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森とまちをつなぐ「半農半X」日記 https://blog.goo.ne.jp/takebei6491

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

武兵衛
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2019/06/10

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  • 「女形」と言えばやはり…

    1806年(文化3年)、「京鹿子娘道成寺」が中村座で上演された役者絵だ。「女形」と言えばやはり…

  • 地元で発見されたアジサイの花が咲いた

    地元で発見されたというアジサイの新品種「三河千鳥」に花が咲いた。以前、友人から「<三河千鳥>というアジサイが旧家で発見されたが、地元の人は知らないみたいなので育ててみませんか。これを広めて町おこしができるといいんだけど。」という連絡があった。育てるのはもともと苦手だったので口を濁していたが、あるときその品種を育てている人がいるのをネットで知る。さっそく、取りよせて育ててみることにした。どんな花が咲くかわからなかったが、二年目にしてやっと見事に咲いてくれた。しかし、花全体が手毬状に咲くはずだけど、本種はガクアジサイのようになっているので、ミカワチドリではないのではないかと疑念が湧いてしまったが、どうなのだろうか。葉っぱの小ささから、「ヤマアジサイ系」であることはわかっていたが、たしかに派手ではなかったがほん...地元で発見されたアジサイの花が咲いた

  • 茶を世界に広めたプラントハンターの慧眼

    幕末には世界から日本の珍しい植物を獲得する外国の「プラントハンター」がやってきた。その中でも、ロバート・フォーチュンは中国の茶をイギリスに広めたことで有名だ。その彼が幕末日本とその植物を冷静に観察した三宅馨・訳『幕末日本探訪記』(講談社学術文庫、1997.12)を読む。初めて長崎に入港したフォーチュンは、「その全景は、言ってみれば、人間の勤労と、大自然の造化の力が渾然と解け合った、平和で魅力的な絵画そのものであった」と感激し、在住のシーボルト博士に会いに行く。さらに氏は、「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。...茶を世界に広めたプラントハンターの慧眼

  • 飢饉を救ったジャガタライモ

    ジャガイモをヒョイヒョイ収穫している。今月上旬にはまだ小粒だったジャガイモが最近は程よい大きさに成長しているのがわかった。小粒のジャガイモは蒸してから定番のマヨネーズで食べるのが定石となった。これだけ小さいのは商品にならない「わけあり」野菜だが、有効にわが体内に吸収された。毎年楽しみにしている品種は、赤い「アンデスレッド」と中身も紫色の「シャドークイーン」だ。味も見た目もさらにはポリフェノール含量も優れている。この品種はなかなか売っていないので種にするジャガを確保して、2月ごろ植え付けている。また、近隣にもお裾分けしていて足りないくらいとなっている。また、果肉が黄色い「キタアカリ」も収穫量も多く、甘みがある優れものだ。キタアカリは北海道農業試験場が育成したもので1987年品種登録された。ちなみに、北海道の...飢饉を救ったジャガタライモ

  • 佐藤君が16年かけて産み出したサクランボ

    昨年に引き続き、娘から父の日に贈り物が届いた。ふだん、なかなか果物に手が出ないわが家のエンゲル係数を知っているようで、山形の「サクランボ」が届いた。有名な「佐藤錦」だった。1922年(大正11年)、山形の佐藤栄助さんが16年かけて完成させた品種だ。おかげで、国産シェアの7割が山形で、その7割が「佐藤錦」というからその功績は偉大と言うしかない。全農山形が6月6日を「山型サクランボの日」に制定している。箱を開けてみたらサクランボのデザインがなかなかしゃれているのに感心する。しかも、黄色のカーネーションと手作りの葉っぱの折り紙が添えられていた。こんなところに生産者の心意気が反映されていてうれしくなった。さっそく、食べだしてみる。国産サクランボの代表格の「佐藤錦」らしく、その原点の味が伝わってくる味だった。最近で...佐藤君が16年かけて産み出したサクランボ

  • 珍しく豊作になってあわてる

    一時、ブロッコリーが500円前後の高騰でニュースになったことがあった。そこで、栄養価も高いブロッコリーを畑で育てようとあわてて栽培してみた。それからはいつものように放任栽培となり、先日様子を見てみたら結構立派な実がなっていたのでびっくり。合計すれば20個はできたと思われる。いつもであれば、半分できれば上々のはずであるのに。さっそく、いつものように近隣に次々おすそ分けとあいなる。これで食品ロスは解消され、わが体内も満足となったわけだ。そうして、料理に興味を注いできた和宮様が「簡単なブロッコリーレシピがありましてよ」と、茹で卵和えを自ら調理してくださった。そこに、マヨネーズ・黒コショウ・粒マスタード・コンソメ・カレー粉・醤油が加わっている。さっそく、新鮮なブロッコリーをはじめそれぞれの調味料のオーケストラが口...珍しく豊作になってあわてる

  • 團十郎の敵は祖父の團十郎だった

    市川團十郎どおしのにらみ合いが見事に表現されている役者絵に出会った。それは、曾我十郎・五郎の兄弟が、鎌倉時代の建久4年(1193)、源頼朝が催した富士山麓での御家人との巻狩り(今でいう軍事演習)で、父の仇である工藤祐経(スケツネ)を討った仇討ちの作品である。それ以降、歌舞伎や文学の世界で一大ブームを起こした「曾我物」。演目としては、「寿(コトブキ)曽我の対面」、通称「曽我の対面」と言われ、巻狩りの総指揮官に任命された工藤祐経の祝賀に曽我兄弟が対面するというシーンだ。江戸歌舞伎では、非業の死を遂げた曽我兄弟の登場する作品を鎮魂をかねて毎年正月に上演しているという。五代目團十郎(1741-1806)は、役者絵の円形の「駒絵」にある工藤祐経役。江戸歌舞伎の開花期の担い手として、荒事・実悪・女形など多様な演技が...團十郎の敵は祖父の團十郎だった

  • 防獣柵を初めて金網にする

    いろいろ防獣柵を作ってきたけど、とくにシカの食害がひどいのでいよいよ金網でやることにした。さいわい、冬の防寒策で竹をかなり利用していて、大小あわせて百本以上は保有してあった。柵を横でつなぐアイテムとなる。支柱は130cmの長さで先端がとがった鉄棒である。これも買い足して30本近く確保する。シカ対策としてふつうなら2mくらいの高さが必要だ。隣家の耕作放棄地との境界は狭いうえにわが農園とガーデンの外縁には幅2mほどの伐根していない茶木が残してある。したがって、シカは助走出来ないので130cmくらいの長さの支柱は飛び越えにくいと判断したわけだ。茶の木の隙間からシカやイノシシが浸入するので、いろいろ隙間に障害物を置いてきたがなかなかそんなカモフラージュは一時的なものであるのは確かだった。ここに、軽い金網をセットす...防獣柵を初めて金網にする

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