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小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版 http://kojima-tetsuo328.blog.jp/

俳句は、自身の心を表現する短い詩です。喜怒哀楽を表現できる五七五、計十七文字(十七語韻)のショート・ポエムなのです。当然そこには、さまざま人生が描かれます。さあ、俳句の楽しい扉を私とくぐりませんか。

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2019/08/18

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  • 峰雲の育ちもみごと熊野灘 茨木和生

    山深い熊野の地。目の前に広がる海は、熊野灘だ。古来から峰々をゆく貴族たちは「アリの熊野詣で」といわれた。宮廷人たちに、本当に愛された聖地なのだ。変化に富んだ熊野の大自然は、スケール大きく、それこそ「神っている」。古代からの樹木や瀧など、とにかく見上げるも

  • 岩手けん岩手ちょうあざ鰯雲 山口 剛

    ひらがなの「けん」は県のこと、「ちょう」は町、「あざ」は字で、要するに住所を表している。だが、この句にはオチがある。そのオチは、いうまでもなく「あざ鰯雲」というところである。まず岩手県の風景が、漠然とイメージされる。そして具体的には空だ。真っ青な空。その

  • はくれんは無垢の憂ひを裹(つつ)みをり 能村研三

    ハクレン(白木蓮)は、春の到来を告げる美しい花。その純白さは、見る人の心を浄化してくれるようである。今年(2020年)は、新型コロナウイルスの蔓延で、そんなウイルスの汚染を浄化してほしいという願いは、ひときわ強いのである。掲句は、「無垢の憂いを裹む」、その姿がハ

  • 寄せられて海押し返す海月かな 辻美奈子

    浜辺近くに海月が打ち寄せられたのだろう。次の波が押し寄せると、引いて行く波に乗って海月も海の方に戻っていった。作者は、例えば高濱虚子が大根の葉に焦点を絞って句を作ったように、ひたすら海月に焦点を絞って作っている。ここには海月以外のなにもない。そのシンプル

  • さよならの町角に立つ鶏頭花 栗山政子

    人は人生の節目に、「さよなら」という。永遠の別れということもある。あるいは、もっと日常的なところで、たくさん「さよなら」は使われている。考えてみれば、味わい深い言葉である。この句、町角でする「さよなら」だが、さて、重い「さよなら」か、軽い「さよなら」かは

  • 実態は独居老人おでん食(は)ぶ 戸恒春人

    掲句、詩的な言葉は「おでん食ぶ」だけである。いや、これはたんなる季語ですよという方もいるだろう。じじつ、季語だが、季語は詩的言語なのだということを、改めて認識させてくれる句である。ほかに言葉は、少しも詩的でない「実態は独居老人」しかない。しかないのだが、

  • 大きな木大きな木蔭夏休み 宇多喜代子

    「大きな」という形容詞は、いたって曖昧。そこがこの句の面白さである。「大きな」のリフレインが効いている。大きな木だから、その下にできる木蔭も大きいという常識。その大きな木蔭に憩う心。そんな夏休みが、今始まったという解放感がいっぱい感じられる句。

  • 穂絮飛ぶ古関裕而の譜面から 池田義弘

    いまオンエアしているNHKの朝ドラは、古関裕而(こせき・ゆうじ)をモデルにしている。NHKのラジオを聴いていると、いまも番組のテーマ音楽でたびたび古関の曲が流れる。いささか古風な曲調だが、けっして暗くない。そんな音楽を奏でるための譜面と、ふわふわと空に舞う綿毛の

  • やみさうで雨の一日著莪(しゃが)の花 西本ひとみ

    著莪の花。筆者は、以前、鎌倉を吟行したとき、寺院の奥を散策していて見つけた著莪の花。鎌倉の市街地はからりと晴れやかだが、一歩、寺院の奥から山を登ってゆく道に入ると、なんとなく薄暗く中世の余韻がいまも残っているように感じた。そんな中世の風情とどこか似合う著

  • つむじ打つ銀杏青葉の雫(しずく)かな 河原地英武

    「銀杏」といえば、「黄葉」と来るのが常道だが、作者は「青葉」をもってきた。その意外性。意外性は、しずくがぽつん💧と落ちてきて「つむじ打つ」たという、あの驚きにも重なる。この1句、五七五の詰まった言葉のなかに、「驚き」のみが表現されている。その単純さがよいと

  • 渡良瀬の葦焼(よしやき)の空濃むらさき 川名久美子

    結社誌「廻廊」を見ていたら、この句に出会った。2020年5・6月号掲載の句である。「廻廊」は、八染藍子さんが広島県廿日市市で出されている雑誌だ。まったく方向の異なる地域の出来事が詠まれ、掲載されていることに驚いた次第。作者は関東地方の方なのであろうか。渡良瀬遊

  • 花びらの吹かれ色増す酔芙蓉 加古宗也

    酔芙蓉の花びらが、風に乗って揺れるたびに、色を少しずつ加えてゆくようだという句。もちろん、作者の感覚がそう捉えたのであって、事実ではない。しかし、事実以上に事実めいた印象を与えるところが、言葉の芸としての俳句の持ち味なのだ。酔芙蓉の花の美しさの真実を描い

  • 赤まんまちぐはぐに生き夫婦かな 小島千架子

    筆者は、俳句という文芸は、作者をまったく知らないより、少しぐらい知っていたほうがより深く理解できると思っている。もちろん、知りすぎ、はかえってマイナスになることもある。ここのところが難しい。俳句はもともと座の文芸だから、顔を付き合わせて、それぞれの句を理

  • 母と娘(こ)に生まれあはせし花野かな 正木ゆう子

    母がいて、子(娘・私)がいる。どういう巡り合わせで、今、二人が生きているのか?秋の草花が一面に乱れ咲く花野。爽やかな風に吹かれている。ふと、広い世界の中で、私という存在はなぜ、この母の娘として生まれてきたのか? そのことの不思議を思う。親子と簡単にいうが、

  • 薄荷(はっか)咲く子ども以外の事話せ 櫂未知子

    薄荷。日本各地の野原に生育し、丈は20〜60センチ。葉は楕円形。8月から10月にかけて葉腋に淡紫色の小さな唇形花をつける。子を持たない身にとって、子どもの話ばかりする人たちの中にいなければならないことは、耐えがたい苦痛である。そんな思いをストレートに詠んだ句。ピ

  • 桃の実のほのぼのと子を生まざりし きくちつねこ

    筆者が俳句結社「蘭」に関わりを持ったのは40年以上も前である。その頃の野澤節子師も、その盟友のきくちつねこさんもまだ若かった。きくちさんは北茨城に住み、若い頃病気をしたため、一生独身を通した。(その点も野澤節子師と共通していた)自活のため美容院を営みつつ、地

  • 水あそびして毎日が主人公 中田尚子

    先の山崎ひさをさんの句は、浮袋であったが、この句は、水あそび全般を指している句。水あそびというと、プールなどでの水泳というより、もっと幼い子どもの遊び、例えば、ビニール製の簡易プールに玩具を浮かべ楽しむことや、水鉄砲で水飛ばしをするような感じのものがメイ

  • 浮袋子の息に足す父の息 山崎ひさを

    泳げない子どもの手助けとなるのが浮袋だ。ドーナツ形、ビニール製のもので、空気を入れて膨らませる。空気が入っているから、水に沈むことなく、子どもの身体が沈むのを守ってくれる。この句、浮袋に注入する空気が、子の息だけでは足りず、父親がさらに吹き入れることで完

  • 魚(うお)よりも光りて子等の泳ぎけり 岩岡中正

    コロナ騒ぎの夏。猛暑である。遠出のできないなか、ささやかな涼を求めて、近隣の川や海やプールへと出かける人が多い。子どもたちは、そういうところに行くと水の中に入りたがる。泳ぐ子もいる。「魚よりも光りて」とは、なんというすばらしい泳ぎぶりであろう。スリムな体

  • 石鎚(いしづち)の山深く行く遍路笠 有馬朗人

    石鎚山は、四国の愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する標高1982メートルの山であり、西日本の最高峰である。若き空海が山岳修行に明け暮れたところでもあり、その後も修験道の山としても知られ日本七霊峰の一つとされている。当然、西国巡礼の札所でもあり、お遍路さん

  • ゆるやかに老ゆる余地あり七竈(ななかまど)     千田一路

    千田さんは、結社は元「風」であったと記憶している。元「風」の方々が今活躍しているのを見ると、層の厚い結社であったことに改めて驚くのである。「ゆるやかに老ゆる余地あり」とはどういうことか。騒がず、しずかに、他人と競うことなく、一人しぜんに老いてゆく覚悟のよ

  • さくらさくらさくらはららぐはなびらのうすさやひとのいのちのうすさ 美原凍子

    「朝日新聞」2020年5月3日歌壇、永田和弘選より。さくらさくら さくらはららぐ はなびらのうすさや ひとのいのちのうすさ読みやすく表記すると、このようになる。「さくらさくら さくらはららぐ」は、いま、目の前にある桜花の美しさを感じさせるための賛辞といってよい

  • 梅雨の夜の茸かそけきこゑを出す 渡邉美保

    今年(2020年)の梅雨は長かった。長かった、と、過去形でいうが、7月30日現在、まだ梅雨明けはしていない。あと4日ぐらいだとラジオの気象予報士はいう。まあ、当たらずとも遠からずだろう。毎年のことながら、各地で堤防が決壊したり、土砂崩れで犠牲者もでている。日本列島

  • エスカレーター暑さならんで来たるこゑ 梶原美邦

    その瞬間を想像することができる。エスカレーターの一段に二人並んで乗ってきた。母と子かもしれない。待っているのは父親か。二人並んで来たが、開口一番、一緒に「暑いよー」と叫んだのだ。その声。そこにいる人間を、具体的には語らず、暑さが来た、という捉え方が面白い

  • 落蟬に全天のこゑふり灌(そそ)ぐ 鈴木貞雄

    「全天のこゑ」とは、いうまでもなく蟬の鳴き声だ。何千、何万という蟬の鳴き声が、地上に落ちた一匹の蟬に降り注いでいるという。落ちた蟬というのは、死にかけた蟬だ。その蟬をまるで見送るように、木の上の蟬たちは必死に鳴き叫んでいる。自然界ではあらゆる生き物が生と

  • 籐椅子やどこへも行かぬことも旅 橋本喜夫

    籐で編んだ椅子は、くつろぐためのものである。外が見える窓辺近くに置かれていることが多く、座るひとは高齢者というのが定番だ。そこで新聞を読んだり、テレビを見たりする。本当なら、今頃温泉かどこかに出かけていたはずなのだが、新型コロナウイルスのため、不用不急の

  • 泣いてゐるやうにも見えて髪洗ふ 蟇目良雨

    わが師、野澤節子に、「せつせつと目まで濡らして髪洗ふ」という句がある。時間をかけて髪を洗う雰囲気は女性的である。いっぽう、掲句は比喩の句。昔の流行歌の中に、「泣いているような長崎の街」という一節があった。髪を洗う時の表情を、比喩をもってリアルに捉えている

  • 浄土いま比奈夫桜の盛りかな 和田華凛

    「諷詠」866号、2020年7月号より。令和2年6月5日、満103歳の俳壇最年長の現役俳人、後藤比奈夫先生が亡くなられた。伝統俳句の方ながら、型にしばられることなく、軽妙自在にしてユーモア精神溢れる句を得意とされた。掲句は、お孫さんにして、現在俳誌「諷詠」主宰の和田華

  • 傘と傘触れずに海月(くらげ)浮遊せり 若原康行

    「樹(じゅ)」2020年7月号より。同じ号に「海月には海月の自由漂ふも」という句もある。2句とも言いたいことは、海月の自由な生き方だ。あの海中をふわふわと漂うさまは、まさに自由そのもの。それでいながら、海月の傘同士が触れ合うことはないという驚き。確かに考えでみる

  • 春の蟻走りコロナなど知らず 酒井弘司

    春も暖かになってくると、さまざまな動物たちも行動を開始する。 特に目立つのは蟻だ。蟻🐜たちは黙々と行動している。蟻🐜たちは 黙々と地面に落ちているものを探して、四方八方走り回っているのだ。「コロナ?」、なにそれという具合だ。知る必要がないということは幸せ

  • ぼろ市の薄日に昭和ころがれり 川俣このみ

    もう何年前であろう。神蔵器さんを新宿の句会場に訪ねたことがある。インタビューを終えた帰り道、花園神社の境内に足を踏み入れたら、そこにシートが敷かれ、年代物の装飾品や什器類が積み上げられていた。見る人が見れば骨董市というだろうし、また別な人がみれば、ぼろ市

  • この畑はこの空のもの揚雲雀 木津和典

    「毎日新聞」2020年7月6日俳壇、鷹羽狩行選より。「この畑(はた)は」といい、いきなり畑の映像が目の前に広がる。何なんだと思うと、「この空のもの」なんだよ、という。読者のイメージ上の視点は、空へ向けらている。すると、その空のどこからか、高く舞い上がった雲雀(ひば

  • 地にコロナウイルス天に初燕(つばめ)    辻 恵美子

    まさに「地にコロナウイルス」である。地球上、国境を越えて、等しく人類におおいかぶさった災厄である。年齢の関係でいえば、高齢者に多数の死者がでた。高齢者でなくとも、回復しても何らかの後遺症が残るのではないかと言われている。そういう恐ろしい災厄から逃れたくて

  • ウイルスの五彩か揺るる石鹸玉 井上康明

    五彩というのは、青・赤・黄・白・黒のことであるという。おそらく作者は厳密にそれらの色にこだわったわけではないと思う。要するに、あのシャボン玉に見られる色彩を言いたかったのだろう。なぜシャボン玉かというと、コロナウイルスを除去するため、家に帰ったら必ず石鹸

  • 光りつつ曲がる宇治川水草生ふ 玉手のり子

    「朝日新聞」2020年4月19日俳壇、稲畑汀子選より。宇治川というのは、あの平等院鳳凰堂の建つ近くを流れる川であろうか。「光りつつ曲がる」というから、小さな川ではないことがわかる。カーブして流れる川の表面には、陽光がキラキラと光っている。流れはゆったりとしている

  • 前髪とマスクのはざま眼の笑ふ 大畑光弘

    「読売新聞」長谷川櫂さんのコラム「四季」2020年4月23日に取り上げられた句である。長谷川さんは、「人の心を知るのは難しい。その人の空気と過去を知ってもわかるかどうか。まして目だけで読むのは至難の業」と書く。人間を知ることの難しさをいう。そして、「この句もどん

  • コロナ禍の列島洗うごとく降る弥生みそかの雨の優しさ 篠原俊則

    「朝日新聞」2020年4月19日歌壇、永田和宏選より。災厄などがあると、大雨が降って洗い浄めで欲しいと思うことがある。コロナに対する「弥生みそかの雨」を、作者はそう感じたのである。雨の表情は優しい。弥生は3月。みそかは月末のこと。しかし、この後新型コロナウイルス

  • 父母の墓父母の姿に陽炎(かぎろ)へる 萩原豊彦

    「朝日新聞」2020年4月19日俳壇、高山れおな選より。父母の墓がある。だいたい一基だ。ひとつのところに父母のお骨は納められている。仲の良い両親だったのだろう。その墓石が、両親の姿のように陽炎で揺らめいているという。古き良き日本のローカルな風景だ。美しい。作者は

  • クルーズ船二月の孤絶の景となる捕らへられたる白鯨として 梅内美華子

    「短歌往来」2020年4月号より。日本人がまだ新型コロナウイルスというものを十分理解できていなかったころ、あのクルーズ船問題が起こった。横浜港に停泊した巨大なクルーズ船の映像を見るたび、船中で待機させられている大勢の乗客のことを思った。船自体、動かすことができ

  • 使ひ捨てのマスクを洗ひ二枚干すお日さまの力信じて今日も 塩谷朝子

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、高野公彦選より。「お日さまの力信じて今日も」がいいですね。使い捨て用とはいえ、丈夫です。4回ぐらいは洗ってつかえます。毎日新品をつけていたら大変ですから。

  • 絶対にマスクはしないトランプさん他のマスクはできない安倍さん 藤田淳子

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、永田和宏選より。もちろんトランプはアメリカ大統領だし、安倍さんは日本の総理大臣だ。マスク嫌いなトランプ。かたや、安倍総理が先導して日本じゅうに無料配布した小型マスク。笑ってコロナ鬱を吹き飛ばそう!

  • 差し出した手のひらスルーしトレーへと置かれた釣り銭無言で拾う 野地 香

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、永田和宏選より。この歌の面白さは「スルー」と「トレー」である。同じような発音だが、「スルー」は動作、「トレー」はモノだ。ショッピングセンターなどで買い物をすると、お客はお金を入れる小さな器に代金を置いて支払う。レジの担当の方

  • すずちゃんはき数で私はぐう数で分さん登校まだ会えません 山添 葵

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、馬場あき子選より。(馬場あき子選、高野公彦選ともに☆印)作者が本当の子どもか、あるいは大人だが子どもの気持ちになって作った歌かは不明。ただ偶数日、奇数日と分かれて「分散登校」という、ノーマルではない日常の子どものこころの襞をう

  • 友達に鉛筆貸すなと指導する若き教師の胸中想う 瀬口美子

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、馬場あき子選(馬場あき子選・高野公彦選ともに☆印)より。「友情に水をさすような苦渋の指導」とは、馬場さんの評。友達に鉛筆貸すな→そう指導する→それは若き教師→その胸中を想う→苦々しい最初何をいうかと思っていたら、こうやって展開

  • 歌舞伎町真夏の夜の迷路かな 小関 新

    「朝日新聞」2020年6月28日俳壇、大串章選より。コロナウイルスで、一度鎮静化しかけた東京都内の感染者がだったが、ここにきてまた増え始め、1日100人を超える日が続いている。小池都知事の発表では、夜の街の方が増えています、新宿歌舞伎町のホストクラブの方やキャバクラ

  • やはらかに風の吹く午後なよたけのそよげる音に胸の澄みくる 関本 忠

    「読売新聞」7月6日歌壇、小池光選より。上手い歌である。が、新型コロナの鬱を癒してくれるような爽やかさがいい。

  • 黒揚羽飛び交う君の内と外 椿 良松

    蝶といえば、俳句にこんな句があった。多くを語らないのが俳句だ。この句に登場する「君」に具体的な表情はない。「あからさまではない恋の雰囲気がある」とは選者・正木ゆう子さんの評言。「読売新聞」7月6日俳壇より。

  • 初夏の風受けて水辺の葦(あし)なびきもんしろ二つでこぼこに飛ぶ 多田郁子

    「読売新聞」7月6日歌壇、栗木京子選より。「時には強く吹く初夏の風。「でこぼこに飛ぶ」に蝶の動きが見事に描かれている。水辺の情景であることも清新に感じられる」。栗木さんの選評である。指摘されているように、「でこぼこに飛ぶ」という表現が面白い。しかも「二つ」

  • 狭山茶の柔らかき芽の天ぷらを夕餉(ゆうげ)に添える八十八夜 森田悦至

    「読売新聞」7月6日歌壇、黒瀬珂瀾選より。「今年の八十八夜は五月一日。この日に摘んだ茶葉は上等とされるが、天ぷらとはしゃれた季節の楽しみ方だ。「狭山茶」というブランド名が歌の小粋さをより高めている」。黒瀬さんの選評である。おっしゃる通りである。この歌を読ん

  • 千回の無表情より一回の怒った顔が見たい、五年目 高城ナナ

    「読売新聞」7月6日歌壇、俵万智選より。俵さんは選評で「数詞が効いている」と書いている。カップルの年月を通しての表情の変化だろう。二年目ならまだ無表情でいいかもしれないが、五年経ったら、我慢しないで怒りをぶつけてほしい、という。我慢にはもちろん限界がある。

  • どの山も抱へ切れないほど青葉 広本貢一

    「読売新聞」2020年7月6日俳壇、宇多喜代子選より。見渡すかぎりの山という山。見ると、どの山も青葉が溢れている。まさに「抱え切れないほど」青葉を、山は抱えているという。山を擬人化して、抱え切れないほど抱えている、それが山だという。メルヘン調の楽しい句である。

  • 咳ひとつ視線集まるバスの中 土生明朗

    「読売新聞」2020年7月6日俳壇、宇多喜代子選より。ようやく活動範囲が、少しずつ広がりつつある。しかし、まだまだ自粛したいとする人は多い。掲句のような体験は、まだ新型コロナが大騒ぎされていたころであろうか。バスもそうだが、電車でもコホンと咳をしようものなら大

  • コロナ禍の風評恐れ梅雨籠 多田羅初美

    「朝日新聞」2020年6月28日俳壇、稲畑汀子選より。これは、多くの人が感じていることである。店舗をもっている人の場合、もっと切実であろう。個人の場合、仲間外れになってしまうことがあるだろうし、店舗は、お客様が来なくなる。売り上げがたたなければ、店は潰れてしまう

  • 一戸づつ里を去り行く花茨(はないばら) 須崎輝男

    かつて飯田龍太は「百戸の谿」という句集を出版された。そのなかに、大寒の一戸もかくれなき故郷という句がある。たくさん家が散在している田舎の風景が見える。ただし、田舎は、露の村恋ふても友のすくなしやいろいろ話せる友は少ないというのである。これも龍太の句である

  • ウイルスに閉じ込められし生計は宿借りのごと殼に合わせて 武智 恩

    「読売新聞」2020年6月29日歌壇、栗木京子選より。先ほどの石井さんの歌は、心の余裕のようなものが感じられるが、この武智さんの歌では、「生計」つまり「経済」に焦点が当てられている。コロナウイルスのせいで、経済活動がセーブされたいまの我が身。収入が減った。仕方な

  • ウイルスに籠りてをればのつそりとのら猫のお通りつつじ咲く庭 石井礼子

    「読売新聞」2020年6月29日歌壇、小池光選より。コロナウイルスのため、不用不急の外出はしないようにいわれている。そのため家に籠っている。庭にはつつじの花🌸が満開。赤紫のさわやかな色に視線を向ける。癒される色だ。と思っていると、つつじの花の下を、のっそりのっそ

  • 初夏の歩道に雨が降りだして香りが淡く湧き上がる午後 岩間啓ニ

    「日本経済新聞」2020年6月27日歌壇、穂村弘選より。この歌の、降り出す雨は、さっと降ってきた雨☂️であり、☔️激しいものではない。水を得て、回りの草木の息吹も強まり、香り立つように感じる。そこに立つ人間も、暑さを少し和らげてくれる雨にホッとする。

  • 夕刊の全八ページに散在すコロナという語彙三十八個 東金吉一

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、佐佐木幸綱選より。なるほどと思う。いま夕刊というものは軽い存在になっている。広告が多く、記事が少ないというのがまずある。その夕刊でも、「コロナウイルス」の語彙が三十八個も見つかったという。それほど話題になっているということで

  • 黒といふ色も野にあり揚羽蝶 中村重雄

    「読売新聞」2020年6月29日俳壇、正木ゆう子選より。この時期の野は緑色が溢れている。ところどころ、花も咲いて赤🌸や青や黄色い花びらが揺れる。これから真夏に向かう時期だ。よもや黒いものなんてないと思っていたら、黒い大きな羽根をゆったりと羽ばたかせながら揚羽蝶が

  • 志村けん死去の報(ほう)より夫(つま)はもう煙草を吸わぬ一本も吸わぬ 中南伊香

    「読売新聞」2020年6月29日歌壇、栗木京子選より。志村けんさんの急死は、大勢の人にショックを与えた。あまりにも、あっけない死だった。志村さんはタバコを吸っていた。肺はおそらく疲れていたのであろう。コロナのせいで、肺が機能しなくなったのかもしれない。それが死因

  • 次々に非常事態が解除され夜に一人聴くグレゴリオ聖歌 青山 繁

    「読売新聞」2020年6月29日歌壇、栗木京子選より。非常事態が解除された。非常事態宣言の解除は経済対策。そうは知りつつも、一区切りつけたいと思うのは人情。世界中でたくさんの犠牲者がでた。一人、夜に鎮魂曲のようなグレゴリオ聖歌をながす。こころが洗われてゆく思いが

  • 百年に一度の災禍百年後に伝へる国の記録は無しと 水谷実穂

    「朝日新聞」2020年6月28日歌壇、永田和宏選より。百年に一度の災禍とは、いうまでもなく新型コロナウイルス。百年後のために、国はこの災禍の実状を記録し伝えるべきなのだが、記録を残していない、と平然と語るのがいまの政府だ。あってもまずいところは隠してしまう体質で

  • 「訓告」に燃える怒りを白に籠めマスクは並ぶ国会前に 小野瀬壽

    「東京新聞」2020年6月28日俳壇、佐佐木幸綱選より。「黒川弘務前東京高検検事長の訓告処分に抗議するデモの人たちの白マスク。日が暮れて特にその白が目立った。」佐佐木さんの評である。現代の人の多くは、マスコミで世相を知る。かつては新聞だったが、いまはテレビだ。テ

  • 手に受けた消毒液でたちまちに「わたし」を消してすすむ店内 早乙女蓮

    「東京新聞」2020年6月28日俳壇、東直子選より。スーパーや店舗などの入り口に、スプレー式の消毒液が置かれていることがある。「ご自由にお使い下さい」と書かれているから、両手にさっとひと吹きしてから店内に入る人は多い。掲歌の面白さは、そうやって消毒液を手につけた

  • 休校や児らのふらここコロナ蹴る 下田峰雄

    新型コロナで、日本全国の学校が休校となった。「児らのふらここ」とは、学校に登校できない児童たちが、家近くの公園で、ブランコに乗って遊んでいるということだろう。ブランコは腕と脚と腰を使って地面や空気を蹴ることで、漕ぎ続けることができるが、この句の児童たちは

  • 疫病(えきびょう)の空に春蟬鳴き出づる 石山靖男

    新型コロナウイルス。日本ふうにいえば疫病である。地上には、疫病が流行している。空には、春蟬が鳴き始めている。春蟬の澄んだ声は、天の声なのかもしれない。それほどに、天と地はかけ離れて見えるのである。同じ作者の句に、春の蟬地球青ざめゐたりけりがある。「斧」202

  • ははを真似(まね)さくら隠しを掌(てのひら)に 川内一浩

    「さくら隠し」とは、なにか?答えは、春の雪のことです。春の雪の傍題です。傍題というのは、主要季語に対する関連季語ということです。それにしても美しい言葉ですね。雅びやかさが感じられます。子どもが、お母さんの仕草を真似て、春の雪を手のひらですくいとったという

  • 地球儀を消毒したき春の星 河村純子

    地球儀とはいうが、作者は地球そのもの、つまり全世界を、コロナ禍から守るために消毒したいと願ったのだ。いま、南米やアフリカなどでも、日々被害が広がっているという報道がある。空を見上げると、何事もなかったように春の星座が美しくきらめいている。地球に立っている

  • 万愚節コロナのせいで言へぬ嘘 久岡 隆

    万愚節は4月1日のエイプリル・フールのこと。この日は嘘をついても許されるということになっているが、今年は新型コロナウイルスのせいで、下手な嘘もいえない、というのが句意。変なことをいうと、誤解されてしまうぐらい、時代の気分がシリアスに流れている。この春の日本

  • コロナ禍や出番のなくて花筵(むしろ)    伊藤敦子

    6月の時点では、新型コロナウイルスの第1波はほぼ鎮静化したようで、報道では第2波が8月末以降襲うであろうといわれている。ともあれ第1波は、日本人に花見の機会を奪ったのである。まさに「出番のなくて花筵」である。花見をストレートに詠まず、花筵に焦点を当てたところが

  • パンダミックのシラブル数ふ鳥曇り 青柳 飛(フェイ)

    この句と並んで、混沌の春へと回転扉押すという句がある。日米を行ったり来たりしている作者、この「混沌の春」に対する複雑な思いの感じとれる句である。「パンダミック」(日本語の表記ではパンデミックというが)の句は、その妖しい響きから不安を感じとっている作者がいる

  • ふらここやコロナウイルスの沈黙 手銭 誠

    この句、作者はとにかく「コロナウイルスの沈黙」が言いたいのである。コロナウイルスは、目に見えないものだ。生き物でないから、泣いたり喚いたりしない。要するに掴みにくいのだ。掴みにくいということから、苛立ちがうまれる。苛立ちは、どういうものか。例えて言えば、

  • 怪しげに揺らぐコロナのしやぼん玉 森島 眞

    この春のコロナウイルスによる自粛で、遠出が出来ない人々は、自宅近くの公園に大勢いた。学校も休みだったので、子ども同伴で散歩を楽しむ人たちもいた。お母さんが吹き、子どもたちにシャボン玉を見せていた親子もいた。(そんな光景を筆者もみた)それ自体は、まことに平和

  • おぼろ月ふつとコロナの貌(かお)を見し 岸原清行

    作者は「青嶺」主宰。同誌2020年6月号より。この句の前後に、人絶えし世にも桜の咲くならむ繭籠る如き日の逝く四月かななど、新型コロナウイルス関連の句が並ぶ。新型コロナウイルスの実態は、最初日本人のたれにもわからなかった。(むろん一部の科学者以外は、ということで

  • コロナ汚染なす術もなき五月闇 本田攝子

    「なす術もなき」は本音だ。夜道は五月闇。不安な思いを抱きつつ生きている。日本人みんな、そんな思いで生きている。海外はもっとすごいことになっている。そういう意味では、世界中が、そんな思いで生きている、といっても過言ではないのかもしれない。作者は結社「獺祭」

  • 休業のナイトクラブの水中花 池田喜信

    「読売新聞」2020年6月22日俳壇、宇多喜代子選より。「この句と同じくコロナ禍で店を休んだという句が増えた。この句の水中花。元より命のない花だが、まるで命を絶たれたかのようだ。」宇多さんの選評だ。季語は水中花。見た目涼しさを感じさせるところから、夏の季語となっ

  • 弔ひは生者のためのものなりとしみじみ思ふコロナ死に触れ 伊達裕子

    「朝日新聞」2020年5月17日歌壇、馬場あき子選より。新型コロナウイルスは、インフルエンザより弱いのではないかという話がある。このたびの新型コロナの流行で、日本人の死者の数は未だに1000人を超えていない。いっぽうインフルエンザでは昨年は4000人ぐらいの方が亡くな

  • 朧夜(おぼろよ)や夫(つま)とソーシャルディスタンス 平松貴子

    「未来図」2020年6月号より。言葉は少ない。「朧夜」「夫」「ソーシャルディスタンス」だけである。だが、それぞれの語彙が絡み合って、単純な句になっていないのはさすがである。朧な夜、夫と妻しかいない。部屋の中なのだろう。ソーシャルディスタンスとは人と人の間隔を2

  • 平らかに水は流れて花菖蒲 小宮雅子

    「毎日新聞」2020年6月8日俳壇、鷹羽狩行選より。のどかである。「平らかに水は流れて」、つまり一般的には、水は高きから低きへ流れるものだが、そんな高低のないところを水は流れている。当然、流れはゆるやか。そのゆるやかな水の上に菖蒲が何株も伸びて花を開いている。

  • 校庭に子らを見ぬ日々夕桜 青木敏行

    「毎日新聞」2020年6月8日俳壇、西村和子選より。日本中の学校という学校が、ここ3か月、全面的に休みになっていた。だいたいの学校の庭には桜の木がある。ことしは、桜の花を愛でてくれる子どもたちがいなかった。桜の木も、さぞ寂しい思いをしたことであろう。無人の校庭。

  • 豆の飯リボンをかけて届きけり 岸眞砂子

    「日本経済新聞」2020年5月30日俳壇、黒田杏子選より。豆ご飯を作られた家?(あるいは施設)から、豆ご飯が届いた。しかもリボン🎀をかけられて。いかにもこころのこもった料理に感動し、作られた一句。閑話休題。新聞俳壇の掲載作品を見ていると、俳句は短歌に比べ、新型コロ

  • 夕方のポストの前に立つ人の立つことがうつくしい五月の 吉岡昌俊

    「日本経済新聞」2020年5月30日歌壇、穂村弘選より。穂村さんの選んだ歌である。「夕方のポストの前」に「立つ人」がいる。その人の「立っていることが」「うつくし」いのだ、と感じる。「うつくしい」のは「五月の」にもかかってゆく。「五月の」は何につながるかといえば、

  • 吸って吐くその繰り返し意識せず続けることが即ち生きる 二宮正博

    「日本経済新聞」2020年5月30日俳壇、三枝昂之選より。「日本経済新聞」歌壇欄は、この三枝さんと口語短歌を良しとする穂村弘さんが選者。選者によってこれほど投稿される作品の傾向が違うのかと思う。とまれ、掲歌である。人間の生きるメカニズムを「息をする」ことに焦点を

  • あのマスク何回洗つたのだらうか首相かけゐる小(ち)さめのマスク 山川ひろみ

    「朝日新聞」2020年6月14日俳壇、永田和宏選より。なにかとアベノマスクは取り上げられる。せっかく税金をたくさんかけて作り、国民全員に送られたマスクなのに、すこぶる評判が悪い。「何回洗つたのだらうか」は、あの小ささに対する皮肉。テレビで見るあのマスク姿の安倍総

  • 五月来て無職と職業欄に書く 神山高康

    「東京新聞」2020年5月31日俳壇、石田郷子選より。この句の「無職と職業欄に書く」とは、春3月まで定職に就いていたかたが、リタイヤしたことにより、無職となった。そんな寂しさを、ストレートに詠んだもの。

  • 黄蜀葵(こうしょっき)光の道の門に入る 小島てつを

    拙作である。大昔に作った句だが、黄蜀葵を見ると思い出す。鎌倉あたりを吟行したときの句。お昼どきの陽光にキラキラひかる黄蜀葵の花が美しかった。その花の何本も咲いた細道を歩いてゆく。どこへ続くのかわからなかった。道も陽光の中にあった。しばらく歩いてゆくと、道

  • 冷えびえと雪降る四月の空仰ぎ感染拡ごる子らの地憂ふ 安田渓子

    「日本経済新聞」2020年5月30日歌壇、三枝昂之選より。「冷えびえと」というから寒い場所(北国)に暮らす親が、都会で暮らす子らを思い詠んだ歌である。「雪降る四月の空仰ぎ」、四月になってもまだ雪の降る寒冷地に暮らす親は、その寒空を仰ぎつつ、「感染拡ごる子らの地」都

  • ゆくゆくは誰が住む家草を引く 小菅純一

    「毎日新聞」2020年6月8日俳壇、鷹羽狩行選より。少子高齢化の波は収まるどころか、ますます広がっている。家余り現象が生まれる。この現象は、空き家問題として、マスコミでもたびたび取り上げられている。東京以外の家ばかりかと思っていたら、最近は東京都内でもあるらし

  • これもまた新様式かツイートが政治を糾(ただ)す世論となりぬ 船岡房公

    「毎日新聞」2020年6月8日歌壇、伊藤一彦選より。「これもまた新様式か」と素直に驚く作者。「ツイートが」ツイッターに書き込まれる短い文章のこと。アメリカ大統領トランプの就任以来のツイートは有名。時々、自身に都合のよい論法で述べた文言がニュース等で揶揄される。

  • こんなにも五月の風はおいしくてマスク忘れたことに気づきぬ 矢島佳奈

    「読売新聞」2020年6月8日歌壇、俵万智選より。このマスクは、新型コロナウイルス対策のためのものか、花粉症のためのものだろう。今年はコロナウイルスのせいで、特に春先からマスク着用がなかば強制されている。「五月の風」がおいしくて、ついマスクをするのを忘れていた

  • 看取(みと)られず逝く人数多(あまた)五月くる 波切虹洋

    「読売新聞」2020年6月8日俳壇、矢島渚男選より。新型コロナウイルスによる死は、あまりに急におとずれる。志村けんさんがそうだった。体調が良くないと言って病院に行き、亡くなられるまでが数週間だった。コロナは感染力が強いということで、家族による看病や友人知人のお

  • お互(たがい)を愛(いと)しみて並ぶソーシャルディスタンスばらの刺(とげ)の間合ひのやうに 桜井桂子

    「毎日新聞」2020年6月8日歌壇、伊藤一彦選より。マスコミから普及し、いまや日常的に使われるようになったソーシャルディスタンスという言葉は、人と人の間隔をとるということ。新型コロナウイルスの場合、2メートルは開けよといわれている。よって、スーパーのレジや、入場

  • 踏切のすぐまた閉ぢて街薄暑 藤池芳子

    「毎日新聞」2020年6月8日俳壇、片山由美子選より。こんな体験、よくある。踏切で遮断機が降りてしまった。電車が行った。さあ、渡ろう。上がった遮断機は、5、6人の人を通過させた後、またすぐに降りてしまった。その間わずか数秒だ。わずか数秒なら、遮断機を上げなくても

  • 石鼎(せきてい)のひげを擽(くすぐ)る青嵐     野上 卓

    「読売新聞」2020年6月8日俳壇、宇多喜代子選より。「原石鼎は明治から大正、昭和初期に活躍した俳人。写真でみる原石鼎には鼻下に髭がある。その髭に青嵐が及んだという、時代や時間を超えて石鼎を今に引き寄せた句」これが宇多さんの選評である。この句の魅力を十分言い尽

  • 「テレワーク、しないの」と五歳問ふ病院勤務のむすめ首振る 北泊あけみ

     「読売新聞」2020年6月1日歌壇、栗木京子選より。「医療関係者は現場での職務が中心なので、テレワークに切り換えることがむずかしい。五歳の子の問い掛けがいじらしく、複雑な思いで首を振る娘さんの姿が胸に迫る。」栗木さんの選評は短いが、この歌の全景を言い尽くして

  • ニメートル離れて春の散歩道 津田鉄三

    「読売新聞」2020年6月1日俳壇、宇多喜代子選より。新型コロナウイルス関連の句。人と人との距離を2メートルあけなさいという。スーパー等のレジの行列も2メートルあけて並ぶよう支持されている。この句の場合、散歩道ということであるが、筆者の目撃した近くの散歩道も、た

  • 鶯(うぐいす)を山へ返して春はゆく 宮沢 映

    「読売新聞」2020年6月1日俳壇、宇多喜代子選より。春の終わりから夏の初め頃、気温も高くなり、陽気の安定した日が1か月ぐらい続く。そのころ山や森に行くと、鶯の澄み切った「ほー、ほけきょ」の声を聞くことができる。この句のいう「春はゆく」は、つまり夏の始めであり、

  • 梅雨の夜を念(おも)へば茶碗ひかるなり 中川宋淵

    いよいよ関東地方も、梅雨入りのカウントダウンがはじまった。この句の作者、中川宋淵(そうえん)は明治、大正、昭和を生きた稀代の禅僧。東京帝国大学在学中に突如出家。同時に飯田蛇笏に入門し、その激賞を受けた。いわゆる俳禅一如の詩境から生み出される句品は当代独歩の

  • パンデミックひとかたまりの母子草 柴田多鶴子

    パンデミックとは流行と訳される。特定の地域や集団で感染症が短期間に通常より高頻度に多発することである。このたびの新型コロナウイルスは、日本人にも、この凶々しい言葉をはじめて記憶させた。この句、「ひとかたまりの母子草」と、パンデミックからまったく別の風景に

  • 瞬間を揺らぎ合わせるようにしてページの隅に数は降り積む 金原弓起

    「東京新聞」2020年5月24日俳壇、東直子選より。ページというから、本がイメージされるだろう。もしかすると、本物の本でなく、ストーリーをもったもの、という暗喩なのかもしれない。瞬間というものは不安定だ。その不安定で不確定な瞬間瞬間の積み重なりは、次第に本のよう

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