日本の大氷河期から逃れて三十路過ぎにアメリカにたどり着く。それから引きこもり20年!とうとうホームレスになる日が、秒読みに…そんな中、昔書いたエッセイとイラストを見つけブログに残すことに。
私は、ド田舎村出身なので、高校の時から家を出ている。 その後、下宿、寮、長屋、一軒家、アパート、 マンション、ホームステイ、シェアハウス と今までに13回も引越をしてきた。 その中で最も辛かったのが 大学に入ってから住んだところだ。 一浪したのに八流大学しか入れなかった私は、 これ以上親の心証を悪くしたくなかったし、 負担もかけたくなかったので、 最も安い物件に飛びついた。 それは古ぼけた二軒長屋で、 前に大家さんの家があった。 田舎から出てきたばかりの私。 いろいろ不安がある中で大家さんを紹介された。 「あ、あどうも」 垢ぬけず、オドオドしている私に 大家さんはニコリもせずに 「汚さないよう…
禁断の箱ついに開く!第二弾!はじめて飲んだお酒とそれから・・・
「Super bad」という映画を見た。 高校生がパーティーのためにフェイクID を使って お酒を手に入れるというコメディーだ。 アメリカでは、22歳以上でないとお酒が買えない (州による) 21歳以下にお酒を売ってしまうと、罰を受けるので、 売る側は、IDの提示を求めるのだ。 私がアメリカに来て、驚いたことのひとつに この「21歳以下は禁酒」の厳しさがある。 お酒を買うにもバーで飲むにも、 若く見える人には、(ここ大事) 必ず、IDの提示を求めるのだ。 この私でさえ、アメリカに来たばかりの頃は、 「すみません、ID見せて」 と言われたものだ! 「えー♡ 私、もうオバサンなんですよー♡」 「も…
今週のお題「人生最大の危機」 ある日の午後、 私と夫は、用事があり家を出た。 その頃住んでいた家は、大通りの反対側に面しており、 私たちはいつも舗装されていない小道を使っていた。 連日続いた雨のせいで、小道のいたるところに水たまりができていた。 空は曇っていて、水たまりにぽつぽと雨のしずくが落ちているのが見えた。 いつもと同じ光景・・・ では、なかった! 向かいの家の塀に誰かがいる。 こちらからは、丸見えだが、どうやら隠れているようだ。 よく見ると・・・ それは、女性警官だった。 女性警官が私たちに気が付くと、 「今、この小道は封鎖されている。使うことはできない」 という。 「そうか、これから…
禁断の箱ついに開く!ババアにもあった青春時代の甘酸っぱい思い出
「Super bad」という映画を見た。 高校生がパーティーのためにフェイクID を使って、 お酒を手に入れるというコメディーだ。 アメリカでは、22歳以上でないとお酒が買えない (州による) 21歳以下にお酒を売ってしまうと罰を受けるので、 売る側は、IDの提示を求めるのだ。 こういうアメリカの高校生モノを見るたびに 自分が送った牧歌的な高校生活との違いに驚く。 映画で見られるアメリカのティーンエイジャーの生活って リアルなのだろうか? ホラー映画と同じくらいフィクションの世界じゃないの? 私は、ウン十年前、田舎の高校生で、伯母の家に下宿していた。 そこから、毎日自転車で、高校まで通っていた…
ある日の午後、 私と夫は、用事があり家を出た。 その頃住んでいた家は、大通りの反対側に面しており、 私たちはいつも舗装されていない小道を使っていた。 連日続いた雨のせいで、小道のいたるところに水たまりができていた。 空は曇っていて、水たまりにぽつぽと雨のしずくが落ちているのが見えた。 いつもと同じ光景・・・ では、なかった! 向かいの家の塀に誰かがいる。 こちらからは、丸見えだが、どうやら隠れているようだ。 よく見ると・・・ それは、女性警官だった。 女性警官が私たちに気が付くと、 「今、この小道は封鎖されている。使うことはできない」 という。 「そうか、これから、この穴ぼこだらけの小道をなお…
デブスがもっとも恐怖する季節・・・それが「ナツ、ナツ・・・ここ、アッツ!」
イヤー、暑い夏がやってきましたね。 街を歩くと、人々の露出された手足が眩しいです。 そして、私は・・・ この季節が大きらいだー! それまで、厚いコートの下で大事に大事に隠してきた 肉の断層を 白日の下に晒さなければならないなんて! 特に今年は、悲惨!(って毎年、言っているが) 夫が私の隣を歩きません。 遠く、遠ーくで、他人のふりしています。 でもそれも仕方ない。 私もショウウィンドウに映る自分の姿を見て、絶叫してしまうもの。 腹も尻も、どれだけねかしておいたんだ! っていうくらいの膨らみよう。 膨らみに膨らんで、もう、爆発寸前! お願い、誰か、爆発処理班呼んで! お願い!早く、撤去して! 「鏡…
髪がすごいことになっている。 私の髪は・・・ 量が多く、 硬く、 癖がものすごい。 そして、最近では、白髪が大発生! 落ち武者を通りこして、山姥の領域に達している。 子供の頃から、自分の髪が嫌いだった。 小学校の頃は、恐怖の「お母さん床屋」 「あれー、右の方が長いなぁ。」 「今度が左の方が長くなっちゃったぁ。」 と言いながら、絶望の「ワカメちゃんカット」にされるのだ。 うなじは、カミソリで、剃る。 もう、じょりじょり・・・ 「ホモ田ホモ男」のあごのような、うなじをした女の子。 う~寒気がする! 中学校の頃は、 「男子は坊主、女子は肩まで」 という校則だった。 いったい、戦後何年たっていると思っ…
デブスの鎧で「貞操を守ってきた」ババアが語る、日米の貞操感の違い
アメリカ人の離婚率は、50%だという。 アメリカ人の結婚式の呼ばれると、 新郎、新婦の父母が8人いることも珍しくない。 これは、新婦の父母、義父母、新郎の父母、義父母がいるということだ。 仲のいい老夫婦がいて、 「何年たっても、仲のいい夫婦って、いいなぁ」 と思っていると、再婚同志の新婚夫婦だったりする。 アメリカは、本当に自由恋愛の国だ。 日本では、浮気などした有責側から、 離婚をできないようになっているが、 アメリカでは、有責だろうが、 相手が離婚を決意したらするしかない。 その代わり、日本のように紙を一枚出したら、 離婚が成立するような簡単ものではなく、 離婚を申請してから、成立するまで…
昔、中国にいた頃、よくタクシーを利用した。 運転手さんに私が日本人だとわかると、 必ずこういう会話が起こった。 「お前、日本人か?」 「そうだよ」 「学生か?」 「そうだよ」 「それじゃぁ、学費はいくらだ?」 (いきなりー!) 「〇元くらいかな…」 「そりゃ、高い!」 「じゃあ、寮の家賃は?」 「お前のオヤジの収入は?」 「お前の実家の家賃は?」 永遠にお金の質問が続くのだ! (お前に関係ねぇー!) なんで、こんなプライバシー中のプライバシーの質問をされなくては、 ならないのだ。 「そういう質問は、失礼だから、やめてくれ!」 と言って、やっと、この質問地獄から解放されるが、 運転手さんには、な…
アメリカで歯を治療するということ・・・それは、破産で悲惨で無残・・・YoYo
アメリカで生活することになって、 一番ショックだったのは、なんといっても 「医療費の高さ」だ! とくに、歯医者! 私は、若い頃の自堕落がたたって、歯がものすごく悪い。 日本にいた頃も 自分の歯が悪い自覚はあったが、 それほど、コンプレックスをもっていなかった。 私ぐらい歯の悪い人は、五万といるから。 現に私とは正反対で、几帳面な性格をしていた 母と姉も非常に歯が悪かった。 歯医者も「お得意さま」と大事に扱ってくれるので、敷居が低かった。 余裕、余裕 しかしー、 アメリカに来て、周りに私ほど歯の悪い人が存在しないことに気が付いた。 みんな、ハリウッドスター並みの「美歯」(こういう言葉あるのか?)…
私の夫は、いわゆる「片づけられない男」というやつである。 (現在の私…もうすぐ元夫になる…しつこいようだが) 「ゴミを(目の前にある)ゴミ箱に捨てる」 ということすら、できない。 (現在の私…結局20年間できなかった。) 殺してもいいですか? そんな夫の独身時代の話である。 夫は、その当時も皿洗いなどやったことなどなく、 汚れものは、そのままシンクに置きっぱなしにしていた。 幸か、不幸か、そのシンクはとても深くて、 たくさんの使用済みの食器とゴミが積み重ねられたそうだ。 や、やめて・・・ そうこうしているうちに、当然カビがわいてくる。 そりぁもう、いろいろな色のカビが生えたという。 華やかな色…
ある日、壁からヘビが「こんにちは」 「クスリ」やっているでしょ?
私の夫は(現在の私から…もうすぐ「元」になりますが) 犬や猫を見ても、 特に「可愛い♡」と感じないらしい。 そんな彼が、ペットショップで一目惚れして、 衝動買いしてしまった動物がある。 それが「ヘビ」である。 それは「ラットスネーク」というもので、2mもあったという。 そのヘビは、名前の通り、ラット、つまりネズミを食べる。 しかも生きたまま! 彼は、当時、学生で 大家さんが住んでいる、古い一軒家の間借りしていた。 他にも数人の学生が住んでいたそうだ。 ある日、彼は、ヘビの檻を掃除していた。 その間、ヘビは適当に部屋の中を這っていたが、 そのうちに、壁をつたわり、天井まで登っていってしまった。 …
ゲテモノ専だった私の王子様・・・だから、ババアも結婚できたのか!謎は全て解けた!
世の中には、赤ちゃんをみて 「かわいい♡」 となる人はたくさんいる。 犬や猫、小動物でも同じだ。 人々は、「かわいい」ものを見て、 胸が「キューン♡」となり、心が癒される。 かわいい・・・か? 夫は、(現在の私から…もうすぐ「元」になるが) かわいいものを見ても、 あまり心が動かされないようだ。 「あ、猫いるね、だから?」 という反応なのだ。 こいつは、冷血漢なのか? そんな夫が、あるものを見ると「胸キューン♡」となる。 それを見るたびに 「ねぇ、見てみて。かわいい♡」 と言ってくる。 そのあるものとは・・・なんと・・・カラスだ。 えっ、これカラス? 夫の携帯の画面は、カラスの絵だし、 「カラ…
「その日は、どのようにやってくるのだろうか?」 女の子だったら、誰でも 運命の王子様と結ばれる日を、夢見ていると思う。 デブスの私だって、そうだった。 結婚した女性たちが言う 「初めて会ったときに『この人だ!』ってわかったの!」 とか 「赤い糸って、本当にあるのよね。」 (目、ウルウル) というのを聞いて、 自分にもそんなことがいつか起きることを想像しては、興奮していた。 小学校のころ、「エンジェル様」という遊びが流行った。 これは、「コックリさん」と全く同じものなのだが、 そこは子供、 「きつね」なら呪われるが「エンジェル」なら安全だという理屈で、 毎日やっていた。 いつも「エンジェル様」を…
ババアにもあった、うら若き時代の恥ずかしい話(っていうか恥だけの人生だけど)
アメリカに来たばかりの頃、小さい語学学校に通っていた。 ある日、「恥ずかしい話」を披露し合おう、ということになった。 実は、私には、思い出すと叫ばずにはいられない「恥ずかしい話」がある。 私の実家は、自営業をしていて、繁忙期には、住み込みで、アルバイトの大学生を雇っていた。 その年は、3人の19歳!の男の子たちが我が家で働いてくれた。 我が家も20、18,16歳の年頃の姉妹で、(私は3番目) 自営業を手伝っていた。 繁忙期なので、休みなどなく、毎日朝2時から起きるような激務の中、 若い私たちは、だんだん仲良くなっていった。 ある日、一日だけ、休みをとることができた。 そこで、みんなで、近くの観…
今回は、現在の私の感想から・・・ この時は、本当に傲慢だったと思う。 幾多の依存症、そして、鬱で苦しんで、今は、 タバコを吸う人にも、 お酒を飲む人にも、 クスリをやる人にも、 全部寛容です。 やめられない弱い人、すべてが愛おしいくらいです。(オゲェ) さて、傲慢な文章の始まりです。 私は、何が嫌いって、タバコのにおいほど嫌いなものはない。 家族にタバコを吸う人がいなかったせいか、タバコのにおいに敏感になってしまった。 学校から帰ってきて、家に一歩入ったとたん、 「今日、お客さん来たでしょう?」 と、その異臭に気づき、外へ飛び出してしまうほど、 タバコのにおいが苦手だった。 中国にいた頃は、本…
やはり、「食はアジア」だと思ってしまう。 アジアの料理は、オーケストラのよう。 甘味、苦味、辛味、酸味、塩味、そして、 肉、野菜、香辛料、それぞれが 絶妙に入り混じって、 最高のうまみを引き出す。 常に新しい側面を見せてくれ、 「味の流れは絶えずして、その味はもとの味にならず」 なのである。 それに比べ、西洋の料理は、独奏である。 甘いなら甘い道を・・・ チーズならチーズ・・・ バターならバター・・・ とことん一本の道を追求していく。 「頑固おやじ」のようである。 又、「大きいが正義!」 バターでもチーズでもクリームでも肉でもケーキでも 「塊」で行こう! という、この豪快さも「おやじ」を感じさ…
私は、田舎県田舎村、出身である。 服を売っている八百屋に行くのでさえ、車で一時間、 ともなれば、 誰が「ファッショナブル」なんぞに成り得ようか・・・ 小学校の時、 「特売品って何ですか?」 という生徒の質問に、先生が 「Micchieeさんが着ているようなTシャツのことです。」 と言われて時から、私の 「ダサ井イモ子」 の人生は、始まった。 あれは、18歳の夏だった。 私のジーンズは、当然、ゴム入りのものだった。 ある日、友達に 「ゴム入りのジーンズを穿くようなセンスには、なりたくない。」 「私は、Levi’s が好き」 「Somethingは、女の子のジーンズよね」 と言われた。 言っている…
デブで、屈辱的な人生を、長年送っていた私。 今、肥満体国、アメリカにいて、故郷の川に帰ってきた鮭のような、心地よさに包まれている。 それにしても、多くのアメリカ人、 よく食べる! よく肥えている! 本当、嬉しー、楽しー! 青春時代、細い友達にもっと食わせやろう、 デブ地獄に道連れにしてやろう、 としていた悪魔のような私は、ここには必要ない。 本当、細いやつって、苛つく。 一枚のポテトチップスに5口もかけやがって! 私なんか、1袋、20口で、食べれるぞ! まぁ、自慢にならないのだが・・・ 本当に長い間、体重との闘いだった。 新聞広告の 「私はこれでやせた!」 的なものは、無言のうちに私に回されて…
まだ、私がアメリカに来るずっと前、父がアメリカ旅行に行った。 その旅行から帰ってきた、父の第一声は、 「俺は、アメリカじゃ、ちっともデブじゃなかったぞ」 だった。 ウエストが1メートルもあり、すぐ、ズボンの股に穴を開けてしまう屈辱が晴 れたのであろう。 父のお土産話は、グランドキャニオンでもなく、ラスベガスでもなく、 いかにアメリカ人がデブであるか・・・に尽きていた。 私もアメリカにやってきて・・・ あの時の父の歓喜がよくわかる。 日本にいた時、 「デブに人権はあるのだろうか?」 と真剣?に考えたことがある。 なんといっても問題はデブにつけられるあだ名だ!(本当か?) 目の細いデブ=朝潮 目の…
トレックアメリカでは、 それぞれの係を決め、 助け合うシステムを使っている。 例えば、 荷物をバンの上に上げたり、下したり、する係。 買い物係。 料理、片付け係。 なのだ。 料理、片付け係は、三人一組で、 三日間料理、三日間休み、三日間片付けという、ローテンションだった。 私は、ドイツ、デンマークのギャルズと同じグループで、 この係になった。 ある時、イタリアの男の子が、 「本場の人が作ったパスタを食べたい。」 と皆に言われて作った。 彼はパスタを茹でて、その上にオイルを少しかけた。 そうしたら、ドイツの女の子が、わめきだした。 「信じられない!それがイタリアのやり方なの!」 彼女がイタリアの…
2,000年の夏、アメリカで過ごす、初めての夏休み、 私は、トレックアメリカに参加することにした。 これは、18歳から38歳の人を対象にした 北米各所を回るキャンピングツアーである。 私は、シアトルからロッキー山脈沿いに ナショナルパークからナショナルパークを巡り、 ラスベガスで解散という、3週間のツアーに参加した。 メンバーはガイドのアメリカ人を入れて、14人。 イギリス、オランダ、スイス、スペイン、イタリア、ドイツ、デンマーク、ス ラエルと世界各国からきた人たちで構成されていた。 アジア人は、私一人であった。 トレックアメリカの参加者は、圧倒的に女性が多いらしいが、 私たちのツアーは、山ば…
hh1999年、12月29日、私とソンヘイは旅行から帰ったきた。 私は、大家族のホストファミリーの家へ。 彼女は、友達の家へ行く予定だった。 「せっかかの2000年なのでパーティーをしよう」 「みんなでカウントダウンしよう」 と、私にソンヘイを紹介してくれた日本人の友達に誘われていた。 彼女は、2DKのアパートを友達とシェアしていた。 その友達も韓国人だからと、みんなでワイワイ過ごそう!という話だった。 なのだが・・・ 旅行から帰ってきて、私たちが彼女に連絡をとると 「ちょっと、まだどうなるか、わからない」 「友達に聞いてみないと・・・」 と歯切れが悪い。 実は、私は前から、だんだんと彼女に避…
ババア、アメリカ人(元夫)にナンパされる!そしてはじめてのチュウ?
元夫は、ニコニコと笑いながら、話しかけてきた。 そこで、15分ほど、おしゃべりをした。 日本から来たこと、学校のことなど話しただろうか・・・ 彼の英語は、先生の英語より、さらに聞き取りやすく、 話をしていて楽しかった。 そのうち、彼が 「もしよかったら、これからお茶でも飲みにいかない?」 と聞いてきた。 えっ、これってナンパ? しかし、時間はすでに夜の10時! 彼は今、会ったばかりの人。 き、危険だぁ~。でも 「あんたのことよく知らないし、危ないじゃん。」 とは、言えない。 だ、だって・・・なんか、もったいないじゃ~ん! 「ごめんね。門限があるの」 ふと、ナイスな言葉が出た。 やっぱ、私って天…
2000年、1月5日のことだった。その時、私は猛烈に機嫌が悪かった。 最悪の年末の疲れを抱えたまま、その日から学校がはじまった。 クラスの後、先生が 「今日これからスクールアクティビティで映画を見に行くけど、行かない?」 と聞いてきた。 疲れていたし、気分の悪かった。 が、こういう時こそプラス思考で、物事にチャレンジしていくべき! と参加することにした。 (今の私;私にもこんなふうに考えていとことあったんだ!) しかし期待は大ハズレだった・・・ もっと輝ける! その映画を見に行ったとは、先生2人、生徒4人だけだった。 映画は最悪! セックスシーンで始まった。 ア~ン、ア~ン。 もう、みんな固ま…
私が勉強していた語学学校のあった場所は、ゲイで有名な町だった。 私は、せっかかそんな好条件?の町に住んでいるのだから、 どうしても「ゲイバー」とやらに行ってみたかった。 でも一人で行く勇気はない。 学校中の子に声をかけたが、私と一緒に行ってくれる子はいなかった。 そんな中、あるクラスメイトの友達が 「私も行ってみたい」 と言ってくれ、私は願いをかなえることができた。 それがソンヘイだった。 そんなよしみで、急激に仲良くなった私たちは、 クリスマスバケーションを一緒にすごすことにした。 サンフランシスコ、ロサンゼルス、ラスベガスへ 2週間の旅に行こうと決めた。 ソンヘイは、私よりずっと若かったが…
私のアメリカ生活が始まった。 ホストファミリーには、5人もの子供がいて、 私の相手をしているヒマはない。 また、私は英語が悔しいほどに話せない。 こんな私の慰めは、ハウスメイトの韓国学生キュワンだった。 キュワンは、私のめちゃくちゃな英語を理解しようとしてくれ、 また私も彼女の英語ならわかった。 キュワンは私より年下だったが、まるで保護者のようにめんどうをみてくれ、 毎日のようにおしゃべりをした。 彼女の存在はまさに砂漠の中のオアシスだった。 ある日、彼女の誕生会が仲間で開かれるということで、 キュワンは私を連れて行ってくれた。 そこにはキュワンの友人である十数人の韓国人がいた。 彼らは一様に…
私が初めてアメリカに来たのは、1999年10月末だった。 それまでワシントン州とワシントンD.C の違いもわからず、 カリフォルニアとカリフラワーの違いもわからない程の 超アメリカ音痴だった。 (いくらなんでもそれはないか!) 又、私はusuallyを「ゆずゆありー」と読んでいたほどの 典型的な受験英語の犠牲者でもあった。 (ってさすがにそれは私だけか) 学生時代、英語は大の苦手、いや、そんなもんじゃなく、 英語恐怖症といっても過言ではなかった。 そのため、英語は人一倍できず、 町で外国の人に声を掛けられると 「お~お~」と奇声をあげ、 顔が泣き笑いでひきつった。 (本当に怖がらせてごめんなさ…
今は、どうしてこうなったのか、を書く元気はありません。 ともかく、手元のあるエッセイを残しておきたい、それだけを考えています。 未来・・・もちろんそんなものはありません。 ただ、夫をはじめ、家族には、膨大な迷惑をかけてしまって、申し訳なく思っています。 一日も早く消えてなくなりたい。 日本には、私のような引きこもりの人が多くいると聞きます。 本当にどうしたら、救われるのか・・・ 私は、子供のころから夢想家で、こうであったらいいな、と毎日考えていました。 それらは、小説になるような、そんな立派なものではなく、 ただエゴの塊の空想でした。 ここ10年は、毎日、宝くじに当たればいいな、って想像してい…
まず、自己紹介。 デブスばばあ(閉経ずみ) ず~とひきこもり。20年近く。(アメリカで) 無職 糖尿 頭、おかしい(基本、鬱で、ほんのたまに躁。多分、今がそう。ソウだけに。) まさにこんな見た目。デブでブス。白髪だらけのボサボサ頭。前歯なし。 ブログを始めようと思ったわけ。 長年、住んでいた格安借家を追い出されることになった。 それを機に、ず~と我慢していた、夫に離婚を言い渡された。 数週間後にホームレスになる予定。 もう、ババアなので、日本にもアメリカにも頼れる身寄りはいない。 また、日本に帰れるようなお金もない。 まぁ、人生終わりました。 数週間後には、身ひとつで出ていかなくちゃならないの…
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