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2019/06/26

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  • 興福寺

    興福寺(こうふくじ)の前身は山背国の「山階(やましな)寺」。藤原鎌足の重い病の回復を願い、妻の鏡の大王(かがみのおおきみ)が天智8年(669年)に建立しました。壬申の乱のあと都が大津から飛鳥に移ると、厩坂(うまやさか)の地に移建。さらに和銅

  • 春日大社

    二十二社(上七社)・旧官幣大社春日大社(かすがたいしゃ)中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設された春日大社。全国におよそ3000社ある春日神社の総本社です。社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手(ふじわらのながて)が鹿島の武甕

  • 太安万侶墓

    1979年(昭和54年)奈良市郊外の茶畑から奈良時代の火葬墓が発見されました。この墓は、木櫃(もくひつ)の下に置かれていた銅板墓誌から「古事記」の編纂者・太安万侶の墓と判明し、当時の新聞を賑わせました。副葬品として真珠も見つかり、銅板の墓誌

  • 法華寺

  • 十輪寺

    奈良市中心部からバスで東南東に進むことおよそ30分。標高400から500m、昔ながらの山里風景が広がる田原地区があります。古くは奈良から伊勢へ抜ける交通の要地であり、十輪寺(じゅうりんじ)はこの地区の中心的な大寺として栄えていました。今は茶

  • 平城宮跡資料館

  • 多神社

    正式名称は多坐弥志理都比子神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)といい、一般的に多神社(おおじんじゃ)と呼ばれ、多社、多坐神社、太社、意富社とも書かれます。記紀神話では「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、創祀としています

  • 平城宮跡

  • 小杜神社

    周辺に数多く鎮座する多神社の境外摂社の一つ。多神社の南およそ200mに鎮座し、太安万侶を祀っています。鎮座地の字から「木ノ下社」とも称される神社で、式内社・小社神命神社に比定されている古社。拝殿などはなく立派な祠だけの境内には、「古事記」編

  • 松尾寺

    矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する松尾寺。「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれます。慶長11年(1606年)成立の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、「日本書紀」を第4

  • 賣太神社

  • 賣太神社

    賣太神社(めたじんじゃ)は「古事記」を詠み習わせた稗田阿礼を祀る神社です。稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代までには創建されたものとみられます。かつてこの神社は平城京の羅城門付近にあり、道祖神とし

  • 松尾寺

  • 平城宮跡

    第43代元明天皇は710年(和銅3年)藤原京から平城京に遷都しました。その北端中央におかれた平城宮には、天皇のお住まいである内裏(内廷)や、儀式を行う朝堂院、官公庁などが集まっていました。平城宮跡(へいじょうきゅうせき)は1998年に「古都

  • 十輪寺

  • 法華寺

    平城宮跡と隣接する法華寺町。町名の由来となった法華寺(ほっけじ)のある場所は、もともと書紀編纂に深く関わったという説がある藤原不比等の邸宅でした。不比等の没後(720年)、娘の光明皇后(第45代聖武天皇の皇后)がこれを相続して皇后宮とします

  • 太安万侶墓

  • 春日大社

  • 興福寺

  • 束明神古墳

  • 飛鳥京跡苑池

  • 本薬師寺跡

  • 藤原宮跡

  • 廣瀬大社

  • 龍田大社

  • 浄見原神社

  • 宮滝遺跡

  • 金福寺

  • 墨坂神社

  • 村屋神社

  • 川俣神社

  • 千股池

  • 壬申の乱

  • 談山神社

  • 石舞台古墳

  • 飛鳥宮跡

  • 蘇我入鹿首塚

  • 飛鳥寺

  • 甘樫丘

  • 山田寺跡

  • 入鹿神社

  • 竹林院

  • 保寿院(膳夫寺跡)

  • 土舞台

  • 大願寺

  • 世尊寺

  • 大安寺

  • 達磨寺

  • 籏尾池

  • 平隆寺跡

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