知り合いのハンターがわが家の入り口で「モグラ」の死体を見つけた。ハンターが言うには、モグラの毛皮は滑らかでとても貴重なもので、パッチワークのものが高価であったという。確かに触ってみると滑らかで心地よい気がする。死んでいたところはコンクリートのところだったが、7~8m先にはモグラ塚が二つあった。きっとそこからやってきたのかも知れない。以前、「ヒミズ」の死体を見たが、それは手のひらの中に収まるかわいい小ささのものだった。地下の関ケ原の戦い
過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記
先日、近所からさばいたばかりの鹿肉をいただいた。和宮様は前日まで生きていたという鹿の生肉の多くは冷凍にして、一部を圧力鍋で蒸しあげた。「毒味をせよ」というご下命があったので、食べてみると柔らかいうえにさっぱりした旨みのある食感だった。イノシシの狼藉はすさまじいものがあるが、シカは狡猾かもしれないくらいの食害がジワリとくる。この間も、ニンジンの畝に侵入して葉っぱを食べたり、ビーツの葉がお気に入りのようだったし、インゲンのモロッコの若い芽を食べ尽くしてしまった。さすがに悪いと思ったのか、葉のないビーツやニンジンを畝にプレゼントしてくれた。さらに、キクイモの柔らかい葉っぱや枝を食べたり、萩や紫陽花の若い芽や葉を食べてしまい樹の成長をストップさせてしまった。萩の周りを囲ったいたらどうどうと上から食べてしまう始末だ。その...わけあり鹿肉が届いた
水道の検針は集落の共有作業となっている。当番が回ってきたので各戸にある数量計を確認しに行く。たまたま国道を通ったらハクビシンが転がっていた。きっと車に轢かれたのに違いない。近所でハクビシンを見たのは初めてだった。近所のトウモロコシを毎年食べる犯人がハクビシンと言われていた。最近、やっと小さな害獣の違いが分かるようになってきた。農業被害から言えば、シカ・イノシシ・サル・ツキノワグマに次いで、第5位に入賞しているハクビシンでもある。メダルには届かないが、甘い果物がきわめて好物だ。わが畑はシカ・イノシシ・アナグマの順に被害が多いが、ハクビシンの姿は確認していなかった。ハクビシンは「白鼻芯」と表記するように、鼻筋が白いのですぐわかる。尻尾がけっこう長いことや足先が黒いのも特徴だ。ハクビシンは欲を出してわが家の方に遠征し...ハクビシンの交通事故
山猿さんからいただいた綿花の種を荒地に撒いたものの成長はゆったり。毎日の酷暑にもかかわらず定植した苗は95%くらいは立派に根を伸ばしている。ときどき様子を見るが、硬くなった大地には手こずっているようだ。酷暑に綿花は強しされど…
先週から和宮様お手製の梅干しづくりが始まった。空を見上げながら梅干しを一つひとつそろえながら干していく。しばらくして梅を裏返すなどけっこう細かい作業がある。この作業を三日ほど続けて仕上げに夜露に晒す。今回は無理しないで少量にしたようだ。干すのを終えて瓶詰めしてまずは完成へ。あとは熟成を待つのみ。そのクエン酸で夏の疲労をとろうというわけだ。戦国時代は、武士は梅干しの肉・米粉・氷砂糖の粉末を練り上げて携行し、戦時に備えたそうだ。江戸時代になると庶民にも広がり、大晦日や節分の夜には梅干しに熱いお茶をかけた「福茶」を飲んだという。また、明治にはコレラの猛威や外地の伝染病対策としても殺菌力が見直された。コロナ禍にも梅干しで対応することにすべし!?天気をにらみ梅干しづくり
労働意欲がなくなるとウォーキングに出かける。気分転換と筋肉のリハビリのためでもある。ふだんはついつい車の利用に頼る中山間地ではあるが、ときに歩いてみるといろいろ発見がある。先日は、道路の小さな隙間から「タケニグサ」(ケシ科)が2m以上の高さで伸びていた、その生命力は驚嘆するっきゃない。裸地へ進出するパイオニア植物だ。わが抜根跡地にもすでにやって来てあっという間に大きくなった。姿かたちから外来植物に見えるが日本の自生種だ。「遠くから見るとその種のようすが竹に似ている」説から「竹似草」となった。また、竹細工をするため青竹と一緒に似ると竹が柔らかくなるという俗説から「竹煮草」とも表記される。子どもの頃はこの茎を折るとオレンジ色の乳汁が出るのを楽しんだ記憶がある。しかし、この汁は強力な有毒なので注意が必要だ。ど根性「タケニグサ」
夕飯まじかの食卓に透明の翅をつけた昆虫がやってきた。なんとなくいつものカゲロウだろうと思っていたら、ヘビトンボのミニ版かも、と考え直す。しかも、頭の下にゴミのようなものが見えた。ゴミのように見えたのは折りたたんだ前足だった。大きさは約2cmくらいの小ささだ。愛用の小学館の図鑑で調べてみたら、「ヒメカマキリモドキ」(ヒメカマキリモドキ科)をやっと見つけ出した。上半身がカマキリ、下半身がクサカゲロウ・スズメバチの形をしている、ウスバカゲロウの仲間だった。頭部は確かにカマキリの三角頭とでかい目ん玉。その鎌で小さな昆虫を捕食する。幼虫は徘徊性のクモに飛びつきその体液を吸いながら産卵を待ち、生まれた卵を食べながら成長していくという寄生性の昆虫だった。そういえば、天井にクモの卵塊ができてしばらくだが、ひょっとしてっそこから...カマキリ?カゲロウ?ハチ?
集落の中心を貫く国道法面の草刈りを午前中に行う。主婦二人を含む7人が草刈機や鎌をもって雑草を駆除していく。その前々日には、きょう出られない二名が事前に草刈りを行ってくれていた。オイラは昨日、レンギョウのてっぺんを覆ったクズを駆除していく。毎年のことだが、クズの猛威にはほとほと困っている。そのため、農薬を使って除去しようという声も少なくない。農薬の使用はできるだけ控えるというのがオイラの趣旨なので、昨日、鎌をもってクズの除去をしに行く。2時間弱で主なクズは取り払うことができてきょうを迎える。さいわい、クズの話が出なかったので農薬による除去は実施されていないでいる。酷暑の中での作業はますます集落の共同作業の困難さを見せつける。背中はみんな汗でびっしょりとなっている。あと何年続けられるかとつぶやいてしまう。それでも、...草刈という「結仕事」
この灼熱地獄の中では、畑や庭の水撒きが日課となる。ときおりの雷雨・夕立はむしろ手抜きができるので歓迎だ。それでも、この作業だけでも1時間以上はかかってしまう。すべてを水撒きするには2時間以上はかかってしまうので、半分ずつやるのが精いっぱいだ。そんな水撒きの途中で、1cmくらいの小さな昆虫がブルーベリーの葉っぱで遊んでいた。相変わらず、ピントを外してしまう未熟さが残念だが、動く生き物をとらえるのはいつも難問だ。ちょっとみると、ハチなのかハエなのかアブなのかわかりにくかったが、複眼のようすからハエの仲間だと推察する。しかしあまり見たことのないハエだ。調べてみたら、「コンボウナガハリバエ」(ヤドリバエ科)のようだ。腹部が棍棒状なのはわかるが、ナガハリはわかりにくい。ヤドリバエは剛毛というから、それが「長い針」状態だと...水撒きしていたらナニコレ…
国道沿いに咲く「ヤマユリ」はそろそろ終わりに近づいてきた。群生していた見事なヤマユリを撮ろうとしていたがつい機会を失う。それほどにふつうに咲いている日本原産のヤマユリなのだ。幕末にやってきた外国のプランターがこうしたヤマユリの群立した美しさに驚愕したのが報告されている。狭い国道で対向車とすれ違う時、車がヤマユリにぶつかって折ってしまうこともある。発芽から開花までには約5年以上はかかり、さらに栽培も難しいのを聞いて、あらためて存在の貴重さに気づく。それにしても、大輪の花を支える茎の細さが気になる。咲いている半分以上が倒れ掛かっていたり、折られたりしているのを目撃する。存在の重さに耐えられないいのちの発露は、華麗な姿のなかに残酷な生の寂寥が込められている気もしないではない。先日、大河ドラマでウイーン万博(1873年...幕末のプランターが驚愕したヤマユリ
家の隣に小さな花壇があるはずなのだ。というのも、花壇には花はなく、放任ジャングルになっている。このままでは植栽している樹木が枯れてしまうと、急いでジャングルを切り拓いていく。よくみると、オニドコロなどのツル性植物が樹冠を覆っている。やっと花壇の奥まで到達したところ、野鳥の巣が見えてきた。今までだと巣は留守か、放棄された巣なのがほとんどだった。しかし、念のためと覗いてみたらなんと卵が1個入っていた。あわてて和宮様に報告する。10年以上住んでいるというのに卵を見るのは初めてだった。巣はとても見事に作られていた。清潔でもある。家のすぐ隣の数mであるのによくぞ作ったものだ。初春にはジャングルがなかったから、この巣は新しいはずだ。外からはまず見えない隠れ家にあったのに感心する。卵の大きさは鶉よりやや小さいように思えた。卵...野鳥の卵を発見
茶畑の茶樹を抜根した枯れ木の山はなかなか減らない。しかし、ブルーベリーの周りや野菜の周りに配置すると、害獣の被害が少なくなったのがわかった。その茶樹もすっかりカラカラに乾いてきた。それを「ガーデンシュレッダー」にかけて細かい木片にしていく。すると、枯木の山がだんだん少なくなっていくのがわかる。この機械はきわめて優れものだ。事業用だと数百万もするが家庭用だと数万円で手に入る。庭木の剪定にはもってこいの機器となる。投入口に樹を入れるとあれよという間に小さく刻まれていく。これで肥料にしていってもいいが、抜根跡の土壌を養生するのにこれを撒いていこうという算段だ。いっぱいあった木片を抜根跡に撒いていくが、すぐになくなってしまう。これは気長に作っていくしかないのがわかった。一気にやれるはずもない。物事は思い通りには進まない...抜根した茶樹を刻んで
週2回和宮様を病院へ送るアッシー役を仰せつかっている。その空き時間にぶらりとその周辺を散策することがある。一途な「クズ」の向かった先は
わが人生の師匠でもある作家・高尾五郎氏より何冊かの本が届いた。アメリカの古典と言われる、H.D.ソローの『森の生活/上下』(飯田実訳、岩波文庫、1995.9)をさっそく読み始める。以前から読んでみたいと思っていた本だった。自給自足をしながら湖と森の自然のなかで描いた思索のエッセイだ。五郎氏からの「これを読んで自らを内省せよ」という暗黙の宿題と受け止めた。1854年、著書はアメリカで刊行された。1830年代にはインディアン強制移住法とか奴隷解放運動が起こり、40年代後半にはゴールドラッシュが始まる。森で生活しているところどころにはそうした背景が反映されている。ソローは、そうしたマイノリティーや労働者には共感のまなざしを向けている。それは、この森の中の動植物や湖のたたずまいを観察するソローの詩人・科学者・哲学者・文...『森の生活』は魂のゆりかご
カゲロウの仲間だと思っていた体長約2cmくらいの虫がやってきた。ときどきやって来てはとことこと家の中を徘徊する。海から陸上にあがった4億年前の昆虫を発見
梅雨も明けそうでいよいよ、夏野菜の出番だ。インゲンは好調で安定的な収穫を保持している。遅れて、このところ急に、キュウリが実ってきた。ここ数年間、キュウリの失敗はほとんどなくなってきた。完全無農薬を保持してきたわりにはホッとする。ナス科は病気に弱い。トマトやナスは毎年病気が出てきて収穫の自信がない。ピーマン・シシトウ・甘長トウガラシは大収穫のときもあったが、今年はそこそこというところ。昨年もそうだったが土壌づくりが手抜きだった結果だ。言い訳をすれば、イノシシ対策に追われて間に合わなかったせいにしておこう。数日前まで、ブルーベリーが紫色になり、黒くなればGOサインなのだ。つまみ食いをしながら味の酸味を確認する。昨日まではまだまだとの判断だったが、きょうはグイと黒い実が出来上がってきた初日となった。収穫してみて、採る...キュウリにブルーベリーにいよよ
玄関から敷地の入口に向かって歩いていたら、な・なんと裏山から小さな土石流を発見。3m上の直近の斜面から土砂が崩れていた。今回はさすがに石垣は落下していなかったが、拳大の石が歩道まで転がっていた。以前、ここでイノシシが穴を掘ったせいで大きな石垣の石が転がっていたところだ。周りの枝を伐りはらって現場に直行すると、三つの穴が開けられていた。石や木の根っこが縦横に入り組んでいるのに、なんと見事に40~50cmくらいの深さはあったろうか。とても人間では作業はできない。ツルハシを振り上げて穴掘りすることは樹木が密集しているので不可能だ。ということは、以前やってきたイノシシと同じ犯人なのだろうか。さっそく、ナフタリンもどきの防虫剤を木に吊るして次の襲来に備える。具体的な対策をすると、イノシシは警戒してしばらくはおとなしくなる...イノシシの土石流!?
朝起きてみると、和宮様が「大変じゃあー。やられたのじゃー」とこわごわと窓の外を挿す。指先の廊下の窓から見ると、緑の雑草群落のなかにくっきりと泥の空間があった。かつても同じ場所をやられているので同じ犯人なのだろうか。裏山にイノシシが降臨なさったのだ。寝室と現場とは4~5mくらいしか離れていない。昨夜か明け方か、まったく掘り上げる音を確認していない。現場に行ってみると、掘られた場所は2か所だった。前回は危うく石垣を崩される寸前だった。ここ数日、出るはずのイノシシの痕跡がないので安心していたのだ。掘られた形状は「ぬた場」のようだった。石垣のある近くにはとりあえず砕石をまき、石垣崩壊の補強もどきをする。そこへ、U字型のペグに匂いのキツイ衣類防虫剤を台所排水口用ネットでくるんで埋め込む。この防虫剤は畑の柵でも取り付けてい...寝てる隣でイノシシが
先月でのこと、和宮様が国道脇の空き地に咲いていた「ウツボグサ」を発見した。人によってはむかしは道端で普通に咲いていたという。オイラは山歩きしたとき出会った「ウツボグサ」はその紫のパワーに感嘆したものだった。それは「ミヤマウツボグサ」らしかったが。西洋では「セルフヒール」と呼んで自然治癒の薬草・ハーブとして親しまれていたという。与謝野晶子は「なつかしき春の形見かうつぼ草夏の花かや紫にして」と詠んでいる。初夏に咲いたウツボグサが秋を待たないで夏のうちに枯れたようになるので、別名「夏枯草(カゴソウ)」の名がある。この花穂を乾燥させたものが生薬として、口内炎や利尿に効くと愛用されてきた。そんな身近にあったウツボグサが珍しくなってきたことを考えると、晶子の「春の形見か」という哀愁・詠嘆がダブってしまった。晶子が見たウツボグサの哀愁
雷雨の予報があった午前中、作業服が突然郵便受けに届いた。娘からだった。「ワークマン」が作業ワークだけでなくアウトドアや日常生活にも使えるアクティブなウエアを開発したものだった。ワークマンが肉体作業をするおじさんの店から、女性や若者も来れるような改革をした象徴でもあった。そのウエアは、防虫加工をした「フィールドコア」ブランドとしての「カーゴパンツ」だった。「カーゴ」とは貨物船の意味があり、そこで使う道具を太ももの大きなポケットに入るように工夫された作業パンツだ。それが米軍のパラシュート部隊に採用されミリタリーデザインとしても注目された。さっそく使ってみると、きわめて軽く作業しやすいフィット感がある。ポケットだけでなく体形に合うな工夫が感じられる。製造はミャンマーだった。ワークマンのウエアだった
裏山の「ヤブカンゾウ」が咲き出した。花色が鮮やかな緋色なのが魅力的だ。道路傍によく見かけるが踏まれたりして群生しているわりには大切にされていない。蕊(シベ)の一部または全部が花弁化するため八重咲となる。一重咲きの「ノカンゾウ」は道で出会ったことがない。トイレへ行く時の廊下から見えるヤブカンゾウの花だ。雑草だらけの裏山にくっきりと緋色が映える。葉がススキやスゲの葉に似ているので、「萱草」の字が使用されている。中国の別名では「忘憂草」という。すなわち、この花をつけると悲しみや苦しみを忘れるという。そのため、万葉集などの歌にも使われているほどだ。漢方でいう「カンゾウ」は、マメ科の「甘草」でよく混同される。ヤブカンゾウの若葉を収穫して味噌汁に入れて食べたことがある。ほんのりした甘みがあるのが忘れられない。収穫時期が遅...ヤブカンゾウで辛いことを忘れる
このところ、インゲンを大量に収穫している。インゲン病に感染か!?
うだる暑さの午前中に、茶畑の外側の草刈りを行う。そして午後、道路際を見たらスズメくらいの大きさの「カワラヒワ」(アトリ科)がその草の実を食べに来ていた。距離があったので手持ちのキャノンの安いデジカメでは捕捉できない。それでもなんとか、かわいい様子は伝わってくる。ときどき飛んでいる場面に出くわすことがあったがなかなかカメラに収める機会はなかった。「ひわ」とは、「小さくてひよわい可愛らしい」という意味がある。和服の「ひわ色」はこういう黄緑色のことをさすらしい。ウグイス色とは微妙に違う。なんとも平和なひわ軍団に心が和む。そういえば、三日前に保存しておいた電線に止まっていた三羽の小鳥はこのひわ軍団だったのかもしれない。集団見合いするという「かわらひわ」も、強い者からつがいができていくそうだ。電線にいたこの小鳥の正体がわ...カワラヒワを撮ってみたが
害獣のせいでトウモロコシ栽培を断念しているが、その味は忘れられない。そのため、農協の直売所に行ったときはトウモロコシを買うことにしている。先日買ったのは、耕作放棄地を再生しようとする地元の若手農家と学生サークルらが結成した「春野耕作隊」が栽培した「スウィートコーン」だった。その品種は、「サカタのタネ」が開発した「ゴールドラッシュ」だった。そこそこ甘みが充満する。しかし、何回か買ってみるが味や食感にばらつきがある。隣の森町の「かんかん娘」にはまだ届かないが今後を期待するしかない。「春野耕作隊」は、2014年ごろ活動を開始している。そのころから注目していたが情報がまったく届かない。HPをひらいても最新の情報も出てこないことが多かった。いつもながらだが、崇高な初心を貫くには持続的な発信という心意気を醸成することが肝要...耕作放棄地再生を掲げる心意気
前々からサルスベリの紫色の花が気に入っていた。サルスベリを衝動買いして
ついにやって来た。きっと世代交代した新人に違いない。到来
しばらく音沙汰がなかったイノシシがついにやってきた。近くの空家付近にねぐらがあるようでちょこちょこやってくるようだ。野菜の被害は今のところないが、裏の畑の入口の茂みのミミズを食べているようだ。そこら辺は、草刈りの手を抜いていたところで身を隠すのに絶好の茂みとなっていた。一週間前にはアナグマのような掘り返しがちょこっとあったが、一昨日はいよいよ「やってきたよ」という挑戦状を持ってきた証拠だ。そしてきょうは、ミミズ起こしが拡大されローラー作戦が開始した。合わせると5m四方くらいにはなるだろうか。これが畑に侵入すると一気に畝が荒らされる。安心安全は神話だった
天気晴朗でない日々、連日草刈りに追われる。草刈機を持つ手がしびれてきたり、汗が土石流となる。そんなとき、和宮様ご手製の「梅ジュ-ス」で水分補給をする。しかしコップ一杯だけでは足らない。ついつい飲み過ぎて胃が混乱する。そんな毎日を繰り返すと昼寝タイムも長くなる。氷砂糖とキビ砂糖を入れた「梅シロップ」もすでに完成。梅の持つクエン酸は夏バテ・疲労回復に効果がある。冷凍梅を使えば、半分の一週間くらいで飲めるようにもなる。高齢者だらけの過疎地には梅を採らない家が続々と多くなってきている。わが家の梅は石ころだらけの所にあったので植えてから結実には難航している。娘にも「梅シロップ」を送る。梅シロップに水を3~5倍入れれば十分美味しく飲める。炭酸水を使えばより美味いのはわかっているがくせになるのでいくつかの氷片でよしとする。こ...梅ジュースで夏バテをしのぐ
畑の隅に今年もやってきた。「西洋ノコギリソウ」は傷薬だった
この長雨の影響による伊豆の土石流の映像は迫力があった。それは山津波そのものだった。直面したらとても逃げられるものではない。わが家の隣の小さな道はすでに川となっていた。近くの小さな山からの水が流れているのだ。その雨水は澄んでいるのでいつもの風物詩のように眺めたものだ。農作業が終わるころ、土で汚れたツルハシやスコップを洗うのにちょうど良い。和宮様は野菜をざっと洗うのに重宝している。わが家より上に住んでいる人もいない。今まで一番ひどいときは20cmほどの深さになったが、今回は10cmほどだった。これによって付近の降雨量の尺度がわかる。しかし、茶畑があった石垣の隙間からは雨が止んでもどくどくと雨水が流れている。それが10か所くらいもある。もし、容量以上の雨が注いだら石垣を破壊して土石流が発生することも覚悟しなければなら...土石流は来ないだろうね
一日中雨模様だったので、晴耕雨読ではなく撮りためた映画の録画を久しぶりに観る。60年前に製作された映画、オードリヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961年制作、米国、B・エドワーズ監督)だった。オードリが演ずる主人公はセレブを相手に小遣い稼ぎをするのだが、この小説の原作者はアメリカン・芸者を想定したという。ティファニー宝石店のウィンドウ越しにパンとコーヒーの粗末な朝食をする当初のシーンが主人公の置かれた立場を象徴する。同時に、その美貌はもちろんのことだが、それを支えたのは先端のファッションでもあった。オードリの魅力を引き出すために作られた映画のような気がした。その当初の華麗なファッションは最後のシンプルなファッションに監督の意図を感じられる。というのは、偽りの愛から本物の愛をつかもうとする主人公の覚...「ティファニーで朝食を」は…
わが家のねぐらは屋内用テントの中にある。というのは、隙間だらけの古民家なので虫やクモなどの訪問者が多いからだ。ムカデはずいぶん少なくなったが徘徊していることは間違いない。このテントのおかげで蚊からも解放されている。しかし、先日寝ようと布団を持ち上げたら先客がいたのだ。それが、15mmほどの「アトボシアオゴミムシ」(オサムシ科)だった。頭と胴部は、メタリックな緑胴色をしている。後ろの翅には一対の黄色い斑紋がある。真ん丸かと思いきやいびつなホシ型だった。テント内に侵入するはずがないにもかかわらず、ちょっと油断した隙間から侵入したようだ。ゴミムシとはゆえ、やはりメタリックな色彩にはまずはホッとする。まずは、テントから退場してもらった。これから、夏に向かって夜の訪問者たちが多くなってくるのは間違いない。ねぐらを寝取られ...ねぐらを寝取った犯人は!?
都会にいたときの隣人から「鳩サブレー」が届いた。そう言えば、鳩サブレーはしばらく食べていなかったのに気づく。同窓会をしたときのように懐かしく味をしたためる。宅急便のなかに「鳩のつぶやき」というパンフレットが入っていた。「豊島屋」の創業者が鳩サブレー創出のためにいかに刻苦勉励したかの絵物語だった。絵は懐かしい那須良輔だった。外国人からもらったビスケットの味に衝撃を受けた明治の創業者が、味はもちろんネーミングや戦火の中でこだわってきた気骨の歴史だった。このパンフレットの文章が長いのでもっとコンパクトにならないものかと考えてしまった。ちなみに、「サブレー」とはビスケットの焼き菓子のことで、サクサクとした食感がフランス語の砂を意味する「サブル」からきているという説がある。また、17世紀のサブレー侯爵夫人がふるまった焼き...創業者の汗が今も甦る
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知り合いのハンターがわが家の入り口で「モグラ」の死体を見つけた。ハンターが言うには、モグラの毛皮は滑らかでとても貴重なもので、パッチワークのものが高価であったという。確かに触ってみると滑らかで心地よい気がする。死んでいたところはコンクリートのところだったが、7~8m先にはモグラ塚が二つあった。きっとそこからやってきたのかも知れない。以前、「ヒミズ」の死体を見たが、それは手のひらの中に収まるかわいい小ささのものだった。地下の関ケ原の戦い
数株だったコゴミはいつのまにか広い畑となった。日陰だったデッドゾーンがいまやコゴミを踏まないように歩くようになったほどだ。おかげで、最近は食べきれないので近所や友人におすそ分けするようになってきた。ぐうたら農法そのものの真価?が出ている放任極地の畑だ。コゴミの収穫は一週間以内がいのち。一日でものんびりしていると、あっという間に時期を逃してしまう。きょうが最終日となりそうだ。ヤマビルも徘徊しているのでそそくさと収穫して、水洗いして近所に配る。さいわい、近所で栽培している人はいない。一昨日、焚き火会をしたときもその場で収穫して友人に食べてもらう。そのうえで、コゴミの根っこの株をプレゼントしたばかりだ。ついでに、ヤマウドの新芽の酢味噌あえを味わったり、裏山でワラビ採りも行う。近所にコゴミを持っていったら、肥料袋...コゴミはワラビ・八ツ頭となった!?
とあるカレンダーに幕末から明治に活躍した豊原国周(クニチカ)の役者絵を見た。明治の国周の役者絵は独壇場
裏山の麓に「コゴミ」が一気に伸び始めた。山菜を食べ始めた
一頭のオスジカの侵入は、和宮様のご令嬢夫妻が一日かけて構築された防獣網を数分のうちにほぼすべてを破壊した。網のスタート地点隣にあった桜のブルーの囲みも見事?になぎ倒した。ここにはなんども若芽や幼枝を食害されてきた桜が囲いのおかげでようやく大きくなってきたばかりだった。さいわい、桜の木は折れてはなかった。ただし、近くに植えた買って間もない花桃の若い枝が二か所折れたのが最大の損傷だった。それにしても、シカのけん引力は牛と変わらないくらいのパワーだった。ふだんは、歩行がてら気ままに食害しているので、「まあしょうがないかー」くらいで済んでいたのだが、イノシシと変わらない戦跡を残していった。オスジカの剛毅な角が網に絡まって今回は仇となった。角のない雌だったらとっくに自由への逃走を実現できたであろうに。防獣の支柱はい...荒涼とした戦渦となった
珍しくいつもより早めに起きて畑で作業を始める。入り口を開放していた畝立て間もない小さな畑に動物の新しい足跡があった。大きさからシカの侵入に違いない。四方に囲まれた狭い畑へよくも侵入したものだとそのゆるりとした判断に油断を禁じ得ない。それもそのはず、隣の雑草園となったガーデンに足を踏み入れたら、突然物音がしてシカが逃げ出した。しかし、周囲は防獣網が巡らしてあるのでシカはそこへ突入を繰り返したに違いない。あっという間に、オスの角はその網の餌食となった。シカを追っていくと、画像の左側の空間の網を突破して外側に出たようだった。しかし、網が角に絡んで外に出たもののそれでは逃走できないで後ろ向きになっていた。それで、近所のハンターに連絡すると、すぐに応援に駆けつけてくれた。それを察してか、シカは下の道路に何とか飛び降...オスジカの悲劇
トンネルカバーを補強していたら、陽当たりをしていた「ツチイナゴ」がいた。飛翔はあまり得意ではないらしく近づいてもじっとしていた。いや、いい気分で春の陽ざしを満喫していたツチイナゴにとっては迷惑千万だったかもしれない。イナゴの成虫を今の時期に見るのは珍しい。ツチイナゴは、頭から翅の付け根までまっすぐな黄色い線があり、また、複眼の下には涙の跡のような黒い帯があるのが特徴だ。日本のバッタは卵で越冬するのが普通だが、ツチイナゴはその反対で10月頃成虫になり、そのまま越冬し、翌年の春頃から活動する生存戦略を選んでいる。とはいえ、冬にはカマキリなどの天敵がいないものの、モズにとっては格好の標的になってしまう。そんな生きるはかなさが複眼下の涙模様というものなのかもしれない。いっぽう、しばらく履いてなかった玄関の長靴に蜘...冬越しに成功
初春の到来にいち早く駆けつけてくれたのは、一輪の「ショカッサイ」だった。3月上旬ごろ、偶然、和宮様が発見されたものだった。それはこぼれ種から開花したものらしく、その場所は雑草も生えていないくらいの隙間からだった。雑草だらけのガーデンにグランドカバーにしていきたいショカッサイだった。3月中旬ごろになると、ヒメスミレが石垣の隙間から顔出しする常連メンバーだ。はじめは赤ちゃんのように小さかったが、だんだん大きくなってくる。いわゆる「スミレ」の花よりやや小さい。「スミレ」の葉は、へら型でその茎には「翼」というふくらみがある(画像矢印部分)。ヒメスミレにはその翼がない。スミレとヒメスミレとのわかりやすい違いはここを見ればいい。ヒメスミレのそばには、外来種の「アメリカスミレサイシン」がやはりコンクリートの隙間から純白...春の来訪の常連メンバー
国芳らしい奇才の寄せ絵の本領発揮の浮世絵を入手する。猫好き国芳の寄せ絵
2週間前、バイオトイレが止まって以来、やっと復旧作業が完了し使用できるようになった。時間がかかったのは、本体の基盤が壊れたが製造停止で新たなバージョンの基盤の入荷を待っていたからだ。作業を快く受けてくれたのは、吹田市にある仮釘・隠し釘で有名な「kkダイチク」のバイオトイレ担当だった。バイオトイレやっと復旧!!
このところ、雨や突風さらには冷温などの気候変動に翻弄され、人間も植物もその変化についていけないさなかにある。先月下旬に咲き始めた河津桜も不完全なまま満開の華美を見せないまま花を落としてしまった。満開にするべきかどうか、さんざん迷ったあげく満開になる前にタイムアウトとなったようだ。今はもう、葉桜となっている。わが家には、この河津桜と八重寒緋桜が3月20日ごろに満開ちなり、八重桜の「ショウゲツ」が4月20日ごろに満開となる。ところが最近、人間も植物もどうもくたびれ気味で華麗な花に陰りが見えてきた。そんなとき、カワヅザクラの根元に「鼻輪」を発見。なぜこんなに食い込んでいるのかわからない。シカの食害を食い止めるためのものか、樹木を支える単なる支柱のためのものか、はたまた、動物をつなぎとめるためのものだったか当局に...なにこれー、いつからー??
わが家と裏山との境は日陰でしばらくデッドスポットになっていた。そこに、コゴミの苗を植え付けてからどのくらいたったのだろうか。コゴミにとっては環境が良かったようでどんどん増殖していき、最近では通路にまで進出してきた元気の良さだった。そこで、畑の方の日陰のあるスペースに十数株を移植することにした。コゴミの正式名はクサソテツ(草蘇鉄、コウヤワラビ科)である。その若芽をコゴミ(屈)といい人気のある山菜だ。灰汁も無く、30秒ほど茹でればすぐ食べられる。若芽の1本だけを残して収穫すれば絶滅することはない。毎年、4月上旬には収穫が始まるからあと2週間もあれば収穫が始まるが、移植した苗は若芽をつけてくれるかどうか。コゴミは収穫してまもなく萎れてしまうので、スーパーなどに出回ることは少ない。その意味で、貴重な春の山菜でもあ...コゴミを移植する
今年のフキノトウの生育は気候不安定のせいか思わしくない。今年は全部で20個くらいはできたのだろうか。往年は100個を超えていたのに。近所の放置された所には立派なフキノトウの群落が出ているが人様の土地なので見るだけなのが残念。だから、まずは採らないでがまんしていたのに、誰かがその芽を盗んでしまっていたのだ。被害は5~6個くらいだった。フキノトウは数年すると移動するように思えた。開拓者としてはたくましいが、同じ場所にいるのは飽きっぽいのではないかと推察している。5~6年もすると、その場所からいつのまにか消えてしまうことがある気がする。さて、その犯人だが、どうもフキノトウのそばにいたのはタヌキではないかと当局はマークしているようだ。しかし、様子に元気がない。ふつう、人間に見られたらすぐ逃げるのだが、その気配がな...つまみ食いされたが…
過密の都会から過疎の田舎に移住したとき、入り口に小さなボケの木があった。それがいつの間にか大きくなった。ボケに癒される
明治維新が終わって間もない、明治12年(1879年)福岡に「玄洋社」が誕生した。その顔触れを見るとそうそうたる人脈と幅広いビジョンを持った活動に目を見張る。事実上歴史に抹殺されたその歩みを発掘した、石瀧豊美『玄洋社発掘/もうひとつの自由民権』(西日本新聞社、1997.8)を読む。民権運動といえば高知の「立志社」が有名だが、「玄洋社」の名前は知らなかった。オラの生齧りの知識からは壮士的な右翼組織くらいにしか思えなかった。しかし、その社員名簿や関係者には地元の実業家・政治家に根差した人脈が多いことがわかった。総理大臣になった広田弘毅、吉田内閣のときの副総理で朝日新聞福社長・緒方竹虎、作家夢野久作の父であり政財界のフィクサー・杉山茂丸、日独伊三国同盟を支持していた衆議院議員・中野正剛は、独裁的な東条英機と対立す...福岡の今を創った男たち!!
明治維新が終わって間もない、明治12年(1879年)福岡に「玄洋社」が誕生した。その顔触れを見るとそうそうたる人脈と幅広いビジョンを持った活動に目を見張る。事実上歴史に抹殺されたその歩みを発掘した、石瀧豊美『玄洋社発掘/もうひとつの自由民権』(西日本新聞社、1997.8)を読む。民権運動といえば高知の「立志社」が有名だが、「玄洋社」の名前は知らなかった。オラの生齧りの知識からは壮士的な右翼組織くらいにしか思えなかった。しかし、その社員名簿や関係者には地元の実業家・政治家に根差した人脈が多いことがわかった。松下幸之助・稲庭和夫や松岡修造・大谷翔平らに影響を与えた中村天風も「玄洋社の豹」と言われるくらい狂暴だったが頭山満に預けられ、その後軍事スパイとして満州・蒙古で暗躍、戦後は自己啓発の思想家として実業界やサ...福岡の今を創った男たち!!
定例の寄り合いが終わってから、70歳前後となった元「青年たち」に思春期から青春時代の話を聞いた。おおまかにまとめると。まず第一は、お酒の話。「酒にすべてを注ぎ込んだような青春だったよ。ひとり1升飲むのはふつうで、近所の家を軒並み訪問してはそこで飲んだものよ。みんなで1斗や2斗は飲んだかもね。当時はどこの家に行っても同級生がいたからね。」第二は、学校でのこと。「中学・高校になると寮生活があって、親子の接触がなかなかなくなってしまった。「部活」も一年に休みが4日くらいしかないくらいへとへとの練習を積んだのに、県大会ではいつも連敗続き。でもそれが今の仕事の頑張りに生きている。」「国道がまだ舗装されていなくて、買ってもらった自転車で通学していた。山からガタゴト降りてきて帰りは暗くてしかも急坂を登るのがとても大変だ...昔のほうが楽しかったなー
二か所の水源地を掃除に行く。ここ数年の大雨や台風の影響で取水しているわが集落の上流の状態を確認がてら掃除する。水源地を掃除する
戦国時代で視聴率を忖度してきた従来の大河ドラマに対して平安王朝を対峙させた意味が大きい。それを提起したのが、関幸彦『藤原道長と紫式部/貴族道と女房の平安王朝』(朝日新聞出版、2023.12)の新書本だった。江戸より続いた平安王朝の復権
前々から調子は悪かったが、なんとか続いてきて約15年が経ったバイオトイレが止まってしまった。糞尿とおが屑をミックスしてスクリューで回転して攪拌する。それを2~3ヵ月してからそれをかき出して畑の際に投入し、土や落葉・枝などを上にかけておく。すると、いつのまにか発酵が始まって栄養ある土・肥料になっていく。江戸から昭和30代くらいまでは、人糞が重要な肥料だった。オラが小さいころ、親父が人糞を畑にまいていたのを見たことがある。そんな有機肥料を産むのがバイオトイレだということで、15年ほど前に導入。山小屋ではこれが有力なトイレだったが、個人では極めて少なかったようだ。おそらく、わが町ではわが家が導入の第1号だったのではないかと思う。故障の原因かなと、手元の運転スイッチを分解して接触関係を見てみる。ところが、分解する...バイオトイレが止まった!!
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」をDVDで観る。違和感の中の諷刺とエネルギー
廃校となった小学校の片隅に金次郎は本を読みときに物思いを続けた。柴か薪か論争??
わが土地にも外来種のスミレが侵入して存在感を増してきた。畑の隣に堂々と華麗な一族の逞しさを誇示する。排除しようとも思ったがなかなかそんな勇気はない。そこで、むしろガーデンの外縁で活躍してもらおうと移植作業を開始したというわけだ。「ビオラ・ソロリア」は、欧米では一般的なスミレの代表格で雑草化している剛健な仲間だ。それが日本にも雄飛してついにわが大地にも降臨したというわけだ。ビオラというくらい花も大きいし葉も光沢もありたくましい。農道の道もすっかり雑草絨毯がひかれ、ちゃっかり白のビオラ・ソロリアが占拠を企んでいた。東海のカルチェラタンはさせじと、当局は排除に向かい一本一本引きはがし、外縁に移植したという顛末となった。この白いスミレは、「スノー・プリンセス」とも呼ばれたようで、園芸店では人気があったようだ。ちな...外来種のスミレが野生化
裏の藪近くにコゴミを植えて7~8年はたっただろうか。放任栽培はうまくいっていた。ちょうど藪の繁みが湿地らしき場所になっていて、コゴミには絶好の生育環境になっていたのに違いない。思いついたときには草刈りをするときもあるがほとんど放置状態だった。それでも、毎年のように芽を出し、春の山菜の息吹を与えてくれる。今ではどんどん株が増えて見事な太い根株ができて、つい踏んずけてしまうほどになってきた。むかしは徒党を組んで張り切って収穫しに出かけたが、今では炬燵から這い出してからそのまま裏へ行けばコゴミが待っていてくれるというわけだ。5分もあればこのくらいは収穫ができる。わざわざ道なき山へ行かなくて済むというテイタラク農業なのである。早速その日に1分ほど茹でてから醤油マヨネーズで食べるのが定番だ。しゃきしゃきとぬめりの食...最初に食べた山菜は…
しばらく空き家になっていたミツバチの巣箱を掃除する。すると中から、カメムシのでかいやつを発見。普通のカメムシの3倍くらいはある。形からこれはカメムシの仲間の「サシガメ」だろうと見当をつける。相手はすぐ擬死したように動かない。越冬して惰眠が良かったのだろうか。調べてみると、「オオトビサシガメ」だった。日本産サシガメで一番大きいのがわかった。そういえば、以前、「ヨコヅナサシガメ」というかっこいいサシガメがわが家にやってきたことがあった。それに比べれば、オオトビサシガメはその「横綱」よりでかいが、いかにも地味な装いだ。平べったい体は人家や家屋に滑り込むようにできているらしく、集団で越冬することがあるそうだ。手でつかもうとすると刺されることもあり飛び上がるほど痛いそうだ。針状の口は折り曲げられているらしく見ただけ...横綱の[横綱]がいた!?
早春の花バトルは、2月には「ヒメリュウキンカ」がバタフライガーデンに一足早く金襴の花を輝かせた。イギリス原産ではあるが、北米では野生化していて侵略的外来種として栽培が禁止されている。金の輝きにほれぼれするが、プーチンの宮殿の金ぴかより控えめなのが良い。ただし、有毒なのでその汁が皮膚に触れると炎症を起こすという。わがガーデンは山の日陰になってしまう場所があるが、ヒメリュウキンカは耐寒性もありぴったりの植物のようだ。根は塊根で増えるそうなので、今後株分けして増やしていきたい。葉も花も光るのが魅力的なので野生化は大歓迎だ。ほかの植物は寒さと霜で生存するだけでも厳しかった。ガーデンの外縁に、購入した「ムラサキハナナ」の種を蒔いたらなんとか花を咲いてくれた。がしかし、咲いたのは蒔いた種の1割くらいだったろうか。これ...早春の花競べ(ハナクラベ)は!!
集落の新年会のおり、それぞれの少年時代の遊びを語ってもらった。メンバー的には70歳代前後が7~8名で、40~50歳代が数名という構成だった。共通した遊びは「缶けり」だった。茶畑に隠れたらなかなか見つけられないが、醍醐味はとある家の周りの狭い空間だった。怒られたが下水道の空間も利用したという。少年時代の遊びの喪失は
10年前くらいだったろうか、ほかの樹の陰にあって枯れそうなシモクレンを救出すべく、移植を施し、数本の挿し木をやってきた。シモクレンの花は濃い紫だった。そんな濃い花を期待していた。しかし、移植したモクレンも挿し木もいずれも花が白っぽい。先祖返りでハクモクレンになってしまったのだろうかと疑惑が募るばかりだった。すぐ近くの隣家に、コブシの大木がある。その影響があるのだろうか。素人はそんな疑問すらぬぐえない。さらには、コブシとモクレンの違いも判らなくなる。コブシは花を放射状に開き雌蕊が見える。しかし、ハクモクレンやシモクレンの花はチューリップ状で雌蕊が見えにくい。コブシは日本原産だが、モクレンは中国産。モクレンは平安時代に漢方薬として渡来したようだが、似ている日本のコブシをその代用をしていたらしい。したがって、「...紫木蓮のはずだったが…!?
今月の上旬に畑の畝立てをしてから黒マルチを施し、中旬には野菜の種も撒いてきた。そろそろ、野菜の芽が出るころかなと様子を見に行く。するとなんと、畝と畝との間にハトムギの芽がニョキニョキでているではないか。バケツ一杯分も収穫したのに、こぼれ種が多数畑に残っていたことが判明した。心配になって黒マルチをめくってみると、やっぱり同じように芽が出ていた。ハトムギの生命力を考えると多少の予想はしていたものの、いやはや予想を大きく超えていた。10cm以上を越える新芽も少なくない。これは畝を全部やり直さないとダメかと覚悟を決めた。一本一本抜いていくと時間がかかる。畝全体を見たら、ハトムギの「爆発」は半分くらいだったことが分かった。初冬に抜根しておいたハトムギの根っこを見てみると一部はまだ生きていた。この生命力は尋常ではない...怒髪天のハトムギか!??
ヤエクチナシの苗を植え付けしようとバタフライガーデンに行ったら、歩道の真ん中にヒメスミレの群落がいくつかあった。作業をするにはこれを除去しないと間違いなく踏んづけてしまうのは必至だ。その群落の画像を撮ればよかったが慌てていたのか心の余裕がなかった。そこで、以前撮っておいたヒメスミレに登場してもらう。鶴嘴でヒメスミレを「収穫??」して、トレイに集める。ヒメスミレ救出作戦
春の息吹が感じ始めた先週、さっそくわが家にやってきたのは「カワゲラ」だった。カワゲラは2億4700万年前の「二畳紀」すでに地球上に出現している。人間よりはるかに先輩なのだ。危うい人類より長生きしていく平和的な生物なのかもしれない。しかし、成虫の寿命は10日前後というから、死と生とを素早く循環させることで種の保存を成し遂げているわけだ。そして今週も、カワゲラが燈火を求めてやってきたのだった。模様や形が微妙に違うが素人としては許容範囲だ。長野県伊那市はトビケラ・ヘビトンボとともにカワゲラなどを佃煮や揚げ物として食べてきたという。最近では高級珍味の伝統食「ザザムシ」として、さらには昆虫食としても注目されている。また、カワゲラは川の水質指標生物ともなっており、「水質階級1」の「きれいな水」に住む生物となっている。...伝統的な昆虫食だった!!
春の息吹が感じ始めた先週、さっそくわが家にやってきたのは「カワゲラ」だった。カワゲラは2億4700万年前の「二畳紀」すでに地球上に出現している。人間よりはるかに先輩なのだ。危うい人類より長生きしていく平和的な生物なのかもしれない。しかし、成虫の寿命は10日前後というから、死と生とを素早く循環させることで種の保存を成し遂げているわけだ。そして今週も、カワゲラが燈火を求めてやってきたのだった。長野県伊那市はトビケラ・ヘビトンボとともにカワゲラなどを佃煮や揚げ物として食べてきたという。最近では高級珍味の伝統食「ザザムシ」として、さらには昆虫食としても注目されている。また、カワゲラは川の水質指標生物となっており、「水質階級1」の「きれいな水」に住む生物となっている。高度成長期には天竜川の水質悪化でカワゲラは激減し...伝統的な昆虫食だった!!
ときどき利用する国道の法面で杉が一部皆伐された。何が始まったのかよくわからなかった。杉の伐採にしては30人ほどの人員がいたこともあるので、どうも伐採だけが目的ではないらしい。そのうちに、モノレールのようなものも動員されていた。これは木材の運搬というより資材の運搬に使われている気がする。というのは、ほぼ全部の木が伐採され集材されているのにまだ置かれていたからだ。岩盤にはアンカーが穿たれ、網やロープが縦横に使われ始めた。この資材を急斜面に持ち上げること自体大変な作業であることが想像できる。工事用の看板を見たら、国道の法面からの落石対策工事であることが分かった。総工費は3124万円であることが明示されていた。法面の上の方はワイヤーロープがダイヤ状に設置されていた。これで工事終了なのかどうかはわからない。ここに生...頼みます!落石防止!!
前日の雨で桜が散ってしまうのではないかと心配したが、ぽっかり晴れ間に恵まれた花見となった。ハナモモやソメイヨシノは全面開花とは言えなかったのが残念だったが、枝垂桜や見事なマンサクの黄色の花が尾上邸の庭を飾った。とりわけ、これだけの大木になったマンサクを見たのは初めてだった。まるで、満開の黄色い桜と言おうか秋のイチョウの黄葉と言おうか、豪快だった。春を告げるほんのりとした小さなマンサクしかイメージがなかった。尾上邸工場前で、税金・補助金・後援会からの予算のない自前の「桜を見る会」が行われた。わが家と同じ「ヒメコブシ」の花びらが舞う会場には20組ほどの親子らが参集した。こどもらも里山の山並みに囲まれた川・田んぼ・庭だけではなく、工場の屋根やデッドゾーンの探検を楽しんでいた。もちろん、ドラムカンカマドも登場。オ...「桜を見る会!?」をゆるりと…
春めいてきたこのごろだが、体がついていけない。ウダウダしながら、なんとか畝立てして黒マルチをセットしていくのが日課だ。そんなとき、コンクリートにテントウムシが歩いていた。今年最初に会ったテントウムシだととりあえず写真を撮る。しかし、画像を見たらどうも変だ。近づいたら急に固まって動かない。「擬死」というやつだ。テントウムシの斑紋にも似たものがあったがどうも違う。しかも、「点刻」という凹状のスジが並んでいるのはテントウムシには見られない。そこで、小学生向けの図鑑で調べたら、イタドリを食草とする「イタドリハムシ」(ハムシ科)であることがわかった。しばらくしたら、擬死から蘇ってノコギリ状の髭が見えてきた。こうなると、テントウムシではないことがわかってくる。テントウムシはアブラムシを食べるが、イタドリハムシはイタド...春一番のテントウムシ!!じゃなくてー!?
春一番の先陣を切ったのは、畑の片隅に新天地を求めた「フキノトウ」群落だった。一時、畑から絶滅したため今年は収穫しないでそのまま見守ることとしている。フキノトウとともに同じころに花を咲かせたのは、ミニ水仙の「テイタテイト」だ。フランス語で「頭を寄せ合う」というそうだが、なるほどのひそひそ話が聞こえて来そうな風貌だ。例年より早く、「大杯」スイセンも咲き出した。中央のフリルが特徴。花弁がやや薄色イエローだが、白い花弁はまだ咲いていない。水仙の群落は道路や庭のあちこちで見られる。今年もたくましく早春の息吹を華麗に演じてくれた「ヤブツバキ」。この樹の下に花弁が落ちて赤い絨毯のように敷き詰めてくれる。椿三十郎の映画ではこれらのツバキの花がキーポイントとなっている。これを焼いた灰は漆器の研磨剤ともなっている。コノヤブツ...春の津波がひたひたと襲ってきた!?
前回に続き、千葉の豊穣なマンホールが主役だ。今回は地下の消火栓に限ってみた。最初に見たのは、中央に旧千葉県水道局章のある「消火栓」蓋だった。凹型の亀甲模様の中の「消火栓」の文字がなんとも暖かい。周囲には鉄の受け枠があり、凸型の「A」字デザインで縁取りしている。中央と受け枠に囲まれたところには、凸型の水玉模様が配置されている。ノンカラーだ。それに対し、同じ模様に見えたが、じつは正反対だった。中央の亀甲紋は凸型で隣の水玉模様は黄色カラーの凹型だった。しかも、受枠の「A」字は凹型だった。いずれも最初に見たマンホール模様の凸凹が正反対だった。これは大きな驚きとなった。同じようなパターンの蓋には、「双口消火栓」というのを発見する。中央の亀甲紋は凹型、周りは凸型の水玉模様。全体のデザインはシンプルで「双口消火栓」の文...地下の水も誇りに思ってる!??
久しぶりに千葉の路上に立った。まわりの景観は乱雑なビル群ばかりで興味はない。仕方ないから下を向いて歩く。そう、いつものマンホール探しだ。それも中心市街地から外れた所が中心だ。下を向いて歩こう
久しぶりに千葉の路上に立った。まわりの景観はビル群ばかりで興味はない。仕方ないから下を向いて歩く。そう、いつものマンホール探しだ。それも中心市街地から外れた所を中心にだ。千葉の雨水・汚水の違い
倉庫から出てきた3個の木枠の網ザルが素晴らしい。木枠の薄い板にはこれを購入した時代が書かれている。それぞれ、「昭和8年7月求」、「昭和9年5月参拾日」、「昭和25年5月18日吉日」とある。ザルの外径を図ってみると、59cmだった。2尺ということか。木枠には「第9号」と書かれている。3個とも同じ外径だった。職人の技が緻密にデザインされている。曲げわっぱをうまく利用したジャポニズムを感じる。少しの瑕疵もない。つづく昭和レトロの匠が