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2019/08/02

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  • カムカムエ ヴリバディの感想(5)

    それで、美都里の気持ですが、 息子の結婚写真に写る新妻の姿が「粗末な身なり」だと、「恥」だと感じるわけですが、「恥」・・・ねぇ? そうですねえ、美都里は、「すばらしい自分の姿」をいう「幻想」を生きているのかも?そして、「すばらしい息子」、「すばらしい息子の結婚相手」、「すばらしい家族」という、現実にはあり得ない理想をの姿、つまりそれは「幻想」にすぎないのですが、その幻想を追い求めながら、しかし、「現実は幻想からほど遠い」事実があるから、心が引き裂かれているのかも・・・ 私の考えでは、「ありのままの自分の姿」、そして、「ありのままの周囲の人々の姿」を、「受容できない」という心の在り方が、彼女を不…

  • カムカムエヴリバディの感想(4)

    前回の続きですが、それではなぜ、美都里は安子を嫌忌したんでしょうか? それは、「商店街の小せえ菓子屋じゃが」という美都里の言葉、そして、安子が稔と結婚する時の美都里の言葉、「私が嫁入りするときに雉真の母からいただいたものです。粗末な身なりで婚礼の写真に収められたら恥じゃからね」、・・・と言って美都里は、髪飾りを安子に渡しますけど、そういうところに表れてますね。 つまり、いわゆる「世間体」が、美都里にとっては最重要なんだろうと推測した私です。 それで次回は、世間体にこだわる不幸ということ、書いてみたいと思います。

  • カムカムエヴリバディの感想(3)

    前回、「対立する人間関係」って書きましたけど、稔の母である美都里は、安子のことを、「商店街の小せえ菓子屋じゃが」と言って、稔と安子の仲を裂こうとしたんですよね。 もちろん、稔と安子の結婚には大反対だし、結婚後も、稔の戦死を知ると、安子を雉真家から追い出そうとするんですね。 だから、安子にとって美都里との関係は、耐えがたいものだったと思います。そうですねえ、たとえて言えば、安子が蛙、美都里が蛇という関係でしょうか。 「蛇に睨まれた状態で毎日一緒に暮らす」なんて、私だったら・・・耐えられません。 続きは次回に。

  • カムカムエヴリバディの感想(2)

    最初のヒロイン、安子ですけど、彼女には、幸せな時期が二つあったと思います。一つは、大好きな稔と結婚して、いっしょに暮らした日々。二つめは、るいと二人で過ごした日々です。 両方とも、「大好きな人といっしょに暮らす」ことができた時期で、私は、そういうのが幸福だと思うことです。 そして、その反対にですね、「対立する人間関係」の中で暮らさなければならないとしたら、とても不幸だと思いますけど、そのことについてはまた次回に。

  • カムカムエヴリバディの感想(1)

    放送中のドラマ「カムカムエヴリバディ」で、ヒロインのるいは、世の中の一般的見方ではダメ人間のような錠一郎を、「そのまま受容」する態度でして、その「受容」がすばらしいと、私は思っています。 結婚後も、働かないで日を過ごす錠一郎を、るいは咎めたり非難したりしないんですね。るいのような人物を登場させたということで、このテレビドラマには価値があると、私は思います。 そうですねえ、人は無意識のうちに、妻だったら、夫が「自分のために」役立つことを願ったり、夫だったら、妻が「自分のために」役立つことを願う・・・ってこと、まあ、普通にあるだろうなあと思います。 でも、そういう願望は願望として、もっと考えなけれ…

  • 遠藤周作を読んで(最終回)

    加藤宗哉著「遠藤周作」について再び書きますが、おおよそ次のような文があります。__________________ 母親が良心で、息子が悪、あるいは愚――という図式がこの小説家の人生には変わることのない意識としてあった。母から監視され、怖れ、それでも叛逆して時に悪事をはたらく。そして後悔し、赦されたい、と願う。__________________ さて、前回は遠藤周作の話題から離れ、カムカムエヴリバディに登場する一子(ベリーさん)が、実らなかった恋の相手(錠一郎)を助け、錠一郎の恋人で、その後妻となったるいを助けたことを書きました。「恋敵だった女性を援助する」って、一子は心底、錠一郎の幸せを願…

  • 失恋した相手を援助

    「遠藤周作を読んで」の第3回に、「相手を大切にするのが幸福の出発点」と題して、バレエ「ラ・バヤデール」のことを書きましたけど、ニキヤを好きになってしまった大僧正は、結局、「ニキヤの幸せを願う」行動はできませんでした。 遠藤周作「初恋」の主人公も、激しく恋している少女を、結局、痛めつけちゃうんですよね・・・ さて、放送中のドラマ「カムカムエヴリバディ」で、一子(ベリーさん)は、自分の恋が実らなかったのに、恋人だった錠一郎を助けますし、恋敵だったるいを、ものすごく援助するんですよね。このテレビドラマ、一子のような人物を登場させたことがすばらしいです。 観音さまって、一子のようなのかなあ?(観音さま…

  • 遠藤周作を読んで(第8回)

    加藤宗哉の「遠藤周作」という本に、おおむね次のような記述があります。_________________ 遠藤周作が身近へ置いた一枚の写真がある。母親の郁が和服姿でヴァイオリンを右脇に抱えている。周作はこの写真を、普段は自宅と仕事場の書斎に、夏は軽井沢の山荘の食堂の棚に、海外に出かけた際はホテル部屋の机に、そして晩年の闘病生活では病室の枕元に置いた。俗に言う母親コンプレックスを、本人も否定はしなかった。外で酒を飲んだり悪事をはたらいたりして帰ってくれば写真のなかの母は叱りつける顔になり、書斎で仕事を懸命にこなせば穏やかな顔になる。同じ写真なのに表情が変わる。壮年になっても母の顔色を気にかけ、母を…

  • 遠藤周作を読んで(第7回)

    遠藤周作の小説に、次のようなシーンがあります。 それは、母のヴァイオリン演奏会の情景なんですが、人影のない廊下の椅子に一人腰掛け、壁に向き合っている父の姿が描写されていて、「その時の父のうしろ姿には、 だれからも相手にされない、 寂しそうな翳があった。」・・・と書いてあります。 あの、「妻の演奏会」なのに、妻の舞台を見るのを避けて、一人、廊下の壁に向かって座る夫・・・なんて、なんか、哀れすぎる感じがします、私は。 もし仮に、仲良し夫婦だったとしたら、夫は「客席で聴く」などというヒマがなく、演奏会運営のスタッフとして、「陰の力」を発揮して働くと思うんですけどね。 では、妻の身になってみればどうで…

  • 遠藤周作を読んで(第6回)

    テレビで昔の映画「旅情」を見たことがあります。ヒロインのジェーンは、旅行先のベネチアでレナードを好きになってしまいますけど、彼と過ごすうち、レナードは結婚していて、息子もいることを知るんですね。 ジェーンは休暇が終わると、レナードとの交際を絶ってアメリカに帰るわけですが、私としては、二人の恋を成就させてあげたかったです。 遠藤周作の「影法師」では、「結婚してはいけない」牧師が、禁を破って結婚しますけど、私の気持としては・・・ですねえ、「自分の気持を否定」しなければならないような状況は、不幸だと思うんです。 そしてまた、好きな人や恋しい人がいたなら、いっしょに居たり、いっしょに活動することって、…

  • 遠藤周作を読んで(第5回)

    「孤独な翳には、 それまで自分たちの芯の芯まで支えていたものから 追放されたもの」・・・という文章が、「影法師」という小説の中にあります。 「追放」って言葉が気になりますね。たぶん、神父たちの共同体からの追放であり、「信仰の人」という「自己価値観」を失うことでもあるかなと、そんな想像をしますけど、どうも・・・疑問点があります。 「自分の欲求」に従って結婚したんでしょう?・・・だったら、結婚した相手との喜ばしい日々があるんじゃないの?二人の幸福な心の交流があるんだから、「孤独な翳」なんか、あるはずないじゃないの? まあ、私はキリスト教のことを分からないし、信仰する人の心境なんてまるで知らずに書い…

  • 遠藤周作を読んで(第4回)

    キリスト教のことを知らない私でしたが「影法師」という小説を読んで、神父というものは、女性と関わったり、ましてや、結婚なんて「できない」立場なのだと知りました。 あの、キリスト教徒の方にはごめんなさい、私には、男が女性を求めたり、女が男性を求めることって、「良いことじゃないか」って思われるんです。 「母なるもの 」という小説には、かくれ切支丹の村で見た修道女が登場し、「生涯を独身で奉仕に身を捧げる」と書いてありましたが、・・・まあ、その人が自ら選んだ人生なので、他人がとやかく言うことはできないわけですけど、神父や修道女の道を選ぶなんてことは、私にはできそうもありません。 ですからここにも、「私の…

  • 遠藤周作を読んで(第3回)

    前回の続きです。「私のほんとうの心を知らず」って、少年が恋した少女のことが、小説中に書かれています。 その少年は、彼女に「ひどい言葉」を掛けるんですから、そういう「ひどいことを言う少年」が、「自分に恋しているんだ」・・・なんて、彼女が思うわけ、ありませんよね。 少年が彼女に「ひどいことを言った」にもかかわらず、彼女に対しては、「自分の恋心を分かってほしい」と思っている少年、 それ、どういう思考回路から考えられるんでしょうか? その上、少年は、「恋する彼女」のほうに向かって、「石を投げる」んです。・・・それはもう「攻撃」でして、あの、「恋しい少女」を攻撃しちゃってるわけで、少女の立場からしたら、…

  • 遠藤周作を読んで(第2回)

    「初恋」という小説で、小学三年の少年が、同級生の少女を好きになりまして、彼は煩悶の末、ついに決心して、彼女に声をかけるわけですが、何と、「彼女を傷つける」言葉を言っちゃうんですね。 ・・・で、小説にはこう書いてあります。「それが私の愛の言葉だった。 心とは全く裏腹のこの言葉を、 百米先に歩いている彼女にかけることで 自分に関心をひこうとしたのである。」 いやあ、私には全く理解不能です、わかりません、困惑の極みです。前回、「その人の立場に立ってみれば理解できる・・・っていう考えは誤りだ」というようなこと、書きましたけど、その一例です。他の人の心情で、私には想像もできないびっくりするようなことって…

  • 遠藤周作を読んで(第1回)

    小説をめったに読まない私が、遠藤周作を初めて読みました。遠藤周作の「未発表原稿」が発見されたというテレビ番組を見たからで、遠藤周作の父と母とでは、「どんなふうに生きたいか」ということが、全く違っていたんだそうですね。それで、不幸が発生したようですけど、でも、「自分の性質に従って自分の思いを生きる」ことは、とても幸福なことだと思うんですね。それなのに、二人の人間が、二人とも、自分の性質に従って自分の思いを生きようとすると、「不幸な関係」に陥って、家庭内で悲劇が発生るなんてことでしたら、私としては、気持ちの上でたまりません。 そこで、どんな小説なのか、読んでみようと思ったんですが、2020年発行の…

  • 相手を大切にするのが幸福の出発点

    ナチョ・ドゥアト改訂振付の「ラ・バヤデール」、NHKで放送されましたから見ました。 第1幕でソロルとニキヤのパ・ド・ドゥが終わった後、ニキヤを好きになってしまった大僧正は、ニキヤが自分の求めに応じてくれないので、悔しい気持ちですね。その悔しさと怒りを表現する踊りが、とても面白かったです。 さて、恋してしまった人が自分を好いてくれない場合、それは心が痛みますけどね、しかし、「相手の気持ち」を尊重して、「相手の幸せを願う」ことができるようなら、それこそ、愛する人に対する態度だと思うんですが、まあ、でも、自分の心は激しく傷ついてますからね・・・ それでも、やはり、「愛する人」であれば、その人の気持ち…

  • 互いに「尊重できる」のが幸せ

    昨日、Yahoo Japan のトップページに、「親ガチャは言い訳か 若者の現実」という題を見つけたので読んでみましたが、以下に、その一部を引用します。____________________ 「親ガチャ」とはつまり、どのような親のもとに生まれてくるかによって人生が決まってしまうという意味で使用されている。 高い教育費は、子どもを投資の対象としてみなす傾向を強める。つまり、教育費を投資することによって将来のリターンを期待する関係がつくられるのだ。 これを背景に起こってくるのが「教育虐待」と言われる問題だ。「あなたの将来のためだから」という理由で、人生の早い段階から受験競争へと巻き込まれていくこ…

  • 助けてもらえるありがたさ

    前回の続きを書く予定でしたが、湯をかけられて死んだ3歳児のニュースを見ましたから、そのことをちょっとだけ。 虐待されていたその子(桜利斗ちゃん)について、桜利斗ちゃんの母親の知人は、言ったそうです。「私たちが帰ろうとしたら桜利斗ちゃんも靴をはいて 一緒に出てくるんです。 すごく『行きたい行きたい』みたいな感じで。 SOSだったのか、 『助けて』という感じやったんやろな。 あざが何個も見られたりとか。 『たっくん(松原容疑者)、いや、 たっくん、いや』って 最後らへんは言い続けていたみたいなので。 口癖でしたよ『たっくん、いや』 『たっくん、いや』って」(以上、フジテレビ系列ニュース) 桜利斗ち…

  • 相手を尊重しつつ関係を深める

    人と人との幸福な関係は、(1)相手を大切に思うことができる、(2)親しくできる、その2点を、同時に満たすことだと思います。 くどく言ってすみませんが、その(1)と(2)が「両方満たされる」のが大切であって、(2)だけを求めると不幸の原因になると思うんですが、具体的には、次回に書きたいと思います。 なお、今日の添付写真ですが、「男はつらいよ」の映画に出てくるような、レトロな風景を見たものですから、思わず写真を撮ってしまいました。

  • 敬愛できるなら最高

    楽しく、親密な人間関係が持てることは、私の喜びです。 その場合、大切だと思うことは、相手に対して「敬愛」の気持が持てることですね。 ところが、「敬愛」できずに、相手を好きになっちゃったという「自分の都合」で、相手の気持を無視して、「自分のものにしたい」って行動するようなら、そういう態度はダメだと思うんですけど、詳しくはまた次回以降に。 なお、今日の添付写真は、夕空に光っていた星と、その時ちょうど現れた飛行機雲です。

  • 仲良くできる幸せ

    毎日いっしょにいる人や近い関係の人々と、良い関係で楽しく過ごせるってことは、ものすごく幸せなことだと思う私です。 その点で言えば、前回書いたエカチェリーナ2世ですが、ロシアの皇太子(後のピョートル3世)と結婚して以来、二人の関係はうまくいかなかったようですね。 そういうのって、私は、とっても不幸だと思います。 そしてまた、家庭内別居の状態にあるけれども、法的には夫がいるとか妻がいるという立場なので、他の男性や他の女性とは、会話や交流も無しで生きる・・・なんてのは、気の毒なことだと思います。 人はやっぱり、好意が持てる人々と交流し、仲良く、喜ばしく生きられることが一番だと、私は思います。 さて、…

  • 男性を求める話

    フジテレビのニュースですが、 「アイドルのため売春したか ”普通”の女性教師(以下、記載省略)」・・・というのがあって、「給料では“賄えない”趣味とは何なのか? 記者は、勝手に『ホスト狂いか』と見当をつけたが、 見事にハズれた。 関係者によると『アイドル、 しかも地下アイドルにハマっていたらしい』とのこと。」 まあ、でも、ホストにしてもメンズ地下アイドルにしても、相手は男性だったわけで、ですから、女性だって「男に夢中になる」ってことは、普通にありますよね。 それで、金が欲しい時、金銭を得る道はいろいろあるかと思うんですが、心底から「男が嫌い」な女性だったとしたら、売春以外の方法を選ぶんじゃない…

  • 女性を求める話

    「さまよえるオランダ人」と「タンホイザー」について、ちょっと書いてきましたけど、主人公は「女性を求めている」ってことが、共通しているかと思います。 それで、同じワーグナーの作品ですが、ニーベルングの指環の中の「ラインの黄金」から、アルベリヒの歌を、部分的にちょっと抜き出してみます。 「灼熱の炎が、体のすみずみまで、 熱く燃え盛ってくる! 怒りと恋が、激しく強く、 俺の心を掻き立てる! どんなにお前たちに笑われても、嘘をつかれても、 俺はお前たちが欲しくて仕方がない。 俺のものになるんだ! 誰か一人でも!」 歌の中で「お前たち」と言ってるのは、三人のラインの娘たちのことなんですね。 ・・・でも、…

  • 「守ってもらえる」安心の世界

    9月15日、16日に続いて、さまよえるオランダ人の話ですけど、劇中でゼンタは歌います。「Wonach mit Sehnsucht es dich treibt - das Heil.」(あなたが切望しているもの ー 救い。) それで私は、オランダ人船長の渇望って、一人の女性によって心が癒され、平安と幸福がもたらされることだったかも?・・・って想像するんです。 そして、「女性によって」というところに興味があるんですけど、関連して、生母と赤ちゃんの関係なんですが、ママはおっぱいをあげて、抱っこします。 ・・・それって、赤ちゃんからすれば、「必要なもの」が無償で与えられるし、無条件で安心、安全が保障…

  • タンホイザーの場合は

    「さまよえるオランダ人」を話題にしましたので、次に、タンホイザーのことをちょっと書きます。 彼は「イケナイ」態度や行動をしましたけど、エリーザベト姫は歌うんですよね、「彼を救いたいのです」と。 そして姫は、結局、自らは死んで彼を救います! 歌劇ですから、フィクションですから、そういう筋書きもできるんでしょうけど、でもそこには、彼の切望・・・というか、ある状況では人に普遍的な渇望が表現されていると、私は思います。 つまり、誰からも愛されず、優しく受け入れてもらえず、ありのままの自分を肯定してもらえず、誰にも助けてもらえない人間は、ただただ人の慈愛を、まず第一に、必死に求めている・・・ってことです…

  • 愛されてる感覚が欲しい?

    前回に続いて、「さまよえるオランダ人」の話です。 歌劇のストーリーを離れて、「船長の気持」のことだけを書きますと、彼はただ一つ、「愛されてる」実感を、必死に求めてるんじゃないかと思うんです。 ということは、彼は、誰からも愛情を受け取ることができなかった、過酷な人生を生きてきたんじゃないか?・・・って想像もできるんですけどね。 それで、この続きは次回にします。

  • 「さまよえるオランダ人」の精神状態

    NHKBS、9月12日の深夜から、バイロイト音楽祭2021「さまよえるオランダ人」が放送されましたので、録画しておきましたのを、ゼンタのバラードのところまで見ました。 ゼンタが「この青ざめた男」と歌うのは、オランダ人船長のことです。 「この青ざめた男も、 いつの日か解放されるでしょう。 この大地で死に至るまでの忠誠を、 彼に捧げる女性に出会うならば。」 「天に祈りましょう。 やがて一人の女性が、 彼に誠を尽くすように。」(上記の訳文は、テレビの字幕とは異なります。) それで、オランダ人船長の気持なんですけど、わけあって彼は、世の中も自分のことも嫌いになっています。しかし、そんな彼も、彼に対して…

  • 「悲しみ」という毒

    前回の続きですが、好きな人とは、いっしょに居たいです。親密でありたいです。だから、近づきたいです。 なのに、なのに、好きな人が、「私に近寄らない」態度だったとしたら、悲しいですよね。 それで、このブログの9月11日、表題は「ソーシャルディスタンス」ですが、「みみちゃん」のセリフを紹介しました。 「距離をあけるのは、 ザビエコくんが嫌いではなくて、 ザビエコくんが とっても大切な友達だからなんだ。」・・・っていう言葉です。 それでザビエコくんは、「そうなんだね!よかった!!」って、一応は言うんですけど、私がザビエコくんだったら、やっぱり不満が残ると思いました。 「好かれてる」んだったら、相手との…

  • 好きな人がいる幸せ

    美しい景色・・・って、いいですね。おいしいものって、いいですね。良い香りに包まれたら、心、とろけそう。 そして、「好きな人がいる」って、もっとうれしい。 たとえ、今、そばに居なくても、あるいは、恋しいのに片思いであっても、「好きな人がいる」って、それだけで幸せ。 続きはまた次回に。

  • 受け入れられない悲しみ

    前回の「ソーシャルディスタンス」劇場で、最終的にはザビエコくん、悲しいという心の痛みが消えて、良かったですね。 つまり、ザビエコくんはみみちゃんが好きだから、親密で楽しい関係でいたかったんだよね。 でも、みみちゃんが近寄ってこないのは、自分が嫌われたからじゃないかって、誤解しちゃってたと思うんです。 そうですねえ、人は誰もが、他の人から好意を持ってもらいたいし、自分を受け入れてもらいたいんだって、改めて思ったことでした。 この続きは、また次回に。

  • ソーシャルディスタンス

    新型コロナウイルス感染症が流行し、 ソーシャルディスタンスという言葉を聞くようになりました。 それで初めて、「人と人との関係」について、今まで思いもよらなかった視点から、考えることができた私でした。 そのことに関して堺市のWEBページに、「ソーシャルディスタンス」劇場というの、見つけましたから一部を紹介します。______________________ みみちゃん「2メートルの距離をあけなければならないのよ。 それを、ソーシャルディスタンスというの。」 みみちゃん「距離をあけるのは、 ザビエコくんが嫌いではなくて、 ザビエコくんが とっても大切な友達だからなんだ。」 ザビエコくん「そうなんだ…

  • 肩書きに惑わされない(7)

    インターネットで、次のような文を見つけました。_____________________ 肩書きがあることで、なんか「その人そのもの」を見ることをやめてしまうというか、見えなくなってしまうというか ・・・_____________________ それを読みまして、私も、「そのとおり」だと思いました。 それで、肩書きっていうのは、「レッテル貼り」に通じる面もあるんじゃないでしょうか。つまり、「人間のある一面」だけを取り上げて、「その面だけで」どんな人かを決めつけてしまう・・・ってことですね。 でも、だからこそ、そういう特性をうまく利用するために、「肩書きを求めちゃう」人もいると思います。 たと…

  • 肩書きに惑わされない(6)

    ずいぶん前の話ですけど、茶道で正月のお菓子をいただく作法につて、友人から聞きました。なんでも、お菓子を「どっち向きにするか」で、騒動・・・と言ったら言い過ぎですけど、混乱が生じたんだそうです。 どうやら、お菓子の「向き」が問題になったみたいで、お茶の先生としては、「ゆるがせにできない」ことかもしれませんけど、茶道と無関係の人にとっては、「何それ?」って程度の話でしょうかね。 まあ、一般市民「その他大勢」にとっては、お菓子の「向き」をどうするかなんて、「気にも留めない」ことと思いますけど、お茶の先生は「先生」という肩書きがあるし、お茶の免状を持っているような方々もまた、立場上、「どうでもいい」で…

  • 肩書きに惑わされない(5)

    前回は「肩書きの有効性」ってこと、書きましたけど、でも、肩書きには悪い副作用があります。 それは、「肩書き」の中に、自分が埋没する危険性なんですね。つまり、肩書きを前面に出せば出すほど、「自分自身」が消えちゃうってことでして、詳しくは次回に書きたいと思います。 あの、「自分自身でいる」っていうのが幸せなことでして、だから、相手の人もまた、「その人自身でいる」ことが幸せで、「このような私」が、「そのままの姿のあなた」と仲良く交流できること、それこそが人間関係の幸せな姿だと、私は思うんですね。

  • 肩書きに惑わされない(4)

    今日は「肩書きの利用」ということを書きますが、暴力団の組員って、組織の上部にお金を収めるんだそうですね。 ・・・つまり、会社勤務とは違うわけで、会社員なら会社で働いて賃金をもらいますが、暴力団組員というのは、一種の「個人事業主」みたいなもので、所属する暴力団から給料をもらうわけじゃなく、その反対に、暴力団組織に「金を払う」ようですけど、じゃあ、なぜ金を払うかと言えば、「組員である」という、いわば「肩書き」を使わせてもらうためであって、まあ、「肩書き使用料」みたいなものでしょうか、素人考えでは? それでは、なぜそんな肩書きが必要かと言えば、暴力団の一員であるという肩書きに物を言わせて、その人の個…

  • 肩書きに惑わされない(3)

    「独立行政法人日本学生支援機構」と、その「名まえ」を聞きますと、すばらしく立派な組織のイメージです、私の感覚では。 さて、昨日、こんな見出しのニュースがありました。「支援機構に返金命じる 札幌地裁判決」 記事を読みまして私が解釈したことですが、過去に受けた奨学金の返済が滞った場合、保証人が二人いれば、一人の保証人の返済義務は半額なのですが、学生支援機構は二人の保証人に、それぞれ全額の返済を求め、二人の保証人から受け取っていたみたいで、それは違法だという判断が示され、学生支援機構が不当利益を得たとして、保証人が支払った過払い分計約139万円を、保証人に返すように命じたみたいですね。 また、次のよ…

  • 肩書きに惑わされない(2)

    集団をつくって役割分担すれば、役割に応じて「〇〇の係」みたいのができて、それで、「〇〇の係」っていうのが、いわゆる「肩書き」ってとこでしょうネ。 それで、肩書きっていうのは、いわば役割分担のようなもので、「価値」とはまるで関係無いものなんですよね。 ところが、ある種の人々は、Aの役割には価値があり、Bの役割には価値が無い・・・みたいな、役割に「優劣をつける」ことを行いますね。 それが問題の始まりで、そこからですね、Aの役割を担う人間は偉く、Bの役割にあたる人間は劣等である・・・みたいな、人間の価値づけというか、ランク付け起こると、悲劇になっていくと思いますし、そうなりますと、人と人とが分裂し、…

  • 肩書きに惑わされない(1)

    NHKテレビで兼好法師の番組を見ました。徒然草の第86段も紹介されていて、おもしろかったです。 その86段の現代語訳を、「ぐうたらぼっちのブログ2」というのから、勝手に引用させていただきます。http://bocchibocchibocchi.blog.fc2.com/blog-entry-148.htmlぐうたらぼっち2さん、すみません。_____________________ 現代語訳 惟継中納言(平惟継)は、風流な漢詩を書く才能に恵まれた人だ。生涯、仏教の教えに精進していて、読経をしていたが、三井寺の円伊僧正と同じ寺(僧房)で修行していたことがあった。文保期に三井寺が焼き討ちされた時、…

  • 今の自分を楽しむ

    「気分良くいられる」って、しみじみと「幸せなことだなあ」と思います。 それで、「今の自分」がこうしていることを、「いいなあ」って思えるのは、ほんとにいいですね。 あの、何か「すばらしい自分」じゃないといけないとか、そんなことは全くありませんで、「このままの自分」で気持ちが満たされているっていうのが最高ですね。 「こういう自分」が喜ばしいのですから、他の人についても、「その人のようであってよい」のであって、「あなたは〇〇でなければならない」なんてことは要求しませんから、したがって、仲良くもできるし、人との交流が楽しめるんですよね。

  • 値引き品が買えない人(9)

    仲良く楽しくいられるはずなのに、なぜか、相手の人が気分悪くなるようなことを、「わざわざ」言う人がいるってことで、そういう場面を何度も見たことがあります。 また、「どうしてそんなにひどく言われなくちゃなんないの!」・・・っていうような経験を、したこともあります。 このシリーズ、九回目ですけど、結局、世の中には、楽しく、喜ばしい人間関係を築くことができないタイプの人が、いるんじゃないかってことですね。 「他人がすること」は、自分にはどうしようもないことですから、対策としては、そういう人に惑わされ、悪い影響を受けて、自分がみじめになるようなことは、避けることですね。 あの、値引き品を買ったら、「稼い…

  • 値引き品が買えない人(8)

    このシリーズ第一回目の(1)で引用した文章に、こんなのがあります。_____________________ 大手商社に勤務する40代の男性会社員Cさんも、セール品や値引き品を好んで買うタイプ。だが、そんなCさんの姿勢に、「稼いでいるクセに……」と嫌味を言う人もいると明かす。_____________________ 私にはちょっと驚きですが、値引き品を買うかどうかみたいな「どうでもいいこと」を気にして、しかも、他人が値引き品を買ったのを見て、その人に「嫌味を言う」人がいるって、いやあ、すごい心情だなあと思いました。 あの、「どうでもいいこと」をタネにして、他人に「嫌がらせ」を行い、自分とは無…

  • 値引き品が買えない人(7)

    前回、「私が店員でしたら、 客が値引品きばかり買うかどうかなんて、 全く興味がありませんし、 『「どうでもいいこと』です」・・・って書きまして、そう書いた後で思ったんですが、それって、一人一人の客のことを、「一人の人間」としてではなく、没個性の「物体」みたいにしか見てない態度だと思ったんですね、・・・最初は。 でも、すぐに、その考えは誤りだと気づきました。 なぜなら、体調が悪そうな客がいたとしたら、すぐに気づいて、「どうしてあげたらいいか」を考えて、対応するはずだからです。 つまり、客を見る場合、「どんな商品を選んだか」というようなことには興味が無いけれども、だからと言って、お客様に無関心とい…

  • 値引き品が買えない人(6)

    このシリーズ第一回目の(1)に、こんな文章を引用しました。_____________________ 店員の視線については、「見られると買いづらい」「値引きばかり買っていると思われる」など。 _____________________ ああ、そうなんですか!・・・と、私は思います。 その人にとっては「店員の視線」って、それほどに重要なことなんですか!「自分は何が買いたいか」という、「自分の気持ち」よりも・・・ 不思議、不思議、「自分の気持」を犠牲にしてまでも、「店員からどう見られるか」という、店員の気持を重視するんですよね? でも、もっと不思議なのは、「値引きばかり買っていると思われる」という…

  • 値引き品が買えない人(5)

    相手の人を尊重し、大切にすることって、すごく大切なことだと思います。 そして、「相手を大切にする」って、「自分を大切にする」ことと同じなんですよね。 それで、幸福な関係というのは、相手を大切にすることと自分を大切にすることが「同時に成り立つ」ことなんですよね。 でも、世の中には、相手の都合を優先して、自分は犠牲になるとか、相手を犠牲にして自分が利益を得るという関係だってあると思いますが、そういうのは、不幸な関係だと思います。 さて、前回の続きですけど、「値引きだらけの商品を買っていると知られたら、恥ずかしいだろ」と彼が言うのは、「彼の価値観」を、彼女に押し付けている態度ですよね。 そして、彼女…

  • 値引き品が買えない人(4)

    第一回目の(1)で引用した彼の言葉ですが、「値引きだらけの商品を買っていると知られたら、恥ずかしいだろ」と言ったそうです。 それで私は思いましたが、彼って、「人の目を気にする」タイプなんでしょうね。 そんなふうでしたら、「自分はどうしたいのか」ということより、「他人からどう思われるか」を優先して行動することになるのではないでしょうか。そういうのって、何と主体性の無い、不幸な人生だろうと思いました。 それで前回は、自分自身が「無い」人間と書いたわけですけど、そういう彼が、「一緒にいる俺の身にもなってくれよ」と、彼女に要求したというのですから、つまり、「自分自身が確立してなくて、主体性が持てない」…

  • 値引き品が買えない人(3)

    自分自身が「無い」人間が、「虚像の」自分自身を捏造しようとして、必死にあがく行動の一つとして、他人を支配し、コントロールしようとする様式が生まれるのではないか?・・・と、「値引き品が買えない人」シリーズを2回書いてきて、私は思いましたので、その詳しい内容は、次回以降に書きたいと思います。

  • 値引き品が買えない人(2)

    前回引用した文章の中で、私が一番問題個所だと思うのは、「『何品もかごに入れて恥ずかしい。一緒にいる俺の身にもなってくれよ』と言われました。」という部分です。 あの、商品を買い物カゴに入れたのは、彼女であって、いっしょにいた彼ではありません。 また、その商品を選んだのは彼女であって、彼ではありません。 つまり、彼女がそういう商品をカゴに入れたのは、「彼女の考えで彼女がした」ことであって、彼とは「関係が無い」ことなんですよね。 そのように、彼女とは無関係の彼が、彼女の自主的行為に対して、「恥ずかしい」と感じるという、そういう感覚が理解できません。 たとえば、自分(✕)とは異なる人間(Y)が、その人…

  • 値引き品が買えない人(1)

    「恥ずかしくないの?」値引きシール商品購入を諌められた人たち・・・という題の記事を見つけました。 引用して紹介します。_____________________ 人材派遣会社で働く20代の女性会社員Bさんも、値引き品の購入をめぐって、最近交際を始めたばかりの30代男性と険悪な雰囲気になったと明かす。20時すぎにスーパーに2人で訪れた時のことだ。「半額」の値引きシールが付いた惣菜を見つけ、Bさんが迷わずカゴに複数の商品を入れながら、「お寿司が半額なんて最高だよね」と彼に言うと、思わぬ言葉が返ってきた。『何品もかごに入れて恥ずかしい。一緒にいる俺の身にもなってくれよ』と言われました。一瞬何を言われ…

  • 今の幸せ

    自分自身が 「今のようである」ってことを 味わって、楽しくいられること、 そして、 他の人と仲良くいられることって、 ほんとに幸せなことだと思います。

  • 仲良くできる幸せ

    テレビ番組で、「ベイビーたちが地球を救うSP 可愛いの大渋滞! 世界のベイビー大集合 生まれる前の記憶を話す少女 驚愕!次々と一致する現実」・・・というのを見ました。 中でも、「生まれる前の記憶を話す少女」を見て、私の感想ですが、(1)生まれる前に「空」にいる赤ちゃんたちって、 「対立抗争」なんかしてないと思いました。(2)生まれてきた姉妹のひいちゃんとふうちゃんは、 とっても仲良しみたいですね。 もちろん、姉妹のママもパパも、 一家みんな「仲良し」ですよね。 それで、人がみんな仲良くできるって、それは一番幸せなことなんだと思いました。

  • 規則づくめだから楽しい

    夏目漱石の小説「草枕」から、一部を抜粋します。 「茶と聞いて少し辟易した。 世間の茶人程勿体振った風流人はない。 広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、 極めて自尊的に、極めてことさらに、 極めてせせこましく、 必要もないのに鞠躬如として、 あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。 あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、 麻布の連隊の中は雅味で鼻がつかえるだろう。 回れ右、前への連中は、 ことごとく大茶人でなくてはならぬ。 あれは商人とか町人とか、 まるで趣味のない連中が、 どうするのが風流か見当が付かぬ所から、 器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、 これで大方風流なんだろう、 と…

  • 心が自由である幸せ

    人との関係において、何かに「とらわれる」ようなことがなく、自由で率直な心のままで、人と接し、交流できるってことは、すごく幸せなことだと思います。 さて、人と話していて「会話が途切れる」、その「途切れる」ってことが、心理的な負担になったような体験って、あります? そういう場面では、「どうしたらいいか?」みたいなことが気になって、自由で率直な心が失われていると思います。 さて、前回の続きですが、各自が「決められた動き」をしなければ、成り立たない踊りっていうのがあります。 その場合、「自分の動き」を、自分勝手にはできないんですけど、だからこそ、「決められた動き」をすればいいんであって、「会話が途切れ…

  • 自分が規制されても楽しい話

    前回に続いて、ダンスの話、続けます。番組では、そのダンス集団を主催するアオキ裕キさんという方のお話が放送されました。 「集団で踊る」踊りって、「そろえる動き」ということが大切なんですけど、そのことに関して、ちょっと触れられていました。 さて、次は、私の個人的感想ですけど、踊りには、「他の人とキッチリ合わせなければならない」踊り・・・ってのがありまして、そことについてです。 一応、そういう踊りの動画を一つ、紹介します。https://www.youtube.com/watch?v=E5gydg84I4E 上記アドレスの踊りって、各自が「決められた動き」をしなければ、成り立たない踊りの一つなんです…

  • 「自分でいられる」幸せ

    前回の続きですが、「昔は縛られていた。 自分の意志が無かった。」・・・という男性、私が思いますに、その人は、「意志が無かった」のではなく、「自分の意思を表明」すると、不利益な情況に陥るので、しかたなく「ガマンして」、自分を抑えていたのではないかと想像しました。 そして、だからこそ彼は、「縛られていた」と言ったのかなあ・・・って。 そうですねえ、たとえば会社勤めとかで、社命や上司の指図に従うことを求められたら、退職覚悟でなきゃ、「自分の思いに従って」、言いつけに逆らうなんてこと、できないかもね? ああ、でも、もっと悲惨なのは子どもで、親が「絶対者」として君臨するような家庭では、「自分を殺して親に…

  • 「自分自身を生きる」のが幸福

    私はダンスが好きですから、「“ダンス” ヒトはなぜ踊るのか」という題名につられて、テレビ番組を見てしまいました。 ある男性の言葉が印象的でした。「昔は縛られていた。 自分の意志が無かった。 仕事とかもそうですし、 生き方もそうですし。」 あれェ、その人って不幸だったなあと、私は思いました。 なぜなら、「自分自身を生きる」ってことでなければ、幸福はありえないからです。 それで、この続きは、次回に書きたいと思います。

  • 大好きさん

    「大好きさん」という名称の納豆を見つけましたから、 買ってきて食べてみました。 表示を見ますと、「水戸の納豆」と書いてあり、茨城県の「オーサト」という会社でつくってるみたいです。 あの、「大好きさん」というネーミングがいいと思いました。誰かのことが「大好き」って、すごく幸せなことだと思います。 そして、身近なところに「大好きさん」がいっぱいいるなんて情況でしたら、喜ばしい日々ですね。 私なんかは、家族が「大好きさん」ですから、ありがたい環境です。感謝。

  • 仲良くできる幸せ

    「仲良く」って、やっぱり、 すごく幸せなことだと思います。 今、時期的に、 進学したり就職したり、 会社だったら部署の配置転換とかで、 状況が変わることになる人も多いでしょうし、 そうなると、 競争の勝ち負けなんてことで心を煩わせる人も多くなるかな? そういうことが原因で、 人と仲良くする気分が吹っ飛んじゃうとすれば、 まあ、不幸なことだと思うことです。

  • 自分自身に対する接し方

    前回、「相手を攻撃しない」ってことを書きまして、全くそれが大切だと思うんですけど、だったら・・・、「自分自身を攻撃しない」ってことは、もっと重要なことなんだと思いました。 そして、「自分自身に」に対して柔らかな気持ちを持つことができたら、すごくいいなあと思いましたけど、でも、自分自身にそんなふうに接するって、実は、あたりまえのことだと思ったことでした。

  • やわらかい人

    「やわらかい」って、「剣」と正反対のイメージだと思います。 つまり、相手がやわらかければ、その相手は、「自分を攻撃してこない」というイメージだし、自分がやわらかければ、「相手を攻撃しない」ってことなんですよね。 ・ ・ ・ そういうことが、人間関係ではとっても大切で、やわらかい人には安心感が持てるから、やわらかい人に対しては、自分を開放することができるし、その人と、親密になっていくこともできると思うんです。

  • やわらかい

    「やわらかい」ってことは、ものすごく、また、第一番に大切なことだし、幸福の源だし、人間関係に必須だと思いますので、詳しくは、明日から書いていきたいです。

  • 不幸の原因

    自分自身に対する否定的な思いって、 自分を不幸にする根本原因の一つだと思いました。 「人間関係の喜び」という題で書いてますが、 一番大切なのは、 「自分自身」との「良い人間関係」だと、 今日は、心の底から思ったことでした。

  • ほんとうの幸せ

    前回同様、「シチリア・空と石の祝祭」を見た感想です。 スペルリンガという町でバールを経営する、32歳の人ですが、彼は、他にやりたい仕事があったんだけど、産まれ育ったスペルリンガではできないし、「とにかく、 この村を出たくはなかったんだ。」というわけで、バールを開店したそうです。 「静かで良い所だし、 友達や親戚といっしょに居たかった」と、スペルリンガを離れなかった理由を語っていました。 その彼、「宝物」として、財布に入れて持ち歩いている「妻の写真」を、テレビカメラに見せてくれました。 ああ、ここにも、ほんとうの幸せがあると私は思いまして、今日の記事として書かせていただきました。 この土地で暮ら…

  • 幸せの実例

    テレビの再放送番組、「シチリア・空と石の祝祭」を見て、その感想を書いてきましたけど、今日は、スペルリンガという小さな町の、老夫婦の話です。 年老いた女性なんですけど、彼女は昔、好きな男性との結婚を、父親に反対されたそうです。 それで、ある日、彼と駆け落ちしたって言ってましたけど、私は「駆け落ち」って言葉、今日、初めて使います。なんか、昔の言葉だし、私には全く実感のない言葉なので、でも、テレビのナレーションがそういってましたから、使うしかない言葉です。 さて、その後、父が許してくれたので、彼女は結婚したんですが、年老いた今、彼女は言います。「結婚した日から、 私の第二の人生が始まった。 その日か…

  • 自分を肯定できる幸せ

    昨日の続きを書きます。路線バスの運転手をしている彼は、続けて質問されます。「自分を、 どういう人間だと思う?」 彼は、さわやかな笑顔で答えます。「良い青年」 ・ ・ ・ と。 もう、その答えが最高ですね。彼は幸せだし、彼と結婚する女性も、とても幸せだと思います。 あの、私としては、「良い青年」と自認している、彼の答え以上にすばらしい返答を知りません。めでたい限りです。そうでなくっちゃあ!

  • 温和でいられる幸せ

    テレビの再放送番組、「シチリア・空と石の祝祭」を、偶然、途中から見ました。 スペルリンガという町があって、人口約700人と言いますから、ずいぶん小さな町です。 そこに住む女性が、結婚することになったんですけど、夫になる人というのは、彼女が毎日、通勤で乗っている路線バスの運転手で、彼はテレビのインタビューを受けます。 「結婚生活で一番大事にしたいものは?」と問われて、彼の答えは、「自分が、静かで、温和でいられること。」・ ・ ・ って答えるんです。 いいですねえ、すばらしいです。感動しましたから、今日の記事にします。

  • 一番楽しめるのは

    葡萄が採れなかったので、悔しい思いをしちゃったけど、じゃあ、次にどうするかって想像を、前回は書きましたけど、葡萄のことに限らずですね、人生にはいろいろ、やってみたり、工夫してみたり、楽しくできることがいっぱいあるだろうと、私は思います。 でも、究極的には自分自身が全面的に肯定できて、だからこそ、同様に、相手(他の人)のことも肯定できて、いっしょに仲良く楽しく行動していけるの、それがとっても嬉しいことだし、幸せなことじゃないかと思う私です。

  • 人生を楽しくする

    前回、酸っぱい葡萄の話に触れましたので、今日はその続きです。 葡萄が採れなかったので、あの葡萄は「酸っぱいんだ」って、自分にウソをついて心を静めるだけでは、おもしろくありませんので、たとえば、葡萄を採る工夫をしてみる、さらには、栽培を試みるとか、また、おいしく料理することを考えるなど、最初は葡萄が採れなくて悔しい思いをしても、その後、人生を楽しくしていく道というのは、いろいろあるだろうと思うんですね。 でも、一番人生を楽しめる道を歩むの、それはとっても喜びだと思いますし、じゃあ、何をすればいいのかってこと、次回に書ければと思います。

  • 苦しい場面での対処法

    他の人とか社会から圧迫を受け、「したくない」のにしなくちゃいけないとか、「したい」のにできないっていうようなことは、いっぱいあると思うんですけど、そんなふうに「意に反して行う」ってことも、「自分を押し殺して」がまんして耐えることも、嫌だし、苦しいし、ひどい気分になりますね、他の人はどうかわかりませんが、私はそうです。 でも、そういうふうに、現実の情況が「変えられない」場合、さあ、どうしましょう? イソップ寓話に 酸っぱい葡萄の話がありますけど、どういうふうに人生に対処するかという点で、 いろんなことを考えさせられる、 きっかけを与えてくれる物語だと思います。 さて、話を戻しますけど、「したくな…

  • 重荷を背負う人

    今日はほんとに不思議な日です。 朝から必死で「探し物」をしまして、 まあ、「出てきた」からいいんですけど、 「すぐそこにあった」のに、 気づかなかったんですよね。 その後、ブログを書いて投稿したんですけど、 どうしてなのか理由はわかりませんが、 その投稿が、 私のブログから「消えてしまった」んです。 それで、もう一度投稿しますが、 同じ文章が復元できませんので、 また、書き改めました。 さて、今日のコラージュは、 「重荷を負っている」姿です。 でも、自分が重荷を負っているということに、 全く「気づいてない」人も多いかと思います。 そして、重荷のために心が苦しみ、痛めつけられ、 生きるエネルギー…

  • 罪悪感は不必要

    前回の続きを書きますけど、「相手の幸せを願えない」としても、気に病むことなんかないし、ましてや、罪悪感なんて持つ必要は全くありませんよね。 ・ ・ ・ っていうか、相手の幸せを願えないのもまた、自分のほんとの姿なんだってことで、自分自身を全面肯定することですね。 そして、「相手の幸せを願えない」理由ですけど、それは、自分が「悪いから」じゃなくて、相手の幸せを願うことができるほどの、「心の余裕がない」からだと思いまして、この話、続きはまた次回に ・ ・ ・

  • 相手の幸せを願う

    テレビで、映画「男はつらいよ」の中から、「翔んでる寅次郎」を見ました。 結婚式のシーンなんですけど、司会が、「今日の主役である新郎新婦から挨拶していただきます。まず、ひとみさんからどうぞ。」と言います。 それで、新婦のひとみさんが言います。「私は今、邦男さんの幸せについて考えています。この前の結婚式の時は、もう、自分のことしか考えてなかったんです。 つまり、何て言うかな、あの、人のことを一生懸命考えるっていうか、相手の幸せをほんとうに心から願うっていうか、そういう態度が、私には、一番欠けてたのね。」 そして、続けて言います。 「そのことを教えてくれたのは、ここにいる寅さんです。」 ・ ・ ・ …

  • 自分に対して全面肯定

    相手の人が喜ばしい状況にいるのを見て、 自分もうれしいって思えるためには、 まず、 自分自身が幸福で満ち足りていないと、 そんな気持ちには、 なれないかなあと思います。 そしたらやっぱり、「今の自分」が、 「いいなあ」って思えることが、 まず、大切だと思います。 そしてまた、 どんな自分も全面肯定できるってことが、 幸せの基本だと思いますけど、 それが「できる」人と「できない」人がいるってのも、 世の中の現実かなあ。

  • 相手の人が喜ばしくいられる

    事情により、昨日まで、 新しく記事を書かないでいた期間が長かったです。 それで、今日、また再開しますが、 明日も、明後日もと、続けて書けるかどうかは分かりません。 でも、今日は、一応書いてみますけど、 「相手の人が喜ばしくいられる」と、 自分もうれしい ・ ・ ・ っていう気持ちのことです。 あの、そういう気持ちになれるって、 幸せなことだなあと思いまして、 まあ、ただそれだけのことなんですけどね。 今日の添付写真ですが、 以前、このブログに掲載するために撮ったのを、 ずっと保存してたものでして、 このブログ記事の更新を中断したのは、 アジサイが咲きかける頃だったんだなあって分かりました。

  • 安心していられる幸福

    「安心していられる」って、 すごく幸福なことですね。 「安心」といっても、 いろんな状況での安心がありますけど、 特に、「安心できる人間関係」って、 すばらしいです。

  • 私の幸福感

    前回の続きを書きますけど、ヒロインの音は、喜びのあまり、「キャ~」っと言って畳に突っ伏した後、半分起き上がり、裕一に言います。「なあに、アナタ!」 それで、あんまりうれしくて、彼女、もう一回、畳に倒れこみます。 裕一も、「あなた」と言われて喜悦絶頂!音といっしょに畳に突っ伏します。 いやあ、良かったです、良かったです、久しぶりに歓喜のシーンを見まして、とっても幸せでした ・ ・ ・ いいですねえ、いいですねえ、新婚生活の始まり、大好きな人といっしょに暮らしていける、そして、初めて「あなた」って呼んでみた。それ、喜びで気分最高ですよね。 音は裕一にねだるんです。「もう一回!」 音の、そして二人の…

  • 感動シーン

    連続テレビ小説「エール」31回で、音が、「ねえ裕一さん。」って話しかけます。 音: 「これから何て呼べばいい?」裕一: 「いやぁ、う~ん、僕は、 何でもいいけど。」音: 「私のことは、音でいいよ。 呼んでみて!」裕一: 「えっ? 今!」音: 「早く。」裕一: 「お、・・・音。」 とたんに、音は、「キャ~」っと喜んで、畳に突っ伏してしまいます。 そのシーン、すごくよかったし、忘れられません。その脚本と演出、誰によるもの?・・・って思いましたし、もう、感動です。 続きを次回に書きます。

  • 主体性が持てない人

    前回は「主体性が大切」ってことを書きましたが、「主体的に行動しない人」って、いるんですよね。なぜでしょう? 理由の一つとして考えられることは、「自信がない」ってことかな? ・・・というより、周囲の人々によって、「自信が持てない人間」に「されてしまった」のかもしれません。 あの、誰かを「支配しよう」と画策する人間は、相手を意のままに操る方策として、相手に「自信を持たせない」ようにするんですよね。 それ、人間関係としては最悪ですけど、続きはまた、次回以降に書きたいと思います。 まあ、とにかく、「相手を大切にしない」って、すごくよくないことですし、そういう態度の人って、その人自身が不幸なんですよね。…

  • 主体性の大切さ

    コロナウイルスの件で、このブログ、いっぱいお休みしてしまいましたが、前回に続けて、神崎良子ちゃんのことを書きます。 良子ちゃんは、学芸会で主役のかぐや姫に選ばれたんですけど、良子ちゃんは稽古の場で具合が悪くなり、医務室に行ってしまいます。 旧友のたえちゃんが言います。「緊張だに。主役だもん。」 音は、主役だったらうれしいんだろうって、たえちゃんに言います。 するとたえちゃんは言います。「音ちゃんみたいな人ばっかじゃないよ。 良子ちゃんのお母さん、 めちゃくちゃ、おっかないから。」 ああ、それじゃあ、私だって、具合が悪くなると思いました。 そして、良子ちゃんは医務室のベッドで、母の言葉を思い出し…

  • 愛されて受け入れられる

    ありのままの、「こういう自分」が、もう、そのままで愛され、受け入れてもらえるっていうのが、私はとってもうれしいし、喜びだし、幸せですね。 大人の私だってそうなのですから、子どもだったら、もっとかなあ ・ ・ ・ と思います。 そう思ったのは、NНK連続テレビ小説「エール」の第8回を見た時なんですけど、神崎良子ちゃんが登場します。 彼女は、まだ大正時代だというのに、一人だけ洋服で学校に行ってるのですから、どういう家庭の子か、推し量られます。また、彼女の母親も洋装ですし、映し出された彼女の家の部屋は、洋間なんですよね。 彼女の家が裕福であることは、そのことからもわかりますけど、家庭というものは、楽…

  • 新型コロナウイルス不安

    今、新型コロナウイルスの感染が急拡大し、人々の心が不安になっている現状ですから、テレビ番組、ダークサイドミステリー「魔女狩りの恐怖 なぜ人は、隣人を追いつめたのか?」という番組を見た感想を、ちょっと書きます。 あの、社会に不安が増大すると、「魔女狩り」に類することが起こってくるし、人々の心に、魔女狩りを起こすような心情が芽生えるってこと、コロナウイルス関連のニュースと見ていて、思うことがある私です。 それで、必要なことは、今目の前にいる相手の人に、優しい心や温かい心で接するっていうことだと、私は思います。 あの、昔の魔女狩りのことをテレビを見ましても、魔女狩りをする人間の心には、相手に対する優…

  • 先が見えない苦しみ

    新型コロナウイルスの感染が激増傾向の今、これから先のことが「見えない」し、悲観的観測しかできない情況ですから、心理的には苦しいし、希望が持てないし、気分的にすごく悪い状態にあると思います。 前回書きましたコロナ離婚とかⅮⅤ、そして、児童虐待なんていうのは、元々、家族関係にですね、よくない人間関係があったのが、コロナストレスの増大によって、一挙に顕在化したのかなあと思います。 でも、感染拡大を防ごうとする現状では、地獄のような人間関係から逃れようとしても、家族全員、家にこもらざるを得ないってことも、あるでしょうねえ。 そうしますと、家庭が、ますます地獄化することもあろうかと思いますが、現状では、…

  • コロナ離婚やⅮⅤのこと

    家庭内の人間関係ですけど、前回は「あなたといっしょにいることがうれしい」ってことを書きました。 ところが、実際のところ、日本全国の家庭、また、世界中の家庭ですけど、どの家庭も「あなたといっしょにいることがうれしい」・ ・ ・ って気持の家族ばっかりかと言えば、たぶん、そんなことは無いでしょうね。 家庭によっては、「極度の嫌悪」を必死に耐えてガマンしながら、形だけの家族関係を維持してるって事例も、少なくないと思うんです。 そして、そういう家庭では、今、新型コロナウイルスの感染防止のため、「家に留まる」ように言われている現状ですから、「家族がいっしょにいる時間が長くなる」ことで、ストレスもまた、一…

  • 満足と喜びは人間関係から

    人といっしょに楽しく過ごすって、とても喜びだし、幸福なことだと思います。 そして、そのような情況で生きてますと、「こういう自分」であることが、うれしく感じられると思うんです。 また、それは、心に満足感があるってことで、すばらしいことですけど、そういうのは全部、「良い人間関係」から生じるものだと思います。 あの、人との関係が良好ですと、自分がこのように在ることに対して、周囲の人々に自分が認められていて、喜ばれてることだって感じられますからね、自分が「このようであること」に意義があるし、良いことなんだって、「自分自身を承認」できるんだと思います。 また、「あなたといっしょにいることがうれしい」とか…

  • 安心と喜びの人間関係

    「万引き家族」の映画から、熱アイロンを押し付けられた子の話と、「4番さん」という客の話を書きましたが、両者には共通点があって、それは、「他の人との温かい交流」が持てなかったということだと、私は思うんです。 さて、心が満たされるような「他人との交流」ということを考えますと、私は、身体接触って、とても重要なことだと考えます。 たとえば子どもは「だっこ」をせがみますけど、それは、大好きな人との身体接触の欲求があるからだと想像します。 そして、身体接触がありますと、その人から自分が受け入れられてるってことがはっきりわかるし、だから、その人と「つながっている」ことが体感的に感じられて、だから、心に安心感…

  • 万引き家族の「4番さん」

    映画「万引き家族」から、今日は「4番さん」と呼ばれる客の話です。 どういう店の客なのかわからないんですけど、映像を見る限りでは、「4番さん」の彼、現実生活では人とのコミュニケーションが「無い」んじゃないかと推察されました。 でも、彼、人とのつながり、特に女性、いやいや、女性という表現は正確じゃなくって、それよりも、「彼の気持ちを分かってくれる母親的な存在」・ ・ ・ とでも言ったらいいか、そういう存在に対する渇望があって、でも、実情では全く満たされてなくて、だから、女性と一対一になれる店にいくのかなあ? まあ、それは私の勝手な想像ですけど、映画のシーンでは、彼、最後に、背中に手をまわして抱いて…

  • 熱アイロン虐待

    「万引き家族」という映画、テレビで放送されましたから見ましたけど、私の感性や趣味には合わないので、途中で見るのをやめてしまいました。 ところで、途中までのストーリーですけど、家庭で虐待されてた幼い女の子を、「連れてきて」いっしょに住むんですね。それ、見方によっては「誘拐」でしょうか? その女の子は、いっしょに風呂に入れてもらうんですけど、そのシーンで、アイロンを押し当てられたやけどの痕を見てもらえるんですね。 その「見てもらえた」ってことが、非常に良かったと、私は思いました。 さて、密室でのできごとは外部に漏れませんけど、それと同じように、子どもが家庭内で虐待されてる場合、その女の子はたった一…

  • 自分が「満たされる」こと

    喜びがあるっていう状態は、すごくいいです、心地良いです、うれしいです。 それで、相手の人といっしょに喜びがあるなら、もっとうれしいです。 そして、「喜び」ってことをとおして人と関わることができるなら、私はそういうのが一番幸せだと思います。 そういう状態にある時っていうのは、自分自身に対して肯定的な心理状況ですね。 そして、相手に対しても肯定的ですよね。 そしたら、人と人との関りが、親密になると思います。 私は、そういう状態そのものに価値があると思いますし、心が求めてますね、その状態を。 そういうのって、「人に対する信頼」なんですけど、「他の人を信頼できる」ことによって、自分自身に対する満足感が…

  • 守ってもらえるのか?

    新型コロナウイルスに関して、緊急事態宣言を出すべきかどうかという問題、それに関して私は、「信頼」ということを考えました。 緊急事態宣言が出されれば、いろんな「制限」が課されますから、さまざまな「不利益」を被る人も、多々、出てくるでしょう。 それで、(1)たとえ不利益を被る人が出ようとも、種々の規制を行って感染爆発を防ぐべきか、(2)感染爆発で大被害を出そうとも、個人の利益が損なわれる規制は行わないか、選択が迫られる事態になってると思いますね。 さて、人は、「ガマンさせられる」ようなことって、いっぱいあるんですよね。 でも、ガマンできるってことがありまして、それは、一時的にガマンさせられたり多少…

  • 幸福な「努力」

    前回書いたことに関して、じゃあ、「私はどうするか」ってこと、それが大切だと思いました。 それで、まず考えたことは、自分には、「相手の人に対する感謝や思いやり」が必要だってことで、それを実践するのがいいんですよね。 そして、その実践は、楽しくて幸福でなければならないと思いました。 そのことに関してですが、「楽しくて幸福な努力」っていうことが重要であって、その反対にですね、本心では嫌なのに、「自分の心に反して無理に行う」ってことになりますと、弊害のほうが大きくなりますから、社会的には「良いこと」とされることでも、自分の気持ちに合わないことは「するべきではない」というのが私の考えです。 それで、自分…

  • 思いやりの必要性

    関わっているいろんな活動や行事が中止、中止で、私は精神的に新型コロナウイルス疲れとなり、数日間、ブログの更新ができませんでした。 いろんな損害、損失も発生してますけど、でも、そうしたことなどは無視され、ないがしろにされてるってことは、まあ、しかたないことなんですけど、でも、心の面では「おもしろくない」んですね、やはり。 それで、人にとって、相手に対するいたわりとか、思いやりって、ほんとに必要な気持ちだと思いました。 あの、損害や損失について怒ってるわけではないんです。そうではなく、誰かが損害や損失を被っても、「そんなの、オラ、知らね」みたいな、無関係、無関心な態度で他人を見る人間って、いますけ…

  • 善意の無視は不幸な社会

    新型コロナウイルス感染拡大防止策に関して、レジャー産業、観光産業などや催し物に対しては、「自粛」要請があるようですけど、「自粛」というところに問題があるかなあ? ・ ・ ・ と、私は思います。 あの「自粛」ですからね、自粛によって経済的損失を出しても、それは、「自粛した」側の責任であって、「自粛を要請した側」は責任を負わないってことなんですよね、なにしろ、「自粛した」のは、その「自粛した」人の判断だってことですから。 ですから、「自粛要請」した側は、何の責任も負わないし、自粛した人に損害が発生しても、補償なんか、するはずもないですよね。 それで私は、「ずるいやり方だなあ」と思いました。 私はか…

  • 優しかったり悪魔だったり

    新型コロナウイルスの感染が毎日毎日拡大し続けてますけど、北朝鮮で感染爆発が起こったらおもしろいとか、ブラックアフリカでみんな死滅するほど感染しないかなあなんて、言ってる人がいますけど、世の中には、「俺はコロナだ!」と人に迫ったっていうようなニュースも、何件かありましたね。 それで、ウイルスとは関係ありませんが、自分の家族を虐待する人だって、世間には、たくさんいまして、要するに、新型コロナウイルスみたいに、「他人に害をなす人間」っていうのは、広い世界にはいっぱいいるし、被害者の立場から言えば、目に見えないウイルスからはもちろん、いっしょに生活する家族からでさえひどいめにあわされてる人も多くて、そ…

  • 凶悪な人間の問題

    相手が「喜べるように」「私が」行動するってことは、すごく「相手のことを思う」ことであって、自分が相手に無償奉仕することでもありますから、そんなふうにできるためには、私が、「相手を信頼できる」って気持がなければ、できないと思うわけでして、ですから、相手が私から「奪おう」とする人間だとか、私を「攻撃する」ような凶悪な人物だったら、相手に喜んでもらおうなんて気持ちにはなれませんよね、初めっから。 まあ、でも、例外もありまして、私の体験ですけど、とっても大好きな人がいて、私はその人のためなら、いっしょうけんめい尽くそうと思ったことがあり、たとえ、その人が私にひどいことをしようと、そんなこととは全く無関…

  • 自分自身が発揮できる

    他の人が「喜べるように」「自分が」行動できるってことは、自分にとって幸福なことですし、とても喜びなんですよね。 でも、それは、「自分が恵まれた条件に居られる」からこそ、初めて実現できることだと思う私でして、じゃあ、その条件とは? その条件は、誰にも遠慮せずに「自分自身が発揮できる」という環境に居られるってことなんですね。 あの、そのことについて、次回に説明します。

  • 与えることができる幸福

    おっぱいも抱っこも愛情も、その他、何であれ、赤ちゃんが必要なものはみんなあげて、でも、それが嬉しくて、幸福で、だから、お母さんにこそ喜びがあって、もちろん、赤ちゃんは「満たされて」、あの、それ、単に一つの例をあげただけでして、要するに、言いたかったことは、他の人の喜びのために「自分ができること」、その、自分ができることをするってことが、それは、「他の人のために」してるんですけどね、でもそれが、結局は、自分の喜びであるっていうの、そういう状況が一番幸福なんだって、私は思います。 それで、最初は誰でも赤ちゃんで、赤ちゃんの時は自分が必要なことを、何から何まで全部、他の人に「してもらって」、でも、自…

  • 与えられるという恩恵

    赤ちゃんは、普通、ママのことが大好きなんですよね。なぜかって言ったら、たぶん、「必要なもの」を全部、「与えてくれる人」だからじゃないのかなあと思いました。 そして、人は、「必要なものが与えられる」っていうことが、生きていく上で絶対に必要だと、私は思います。 ロビンソン・クルーソーの物語では、たった一人、孤島で生きてた時期もありますけど、それでも、食料が「採取できた」という点で、自然環境の恵みによって「与えらた」と思います。 それで次回は、「与えられる」立場から、「与える」立場への転換ということを、書きたいと思います。

  • 欲求を叶えたい

    前回、人に対する好意や愛情が大切だって書いたんですけど、実は実は、私自身が、他の人々から好意や愛情を受けたいんですね。 自分が欲しいものですから、たぶん、他の人もそうだろうと想像するわけで、あの、おいしい飲み物や食べ物って、私は「求めます」ね、やっぱり。 それで、昔から、人に対するおもてなしの重要な一つに、飲食の提供があるんだろうなあと思います。 次に、精神的な面ではですね、私は、他の人々から「私という存在」を「受け入れてもらいたい」し、私のことを好きになってもらいたいです。 この続きはですね、次回に書くことにしまして、今日のところは、「私には欲求がある」し、私の欲求を「満たしてくれる人」を、…

  • お・も・て・な・し

    滝川クリステルのファンではありませんが、彼女の言葉「お・も・て・な・し」を表題にしました。 「もてなす」といえば、天皇陛下の「即位の礼」内閣総理大臣夫妻主催晩餐会の料理について、テレビ番組を見ましたけど、「飲食」は、人をもてなすのに重要な手段だと思います。 前回のブログでは、自分の子を産んでくれた女性にも、自分の子にも十分な栄養をとらせず、死にそうなめにあわせる男の話、ちょっと書きましたけど、仏教では「供養」の一つに、飲み物、食べ物を供えるってことがありますね。 ところで、「帝国ホテル流 おもてなしの心 客室係50年」という本を読んだことはないんですけど、著者の小池幸子さんが、「客室係の流儀と…

  • 心温かくいられる

    3月9日に記事を書いて以来、投稿できないでいたんですけど、それは、4月に借りる予定だった施設関係が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「お休み」になっちゃいまして、打ち合わせもできず、予定もたたず、その対応を考えることなどで、ブログ書くどころではなかったのです。 それで、このブログで予告していた話題は 「お流れ」とし、餓死寸前なのに「瞳だけは動いていた」赤ちゃんに関して、その後、母親がどう扱われたかについて書きます。 その赤ちゃんの父親は、赤ちゃんの母(結婚してないので妻ではありません)に対して、こう言ったそうです。 「子どもに乳もやれないなら、 ご飯を食べなくていい」と ・ ・ ・ そし…

  • 発信しても無視される

    自分の思いを表現しても「無視される」 ・ ・ ・ どころか、自分の思いを「表現する」ことさえ「厳禁される」っていう人間関係がある・・・ってことを知りまして、ちょっと、心理的に、ブログが書けないでいる私です。 表題を「発信しても無視される」ってしましたけど、それって、絶対の孤独であって、孤立無援でこの世にいさせられるってことじゃないの? 「ものすごいことだなあ」と思いました。 心理的に続きが書けないので、また次回に。

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