桜をはじめ色んな花が開花し、暖房からも解放されて、息吹を感じる季節になって来た。5年前のこの時季、桜の咲く烏山線に「しらかみ」が現れた。未掲載の写真があったので、掲載する。今も現実離れの感じがするのは全くの想定外だったからだろう。
鉄道写真を撮っています。 きっかけは、今のうちに撮っておこうと思った北斗星やキハ40。 鉄道にもカメラにも特に興味がある訳でもないのですが、なぜか今も日常生活の中で撮り続けています。
桜をはじめ色んな花が開花し、暖房からも解放されて、息吹を感じる季節になって来た。5年前のこの時季、桜の咲く烏山線に「しらかみ」が現れた。未掲載の写真があったので、掲載する。今も現実離れの感じがするのは全くの想定外だったからだろう。
先日の東洋経済に「久喜周辺には何があるのか」という記事があった。「東武スカイツリーラインの電車に乗ると、終着駅は南栗橋か久喜、寝込んでしまうとそのどちらかの駅まで行ってしまう。東武動物公園駅から伊勢崎線に入ると久喜になる。どちらがマシかというと、久喜のほ
令和5年8月26日宇都宮ライトレールが開業した。交通渋滞緩和などの必要性から、何もないところから計画し開業した日本初のLRTだ。開業以来数件の交通事故が発生したものの、平日利用者は1日平均1万3千人で、予測を上回る順調さだという。開業初日に早速撮り鉄し、ある程度
東北線・高崎線・宇都宮線と王子を走る在来線電車が出そろった光景。こちらは新幹線。E4系とE5系か。そしてこちらは金太郎けん引の貨物列車。
今朝の東洋経済に標記の記事があった。首都圏屈指の通勤路線東武東上線は、池袋・寄居間の75㎞。ただし、都心からの直通は小川町駅まで。さらにその先10㎞は単線となって寄居まで続く。途中、鉢形城、玉淀などを経て終点の寄居駅に着く。この駅は、秩父鉄道、JR八高線の駅で
今朝読んだ「東洋経済」の記事に「寝過ごすと大変な駅・南栗橋」があった。南栗橋は首都圏では意外と知られている。通勤電車の多くが、車両基地のあるここを行先としているからだ。周りは住宅や田畑なので、「寝過ごすと大変な駅」としてエピソードも多い。その駅の近くに車
今年は高崎線開業140周年だとか。開業時は上野・熊谷間で、駅は上野・王子・浦和・上尾・鴻巣・熊谷の6駅だけだったという。なぜ王子なのかについては、日本初の洋紙工場があったからだそうだ。現在の王子駅。右の森は飛鳥山。左遠方にスカイツリー。飛鳥山には渋沢栄一の邸
犬山城の天守閣から東方面を眺めると、名鉄の鉄橋が見えた。結構電車が行き交っている。時々、電車が橋の手前で信号待ちで止まっている。近くに駅があるという雰囲気。赤い電車は6000系か。こちらは快速特急1200系?もう少しじっくり撮りたかったが、他の客の迷惑になりそう
烏山線は今年開業100周年に当たる。キハ40撤退を知ってから、何度も撮り鉄に行った馴染みの路線でもある。その都度、四季の移り変りを実感させる光景を現してくれた。4月、山桜が咲いていた。、
先日205系「いろは」解体の記事を見た。「いろは」は2018年から2022年3月までJR日光線で、観光客用に運行されていた電車だった。臨時列車として宇都宮線も何度か走ったので、その時撮り鉄した。臨時列車として身近なところを走った電車が、ここのところ立て続けに消えていく
コロナ以前と比べるとイベント列車の運行も車両の種類もだいぶ減ってしまった。
雨が降ったりやんだりで、撮り鉄する気はなかったのだが、いつの間にか日差しが出ていた。ならばと家を出て撮影地に向かう。途中の踏切で下り電車が去ったあと、すぐに同じ方向からの矢印が出て、遮断機が下りた。もしかしてと思ったら機関車が見えた。
本当はもっと菜の花を入れて撮りたかったのだが、出遅れて人垣の後方になってしまったのでやむを得ずの構図。ついてすぐSLがきて、ピントも合わず。撮れただけラッキーの写真。
2019年の今日、リゾートしらかみが烏山線を走った。アキュムとの並び。こんな光景は思ってもみなかった。沿線は、キハ40のラストラン以来の賑わいとなった。烏山線は今年開通100周年を迎えるという。こんなサプライズが実現するといいのだが。
以前名古屋駅に降り立たのはいつだったかはっきりした記憶がない。その時の駅舎がどうだったのかも覚えていない今の駅ビルが完成したのが1999年なので、少なくとも20数年以上来ていなかったことになる。完成から数年間は、世界一背の高い駅ビルだったということだけあって、
どの駅だったかはっきりした記憶はないが、写真を撮った順序からして、神宮前駅のような気もするが、あるいは鳴海駅で乗り換えたのかもしれない。車両番号3608、急行豊橋行、という表示に見える。
少しでも速い電車に乗り換えようと降り立った鳴海駅。もうここに来る機会はないかもしれないと、電車を待つ間、撮り鉄した。ちょっと遠すぎて、車両番号も読み取れず、正確には何系だか分からないのだが。
車両番号3609。名鉄3500系。鳴海駅発車の後ろ姿。
鳴海は歴史小説にも出てくる地名で、昔を偲ぶものもあるのだろうが、時間と体力の制約で、乗り換えだけとなった。そうは言っても撮り鉄はできる。車両番号2207。
名鉄名古屋本線で名古屋に向かう途中、山王駅で下車した。近くに温泉があるという。散々歩き回った疲れを癒すための途中下車だった。駅に戻り電車を待つ。名鉄名古屋本線と並んでJR東海道本線が走っているので、頻繁に電車が通過する。スマホで撮り鉄したが、暗くてうまくい
3700系と表題にしたが、正直3500系なのか3100系なのかよくわからない。名鉄名古屋本線を利用するのはたぶん初めてなので、とにかく初見の電車を精力的に撮った。撮影場所は岡崎公園前だと思うのだが。
八丁味噌蔵から名鉄の岡崎公園前駅に。隣のホームに入ってきたのは3300系か。愛知環状鉄道の線路が交差しているのが見える。直前にお世話になった路線だ。
伊勢八幡宮からバスで東岡崎駅に着き、ホームにたどり着いたとき来た電車。
足助から豊田経由で岡崎に行くことにして、考えていた駅よりも前に、他の駅を通ることが分かった。少しでも早く電車に乗ったほうが時間の節約になると思い、その駅でバスを降りた。駅名は忘れてしまったが、駅舎はなく、ホームは高架にあった。改札は見当たらず、そのまま階
東京駅で電車を降りると隣のホームに初めて見る電車が止まっていた。撮り鉄している人がいたので,それに加わる。サフィール踊り子。2020年3月のダイヤ改正で運行についた特急だが、コロナ禍の自粛もあって、お目にかかる機会は今までなかった。サフィールとはフランス語でサ
岡崎に向かうため、豊橋駅へ。駅前に咲いていたのは桜なのか。折角なので、この花を入れて豊橋の駅舎の写真を。そして岡崎駅に到着。この電車はJR東海の313系。岡崎駅は、東海道本線と愛知環状鉄道の駅で、ホームは単式1面1線と島式2面2線の地上駅。島式をJRが、単式を愛知
豊橋駅から路面電車で吉田城へ向かう。豊橋の市電にはいくつかの特徴がある。日本で終電の執着時刻が最も遅い路面電車。東海地方で唯一の路面電車。現在、国道1号線上を走行する唯一の路面電車。街中を歩行中、外国人の若者をよく見かけた。この地方の産業の一部を担っている
栃木県さくら市にある駅。合併で氏家、喜連川というそれぞれ由緒ある自治体名が無くなってしまったのは残念だったが、駅名で残った。改札のあるのは東口。2面3線の3番線ホームから黒磯方面に向かうE131系。令和4年のダイヤ改正で黒磯・宇都宮間の電車はE131系ワンマンに統一
6年前のこの時季は、烏山線キハ40撮り鉄の最後の追い込みに入っていた。烏山線で列車を待ち構えて撮ると、1時間半で2本のペースになる。はるばる来たのだから、できるだけいろんな場所で効率的に撮りたいと思う。そしてその方法は追っかけだった。中間の大金駅で列車交換があ
東武日光線を往くJR253系。コロナ禍でも走り続けてきたこの特急も、今度のダイヤ改正で本数減になってしまうのだろうか。撮影日・令和3年2月
2017年2月。この頃は、キハ40烏山線からの撤退を前に、メジャーな撮影地での写真は撮り終えていた。それまで撮っていなかった場所を探してここに来た。ここで撮った写真はネットにも見当たらなかった。烏山線沿線では珍しく荒涼感のある場所だった。
5年前の今日掲載した写真。この時は、特に目当てもなく、漠然と富士山か男体山でもバックに撮り鉄しようと思った。ところがどちらも姿が見えず、かろうじて姿を現していた筑波山を無理やりバックに、ちょうど通りかかったメトロ03系を撮ったのだが、写真ではその存在もかすん
7年前の冬、SLの写真を撮ろうと撮影地を探して、五行川に来た。意外にも、逆光側にカメラを持った人たちが待機しているのが見えた。順光側より多い。好奇心から逆光側に加わった。その時の写真。
東武6050型が次々と姿を消していった。写真は3年前の今日、会津に向かって運行された臨時列車。この時はまだ、コロナがこれ程ひどい災いをもたらすとは思わなかった。このリバイバルカラー6162F も今年1月に解体された。
去年の今日も雪。しかも警報級の雪という予報が出ていた。しかし、コロナ禍の中、久々に団臨が走った。ストロベリーTochigi号。 今日はここを団臨は走らないが、去年と同じように雪が降り始めている。果たしてどうなるのやら。
6年前の2月。東北本線の高根沢の切通。もろ脚光になるのだが、205系とキハ40がすれ違うので、撮ってみた。切通しなので踏切はないのだが、列車が近づくと警報音が聞こえてくる。カーブで見通しが悪いからだろうか。
6年前の今日。東北本線鬼怒川橋梁。時刻表にはない時刻、キハ40がやって来た。しかも単行。車内に乗客はいない。どうやら回送らしい。実は以前にも1度この単行を見かけたことがあった。その時は想定外だったので、カメラが間に合わず、呆然と見送るばかりになった。もしかし
7年前の今日、茨城県大子に行った。この頃はよく日帰りで出かけていた。思いつく所はほぼ廻っていて、どこか長閑な所と考えて大子にした。休日の役場の駐車場に車を置き、近くの土手を上がると水郡線の鉄橋が見えた。土手の向こうがいきなりこんな風景だとは意外だった。この
昨日のネットに「ウェブ2023年1月31日運転取りやめ氏家雛めぐり号」と出ていた。中止になったものだと思っていたら、走っていた。記事の内容を確かめなかったが、どうやら昨年のことだったようだ。SNSで運行されたのを知った。E257系5500番台OM53。団臨でよく見かけるので馴
氏家雛めぐり号の復路。E257系。久し振りにイベント列車を撮った。何年か前までは、イベント列車と言えば、日ごろ見かけない電車が運行されたが、今はそのほとんどが引退してしまった。ここ数年その廃車が続いた。イベントの高揚感が無くなってしまった気がする。
「踏切わきのエレベーター付きの跨線橋」の記事があった。上中里さわやか橋と名付けられた跨線橋で、ここで撮り鉄をしたことがある。1998年に設置されたもので「国内初の」という記事のタイトルについては、反論のコメントもあるようだった。それはともかくとして、エレベー
東武100系105Fの廃車回送をネットで知った。スカイツリーのライトアップにちなんで、2011年から江戸紫カラーをまとったスペーシア雅として運行された。粋、オレンジと3色3編成になり、スペーシアもカラフルになったと思っていたが、あれから10年以上の月日が過ぎていた。
龍門の滝の氷結した写真を見て、自分も撮りたいと思っていた。ただ、滝は南側を向いていて、日が差すと溶けてしまうらしい。早起きしてまで行く覚悟はなかった。5年前の寒波のこの時季、もしかしたら間に合うかもしれないと思い立って出かけた。着いた時は、既に左側は溶けて
今回も5年前の寒波の時の写真。この時はキハ40引退間近だったので、精力的に撮り鉄した。雪の河原で待機したが、やって来たのはアキュムだった。左岸の崖はほぼ垂直。少し上流で県道のバイパス工事の時、クジラの化石が出たそうだ。1000万年以上昔は、ここも海だった?
今回の寒波は、10年に1度の最強寒波だと予報されていたが、5年前のこの時季も強烈な寒波があった。その5年前のこの時季、道路の雪はおおむね溶けていたので、真岡鉄道まで撮り鉄に行った。
この25日をもって8500系は引退となった。最後まで残っていた2編成について、写真があるので惜別の意を込めて活躍中の雄姿を載せておきたい。先ず8637編成。2018年2月撮影。この時は特に目当ての電車はなく、とにかく来た電車を撮ろうと思った。青帯の電車は見慣れなかったの
寒波の真っ只中の昨日1月25日、東急8500系が運行終了となった。7年前の1月25日も寒波に覆われていた。降雪後の東武日光線を往く東急8500系。遠景は富士山。
5年前の今日のブログに載せた写真。撮ったのは前日の朝。冬は富士山がよく見える印象が強いが、実際に写真を撮ろうとするとけっこういい状態の時は限られる。今日と同じように、5年前のこの時季も最強の寒波だった。
予報では今日はこの冬一番の寒波がやって来るとか。そんなものはやって来ないでほしい。5年前のこの時季も観測史上初のマイナス9.5度を記録した。その朝は、ベランダに出ようとしたらガラス戸が凍って動かなかった。その日、東武日光線の跨線橋は車は通行止めになっていた。
宇都宮線沿いの道を走っていたら、次々に踏切が点滅し始めた。最近は撮り鉄をしていない。停車できる場所があったので、何が来るか確かめた。彼方に見えたのは近郊型以外の前照灯。車に入れっぱなしの古いコンデジを持って線路際に立つ。それにしてもなかなか来ないと思った
暫く渋谷に行っていないが、東急の5000系や8500系を見ると渋谷を思い出す。かつて渋谷に行っていた頃から走っていた電車だからだろう。東武日光線に乗り入れ、渋谷のイメージとはかけ離れた荒れ地の脇を通過する5000系。
ここ何日かEF-81-139号機がネットに登場している。カシオペア紀行救援回送の役割を担ったからだ。この回送の通過時刻が分からなかったので、撮り鉄はできなかったが、139号機を撮ったことがあるかちょっと気になったので、手持ちをあたってみた。すると何枚か出てきた。全て
先日東洋経済の記事に、スペーシアが東武で唯一中央本線を走った電車だと書いてあったが、今年も運行されたようだ。通過時刻が分からなかったのと、スペーシアはJR宇都宮線を定期運行していることもあって、撮り鉄にはいかなかった。記憶はないのだが、去年の1月30日、そのス
令和5年1月6日リバイバルカラーの6162Fが廃車回送されたことをネットで知った。時の流れとともに6050型がどんどん消えていく。6162の雄姿を2枚ほど。令和元年・日光線90周年記念号・新古河付近で令和2年・南会津日帰り旅・利根川築堤
今日のねとらぼに「関東地方の都県」人気ランキング1位は栃木県、という記事があった。全国の魅力度ランキングでは下位の常連なのに、真逆の結果になっている。その栃木県で最も有名な山、男体山。山全体が二荒山神社の境内で、まさに尊い山なのだ。その男体山を背景に、鬼怒
正月らしい写真というと、富士山がまず頭に思い浮かぶ。東武日光線を行くJR の253系。今年はダイヤ改正で運行本数が減らされる?
コロナ禍の続く中、少しづつ光明が差してきた年でもあった。ウイズコロナによりイベント列車も少しづつ走るようになってきた。宇都宮線でも、イベント列車ではないが、まず1月にニーナ(EF66-27)を撮った。そして2月、久々のイベント列車は485系やまどりの「ストロベリーToc
6年前、年末の押し迫った今日、栃木県まで撮り鉄に行っていた。個々の記憶は薄れてしまったが、カウントダウンのキハ40のシャッターチャンスをできるだけ生かそうと思っていたのだろう。歳末の気ぜわしい時期、今のうちに撮っておかなければという気持ちが優先したのだと思う
今年は馴染みの電車がたくさん去って行った。EF66-27もその一つ。団臨狙いで宇都宮線に行くと、いつも反対側からEF66かEF210の緑の貨物列車がやって来た。その中に時々ニーナがいた。2019年7月撮影2022年1月撮影
令和4年12月、485系リゾートやまどり廃車回送の記事を見た。485系は宇都宮線にも縁があった電車なので、消え去るのは残念だ。宇都宮線を彩った3つの485系の写真。485系きらきらうえつ(2016年5月)485系「華」(2018年6月)485系やまどり(2022年3月)
昨日「警告音が鳴る真夜中で見つけた異世界の入り口」という記事を見た。その踏切は、宇都宮線の宮道踏切。幅が1メートルしかなく、その先にあるのは小さな神社だけ、ということで時々ネットにも登場する。神社の周りは川と畑だけで、行き止まりになる。宇都宮線のメジャーな
485系「華」解体をネットで知った。この電車もイベント列車として宇都宮線でも運行されたことがあり、その情報があるたび撮り鉄したので馴染みの電車だった。とちぎまんぷく列車、ほろ酔いとちぎ号、お座敷とちぎ号として宇都宮線を走った時の写真がいくつかあるが、その中か
485系やまどりが引退した。やまどりは、イベント列車として宇都宮線でも何度も運行されたので馴染みの電車だった。運行の情報があるたび撮りに行った。宇都宮線では、山あげ祭り号、那須野満喫号、ストロベリー栃木号、とちぎうまいもんTRなどで運行された。イベント列車と
最近あまり撮り鉄していないので、未掲載の直近の写真をあたってみたら、12月上旬のものになってしまった。団臨が通過する時刻少し早めに宇都宮線に行った時の写真だが、やって来たのはEF210の貨物列車。いつもは団臨の修学旅行列車が東京方面に去った後、反対方向からEF66
この時はもう烏山線にキハ40はいない。真岡鉄道と掛け持ちで撮り鉄したのだろうか。それとも久々の烏山線訪問だったのか。最もポピュラーな撮影地龍門の滝で。キハがいたころは、そのエンジン音で近づいて来るのが分かったが、アキュムは音がしないのでいつ現れるか集中しな
キハ40の引退情報を知ってから、烏山線にはよく撮り鉄に行った。できるだけいろんな場所で撮ろうと思ったが、鴻野山は2枚しかない。ここで撮るには、路駐することになるのが、気になったからだと思う。烏山線は県道10号線と並行して走っているが、この鴻野山駅はその二つが最
真岡鉄道のC12。客車は旧国鉄の50系。国鉄が1977年に導入したが、電車化・気動車化の流れの中で、製造から廃車まで10年の短さだった。通勤通学対応なのでつり革があるのが特徴の客車。撮影場所は真岡・寺内間。メジャーな撮影地なので人が多い。
ここのところ晴天の日が続く。撮り鉄にとってはメジャーな撮影地であるこの陸橋の正式名称は富士見橋という。冬至間近で、日没も早い。
今日のヤフーニュースに、都電荒川線はなぜ残ったか、という記事があった。その理由としてよくあげられるのは「専用軌道の区間が長かったから」だが、理由はもう一つあって「バスの代替が難しかったから」なのだそうだ。都電荒川線と並走する明治通りは、渋滞がひどくバスの
今朝のヤフーニュースに真岡鉄道の記事があった。それによると、真岡鉄道の客車は旧国鉄の50系客車で、国鉄が1977年に導入した車両で、電車化、気動車化で製造から廃車まで10年の短さだったという。この50系は、地方の通勤通学対応だったので、ロングシートとつり革があるの
所用の帰り道、そういえば月と火星が接近すると新聞に出ていたな、と思い出す。東の空を見上げると、月の右上に星が見える。あれが火星なのだろうか、よくわからないが、とりあえずスマホを取り出す。通りかかった宇都宮線の通勤電車にも入ってもらって。もうちょっと落ち着
烏山線は丘陵地帯を縫って走っている割には、俯瞰ポイントが少ない。この場所は、東日本大震災で山崩れが起きた所で、ここだけが視界が開けている。雑草が生い茂り、蛇や蜂が気になるので、冬以外は立ち入る気はしない。撮影日は2013年12月。今のうちにキハ40を撮っておこう
「リゾートやまどり」もこの12月限りとなってしまった。団体臨時列車として、時々宇都宮線でも運行されたので、馴染みのある電車だった。最後に撮ったのはいつだったか確かめると、今年の7月、やまあげ祭号として運行された時だった。イベント列車として宇都宮線を走った電車
真岡鉄道のポピュラーな撮影地天矢場で。国道の駐車スペースに車を停めて、SLを待つ。鉄道ファンが待ち構える中、煙と警笛が近づいて来る。ワクワクする一瞬だ。まだ紅葉の残る山を背景に、坂を上っていく。撮影日 2015年12月5日
修学旅行シーズンはもう終わったと思い込んでいた。12月の入っても団臨が運行されている。この記事を書くにあたって確かめると、修学旅行シーズンは10月から12月ということだった。コロナ禍で修学旅行に行けなかった子供たちは気の毒だった。修学旅行列車が通過するたび、元
メトロの14編成が廃車回送されたという。8000系が次々に減っていく。長年、半蔵門線からスカイツリーラインに乗り入れ、馴染みのある電車だったので寂しい情報だ。14編成の写真を探したら1枚だけあった。車両は8114ではなく、10号車の8014。2018年撮影の物だった。
東武日光線新古河駅を発車する6050型。バブルが崩壊するまでは、この近辺は住宅開発で活況を呈していた。当時は、この6050型は快速として、ここを行き交っていた。ダイヤ改正を経て、編成車両数は減り、運転間隔は開いていった。商業施設予定地だったエリアは、貸農園に変わ
最近撮り鉄していないので、過去の写真で季節感のあるものを探すと、烏山線に偏ってしまう。今回も森田地区。車で行けるぎりぎりの所から。
この前載せた俯瞰写真と同じ撮影日なので、烏山線からキハがいなくなったのを承知で、撮り鉄した時の写真になる。ポピュラーな撮影地の森田地区で。ここは、踏切の近くに駐車スペースがあるので落ち着いて撮り鉄できる。今思えば、あのスペースは何のための空き地なのだろう
2017年11月、この時はもう烏山線をキハ40は走っていない。それを承知でなぜここに行ったのか。何となく行ってみたくなったのか。それとも何かのついでだったのか。ここは烏山線を俯瞰できる数少ないポイントの一つ。キハを追っかけていた頃、ここを見つけるのに苦労した。今
この時季の写真を当たっていたら出てきた1枚。2013年、もうこの頃から烏山線に撮り鉄に行っていたのか。何度も訪れたポイントだが,この写真を撮った時のことは、全く記憶から消えてしまった。
撮り鉄に行っていないので、過去のこの時季の写真を。撮影地は両毛線の岩舟山。この山の上には神社があり、車でも登れる。道幅は狭く、かなり急だ。対向車が来たらどうなるのだろう、と思いながら登って降りた。途中の見晴らしは全く覚えていない。ここに車で来るのはこれが
2016年の今日撮った写真。この頃はまだ烏山線にキハ40が走っていた。そのキハ40を撮りに行ったのに、なぜアキュムなのか。まだアキュムは1編成だけだったが、この時間帯の上りか下りのどちらかの運行に就いていたのだろう。両方撮るつもりで、その一つをここで撮ることに決め
E257系が現れたので、カメラを取りだした。間に合わないかと思ったが、後ろのほうが写っていた。修学旅行列車が通過する時間帯。しばらく見かけなかったような気がするが、日光への修学旅行はまだ続いていたのだろうか。写真を見ると、乗客がいない。回送?
この日は一面、霧が立ち込めていた。運休か大幅な遅延か。これからどうしようかと考える。しばらく迷っていると、彼方から気動車の警笛が聞こえてきた。まさかと思ったが、次に線路から音が伝わって来た。キハ40が現れた。信じられないがほぼ定刻。近くの無人駅には何人か乗
鉄道開業以来と言い切っていいのかどうか分からない。検索しても改築の事項が見当たらないこと、駅舎の形が年代物であることなどから、改修の手は入っているものの、本体は開設以来のものなのではないかという気がした。駅舎にはそれ程興味がなく、塗装が新しかったので、こ
撮り鉄の機会もなく、ブログも疎遠ぎみになってきた。場をつなごうと、この時季の過去の写真をざっと見て、この写真を載せることにした。この頃は、キハ40を撮っておこうとコンスタントに烏山線を訪れていたので、それなりにフルシーズンの写真が集まった。6年前は・・・もう
鉄道開設以来のものをテーマに、駅や橋などをブログを書いてきたが、そろそろタネ切れになってきた。ふと気づいたのが、烏山線の鬼殺し踏切。インパクトのある名称にもかかわらず、命名の由来は分からないらしい。烏山線が開通したのが大正12年。昭和の時代にはこの踏切設置
ここのところ修学旅行列車の姿を見ていない。もう修学旅行のシーズンは過ぎてしまったのか。そう思っていたら、近くの例幣使街道を走っていると、都内からたぶん東武動物公園に向かうバスの列に良く出会う。この時季、日光は紅葉で混雑するので、避けられたのか。正確のとこ
湘南新宿ラインで上野で降りたら、ホームの反対側にE657系が止まっていた。日頃なじみのない電車なので、スマホで撮った。
鉄道開業150周年ということで、手持ちの写真で関連がありそうなものをピックアップしてきた。まず、駅舎は特に魅力を感じたもの以外は撮ってこなかったので枚数が少なく、これはというものは、ほとんど改築後のものだった。橋梁については、開業以来のものもかなりあったので
東京メトロ半蔵門線の8119が、10月下旬に廃車回送されたのをネットで知った。8000系はスカイツリーラインに長年乗り入れている電車なので、馴染みがある。また1編成減ってしまったのかという思いが湧く。8119については、廃車回送の1月前、東武動物公園駅で写真を撮っていた
11月になったのに気温は23度。9月はこの温度で半袖だった。さて、臨時列車が身近な線路を走らないので、またEF66の貨物列車を。修学旅行の臨時列車を見かけなくなったが、シーズンは過ぎたのだろうか。
少し前に五行川橋梁を載せたが、この小貝川橋梁も同じ時期に竣工、転用され、同じく土木遺産になっている。日本の鉄道草創期の風情を今に伝えている。下を流れる小貝川は、長閑な農業用水の雰囲気があるが、頻繁に氾濫する川でもある。川の名前は、常陸と下総の国境を流れて
昨日10月30日、「華」の営業運転が終了したとか。初めて「華」を見たのは、桐生市内で車を運転中だった。前方の両毛線のガードの上を、栃木方面に通過して行った。帰宅して、検索して「華」だと知った。その後、臨時列車として何度か宇都宮線を走るのを知り、できる限り撮り
10月は、身近な所では撮りやすい時間帯には臨時列車が走らず、やむを得ず、鉄道開業150周年にかかわるブログを中心に書いた。そんななかで、わずかに貨物の定期運行で通過するEF66を 何度か撮った。
上毛電鉄は前橋と桐生を結ぶ路線で、昭和3年に開通した。渡良瀬川橋梁は、157メートルの鉄筋コンクリートの橋だが、平成19年に国登録有形文化財になった。写真を撮ったのは平成17年。文化財になるとわかっていれば橋をメインの写真を撮っていたかもしれない。この時は橋には
駅舎の開業は1921(大正10)年だという。検索したが改築の記載がないので、おそらく開業以来の駅舎なのだろうと思う。あちこちで見かける感じの駅舎なので、写真は撮っていない。駅の近くの倉庫が、廃屋として存在感がある。周りは関東平野の穀倉地帯なので、米俵が積まれてい
隅田川にかかる総武線の鉄橋。長さは172m。総武線を両国からお茶の水に延長するときに架けられた。1932年竣工。橋の近くの両国駅。1929(昭和4)開設。それまでターミナル駅だった両国橋駅が、昭和6年に両国駅と改称された。そんな訳で、この駅舎は鉄道開業以来のものではない
1929(昭和4)年、東武日光線開設に伴い架橋された。長さ652m、14スパン。利根川は埼玉県と群馬県の県境を流れているが、ここは両岸とも埼玉県になっている。北岸も埼玉県になっているが、そこにある駅名は茨城県古河市にちなんだ新古河駅。利根川鉄橋北岸の築堤(埼玉県北川
「ブログリーダー」を活用して、okino949さんをフォローしませんか?
桜をはじめ色んな花が開花し、暖房からも解放されて、息吹を感じる季節になって来た。5年前のこの時季、桜の咲く烏山線に「しらかみ」が現れた。未掲載の写真があったので、掲載する。今も現実離れの感じがするのは全くの想定外だったからだろう。
先日の東洋経済に「久喜周辺には何があるのか」という記事があった。「東武スカイツリーラインの電車に乗ると、終着駅は南栗橋か久喜、寝込んでしまうとそのどちらかの駅まで行ってしまう。東武動物公園駅から伊勢崎線に入ると久喜になる。どちらがマシかというと、久喜のほ
令和5年8月26日宇都宮ライトレールが開業した。交通渋滞緩和などの必要性から、何もないところから計画し開業した日本初のLRTだ。開業以来数件の交通事故が発生したものの、平日利用者は1日平均1万3千人で、予測を上回る順調さだという。開業初日に早速撮り鉄し、ある程度
東北線・高崎線・宇都宮線と王子を走る在来線電車が出そろった光景。こちらは新幹線。E4系とE5系か。そしてこちらは金太郎けん引の貨物列車。
今朝の東洋経済に標記の記事があった。首都圏屈指の通勤路線東武東上線は、池袋・寄居間の75㎞。ただし、都心からの直通は小川町駅まで。さらにその先10㎞は単線となって寄居まで続く。途中、鉢形城、玉淀などを経て終点の寄居駅に着く。この駅は、秩父鉄道、JR八高線の駅で
今朝読んだ「東洋経済」の記事に「寝過ごすと大変な駅・南栗橋」があった。南栗橋は首都圏では意外と知られている。通勤電車の多くが、車両基地のあるここを行先としているからだ。周りは住宅や田畑なので、「寝過ごすと大変な駅」としてエピソードも多い。その駅の近くに車
今年は高崎線開業140周年だとか。開業時は上野・熊谷間で、駅は上野・王子・浦和・上尾・鴻巣・熊谷の6駅だけだったという。なぜ王子なのかについては、日本初の洋紙工場があったからだそうだ。現在の王子駅。右の森は飛鳥山。左遠方にスカイツリー。飛鳥山には渋沢栄一の邸
犬山城の天守閣から東方面を眺めると、名鉄の鉄橋が見えた。結構電車が行き交っている。時々、電車が橋の手前で信号待ちで止まっている。近くに駅があるという雰囲気。赤い電車は6000系か。こちらは快速特急1200系?もう少しじっくり撮りたかったが、他の客の迷惑になりそう
烏山線は今年開業100周年に当たる。キハ40撤退を知ってから、何度も撮り鉄に行った馴染みの路線でもある。その都度、四季の移り変りを実感させる光景を現してくれた。4月、山桜が咲いていた。、
先日205系「いろは」解体の記事を見た。「いろは」は2018年から2022年3月までJR日光線で、観光客用に運行されていた電車だった。臨時列車として宇都宮線も何度か走ったので、その時撮り鉄した。臨時列車として身近なところを走った電車が、ここのところ立て続けに消えていく
コロナ以前と比べるとイベント列車の運行も車両の種類もだいぶ減ってしまった。
雨が降ったりやんだりで、撮り鉄する気はなかったのだが、いつの間にか日差しが出ていた。ならばと家を出て撮影地に向かう。途中の踏切で下り電車が去ったあと、すぐに同じ方向からの矢印が出て、遮断機が下りた。もしかしてと思ったら機関車が見えた。
本当はもっと菜の花を入れて撮りたかったのだが、出遅れて人垣の後方になってしまったのでやむを得ずの構図。ついてすぐSLがきて、ピントも合わず。撮れただけラッキーの写真。
2019年の今日、リゾートしらかみが烏山線を走った。アキュムとの並び。こんな光景は思ってもみなかった。沿線は、キハ40のラストラン以来の賑わいとなった。烏山線は今年開通100周年を迎えるという。こんなサプライズが実現するといいのだが。
以前名古屋駅に降り立たのはいつだったかはっきりした記憶がない。その時の駅舎がどうだったのかも覚えていない今の駅ビルが完成したのが1999年なので、少なくとも20数年以上来ていなかったことになる。完成から数年間は、世界一背の高い駅ビルだったということだけあって、
どの駅だったかはっきりした記憶はないが、写真を撮った順序からして、神宮前駅のような気もするが、あるいは鳴海駅で乗り換えたのかもしれない。車両番号3608、急行豊橋行、という表示に見える。
少しでも速い電車に乗り換えようと降り立った鳴海駅。もうここに来る機会はないかもしれないと、電車を待つ間、撮り鉄した。ちょっと遠すぎて、車両番号も読み取れず、正確には何系だか分からないのだが。
車両番号3609。名鉄3500系。鳴海駅発車の後ろ姿。
鳴海は歴史小説にも出てくる地名で、昔を偲ぶものもあるのだろうが、時間と体力の制約で、乗り換えだけとなった。そうは言っても撮り鉄はできる。車両番号2207。
名鉄名古屋本線で名古屋に向かう途中、山王駅で下車した。近くに温泉があるという。散々歩き回った疲れを癒すための途中下車だった。駅に戻り電車を待つ。名鉄名古屋本線と並んでJR東海道本線が走っているので、頻繁に電車が通過する。スマホで撮り鉄したが、暗くてうまくい
犬山城の天守閣から東方面を眺めると、名鉄の鉄橋が見えた。結構電車が行き交っている。時々、電車が橋の手前で信号待ちで止まっている。近くに駅があるという雰囲気。赤い電車は6000系か。こちらは快速特急1200系?もう少しじっくり撮りたかったが、他の客の迷惑になりそう
烏山線は今年開業100周年に当たる。キハ40撤退を知ってから、何度も撮り鉄に行った馴染みの路線でもある。その都度、四季の移り変りを実感させる光景を現してくれた。4月、山桜が咲いていた。、
先日205系「いろは」解体の記事を見た。「いろは」は2018年から2022年3月までJR日光線で、観光客用に運行されていた電車だった。臨時列車として宇都宮線も何度か走ったので、その時撮り鉄した。臨時列車として身近なところを走った電車が、ここのところ立て続けに消えていく
コロナ以前と比べるとイベント列車の運行も車両の種類もだいぶ減ってしまった。
雨が降ったりやんだりで、撮り鉄する気はなかったのだが、いつの間にか日差しが出ていた。ならばと家を出て撮影地に向かう。途中の踏切で下り電車が去ったあと、すぐに同じ方向からの矢印が出て、遮断機が下りた。もしかしてと思ったら機関車が見えた。
本当はもっと菜の花を入れて撮りたかったのだが、出遅れて人垣の後方になってしまったのでやむを得ずの構図。ついてすぐSLがきて、ピントも合わず。撮れただけラッキーの写真。
2019年の今日、リゾートしらかみが烏山線を走った。アキュムとの並び。こんな光景は思ってもみなかった。沿線は、キハ40のラストラン以来の賑わいとなった。烏山線は今年開通100周年を迎えるという。こんなサプライズが実現するといいのだが。
以前名古屋駅に降り立たのはいつだったかはっきりした記憶がない。その時の駅舎がどうだったのかも覚えていない今の駅ビルが完成したのが1999年なので、少なくとも20数年以上来ていなかったことになる。完成から数年間は、世界一背の高い駅ビルだったということだけあって、
どの駅だったかはっきりした記憶はないが、写真を撮った順序からして、神宮前駅のような気もするが、あるいは鳴海駅で乗り換えたのかもしれない。車両番号3608、急行豊橋行、という表示に見える。
少しでも速い電車に乗り換えようと降り立った鳴海駅。もうここに来る機会はないかもしれないと、電車を待つ間、撮り鉄した。ちょっと遠すぎて、車両番号も読み取れず、正確には何系だか分からないのだが。
車両番号3609。名鉄3500系。鳴海駅発車の後ろ姿。
鳴海は歴史小説にも出てくる地名で、昔を偲ぶものもあるのだろうが、時間と体力の制約で、乗り換えだけとなった。そうは言っても撮り鉄はできる。車両番号2207。
名鉄名古屋本線で名古屋に向かう途中、山王駅で下車した。近くに温泉があるという。散々歩き回った疲れを癒すための途中下車だった。駅に戻り電車を待つ。名鉄名古屋本線と並んでJR東海道本線が走っているので、頻繁に電車が通過する。スマホで撮り鉄したが、暗くてうまくい
3700系と表題にしたが、正直3500系なのか3100系なのかよくわからない。名鉄名古屋本線を利用するのはたぶん初めてなので、とにかく初見の電車を精力的に撮った。撮影場所は岡崎公園前だと思うのだが。
八丁味噌蔵から名鉄の岡崎公園前駅に。隣のホームに入ってきたのは3300系か。愛知環状鉄道の線路が交差しているのが見える。直前にお世話になった路線だ。
伊勢八幡宮からバスで東岡崎駅に着き、ホームにたどり着いたとき来た電車。
足助から豊田経由で岡崎に行くことにして、考えていた駅よりも前に、他の駅を通ることが分かった。少しでも早く電車に乗ったほうが時間の節約になると思い、その駅でバスを降りた。駅名は忘れてしまったが、駅舎はなく、ホームは高架にあった。改札は見当たらず、そのまま階
東京駅で電車を降りると隣のホームに初めて見る電車が止まっていた。撮り鉄している人がいたので,それに加わる。サフィール踊り子。2020年3月のダイヤ改正で運行についた特急だが、コロナ禍の自粛もあって、お目にかかる機会は今までなかった。サフィールとはフランス語でサ
岡崎に向かうため、豊橋駅へ。駅前に咲いていたのは桜なのか。折角なので、この花を入れて豊橋の駅舎の写真を。そして岡崎駅に到着。この電車はJR東海の313系。岡崎駅は、東海道本線と愛知環状鉄道の駅で、ホームは単式1面1線と島式2面2線の地上駅。島式をJRが、単式を愛知
豊橋駅から路面電車で吉田城へ向かう。豊橋の市電にはいくつかの特徴がある。日本で終電の執着時刻が最も遅い路面電車。東海地方で唯一の路面電車。現在、国道1号線上を走行する唯一の路面電車。街中を歩行中、外国人の若者をよく見かけた。この地方の産業の一部を担っている