どうして桜というものは思い出をほじくり返す木なのだろう。見ているとどんどんと様々な思い出が湧いてくる。両親のこと、兄弟のこと、友達のこと、学校のこと、家のこと・・・大概は古里の幼い時のことばかりであるが・・・。中でも特別に思い入れの深い桜の花が今年も咲いた。日鉄の桜である。樹齢およそ75年、私と同年である。●日鉄の桜は社宅が無くなっても有難いことに伐採もされず残っていたのだが、さすがに老いてきた。...
前回載せた写真の中に、タオル(手拭い)を囲んでにこやかに写っている一枚があるのですが、それを見て思い出した事があります。 それは、日鉄赤谷鉱業所では年に一度の保安週間の時期にタオルデザイン、ポスターデザイン、そして標語を募集したという事です。この行事は大人も子供も誰もが応募して良いものでした。私も下手ながら応募したものです。 特にタオルの図案は製品化され配布されるものですから、少し腕に自信のある...
興が乗れば必ず出てくる唄は、三波春夫の「チャンチキおけさ」であった。それこそ歌詞にあるように、箸で小皿を叩きながら一同で歌うのである。 呑み所は山深い事でもありますし、勤め先の施設や、地域の集会所や、同僚の自宅内が多かったように思う。 私の父は下戸で酒は全くと言って良いほど駄目であったが、それでも仕事の立場上我が家での宴会は幾度かあった。 鉱夫の仕事は、その職種や番方によって幾組かに別れていて、...
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どうして桜というものは思い出をほじくり返す木なのだろう。見ているとどんどんと様々な思い出が湧いてくる。両親のこと、兄弟のこと、友達のこと、学校のこと、家のこと・・・大概は古里の幼い時のことばかりであるが・・・。中でも特別に思い入れの深い桜の花が今年も咲いた。日鉄の桜である。樹齢およそ75年、私と同年である。●日鉄の桜は社宅が無くなっても有難いことに伐採もされず残っていたのだが、さすがに老いてきた。...
かつて国鉄で唯一スイッチバックの終着駅として知られた東赤谷駅であるが、その痕跡を現在見つけようと思うと大変である。インターネットの中でも時折、旧東赤谷駅跡付近を訪れて、スイッチバックの赤谷線跡を推測している方がいるが、大概はだいぶ見当はずれの所を示している人が多い。それほど彼の地は変容しているのである。せっかく訪れて下さって、何一つとして当時の面影に寄り添って頂けないのは誠に申し訳ないような気分に...
このブログを始めてから今年で17年になる。故郷に関するネタも尽きかけてきた。この辺りでそろそろ一区切りつけた方が良いのかも知れない。どの様な形にしようかただいま思案中なり。●正月の菅生野。雪景色は美しいが、震災の能登地方の方々には厄介でしかなく愛でる余裕もないことだろう。写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...
「げっぽ(ビリ)になったのはオメのせいだ」と、みさおは私に盛んに怒っている。どうやら私から取り上げるように借りていったスキー板の滑りが悪かったらしい。雪国の山の学校では毎年冬の授業としてスキー教室が地元のスキー場で行われる。赤谷スキー場といってロープトウのある緩斜面と、300メートル有るか無いかの急斜面の滑降コースが一本あるだけの小さなスキー場ではあったが、下越近隣にスキー場が少なかったせいもあっ...
暑くなったり寒くなったりと、家の辺りでウロウロしていると体感だけでは季節を感じられないので、先日人生最後の車として乗り換えたタフトなる車を駆って比企丘陵までドライブに行ってきた。...
焼峰山は赤谷小学校の背後に聳える故郷のシンボルのような山ですから、学校の行事として焼峰登山は古くからあったようです。私も昭和30年代に何年生の頃かは忘れてしまいましたが、先生引率の下に登っています。この山の標高は1085メートルと、それほど高い山ではありませんが、剥き出しの岩場やザレ場があったりしてズック靴の子供には緊張を強いられる場面があります。今は亡き祖母が、どこからどのように手に入れて来たか...
今夏、甲子園での高校野球大会では、選手の頭髪は坊主頭が良いだの長髪が良いだのと騒がれていたようだが、故郷の稲刈りが終わった田んぼを見ているうちに、そのような事が頭に浮かんでしまった。写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...
湯ノ平山荘には数々の思い出がある。殊に二代目(昭和34年〜昭和49年)の山荘には深い思い入れがある。風の便りにこの山荘が雪崩によって半壊し、解体されて新しく建て直されるという話を聞いた時には、随分と寂しい思いをしたものである。飯豊山には数回登山をしているが、下山口は必ず湯ノ平温泉と決めていた。その理由は何と言っても湯ノ平山荘を朝立てば昼前には生家である我が家に歩き着けたからである。今回、長年心の片隅に...
時折、在所は何処かと聞かれることがある。殊に上京したての頃は多かったような気がする。聞かれれば、とりあえず「新潟です」と答える。そして相手の様子を見ながら「新発田を知っていますか?」と聞く。続けて「新発田でも山の方、飯豊山の登山口の生まれです」と言う。余程の山好きでない限り、話しはその辺りで終わる。ことほど左様に当時の私は飯豊山登山口で生まれ育ったという事は自慢であり誉れだったのである。●赤谷線東...
故郷を離れてから忘れ去ってしまった事はたくさんあると思うのだけれど、星もその一つだろうなぁ。この辺りでは夜空いっぱいの星を見ることは臨むべくもない。目を凝らして見ても、この年老いた目に映るのはせいぜい数個のみだ。もはや見る気を失ったと云うか、夜空には星があると云うことさえ忘れている。かと言って子供の頃、見えていたはずの満天の星をまじまじと見て感動した記憶もない。それは満天の星があまりに普通の景色だ...
大人は誰一人として語ってくれる事はなかった、日鉄赤谷鉱山にも中国からの強制連行者がいたことを・・・。ただ、彼らが収容されていた土地の名前だけが語り残されていた。その土地の名は「華人合宿」という。大人の口からの音として受け取り聴く子供たちは「カジガシュク」と呼んでいた。そこは飯豊川(加治川)と河岸の崖に挟まれた狭い土地で、今考えれば逃亡を抑えるのに適した場所であったと思い当たる。しかし、この「カジガシ...
夏休みは朝のラジオ体操から始まった。購買所前の広場に50名からの子供が集まる。やがて共同浴場の屋根の上に設けられている大きなスピーカーからラジオ体操の歌が流れてくる。新しい朝が来た 希望の朝だ喜びに胸を開け 大空あおげラジオの声に 健やかな胸をこの香る風に 開けよそれ 一 二 三ラジオたいそう だいいち〜はじめ!!社宅の上へと続く階段の上には先導の上級生・・・、終われば参加の証であるカードにハンコ...
時の移ろいを何をもって感ずるかは人それぞれでしょうが、私は季節季節に送って頂く菅生野の景色でそれを感ずる事が多くなりました。写真の中に暑さを感じたり寒さを感じたり、そうすると皮膚の感覚と共にあの頃の自分も甦ってくるのです。写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...
孫たちは夏休みに入った。そして自身の夏休みを振り返って、まず思い浮かんでくるのは熱い川原の風景だ。私の通う川原は大小さまざまな丸い石がゴロゴロしていて、それは漬物石大の物から身長を越える大きさの物まで一面を埋めていた。現在知識を得た私は、その石が花崗岩であったと分かる。白い肌に黒い粒々が入って、飯豊川の激流を下ってきたものだから角が取れてスベスベに磨かれて、思い浮かべる情景は丸い胡麻塩むすびが並ん...
梅雨空の下の薄暗い庭園の隅に何かが光っている。近づいてみると、そこはまるでアイドルグループのコンサート会場のようにサイリウムライトの光る棒が揺れるように立ち並んでいた。そして屈んで眺めているうちに、光っている所を切ったら小さなかぐや姫がたくさん現れるのではないか?と思ってしまった。見沼の自然庭園にて...
定点風景になっている赤谷の菅生野の田植えが終わりました。青々とした風が、遥か飯豊の山々から赤谷三山を越え吹き渡ってくるようです。雲や周囲の山々を映す水田の水面も、あといく日かの時を経て旺盛に生い茂る稲の葉に覆い隠されてしまうでしょう。●令和5年5月27日の風景●3月下旬時の同風景写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...
故郷の山々の緑は、ますます濃厚になっていくようです。以前は杉の木ばかりが目立った焼峰の裾野は、随分と広葉樹が増え様々に色の変化を見せるようになりました。2枚共に社宅跡の写真になりますが、後一ヶ月もすれば夏草が生い繁り、とても足を踏み入れる気にもならなくなります。2枚目の写真は所々に桜の老木が見られます。正面に見える石垣は社宅のほぼ中央を東西に横切るようにあって、すぐ下に鉱員用の共同浴場は立ち、上に...
今年もブロ友の角瓶28号さんが、ふる里の桜風景を送ってくださいました。かつてあった日鉄赤谷鉱業所社宅の在処を示す数少ない遺産の一つである桜の木も年を経るごとに一本また一本と老いて枯れ朽ちて減っていくようです。●赤谷小学校と桜と焼峰。この地を故郷とする諸人は、こぞって郷愁に陥る風景でしょう。●東赤谷の旧観月橋のたもとから飯豊方面を眺めます。●右側の桜は枯れてしまったようです。この桜は職員用の浴場の側に...
定点撮影と言うと、テレビではよく都会の街並みの変化が映し出されます。それは破壊と再生の凄まじいばかりの移り変わり様です。大して時も経ずに訪れた街で過去の記憶を頼りに歩くと迷う事がしばしばあって、心が不安だらけになってしまいます。それを思うと我がふる里の景色を前にした心の安寧はどうでしょう・・・。何十年、何百年も変わらぬ風景に心が安らぎます。ちなみに昨年冬の景色です写真提供:バクロのあんにゃさん※画...
天気予報ではお天気の悪い日が続くらしい。今日の午前中は何とか晴れ間が出るというので埼玉小川町へ片栗の花を見に行く。行ってみれば片栗の花の盛りは過ぎていたが、水芭蕉や桜は見頃であった。散策途中にある寺の手水舎は花手水となっており、その造作に思わずうっとりと清々しくなる。...
今年もブロ友の角瓶28号さんが、ふる里の桜風景を送ってくださいました。かつてあった日鉄赤谷鉱業所社宅の在処を示す数少ない遺産の一つである桜の木も年を経るごとに一本また一本と老いて枯れ朽ちて減っていくようです。●赤谷小学校と桜と焼峰。この地を故郷とする諸人は、こぞって郷愁に陥る風景でしょう。●東赤谷の旧観月橋のたもとから飯豊方面を眺めます。●右側の桜は枯れてしまったようです。この桜は職員用の浴場の側に...
定点撮影と言うと、テレビではよく都会の街並みの変化が映し出されます。それは破壊と再生の凄まじいばかりの移り変わり様です。大して時も経ずに訪れた街で過去の記憶を頼りに歩くと迷う事がしばしばあって、心が不安だらけになってしまいます。それを思うと我がふる里の景色を前にした心の安寧はどうでしょう・・・。何十年、何百年も変わらぬ風景に心が安らぎます。ちなみに昨年冬の景色です写真提供:バクロのあんにゃさん※画...
天気予報ではお天気の悪い日が続くらしい。今日の午前中は何とか晴れ間が出るというので埼玉小川町へ片栗の花を見に行く。行ってみれば片栗の花の盛りは過ぎていたが、水芭蕉や桜は見頃であった。散策途中にある寺の手水舎は花手水となっており、その造作に思わずうっとりと清々しくなる。...
飯豊川(加治川)の渓谷は深い。その両岸を結ぶ橋はいく本かあるのだけれど中でも「朴名橋」は歴史的に一番古い橋ではないかと私は思っている。それに「朴名(ほうな)」という橋の名が、ここ数年来とても気になっている。名の由来は何なのか・・・、赤谷地方の歴史を綴る文献を調べても載っていないし著者によっては語源を研究中という書籍もあった。私のブログに多くの写真を寄せて協力してくれた同郷の人にA藤子さんという方が...
私の父方の家も母方の家も神職である。ただ父方の家の方は後継者が居なく家は絶えてしまった。両家とも新発田市蔵光にあって、現在も続いている母方の本家は現当主で四十九代目の神主である。神職であったが故にその系図は比較的はっきりしていて、先頃まとめられた家系図によれば1〜3代目ははっきりわからないものの4代目は天禄元年(970年)に神職に就ていたらしい。実に1053年も前の事である。私は働きに出た都会での...
明日はこの辺りでも降雪の予報が出ている。新潟の豪雪地帯の生まれで雪の苦労は散々知っており、現在雪国に住まわれている方には大変に失礼とは思いながらも私は雪の降るのを待っている。そしてなお楽しい気持ちさえ浮かんでいる。毎年訪れる3メートルを越える豪雪の季節でも、それが普通であり日常であったから側からは思える苦労も不便も感じることは無かった。ただただ大人はモクモクと働き、子供はユウユウと遊んだ。私と同郷...
初場所は貴景勝の優勝という一番落ち着きのある形で終えたが、何かどこか寂しい。それは豊山という四股名が取組板に見えず、また館内にその四股名が響く事が無くなったせいだろう。大雪で列車の運行がままならず大勢の人が新発田駅の待合室で運転の再開を待っていた。それは昭和40年頃であったろうか・・・、待合室の上部に設置されたテレビジョンは豊山対大鵬の取り組みを映していた。人々の全ての頭は同じ方向を向き、制限時間...
頂いた写真は、まるで定点観測のように季節の移ろいをはっきりと感じさせる。我が母校赤谷小学校の立つ菅生野の「田植えの春」「繁りの夏」「実りの秋」そしてこの度の「雪眠りの冬」・・・。季節感の乏しい、おぼろに時が過ぎて行く土地に住む私に、いま更に生きる活力を与えてくれそうだ。写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...
故郷の象徴である山の焼峰を仰ぎ見ている限り、それほどの歳月の移ろいを感じ無いのですが、いざ振り向いてかつての住居跡を見れば、そこは切ないばかりに六十年を経た風景が広がっているのです。●令和5年正月と昭和39年冬。東赤谷より東方飯豊山方面を望む。●令和5年正月と昭和41年冬。東赤谷より北方棚橋山方面を望む。●令和5年正月と昭和43年冬。東赤谷より西方新発田方面を望む。古い写真を見ると昔は現在より多く雪...
雪国特有の鬱々とした雲が広がっています。野辺の草も生気を放ち終え、あとは雪に埋もれるを待つばかりです。かつての私は、紛れもなくこの風景の中で育ち生きていた訳ですが、今その時の心境を思い浮かべようとしても湧いてくるものはありません。ですがこの風景の醸し出す「気」は、私の人生の指標の一部に間違いなく存在している訳で、自分を語る上で大切な場所となっているのです。●旧日鉄社宅跡付近から●加治川治水ダムに通じ...
秋と冬の狭間の晩秋とも初冬とも言い表しても良いようなこの時期は、雪国生まれの私達にとってどこか哀愁のようなものが漂い故郷がひとしお恋しくなる季節なのかもしれない。さらに時を絞れば昼と夜の間の太陽と月が主役を交代するほんの数刻が、体の内に潜む故郷の魂みたいなものが覚醒される時間なのかもしれない。令和4年12月3日午後4時頃、新潟県新発田市大字東赤谷1046の1にて同地に産する者が撮影。※画像の無断使...
県道14号新発田津川線の中々山から月岡方面の荒川剣竜峡に至る林道新発田南部線は平成21年の開通で私も一度通ったことがありますが、とても眺望の良い林道です。私の通ったのは夏頃で、秋になればさぞかし紅葉も美しいのではなかろうかと思ったものですが、先日晩秋の峠道の写真を頂いたので掲載致します。●峠道から焼峰・蒜場山・二王子岳、そして奥に飯豊連峰を望む。見える湖水は内ノ倉ダム湖。●紅葉が終われば人にも猿にも...
私のブログには嬉しい事に、故郷に縁のある方が時折訪ねて下さいます。今日の写真もご両親が滝谷出身のM.Kさんが送ってくれたものです。M.Kさんは子供の頃よく滝谷に遊びに行き、時間に余裕のできた現在もしばしば滝谷に通っておられるようです。そして寂れていく滝谷集落に元気を取り戻そうと様々に活性化に尽力なされているとの事です。滝谷応援団との思いだそうで、私も応援いたします。●治水ダム上流方面。遠方に雪の被る山は...
当初はおらが古里にできた巨大なダムに大変な違和感を覚えたが、これも半世紀も経てば周囲の風景に溶け込んで穏やかな眼で眺めることが出来るようになった。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...
東赤谷駅から鉱山のある鉄山駅まで引かれていた日鉄赤谷鉱山専用線には、まだ僅かではあるが痕跡が残っている。昨日掲載した東赤谷連続洞門もその一つだが、飯豊川やその支流にかかる橋梁もそうである。特に使われなくなって半世紀以上経つ飯豊川橋梁は、紅葉の時期になんとも言えぬ趣を醸し出している。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...
子供頃、何気なく通っていた道も風景も年月を経て記憶が熟成されると、豊かな芳香を放つ思い出となるようだ。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...
私は山が好きだったので随分とあちこちの紅葉を見てきた。そして思うのだけれど贔屓目なしに私の故郷「東赤谷」の紅葉がトップクラスの美しさを持っている。その美しさをブログ「角瓶写真館II」さんが送ってくれた。いくつかに分けてお届けしたいと思う。●言わずと知れた焼峰ですが、私がいた頃より周辺に随分と広葉樹が増え広がり紅葉が見事になっているように思われます。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じ...
暖かくて穏やかな秋日和が続くので、、いてもたっても居られず久し振りに山に出かけて参りました。●山頂部はすでに紅葉は終わり冬を待つばかり。標高1000メートル付近で紅葉が盛りでした。...
日本シリーズ2022でヤクルト対オリックスの熱戦が続いておりますが、昨年と違い多くの観客も戻り、やっと日本シリーズらしくなってきました。第一戦・第二戦と明治神宮球場で試合は行われましたが、私もかつて一度だけ神宮球場に行った思い出があります。それは昭和46年(1971年)のこと、友人に誘われて行った6大学野球の早慶戦でした。そこで行われた両校の応援合戦にいたく感動したのを覚えています。...