『秋の甲斐路へ』⑧〜甲斐善光寺と武田神社
『秋の甲斐路へ』⑧、銚子塚古墳を堪能した後、ファミレスでランチ。雨も完全に止まないので昇仙峡を諦め、甲斐善光寺へ。甲斐善光寺は元は武田信玄が川中島の戦いを考え際に信濃善光寺に戦火が及ぶことを恐れて創建した寺院。1555年第三次川中島の戦いを和睦するとこの寺を建て、その3年後に信濃善光寺の本尊の善光寺如来を移した。しかし、信玄の死後、1582年武田勝頼は織田・徳川連合軍に敗れ、善光寺如来は織田信雄により岐阜に移され、さらに清洲城、徳川家康により吉田、浜松を経て甲斐善光寺に戻される。しかし、豊臣秀吉が方広寺大仏損壊を受けて善光寺如来を京都に移されるが、秀吉が病となり、善光寺如来の祟りと噂されたこどあり、1598年に信濃善光寺に戻された。甲斐善光寺の伽藍はほぼ信濃善光寺と同じ大きさがあった。しかし、1754年の...『秋の甲斐路へ』⑧〜甲斐善光寺と武田神社
2024/11/30 05:00