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見浦牧場の空から https://miurafarm.blogspot.com/

中国山地の雪深い山間部で黒毛和牛の一貫生産に体当たりで取り組んできた見浦牧場の元経営者とその家族が、 和牛のこと、牧場のこと、農業のこと、自然とともに生きるということ、少しじっくりお話します。

てっちゃん
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2019/07/18

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  • 国道1 9 1号線、改修工事裏話

    もう何年昔になるだろう、国道1 9 1号線の改修工事が一時中止になった。その時、はからずも 後始末を仰せつかって、超多忙の毎日の中で、地元の説得やらお役所との折衝やらで1年を棒にふった。当時、金儲け組が新道を種に横車を押しまくって工事が中断、その連中が新道が完成し たら昔を忘れて...

  • 町議選

    お隣の元町議会議員だったご婦人が亮子くんを訪ねてきた。今年は我が安芸太田町の町議会議員の改選期である。思い出せば私も政治の師、前田先生の勧めで町会議員に立候補したことがある。見事に落選したが私の人生には幸運だった。それはその選挙で人間の裏側をまともに見ることが出来たからだ。応援を...

  • 運転免許終了

    2021.2.21 運転免許の更新をしなかった。まだ運転は出来る自信はあったが老人の運転事故の報道が多発、老化で能力の低下は私も自覚していて、50キロ以上のスピードは出さないことにして注意を払ってきたのだが、やはり周囲の人からすれば90歳の老人が公道を走行するなど危険そのものと反...

  • 小さな牧場の小さな肉屋

    2021.1.16 見浦牧場は中国山地の芸北地区にある小さな小さな牧場の一つである。この牧場を開設して6 0年余りになる。色々な経緯があって生涯を畜産の和牛飼育にかけようと思ったのは、まだ若かった2 8歳。開設時の苦労も昔話になって経緯を知る人は皆無になった。  私は人生は出会っ...

  • 旅立ち

     あと17日で90歳になる。最近の体力低下は著しくて思いの1/10にも達しない。こんな状態だから明日の目覚めがあるのか、ないかは全く不明だ。だが恐怖はない、中々人間はよく出来て いると変な感心をしているところだ。 ともあれ90歳には何とか辿り着けそうだが、こればかりは予測どうりに...

  • ねこやなぎ

    2021.1.23 まだ厳寒なのに先日から冷たい雨が降る。冷たいと言っても雨は雨、昨日今日と雪が減って重い雪に変身した。今日は堆肥置き場の除雪でカッパを着ての作業、時はまだ1 月、春は遣いから、まだネコヤナギの蕾は見えないはずと小川を覗いたら、小さな白い蕾が伸び始 めていた。自然...

  • 春風

    あと10日で2月である。2月の10日にもなると、一瞬温かい風が吹いて、春遠からじを期待する。それがあと10日の我慢である。今冬は仕事が何もかも遅れて季節に追われどうしだった。従って心にも体にも余裕がない、おまけに老齢と病後の体力低下が相まって作業の能力低下がおびただしく牧場の戦力...

  • 除雪で死亡事故

     朝、亮子君が、昨日松原で除雪機の死亡事故があったと報告、名前は発表されてないが事故のあった家はこれこれだとパソコンの画面で表示、地図と家の写真ではH君らしい、高齢者 と云うから間違いはない。松原の友人に確認したいが葬式にゆく気力もないし、ウイルス騒ぎで必要以外は集まるなの要請の...

  • 農兵隊のM上君

    2019.11.3 見浦牧場ミートセンターへ農兵隊での同僚のM上と名乗ってお客さんが買い物に来てくれた、と店番の家内から伝言があった。が、75年も彼方での同僚、名前を記憶しているのは出身学校が近接の町村の1 0人あまりでしかない。まして旧都谷村と言えば当時の私 には外国、しかも、...

  • カイツブリ

    牧場の沈殿池に飛来して来たカイツプリ、小型な水鳥が13羽が小さな池を泳ぎ回るのは愛らしかった、幸い見浦牧場は養鶏業ではないので、鳥インフルエンザにはご縁がない、伝染される心配はないので安心して可愛いねと言う、素直に眺めることができる、牧場に住み着いているカラスたちが餌にはならない...

  • 観光は世間話から

    2015.9.26 お産の牛や子牛、育成牛用の牧草刈が私の仕事の一つです。毎日、約1トンの草刈は機械化のおかげで2時間ほどで完了します。牧場初期は刈払機で刈り、ホークで軽トラに積み込んで運ぶ、一連の作業は肉体的にも時間的にも大変でした。その草をあっという間に平らげて足らないと鳴く...

  • ひらべ

    2015.8.20 早朝、牛を飼いに牛舎に行く途中、道沿いの小板川にひらベ( ヤマメ )を見た。青年時代、水眼(水中メガネ)を片手に水中ホコを持って追っかけた魚だ。私は不器用でね、三国ではテンガマ(手長エビ)を追いかけて竹田川の浅瀬を水眼で探し歩いたものだが、なかなか取れなくて、...

  • 明けまして

    2021/1/1 明けましておめでとう。あと50日生き延びたら90歳になる。ヘルペスと、ヘルニアと、常在肺炎と、左足の交通事故の後遺症、まだある、 落ち着いているが日本脳炎のウイルスが体内にいる、こんな体でも、ここまで生き残れる、有り難いとしか言いようがない。 92歳まで生きると...

  • 重さんが死んでいた

    2020.12.29 お向かいの一人暮らしの重さんが死んでいた。私の晩年のよき友だった重さんが推定2日前に死んでいた。ショックである。 最近、時々姿が見えないことがあって、85歳の彼も年取ったなと見ることもあったが、私より5歳も若い、当然、 私の終末が早いと決め込んで、時折の姿が...

  • 田舎も流行

     2015.11 住民の流出で衰退した経済を何とか立て直そうと田舎が懸命に知恵を絞っています。でも私には上滑りに見えるのですが、そんな感じの地方再生です。 我が町でも新商品が出ては消え、消えては出現する、そんな繰り返しが何度かありました。木工品あり、農産物あり、漬物あり、様々でし...

  • ちじむ頭脳

    技輩は老人である。85歳に限りなく近づいていく。体力の衰えは先人の老人達を眺めて理解していたが、頭脳の衰えは我が身に起きるまで理解することが出来なかった。それが確実におき始めた。その変化は脳細胞の衰弱が原因の現象だと理解しているが、その衰弱が時間と共に増えてゆく。 先立った友人が...

  • 小板の雪景色

    小板の冬は、おおよそ2月の10日がピークである。12月の終わりから、ひたすら寒さに向 かって走り続けた冬将軍が一息をつく、それが2月の10日頃、昔の小板の住民はひたすら体を小さくして冬将軍のご機嫌を損じないようにと、その日を待った。時折、無謀にも「何を」と挑戦して事故につながった...

  • 終わり

    2020.12.20 脳天気の吾輩も遂に最後の日を意識するようになった。長年、終わりは90歳を意識して生きてきたから(92歳を目標にしていた時あった)、別に恐怖はないが体の機能が次々と失われてゆくと、あと何日、何時間と余命を考えるようになる。 ま、後続の諸君の参考?のため私の現況...

  • 読書

    私は読書が好きだ。子供の頃から母から本を与えられて読書の習慣を植え込まれた。おかげで小卒の学歴ながら一応の知識を持つことができ、大卒の専門家と話してもなんとか意思が通じた。しかし、小板は山奥、中心の役場までは20キロの距離、雑誌がおいてある小さな文具店が1軒、本屋の体裁をした書店...

  • ふるさと納税

    見浦牛肉がふるさと納税に参入して何年になるか?。ミートセンターの律子(私の3女)君の奮闘で徐々に数量が増加してきたのだが、昨年末からは数量が急激に伸び始めた。時には現場が悲鳴を上げるほど多忙にと、想像してなかった急激な伸び、見浦牧場の歩み方にはかつてなかった現象が起きている。 と...

  • 仲間

    見浦牧場の牛の飼育方法は群飼育と言います。 ここ中国山地では、昔から役牛 (トラクターなどの代わりに仕事をする牛) として和牛が飼われていました。私も子供の頃は牛を使って田んぼを耕していましたから、7- 80年前も前の話です。その頃は1頭毎の牛房(牛の部屋)が一般的でしたが、大畠...

  • 2020.09.28 長い間、海を見に行く機会がなかった。小板は中国山地の頂点近くにある、どちらの海にも60-70キロは走らなくては行けない。体力が落ちてからは久しく行けなくて、何とか気力、体力がある間にもう一度海を見たいと思っていた。 今日、3女の律子君が暇が出来たので連れて行...

  • 病院食

    2020.10.14 明日は直腸の内視鏡検査、従って今日から明日の検査のための病院食以外の食べ物は禁止となる。折角食欲が出て間食が欲しくなった現況では一種の悲劇になった。それでも仕事から手を引く気にはなれない。空腹を抱えても、秋の日は気まぐれ、仕事はできるときに片付けないと、とは...

  • 田舎は子供の天国なのに

    2009.9.27 別荘のOさんが通りかかりました。わざわざ車を止めて「ヤー見浦さん」と立ち話、私の周辺には立ち話して行かれる別荘の人が多いのです。中にはブログ”見浦牧場の空から”を見ていると云う人まで現れて。 その一人、Oさんが楽しそうに「こんどの日曜日、孫の運動会での、見に行...

  • ヘルペスと闘う

    2020.02.14  昨夜から左の頭部から顔面が急速に腫れる。作業の流れで家の人間は都合がつかないので、キャンプ場を建設中の淑子くんに依頼して安芸太田病院に連れて行ってもらう。ヘルペス(帯状疱疹)と診断され、即、可部の安佐市民病院に入院する。友人の的場君がヘルペスで顔面が変形す...

  • デキスタが作業

    今日はデキスタが活躍している、と言っても貴方は何事か理解は出来ないだろう。デキスタはイギリス製の小さな(当時は中型に属した) トラクター、私が彼を最初に見たのは20代の半ば、広島県の試験場で、どこかは記憶意がさだかではないが、本格的なトラクターで素晴らしいと思ったね。当時のイギリ...

  • ツクツクボウシ2

    夏の日、小板の自然はアブラゼミの大合唱である。暑い暑いと言いながら時を忘れて仕事に精を出す。タ方ふと気がつくとセミの声の中に微かにツクツクホウシと秋の前ぶれの声が交じっていた。 今は河川改修で消え去って偲ぶべきもないが、うまれ故郷の三国の九頭竜川と竹田川の河口の交点にあった汐見の...

  • 巨大な猪家族

    元スキー場の草刈りで巨大な猪家族に出会った。50メートルも離れていたかな。巨大な成獣のペアと仔猪が4頭。人間がいると確認しても逃げないのだから、小板も野獣の天下になり初めた。仔猪は懸命に餌探しだが、巨大なペアは時おり顔を上げてこちらを確認をするだけ、人間のほうが飲まれてしまってね...

  • 全農見浦

    「全農見浦」、屠場に牛を出荷すると出荷主の確認を容易にするために牛の腹部に黄色いペンキでマーキングする、その折、見浦牧場の牛に書く ネーミングである。従前は農協専属の屠場への出荷だったから、出荷主の確認は、日本の牛全頭に装着が義務付けられている耳標の確認でことが足りたのだが、現在...

  • 牛の涙(食物連鎖)

    病院で看護婦さんに、牛は屠殺されるときに涙を流すのか、と聞かれた、私の心の琴線に触れた話である。答えたいとは思ったが、さすがに高熱の下では適当な言葉が出ない。でもこれは生きることの基本の話、それをこんな形で質問されるとは心外だった。今日は私の考えを聞いてほしい。 私達は食物連鎖の...

  • 体力急速低下

    人生を最後まで見届けてやると豪語したが現実は甘くはなかった。努力の甲斐あって常人よりもボケの進行は遅いと自負しているものの、その裏付けの体力が伴わない。おー、生きると云うことは簡単ではないんだと痛感する毎日である。 昨日は敷料のバーク (チップ工場の木の皮、畜舎の敷料にする)を取...

  • 私とウイルス

    コロナウイルスが世界中で暴れまわって順調だった世界経済は大混乱、コロナ対策とて外出の制限、集団会食の禁止?、等々、経済も急激な減速で、見浦牧場にも牛価の低下で甚大な影響が及んでいる。 コロナウイルスの出現で忘れていた私のウイルス歴を振り返ることになった。日本脳炎を初めとして麻疹や...

  • 星の瞬き

    小板まきばの里キャンプ場の淑子くんがミニキャンプ場の報告に来た。試験開業の結果が思いのほかの反響で驚いたと。 その中で小板の星空の美しさにキャンパー達が感心していたと。最近の都会は不夜城のようで、夜でも煌々とライトに照らされた夜空はただの暗黒のカーテンに過ぎない。勿論、月や光度の...

  • ツクツクボウシ

    仕事に追われて気がつくとツクツクボウシが鳴いていた。長い梅雨が晴れてミンミンとミンミンゼミが鳴いて、やっと夏が来たと思ったら、ツクツクボウシ、お盆近くで、はや秋が気配をみせた、それがツクツクボウシの声、それでも塩辛トンボは飛んでも、まだ赤トンボの大群は姿を見せないから、もう少しは...

  • まだ動ける

    89歳も半ばを過ぎて体力の低下は進行を止めない。次の大台の90歳まで生き残れるかは微妙な瀬戸際の問題になった。勿論、老化は進行を止めることはなく、ちゃくちゃくと次の段階に進んで食事の量も昔の1/3にも及ばない。それでも体は動くから人間の意志の力には感心する。 もっとも作業量の低下...

  • 怨念

    あれは共同経営の後始末で走り回っていた頃の話だ。理想に燃えて多角経営を共同で始めたのはいいが相手が悪すぎた。義弟のHが逃げの名人とは知らずに家内の弟だからと一方的に信じたのが間違いのもと、自分の不明が原因だから誰も恨むところはなかった。しかし、押し付けられた借金の山には苦労したな...

  • 努力すればの言葉

    「努力すれば」は誰もが唱える正論で、私の90年近い時間で見た世界は、まさにその言葉どおりだった。しかし、この言葉は本当にその道を歩んだ人だけがロにできる、努力を忘れた人間が口にしてはいけない言葉なんだ。それは反面恐ろしい破滅の近道なのだから。 私の生きた小さな世界でも、天国と地獄...

  • 見浦牧場の初代として

    見浦牧場をはじめたのは私が28歳の頃だと記憶している (最近は記憶があやふやになった)。 数えると60年を超す。末息子の和弥が進学をあきらめて小板に帰ってきてくれて、お嫁さんの亮子くんが家族の反対を押し切って追っかけてきてくれて30年余、男の子の孫が三人、 見事な大人になり始めた...

  • カラスのボス

     見浦牧場の西側は小さな小山である。四方を見下ろせる小山の松林はカラスの絶好の宿泊場所、いつのころからかカラスの大群が住み着いた。考えてみれば三段峡をはじめとしてキャンプ場、深入山や刈尾山の登山道等、都会人が集まるところが近辺にある。カラス君にしてみれば食事には大変都合がよろしい...

  • 選挙違反

    2020年6月、目下、当地区では河井前克行元法相と奥さんの案理参議院議員の選挙違反の記事でにぎやかである。すなわち金銭買収、昨年の案理さんの参議員選挙の運動員への高額支払いから端を発して旦那の政治資金?のバラマキが表面化した。云うまでないが金銭で投票を左右するのは選挙違反である。...

  • N君とコッちゃんのキャンプ場

    何日かぶりにキャンプ場の進行状態を見学に行く。昨日依頼してあったトイレの建前が済んだのを拝見。さすが近郊の工務店、 親父さんと息子の2人がかりで建前は完成、後は付属工事だけと、電気工事は西田君は免許持ちだから自前とあいなる。 しかし、廃屋の除去から始まって、瀧木の除去、排水と2年...

  • 見浦家の栄枯盛衰

    嬉しくない言い伝えだが見浦家は2代ごとに栄枯盛衰を繰り返すという話、聞きたくないことだが他人には恰好の世間話、何人もの人から聞かせてもらったから知る人ぞ知るの話なのだろう。 さて、問題になるのは私が、この栄枯盛衰のどこに当たったのかだが、残念なことにどん底にヒットしたらしい、お陰...

  • 物忘れ

    人生も終わりに近づくと様々な事が起きてくる。 その一つに物忘れがある。多少のことなら誰もが持ち合わせている欠点だが人生が終わりに近づくとただ事でない物忘れに進行する。勿論、自分でも最近は物忘れが進行しているなとは自覚しているから大切なことは常時確認するようには努力はしているのだが...

  • 移動図書館

    我が安芸太田町にも移動図書館なるものがある。小さいながら町立の図書館である。町村合併で各町村にあった図書館が合併して、本館と分館とがあって県立の図書館とも連携がある。希望すれば取り寄せてくれて各種の本が読める。青年の頃、広島市の浅野の図書館に通って都会は素晴らしいと感嘆したのだが...

  • 父 見浦弥七 1

    自分を語るときに、父見浦弥七を真っ先に記述しなければいけないのに、彼のことは散文的に文章のそこここに述べるに留まりました。それは、私のつたない表現力では描ききれない、大きな大きな人だったからです。素晴らしい人でした。そして、優れた点も欠点も合わせ持っていた大人物でした。見浦家は2...

  • ボールペン

    今はどの家庭にも何本もある使い捨てのボールペン、私の机の上だけでも常時10本近くある。私の少年時代は万年筆と言いたいが貧乏人には高嶺の花、鉄製の付けペンが常用品だった。それも10本ぐらいしか買えなくてね。一度に1グロス (144本) 入の一箱が買えたときは嬉しかったね。書き味が悪...

  • 暖冬

    積雪がほとんどなかった暖冬の冬だったが、3月も半ば過ぎになって時々は冬景色を展開する。昨日の春景色が、今朝は一面の銀世界、ネコヤナギの芽はもう春ですよと告げているのにである。 ともあれ私の体験したことのない冬だった。梅は咲いたし桜も早咲きの知らせがあるのにね。 地球温暖化が叫ばれ...

  • 思いもかけず可部の町

    帯状疱疹で入院した市民病院の4階から可部の町を見ている、そして過ぎた人生を振り返って記憶の中の可部の町を思い出している、子供の頃、少年、青年、若者、初めて自家用車を持った頃と、長かった人生の折々に触れた可部が走馬灯のように思いうかぶ。 最初の記憶は福井から毎年夏休みには小板に帰っ...

  • Kさんが死んでいた

    2020.2.2 Kさんが今年の初めに死んでいた。まさに晴天のへき歴だった。昨年の12月の初め、久方ぶりに我が家を訪問されて世間話をしたばかりで、次のニュースが死亡されたとは。動物の生き死にに関わって生活している私にとって、命に関わる出来事は常人より鋭いと自負していたのに全く気が...

  • ヘルペス後日談

    2020.2.23 2月12日に帯状疱疹で入院し19日に退院。ヘルペスの進行は止まったが発疹は頑固に患部に居座っている。おまけに微妙にかゆい。命は取られなかったが後遺症は残りそうだ。おまけに患部の位置が悪すぎる。頭の左半分、最初は眼の中への侵入はないと喜んだのだが、対策が効果を上...

  • 排尿が困難になった

    2020.2.21 ようやく89歳になった。ところが老化が進行し排尿に問題が起きた。男性は前立腺の問題からは逃れられない。帯状疱疹で1週間ほど入院していた時、病室の隣のベットの老人に対する医師の説明も老齢になれば前立腺の問題は避けては通れないと説明していた。手術は危険が多すぎる...

  • 小板で動乱を感じて

    2019.11.25 GSOMIA日韓軍事協定の破棄の期限が23日午前0時だった。韓国からの一方的な破棄の宣告だったが、この間題で連日ユーチューブやテレビ、新聞のかしましかったこと。山奥の小板ではほとんどの人が関心を持たなかったが、実は情勢の変化は頭上に示されていた。今日は、その...

  • 学べ動物の教え

    私の長い人生の中で様々なところから、様々な教えを学んできた。その一つに野生の動物たちがある、彼等の親子の情愛は我々人間にも勝るとも劣らない。今日はその中で体験して心を打たれた話をしてみよう。 私は小板の自然の中で生活してきた。従って動物たちの思いがけない行動を見る機会にも恵ま...

  • 老人様々

    2019.11.26 今日は若い連中はそれぞれ自動車で仕事に、従って留守番は私達老人が二人ということに相成った。ところがめったに無いことだが昼過ぎにミートセンターにお客さんが相次いで2件、晴さんは骨折で脚が痛いのでお店まで行けないとお断りしたのだが、” 見浦牛肉を買って帰れ"との...

  • ばーちゃん骨折す

    2019.10.26 晴さんが歩行困難になる。気丈な彼女が腰が曲がって小さな台車を押しながら、それでも健常者に負けない速度で歩くのを、ビッコで歩行困難で数十メートルを歩くのが限界になった私は、さすがは晴さんと羨望の眼で見ていたのだが、昨日の朝、脚が痛いと歩行困難になった。早速、子...

  • トイレで転倒す

    残念ながら私の老化は休むことなく進行中である。歩行中の転倒はこれまではなかった。ただ機械に乗り降りする際の転倒は1-2度あって細心の注意で何とか防いではいたものの、今朝方は屋内でトイレに行く途中で転倒した。 最近は牧草地で転倒することは珍しくない。左足の脚力が弱くなって持ち上...

  • サチ子ちゃんへ

    ご無沙汰しています。お元気ですか?私も89歳を目指してまっしぐら、体力が落ちて、物忘れがひどくなって、ひたすら人生の終点を目指している生活を送っています。 近頃は墓所の近くにゆくと、親父さんとお母さんに「まだ生きているで」と報告をするのを通例にしています。「親父どんの大畠(注...

  • 朝霧

    2019.4.19 ほのかな朝霧だった。深入山の峰が霧の中から浮かんで、所々、咲き始めの山桜が白雲の中から顔をだす。桃源郷と呼んでも惜しくはない風景だ。息子の和弥は、これがあるから、ここに住む値打ちがあるのだと宣言する。ところが世の中は物質至上主義、物、金、名誉、必要や実用に関係...

  • 人生は50/50

    長い一生を生きて、おぼろげながら自分の人生を反省する時がきた。そして一つの法則が浮かび上がってきた。それは、人間の一生は、いいことも悪いことも50/50の割合で登場するということだ。見浦牧場の苦難の道を乗り越えて、ささやかな追い風を感じると、過ぎし我が生き方を平常心で見ることが出...

  • 大谷

    新庄の青原木材に木の皮を2台で取りに行く。この日ばかりは堆肥運搬の老人ダンプも洗われて25万キロ近く走った老朽車も全力を上げる。もう一台は年数は老人ダンプより若い、何しろ窓が電動であるし走行距離も10万キロ台。しかし、慣れ親しんだ老人ダンプが私の受け持ちなのである。 目一杯の...

  • 手が痛くなりました

    2017.10.16 昨夜から左腕の痛みがひどくなりだした。かねてから左腕の腫れはあったのだが、痛みが我慢できないほどではなかったんだ。ところが今朝は病院に行こうかと思ったほどだった。が、病院嫌いの私は今日1日は様子を見てそれからと言うことで通常の仕事をしたのだが左手に力が入らな...

  • 白髭

    白髭は老人の象徴である。私もいつの間にか白髭になった。勿論、頭髪も真っ白。鏡と対面すると白髪、白髪の老人が姿を表す、これが現在の我輩である。そして体は衰えて行くのに、白髭は反比例して伸びる速度が上がった、そんな気もする。 白髭といえば祖父の弥三郎爺様が見事な白いそして長い白髭だ...

  • 昔話

    私の文章に” 幻の古戦場 ”という題名の短文がある。小板にある地名に疑問を持った若かりし頃、親父どんの話を元に書いた短文だ。この話でただの地名が一気に昔話に変身し、小板の小さな歴史が現実の昔話に昇格したんだ。 中国山地に生涯を送って異様に感じたのは、昔からの言い伝えや物語がな...

  • 農家解体

    2017.11.27 長年無住で放置されていた農家に解体の調査のため業者が入った。旧国道と大規模林道の交点にある大きな茅葺屋根、いやトタンでカバーがしてあるから鉄板葺き? か、ご主人が亡くなられて、一人暮らしだったお婆さんが事故で死亡されてからもう何年になるか。他家へ嫁がれた一...

  • 転倒

    御年88才が4ヶ月過ぎた。まだ頭脳は何とか働いているらしいが、転倒を意識に置かなければいけないようだ。最初はショベルからの降車の際にステップを踏み外して転倒、起立しようとしても足に力が入らない。初めての経験でどうすれば起きられるかの試行錯誤、泥の中を這い回ってようやくショベルのス...

  • 文章が書けなくなりました

    84歳と言うのは本人が考えていたより大変なことでした。貴方がご存知のように身の回りのことを雑文に書き流すようになってから、もう20年あまりにもなりますか。最初は小学生の作文のような拙い表現だったのが、おぼろげながら私の思いが伝わる(思い過ごし?)様になって、踏み越えてきた人生の記...

  • 稲刈り

    秋、今年も稲刈りの季節がやってきた。お向かいのS家では3連休を利用しての稲刈イベントのために、兄弟、子供、孫たちー族が集まった。住居横の広場に6-7台の自動車が整列するのは壮観である。しかし、今年は期待の連休が雨で始まった。従って折角の一族の集合が時間つぶしで過ごして3日め、よう...

  • 人には様々な夢がある。現実には厳しい生活があって、夢は夢でしかないが、夢を見ることは楽しいことには違いはない。子供の頃の夢は空想の世界、現実とは程遠い。それが大人に近づくにつれて夢も現実に近づいて変化してゆく。その夢の変わり目は何時だったのか、気づいてみれば私は中国山地の小さな牧...

  • 今年も燕がやってきて

    2019. 5. 16 今年も燕がやってきて、ここが私の定席とばかりガレージの天井に営巣、それを我が家の猫くんが乗用車の屋根から良き鴨と狙うという恒例の活劇が始まった。勿論、数が減ったツバメ君、猫やカラスの餌食にしてたまるかとネットを張って対策をしたのは言うまでもない。 昔は...

  • 小便物語

    老齢になると小便が飛ばない。特に男性はそれが如実に現れる。若かりし頃、いや50歳頃だったか、会合で「ションベンが飛ばなくなって」と先輩が話すのを笑い話と聞いたものだが、それが現実として我が身に現れると真剣に考えざるを得ない。老化とは筋肉の衰えだから、小便が飛ばなくなるのは当然のこ...

  • 島津和弘様

    思いもかけず、お便りを頂き惑激しています。たしか安佐農協でお会いして以来かと思いますので1 0年にもなりますか。息子の和称からご活躍をお聞きしてはいましたが、退任されて、お百姓さん専業とは思いませんでした。お元気な近況をお知らせ頂いて感謝しています。 今回の記事、農協の取材は、...

  • 励まし

    2018.1.1 旧国道191号線が深入峠を目指してひたすら登る途中に小さな別荘がある。その昔、小板に移住してきた青年が建てたログハウスの小さな小屋、青年が新国道沿線に別棟 を新築して移住して行って売却した小さな別荘、これを広島郊外のご夫婦が買い取って週末を楽しんでいた。見浦牧場...

  • 私の自動車遍歴

    私が住む小板は広島市から約100キロ、昔風にいうと25里、中国山地の分水嶺近くにある、瀬戸内海より日本海に近くて益田市まで70キロ(これは最近の話)私の少年の頃は無舗装の一車線がいくつもの峠を越えてやっと海にたどり着いた、それでも瀬戸内海よりは近かったね。 そんな中でT家にイ...

  • 岡本豆腐の復活

    2018.2.6 三段峡豆腐の岡本さんが来訪した。壮年の男の人二人を連れて。先日、岡本さんが営業を再開するとの噂が流れてきて、家族で喜んでいた矢先だったので嬉しかったね。 彼との付き合いが始まってもう30年近くにもなるだろうか、長い長い時間が経ってしまった。副産物のオカラの引...

  • Sさん

    Sさんは私の同級生である、小板に移住した時から松原の高等科を卒業するまでのほぼ4年間、お隣のSさんはクラスメイトだった、おとなしい性格で国語と書き方が得意、悪筆の私など及びもつかない綺麗な文字が書ける秀才さんだった。そろそろ色気づき始めた少年には、まぶしい、眩しい美少女に見えた。...

  • 飛行機雲

    小板はかの悪名高き ブラウンルート の真下にある。敗戦から今日まで70年余り、米軍の戦闘訓練に付き合った。周辺の住民は騒音被害と声が高いが、これも悪名高き日米戦争の置き土産、東条さんを始めとした馬鹿将軍たちのおかげとあきらめている。もっとも陸軍にも宇垣一成将軍のような優秀な軍人も...

  • 2018.8.13 久方ぶりに本格的な夢を見た、それは思いもかけず本を買った夢だ。 それはどこだか判らないが、用事で街に出る度に立ち寄る小さな本屋、その店は私が関心を持っ本ばかりが並んでいた。月刊誌やサイエンスの小冊子から、専門誌。貧乏な私は立ち読みは出来ても安い本が買えれば...

  • 原爆の広島駅

    2018年7月 インターネットで原爆直後の広島駅の写真を見た。橋の近くから見た広島駅正面の遠景は初めてだ。私の想像していた惨状より遥かに凄まじい。70何年前、原爆の12時間前にあの駅のドームの下にいた私が生き残れた可能性は限りなくゼロに近かったと恐怖が甦った。そして”正義の無賃乗...

  • 雨が降らない

    2018年7月7日の呉、広島の豪雨で雨はもう要らないと呟いたら、その反動が来た。あれから2ヶ月近く、この間1日だけ少しばかりの雨が降っただけ、その雨は小板川の水量を2-3日増やしただけで、また元のチョロチョロの流れに戻った。 幸い完全には干上がってはいないので川の住民がひっくり...

  • 私の本

    2017年1月、 ”ひろしま食べる通信”が取材の協力の謝礼として私の文章を小冊子にしてくれた。読み返してみると少々立派過ぎる。私も普通の人間で、裏切られたり運が悪かったりは一度や二度ではない、小人の常として不運を嘆き、他人を恨んだこともあったのに、前向きの私の美点?だけを書き並べ...

  • 遠い道

    長い遠い道でした。恩師中島先生との出会いから60年近くの時間が経ちました。30前の世間知らずの青年が挑戦した和牛の新しい飼育経営、無謀とも思える伝統の飼育方式に挑戦して悪戦苦闘、それがようやく微かな光が見えてきました。 昨年のG7の外相会議の晩餐会の牛肉が見浦牧場の牛肉と聞い...

  • 熱中症で倒れる

    2018.8.9 熱中症で倒れた。7月7日の大豪雨の次は連続の猛暑がやってきた。1ヶ月の間に1日だけ雨が降っただけ、それも少雨だったんだ。おかげで草刈りの方ははかどった。草は伸びないが、刈り取った草は何の苦労もなく干し草に仕上がる。気温は35度を超す毎日、テレビは最高40度を超し...

  • 私と秘境Y部落

    2008.10.3 突然アマチュア写真家が来訪、例によって牛の写真を撮らせてほしいと、老夫婦が訊ねてこられました。お二人とも高級なデジカメを持たれて。 見浦牧場に牛の写真をと来場されるプロやアマチュアの写真家は多いのですが、ご夫婦だけで写真を撮りにお出でになる方は珍しく、お聞き...

  • 腕時計

    牧場で作業をしていると腕時計は必須の道具である。私は日頃愛用しているカシオ腕時計が最高だと思っている。何しろ安い、軽くて長持ちがする、そのくせ時間が正確、誰でも身構えなくても買える。貧乏人にも正確な時間を贈り物としたクオーツ時計は日本人が世界に贈った最高の貢献だと思っている。 ...

  • 日々新たなり

    最近は日々新たなりと痛感することが多い、とは言っても若者の時代とは違って老化の進行についてである。御年87歳にもなると老化の進行も想像していた以上に早い、從ってこんなふうに進行するものだなと感心している。 脚力が衰えて歩行に努力が必要になり始めたのは、そう昔のことではない。そ...

  • 母の記憶

    若くして(44歳)世を去った母の記憶は5人の兄妹の中で私が一番多い。振り返ると私の人生は厳しかったが、引き換えに母の思い出も多い。それは私の幸せの一つだった。でも同じ血を分けた兄妹にその記憶を伝えることは私の義務の一つだと思いついて、この拙い文章を書くことにしたんだ。 昭和1...

  • 足跡

     雪国の朝は足跡から始まる。と言っても人間の足跡ではない、動物たちの足跡である。 新雪に刻まれた足跡は雪国の少年の空想をかき立てた。二つ爪の足跡は猪、2つ揃えて並べるのはうさぎ君、5つ爪痕を残すのは狐君と狸君と貂(てん)の皆さん、足跡の大きさで大体の種類がわかる。油断がならない...

  • 前に深入、後ろに苅尾

    島津邦弘先生の著書”山里からの伝言に”見浦牧場”の一文がある。 西中国山地の一角、優美な山容を見せる臥龍山(苅尾山)と深入山の間に開けた、標高700メートルの高原、見浦牧場がその舞台である,と紹介されている。その見浦牧場から見える深入山を住民は前深入と呼ぶ。主峰の深入の頂は見えな...

  • 意地に候

    私は決して意志強固と誇れる人間ではない、それが50年余りも見浦牧場を続けてこられたのは家内の協力は勿論だが、様々な人のお陰だと思っている。 当然のことだと思っていたのだが、先日の”食べる通信”の記事を読み返すと、我ながら、よくも頑張ったと呆れている。米作りといい、しいたけ栽...

  • マイストーブ

    我が事務所に年末から登場した手作りストーブは、それまで活躍していたホンマの軽便ストーブと違って個性の強いストーブである。 我が小板は山の中、燃料の薪は至る所無尽蔵にある。昔は唯一の暖房が囲炉裏で見浦の前身大畠でも大きな囲炉裏に火が絶えたことがなかった。そして土間には天井まで...

  • ショベルが壊れた

    2018.2.2 ミニショベルが壊れた。彼の名前は三菱WS200、島根の店頭で売れないで8年店晒しされた機械である。勿論、8年も年式が古いとくればすでに旧型、時は4気筒エンジンの時代に変化していたが、これは2気筒、しかし貧乏な私達は型式や年式にクレームをつける身分ではない、仕事を...

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