数少ない楽しみにしていた番組なのに😢。 金曜日の夜7:30からテレビ大阪で放映されていた “ヤギと大吾”がレギュラー番組から不定期となりました。 大吾さんがポポ(ヤギの名前)相手に呟いて、そのボヤキが面白くて笑わせて
京都が大好きで40年前に京都に移住。今でも京都が大好きで、大好きな京都のことを綴ります。京都検定2級を持っています。
空海さんにインドから招かれ、日照り続きだった日本中に三日三晩雨を降らせた善女大龍王さんを参拝後は、増運辨才天堂に4人の孫たちの無事を祈り、 いよいよ国宝の御影堂(みえいどう)へ。 御影堂は前堂・中門・後堂(うしろどう)からなり、 前堂には運
1億5千万円をかけたトイレの南隣”増運辨財天”と書かれた石碑横の門をくぐると、 辨才天堂があり、その後ろにひっそりと祀られています(紫の幕が張られている)。 また、北大門近くには常に閉じられ門があり、傍には̶
まずは自転車がここにしか置けず遠回りして、大宮通に面した駐車場入り口近くに停めます。 (写真奥が大宮通) 次に2019年完成した1億5千万円と云われるトイレへ。 東寺さんのトイレは上賀茂神社のトイレとともにとても綺麗です! まるで御堂のよう
いくら老夫婦のみの世帯といってもそれなりに食費はかかります。まして、この物価高。 という訳で運動も兼ね自転車を押しながら往復8,000歩ある桂川街道の市場まで”てくてく”歩いての買い物。 入り口からすでに誘惑品。 糖
所用で田舎(南区)から町に出てきました。 桜はすでに散り始めてましたが。 白川では婚礼衣装のカップルの写真撮影が見受けられました。 人混みを避けながら白川界隈をぶらり。 深さ10数センチほどでしょうか。 あくまでも透明な流れの白川(川の流れ
まさか、まさかの快進撃! 朝、起き、 「甲子園に行こう!」と決め9:00前に我が家を出発。 阪急四条大宮から途中3回乗り換えて今津まで(480円)。 今津から20分歩いて甲子園球場へ(ずっと前に伝説の掛布・バース・岡田の3連続ホームランの試
今日(10/18)、東寺にギンナン拾いに行ってきました。 というのも夜中にギンナンを拾う夢を見たからです。 去年、少しばかり落ちていたギンナンを食べたら美味しかったので、 イチョウの木を見上げてはいつ落ちるかと頃合いを見計らっていました。
この半年なんとか乗り越えられたお礼に東寺さんへ。 ばあばの参拝は、 まず観智院南側にある橋を渡り、 弁財天堂横の狭い通路を通り、 善女大龍王さまに、 残り半年の家内安全をお祈りする事から始まります。 御影堂に参拝する前に、 不二桜の現在の姿
若一神社から北へ5分ほどで西大路七条交差点に到着、京都信用金庫西大路支店を右へ折れてすぐ。 「七条えんま堂」があります。 ちっちゃな御堂ですが、 中身はぎっしり。 北向お不動さんと十王さんが 座っておられます。 亡くなった後、生きとし生ける
JR京都駅から一つ目の西大路駅北口下車すぐ 若一神社を目指します。 西大路八条あたりはその昔、 平清盛公の別邸があったとされます ばあばは会ったことがありませんが、ご神体の大楠付近には座敷わらしが住んでいるとも。 社伝によれば1166年に平
神護寺から高尾観光ホテル横を通り清滝までの約3kmの 渓谷は「錦雲渓」と呼ばれ東海道自然歩道の一部となっています。 清滝川沿いをひたすら歩くこと1時間余り…。 清滝と命名されてるからはさぞかし驚くような滝が待ってると期待していたのですがそん
残すは神護寺のみ。 清滝川に架かる高尾橋から登ること350段! こんなに石段があったかな?と思うくらいの曲がりくねった石段に 閉口😱。 おまけに山門も修理中で がっかり。 でも山門前には広々とした参道と青もみじが 広がっていました。 可愛い
高山寺から徒歩15分程で指月橋を渡り 槇尾山西明寺(さいみょうじ)に到着。 空海の弟子・智泉(ちせん)が神護寺の別院として開創。 本堂は江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進と伝わります。 本堂内の愛染明王に圧倒されました(愛染さんを
青もみじを見に高尾へ。 京都駅北口改札口を出てすぐ。 JR高尾行きバスに乗車、1時間乗りましたが230円の運賃ですみました😚。 終着所から徒歩5分の裏参道から、 ちと高い800円を払い国宝・石水院へ。 寺伝では開創は774年。 1206年に
どこにあるんだろう? NHKで放映してた京都駅構内の駅ピアノ。 姉が京都に来た時に下見しておいたのですが、今回は旦那さんを案内! 原広司氏設計の京都駅は1997(平成9年)に竣工されました。 まずは京都駅北改札口を入り左手のエスカレーターで
残すは岸和田だんじり会館のみ。 会館は岸和田城近くにありました。 江戸中期に始まっただんじり祭り…。 一説には1703年に岸和田藩主・岡部長泰が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請。 五穀豊穣(米、麦、豆、粟、ひえなど)を祈願して行った祭りを起源
岸和田城の次は、きしわだ自然資料館へ。 その道中の岸和田市役所前の 電話ボックスに注目! さて、自然資料館では…。 以下、興味深い展示を数点紹介します。 約60万年前に岸和田にも体長5mほどのワニが、 住んでいたとの事😳。 町中のツバメの巣
岸和田といえば…だんじり! という訳でお得な三館共通券を700円でゲット。 ※10:00からの会館 まずは岸和田城から。 二の丸櫓は、 公衆トイレになっていました。 岸和田城…伝承では楠木正成の一族・和田高家が築いたとされます。 石垣は当時
旦那さんが行きたかった関西空港に一番近い温泉・犬鳴山温泉へ。 犬鳴山渓谷には、 あちらこちらに、 神さまや仏さまが鎮座。 ばあばが東寺でいつもお参りする善女龍王さんまで迎えてくれました。 ボケよけ不動尊! 渓谷にはいくつかの滝が散在。 途中
所要で泉佐野へ。 岸和田でアパホテルデビュー。 ボリュームたっぷりの朝食。 と、 本が置いてありました。 ここはやや古いか? 普通のビジネスホテルでした(普通はどんなんかは知らんけど笑)。
柳谷観音さんの霊水は、平安時代はじめ楊谷寺(ようこくじ)を訪れた弘法大師が目を患った小猿の目を親ザルが洗っていたのを目にし、後日、その小猿の目が開くのを見て、 法具の独孤(とっこ、どっこ)で水場を広げた伝承があります。 また、112代霊元天
一度は訪れたかった場所のひとつ。 眼病に霊験あらたかな観音さまが鎮座する楊谷寺(ようこくじ)。 石段を上って、 まずは観音さまにお参りです。 806年、清水寺を開いた延鎮さんが夢のお告げでこの西山に入り、柳が生い茂る渓谷の岩山に十一面観音千
4月中旬に旦那さん運転の車で長岡京市にある、 西山浄土宗総本山「光明寺」に参拝してきました。 総門から、 続く緩やかな坂道は”女人坂”とも呼ばれ、 紅葉の名所として有名ですが、今は、 青もみじが眼に飛び込んできました
東大への道中、 水道資料館(無料)に寄りました。 100万人都市と言われた江戸時代。 トイレはいたってシンプル。 糞尿は畑の肥やしとして売られていました。 上水道が整備され、 共同の井戸から汲まれ、 各家庭の瓶や桶に溜めて使われました。 漏
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数少ない楽しみにしていた番組なのに😢。 金曜日の夜7:30からテレビ大阪で放映されていた “ヤギと大吾”がレギュラー番組から不定期となりました。 大吾さんがポポ(ヤギの名前)相手に呟いて、そのボヤキが面白くて笑わせて
ばぁばが住む南区は京都市内のハズレで雅な古都にほど遠いのですが、菅原道真さんとゆかりのある吉祥院天満宮ははずせません。 何故かキティちゃんお守りが豊富です。 この地は菅原道真(845~903 59才)の 祖父・清公、父・是善 の邸宅跡にあた
朝から冷たい雨が降っているので今日の外出はなし…。 以下は3/4にABCテレビで放映された、 “Qさま!!春行きたい平安時代のお宝が残る京都の名所ベスト10″から 一部抜載しました(注・興味があるだけ😆)。 【その1
去年、腰椎骨折で入院してから暇つぶしにクロスワードパズルにせっせと応募しています(ひと月2冊)…がいまだに当選なし😞 特に表紙が可愛いコスミック出版のクロスワードがお気に入りです。 問22の問題で、 “〇〇〇にしていた物が壊れる
バス停”羅生門(らじょうもん)”歩いてすぐ、 狭い公園の中に石碑が建っていました。 羅城門は平安京のメインストリート・朱雀大路の南端に設けられました。 816年 大風で倒壊。再建されますが、 980年 暴風雨で倒壊後
今回は建勲神社北参道から登りました 標高112m弱。 歩くこと8分ほどで、 山頂に到着。 風水では大地の気がほとばしる玄武の小山とされ、平安京造設時には基準となり、船岡山の南には大極殿、朱雀大路が拡がりました。 平安時代には処刑場であったり
堀川北大路交差点を南へ、 島津製作所の北側に、 小野篁(802~853)と紫式部のお墓?があります。 一説では、”源氏物語”が人の愛憎を描き、人を惑わしたことで紫式部は地獄に落ちたと云われ、地獄で閻魔大王の補佐をして
斎宮(いつきのみや)は天皇に代わり伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王のことで、亀の甲羅を焼いて占いで決められました。 京都市立西京高等学校付属中学北側グランド発掘調査で、 池跡から”齋宮”と書かれた墨書土器が出土
堀川今出川下ルすぐ、安倍清明屋敷跡とされる所に “清明神社”があります。 陰陽師・安倍清明(921~1005 85才)は、 朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条と六代の天皇に仕え、星を見て、 宮中の変革、遠国の吉凶を判
四条中新道下車。 NISSHAの南西隅にひっそりと 建っていました。 “朱雀院”は平安京最大の面積を誇る上皇の御所 源氏物語では一院とあり、一説には桐壺帝の父親とされ、 ここでは、一院の50才の祝典で”紅
梨木神社から”廬山寺”へ。 ここは紫式部の曽祖父・藤原兼輔の屋敷があり、式部の父・藤原為時に譲ったことから源氏物語を執筆したとの説があります。 大貳三位(だいにのさんみ)こと紫式部と藤原宣孝の子・藤原賢子は第70代後
京都御苑清和御門を出てすぐに萩の名所、 梨木神社があります。 その参道にマンションが建っていたのには驚きました。 社殿の修復などの資金集めも思うままにならず、2013年(平成25)にマンション開発業者に60年の定期借地権で貸し出しますが、神
砂利の京都御苑内。 その清和院御門手前(寺町通側)に、 “土御門第跡(つちみかどていあと)”があります。 ここに藤原道長(966~1028 63才)の邸宅跡があり、道長の 長女・藤原彰子(上東門院 988~1074
梨木神社に向かって京都御苑を歩いていると、 ちょうど9:00。 京都御所が開いたばかりでした。 簡単な手荷物検査を受け御所内へ。 以前は宮内庁に往復はがきで申し込んでいましたが今は飛び込みOK😆で、おまけにガイドも。 すべて無料😳。 The
“弘徽殿跡”西すぐの道を北へ。 凝華舎跡・飛香舎跡があります。 凝華舎(ぎょうかしゃ 梅壺)の女御としては”光る君へ”で道長の姉で吉田羊さん演ずる藤原詮子や “源氏物語”
大極殿跡から千本通を渡り内裏を目指します 今となってはこの石碑が何処にあったのか・・・不明😅。 とにかくこの近辺は説明板だらけ😳でテンション⤴︎。 内裏跡に住んでいるなんてなんとも羨ましい限り・・・です。 “山中油店”
今日は内裏跡を巡りテンション⤴︎しまくり・・・です😆。 先ずは千本丸太町上ルすぐの公園には、 大極殿跡の石碑があります。 この石碑は大極殿北の”昭慶門”西側回廊の上に建っているとか。 石碑西側の公衆トイレ近くにはなん
下の写真は特別展開催中の舞楽の衣装。 豊楽殿跡から千本七本松交差点を渡り西側すぐの所に平成創成館があります。 ここは平安時代の造酒司(みきのつかさ)倉庫にあたるとか。 国家でお酒を作っていたんですね😳。 饗宴儀式に使われた豊楽院近くにあるの
千本七本松通を下がって一筋目を東へ。 こんなに地価が高そうな場所に😳 “豊楽殿跡”がありました😆。 豊楽殿は豊楽院の正殿として国家的饗宴に使われていました。 平成創成館(後述)内に展示されていた20分の1の模型。 内
二条城の西側の通り名は”美福通”(平安京の内裏の美福門に由来?)! 押小路通から北へ行くと、 まずは京都府立朱雀高校(地図7 すざくこうこう)があり、 住所は京都市中京区西ノ京式部町1ですって😳。 式部省は文官の養成
空海さんにインドから招かれ、日照り続きだった日本中に三日三晩雨を降らせた善女大龍王さんを参拝後は、増運辨才天堂に4人の孫たちの無事を祈り、 いよいよ国宝の御影堂(みえいどう)へ。 御影堂は前堂・中門・後堂(うしろどう)からなり、 前堂には運
1億5千万円をかけたトイレの南隣”増運辨財天”と書かれた石碑横の門をくぐると、 辨才天堂があり、その後ろにひっそりと祀られています(紫の幕が張られている)。 また、北大門近くには常に閉じられ門があり、傍には̶
まずは自転車がここにしか置けず遠回りして、大宮通に面した駐車場入り口近くに停めます。 (写真奥が大宮通) 次に2019年完成した1億5千万円と云われるトイレへ。 東寺さんのトイレは上賀茂神社のトイレとともにとても綺麗です! まるで御堂のよう
いくら老夫婦のみの世帯といってもそれなりに食費はかかります。まして、この物価高。 という訳で運動も兼ね自転車を押しながら往復8,000歩ある桂川街道の市場まで”てくてく”歩いての買い物。 入り口からすでに誘惑品。 糖
所用で田舎(南区)から町に出てきました。 桜はすでに散り始めてましたが。 白川では婚礼衣装のカップルの写真撮影が見受けられました。 人混みを避けながら白川界隈をぶらり。 深さ10数センチほどでしょうか。 あくまでも透明な流れの白川(川の流れ
まさか、まさかの快進撃! 朝、起き、 「甲子園に行こう!」と決め9:00前に我が家を出発。 阪急四条大宮から途中3回乗り換えて今津まで(480円)。 今津から20分歩いて甲子園球場へ(ずっと前に伝説の掛布・バース・岡田の3連続ホームランの試