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81歳でも片麻痺から回復中です。 http://stone123456789.livedoor.blog/

80歳で脳出血で片麻痺になり、身動きが取れなくなりました。 お医者様からは車椅子で生活することすら難しいと言われ、療法士さんからは右腕は動かないし、立つことも難しいと言われましたが、今は短い距離なら杖で歩けるようになりました。

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2019/08/07

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  • 擦る

    発症してから毎日のように誰かがさすってくれていた。それが効いているのか、触った感覚はわかるようだ。まだにぶく、痺れてはいる。痺れは軽くなったとは思えずずっとも電気続いていて気持ち悪い。でも少しは足が動くようになったと思う。これは、何が効いたでは

  • 階段の練習

    装具をつけて、杖で階段を登り降りの練習を始めた。正直怖い。支えてもらってなんとか行けるが、下りはとても怖い。こんなに家の階段は高くないと言うと、息子に叱られる。この程度の高さはあると言われて頑張る。しかし、足は動かない。どうすれば動くようにな

  • 腰痛

    腰痛が再発した。そのため、歩行訓練ができない。なんとか、車椅子から卒業したが、中々できない。ストレッチで時間だけが過ぎる。もどかしい。

  • 棒を立てる

    右手でもって棒をたてたまま保持するのって大変。だが何とかできた。プルプルはするけど少しの時間ならOK。なにに役立つかやかわからないが少しは嬉しい。

  • 肩甲骨が硬いらしい

    肩甲骨が硬いと療法士さんに言われた。そのため、息子がやってくれていた。電気マッサージによるリハビリが禁止になった。腕の方はなかなかよくならない。また、本日も温水マッサージとぞうきんがけだ。指は療法士さんにひどく曲げられたので痛かった。

  • 食事について

    発病してから、3ヶ月で15kg 体重が落ちた。余り、食欲がない。しかも刻み食なのでおいしくないのだ。黒酢を持ち込んでかけてたべている。一週間に一ビンかけるので息子ごかけすぎといっていた。血圧もさがるのでよいとはかんがえている。他の人も食事はまずいと

  • 右肩の亞脱臼

    歩く時に亞脱臼がなおるようになってきた。つまり、歩く時には上半身にちからが入って亞脱臼がなおる。今までは腕をサポーターでつって歩く訓練をしていたが、今は歩つらずにあるけるようになった。歩行が安定すれば今は、みまもりでトイレにいっているが、杖で自立

  • 柔らかいボールを握れるようになりました

    指は曲がり切らないが、握手をすると力は入ると言われるようになった。しかし、ハンドグリップは全然動かない。息子がおもちゃのボールを買ってきたので、リハビリの時に握ってみる。 すると握れた。動かし続けるともっとよくなるといわれた。よくなれば、お箸で

  • 外を歩く

    足のリハビリで外を歩くことがあった。外と言っても病院の施設内で小さな外だ。それでも病院の廊下とは違い、床が滑らかでなく歩き難い。5mも歩くのに凄く疲れて、凄く時間がかかる。でも外は気持ちが良い。なんとか田舎の墓参りには行けるようになりたい。

  • 病院のお風呂

    病院のお風呂はさっぱりするが、嫌なことがいくつかある。ますは介助の人が男ということ。まあ、高齢者だがやはり、お風呂の介助は女の人が良い。更にはお風呂に入ると身体の力が抜けて、後のリハビリが歩けなくなることだ。また、時間もないのであまりお風呂でゆっ

  • まだ上手く椅子から立てない

    立つ訓練がたまにある。何かに掴まって立つということくり返す。毎回、療法士さんに引っ張り上げてもらうので、療法士さんも大変だ。しかも立っても腰が曲がっている。杖でも良いのでなんとか自分で歩いてみたい。

  • 腕そのものが重い

    手は温水でほぐしてマッサージして、雑巾がけをやる。それをくり返す。まだ、上手く真っ直ぐ出せない。左右にふる練習もやっているが難しい。良くなる兆しが見えないが、少しは手首が柔らかくなってきた模様。なんとか、IVES治療をしてもらえそうだ。右手でご飯

  • 朝は足が動かない

    足のリハビリは足が前に出ない。マッサージを入念にしてもらって支えてもらってなんとか動く。午後はまだ、足が動く。しかし、足のマッサージは必要だ。手は動かないだけになんとか歩ける様になりたい。

  • なんとか、15m杖で歩く

    なんとか短装具をつければ杖で歩けるようになった。ここまでの回復は奇跡的とも言われた。なにせ最初の病院で一生車椅子と言われたのだ。ただし、この病院では一生装具は外れないと言われた。この装具が結構着けるのが大変で目が悪い私が着けるのは難しいのだ。こ

  • 温水での手首のマッサージ

    温水でのマッサージは良い。一ヶ月位かけて手首が柔らかくなった。なんとかボールに合わせて手首も回せるようになってきた。もう少し頑張れはIVESができるようになるかもしれない。まだまだ、腕は動かないが指と手は少し動くようになった。

  • 手のこうも硬い

    手首はむすこがマッサージしてくくれるが甲が硬いらしい。そのせいで指も曲がらないとのこと。とは言ってもは動かないのでどうしようもない。何か良い方法はないものか?

  • 温湿布を腰に貼る

    腰の痛みは続いている。冷たい湿布は苦手なので温湿布を貼ってもらう。なんかやる気が無くなってきた。正直なところ日付の概念が無くなっていている。

  • 肩甲骨が硬い

    肩甲骨が硬いと作業療法士さんに言われた。そのため、低周波治療機をあてるのをやめるように言われた。寝たきりなので体が硬くなってきている

  • 腰の痛みが酷い

    腰の痛みがひどくなった。そのため、歩くリハビリはできなくなった。股関節のマッサージだけでリハビリ時間が過ぎていく。せめて、歩けるようにはなりたい

  • 回復病院に入って2か月

    移動 車椅子飲み物 とろみ右指 BRS 2右上肢 BRS1右下肢 BRS 4食事 補助気替え 補助トイレ 補助お風呂 補助寝返り 補助少し起きていられるようになったつかまり立ち 補装具をつけてかろうじて短時間ならば可能歩行、支えてあげてバーがあれば短距離は可能

  • 腰の痛み

    歩く練習してから腰がいたくなってきた。夜が眠れない。起き上がる際にいたい。湿布をしても治らない。リハビリもできない

  • KOMPASについて

    慶應義塾大学病院の重度障碍者用の治療を考えなければならないかもしれない。結構、混んでいるらしいので受診するのも大変だ

  • 川平法について

    右手の外旋は結構簡単にできる。川平法の本は最終的に8000円する専門書を、買ったが読みやすい。youtubeにもやり方が上がっているので参考情報は多い。まずは、これを続けてみよう。

  • 4点杖は使いにくい

    杖と短装具、吊るしてもらって、後ろから支えてもらって歩く練習を続けている。なんとか、足が前に出るようになってきた。4点杖は立っているだけなら良いが歩く練習だと引っかかる。普通の杖が良い

  • 毎日雑巾がけ

    指は少し動くが、腕は動かない。そのため、手のリハビリは雑巾がけとマッサージになる。両手を重ねて動かすので実質左手で動かしている。右手が動くのはまだ遠い。

  • 今は美味しく食べてます

    今は残さす食べているが、病気になってすぐは、食事の匂いですら嫌だった。リハビリ病院に入ったら刻み食事で驚いた。最初の急性期の病院では人手不足もあり、点滴とサプリだった。黒酢をかけてご飯を食べている

  • 腕のサポーターは重要

    片麻痺の場合は腕の亜脱臼になる人も多いらしい。むすこが腕を吊るサポーターを購入してくれた。腕が体に密着して歩きやすい。最近は、身体を吊るしてもらって4点杖と短装具で5m✕5回位あるけるようになってきた。多少は補助が減ったらしいが、まだまだ、支えてもらわないと

  • 療法士さんのサボり方

    特に理学療法士さんは力仕事が多く、大変である。息子が見ていた療法士さんのサボり方の多くは車椅子で散歩である。これは車椅子を押すだけなので楽である。リハビリ開始と終了時にやれば20分位は使えるのでほとんどリハビリをしなくて済む。後、療法士さんは徒弟制度が多

  • リハビリ9単位のごまかし

    新横浜にあるリハビリテーション病院は、9単位をうたい文句にしているが、実際はそれは不可能である。なぜなら、ある患者と次の患者の間が連続していてバッファがない。しかも、間の時間で報告書などを書くのでその時間分削られるのだ。これは、療法士さんの問題ではなく病院

  • 装具はどうも病院と癒着がありそう

    母親は目が悪く、ほとんど目が見えない。そのため、装具を自分で止めることができない。そのため、着けやすいゲイツを希望したのだが、古臭い着けるのが面倒な装具を療法士さんが持ってきた。値段はゲイツとあまり変わらない。しかも領収証も送って来ず、金額も電話で聞いた

  • 手のリハビリは進展なし

    マッサージにほぼ時間を費やしているがほぼ進展なし。肺用手にされかかったのを息子が必死に止めてマッサージはけいぞくしてもらっている。雑巾がけがやっとである。

  • 歩行訓練は順調かも

    短装具をつけて歩行訓練を平行棒でやる。一回渡っては椅子に座って休み。1時間で3回程度。もちろん療法士さんに身体を支えてもらって後ろから足を蹴ってもらって歩く練習をする。一回ごとに短装具を調整する。単装具は12万もするもので、1割負担だった。単装具なしであるける

  • 回復期病院の勤務医に過度な期待は出来ない

    在宅復帰率が高く、リハビリも9単位3時間やってくれるという触れ込みの病院に入ったが勤務医はリハビリの知識が浅く、古い。入所時にこれは病院の中でも最悪の状況に近いと言われ、治ること考えるなど論外という話だった。勤務医だが熱など出さないと何もしないし、楽な職業

  • 短装具を使ってみる

    短装具を使って歩いてみる。とは言っても療法士さんに後ろから抱えてもらいながら、足を蹴ってもらって進んだ感じをくり返す。5mを3回もやれば療法士さんはヘトヘトで休憩になるので余りリハビリできない感じがする。でも少しは歩くことに近づいたのかな?

  • やはり並木リハビリテーション病院に入れるべき

    ネットで調べたが並木リハビリテーション病院が良さそうだったので電話してみた。しかし、並木リハは東京都民以外は個室に入ってもらうと言われた。その時は、全然、動けない状況だったので高額になるので諦めた。しかし、ある程度回復した今となっては高額でも並木リハに行

  • 回復期リハビリ病院に入って一ヶ月

    移動 車椅子飲み物 とろみ右指 BRS 1右上肢 BRS1右下肢 BRS 4食事 補助気替え 補助トイレ 補助お風呂 補助寝返り 補助ほぼ寝たきりつかまり立ち 補装具をつけてかろうじて短時間ならば可能

  • 右半身が痺れて鉛のようだ

    まだ、一人でべっどから起き上がることは出来ない。当然車椅子への乗り換えも看護師さんにお願いしなければならない。。リハビリが必要と言う事は分かるが病院の全てがいやだった。

  • 看護師さんは大変だよ

    休日は、朝1のリハビリに合わせて病院に行くので、同じバスに看護師さんも療法士さんも乗っている。別に聞き耳をたてたわけではないが、もうやめると聞こえてくる。しかもやめるのに順番待ちがあるらしい。患者もわがままな年寄りが多くの治らなかったら訴えるといわれたらし

  • 吊るして歩く

    ルームランナーの機械が合わなかったので空気圧で吊るして歩く練習をする。15k位身体が軽くなるので歩きやすくなるとのこと。少しの間この訓練を続けるらしい

  • 若手の育成はわかるけど

    指が少しは動くようになってきたのでプラスチックで矯正具を作る。作業療法士さんは一年目、2日使って使い物になるものはできなかった。はっきりいうと作業療法士さんがやりたかっただけなのでそれならマッサージでもしてくれた方がましです

  • ルームランナーの機械

    ルームランナーみたいな機械があり、身体を吊って歩く訓練をするというらしい。3日ほどかけたがうまくいかず、使えないという事になった。時間だけかけて使えないなんてその分をリハビリしてほしかった

  • 雑巾がけ

    手は相変わらず動かない。今は両手を使って雑巾を机で動かしている。全然、右手は動かない。本当に情けない

  • 歯磨きを持つ

    右手は動かないが指は少し動く。息子から歯磨き粉を右手でもって左手の歯ブラシでつけるように言われる。こんな子供だましと思いながらもやってみる。できた。

  • 腕を1000回動かす

    私は身長181 体重100k近くあるが母の体重は50k位だが1000回動かすと汗だくになる。また、母に負担を、かけてもいけない。上肢を上げる運動200回腕を曲げたまま、外に開く運動200回、手首を曲げる運動内と外400回、ひじを曲げる運動200会下さい回それでも亜脱臼が酷く、動く素

  • 今だ、腕は動かず

    指が動くようになっても腕は動かなかった。ただ日数だけが過ぎていった。息子は一日千回腕を動かしてくれる。低音波マッサージ機もかけてくれる。雑巾を、前に出す運動すらできなかった

  • 親指だけ動く

    両手を重ねて親指を動け、動けと左の親指で右手の親指を押す、それを一週間続けた。初めは、親指が動いたといわれてもわからなかった。息子が右手で左の腕を掴ませて親指が動くことを実感させてくれた。その後、人差し指を動かそうとしたが、動かない。なんとか3週間ぐらいで

  • 手のリハビリは息子まかせ

    一日2回のリハビリで足が一回、手が一回である。手のリハビリはマッサージだけで、後は健常手で積み木を積んだりする。結局、麻痺手の訓練は息子が夕食後、やってくれるだけである。医者からも療法士さんからも見放されている

  • 毎日、リハビリ

    回復期病院では毎日、リハビリだ。足は少し動くようになって来た。自然回復したような気もするが、痺れは残っている。装具をつけて療法士さんに支えてもらって10m歩くという事を3回ほど繰り返す。息子は毎日、マッサージをしてくれるが、身体は固くなっているようだ

  • 足の状況

    理学療法士さんは熱心にやってくれて母も信頼している。しかも重労働だ。私が見たところ、感覚と分離運動は悪くない。動きだけだとブルンストロームステージⅣはありそうだ。理学療法士さんは専任はおらず担当は決まるが、常にその人が見てくれるわけではない。そういった意

  • 歩く為のリハビリ

    まだ、掴まりながら支えなしに十分立つことも出来ない。でも歩く練習がはじまった。長装具をつけて、療法士さんに支えてもらいながら右足を後ろから蹴り出してもらう。そうやって3mほどを往復する。ただそれだけでヘトヘトになる。後は、ずっとマッサージをしてもらう

  • 食事は大切

    私は牛乳が飲めない。あたたかいものを飲みたい。まだとろみ強のぬるいものしか飲ませてもらえないが、息子が来たときは温かいお茶を入れてくれる。大福やフルーツも食べさせてくれる。最初の病院では点滴とサプリだけだったので食事に興味が持てなかった。まだ、生きるため

  • 親指が動くようになったことを理解してもらう

    母自身にも治ると認識してもらわないといけない。本人のやる気が出れば早く治るのだがまだやる気がでない。しかも、ほぼ寝たきりなので痴呆も入ってきている。毎日マッサージしながら説明しているが上手くいかない

  • 病院のスケジュール

    朝ごはん 8時午前中 50分足のリハビリ 昼御飯 12時午後 30分手のリハビリ晩御飯 18 時息子のリハビリ 19 時お風呂は週2回しかし、リハビリは十分に行われる訳ではない。なぜなら、リハビリの間に休憩時間がないため、遅れてくる。右顔がまひしているため上

  • 右半身が鉛のようです。

    右足にサポーターを複数巻いて、長装具で立つ訓練をする。はっきりいうと、支えてもらわないとバーに左手で掴まってもたっていられない。リハビリでは何の進歩も感じられないまま一週間がたった。

  • 相談員さんは親切

    母の状態を見て医者は半笑いで車椅子に乗れる保証もないと言った。作業療法士の担当者は廃用手と判断した。しかし、相談員さんだけは、右手でご飯を食べれるようにしたいといった話をちゃんと聞いてくれた。それには救われた。まだ、道半ばだが、はしぞうくんで右手でご飯が

  • 川平法

    おや指を動かすこと一週間、親指が動くようになった。直ぐに療法士さんを呼んで見てもらった。専門書を買って良かった。療法士さんの専門書は理系の大学院で勉強したレベルなら難しくない。まずは、廃用手にされないようにマッサージは続けてもらうことにした。

  • 食事の重要性

    新横浜にうつってから母が少し元気になった。当然、手は動かない。寝返りはうてない。トイレもいけない。ただ、田舎のゆずのお菓子をたべさせた。すこし、食欲が出てきたようだ

  • 装具を作れと言われる

    あなたはもう自分の足ではたてないので装具が必要と療法士さんから言われる。息子はいくらかかってもよいし、なおるまでつかえれば無駄になってもよいという。仕方なしに装具を作ることにする。こんなものを作っても治るとは思えなかった。

  • 寝たきりで何の気力もない

    姉と息子が、いがいがのボールでさすってくれる。息子は、毎晩、両手の指をくませて親指をおさえながら曲がれ、曲がれと100回繰り返す。わたしは、目が悪く、文字も読めない。ただただ苦痛な毎日立ったが、寝ていたのでひにちは直ぐに立っていった

  • 立ったままでいるということ

    右足に大きな装具をつけて動く左手でバーに捕まり、支えてもらっても立っていられない。情けなくて涙が出てきた。しかし、息子は必ず良くなると励ましてくれる。もう生きている意味がない。

  • しじみ汁を飲ます

    まだベッドに座ることも出来ない状態で母にしじみじるを少し吸いのみで飲ませた。少しでも生きる希望を取り戻してほしかった。

  • 生きるということ

    母が生きる気力をなくした母に、なんとか希望を持ってもらいたかった。そのため、まずは、ネットで良いリハビリ病院を探した。しかし、すぐに入れる病院はなかった。

  • 息子のマッサージ

    病院を移ったとはいえ、全然動けません。息子は毎日きてマッサージをしてくれます。掴まりながら立ったままでいけるようにリハビリが始まりました。正直、動けるようになるとは思えませんが、リハビリしてみようと思い始めました。

  • 転院

    喋る事も動くことも状況で息子が新横浜のリハビリ病院を決めてきました。大阪から移動です。まだ、車椅子に座れないのでストレッチャーのまま新横浜にきました。そこで驚きました。食事が刻みとはいえあったのです。大阪の病院では、点滴だけでした。ここで、息

  • 生きる望みが無くなる

    喋ることが出来ず、動くことも出来ない。その現実に私は、絶望しました。息子はジュースやお茶を持ってきて私に飲ましてくれましたが、「後、何日生きれるかな」と息子に言う始末でした。

  • 入院

    病院に入院したのは、発症してから5日後でした。既に出血は収まっていたそうですが、口が回らず、右半身が一切動きません。また、感覚が一切ありませんでした。

  • 生還

    倒れてから、2日立ちました。もちろん、飲まず食わずでした。エアコンがついていなければ凍死していたでしょう。私には息子がおり、毎週土曜日には必ず電話をくれていました。そのため、電話がずっと鳴っていました。ですが私は動けず電話を取ることができません。

  • 絶望

    身動きできないので、私には叫ぶしかできませんでした。しかし、助けは来ません。夫はリビングで既になくなっていたそうです。

  • 脳出血になりました

    1月に脳出血で倒れました。私は80歳で夫と二人暮しでした。その日、夫が苦しいといったので気替えを用意して病院につれて行こうとしたら、私も倒れてしまいました。右半身が動かず、身動きができませんでした。そのまま、過ごすことになりました。

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