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さなぎママの日記 https://futokocl.jimdofree.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0-1/

子どもの不登校を経験した精神保健福祉士の日記。真っ暗闇のトンネルを抜けだした今だからこそ、苦しむ親子のお役に立てたらと思っています。さなぎママのホームページからブログへお入りください。

さなぎママ
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2019/07/19

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    不登校 相談 カウンセリング 滋賀県 近江八幡市

  • 3年前の2月1日と、3年後の2月1日

    3年前の2月1日と、3年後の2月1日

    2月1日、娘は大学1回生最後の授業に行きました。 これから2ヶ月間という長い春休みに入ります。 電車にも授業にも慣れて、暖かい友達や先生に恵まれて、どうなることやらと思った大学生活は楽しいものとなりました。2回生に進級できるなんて、普通のことのようですが、我が家にとってはとても嬉しいことなのです。 2月1日と言えば、娘は覚えていないと思いますが、私にとっては苦しい思い出の日でした。 3年前の2月1日、娘は高校に行けなくなりました。 春になりつつある2月も、我が家は真っ暗闇のどん底にいました。春を楽しむ余裕なんて全くありませんでした。 3年前の2月1日は、3年後の2月1日にこんなに嬉しい出来事があるなんて、全く想像出来ませんでした。 元気になることを信じるしか無いと、言い聞かせていたけれど、やっぱりいつも不安で心配でした。 その時の私に言ってあげたいな。 3年後は、本当に大丈夫になってるから、心から信じて待っててねと。 2月1日は、私にとって、苦しい日から嬉しい日に塗り替えられました。 娘は、春休みに昔からの友達や、大学の友達と遊ぶ予定をカレンダーに嬉しそうに書いていました。 そして、バイトも自分なりに探しているようです。 もう、私は何も言うことがなくなりました。 娘の話を聴いて、家の居心地を良くするだけ。 だらけていても、ずっとスマホを見ていても、自分がそれでいいのなら、それでいい。自分の主人公は自分だけなのだから。 躾とか、注意とか、口出しとか、意味のないことなのだと、不登校という出来事が教えてくれました。それは、結局、親が子をコントロールすることで、子は自分でなんとかする力を持っていて、自分で気付いて動かないと意味がないのです。 だから、私は何も言わず、私の事に集中です。 何か言いそうになったり、イラっとしてきた時はその場を離れます。 娘の彼氏は、一人暮らしの緊張から、鬱と強迫性障害を発症し、後期を少し休んで、春休みは実家に帰ることになりました。 そんな時でも、娘は冷静に受け止め、苦しくてもいつかは元気になることを身をもって感じているので、そっと自然体で彼氏を支えているようです。 娘は苦しい時に何を言って良くて、何を言ったらいけないか、自然に分かっているのです。 本当に分かり合える、仲の良い素敵な二人です。 彼氏が初めて症状について相談したのは娘でした。 そして、大学のカウンセリングをすぐに受けることが出来ま

  • 2020年を振り返って、涙

    2020年を振り返って、涙

    2020年12月31日。 バイトも明日で最後。 自分で決めた年賀状仕分けのバイトをやり通して、自信を付けた娘。 しんどくなっても、行ききったことで、これも成功体験と自分で言った強くなった娘。 大晦日の夜、苦しい時期にお世話になった嵐の最後のオンラインライブを家族で観て泣きました。 嵐…本当にお世話になりました。 一番しんどい時に、嵐は娘の力になってくれていました。どこにも行けなくても、嵐のライブには行きました。人目が気になって引きこもっていた時も、CDを買いに近くのCD屋さんには行きました。 娘が大丈夫になったちょうどその時に、幻のように嵐はお休みに入りました。 ありがとう…嵐には本当に感謝しかありません。 泣いていた日も、夜、嵐の番組を観て大笑いしていた娘。 しんどい時も嵐の歌を口ずさんでいた娘。 苦しい時期、いつも嵐と共に娘はいました。 娘は私の顔をじっと見て、久しぶりに泣いていました。 どうしたのか尋ねると、「2020年の1年間のことを思い出して感謝の気持ちで涙が出てきた」と言いました。 大学に合格したけど、始まるまで不安でよく泣いていたこと。4月からはオンライン授業で課題に追われ、しんどくて時々手伝ってもらったこと。9月からは通うようになり、毎日外に出るのが久しぶりで不安でパニック発作もよく起きて、時々車で送ってもらったこと。1ヶ月ほどで良い友達や彼氏に恵まれて楽しくなって発作も起きなくなってきたこと。 ここまでこれたのは、ママやパパのおかげ、ありがとうと言って泣きました。 私も一緒に泣きながら笑いました。 お月見をしたことを思い出して話しました。 これから自分の納得できる道を選んでいってほしい。 休み休み大学に通っても、休養のため休学しても、辞めて違う道に進んでも。 どんなことでも応援するから。 でも、その時は自分のことをもうダメ人間とは言わないでほしい。 そんなことを話したねと思い出しながら話しました。 今の娘は、もう自分のことをダメ人間とは言わなくなりました。不安で泣くこともなくなりました。しんどくなっても、挑戦することの大切さをどんどん学んで吸収しています。 大変な1年だったけど、上下しながら、上がっていった1年でした。 お正月は娘の希望で、家族で初詣に行きました。 娘は去年買っていた健康のお守りを返して神様にお礼を言い、また同じお守りを買いました。 3人でおみくじもひきました。 3人とも良い結果

  • 1番幸せなクリスマスイブ

    1番幸せなクリスマスイブ

    今年のクリスマスイブは、娘にとって、生きてきた中で1番幸せなクリスマスイブだそうです。 彼氏が出来て、デートするから、それは幸せに決まってますよね! 朝からガトーショコラを焼き、必死でラッピングをして準備していました。 クリスマスプレゼントの手袋とガトーショコラを用意し、おしゃれをして、いつもながら時間がなくなり「車で送って!」とのこと。 たまたま仕事が休みだったので良かったですが…。 娘はいつも準備に時間がかかったり、一生懸命慌てているのにギリギリになります。 これも、H S Pの特徴らしいです。 以前なら文句を言っていた私も、もうこれは仕方ない…と思って何も言わないようにしています。 さて、車に乗り込み駅に向かっている途中、娘が「あっ!ガトーショコラ忘れた!」と叫びました。そして「電車遅れるから、今日はもう渡さない…またにする」と言いました。私はあまりにも悲しそうな娘に、電車一本遅らせて、取りに帰ることを提案しました。娘は怒りながら考えて、じゃあ、やっぱり取りに帰る!ということで、Uターン。私は呆れて笑っていると、娘は「笑わんといて!落ち込むから!」と怒ります。そう言われると私も腹が立ってきました。 私の感情は、可笑しいやら、腹が立つやら、引きこもりだった娘が元気になって嬉しいやら…なんだか色々かき乱されて、ぐちゃぐちゃな感じでした。 これがH S Pの親の大変さなのだと思います。 この大変さには、これからも付き合っていくしかないなあ…。 まあ、引きこもりから脱して、元気になったのだから、これも幸せなことですね。贅沢は言えません。 こんな娘と付き合ってくれる、優しい彼氏に感謝の気持ちしかありません。 もうすぐ駅に着くとLINEがきました。 さあ、また賑やかな子を迎えに行きますか。 どんなデートだったか、聞くのが楽しみです。

  • 自分で決めたアルバイト

    自分で決めたアルバイト

    大学の冬休みが始まり、娘は短期バイトを自ら探して決めていました。郵便局の年賀状仕分けのアルバイトです。 自分で探して自分で決めたアルバイトは、しっかり行く。そのタイミングも自分で分かっているような気がします。 アルバイトをするエネルギーがない時に、バイトしてみたら?なんて、勧めてしまっていたこともありました。私は娘にバイト以外のことも色々して欲しいと思っていました。私はなんとか娘に動いて欲しかったのです。今から思えば娘のペースも気持ちも無視しながら、勝手に娘を動かそうとコントロールしていたのです。 高校を辞めて通信へ転校する前に、娘は人目がつかない、スーパーの品出しなら出来るかな?と近所のスーパーでアルバイトすることにしました。 でも、そのアルバイトに行ってみると、品出しだけではなくレジも頼まれて結局3日程で辞めることになりました。レジでは、知り合いに会わないかビクビクしていました。実際に知り合いのお母さんに声をかけられたこともあったのです。辞めた高校はアルバイト禁止の学校だったので、学校を辞めたことがばれたんじゃないか?と不安な気持ちでいっぱいでした。 私は、そんな娘に「普通に元気にこんにちは!って挨拶したらいいやん」と、無神経な言葉をかけました。今から思うとその時私は娘の気持ちに全く寄り添っていませんでした。娘の苦しい気持ちへの配慮より、動け動けとコントロールしたい欲の方が勝っていたのです。 本当に申し訳ない…。 でも、それも今だから分かること。その時は分からなくても仕方なかったことなんじゃないかな?とも思います。 昨日は、元気に「頑張ってきたよ!」と帰ってきてくれました。自分で決めたことは本当にやれる! 今は大学もバイトも順調な娘。 コントロールを辞めたから動き出したのか、動き出したからコントロールしなくなったのか、どちらも重なっているように思います。 でも、やはり、コントロールせずに全て娘に任せる。これを心から出来ることが本当に大切なことだと、今は実感しています。 またもし気が緩んで口出ししそうになったら、常にこのことを思い出しながら、お口にチャック!!です。

  • 彼氏がおうちにやってきた

    彼氏がおうちにやってきた

    昨日は家族にとって、初体験。 娘の彼氏が、我が家へご丁寧に挨拶しに来てくれました。 娘の彼氏は、とても人見知りで緊張屋さんだと聞いていました。だから、「挨拶もまだ無理しなくていいよ、心配していないし大丈夫だから。」と伝えてもらっていました。でも、彼氏は安心してもらいたいから、どうしても挨拶に行きたいと言うのです。(ちなみに、彼氏は娘の不登校や通信への転校のことも全て知っていて、それも魅力だと言ってくれたという経緯があります。) 昼間は2人でアウトレットでデートし、夕方家に来てくれることになりました。 彼氏が好物のチョコレートケーキを用意して、なんだかソワソワ落ち着きがない私。 パパの方が私より落ち着いていました。 そして、ご対面。 緊張した彼氏がひきつった笑顔を浮かべて顔を赤くしながら自己紹介してくれました。 可愛いなあー 私は、心から感謝の気持ちを伝えました。 パパも、笑いながらありがとうと言っていました。 娘もニコニコ嬉しそう。 なんだか皆んなが照れくさいけど、幸せなひと時になりました。 私は帰り際、お土産に、クラブハリエのリーフパイと、クリスマスカードを渡しました。 クリスマスカードには私の気持ちを書きました。 「◯君へ いつも◯と仲良くしてくれてありがとう。 ◯は過去に元気がない時期がありましたが、◯君と出会ってからどんどん元気になり笑顔が増えました。本当にありがとう。◯君には感謝の気持ちでいっぱいです。 お互いに守り合って寄り添い合って、楽しいことは2倍、悲しいことは半分こできるような、そんな暖かい2人でいて下さいね。 素敵な2人をこれからも応援しています。 これからもよろしくね! 」 娘の不登校という苦しい経験をしたからこそ、たくさんのことに感謝ができて、人の暖かさをそれまで以上に感じられるようになったんだと思います。 全てのことに感謝です。

  • あれから8か月 大学1回生後期の半ば

    あれから8か月 大学1回生後期の半ば

    前回のブログから約8か月も経ちました。 久しぶりの更新となります。 娘の近況はというと・・・ 結論から言うと、めちゃくちゃ元気な大学生になりました。 1回生も後期の半ばとなり、大学という生活にも慣れて、友達や彼氏とエンジョイしています。 まさかこんな日がくるなんて。 不登校になったときも、まさかこんな日がくるなんてと思っていました。 今も正反対の「まさかこんな日がくるなんて」です。 ただ、大学生になりたての頃は本当に大変でした。 不登校真っ最中のしんどさとはまた違うしんどさがありました。 まさに始動期のしんどさです。 普通の大学生として動き始めた娘は、毎日外に出る生活や普通の人間関係に不安でいっぱいだったのです。 また辞めてしまってはどうしようという不安もしょっちゅう口にしていました。まだ始まってもいないのに、どうしても不安になるのです。 最初は緊張から時々パニック発作のようなことが起きました。 でも、娘は自分の心を鬼にして次の日も行くと決めていました。 そして私はそんな時、私も心配になりながら、高速で大学まで送っていきました。 3~4回程送って行ったと思います。 これが4年続いたら私も身がもたないな・・・と私も不安になりました。 大学ももしかしたら辞めてしまうかもな・・・とどんよりしていました。 そして、二人でお月見をしながら話しました。 「これからは自分が納得できる生き方をしてね。大学を休学して体調を整えるのか、休み休み続けて行くのか、辞めて違うことをするのか。どれでも選んでいける自由があるよ。でも、もうこれからは自分のことをダメ人間とは言わないで欲しい。どれを選んだとしても自分で納得して生きていってほしい。」こんな話をしました。 18歳のお月見は、忘れられないお月見となりました。 その後、娘は私の心配を吹き飛ばしてくれるように、どんどん元気になっていきました。通い始めてちょうど3か月になりますが、心暖かい友達や先生、彼氏に恵まれて、今では本当に大学が大好きで、エンジョイできるようになりました。 娘は言いました。 「大学に行くまでは、嵐に夢中で、YouTubeに夢中だったけど、やっぱりリアルな人の方が楽しいわ」と。 明日は、私と娘にとって、初めての経験をすることになります! 彼氏が我が家へ挨拶しに来てくれるのです! 19歳のクリスマスは数年前には考えられないような楽しいクリスマスになりそうです。 暗闇のトンネ

  • 必ず、綺麗な桜にまた会える

    必ず、綺麗な桜にまた会える

    桜が満開になり、いいお天気が続いていま 娘は大学の課題をやりながら、エネルギーを貯めつつ元気に過ごしています。 昨日、仕事をしていると、こんなラインがきました。 「これからRちゃんとワンコのお散歩へ行ってきまーす」 Rちゃんとは、大学が同じになって大喜びした、あのお友達です。 夕方私が仕事から帰ってから、お散歩の様子を話してくれました。 いつもの、のどかな田んぼのお散歩コースを歩いて、その後、Rちゃんの家とうちの間にある公園のブランコに座りながら30分程お話して帰ったそうです。 その公園はうちからRちゃんの家に行くときに必ず通る公園で、中学生の時も二人でよく話していた思い出深い公園です。 大きな桜の木があり、ブランコの上では桜の花が揺れていたそうです。 「まるで映画のワンシーンみたいやね」と言うと、娘も楽しそうに笑っていました。 そして娘はこう言いました。 「中学生の時みたいに、また元気になれたらいいなと夢みてたけど、今本当に実現しているように思う」と。 それを聞いて私もとても嬉しくなりました。 そのお友達とは不登校・転校のために2年間離れていました。 でも、また今二人で何も変わったことがなかったかのように、話がつきず、心から笑い合っているのです。前回のブログにも書いたように、とても奇跡的なことが起こり、感謝と幸せの気持ちでいっぱいになります。 先日、娘が私に尋ねてきました。 「どうしたら、楽しくないこともできるようになるの?仕事とかなんで続けられるの?」と。 私は少し考えてから、「ママは仕事で大変なこともあるけど、楽しいこともあるからやっていけてるのかな。なんでも楽しいことと嫌なことがあると思うよ。例えば嫌なことが40%あっても楽しいことが60%あったら、やっていけると思うよ。中学の時を思い出してみて。クラスで嫌なことがあることもあったけど、吹奏楽が楽しいから学校に行くと言ってたこともあったよね。そういうことだと思うよ。」と話しました。 娘はしばらく「中学の頃・・・中学の頃・・・」と独り言を言いながら、中学の頃のことをじっくり思い出していました。 娘は「中学の時みたいな自分にまたなれるかなあ・・・なりたいなあ・・・」と言いました。 そして私はモデリングの話をしました。 誰かあんな風になりたいなと思う人を思いながらその人をモデルにして生活していると、本当にそんな風になっていけるという心理学の話があるんだけど、一番

  • 奇跡を信じて

    奇跡を信じて

    4月に入り、娘は大学生になりました。 ただ、コロナの影響で1日に行われる予定だった入学式も、2日に行われるよていだった履修登録のためのガイダンスも中止となり、ひとまずネットや郵送でのやり取りとなっています。 特にそのことによって何か悪影響があるいう訳でもなく、かえってコロナを怖がっている娘にとっては電車に乗らずにすんでいることは安心材料となっているようです。 春休みが少し伸びていることで、娘にとってはエネルギーを蓄える期間もその分伸びているということにつながっているように思います。 高校の卒業式を終え、何か吹っ切れたような娘は、心身ともにどんどん元気になっています。大学生活に備えて服や雑貨を買いに行ったり、美容院に行ったりしています。それとお気に入りのゲームを手に入れたことで毎日退屈することなく楽しんでいる様子です。 大学へ向けた不安が一気になくなってきたような娘。 その理由の一つに、ある奇跡的な出来事が関係しています。 それは、小学生の頃から仲良くしてくれている近所の友達が同じ大学の同じ学部、しかも、同じ学科の同じコースへ行くことになったということです。 その友達は、娘が11月に公募推薦の大学受験をしたあの日、大学で会って抱き合った友達です。私が駅まで車で迎えに行った時、小春日和の中、二人で笑いながら話していて、車に乗せてあげた、あの友達です。 その友達は小学生、中学生、前の高校とずっと一緒に過ごしてきました。 特に中学生の時は同じ吹奏楽部で、毎日一緒で、とても仲良くしていました。時には家族のように喧嘩もしていたそうです。 前の高校も特色推薦で一緒に合格したときは、二人で叫んで喜んでいました。 でも入学してから、二人とも学校が楽しくないと思い始めます。 部活も二人で吹奏楽に入部したのですが、中学の頃のような楽しさを感じることができなかったそうです。 そして三学期が始まってから娘の体調が崩れ始めます。 最後にその子と手を振って別れた日を私は鮮明に覚えています。 娘は体調が悪いなか、部活を休んではいけないと言い、冬の寒い中、夕方遅くまで学校にいました。 私は駅まで迎えに行き、その子は自転車だったので、駐輪場の前で手を振って別れました。 「バイバイーお疲れー!また明日ー!」とその時は笑顔で声を掛け合っていました。 その次の日から限界に達したのか、学校で1日過ごせなくなってしまいます。 そして、数日後の2月1日からもう

  • 通信制高校の卒業式

    通信制高校の卒業式

    この3連休は暖かい日が続いています。 やっと、本格的に春を感じられるようになりました。 色とりどりの春の花も咲き、小鳥が鳴き、春の空気のにおいがします。 さて、3月17日は、娘の通信制高校の卒業式でした。 コロナの影響で、来賓や在校生の参加はなくなり、時間も短縮されたものの、卒業生・保護者・先生方と集い、素敵な卒業式を開催してくださいました。 娘が通信制高校へ転校していなければ、私は通信制高校の卒業式ってどんなのかな?と想像してみても、全く想像できませんでした。 通信制高校自体、自分とは全く関係のない場所。考えるということもない場所でした。 でも、娘が私に一つ、実体験として、新しいことを教えてくれました。 卒業生49人の、少人数の卒業式。 寒々しい前の学校の体育館とは打って変わって、素敵な小さなホールを借りての卒業式。 到着すると、暖かく明るいそのホールに、綺麗なBGMが流れ、優しい先生達と明るい生徒たちの穏やかな笑顔と笑い声がありました。 卒業生入場から始まり、卒業証書授与式、それからキャンパス長祝辞など、普通の卒業式の流れで淡々と進んでいきました。そして、最後に先生方が一生懸命作成してくださったスライドショーを見せていただきました。 スライドショーはとても凝っていて、素敵なBGMのなか、生徒たちの思い出の写真がたくさんありました。最後の方に一人一人の写真が出てきました。みんな笑顔で一言書いた大きな紙を持っています。娘も笑顔で紙を持ち、その紙には、「自分は自分。マイペースに頑張ります。」と書かれていました。 時間が短縮された卒業式でしたが、とてもあたたかみがある卒業式でした。 私は、友達と笑いながら話している娘を見ていてとても幸せでした。 その娘の表情は、とても自然で穏やかで、無理している娘ではありませんでした。 毎日一緒という訳ではなかったけれど、ありのままの自分を見せられる友達ができたんだなと、とても嬉しく思いました。 卒業式後は、友達や先生と写真を撮って帰るからと、別々に帰りました。 電車のなかで、転校してからの娘のことを思い返していました。 転校したての最初の頃は、学校にも三者面談にも行けず、学校と聞くだけで顔がこわばり、辛くて苦しかった1年間。でも、徐々に先生や友達の存在のおかげで今日みたいな顔を見ることができるようになったのです。 それはまるでゆっくりゆっくり氷がとけていくような感覚。 雪解けみたい

  • 不登校のおかげで変われたこと・気づけたこと

    不登校のおかげで変われたこと・気づけたこと

    昨日は娘と二人で、HSPのためのアートセラピー勉強会へ行ってきました。 アートセラピーでは、様々な色を使って、川、山、田んぼ、木などを順番に描いていきます。そして、出来上がった絵から今の深層心理が分かったり、その深層心理をまず受け入れることによって、自分を変えていきたいことを考えて、また絵を付け加えたりするという作業をします。 娘は、絵が出来上がってから、先生に解説してもらい、今の心境ととても当たっていると、驚いていました。 結果には前向きなことも多くて、それがまた嬉しかったようで、帰宅してからも元気にたくさん話してくれました。 大学入学まであと約2週間。 先日は、とても不安で、不安が100%、楽しみが0%などと言っていました。 昨日は、その確率を尋ねてみると、少し考えてから、不安が70%、楽しみが30%かな・・・と答えました。 アートセラピーで、田んぼは仕事や学業を表しているそうです。 そして、田んぼが絵の左上にあれば、仕事をしたい、学校に行きたいという心理を表しているそうで、娘が描いた絵の左上には、ばっちり田んぼが描かれてありました。 娘は、自分の絵を見て納得していました。 そして、これまで不登校になってからの数年間で自分が変わったということを教えてくれました。「自分って本当に変わったよ」とはっきりと口に出して言ったのです。 娘は前の高校を1年生の3学期から行けなくなりました。 そして、2年生から通信制高校へ転校しました。 一番しんどかった時期は、もちろん前の高校の時もしんどかったのですが、転校してからの2年生の1年間が、転校した自分、ダメな自分、普通じゃない自分、将来の不安という様々な葛藤で、苦しい苦しい1年間だったと教えてくれました。 でも、その時、毎日家に引きこもって、自分と向き合っていて、メキメキメキメキ成長していたんだと言いました。私はそれを聞いた時、「まさにさなぎ!!」と思いました。 娘のその苦しかった1年間は、娘にとってまさに本当にさなぎの状態だったのです。 そして、もうありのままの自分でいいや~と思える自分に変わってきたのは、3年生からだと話してくれました。 通信制高校の3年生から娘は週1~2回程、学校に行き始めました。怖いながらも少しずつ外に出始めました。 その時に出会った通信制高校の友達、先生、そして前からの友達。友達たちと話すうちにどんどんもっと自分は変わっていったというのです。 その頃

  • 不安な気持ちは、希望の気持ち

    不安な気持ちは、希望の気持ち

    大学入学まであと1か月となりました。 大学生活が近づいてきて、娘の心境はというと、楽しみより不安の方が大きいようです。 昨日、夕方仕事から帰ると、娘はさえない顔をしていました。 また何か考えているのかな?と思いながら待っていると、ポツポツ話し始めた娘。 「また考え過ぎてしまった・・・。大学嫌やな・・・。もうあと1か月で大学が始まる。」と言うので、何が不安なのか尋ねると、「閉鎖された空間で長時間講義を受けないといけない。途中でしんどくなると思う。そしたらまたもう大学に通えなくなって、辞めてしまって、仕事もできなくて、社会不適合者になる。価値がない人間になって、消えてなくなってしまいたくなる。」と泣きながら言いました。 このような不安はこれまでも度々話してくることがありました。 私は、「大学に行けなければ辞めてもいいし、ゆっくり好きなことを見つけていったらいいよ。でも今の話を聞いてたら、大学が嫌というより、大学を辞めてしまう状況が嫌なように思ったけどどうなのかな?」と尋ねました。娘は「本当は大学に通い続けたい。でも続けられるかが不安で、また辞めてしまった自分を想像すると嫌になる」と言いました。 そうなんです。大学生にはなりたい。大学には行きたい。大学が嫌なのではなく、大学に行けなくなってしまう自分が嫌なのです。 不登校になったトラウマがあるため、また大学という学校に行くこと自体、不安になるのは当然のことなんですよね。 そして、それなら、一つ一つの不安に対して何か対策していこうということになり、娘は自ら、紙に不安なことを書いていきました。 「授業中しんどくなるのが不安」 「電車でしんどくなるのが不安」 「しんどいところを友達に見られるのが不安」 「休んで噂にならないか不安」・・・・などなど。 そして、一つ一つの不安に対して、一緒にすぐできそうな対策を考えていきました。 「事前に大学に自分の事情を話して、しんどくなったらどうしたらいいか相談する」 「友達に先に自分はしんどくなる体質だということを話しておく」 「最近始めた漢方を続けてみる」 「休む時は何日も続けてではなく、たまに休むようにしておくと目立たない」・・・などなど。 書いているうちに、どんどん娘は元気を取り戻していき、最後は「こうして書いてみるとなんとかなりそうな気がしてきた。」と言っていました。 不安な気持ちは、希望の気持ちなんですね。 こうしたい、こうなりた

  • 毒出しを手助けするために

    毒出しを手助けするために

    4月からの大学生活に向けて、現在エネルギー蓄積中の娘ですが、まだ時々落ち込みが激しい日があります。 昨日はそんな日でした。 一昨日、大好きな友達と遊びに行った娘。 体調も良く、夕食も二人で食べて帰る!とラインがきて、夜「楽しかった!」と元気に帰ってきました。 やはり、元気な娘を見るのは安心で嬉しい私。幸せな気分で就寝しました。 が、昨日は一変。 夕食時、涙を流し始めた娘。 私は「毒出しが始まったー」と思いながら話を聞きました。 内容はこうでした。 一昨日、遊んだ友達から卒業旅行で二人でディズニーに行かない?って誘ってもらったけど、体調がまだ不安だから断った。でも、やっぱり行きたくて1日中迷っていた。でもやっぱり無理と思って夜になった。考え過ぎて疲れてしまった。 遊んでいた時も体調を調整しながら、これ以上はしゃぐと疲れると思いセーブしていた。不登校になる前は全力で心の底から楽しんでいたのに。今は心の底から楽しめなくなった。 その友達は免許ををとったと報告していくれた。おめでとうって言ったけど、自分は教習所にも行けない。情けない。 などなど・・・。 今は自己肯定感が下がりまくりだと言うので、いつから自己肯定感が下がっているのか尋ねてみると、少し考えてから、「前の学校行けなくなって転校してからかな」と答えました。 やはり不登校という問題は、自己肯定感を下げるほどの大問題なのです。 私が「でも少しずつ心身ともに元気になってきてるよね。一番しんどかった時期に比べてどう?」と尋ねると、「それはそう思う。最悪の時は自分はみんなに迷惑をかけていていない方がいいと、毎日1日中思ってたから」と言いました。 不登校になった子どもの気持ち・・・。 学校に合わなかった、学校に行けなくなった、ただそれだけなのに、子ども達はみんなこんな苦しさを味わっているんですよね。 想像してみました。 1日24時間、自分はダメな人間で、みんなに迷惑をかけている、この先不安しかないと、思い続けている自分。24時間と書いたのは、寝ている間も娘はよく悪夢を見ていたからです。起きていても寝ていても休まらない。ずっと悩んでいる自分。 だから子ども達はゲームやネットに逃げるのですね。少しでも表面的でも忘れられるように。ゲームやネットは子ども達にとって大事な逃げ場所なのです。先日受けた不登校の講座で、「不登校の子どもにはずっと何かダメ人間などの言葉が聞こえている。それを

  • HSPと不登校の関係

    HSPと不登校の関係

    娘が不登校になってから、HSPという言葉を初めて知りました。 娘は自分で本やネットを見ながら、自分はこれだとよく言っていました。 本やネットには必ず自己判定テストが載っていて、娘は完全に当てはまっていると言います。 HSPとはハイリーセンシティブパーソンの略で、生まれつき感受性が豊かで敏感な人のことです。(稀に生まれつきでなく後天的な人もいるそうです) HSPについて、日本で知られてきたのは、ここ数年のことで、本も最近色々出だしたようですが、まだまだ一般的には知られていないかと思います。 HSPの方々は、病気でも障がいでもないのですが、感じ過ぎるために生きやすいとは言えません。空気を読みすぎたり、人に対して共感力が優れているため、人のことでも自分のことのように苦しくなってしまいます。学校や集団生活では、日々起こる様々なことを全力で受け止めて、真面目に頑張りすぎるため、過剰にエネルギーを使います。だから、娘もそうなのですが、HSPではない人に比べて睡眠時間も長く、ほとんどの方がロングスリーパーのようです。 私は明確な原因(例えばいじめや発達障害等)があるわけではなく、不登校になった子ども達の大半には、HSPという気質が関係しているのではないかと思っています。 先日、娘と一緒にHSPについての勉強会に参加しました。 ご自身もHSPで不登校経験者の先生が、お話ししてくださる一つ一つの言葉に、娘は納得!という感じで大きく頷きながら聞いていました。 先生はHSPは生きにくいかもしれないけど、なんとか生活してきた。だから弱いのではなく強い人ですとおっしゃいました。 自分に合った環境ならHSPではない人よりも開花し飛躍できる力があるとも教えてくださいました。 HSPでも辛いだけじゃない。HSPを活かすこともできる。 そんな前向きなお話しでした。 娘は「HSPの気質って弱いと思ってたけど、強いんやね」と泣きながら言っていました。 なんで自分てこんなんなんだろう?他の人ができるのになんで自分はできないんだろう?と思っていたけど、なんかすっとしたと言っていました。 昨日は少し、また落ち込むことがあったけど、自分がHSPだと認識してから、いい意味で開き直れて、気持ちの切り替えも前よりも早くなってきた話してくれました。 親も勉強会に参加してから、同じく楽になっています。 自分に合う環境を探して、居心地の良い所で生きていってくれたらいいと

  • 好きなことだけして生きていこう

    好きなことだけして生きていこう

    前回のブログから約2か月が経ちました。 娘はというと、4月の大学入学へ向けてエネルギーをどんどんどんどん蓄え中。大学受験が落ち着いて、4か月程のんびりできる期間があるのはラッキーなことです。心身ともに不安定だった娘にとっては十分とは言えないかもしれませんが、エネルギーを貯められるチャンスと思い、親子でのんびり好きなことだけをして過ごしています。 ただ、この2か月近くの間、何もなかった訳ではなく、やはりまだ安定しきれていない日々を過ごしました。 一つは、行き始めた教習所がとてもストレスになり、また行けなくなってしまったことです。 教習所はまだハードルが高かったのかもしれません。 キャンセルが続き、またそんな自分が嫌になり、「普通のこともこなせない自分はダメ人間。みんな教習所の数か月なんて普通に行けるのに」と泣いていました。 今まで何度も見た光景です。 何日か辛そうに泣く日が続き、不登校真っ最中のトラウマもまたよみがえり、私も苦しくなりました。そして一緒に泣きながらこう話しました。 「そんなに嫌ならもう辞めたっていいよ、また行きたくなってから行き始めたらいいから。もう毎日泣いてる○○ちゃんを見るのは、嫌や。しんどい。だってママの子どもやもん。子どもが辛そうにしてたらやっぱり辛いよ。もうこれから先、好きなことだけして笑って生きていってほしい。もう嫌なことはせずにやりたいことだけしたらいいやん。」 その後、娘はしばらく考えてから、「今は行かずに大学に入ってから夏休みに行く。期限ぎりぎりにとれると思うから」と言いました。 それから本当にピタッと行かなくなり、また元気になりました。 私はこの経験で、改めて、もう娘の行動には絶対に一切口出ししない!!と決意しました。 教習所に通うことも娘から言い始めたのではなく、数か月間何もすることがないのはよくないだろうと、親が勝手に思って、行ってみたらどうかと提案したのでした。私は同じ間違いを何度繰り返すのかと、本当に自分に呆れてしまいましたが、教習所の件を機会に本当の心からの決意をしました。 「娘の行動は自分からこれがしたいからするということだけさせる。親は少し情報を流すだけ。申し込みも本当に行きたければ自分からするだろうから、促したりもしない」 娘が不登校になってから、行動に口出ししないと決めてきました。でも大学受験も落ち着いて、新生活になろうとしているときに、ふと緩んでしまったのかも

  • またしんどくなっても、休んでも、大丈夫。

    またしんどくなっても、休んでも、大丈夫。

    昨日は娘の終業式でした。 娘の高校は通信制高校のため、単位を取り終えた娘は、あとは卒業を待つのみです。終業式も絶対に行かなければならないという訳ではありませんが、友達に会いたいからと、自ら終業式に出席しました。 去年の終業式は、確か行かなかった(行こうとしていたけど行けなかった)のではと思い返しています。去年は「行かず(行けず)に落ち込む」を繰り返していた、大変な1年でした。本当によくここまで元気になれたなあと、感心しています。 ただ、元気になれたといっても、体調が完全に良くなった訳ではありません。出かけても途中でしんどくなって早めに帰ってきたり、迎えに行くこともあります。 昨日も仕事中に「帰りの電車でしんどくなったから降りて休んでる」とラインがきました。そのようなラインを見るたびにドキドキするのですが、「ゆっくり腹式呼吸してたら大丈夫だから。治るからね。」と落ち着かせるラインを送り返します。そしていつも、しばらくしたら「ましになった」とラインがきて、一安心するということの繰り返しです。 昨日は準備で時間がなくなり、ほとんど何も食べず出かけたそうです。そして、帰りに友達とソフトクリームを食べて電車に乗ったらお腹の調子が悪くなったそうです。前日にあまり眠れず寝不足気味だったとも言っていました。お腹の調子が悪くなるとこのまま治らず吐いてしまうのではないか?という恐怖が襲ってきて精神的にもしんどくなるそうです。お腹に空気が溜まる呑気症という症状と、軽いパニック障害を併せ持っているような症状です。心療内科で、不安になったときにのむ軽い頓服をもらっているので、しんどくなったらすぐにのんで自分なりにこの症状と付き合っているようです。 吐き気は不登校になる直前からよくありました。そして、引きこもっていた1年少しの間、最もひどく、家でもよくトイレにこもっていました。時には1時間以上こもっていることもありました。そう思うと、少しずつ体調もよくなっているんだなあと実感します。 体調はよくなりつつありますが、昨日のように、少しでも体調が悪くなった話を聞くと、何度経験してもやはり心配になってしまいます。昨日電車でしんどくなったから、しばらく動けないんじゃないか?今日はもう教習所は休むのかな?と思っていたら、朝から元気に出かけていきました。教習所から帰ってから、授業中しんどくならなかったことや、朝食をしっかり食べたからしんどくならなかった

  • もう「考え過ぎる世界」へ戻らない

    もう「考え過ぎる世界」へ戻らない

    早いもので、もう12月も半ばとなりました。 娘の大学合格発表から3週間、前回のブログから2週間が経ちました。 現在の娘はというと、車の免許をとりたいと、教習所に通う日々を過ごしています。 高校は通信制のため必要なスクーリングもレポートも終えていて、あとは卒業を待つのみなので、4月までたっぷり時間があります。大学へ行くエネルギーを貯めて、準備ができる期間です。 教習所に通う前、娘は「暇で孤独」と言いました。私はその時、私の教科書にしている本のうちの1冊、「こころの道案内」を思い出しました。 その本には、「行動する世界」と「考える過ぎる世界」の2種類があると書かれています。不登校渦中の時(赤信号)は、みんな「考え過ぎる世界」にいて、どうしても心配や不安から解放されることはありません。そして、十分休んで環境が整って、エネルギーが少し貯まってきたら少しずつ外へ目が向きます(黄信号)。その時期は少しずつ「行動する世界」に足を踏み入れる時期で、とても不安ですがリハビリのように週1回程度から外へ出ようとします。そのような過程を経て、だんだん普通の生活(青信号)へ戻っていきます。それが「行動する世界」です。その本のなかで、「行動する世界へ行き始めたら、考え過ぎる世界へ戻ってはいけない。赤信号では考え過ぎる世界も必要だが、黄信号・青信号では考え過ぎると、無駄なエネルギーを消耗してしまうので、エネルギーが貯まることはない。少しずつ外の世界へ出て人にあって、達成感を感じて初めてエネルギーが満タンになっていく」と書かれてあります。 娘は大学受験も終えて、体調も少しずつ落ち着いてきて、青信号に足を踏み入れています。そんな時期に娘が毎日することがなく家で暇にしてるのは、考え過ぎる世界へ戻ってしまうきっかけを作ってしまうことかもしれません。本には「それを全力で止めなくてはならない」とまで書かれてあります。 教習所はそんな娘にとって、毎日短時間外に出る適度なハードル、そして良い居場所になっているようです。車の運転はやはり疲れて、家で疲れた顔をしていることもありますが、娘は自ら毎日教習所へ向かいます。昨日は、「疲れていたから学科はやめて、実技だけ受けた」と話してくれました。私は「すごいね。今まで全部受けるか、全部休むかという感じだったけど、一つだけにするって考えて。自分で疲れすぎないように調整できるようになったんやね。」と言いました。娘はうなずい

  • 我慢強く見守り寄り添うこと

    我慢強く見守り寄り添うこと

    先日、娘が受験をした第一希望の大学の合格発表がありました。 受験まで紆余曲折、悩みに悩みぬいて第二希望と思っていた大学を第一希望に変更しました。公募推薦で合格していたら、もう色々な悩みから解放される。 そう思いながら、家族で静かに祈っていました。 ドキドキしながらその日を迎え、一緒に発表を確認しました。 結果は一番行きたい学部に「合格」していました。 娘はうれし涙を流していました。私も一緒に涙が出てきて、飛び跳ねながらハイタッチを何度もしました。今までの悲しい涙ではなく嬉しい涙を流せた忘れられない日です。 その後、なんだか、すーっと色々なことから解放されたような、でもまだ実感がわかないような気分になりました。 この合格を境に、娘はどんどん元気を取り戻していっています。 今の高校の先生達も、「○○ちゃんが一番行きたい所が受かって嬉しい!」と、大学のレベルなどではなく子どものことを一番に考えて一緒に心から喜んでくださいます。前の高校ならどうだっただろう・・・とふと思ってしまいます。1年生の時から国立へ行けだの、偏差値の高い大学へ行けだの言っているような高校なら、もしかしたら暖かい気持ちでこんなに喜んでくれなかったのかもしれません。 娘は言いました。 「転校したから、この大学に行きたいと思うようになって今がある。当時は辛かったけど、転校して本当に良かった。それに辛かった日々に自分と向き合って、人から褒められる自分じゃなくてありのままの自分を大切にできるようになった。人目に囚われすぎない新しい自分になれたように思う。生まれ変わった自分は前の自分よりずっと好き。」 こんな話をしてくれました。 合格発表の次の日は娘の18歳の誕生日でした。 18歳の誕生日は、生まれ変わった娘の忘れられない誕生日となりました。 不登校となってしんどかった時期、「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本を、「読みたかったらいつでも読んでね」と置いておきました。でも、その本に触れることは一度もありませんでした。 18歳の誕生日、突然、「嫌われる勇気」を読みたいから貸してほしいと言ってきました。2日で読み終えた娘は、「すごく良かった。これを読んでもっと自分が変われた気がする」と言いました。さらにこうも言いました。「もっと前に読んだら良かったかもしれないけど、今のこのタイミングだから読めたと思う。多分しんどい時は何を読んでも聞いても入ってこないし、全てが

  • 不登校からの回復ってなんだろう

    不登校からの回復ってなんだろう

    前回ブログを書いた日、娘は第2希望の大学受験をし、とても元気に帰ってきました。 駅に迎えに行くと、娘は幼馴染の親友と、眩しい日差しのなか、並んで笑っているではありませんか! 娘は後部座席の車のドアを開けて、「乗せてあげて~」と言いました。 私は、なんだか夢を見ているような気分になりました。 その子は前の高校も同じで、娘が不登校になるまでしょっちゅう車に乗せてあげていたので、とても久しぶりに不登校前・転校前の感覚がふわ~っとよみがえってきたのです。 最後にその子と娘が前の制服を着て、部活帰りにまた明日ね!と手を振るのを見たのは2年前の冬でした。 その後とても苦しくて長く感じた約2年間。 娘が初めて大学受験した日、そんな2年間なんて何もなかったように、二人のキラキラした笑顔を小春日和のお日様が眩しく照らしてくれていました。 私は、2年前と同じように、「ああ、○○ちゃん!どうぞどうぞ~」と車に乗せて運転しました。約5分位の道のり。2年前のように我が家を少し通り越してその子の家に着くと3人で「バイバーイ、またねー」と挨拶しました。 本当に2年間がなかったかのように、2年前と同じ光景です。 この日は私にとっても、とても忘れがたい嬉しい1日となりました。 さて、なぜその子が一緒だったかというと、偶然同じ大学の同じ学部・学科を受験し、席も斜め前だったというのです。そしてその子も、その大学が第二希望なのだそうです。 娘は前の高校の制服の子がいるな、嫌だなと思いながらそっと顔を見てみると、その親友だったので、受験前で静かな教室のなか、思わず二人で叫んで抱き合ったのだそうです。 そして電車で一緒に帰ってきて、先ほどの車で迎えに行った話に繋がるのでした。 その3日後は、第三希望の大学を無事受験してきました。 昨日、私が仕事から帰ると、突然「○○大学(第二希望)がすごくいいなあって思うようになってきた。△△大学(第一希望)で学ぶことよりも、○○大学で学ぶことの方が興味がある内容が多くて自分に合ってる気がする。すごく行きたくなってきた。もし△△大学に受かっても、一般で○○大学もう1回受けて○○大学に行こうと思う。知名度は△△より低いけど、いいよね?」と話してきました。私は即座に「もちろんいいよ!」と賛成しました。 机には○○大学のパンフレットを読んでいたようで、広げて置いてありました。 私は娘が自分で考えて、知名度より自分に合ってそうな大

  • 「頑張れ」が禁句ではなくなるとき

    「頑張れ」が禁句ではなくなるとき

    前回のブログより、1か月が経ちました。 今、娘は大学受験に行っています。 娘にとって1校目。初めての経験です。3校受けるなか、第二希望の大学です。ブログを書きながら、頑張ってと祈っています。 この1か月の間に色々なことがありました。 前回のブログを書いて数日後には、娘は「もう受験も大学に行くのも辞める」と言い出しました。「自分できちんと考えたから。大学に行かずにアルバイトをしながら習い事をして自分なりに勉強するから。」と真剣に言い出した時は、私も戸惑いました。 自分で好きに生きてほしい、それが自分なりに幸せで笑顔でいられるのなら・・・いつもそう思っている私は、最初は「分かった」と言いました。でも、やはりそれが本当に娘の幸せにつながるのか?いつも自分はニートになるかもしれないと不安がっていた娘が、本当にそのような生活に満足し、やっていけるのだろうか?とモヤモヤしていた私は、その話を聞いた夜、「さっきの話だけど、今すぐ決めずによく考えた方がいいと思うよ。とりあえず受験はしてみて、それからでも決められるし。大学に行かずにアルバイトをして習い事をするということは、自分で毎日予定を組み立てて生活すること。よほど強い意志がないとできないと思うよ。」など、話しました。娘は、泣きながら、「大学にも行けないと思う。でもアルバイトをしながら習い事もできないのなら、私はどうしたらいいの?なんでこんな自分になってしまったんだろう。生きにくい。」と話しました。夜中の1時頃まで話し込んでいました。結局、娘は受験も怖いし大学に通えるのかも不安だったので、現実逃避していたと話してくれました。とりあえず、大学は受けてみるともう一度決めた日でした。 その後、図書館やショッピングセンターで勉強をしたりしなかったり。時々不安になりまたスマホを見続けていた日もありました。 でも、受験や大学が怖くて泣いた日はその日が最後でした。 ある日は今の高校で仲良くなった友達と、第一希望の受験直前説明会に参加したり、その友達とショッピングセンターで夜まで一緒に勉強したり、図書館の勉強スペースをとるため朝から並んだり。そんな日々を過ごしていました。 またある日は、突然、受験には私服より制服で行きたいからと、自分でショッピングセンターで制服風の服を揃えて買ってきました。(前の高校の制服は見たくもないからと、一緒にぐちゃぐちゃにして捨てたのでした。) 嬉しそうに少し照れ臭そ

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