬 Season 2013-2017
ページを追加しました。 地道に撮り続けていた、信越海線を中心とする冬景色でまとめました。 2015年に485でまとめかけていたのですが、もっと撮り続けたいと思ったのでいろんな写真を織り交ぜてになります。 今年の冬は大変厳しいようですから、撮るのはしんどいものの絵になる情景が多数広がっているのだろうなと想像しております。 立ち会えないのは幾分残念ですが、メキシコから皆様のご活躍を拝見させていただいています。 リンクです https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni
何やら話題になっているという、国鉄色やくも。 ついに来た感がすごいんですが、 そして関西鉄の仲間たち狂喜乱舞に違いないんですが、 しかも、沿線でトラブルにならないかと、すでに今の段階から騒ぎになっているようなのですが、 すみません、この話の前提にあると思う話を少し、私見ですが、してみたいと思います。 そもそも、やくもって撮るの難しいと思っています。 老人のボヤキですみませんが、仲間内でもそういう人が多いです。 その時の話の大筋をまとめてみましたが、皆さんどう思われますか? ******************************* 伯備線に行ったことある人は何となくわかると思うんですが、山がちで引きの撮れる場所が結構限られてるので、たいてい、みんな知っている絵柄スタートになってしまうと思います。 布原の俯瞰がかつてよく知られていて今も生きていたら..
ある海雪の日に、思い切って柏崎で一泊して、 何時間も遅れてやってくる、列車を延々と待った日のこと。 その雪の抱え込み方は、まさに豪雪の日の列車の姿そのものでした。 今年も、大雪の年だから、こういう風景がくりひろげられているのでしょうか・・・? この撮影の日から、「スイッチオン」になったのを思い出します。 絵作りの目標!情熱を注ぐことができるもの! これほど大切なものはありません。
ついに来たというべきか、洪水後も復旧して残っていることがすごかったのかもしれませんが、 「大糸線沿線の活性化および持続可能な路線としての方策検討の開始について」 https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220203_01_ooito.pdf 明確に廃線とは書いていませんし、どうなるかわかりませんが、 「未来に資する持続可能な路線としての方策」という背景に経営収支が厳しいということが当然前提として含まれていると想像されます。廃線も検討案として入っているのでしょう、と想像してしまいます。 現役最後のキハ52を擁した大糸北線は私にとっては大変思い出深い路線ですが、 それだけに現実もよくわかっています。 特定のシーズンになると急行きたぐにからの乗り換え客で満席になることもありましたが、 普段は閑散。 キハ120が入って..
少しずつ現像。現像。 未現像が殆ど10年分近くあって。 いや、本当はもっと少なかったんだけど、ある時現像したJPGがすべて飛んだのでやり直しとなってしまいました。 10年ひと昔の、写真を黙々と。 日本中に何らかの形で国鉄型が走っていたこと自体が、もう過去になっているのだとも実感。 この頃に何度も訪れた玉之浦ですが、今はイルカくん目当てにやってくる人がいるというところなのでしょうか。 普通電車の105系。これが165だったら・・・と、どれだけぼやいたかわからないほどなのですが、 春日色や普通の青色の電車も何かひなびた感じがしてよかったと思います。 2012年12月16日 紀伊浦神-下里
現像そこそこため込んだんですが、 どうもやる気が出ないので中断。ほかのテーマ考えてます。 とりあえず考えていた対象はしな鉄115のカット。 まとまった数の被写体になる色をした115系が走っていて、関心のある方も多いだろうから。 私の場合、手元にほぼ3年分のカットのストックがあって、もう追い込みで通わなくてもいいくらいの数があります。 確かに、かなりの数なんだけど・・・。 応援が多数あったら考えます。 ************ HomePageアドレス https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni
思いのほか先日お出しした昔々の写真に反響があったので喜ばしい限りでした。 海外にいても、かの地の急行色は撮りに飛んでいきたいですから何となく察しはつきます。 日本に帰ることになったらかの地まで夜討ち朝駆けしたい・・・などと夢は膨らみます。 いつになるのかは、さっぱり。 写真は再掲。 さて、いまだと次は何がいいでしょう・・・? ************ HomePageアドレス https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni
ページ追加: 信越山線 冬 Season 2013&2014
黙々とホームページにページを追加しています。 今回は信越山線三セク前の冬、189系妙高やDE15ラッセルが走っていたころの写真群です。 ページの内容自体は大昔に作ったものですが、異国の地で多少役に立つようにと英語の記事も少し追加しました。 大多数のお客さんは日本人のようなので少々わかりにくいかもしれませんが・・・一応先を見越しての作りこみです。 去年から475&413の急行色が登場し、魅力的な被写体が複数走るようになったこの路線、願わくばもう一度、温めている撮影地やカットで・・・などと思ったりしています。 リンクです https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni/2013-2014wintershinetsu ************ HomePageアドレス https://501kitaguni.wixsite.co..
何やら日本の様子を見ていると、3連休初日?に信越界隈が見事な晴れだったとか、今年はよく晴れるだとか、いろいろ聞こえてきます。 今年は当たり年のようでなにより。 私が片貝によくいた頃は3セク化の直前でしたが、冬場それも1月に満足のいく晴れの日は少なかったかな・・・と記憶しています。 ・そもそも1月の晴れ自体が水もので貴重 ・妙高自体から雲がわく(直前にドームだけ雲がわくとか) ・時間帯によって多少の傾向がある(8時台は〇でも9時台になった瞬間雲がわくとか) ・天気図的に誰が見ても晴れるという日でも、雲がわくかは運しだい 場合によっては一部の山並みだけ切り取るアングルに移動とかも。 撮影地に立つまでが大変な趣味だけれども、とりわけ決断することもまた難しいものです。 特に目的地が遠くなればなるほど。 その場で当たるかわからない選択をしないといけない状況になればなるほど..
実験 といっても、写真の実験。 2018年というから私にとってまともに写真を撮れていた最後のころ。 実験カットばかり撮って1日を終えることが何回もあった。 ちょうど未知の撮り方をする新世代の方々に触れて衝撃を受けていた、というのもあって。 今までの撮り方に心底から飽きてしまったこともあって。 日常世界のすべてが灰色に見えていたということもあって。 同じカタを量産し続けるだけだと様式美だけになってしまう。 それだけで終わらせたくない、とも思っていた。 膨大な未完成カットから、その時のことを少し思い出した。 今その場に立ったら、どんなふうに撮ろうとするのかな。 ************ HomePageもよろしくおねがいします https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni
今年もよろしくお願いします。 皆様にとってより良い1年となりますように。 Feliz Año Nuevo. Happy New Year.
突然ですが、HomePageを再開設しました。 ・・・いまさら???と言われたような気がしますが、続けます。 名前は2008年からやっていた「鉄路慕情記」をそのまま引き継ぎました。 ついで、英訳で"A Memoir of Railway Scenery"とも題してみました。 アドレス下記になります。 https://501kitaguni.wixsite.com/kitaguni Twitter、Instagram、Blogと、日本人が触れているだけでも様々なツールが世の中に出て、実際私自身も3種類とも使っています。 身の回りを見渡しても、自分のページを持っている人は数えるほどです。 InstaやTwitterでいいねを稼ぐ時代になって久しいです。 そうなのですが、狭く深く丁寧にじっくり耕すのが好きなので、 簡単でもいいから自分のページをまた..
日本では大変な大雪のようで、湖東で列車が止まった!雪に埋まった!などなかなかこの20年振り返ってなさそうなことが起こっているようです。 若い子は雪降ったら全力で撮りに行って・・・などといった感じのようです。 とはいえ、大変な目にあっている方にはお見舞い申し上げます。 地球の裏側はクリスマスの時期です。 クリスマスは正月よりも大切なので、結構皆様宴席を囲んでいます。 どうも12月初頭のVirgen de Guadalupeよりは静かな気もしますが、 ガヤガヤとにぎやかな村の祭り。庭園でひっそりと談笑する貴族たちの集い。 どちらも存在するのがメキシコというもののようです。 今日はずっと青空でした。朝晩は少し冷えるけれど、穏やかな気候です。 でも、向こうはそうなのだな、と。 来年がいい年になりますように。そして来年こそはコロナが収束しますように。 それだけはみんな変..
日本の北の方ではもう雪が降っているようです。 早いもので年末も目の前。仕事で振り回されて1年が終わりつつあります。 長く鳥や花しか写真撮っていませんが、昔の写真と少し向き合うことはできるようになりました。 今日は雪が降った日の吾妻線。上越国境を思わせるようなどっしりとしたこ線橋が印象的でした。 吾妻線自体はそこまで雪の多い地域ではありませんが、時にこういった姿も見ることができました。 今でも撮れそうな気がしてしまいますが、もう9年前になります。
メキシコに来てからすぐにコロナが蔓延するようになりました。 メキシコで自由にいろんなところを行き来していたのは半年余り、 それからはずっと自宅と勤務先の往復です。 自宅でできる楽しみをと思い、前任地にいたころからやっていた園芸をこちらでもほどほどにやっております。 前任地にいたころにもやっていたペチュニアや菊から始まり、今気合を入れているのはバラの栽培。 乾燥した気候ゆえか、日本よりは割合簡単に育つ感もあるのですが、もちろん難しい面もあります。 バラ自体がそれなりに難しいうえ、社会環境の異なる外国というのが大きいかなと。 なんだかんだ言って2年弱取り組んだので、今気づいていることを書き残してしまおうと思います。 メキシコでは空気が乾燥しているので庭やベランダに椅子を出してお茶をすることを皆好んでやるのですが、バラを見ながら飲むコーヒーなど、いいですよ。 ①バラ..
2008年というからむかしむかしもそのむかし、一回り以上むかしのことですが、 わたくし、ホームページを作って運営していました。 一部の読者(いるのかわかりませんが)は覚えておられるかもしれません。 東は大糸線や信越山線、西は山陰西部や日豊線の写真を収めている、結構分量の多いページでした。 ひっそりと撮っていて人前にはあまり現れない私ですが、若い子に〇〇の写真を見て~、などと沿線で言われて喜んだのを覚えています。 このページ、本気で更新していたのは485が北陸で生きていた2015年ころまで、それからは容量の問題もあり、また維持負担が大きかったことからあまり更新できていなかったところ、 諸事情があり、海外で働くことになりました。 海外からは、日本のFTPにアクセスできません。 実際試しましたが、不可能でした。 日本帰国時にFC2とかに移すことも考えていましたが、コ..
日本だといまごろ暖房器具を引っ張り出す頃でしょうか。 意外かもしれませんがこちらも冬場はそこそこ冷えます。 早朝夜間が、ですが、10度下回る日もあります。 日本から持ってきた小さいホットカーペットに電気あんかくらいで何とかなるのですが。 すぐに治りましたが、しっかり風邪をひきました。 冬の始まりというと思い出すのがこの時期の有間川。 ラッセルのシテンが走るというので、山の上に登りました。 強風の中のこった、黄葉とともに。 2014年11月14日 有間川-谷浜 今頃は急行色に塗り戻した413系目当ての方々で、にぎやかなのでしょうか
久しぶりに書く気になりました。 メキシコに来てからの撮影回数、10回程度。 現地の人は仕事がないと嘆いているのに、こっちは仕事が山盛り マジメに働くやつもいれば、そうでない人もいる 気が付いたら上司は欧米人だらけ。日本人なんてほとんどいない。 コロナで特にどこかへ旅に出かけるというわけでもなく、黙々と生活をしています。 あの山の海の向こうには、海があるなんて、本当なのかな。そんな感じ。 次はいつ、出かけられるかな。
日本では梅雨入り時に時折晴れ、素晴らしい写真が撮れているようです。 メキシコではこの時期は雨季の始まりで、曇りの日も多く、 そしてこの1週間くらいで突然近くの茶色の山が緑に変わりました。 雨のおかげのようです。 水は大切です。 日本ではあまり考えたことのなかったことですが。 その分、湿気が出てきました。 梅雨入り前の晴れの日を思い出しました。
日本は梅雨入りが始まったと聞きました。 メキシコは雨季に入りつつあります。 日本の梅雨入り前は美しい緑が広がりますが、 メキシコの雨季入り前は大地が水を待つかのよう。 メキシコの3月から4月は新緑、そのころから花咲き、だんだん緑は濃くなるのですが、 半砂漠の土地故、風吹けば砂が舞います。 空が青い日も多いですが、どこかかすんでいる。 雨季に入れば、夕方はほぼ必ず雨ですが、空の青がグリリと広がるわけです。 この国で写真を少しでも残せるでしょうか。そんなことを思っています。
11月に入り、メキシコでは朝晩冷えてきました。 日本ではもう相当寒くなっているところもあるのではないかと思います。 場所によったら朝方氷点下とか。 山の中にいたころはそうでした。 去年の今頃、朝からよく晴れているのだけれど、ともかく冷え込んでいた日でした。 当時フィールドの一つだった小諸界隈、朝方の本数を稼げる小諸から下り方面は、線路の向きがあまりよくないので普通のカットは撮りにくい。 イメージカット的な絵作りを心掛けていました。霜が軽く降った田畑の隅から、見上げて。 側面に光が回った場所がなかなかないこの区間、一つの回答を得られたような気持ちになれました。 手探りで絵を作ることは、楽しいことですね。
現行被写体、という縛りで極力行きたいのですけど、 信越山線で過ごした日々はほとんど189系妙高、特にN101編成のため、だったから。 北越の陰に隠れて最後まであまり注目されなかったような気もしますが、山の中の寓居の目の前を走る国鉄特急色は最重要被写体でした。 2年間、485だけでなくN101や475まで、共に過ごせたのは幸いだったのか、どうだったのか。 秋の時期の新潟、基本的に晴れないものですが、この日の朝方はいい光線でやってきました。 黒姫が秋の荒い雲を従えつつ何とか見えていて、妙高は完全に隠れていたので、奥の方で切り込んで。 秋色残る高原を駆け降りる、快調な音を思い出します。
信越山線、新潟側は基本的に開けた地形が続くのですが、一方、鉄道の方は関川やその支流が作る険しい谷に沿って、関川駅のあたりまで山を下りていきます。 田んぼの隅から、のぞき込んで撮る場所。人気はなく、寂しいところでしたがこの日はそれなりの人数おいでだったと思います。 今は115系が走らなくなってしまった区間の秋景色を、ラッセルの試運転の前走りで撮っていたのでした。 この場所、雪月花との組み合わせも似合いそうです。
もう少しさきでしょう、カラマツの季節は。 晴れると燃え上がり、曇ると冬の訪れを寒々と伝えてくれる、一人二役。 信越山線でも何箇所かで見ることができます。 一番わかりやすいのは、ここでしょうか。 紅葉は何とか残っていて、カラマツも色が出始めた、というちょうどいいタイミングでした。 今もこの区間には115系が何とか走ってきてくれるので、新作が出てくるのを楽しみにしております。
早くも、というほどでもないかもしれませんが、10月最終週、紅葉の北海道や只見の写真がたくさん出回っているようです。 メキシコにいると紅葉という事象自体、あるのだろうか・・・。 多分メキシコシティ周辺はあるんでしょうが、ウチのあたりではお目にかかることはできなさそうです。 関西だと12月上旬で残っている場合があるので、それに期待なのでしょうか・・・。 少し紅葉の写真で、ちょっとずつ。 信越山線、ちょうど山の中に来てから2年が佳境だったので住んでいるんではないかという勢いで通っておりました。 片貝、線路手前のストラクチャーが様々新鮮で、よく妙高1号の前に来る115系に実験台になってもらっていました。 撮影地の近くにちょうど桜の木があって、棚田を囲むように道がうねっているところ。 秋というのは、どういうわけか曲がりくねった小道が似合うようにおもいます。 ..
帰りは伯耆大山まで足を延ばしました。 夕方のやくもを狙いに。 時間は思いのほかギリギリ。1本撮ってまもなく、交換で2本目が来た時には大山に雲がわいてしまいました。 3時は晴れるけど夕方は曇る。山陰の天気はずっと住んでいたらパターンがあるらしいけど把握するのが難しいところでもあります。 冠雪、ギラりみたいなのを撮ってみたいのですが~次のチャンスはいつでしょう?
最近話題になる泊っていうと、樺太の泊なんでしょうか。ちょうど樺太の1067ゲージが最後の時期に入ったということで、ネットでよくD2やTL16の写真を見かけました。 雰囲気が、羽幌線だか興浜北線。いいなあ、と感動しっぱなしの風景。 時間や情報の制約もあり突撃するのは勇気が必要だったので行くことはありませんでしたが、今の若い子たちもいろいろ楽しいものを見つけては楽しんでいてうらやましく思います。 私の世代だと泊というと間違いなく山陰線の泊だと思います。泊~松崎でキハ58や出雲を待ち構えた人は多いんではないかと思います。 泊駅自体も、午後の俯瞰撮影地としてよく知られていました。 あまりに変わらない風景でした。今もこんな感じなのでしょうか。
海をボヤっと見ているのが好きです。 今度は少し、広く撮ったアングルから。 ちょうど、波が少し映り込みました。 このころは姫新線のキハが新型に置き換えられた関係で姫新線色のキハが混じっていました。 姫新線での活躍の様子は撮りきれなかったのですが、山陰線的にはハズレ。 ハズレといえばハズレなんですが、まあそういうこともあったな、ということで納得させています。
ちょうど300㎜F4を手に入れたタイミングだったので、この日は切り込んで使ってみました。 青色が、鮮烈。この年は純正の望遠レンズを始めて使って、その価値に気づかされたのでした。 長らくシグマの70-200使っていて、この日のデジは40D。 縦アングルはちょうどこの70-200なのですが、色出しがどうもうまくいかない。 EOS3にこの300㎜つけた写真はばっちり決まっているのですが。 かなうものなら一式持っている今こそ、行きたいあの場所なのです。
秋というのはどうも静かなものなのかもしれません。 穏やかに晴れているし、田畑は空いていて。 丘の上から小さな集落を眺めて押さえておきたいアングルをあれこれと考える。 いいものです。
メキシコといっても広いですが、山の中にある広い平原の中にある街に住んでいるので、 山国といった感じではないのですが、長く海を見ていません。 開放感のある風景ではあるので、その点ではいいですかね。 そして、秋といってもすっきり晴れず、この記事書いている時点で急な夕立。 妻から秋空がきれいだ、と電話で聞いています。そういうのを、見たいなあ。 秋の日本海はおだやかで絵になるので、この10年振り返ってみると10月の撮影は大半が日本海側での写真でした。 とりわけ、新潟の写真が多くて、何を出そうか迷ったのですが、今日からは大きく飛んで山陰の写真でもと思います。 少しずつ手を加えられつつも、朱色のキハが走り回っているところ。勝手知ったるホームグラウンドの一つです。かなうなら、月毎くらいのペースで黙々と撮りたいのですがねえ。 7年前!秋の海が見たくて鳥..
新潟県の山だけど、北信からはよく見える、妙高山。 特徴的な姿、沿線いたるところから目を引きます。 この山とともに撮るのが赴任しばらくともかく好きで、よく撮っていました。 信越線の189系や115系。懐かしいです。 この日は、夕焼けに輝く特徴的なドームの姿が目に入りました。 これなら、しばらく撮り続けよう・・・。 夕暮れ深まってきたころにやってきた、鯨くんでこの日は沿線を後にしました。 この場所の夕暮れ、もっといい絵を・・・と思っていたころに海外赴任となってしまいました。 将来への課題でしょうか。 さて、妙高山。そういえば北信五岳なんていうぐらいだから、 このあたりの人にとっては地元の山なんですよね??という話題がたまに上がるんですね。 でも、地元とかどうこうとか考えるのはヤボなことかもしれませんね、という話にもなります。 ..
各所に電車で歩き回っていた時にいつも出会っていたかのような風景に出会うことができました。 高い架線柱、きつい勾配の続く線路。夕陽が降りてきて、鈍く輝きました。 この光線で車両が写せたらなお一層美しいだろうな・・・という期待も感じさせる光。 静かに、見とれていて、そして、撮ってみました。 この場所には冬にも立ちましたが、やはり秋の光は何か違うみたいです。 温かみが、少しあるからでしょうか。
2000系ラストのころの写真があまりにも有名なのでよく知られた話かもしれませんが、 秋の長野電鉄、リンゴだけでなくて夕方が素晴らしい。 今はどうか知りませんが、通ってた頃はいい光線でLSEが坂を登ってきていました。 あんまり編成がっちりやるのが趣味ではないし、空がきれいだったので広めにとっていますが、 いやあ、ほれぼれしました。鉄写真はこういうのが一番安心して撮れます。 エロ光なんて撮り鉄用語で夕方の日の傾いた光線のことを言いますけど、 語源は「ええ露光」という説を最近聞きました。 まあ、確かにそうかもしれませんし、セクシー光線だからということかもしれませんし。 こういう言葉はいろいろ面白いです。
関西弁の下手な関西人だけど、関東に住んだことは全くなくて、 そもそも社会人になるまでほとんど行ったことがなかったので、 図鑑では見たことあるけど実物をみたのは初めてでした。 山の中で頑張るNEXくん。3両になりつつも、きれいに維持されている感じです。 人情としては小田急LSEのほうが気合入るんですけど、こいつもなかなか沿線に似合っています。 ほとんどJR時代のカラーリングのままですね。 こいつが森の向こうから顔を出して、おっ、と思いましたよ。 四国の2000系っぽいというか、なんとも90年代っぽいというか、そんな感じがしましたね。
この時の撮影はちょっと調子がよくて、同じ場所でウンウン粘ってアングルを考え出すことに。 リンゴって、露出も色だしも難しいし(今ドキある程度は現像で処理できるけど)、そのうえで、花を撮るときのようにバランスを気にしながら画面を埋めていく感じなので、実は結構手ごわい。 柿の木よりは、目立つけどね。 そうして同じ場所をうろうろと数時間・・・ああ昔もそんなことやってたっけな。 ちょうど程よく収穫されていない枝を見つけて、ああでもないこうでもない。 気が付いたらもう側面の色が弱くなってきつつあるタイミングだったけど、3500系のような平たい顔だとちょうどよかった。 再掲載だけど、お気に入りなので。
台風により、東日本の各地で大災害となってしまいました。 被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。 山の中は幸い知り合いは全員無事でしたが、新幹線10編成が水没という衝撃的事件に加え、道路橋や鉄道橋が各所で崩落、田畑が流出など、大変な状況であることが伝わってきました。 そのほかにもメキシコで把握できる限り、都内の一部や長岡や宇都宮、茨城やいわきなどで水があふれたということを知りました。インフラへの打撃も数知れず 私が赴任後しばらく通っていた吾妻も大変な被害で、試験溜水中の八ッ場ダムが一晩でいっぱいになるほどの水と土砂がダムに押し寄せたようです。 私はしばらく予約投稿で長野電鉄のリンゴ畑の写真を出し続けていましたが、おそらく信越線豊野のりんご畑は新幹線基地のすぐ北なので壊滅でしょう。 収穫前に大変なことが起こってしまいました。なんということ! 願わ..
春は桜に、夏は小川の風情、冬は快晴の空に雪原に。 撮り方が様々あって奥深い、夜間瀬の鉄橋。 この日は空がきれいだったからか、縦で撮っていました。 天高く馬肥ゆる秋。 なににせよ、いい天気の日は素晴らしいものです。
普通電車は、昔々の東京の地下鉄を改造して使っている、3500系。 特徴的な見た目ゆえ、一部の方に人気のようです。 時々仲間ウチ&ダイヤ非公開で団体列車を走らせたり、 ピンチヒッターで特急の代走で走ったりすることすらあるようですが… 普段着の姿ばかり追っているので、そういう姿には縁がなく。 まあ、こうやって特徴的な濃い空のもと、カタコトと登ってくる姿、素敵ですよね。 わずか5キロほどの丘の上の鉄道、昼前のひと時。
先日リンゴ畑の写真を出してみて、ふと、ほとんど2日間リンゴ畑の中で過ごした日のことを思い出しました。 テレビでリンゴの収穫の時期、とみて、とりあえず行ってみたところ、ちょうど収穫の時期。 2日とも晴れ続けた秋晴れの日でした。 2000系のいなくなった長野電鉄、今でも割と楽しい被写体がそろっていますのでいいですね。 花とか、沿線の四季を地平から静かにとらえていくのがよい路線のようです。 地元だったのですが、気が付いたらメキシコに来てしまったので、思うように撮りきれなかったのが少々心残りです。 とはいえ、もう少し彼の地で走る電車たちの顔触れは変わらないまま、ということになるのでしょうか。 しばらく秋晴れの時期の河東地方から。 このころはなかなか朝から頑張るエネルギーがなくて、朝10時くらいに出てくるのが常。 何本かカットをためて、まずは正午前のロマ..
特別付録 和歌山線上り貨物 吉野口出発 牽引C58193号機
大阪東南部に住んでいた筆者にとって最も身近な蒸気は、関西線、和歌山線のそれで、自宅から1時間程度で彼らに会いに行くことができた。 1972年3月13日は月曜日で当時中学生だった筆者が何故その日 丸一日撮影に行くことができたか思い出せないが、その前日3月12日にはC576号機けん引による和歌山線のさよなら運転が湊町⇔和歌山で実施されている。筆者はこの日、朝からC57旅客、五条のC11、北宇智のC58貨物と順に撮影を行い、最後にこの上り貨物の出発を見送ることとなった。さよなら運転の翌日であっても普段通りの運行で誰一人いないあぜ道に立っての撮影であった。 C58193号機は見た目は決して美しいとは言えない状態であったが、この時ボイラ、足回りは見事に夕日に輝き、美しい白煙を吐きながらD51とは異なるC58の軽いドラフト音とともに走り去っていった姿は今も私の脳裏から消えない。それは私に..
ここのところすさまじく忙しいので自動投稿を設定しているのですが、 間違って次の特集分の記事が入ってしまっていましたので、直しておきました。 ご覧になった方はわかっていると思いますが、 次のネタは長野電鉄の秋です。 個人的には多分大糸線や信越山線の次に気に入っている路線、 それなりに腰を据えて撮っていた時期があったのでご紹介させていただきます。 フライイング告知になってしまいましたがどうぞよろしくお願いします。 あと、和歌山線の記事、画像が出てこない記事が一つあるのですが、 記事を選択いただくと写真を見ることができます。 直そうとはしているのですが原因が特定できないので・・・ すみませんがこの週末に対応を考えます。 いろいろありますがよろしくお願いします。
この日の最後は朝一番に訪問した玉手駅付近。金剛山、葛城山をシルエットにしてこの日最後の光が空を赤く染めます。王寺方面行きの列車のテールランプを今日一日の感謝をこめて見送りました。あれから5年、いよいよ引退の時がやってきました。さようなら和歌山線の105系。 2014年1月3日 玉手-御所 撮影 とも
さあ、もう一枚。ここも定番の隅田駅近くのコンクリート製のアーチ橋。周囲は冬枯れの風景ですが、和歌山地域色と白いコンクリート橋の組み合わせが、美しいです。それにしてもこの日の空の青さよ! 2014年1月3日 隅田-大和二見 撮影 とも
この後、和歌山方面に順移動してきます。この日は、ホントに抜けるような青空が続きました。この青空を使うならこれだね!と訪問したのは西笠田駅近くの穴伏川。長靴に履き替えて川に入って、低く構えて我慢の列車待ち。といっても西笠田駅のすぐそばですから発車時刻を見計らって構えます。ファインダーの中で春日色が青空にくっきりと浮かび上がりました。 2014年1月3日 西笠田-名手 撮影 とも
冬の和歌山線といえば白い雪を纏った金剛山、葛城山をからめたいところですが、残念ながらそういう日は年に数日でしょうか。むしろ私のイメージは、どこまでも青い空。抜けるような青空です。そんなイメージ通りの日が5年前の撮影でした。朝から日没までたっぷり楽しませていただいた一日を紹介します。 葛城山は大阪、奈良の県境となる金剛山と並ぶ名峰です。この日は山の稜線が見事なため定番の玉手の駅近くから撮影を開始しました。正月早々、新年第一回の撮影。玉手駅に門松が飾られていたのが印象的でした。
新緑が美しければ、当然紅葉も期待されるところですね。ということで春の峠と同じ場所です。この日は午前中に近鉄大阪線の三本松俯瞰で紅葉を楽しんだ後に和歌山線に転戦しました。ところが、午後から雲が増え中々晴れカットが得られません。やっと晴れたと思ったら今度はバルサン攻撃(泣)。そしてまた曇り空に。もう無理とあきらめた帰り道、吉野口を過ぎたあたりで急に日差しが!あわてて取り返して斜面に立つと夕日に染め上げられた紅葉が輝いています。一方、影が徐々に線路に向かって伸びてきます。祈る思いで待つことしばし、春日色の105の登場です。 2014年11月24日 吉野口-北宇智 撮影 とも
現役蒸気時代にはあまりお目にかからなかったもののひとつが、休耕田利用のお花畑でしょう。これが今の時代の豊かさを示すものなのかどうかという議論はさておき、夏のシンボルのヒマワリと和歌山地域色の組み合わせは実に佳いものでしたね。お盆休みの帰省時に狙い定めて出かけた時の記録です。もっと花に接近して撮影したかったのですが手前のヒマワリがすでに終わっていたのが残念でした。 2016年8月14日 大和二見-隅田 撮影 とも
春といっても、有名な御所の桜ではありません。私の中では和歌山線はC57やC58が活躍していたころで時計が止まっているようです。それ故か、近年も吉野口-北宇智間を好んで訪ねました。 重阪峠の斜面に立つとおあつらえ向きのカーブが俯瞰できます。このカーブ、かつてC58の撮影に挑んだ懐かしい場所です。架線柱があるものの遠くから汽笛がドラフトが聞こえ、カーブの先からC58が喘ぐように上ってくるのではないかという錯覚にとらわれることしきりでした。そんなノスタルジーに浸っていると、やがて新緑溢れる峠道を春日色の105系が登ってきました。 2014年5月2日 吉野口-北宇智 撮影 とも
和歌山線へは、鉄ちゃんの道を本格的に歩み出した約半世紀前、自宅から比較的近い事もあり何度か撮影に行きました。御所付近から見る金剛、葛城の山並み、吉野口での近鉄との出会い、北宇智-吉野口間の重阪峠、北宇智のスイッチバック、五条常駐の補機用C11、西笠田あたりの紀ノ川等々目をつぶれば今もC58のドラフト音とともにさまざまな風景がよみがえってきます。 そういう愛する和歌山線は、無煙化の後1984年に電化されて以来105系の天下となっていました。その105系もこの秋にいよいよ完全引退とか。そこで今回は、近年撮影した和歌山線の105系の四季の姿を紹介しましょう。 1.春 2.夏 3.秋 4.冬
久々の更新になってしまいました。もう、忙しすぎた。 疲れすぎて、晩御飯が食べれないくらい。 今日でほっと一息。一筆書きます。 山の中だと、そろそろリンゴの季節だと思います。 確か、10月の半ばくらいだったかな。 秋晴れの季節。 山の中のリンゴ畑から。 この日は畑の片隅で撮ってもよいということだったので、お邪魔させていただきました。 長電の沿線、豊かな農村ゆえか人情味のある農家の方が多く、いつも楽しかったのを思い出します。 話題は変わりますが。 日本ではこの9月30日、地味で地味で仕方がない和歌山線の105系が引退したようです。 個人的には和歌山の親戚の家に遊びに行くときとか、 奈良の田舎を歩くときとか、 はたまた紀勢西線とかで活躍する姿を目にしてきたので思い入れは結構ありますが、 ともかく、随分長生きしましたよね。 関西に残っていた..
メキシコの中で、際立った大都市。 地下鉄が縦横無尽に走り、街路は整然。 中心部に向かうと西欧諸国の首都を思わせる風格ある建築が並んでいる。 メキシコは多様性の塊。混沌と表現する人もいるけど、それだけとは思わない。 多少田舎かもしれないが、相克する歴史を乗り越えて、西欧社会の隅っこで頑張ってきた国、という印象を持っている。日本よりも厳しく、真正面から。 そして、古い日本で様々な人間模様を見てきた者としては、そこに住む人の姿にどこか親近感のわく国でもある。 さて、本来はテツBlogなんだけど、彼らのことも時折紹介していければ、と思う。
185系のお写真いかがだったでしょうか。 当ブログとしては初の寄稿スタイルで記事を組んでみました。 メキシコで聞く鉄しかできていない私としては、撮りたくてうずうずしてしまいます。 今日は日中いつもよりたくさん貨物が走っていて、なおさらです。 いろいろ調べてるとNAFTA街道である北東鉄道(Mexico City~Queretalo~San Luis Potosi~Monteley~U.S.A)が大幹線らしく、日中も多種多様な列車が行きかっているようです。 釜も多種多様。アメリカ本土では消えてしまったというBBやCCの小型機、中型機がいたり、カラーリングもいろいろ。 見てみたいけど、ちょっと遠いなぁ。 さて、日本ではようやく涼しい日も出てきたようですね。 今からの季節は穏やかな季節で、飛んで帰りたくなります。 稲刈りは大体終わりつつあるタイミングだと思います..
15時を回ると日も少しずつ傾きいい光線になってきました。この日は、午後になってどんどん空がクリアになり、夏にしては珍しく海の青さが際立ちました。やはり伊豆は海、これを撮らなきゃ!先ほどの河川敷から後ろの橋に移動して、歩道から狙います。今日一日暑い中延々と担いできた、100-400mmレンズをAPS-C機に装着、換算640mm。少し斜め角度にしてヘッドライトを入れて画面を構成しました。やがて青い海をバックに、上り踊り子が午後の光線を受けてその姿を浮かび上がらせてやってきました。 2019年8月4日 伊豆急行線 伊豆熱川-片瀬白田 撮影とも
ずっと屋外の撮影、体に熱がたまって熱中症にもなりかねません。ということで、14時ごろに片瀬白田に移動。白田川で撮影しながら体を冷やそうという魂胆です。 伊豆急線は、白田川を渡って片瀬白田の駅に進入します。白田川は山中からどっと渓流のまま海に流れ込みます。これほど美しい川がダイレクトに海に流れ込む姿を鉄道を絡ませて撮影可能な場所は、ホント珍しいですね。折しも夏休みの休日、家族連れで川遊びの姿も。私は、三脚を川の中に立て、足を冷しながら撮影しました。その気持ちいい事!時々地元の子供達が、渓流に体を任せて滑るように流れていきます。気持ちいいだろうな。そうこうするうちに、海水浴帰りの人々を乗せた上りの踊り子がゆっくりと鉄橋を渡っていきました。 2019年8月4日 伊豆急行線 伊豆熱川-片瀬白田 撮影とも
先のトンネルを出るとすぐまた次のトンネルとなります。そしてそのトンネルを出て、左にカーブすると伊豆大川駅です。 ここは駅から30メートル程度の極めて便利な場所ですが、いかんせん日陰の無い場所で真夏の昼間の撮影は地獄の様相。あまりの暑さに駅待合室(残念ながら冷房はないんですが)で待機して、踏切が鳴ったらカメラのもとに行くという安直な解決策で時間を過ごしました。緑一色の壁を背景にアウトカーブで進入する白地に緑のストライプを収まりよくまとめることができました。アウトカーブ大好きの私にはたまらんポイントです。 2019年8月3日 伊豆急行線 伊豆高原-伊豆大川 撮影とも
伊豆急といえば海岸線を行く姿を思い浮かべるところですが、現実はトンネルの連続。これまで、海岸線をゆく姿を片瀬白田、伊豆稲取などで撮影してきましたが、昨年あたりから森の中をゆく姿も好んで撮影しています。 伊豆大川駅から旧道を徒歩20分強。真夏の日中の徒歩鉄はきついものです。しかし、撮影場所そのものは木陰の中で、セミしぐれを聞きながらゆったりと待つことが出来ました。このトンネル飛び出しポイント、緑に埋め尽くされた夏の姿がいいですね。伊豆高原駅の発車時間から5分くらいたつとトンネル脇の草がサワサワと揺れだし、これが列車接近のしるしです。真夏の日差しを受けてギラギラと木々が光る中、踊り子が飛び出してきました。 2019年8月4日 伊豆急行線 伊豆高原-伊豆大川 撮影とも
今日から5日間、ともさんから寄稿いただいた記事でつないでいきます。 185系の踊り子、私も度々行っていたのですが、そこでお世話になっておりました。 温暖な沿線で過ごした時間は特に冬厳しい信越で暮らしていた者としては何よりの保養だったことを思い起こします。 今回は今年の夏景色。海あり山ありの伊豆急線からになります。よろしくお願いします。 ******** きたぐにさんの長年の相棒である「とも」です。きたぐにさんのブログ再開に合わせて私からも当ブログに駄作を出させていただきます。在メキシコのきたぐにさんと異なり私は相変わらずの湘南暮らしが続いています。 185系踊り子の終焉が近い中、この夏は主に伊豆急線内の姿を追い求めました。伊豆急線内といえば稲取俯瞰など海を取り込んだ撮影地が有名ですが、ちょっと違った角度も狙ってみました。朝、昼、夕と時間を追った形でどうぞ..
まだまだ日中は暑いそうだけど、 朝晩は涼しい日も出てきたって、日本にいる妻から聞いています。 メキシコは14時間ずれて、十六夜が上がっています。 昨日は少し雲が出ていましたが、今日はきれいに見えています。 メキシコは朝晩ひんやりする感じです。 ちょっとだけだけど、秋の虫も鳴いています。 ふと玄関のあたりから出ると、コオロギが歩き回っています。 やはりこの国にも秋がある。日本ほどはっきりとはしていないのかもしれないけれど。 9月というより8月なんだけど、イメージに合う写真があったので。 去年、津山線でキハ撮りに行った時の写真。 あんまり撮られていないような気もするけれど、この路線、撮り続けるにはいいところだと思います。 いつか、福渡の鉄橋で花見撮影会やりたいなあ・・・・。
15時を回ると日も少しずつ傾きいい光線になってきました。この日は、午後になってどんどん空がクリアになり、夏にしては珍しく海の青さが際立ちました。やはり伊豆は海、これを撮らなきゃ!先ほどの河川敷から後ろの橋に移動して、歩道から狙います。今日一日暑い中延々と担いできた、100-400mmレンズをAPS-C機に装着、換算640mm。少し斜め角度にしてヘッドライトを入れて画面を構成しました。やがて青い海をバックに、上り踊り子が午後の光線を受けてその姿を浮かび上がらせてやってきました。 2019年8月4日 伊豆急行線 伊豆熱川-片瀬白田 撮影とも
もっといい条件を追求したかった。粟生津の夕暮れ。 この日は、目の前できれいに夕陽が山に沈んだ。きっと車体はきれいなシルエットになっただろう。 残念ながらその時間には列車は来てくれなかった。 とはいえ、西に向かって小さな山だけがありすぐ向こうは地平線。列島が南北に向きを変える東の国ならでは。夕陽がただただ映える。 今、日本から見て地球の裏側の国にいて、もうこの地で115系を見ることができる機会はごくわずかだろう。 でも、どこで撮っていた時よりも、不思議な充実感を感じながら、撮っていた。 これからも顔を出せると、いいなと思う。 ******** 今日で私の連載を終えます。次は寄稿になります。佳境に入りました、185系踊り子の夏景色。 よろしくお願いします。
越後線の特に南半分は列車本数が少ない。朝が終わると10時、13時、そして夕方。 決して人が住んでいないわけでもないのだけれど、路線が人の流れに沿っていない。 沿線の人々は長岡にバスや車で向かってしまうらしい。確かに、主要な駅で越後交通のバスの姿をよく目にした。 とはいえ、そのダイヤのおかげでのんびり、ゆっくり休みながらの撮影。 土日ゆったりして、気持ちを整えて、戻って、というスタイルが無理なく実現できるというありがたさを感じるところだった。 逆光でも、里山に稲がきらめく。北国の夏。
新潟は日本海側らしく曇りの日が多い。時々日が差して、そんな変化に妙な感動を覚える。 スカッと晴れる日もあるけど、たいてい夕方になると雲がわいてくる。それが、日常。 夕陽が見れること自体が貴重だけど、薄い雲に隠れてよくわからない感じで夕陽が出ているという日も結構ある。 まあ、すごくリスキーで成果を予想できないから、昔は確実に晴れが保証される天気図が出ない限り新潟の方には行こうとしていなかった。遠かったのが一番大きいけど、山の中に赴任してからもそんな感じ。習い性というか、バイアスというか。 しかし、腰を据えて撮るようになって気が付いた。雲の間から夕陽がのぞくから、光はやや弱いかもしれないが不思議な色の空間が広がる、ように感じた。 カメラというものはラチチュードが狭いから、あの「妙な感動」を残すのは難しいのだけれど、 デジタルの時代なのだから何でもできるかもしれない、といろいろ実..
関西でもここはみんな知っている。いや、憧れに近いものを持っている人すらいると思う。 米山から鯨波にかけての海岸沿いの区間。信越海線なんていう呼び方もあったり。 485が走っていたときは随分と通った、そんな思い出を持っておられる方々も多いのではないかと思う。 かくいう私もそんな感じで、485が去ったことは何よりも大きい転機だった。 このブログの記事を見返しても、明らかに筆が迷っている・・・。 とはいえ、それからも何か気になってこの辺りには通い続けていた。 そしてひょんなことがきっかけで、115系も気合入れて撮るようになった。不思議なもの。 この日の前日は柏崎での花火大会。前夜に花火と一緒に撮るカットも気になったが、業務の都合で翌日の返しに参戦。 返しの日は、かつてくびきの1号だった3371Mが6連増結。今年はキム6連で沸いたようです。 いやあ、このカラーリング好き。新潟..
越後平野に立つとよく目立つ弥彦山。 かつては孤島だったところ、近世以降に開拓が進められ、各地から移民がやってきて、だんだんと陸続きになったというお話。 新潟では弥彦は信仰の対象で、弥彦神社は越後開拓の神様。 西日が降りていく姿は神々しかった。 滋賀県に縁ある人間としては、比良山や比叡山に太陽が降りていく感じ(ローカルすぎてわからないか) 何度となくチャレンジしたが、完全に思い通りという画面は結局撮れなかった。 とはいえ、赤塚や岩室から粟生津にかけての姿がいつも印象的で、何度も通った。 こうなると、銀箱ばかりになっても、チャレンジし続けようとするんだろうか。 何か心ひかれるものがあり、また列車本数が少なかったので、撮影の合間を見て弥彦神社や新潟市の白山神社に参拝していた。 一時帰国の時にまた訪れよう、と思っている。
新潟県は何地方?とても難しい質問。そもそも広いし、いろんな要素が混じりあっている地域だから。 しかし一つ言えるのは、一面として、北陸からひとつながりにつながっているということ。 お盆前になると仏壇に供える大輪の蓮の花が沿線を彩る。 同じような光景を10年近く前、北陸線の沿線で眺めていた。 あの時やってきたのは日本海、雷鳥、貨物、419や475、そして臨の489。 しかしこれほどの快晴の日に巡り合うことはなかった。 新潟の夏は時に雲ひとつない快晴という日がある。なぜだかわからないのだけれど。 普段は雲の多い土地だけど、爽快な気持ちにさせてくれる日が必ず来る。そして、その日に巡り合った。 春から夏にかけ毎週、花の話題に事欠かないこの路線。梅、桜からアジサイ、ひまわりなど。 すべては撮りきれなかったけれど、やきもきしたのもいい思い出。
関西からは見れば、なんとなくつながりを感じなくもないけど、ともかく遠い国、新潟。 新潟にはJR東管内では最後の115系が走っている。 去年は縁あってせっせと通っていた。 おそらく海外赴任から戻ったころにはもう彼らの姿はないだろうが、今まで巡り合うことがなかった情景に出会うことができた。 新潟で良き知り合いに多数恵まれたのもうれしかったこと。 元来田舎育ちの私にとって、あらゆるものがどこか懐かしかったけど、ともかく障害物なく風景が広がっていて、心の片隅で思っていた画面がとりやすいところだった。 暑い夏の日、稲穂を揺らす風を待ちながらカメラを構えていた日々を遠い国で車を運転していてもふと思い出す。 越後平野は収穫の季節に入った模様。かなうものなら、もう少し取り組んでみたかった場所。しばらく、去年の夏の写真で一つ、お話。しばらく、連載します。
お久しぶりです。前回の更新から2年経っていますね。 身辺の環境が大きく変わりました。Twitterではお知らせしておりましたが、改めて・・・。 1.海外に赴任しました メキシコに赴任しました。期間はそれなりに長くなりそうです。 雰囲気はアメリカの地方都市という感じ。インフラは結構整っていて生活に不便はありません。 鉄道もあります。それも相当立派なのが! アメリカの貨物列車がそのまま走ってくるのです。旅客は残念ながらありませんが。 住んでいる街には巨大なヤードがあり、釜重連にダブルスタッグの貨物列車がゆっくりゆっくりと走っています。 そうですね、有効撮影時間帯に朝昼夕と上下合計5~6本くらい走っているようです。ダイヤはありますが、単線なのでたまに遅延することもあるようです。 深夜にも走っているようで、寝る時間のころに立て続けにやってきます。 なんで走っているのがわ..
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